Club Pelican

BIOGRAPHY

4. ロイヤル・バレエ時代 (3)

プリンシパルに昇進してほどない1994年の初め、クーパーは「マイヤーリング」のルドルフ皇太子を、代役で務めることになった。相手役の一人であるマリー・ヴェッツェラ役は、当時ソリストだったサラ・ウィルドーが、やはり代役で踊ることになった。二人はそれまでパートナーを組んだことはなかった。リハーサル当日、スタジオで踊り出した二人は、顔を見合わせたとたん、「化学反応のように」恋に落ちてしまったという。ああそーですか。けっ。

ウィルドーは言う。「私たちはそれ以前から顔見知りではあったのだけど、一緒に踊っていたあいだ、私たちはすべての濃密なシーンの一つ一つに、本気で取り組んでいた。・・・だから、それは突然はっきりしたの。たとえその時、私には他の誰かがいたとしても。」それ、当時の彼氏と別れてクーパーとつきあい始めたってことかい?

その翌年、1995年秋には、二人はウエスト・ロンドンのアクトン地区に家を共同購入し、本格的な同棲を始める。つきあい始めてわずか1年で、一緒に家を買っちゃう、というのもすごいが、23、4歳の若造二人が住宅を購入する、というのもすごい。私の知ってる人は、せいぜい30代半ばか40近くになってから買ってたけどなあ。他には、親から結婚祝いに区内にマンションを買ってもらった、というヤツもいることはいるけど(ちなみに一年あまりで離婚した)。イギリスっていうかロンドンって、東京よりも物価が高いクセに、住宅だけはリーズナブルなのか!?じゃあ、あの劣悪なホテル環境は一体なんなのだ。クーパーとウィルドーは、即金で買ったんだろうか、それともローンを組んだのだろうか。ローンだとすれば、30年くらいのだろうか。金利はどれくらいなんだろう。よけーなお世話か。

サラ・ウィルドーは、クーパーよりも一つ年下の1972年生まれ、エセックス州の出身である。身長は多分160センチくらい(も少し低いかも)だと思う。アッシュ・ブロンドの長い髪、卵形の顔、蒼白な表情、濃い色の弓なりの眉、けぶる睫毛、静かな瞳、紅い唇で、神秘的な雰囲気の、すごい美しい人だ。しかも私好みの、一目で印象に残る美女。すごーく甘い声音で、ゆったりと話す。

彼女は3歳でバレエを始め、12歳でロイヤル・バレエ学校に入学した。幼くして親元を離れたことによるストレスだろう、ほぼ毎日ひどい偏頭痛とホームシックとに悩まされたという。16歳の時には、圧力の過負荷を原因とする骨折が背中に2箇所も起こり、半年間のギブスによる胴体固定と、一年間のバレエ禁止という生活を送らなければならなかった。圧力のかけすぎで背中を骨折?バレエの練習のせいで?「性格なのね。一番いけなかったのは、スタジオに坐って、他の人が踊るのを見ているよう、自分自身に強いたこと。」・・・人柄が分かる。きっと生真面目な努力家なのです。自分自身を傷つけるほどに。そういえば、至近距離から見た彼女は、青白い顔色に、なんだか思いつめたような、ひどく神経質そうな瞳をしていた。

1990年、彼女は18歳でロイヤル・バレエに入団した。彼女を見いだしたのもやはりケネス・マクミランで、マクミランは彼女を「ロミオとジュリエット」のジュリエットに指名し、これが彼女の昇進のきっかけになった。

彼女はフレデリック・アシュトンや、マクミランの作品を得意としていた。主なレパートリーとしては、「ジゼル」、「オンディーヌ」、「ラ・フィーユ・マル・ガルデ」、「シンデレラ」、「コッペリア」、「夢」、「田園の出来事("A Month In The Country"のこと?)」、「マノン」、「アナスターシャ」、「くるみ割り人形」、「ダフニスとクロエ」、「三人姉妹」などがある(←書ききれないのでこれぐらいで勘弁して)。彼女のロイヤルでのバレエ教師は、ロイヤル・バレエ往年の名バレリーナ、アントワネット・シブレー(Antoinette Sibley)やリン・シーモア(Lynn Seymour)らで、ウィルドーは彼らとは「テクニックについては多くを話さず」、主として「彼らの驚くべき詩的幻想性を身につける」ことに取り組んだ。

ロイヤル・バレエの伝統と特色とは何なのか、といえば、私が今のところ理解できているのは、ドラマをバレエで表現しているようなところである。ハデで人外大魔境な動きがさほどなく、ストーリーの進行を受け持つ演劇の部分と、見せ場の踊りの部分とが分断していない。踊りそのもので登場人物の心理や人間関係を、表現または象徴、暗示しつつ、物語が進んでいく。あと、動きというか、手足の動かし方に独特のクセがある。なんというか、カク、カク、ギギーッとした動きだ(語彙が貧弱でごめんくさい)。その動かすタイミングやスピードは絶妙で、モロ観ている方のツボにはまる。あと、足の動きというかステップが、男性も女性も異様に細かい。

ロイヤル・バレエは、ダンサーの育成という点で、確かに無責任なところというか、相互にうまく機能していなかったところがあったようだ。ウィルドーは、ロイヤル・バレエの情感の表現という伝統は、確かにみっちりと教え込まれたが、テクニック方面に関しては、やはり充分な指導を受けられなかったのである。彼女を担当した教官たちが、専ら自分の現役時代にロイヤルで通用していた価値観や、それに依拠したバレエに対する自分の信念に基づいた指導をするばかりで、現在の、または次世代のバレエ・ダンサーに、実際に要求されている要素や条件、といった現実的問題を考慮できなかったのだろう。

それはウィルドーの「技術面での不充分さ」に繋がり、彼女は「白鳥の湖」や「眠りの森の美女」の主役にキャスティングされることはなかった(誰かさんを思い出すわ)。しかし、彼女のようなロイヤル・バレエ独特の伝統を濃厚に受け継ぐタイプというのは、アンソニー・ダウエルが芸術監督を務めていた間は、まだ重視されていたのである。ダウエルはおそらく、クーパーのことはさほど評価していなかった。一方、ウィルドーが(遅かったとはいえ)プリンシパルに昇進できたのは、ダウエルの評価と後押しとがあったためである。

クーパーとウィルドーが、ロイヤル・バレエの舞台で共演したのは、非常に少ないそうだ。その数少ない共演の一つが、1996年に上演されたケネス・マクミラン振付の「招待(The Invitation)」である。これは超すさまじい内容のバレエらしい。向こうの新聞では、「悲惨な作品」とか「強姦バレエ」などという頭書がよく付されている。クーパー扮する中年男が、ウィルドー扮する12,3歳の少女を強姦するというストーリーの作品だそうだ。・・・っていうかね、なんで、こういう内容を、わざわざバレエにする必要があるかな?これも「芸術」なの?こういうバレエを観て、観客はブラボーコールして拍手するの?もしそうなら理解しがたい神経です。私なら、鉄板ブーイングですよ。たとえクーパーとウィルドーが踊ったとしても。

内容が内容だけに、ロイヤル側は、実生活の恋人同士である二人に、この作品のパートナーを組ませたのかもしれない。でもたとえ恋人とはいえ、こんな作品を演ずることは、特に女性ダンサーにとっては、心へのダメージが大きいんではないかと思う。ウィルドーは現に「アダムとの共演とはいえ、あまり嬉しくはなかった」と言っている。またこともあろうに、彼女に家で「練習」してきたのか、などとからかう(←超セクハラ)アホたれがいて、彼女は不愉快な気分になったそうだ。ウィルドーは、後にクーパーとAMPの「シンデレラ」でパートナーを組む。「こっちの方がずっとロマンティック」と彼女は言っている。

男性芸術家の中には、「衝撃を与える」とか「斬新さを追求する」とか称して、強姦とか近親姦とかいう、いわゆる異常性愛、または性暴力を題材にしたがる人がいる。芸術創作に従事する人独特の、踏みとどまるべき一線をわきまえない、大人として甚だ非常識な、幼稚な「純粋さ」とやらには、げんなりするどころか苛立ちさえ覚える。これが若い芸術家だったら、作品にサディスティック且つ暴力的な性嗜好が表れてしまうのは、妄想の延長と、若い時にはありがちな軽率さとが招いた結果だといえるかもしれない。でも、いい年こいたオヤジやジジイ芸術家がこういうことをやると、この人たちは、数十年もの長い時間を、いったい何を考えて生きてきたのだろうと、こっちの方がすごい情けない気分になってしまう。ケネス・マクミランは、ある女性ダンサーに、こう言ったことがあるそうな。「マリー(・ヴェッツェラ)は、ルドルフに殺される時、エクスタシーを感じるんだ。」人間、実年齢相応に、心も年輪を重ねていきたいものですね。

この「招待」については、クーパーもウィルドーも、なまじ優れた表現力と演技力とを持つダンサーだけに、迫真の演技(おいおい)で、高い評価を得たようである(批評家には)。クーパーもこの「招待」がお気に入りらしく、インタビューではよく言及している。「最も印象的な作品だ」だの、「あの舞台では(ウィルドーと)『共鳴』を感じた」だの、「リハーサルの間は笑いっぱなしだった」だの、無神経にホザいている。やっぱコイツも芸術家男タイプだな。あと野郎だけに、女がこうした方面で、日常的に感じているプレッシャーは、イマイチ理解できないんだろう。まったく。

アダム・クーパーとサラ・ウィルドーの二人は、1996年のクリスマスに婚約、2000年夏に結婚した。彼らは「おとぎ話に出てくるような理想のカップル」と呼ばれ、バレエ界のトム・クルーズ、ニコール・キッドマン夫妻(これは不吉だ)、またはロベルト・アラーニャ、アンジェラ・ゲオルギウ夫妻(こっちはまだまだ大丈夫)などに喩えられてきた。いつだったか、どっかのオペラのガラ・コンサート中継で、アラーニャとゲオルギウが出てきて、プッチーニ「友人フリッツ」の「さくらんぼのデュエット」を二人で歌ったことがある。彼らは終始、身体を密着させてお互いの手を胸元で握りあい、顔を3センチくらいまで近づけて見つめあっていた。完ペキに二人だけの世界にハマっており、目の前の数千人の観客などてんで眼中に無いようである。奥ゆかしい日本人である私には、これはかなり寒いものがあったが、クーパー君とサラ嬢も負けてない。

彼らはしばしば一緒にインタビューを受けている。はっきり言って、読んでるこっちが恥ずかしくなるぐらいラブラブである。記者の目の前でも、少しもはばかることなくイチャイチャイチャイチャしてるらしい。二人で写っている写真も、二人は体を寄せ合い、常に接着面がある。また、お互いが出演する公演には、お互いが必ず観に行くらしい。今年5月の「オン・ユア・トーズ」の会場にはサラが来ていたそうだ。今年の秋、サラはウエスト・エンドで上演される、ミュージカル「コンタクト」に出演する。アダムは絶対来るだろう。彼はその時には「オン・ユア・トーズ」の公演(再演)最中のハズなのだが。イギリスでは恋人同士はみんなこうなのか、この二人がただ単にバカップルなのかは不明である。

二人の関係について、ウィルドーは言う。「ダンサーとして、お互いに対する確かな理解が存在するの。私が出演する公演の前、両親は私に電話をかけてきて、私がどんな気分か尋ねるのよ。そして私は言ってやるの。私がどんな気分か、よくお分かりでしょ、って。アダムは決してそんなことは尋ねない。なぜなら彼にはよく分かっているから。」ああ、そーですかっ。

この二人が面白いのは、こんなにラブラブなのに、経歴も感じ方も性格も正反対らしいことである。ウィルドーは生粋のロイヤル育ちで、今までの人生のほとんどをロイヤルで過ごし、ロイヤルでの自分のキャリアに「不満を感じたことがまったくない」と言う(そして彼女が初めて不満を感じたとき、彼女はロイヤルを退団した)。彼女はロイヤルではいつでも幸福で、ロイヤルでは「みながお互いに助け合い、情け容赦ない競争や、恐ろしい風潮などは存在しない」という。そして彼女は「役にはいつも恵まれ」、「それらを踊るのを心底楽しんでいる」と。

1997年くらいに、ロイヤル・バレエは、組織の存続自体が危ぶまれた時期があったらしい。彼女は98年のインタビューで、この危機を振り返ってこう話したことがある。「そこには真実のチーム・スピリットがあった。それが、私たちロイヤルのダンサーが、危うい時期の間も、すばらしい踊りを続けられた理由よ。だから、私は確信しているの。カンパニーは持ちこたえることができる。ただ一つ言えることは、ダンサーたちは敗北主義者ではない、ということ。何が起ころうと、私たちは乗り越えていける。」みなさん、前の回に載せた、クーパー君の不満だらけな発言と比べてみて下さい。二人がロイヤルに対して、そしてロイヤルでの自分のキャリアに関して、正反対な感情を持っていることが分かるでそ?

その人が本当のところはどんな性格なのか、なんて知るよしもないけれど、クーパーは基本的にはお気楽な性格で、ウィルドーはそれで助かっているようだ。「ほとんどの場合、アダムは容易に気持ちの切り替えができるし、私にもそうさせてくれる。」この前日本の雑誌に載ったインタビューでも、クーパーは聞かれもしないのに、いきなり飼っているネコの名前とか、飼うことになった経緯とか、魚も飼ってることとかをしゃべりだし、記者に見事に黙殺されていた(むこうのインタビューでも、同じことを何回かやってるらしい形跡がある。動物好きなのね)。私はこれを読んで、ひょっとしたらクーパー君はアホなのかも、とちらっと思ったのだが、でもこういう性格の人の方が、ウィルドーにはいいのかもしれない。

彼女は自分では、言いたいことは我慢しないで言う性格だ、と言っている。AMPの「シンデレラ」でクーパーと共演していた間、彼女はクーパーにかなり容赦ない意見を浴びせ続けたらしい。ずっと我慢していたクーパーも遂に耐えかねて、「君はだんだん自分の母親そっくりになってきたね」と言い返したんだと(爆)。だんなのクーパーは、彼女にあれこれ指示したり、口出ししたりはしないそうだ。気の強い妻とおとなしい夫、という図式が思い浮かぶけど、だけど実際のところは、ウィルドーは、とても繊細で弱い人だと思う。あの雰囲気で分かる。

ここで女性のみなさんは、自分の経験に照らし合わせて想像してみて下さい。男の人と一緒に話していると、男性には次の二つのタイプがあるでしょう。この人には気を使ってあげなきゃ、機嫌をとってあげなきゃ、という気分になる男性と、この人には何でも話して大丈夫、この人は強いな、容易なことでは壊れないな、という気分になる男性と。クーパー君は後者です。なんかね、がっしりした安定感があるんです。これは体格とは全然関係ないですよ。だから本当は、気が強そうに見えて実は脆いところがある女性と、おとなしそうだけど実は精神的に頑丈な男性のカップルなんだろう。

時間は前後するが、1994年の春、クーパーとウィルドーは、当時ロイヤル・バレエでの同僚だったダンサー、イーアン・ウェッブに誘われ、サドラーズ・ウェルズ劇場で上演されていた、あるダンス・ショーを観に出かける。それはマシュー・ボーンが率いるダンス・カンパニー、アドヴェンチャーズ・イン・モーション・ピクチャーズによる「ハイランド・フリング」という演目だった。これは、19世紀の名バレリーナ、マリー・タリオーニのために振り付けられた、ロマンティック・バレエの古典的名作「ラ・シルフィード」をパロディ化した作品だという。イーアン・ウェッブと、その妻でやはりダンサー(サドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ)のマーガレット・バルビエリは、「ハイランド・フリング」を以前に観たことがきっかけで、ボーンと交流するようになっていた。終演後、クーパーとウィルドーはボーンと会ったが、これが、クーパーがボーンと、直接に顔を合わせた最初の機会である。もっとも、このとき両者は、型どおりの会話を交わしただけで終わったらしい。

その後、ウェッブはボーンに、クーパーとウィルドーが、ボーンと仕事をすることに興味を持ったようだと話した。当時、ボーンはヒロインを男性に置き換えた「白鳥の湖」のプロジェクトを進行させていたが、肝心の主人公である「白鳥」を踊る男性ダンサーの人選に、頭を悩ませていた。ボーン自身が言うには、「当時の僕は、自分がダンス界の誰にであろうと、仕事を依頼できるような立場にあるとは感じていなかった。まあ、今はできると感じているけど。その時は、ロイヤル・バレエのダンサーの興味を引くような声望が自分にあるなんて、思ったことはなかったから。だから、僕は考えていた。AMP内部で適切な人材を見つけるか、あるいはオーディションをして見つけようか、と。」

しかし、ウェッブの話を聞いたボーンは突如ひらめいたという。「彼、アダムなら、この役にはうってつけなのではないか?」

(2002年9月23日)

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