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BIOGRAPHY

31.オン・ユア・トウズ (2)

ミュージカル「オン・ユア・トウズ」では、ダンスは大きな位置、というより主要な位置を占めていた。「この作品の名声はダンス、とりわけ最後にあるジャズ・バレエ『十番街の殺人』にかかっている。この作品において、おそらくは初めて、ダンスの創作がストーリーの重要な要素となったのである。」

「『オン・ユア・トウズ』は、青年が娘に恋するというお約束的な物語を、異なったダンス・スタイル間の、基本的には平和的な闘争で縒り合わせている。ロシアのバレエ団がニューヨークを訪れる。その上演作品『王女ゼノビア』には、題名から察せられるすべての要素が揃っている。エキゾティックな衣装、気難しいお姫様、情熱的な貧しい青年・・・。早い話が、伝統的なバレエなのだ。」

「しかし音楽教授のジュニア・ドーランは、現代的なテーマ、ジャズ音楽、新しい振付のバレエを、ロシア人たちに上演させようとする。闘争と成功がストーリーなのである。」(「タイムズ」2002年5月10日)

このように「オン・ユア・トウズ」においては、ダンスそのものがストーリーの中で主要な役割を担っている。だからこそ、作曲者のリチャード・ロジャースと脚本・監督のジョージ・アボットは、実際にロシアからやって来たクラシック・バレエの振付家、ジョージ・バランシンに振付を依頼し、そしてその上演は成功した。以来、この作品の数少ない再演も、バランシンの振付を忠実に守ってきたのだった。

天然性怖いもの知らず症のクーパー君は、バランシンの振付で有名だった「オン・ユア・トウズ」に、新しい振付を施すことを承知した。「そもそも僕がこの作品に取り組む決心をしたのは、しっかりしたバレエ・テクニックを要求される作品だから。リフトなど専門のバレエ・テクニックを要する部分はもちろん、それ以外の振りでも、本当にバレエを踊れるダンサーでなければ踊りこなせない振付なんだ。」(「鑑賞者のためのバレエ・ガイド2004」)

84年にロンドンで「オン・ユア・トウズ」ブロードウェイ再演版が上演されたとき、まだ子どもだったクーパー君はその舞台を観ていなかった。彼は当時の公演でヴェラ役を担当したナターリア・マカロヴァが「脚を上げている」写真を見ただけであったという(それはおそらく当時の公演を録音したCDのジャケット写真だろう)。

ジョージ・バランシンによる初演版の振付は、なんらかの形で閲覧できるらしい。だがクーパー君はあえてバランシン版を参考にしようとはしなかった。「オネーギン」のときと同様、影響されるのを恐れたのである。「影響されるといけないから、バランシン版はあえて見ないようにしたよ。」(「レプリーク」2004年2月号) ちなみに「オネーギン」の役作りにおいて、影響されるのを恐れて絶対に観なかったのは、イギリスの名優、レイフ・ファインズ主演の映画「オネーギンの恋文」であった。

話は反れるが、私はつねづね、クーパー君のこうした姿勢は、彼のパフォーマンスや振付にあまりいい結果をもたらしはしないだろう、と思っている。クーパー君の人となりは、基本的に非常に真摯で誠実なのだろうことは分かっている。しかし実際に彼の振付を見ると、彼がいくら「影響されるといけないから」という理由で、他人の振付や演技を見なかったとしても、クーパー君がいろんな人の振付や演技に影響されているのは事実である。

「オン・ユア・トウズ」を例にとれば、彼の振付には、マシュー・ボーン、ケネス・マクミラン、ジョン・クランコ(「オネーギン」)の影響がいたるところで見られた。影響というよりも、単純な模倣といったほうがいいだろう。また「十番街の殺人」は、振付ばかりか、演出、キャラクター、全体的な雰囲気が、ボーン作品を彷彿とさせるものであった。

要は、影響されるのが悪いのではなく、自分が何に影響されているのかを自覚しないことが悪いのである。クーパー君は、自分の振付の「語彙」が、どんな人々のどんな作品の影響によって積み上げられてきたのか、きちんと自覚しているのだろうか?

他人の影響によって構成された自分の「語彙」をはっきり自覚してはじめて、そこから「独創的」なものが生まれてくる。偉大な振付家というのは、他のいろんな振付家のいろんな作品を見て、そうして自分独自の振付を生み出していったのではないだろうか。

「オン・ユア・トウズ」の振付については結局、バランシンの原振付を参考にすることなく、クーパー君が一から作り上げることになった。「音楽は魅力的だ。『10番街の殺人』はすばらしい。『ゼノビア・バレエ』も非常によく作られているし、とても精密だ。音楽を聴いた途端、僕の頭の中にイメージがすぐ浮かんできて、振付に取りかかれる状態になったんだ。」(「タイムズ」2002年4月22日)

クーパー君はいつもの超真面目ぶりを発揮して振付作業に熱中した。「この作品では時代背景が明確に提示されているわけだが、そこに現代的な表現を入れていこうとまず考えた。基本的に1920年代のヴォードヴィル・タップを中心に展開していきながら、クライマックスの劇中バレエ『十番街の殺人』は、純粋なモダン・バレエに仕上げている。最後に『十番街の殺人』が演じられることによって、70年前のニューヨークの空気と現代の表現とが融合して、作品全体が新しいスタイルに到達できると考えたんだ。」(「TITLE」2004年9月号)

一方、もうひとつの劇中バレエ「王女ゼノビア」は大いに笑える実に見事なできばえとなった。「台本には『王女ゼノビア』のシーンは"メチャクチャにする"とあるだけで、具体的には書いていない(チャウ注:シーンの簡単なト書きはある)。そこで僕はロシア・バレエに対するパロディになるようなシーンを作ろうと思ったんだ。僕自身が遊んで楽しめるような舞台をね。」(「鑑賞者のためのバレエ・ガイド2004」)

よって「王女ゼノビア」は、エキゾチック・バレエの名作「シェエラザード(Scheherazade、1910年)」と「海賊(Le Corsaire、1856年)」をイメージして演出、振付が行なわれ、ついでに「ラ・バヤデール(La Bayadere、1877年)」から、棒に吊り下げられた虎のぬいぐるみ、というアイテムが借用された。

「王女ゼノビア」の実に痛快な顛末は、ロイヤル・バレエに、またバレエの世界に、更にはバレエそのものにさんざん苦しめられて、自信喪失のあまりダンサー廃業を考えるまでに追いつめられた、クーパー君積年の恨みを晴らすかのようだった。

クーパー君は、第一幕の"There's a Small Hotel"と第二幕の「十番街の殺人」の仕上がりには、まだ満足がいかなかったらしい("There's a Small Hotel"については、修正されたはずの2003年日本公演版も私には納得がいかない)。しかし公演時期はやって来て、「オン・ユア・トウズ」は2002年5月3日にレスター・ヘイマーケット劇場で幕を開けた。

が、いささか困ったのは批評家たちと観客である。「オン・ユア・トウズ」はミュージカルである。だからミュージカルの批評家が観劇に訪れてレビューを書いた。しかし、彼らは「オン・ユア・トウズ」が通常のミュージカルとは違う「半バレエ作品」であることに戸惑った。

ある評者はこう書いている。「バレエ初心者で、しかもこの作品について多くの予備知識を準備していなかった割には、私はキャストたちの踊りと歌の結合に魅了された。」 自らを「バレエ・ビギナー」と称するこの評者は、実際に作品中の曲や歌、キャストたちの演技、セリフ回し、英語の発音(アメリカン・アクセントとロシアン・アクセント)に専ら触れているばかりで、踊りについてはほとんど言及がない。

「王女ゼノビア」で凄まじいピルエットや跳躍をしてみせたはずのイレク・ムハメドフについても、「愛しいバレエ・ダーリン、また2インチごまかし男のリアルな肖像を披露していた」としか述べておらず、最後はこう結んでいる。

「私のように、もしみなさんがバレエ素人で芸術に触れたことがないなら、この作品は少し困惑させられる、少し冗漫なものになってしまうかもしれない。しかし、この作品を私は気に入ったし、私がこの作品を楽しまなかったと言ったら嘘になるだろう。私は曲やパフォーマンスにかなり夢中になっていたと思う。(この作品は)一見の価値はある。」(BBC Leicester 2002年5月9日)

レスター市の観客は「オン・ユア・トウズ」をミュージカルだと思ってやって来た。しかし、時代設定や状況が限定されている上に、なぜか無言で長時間ひたすら踊り続けるバレエのシーンが2つもあったせいだろう、これは彼らのイメージする「ミュージカル」とは違ったようだ。

「観客は必然的に、アダムやイレクが今まで接してきたタイプとは非常に異なっていた。よって、初日の観客は非常に手ごわかったようだ。昨晩の公演にやって来た観客の多くは、一連のジョークや状況を完全には呑み込めていないようにみえた。」("ballet.co" magazine)

イレク・ムハメドフが劇中で披露したバレエの超絶技巧の数々にも、レスター・ヘイマーケット劇場の観客は今いちピンとこなかったらしい。レスター公演では、ムハメドフのパフォーマンスはさほど熱狂的な反応を得られなかったようである。

翌2003年夏の「オン・ユア・トウズ」ロンドン公演終了後、クーパー君は公式サイトの日記にこう書いている。「僕たちは(ロンドン公演に)イレク・ムハメドフを迎えることができた。僕が思うに、彼は去年(レスター公演)よりも今年(ロンドン公演)のほうが、はるかにこの作品に熱中しているようだった。」 現実に、ロンドンの観客たちはムハメドフの超絶技巧に熱狂した。

だが公演は大好評を博し、公演当初から、レスター・ヘイマーケット劇場でだけ上演するのはもったいない、という議論が早くから湧き起こった。「レスターはヒット・ミュージカルを確実にその手につかんだ。少しの幸運さえあれば、この『オン・ユア・トウズ』は、すぐに他の劇場でも観客たちを熱狂させることができるだろう。この作品には確かにそれだけの価値があるのである。」("What's on Stage" 2002年5月9日)

「レスター・ヘイマーケット劇場の芸術監督、ポール・ケリソンの企画によるこの公演は移動に値する。この公演は、クーパーの確かな才能とムハメドフの豪快な跳躍を縦横に披露できるような、もっと広い舞台を必要としている。群舞を増員し、衣装を作り直し、長期公演を行なうべきである。」(「オブザーバー」 2002年5月12日)

「レスター・ヘイマーケット劇場はヒット作品を生み出した。しかし今のところ、移動公演の予定はない。そうする価値があるにも関わらず。」(「サンデー・タイムズ」 2002年5月19日)

「オン・ユア・トウズ」はバレエの要素が濃く、それにロイヤル・バレエの元プリンシパルが3人も出演することに注目していたバレエの批評家たちも、レスターまで観劇にやって来た。前の回でも書いたように、彼らは「舞台上ではしゃべったことのない」アダム・クーパーのセリフ回しや歌唱力に大いに注目していた。

結果、クーパー君のセリフ回しと歌は意外にも(?)好評だった。そんなに褒めていいのだろうか、と逆に不安になるくらいだ。「クーパーの演技はやや力が入りすぎていたが、しかし彼はきちんと端正に歌い、ハンサムぶりを発揮し、そしてアステアのような優雅さでタップ・ダンスを踊っていた。」(「テレグラフ」 2002年5月10日)

なお、このバレエ批評家は偉大なイレク・ムハメドフに対する賛辞を忘れなかった。「クーパーは明らかにイレク・ムハメドフに助けられていた。ムハメドフはロシア・バレエ団の浮気性なプリンシパルで、気性の激しいコンスタンティン役に、機知に富んだ個性と本物のロシアっぽさとをもたらし、同時に畏怖すべき身体表現(バレエのこと)をバレエのシーンで披露してみせたのだから。」(「タイムズ」 2002年5月10日)

「ダンス・ファンにとって驚きだったのは、クーパーの声がどんなに耳に心地よいものであったかということだ。彼は上手に歌うし、話すときの声音を低く抑えていた。イレク・ムハメドフのロシア風バスほど低くはなかったが。」(「ガーディアン」2002年5月12日)

「もしあなたがアダム・クーパーのタップ・ダンス、ジャズ・ダンス、歌、演技、振付がどんなにすばらしいかについて疑問に思ったら、今がそれを確かめるチャンスだ。実際に、彼は広範囲にわたるジャンルのトレーニングを受けてきており、よって彼は粋なタップを踏み、耳に快いバリトンで歌うことができるのである。たとえバレエ・ファンはクーパーが優れたドラマティックな説得力を有していることを周知しているとはいえ、彼の演技力はそれでも新しい発見をもたらすだろう。彼は巧みな言い回しや表現力豊かな発声と、しっかりしたボディ・ランゲージと本物のコメディの才能とを織り込んでいた。」

「いろんな場面で他のキャストたちの発音がしばしばボロを出していた中で、クーパーのアメリカン・アクセントは非常に行き届いていた。同じように、ジュニアが飛び入り出演させられたバレエ『王女ゼノビア』で、クーパーがみせた困惑したような、拍子のズレた踊りは、ただ破壊的大惨事を舞台の調和にもたらしたばかりでなく、観客全員をも爆笑の渦に巻き込んだのである。」(「インディペンデント」 2002年5月13日)

「バレエにおけるクーパーのドラマティックなカリスマ性は、セリフや歌が成功するという保証にはならない。ヌレエフがいい例だ。・・・しかし彼はここレスターにおいて、自然な演技、ぎこちなさのないアメリカン・アクセント、そして、最も驚くべきことに、彼よりベテランの歌手である他のキャストたちと比べても遜色ない、愉快に調子を変える歌声で観客を魅了したのである。」(「サンデー・タイムズ」 2002年5月19日)

クーパーの振付については、「十番街の殺人」にはケチがつけられたが、「王女ゼノビア」と「オン・ユア・トウズ」には、おおむね好意的な評価が下された。特に評判がよかったのは「オン・ユア・トウズ」である。

「タップであろうとバレエであろうと、クーパーはダンスの作り手としても非常にうまくやった。彼は最後の劇中バレエ(「十番街の殺人」)に時間をかけすぎたようだったが、しかしタイトル・ナンバーである『オン・ユア・トウズ』では、タップを踏む音楽学生たちとピルエットをするバレエ・ダンサーたちはダイナミックで、楽しげで、そしてエキサイティングだった。」(「テレグラフ」 2002年5月10日)

「感動させるほど力強く、官能的で、セクシーなパフォーマンスであったにも関わらず、私は『十番街の殺人』にはほんの少し失望した。しかし、タイトル・ナンバー(『オン・ユア・トウズ』)のクーパーの振付はスリリングだった。アメリカの学生たちとロシアのダンサーたちが、舞台を横断しながら互いに織り交ざり、レーニンとアステアの肖像画の下で異なったスタイルのダンスを踊っている。伝統的なバレエのステップが、ロジャースの爆走していくシンコペーションに合わせて展開されていくのを見るのは、この上なくワクワクさせられることだった。」(「タイムズ」2002年5月10日)

「クーパーの振付は『王女ゼノビア』ではうまくいった。しかし『十番街の殺人』は、私が記憶しているバーミンガム・ロイヤル・バレエによる公演と比べるなら、バランシン版とそれほど大きくは異なっていなかった。」

「私はまた、クーパーの振付をダンサーたちは実現できていなかったのではないかと思う。運動的な厳密さは、イレク・ムハメドフやマーガリート・ポーター(ヴェラ役)にはもう容易なものではなくなっている。しかし、この二人は少なくとも年齢を言い訳にすることができるとはいえ、アンサンブルのダンサーたちは年齢を言い訳にはできない。」(「インディペンデント」2002年5月13日)

「クーパーの新振付は活力と機知に富んでいた。とりわけ、タイトル・ナンバーの『オン・ユア・トウズ』は大きな成功作である。それは陽気で、トップ・ハットに燕尾服のタップ・ダンサーたちと、タイツとチュチュのバレエ・ダンサーたちの渦を織り交ぜており、かなり複雑でスピード感に溢れるものであった。ダンサーたちはどうしてオーケストラ・ピットに落ちないでいられるのか、不思議に思えるぐらいだった。」

「(『十番街の殺人』での)クーパーの踊りは大変にすばらしかった。しかし、クーパーの振付とポール・ケリソンの巧妙で称賛に値するプロダクションは、このクライマックスを曖昧にごまかしてしまったようにみえた。」(「サンデー・タイムズ」 2002年5月19日)

「歌や会話にはしっかりした発声や演技が必要で、コール・ド・バレエも本物のバレエ・リュスとはおよそかけ離れている。とはいえ、舞台美術、照明、音楽監督はすばらしく、この作品は最もエンタテイメント性に富んだミュージカルの中で、非常にスタイリッシュな存在感を示している。レスターはうまくやったものである。」(「テレグラフ」 2002年5月10日)

舞台全体の出来に関してはちょっとした留保がつけられたものの、「オン・ユア・トウズ」公演は不気味なほど大好評のうちに幕を閉じた。批評家たちの褒めようは、クーパーファンにとっては嬉しいものだが、やはりいささか異常である。「危険な関係」(2005年)での、あの明らかに敵意むき出しな態度とは対照的だ。

イギリスの批評家というのは、自分が理解できるもの(つまり余裕を持って見下せるもの)に対しては優しいが、自分が理解できないもの(未知な代物で自分をたじろがせるもの)に対しては厳しい、と私はつねづね感じている。また、対照できるもの(映像版など)があれば悪口が書けるが、対照できるものがなければ、途端に弱気どころかへりくだった態度に出る。

私の考えでは、「オン・ユア・トウズ」を彼らが褒めまくった第一の原因は、他に比較参照して論じられるサンプルがなかったからである。第二に、リチャード・ロジャースの音楽がよかったからである。第三に、舞台のセットが安っぽく、またクーパーの振付が全体的に稚拙だったので、大人の余裕で「頭を撫でてやる」ことができたからである。

それに対して、「雨に唄えば」(2004年)と「危険な関係」は分が悪かった。「雨に唄えば」には、人口に膾炙した有名なオリジナル映画があった。「危険な関係」も、イメージを喚起するハリウッド映画版(クーパー君はこれに影響された)があり、更に通常のダンス・パフォーマンスとは、大いに趣を異にする作品であった。(ついでにいえば作品のテーマが複雑で高尚すぎた。)

私が「オン・ユア・トウズ」ロンドン公演の感想(「雑記」)について、少し言い過ぎたかな、と反省しているのは、「オン・ユア・トウズ」の舞台美術である。こう書いた。舞台美術が全体的に貧相で、たとえばヴェラの靴棚の絵はまるで銭湯の壁画だ、云々。が、今にして思えば、「オン・ユア・トウズ」のセットは元来、レスター・ヘイマーケット劇場の小さな舞台に合わせてデザインされたものだったのだ。だから踊りの妨げとなるセットをギリギリまで少なくする必要があった。

ついでに上演にかかった費用も、もともとは地方の小劇場であるレスター・ヘイマーケット劇場が出せる範囲の額だったのだろう。もちろんセット、小道具、衣装の豪華さも制限される。しかも登場人物は大勢なのだから。公演場所をロンドンに移したとしても、すでにその大体を決めてしまった舞台美術を一から作り変えるわけにはいかない。それを考えると、東京公演では、かなり大がかりにセットや衣装を作り直したんだな〜、と思う(チケットの値段からすれば当然の責務だが)。

ともかく、アダム・クーパーのミュージカル初挑戦作「オン・ユア・トウズ」は大成功した。そして何よりも、批評家たちは舞台上でアダム・クーパーが実に楽しげに踊っているのを発見した。「この公演の楽しみの一つは、クーパーが明らかに舞台を楽しんでいるのが分かることだ。」(「ガーディアン」 2002年5月10日) パフォーマーとして、そして振付家を目指す者として、クーパー君の芸域の裾野と可能性はまた広がった。

同じころ、日本ではAMPによるマシュー・ボーンの「ザ・カー・マン("The Car Man")」公演が行なわれていた。その会場内で、あるモノクロ片面印刷のチラシが配られた。簡単なチラシではあったが、その内容は衝撃的なものだった。翌2003年の2〜3月、ボーン版「白鳥の湖」の日本公演が行なわれると書かれていたのである。その表面には、アダム・クーパー演ずる「ザ・スワン」の、鋭い目つきをした瞳が大きく印刷されていた。

(2005年12月12日)

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