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BIOGRAPHY

番外編 ダーシー・バッセルが語るアダム・クーパー

ダーシー・バッセルは1998年に自伝"LIFE IN DANCE"を出版している。バレエの話題に重点を置いて、彼女の生い立ち、ダンサーとしての生活、ロイヤル・バレエ、同僚、振付家、作品などについて語ったものである。彼女は"My Dancing Family"という1章を立て、彼女と縁の深い振付家やダンサーたちを紹介している。この中に彼女の恒常的なパートナーの一人としてアダム・クーパーが出てくる。

ダーシー・バッセルはロンドンの出身で、ロイヤル・バレエ・ロウワー・スクール、アッパー・スクールで学んだ後、1987年にサドラーズ・ロイヤル・バレエに入団した。だが次の年にはロイヤル・バレエに移籍し、そこでケネス・マクミランに大抜擢されたことによって、移籍して僅か1年後の89年、20歳の若さでプリンシパルに昇格した。

一方、アダム・クーパーは89年にロイヤル・バレエ・アッパー・スクールを卒業後、アーティスト(コール・ド・バレエ)としてロイヤル・バレエに入団した。彼が入団したときには、バッセルはすでに、ロイヤル・バレエの輝かしいプリマ・バレリーナであった。対してクーパー君はいまだ「その他大勢」の中の一人に過ぎなかった。

ダーシー・バッセルがプリンシパルとなり、アダム・クーパーが入団したこの89年、ロイヤル・バレエにはもう一つの大きな出来事があった。パリ・オペラ座バレエのエトワール、シルヴィ・ギエムがロイヤル・バレエに移籍してきたのである。

イギリス生粋のプリマ・バレリーナと、フランスの超エリートバレエ団からやって来た大物バレリーナとがロイヤル・バレエに集まったことは、観客の間で大きな話題になったことだろう。とはいえ、ヒラ社員のクーパー君にとって、これは雲の上の出来事であったはずである。しかし妙な縁で、彼はこの二大バレリーナの関係に巻き込まれることになった。バッセルとギエムはともに背が高かった。しかし、ロイヤル・バレエには背の高いソリスト、プリンシパル級の男性ダンサーの数が限られていた。そして、クーパー君はたまたま背が高かったのである。

クーパー君は89年の秋にロイヤル・バレエに入団した。ほどなく、しがないコール・ド・バレエのクーパー君は、なぜかダーシー・バッセルのパートナーに抜擢される。そのときの彼の様子をバッセルは述べている。

「私が初めてアダム・クーパー(彼は後にロイヤル・バレエを退団して、モダン・ダンス劇のカンパニー、アドヴェンチャーズ・イン・モーション・ピクチャーズのスターとなりました)とパートナーとして組んだとき、彼はひどくナーバスになっていて震えを止めることができませんでした。これは明らかに私にとって恐怖でした。でも、彼が自分のナーバスを克服したとき、彼は非常にすばらしいパートナーとなったのです。」

シルヴィ・ギエムのときと同じように、クーパー君はヒラの自分が花形プリマのパートナーに抜擢されたことに恐怖を覚えていたのだろう。クーパー君はもともと内気でナイーヴな性格なのだ。今の彼の図太さは、度重なる緊張を克服して形成されたものだったのである。

「私は彼と『ロミオとジュリエット』を踊るのが好きでした。彼が本当に真剣な情熱を込めて演技するからです。彼が私を見つめるとき、私にはまるで現実の人物がそこにいるように思えました。彼は手を抜いていいかげんにやる、ということが決してありませんでした。」

一見「イージー・ゴーイング」にみえるが実はそうではないという、クーパー君の本当の姿をうかがわせる話である。明るくて天然にみえるけど(確かに一部は天然だけど)、クーパー君は基本的にいつも一生懸命で真面目な人なのよ。

「アダムはまた本当に頼りになる代役でした。他の男性ダンサーがケガをしたとき、ギリギリの土壇場で代役を務めることに秀でていました。そしていくつもの舞台で、私は彼に心からの感謝の言葉を捧げたものです。」

クーパー君は自分のロイヤル・バレエにおける「代役人生」をいつも自嘲気味に語っている。ロイヤルがことあるごとに自分を代役に駆り出すことについて、彼は内心「いいように利用されている」と感じていた。だが彼は「(代役を)承知しなければ、ロイヤルに自分の居場所はなかった」ので、代役を務め続けたのである。クーパー君は本心を隠し続けた。当然バッセルは彼の本心を知るよしもなかった。

「危うく滅茶苦茶になりかけた『パヴァーヌ』の上演で、彼がまぎれもない奇跡を起こしたことを私は忘れません。あの日は悪い出だしでした。私は胃の不調で前夜からほとんど眠っておらず、それで午後のあいだ、私はグリーン・ルームに行って少し眠ろうとしたのです。そこで私はジョニー(ジョナサン・コープ)に会いました。彼はその夜、私のパートナーを務めることになっていました。そして彼は私に、家に帰ってきちんと休んだほうがいいと言いました。私のアパートはオペラ・ハウスから車で大分かかるところにあったので、私はそれはできない、骨折り損だと言いました。それから私は言いました。『あなたはいいわよ。あなたはバイクに飛び乗れば、2秒で家に着くんですものね。』」

「でも私はこんな言い方をすべきではありませんでした。その日の午後5時、私はジョニーが舞台の前に休息を取ろうとバイクで家に帰り、戻ってくる途中で事故に遭ったと聞いたのです。私は『ああ、私が彼に呪いをかけてしまったんだわ』と思いました。幸運なことに、彼はケガは深刻なものではありませんでした。彼は路面に激突する前にバイクからなんとか飛び降りていたからです。でも彼は親指を痛め、また肋骨にひびが入っていて、その夜の公演で私の相手役を務めることは無理でした。」

「その夜に上演される『パヴァーヌ』は、私にとってやっと2回目に踊ることになるもので、私はどのみちこの作品に充分な自信がありませんでした。更に複雑なことには、ジョニーの役の振付を知っている人物は、他に1人しかいなかったのです。それがアダムでした。でも、私は彼と『パヴァーヌ』をリハーサルしたことがありませんでした。しかし最も悪いことには、どうやってアダムをつかまえて、彼がその夜に私の相手役をしなければならないことを伝えればいいのか、誰も知らなかったのです。」

「私たちはスケジュールとにらめっこして、そしてアダムが衣装合わせのため、5時半にオペラ・ハウスにやって来ることを見つけました。公演は7時半に始まります。それで私たちはなんとか振付を一緒にやって確認する時間が持てそうでした。『パヴァーヌ』は最もよい状況下であっても、パートナーを入れ替えるのに容易なパ・ド・ドゥではありません。ジョニーと私がステップの一部を正しく踊るためには長い時間がかかりました。」

「私たちがついにアダムをつかまえたとき、彼は非常に冷静な顔をして『おや、いいよ。なるほど』と言いました。少なくとも私たちにはこの作品を急いで踊ってみる時間が1時間ありました。でもその間にも、アダムが彼のパートナー(クロエ・デイヴィス)と非常に多くの振付を、ジョニーと私が踊っていたやり方とは違った風に処理していることが分かりました。私が決まった動きでやっていることを彼は厳密には知らなかったし、彼については私もそうでした。」

「もちろん私たちが舞台に上がる前、カンパニーは観客にアナウンスをしたので、観客はアダムが土壇場で役を務めることになったと知っていました。それでも私の気分は晴れませんでした。それが私たちがこの作品を一緒に踊ったことがまったくない、ということを意味していると観衆が本当に理解してくれるとは、私には信じられなかったからです。」

「幕が上がると、私はすっかり震え上がっていました。私は一度に一つのステップに集中することで、この作品をやり遂げることしかできませんでした。私は一つのステップを終えるごとに『よし、これは済んだわ。さあ、次よ。今は何について考えなければならない?これをやることを確認しなければ』と考えていました。すばらしいことに、すべてがうまくいったのです。あるアラベスクのターン部分で、アダムが私の手をジョニーのやり方よりもきつくつかんでいたために、アダムが私を放してくれないのでは、と私がうろたえた瞬間以外は。」

「他のすべての部分ではアダムはすばらしく、私がやろうとしていることに非常に敏速に反応してきました。だから私がややバランスを崩すと、彼は即座にそれを感じ取って、ほとんどの他の男性ダンサーができるよりもはるかに速く私を補助するのです。どれぐらいの試練が彼に投げかけられようが大したことはなく、彼はいつもうまく切り抜けているようでした。」

クーパー君がなぜ代役に多く駆り出されたのか、これは代役として立った彼と一緒に踊った経験者が語る貴重な証言である。クーパー君は自分が代役を多く回された原因として、「振付を覚えるのが速かったから」と言ったことがある。だが、それに加えて、反応の良さ、適応能力と処理能力の高さも挙げられるだろう。つまりサポートやパートナリングの能力が高いということだ。クーパー君は代役を任された自分を卑下するばかりである。でもこれは本来なら自慢してもいいことなだけにかえって痛々しい。

かくしてダーシー・バッセルとアダム・クーパーは恒常的にパートナーを組むことになる。だが、二人の蜜月(?)を阻む大きな存在が現れた。そう、シルヴィ・ギエムである。

「でも、そのシーズンの次なる危機のために、アダムさえも私を捨ててしまいました。実際、私のパートナーたちはドミノの列みたいに倒れていくかのようでした。『パゴダの王子』再演のための最終リハーサルの間、ドラマは幕を開けました。それは『パヴァーヌ』トラウマから2週間後のことでした。私はジョニーと初日を踊ることになっていました。でも彼のバイク事故の後では、これは問題外です。だから明らかに代役はアダムです。彼は私と背丈がちょうどよく、それに私と彼はこの作品を6年前に一緒に踊ったことがあったからです。」

「さて、パートナーの変更とは警戒すべきことです。この作品を私たちのためにうまく機能させるために、私たちにはたった6日間しかありませんでした。これは全幕物の作品、とりわけ、とてもたくさんの難しいパ・ド・ドゥがある作品にとっては、非常に短い時間です。そして私たちのまさに最初の一緒のリハーサルは、実際stage call(意味不明)でした。これはいつものように非常に落ち着かないものです。時間までに、私たちは舞台上でリハーサルをし、ずっとバレエを踊っていました。私たちは新顔のパートナーと乗り越えようなんて思いもしませんでした。」

「私たちはこの作品を大体やり終えました。ところが、私がアダムと2回目のリハーサルに入ったとき、彼が『パゴダの王子』から引き抜かれて、『ロミオとジュリエット』でシルヴィ・ギエムのパートナーとして役を変えられたことが分かったのです。シルヴィの本来のロミオ役はジョニーでしたが、彼女は彼の事故について聞くとすぐに、パリ・オペラ座バレエでの馴染みのパートナーだったローラン・イレールに連絡を取り、ジョニーの代役を頼もうとしました。不運なことに、ローランは日程の調整がつかず、そこでシルヴィはアダムが代わりに彼女と踊るべきだと主張したのです。契約上の理由により、シルヴィの望んだものは、シルヴィの手に入りました。」

「シルヴィの『ロミオとジュリエット』は『パゴダの王子』の2日前に予定されていたので、アダムが彼女とリハーサルをする一方で、私ともリハーサルをするのは明らかに不可能でした。そこでアンソニー・ダウエル(当時の芸術監督)は、私の代わりの相手をスチュアート・キャシディにすることに決定しました。」

「アンソニーを公平に見れば、彼が私に話したように、彼はとてもナーバスに見えました。でも私はそれでも本当に、本当にショックを受けました。私は考えました。もしシルヴィが他のパートナーを必要としているのなら、彼女は自分でその人物を見つけるべきで、私のパートナーを取り上げるべきではない、と。私は本当に怒り狂いました。なぜなら、変更は関係者全員にとって忌まわしいことであるからです。キャシディは私のパートナリングをしてかなり苦労していました。なぜなら彼は『パゴダの王子』を吉田都とリハーサルしていて、彼女は私の背丈の半分ほどだったからです(チャウ注:いくらなんでもそれはないと思う)。」

以下、ギエムのわがままのせいで、他の人々がどんなに迷惑を蒙ったかの記述が続く。

「それが彼女のローズ姫としてのデビューであったにも関わらず、キャシディが彼女とのリハーサルをキャンセルせざるを得なくなったので、都は頭を悩ませることになりました。そして彼女が手に入れられるだけのすべての準備時間をかき集めなければなりませんでした。」

「しまいには、アダムは恐ろしいほどのプレッシャーにさらされることになりました。私とほんの一瞬『パゴダの王子』のリハーサルをしたかと思うと、次の瞬間にはシルヴィと『ロミオとジュリエット』のリハーサルをするために、たった2日間という時間が与えられたのですから。彼は『ロミオとジュリエット』をおよそ3年間踊っていなかったのです。でも彼は当日の公演でなんとか奇跡を演じてみせました。」

「一方、私は自分の権利のためにもっと闘うべきではないかと悩んでいました。また同時に私がそんなことをするのはわがままなのではないかと気に病んでいました。私にとって、アダムはキャシディよりもよいパートナーだというのは疑いのないところでした。『パゴダの王子』では、キャシディは私にとって理想的な身長ではありませんでしたし、また私とキャシディは、以前に『眠りの森の美女』で1回しか踊ったことがありませんでした。『パゴダの王子』のリハーサルで没入するすべての大変な作業にも関わらず、そうあるべきようなすばらしい出来にならないだろうことが、私には分かっていました。それはかなり耐え難いことで、私は地団駄踏んで、叫び声を上げてアダムを要求しようかと思いました。」

「でも私はアンソニー(・ダウエル)が直面しているジレンマを分かってもいました。アダムはシルヴィがロイヤル・バレエで踊ったことのある他の唯一の男性ダンサーで、彼女がキャシディと『ロミオとジュリエット』を踊るのは不可能なことでした。キャシディはシルヴィにとっては背が低すぎたからです。もし私が癇癪を起こしたとしても、状況には何の変化も及ぼしません。単にリハーサルの機会を逸するだけで、何をする余裕もなくなってしまうでしょう。シルヴィのようにカンパニーを出たり入ったりできるのとは違い、私はカンパニーのみんなと一緒に過ごさなくてはなりません。だからついに、そして不承不承ながら、(パートナーの変更を)私は承知したのです。」

ロイヤル・バレエでもはや慢性問題化している、背の高い男性ダンサー不足によって引き起こされた、ロイヤル・バレエのプリマ2人のクーパー君をめぐるいざこざであった。ただ、バッセルが上に述べたパートナーとしてのクーパー君の長所には注目すべきである。クーパーはパートナリングがヘタ、とはよく言われるところであったが、実際に彼と踊る側からすれば、決してそんなことはなかったのだ。むしろ察しが良くて対応が素早い優秀なパートナーであった。

しかし、ロイヤル・バレエ時代の自分について、クーパー君はいつも異常なほどに自分を卑下する。曰く、プリンシパルになったのは何かの間違いだ、背が高かったのが役に立った、自分はオペラ・ハウスのカーペット並みの存在に過ぎない、などなど。自分に与えられた役を黙々とこなしながら、クーパー君は自分の現状に不満を持ち、ひたすらロイヤル・バレエの外にチャンスをうかがっていたのである。

そして、彼がその稀有のチャンスをしっかりとその手につかんだことは後述するとおりである。

(2006年2月15日)

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