Club Pelican

BIOGRAPHY

番外編 「僕の文化的生活」

2002年「オン・ユア・トウズ」初演以降のクーパー君の軌跡(エクセター・フェスティバルから「オネーギン」出演まで)を書きたかったが、資料を集めたらとんでもない量になってしまい、執筆意欲が減退した。もう年の瀬だし(←?)、今回は無理をしないで軽いもので済ませることにする。

このインタビュー「僕の文化的生活(My cultural life)」は、2003年8月9日に「タイムズ」に掲載された。折しも「オン・ユア・トウズ」ロンドン公演が行なわれていた時期であり、公演の宣伝も兼ねていたわけである。

インタビューは各テーマに沿って答える、という形で行なわれたようだ。クーパー君に勝手にしゃべらせると、答えがとんでもない方向に脱線する可能性が大なので、これは賢明な質問方法といえよう。だが、クーパー君は例によって、真面目なのか冗談なのか分からない珍妙な答えを繰り広げている。

踊り

「僕が踊りを始めた理由は、古いハリウッド・ミュージカルに出ているフレッド・アステアやジーン・ケリーのようになりたかったからなんだ。僕は特に『パリのアメリカ人』(1951年)のジーン・ケリーが好きだった。これは僕が小さいころに初めて観た映画なんだ。それに僕はアステアがリズムに挑んだり、小道具を上手に用いる方法を編み出したりするのが大好きだった。」

「それから、僕がロイヤル・バレエ学校の学生だったころ、ウラジーミル・ワシリーエフというロシアのダンサーの映像を観た。舞台上の彼はとても男らしくて、当時の多くの男性バレエ・ダンサーとは違っていた。彼はダンサーとして、僕が目指していた最高の理想像だった。」

アステアやケリーに憧れていたのは、他のインタビューでも話していた。でもクーパー君にとって、ウラジーミル・ワシリーエフがバレエ・ダンサーとしての理想だった、なんて知らなかった。クーパー君が観たワシリーエフの映像は、ひょっとしたら「スパルタクス」じゃないのかしら。この上なく男らしい猛々しい振付だし(私はひそかに「マッスル・バレエ」と呼んでいた)。

クーパー君はイレク・ムハメドフがプロデュースしたガラ公演で、「スパルタクス」からクラッススとその愛人のパ・ド・ドゥを踊った。役柄は違うけど、心中やった、とか思ったのかも。この「踊り」編では、クーパー君はまだまっとうな答えを返している。

音楽

ちょうど「オン・ユア・トウズ」の公演中ということもあってか、クーパー君は好きな音楽にジャズをまず挙げている。

「僕はジャズが好きだ。演奏家たちの熟練技や、彼らが長い時間、即興で演奏を続けていくのはすばらしい。僕の父は音楽家で、僕がまだ子どものころ、父は僕にオスカー・ピーターソンの『ナイト・トレイン』を聴かせてくれた。これは本当にすばらしい、粋なピアノ・ジャズだった。」

と、ここまではまともなことを言っているのだが、次はいきなり、ブリティッシュ・ロックに話が飛ぶ。ふふふ、クーパー君らしくなってきたぞ。

「僕はまたブラーのラスト・アルバム、『シンク・タンク』が大好きなんだ。オアシスみたいなバンドについて僕がムカつくのは、彼らがいろんなことを試みていない、ということなんだ。ブラーのそれぞれのアルバムはみな違っているのに。」

ブラーというバンドが好きだと言うのに、なぜオアシスの悪口を言う必要があるのか。それはオアシスとブラーが、かつてイギリスのロック界を震撼させるほどの激烈な闘争を繰り広げたことが背景として考えられる。両者が激しく対立していたころ、クーパー君は20代前半、おりしもロックに夢中な年代である。クーパー君はブラー擁護派だったのだろう。

テレビ

以下のクーパー君は私の期待を裏切ることなく、各テーマについて、知ってか知らずか、ことごとく爆笑コメントで応じている。まずはテレビ番組について。

「妻のサラと僕は『フレンズ』にハマっているんだ。とても気楽に観られる番組だ。脚本はいいし、面白いし、登場人物たちはみないいヤツだし、容姿もとてもいい。そういう要素にも助けられているよね。」

「フレンズ」だってよ。けっこうミーハーなのね、クーパー君。いや、いかにもクーパー君らしいけどね。以下、クーパー君は「フレンズ」シリーズの今後について真剣に論じ始める。

「でも次のシリーズが最後で、僕が思うに、おそらくそれが自然な流れなんだろうね。製作側は、僕が実際いちばんムカつくジョーイのための別シリーズを準備しているんだろう。ジョーイはこれでもかというぐらいアホな役回りを演じてきたんだよ。しかしながら、新シリーズはきっと視聴者にウケるんだろうな。」

そんなこと、別にどーでもいいだろが。

映画

なんかこのインタビューにおけるクーパー君は、やはり「オン・ユア・トウズ」を意識した答えを返しているようだ。

「僕が中坊のころ、僕に大きな印象を残したのは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)だった。僕は昔の時代を描いた映画がいつも好きなんだ。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』では、ロバート・デ・ニーロとジェームズ・ウッズが実に好演していた。僕は登場人物たちの人生についていくのが大好きなんだ。彼らの人生のすべてがほぼ見られるんだからね。たとえ彼らがやっていることが正しいことではないとしても、彼らに哀愁を感じるんだ。あの映画では、僕はデ・ニーロに大いに惹きつけられたな。」

ていうか、映画、それしか観てないわけじゃないでしょ?なんでそんな大昔に観た映画、しかも「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を挙げるのか。これはやっぱり、「オン・ユア・トウズ」を宣伝しようという意図の下、わざとこう答えたのであろう。わたしとしては、「オン・ユア・トウズ」と「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は、全然違う世界なのでは、と思わないでもないのだが。

なお、「たとえ彼らがやっていることが正しいことではないとしても」という付け足しは、自分はマフィアを肯定しているわけではない、というエクスキューズであると考えられる。こういうどーでもいいことでは、逆に妙に神経質なんだよなあ。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」に感動=マフィア肯定派なわけないだろ。

おそらく、このインタビューでのクーパー君爆笑コメントの最高傑作である。まずは例によって読書自慢。

「僕は実にたくさん本を読むし、それに振付家として、僕はいつも作品化するために取り組むべきよい物語を探している。」

ああそうですか。で、どうせまた、面白かった犯罪小説の名を挙げるんだろうと思ったら、

「僕が気に入っている本の一つは、アーサー・ゴールデンの『あるゲイシャの回想』(ヴィンテージ社刊、6.99ポンド)だ。もう3、4回は読んだかな。この作品は芸者の世界を巧みに生き生きと描いていて、僕はこれがフィクション小説だなんて信じられないよ。一人のアメリカ人男性が、あんな秘密めいた世界に深く入り込んで、その世界を生々しい現実のように見せるなんて、すばらしいことだよ。」

本の値段まで書くな値段まで(笑)!振付家として探して読んで感動した本がゲイシャかい!クーパー君、これは果たしてマジなのか、それともウケを狙っているのか?

ちなみに、このアーサー・ゴールデン(Arthur Golden)著「あるゲイシャの回想("Memoirs of a Geisha")」とは、いま日本でも公開されているハリウッド製作のスシ・スキヤキ・フジヤマ・ゲイシャ映画"SAYURI"の原作である。日本語翻訳版(「さゆり」上下巻、文春文庫)も出ている。

クーパー君が「あるゲイシャの回想」を読んで感動したと言っているのは2003年8月で、ハリウッド映画"SAYURI"は今年(2005年)冬の公開だから、ある意味、クーパー君には先見の明(?)があったということになる。

ていうか、ゴールデンの「あるゲイシャの回想」は世界中でベスト・セラーになったというから、クーパー君も新刊本のコーナーで見つけて読んだだけなのかもしれないけど。クーパー君の場合、「振付家として、いつも取り組むべきよい物語を探している」んなら、手始めにまず「世界名作文学全集」の類を全巻読破することをお勧めしたい。

クーパー君が「あるゲイシャの回想」に感銘を受けるのは一向にかまわないが、できれば「危険な関係」に続く次回作が、ダンス・ドラマ版「あるゲイシャの回想」にならないことを祈るばかりである。

観劇

「僕は母を『アワ・ハウス』(ケンブリッジ劇場、ロンドン、WC2)に連れて行って、楽しいひとときを過ごした。」

・・・・・・このコメント、日本の雑誌のインタビューでも読んだことがある気がするな・・・。クーパー君、あんまし他の舞台作品を観てないのかな。それとも観劇に行く時間がないほど忙しいのか。いずれにせよ、こういうところもあまり感心できない。

「僕はマッドネスの熱狂的なファンというわけではなかったけど、あれはすばらしいショウだったよ。徐々にストーリーに惹きつけられていった。あれは彼らに関する架空のバカげた話をいくつかくっつけた、ただの有名な曲の寄り合わせじゃないんだ。」

やはり、クーパー君はかなりなロック好きでもあり、一家言あることがこれで判明。

場所

「僕とサラが帰っていくある場所は、カリフォルニアのパーム・スプリングスだ。僕たちがツアー公演でロスアンジェルスにいたとき、僕たちはヴィラ・ロワイヤルという素敵なホテルを見つけたんだ。毎週末の休暇には、僕たちはほとんどそのホテルに滞在していた。そこは砂漠だったので、温度は30度台だったけど、僕たちはケーブル・カーで山の上へと登っていった。そこでは雪が降っていた。砂漠の暑さから雪まで20分ほどだった。あそこはまさに最も驚かされる場所だった。」

なんか「オン・ユア・トウズ」の"There's a Small Hotel"を連想させるいい話だ。これはマシュー・ボーンの「シンデレラ」ロスアンジェルス公演のときのことだわね。サラ・ウィルドーも別のインタビューで、週末にはふたりで街から静かな砂漠へと逃れたものだった、と言っていた。ハリウッドの雰囲気には、クーパー君もサラ・ウィルドーも馴染めなかったものとみえる。

クーパー・ウィルドー夫妻のいいところは、こんなふうに華美なものに惑わされない冷静さと「まともさ」を持ち合わせている点だ。

大キライなもの

これは興味深いテーマである。さて、アダム・クーパーは何を挙げるのか。「バレエ・インペリアル」、「眠りの森の美女」、「くるみ割り人形」などでの縦ロールヅラとフリルいっぱいのロココ衣装か、ぬいぐるみのかぶりものか。それともロイヤル・オペラ・ハウスに蔓延しているスノッブな上流崇拝志向か。あるいは政治・社会問題か。

「最近のイギリスのシットコム(チャウ注:ドラマ仕立てのお笑い番組)には、ほとほとうんざりしている。僕は『ザ・グッド・ライフ』とか『イエス・プライム・ミニスター』みたいな古いシットコムが大好きなんだ。でももう誰も、ああいったシットコムを執筆する方法を知らないみたいだね。たとえば、『ザ・ファミリー』なんて最悪だ。僕の好きな女優のゾーイ・ワナメイカーが、あんなシットコムをやることを承諾したなんて信じられないな。」

アダム・クーパーよ、なんで大キライなものといわれてテレビ番組、しかもよりによって、お笑い番組を持ち出すのか。もっとカッコつけられる話題があるだろう。なんでアダム・クーパーが、イギリスの最近のお笑い番組を批判しないといけないの。しかも語ってやがる。

このインタビューはここで唐突に終わっている。なんて意味のないインタビューだ。いかにもイギリスらしい。クーパー君も相変わらずの迷走ぶりである。数年前のウブなわたくしなら、こんなインタビューには耐えられなかっただろうが、今では「クーパー君、どんな天然爆笑コメントをかましてくれるんだろ」と期待に胸が高鳴るようになった。

クーパー君のこうした一問一答式のインタビューは他にもある。が、それはまた別の機会に番外編でご紹介したい。

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「僕と健康」

正月なので必死に資料調べをするのはかったるい。よって今回も番外編でごまかすことにする。このインタビューは2003年の7月28日に「テレグラフ」に掲載された。テーマは「健康」である。当時、クーパー君は「オン・ユア・トウズ」ロンドン公演のリハーサルをロイヤル・オペラ・ハウスで進めており、インタビューはその合間を縫って行なわれた。

インタビューのテーマが「健康」であるにも関わらず、クーパー君はインタビューの最中、タバコふかしまくりだったらしい。記者は書いている。

「アダム・クーパーが午後のリハーサルを終えた後に真っ先にすることは、シルバーのジッポ(ライターの銘柄)とメイフェア(タバコの銘柄らしい)の箱に手を伸ばすことだった。彼は礼儀正しく、話をするためにテラスへ出ることを頼んだが、その言葉よりも早く、その手のひらにはライターとタバコがつかまれていた。彼は言葉を話し始めるときも話し終えるときも、絶えずタバコを右手に持って吸い続けていた。」

出だしからして不健康そのものだが、記者によれば、クーパー君はタバコを一日一箱の割合で吸うそうである。

「彼のたくましい体は厳しい健康管理と鍛錬の結果だと人は想像するかもしれない。しかしそうではないのだ。『僕はまったく健康管理主義者じゃないよ』と、彼はフィルターぎりぎりまでタバコを吸いながら笑った。」

「僕は15か16の頃からタバコを吸っている。そうじゃなきゃ、僕の肺は今ごろダメになっていただろうね。」

ここは意味がよく分からない。たぶん15や16になってやっと吸い始めたから、自分の肺はまだ大丈夫なのだ、という無理極まりない理屈なのかもしれない。クーパー君は自分の身体にうるさくこだわらないのだという。自分の財産である足に保険をかけているのかと尋ねられたクーパー君はあわてる。

「まさか!そんなことはないよ。僕は自分自身をある程度は大事にしてやらなきゃならない。でも僕は健康管理についての細々とした制限を信用してはいないよ。」 ミテキ・クドー(パリ・オペラ座のダンサー。「ダンスマガジン」にノイローゼになりそうなダンサー健康管理術を連載中)が聞いたら何と言うか。

クーパー君から健康的な話を聞きだすのはあきらめたのか、記者は「アダム・クーパー、その不健康の歴史」を尋ね始める。まずは酒について。

「彼が最初はアーツ・エデュケイショナル・スクール、次にロイヤル・バレエ・スクールで学んでいたころ、彼はどんちゃん騒ぎのパーティーと酒に耽溺するクセがあった。あまりに宴会に参加しすぎたせいで、アーツ・エデュケイショナル・スクールを退学処分になりそうになった、ということを彼は決まり悪げに語った。」

クーパー君は15歳までアーツ・エデュケイショナル・スクールに在籍していたはずだよね。そのときからタバコはもちろん、酒まで飲んでいたわけか。挙句に退学処分になりそうになった。立派な不良だ。以下はクーパー君自身の言。

「学校の友だちはみなどんちゃん騒ぎが好きだったんだよね。僕たちが夜に大騒ぎなパーティーを、イタリア・コンティ・シアター・スクールの連中と開いていた場所の近くには住宅街があった。そして僕たちはそこに校長が住んでいるということをすっかり忘れていた。そして校長は僕たちのことを密告したんだ。」

そしてどうなったか。記者が後を続ける。

「クーパーの両親は、彼らの息子の厄介なクセについて、最終警告を送りつけられた。それは『再び同じことをやらかしたら、あなたは退学です』という手紙だった。しかし、冒険心に富んだ10代のクーパーは阻止に打って出て、手紙が両親の手に届く前に燃やしてしまったのである。」

ひたすらいい子だったんだろうと思っていたが、10代のクーパー君はけっこう荒れていたらしい。タバコを吸っていたばかりか、大騒ぎの宴会をやらかし、更に退学警告の手紙が親に届く前に燃やしちゃった!男の子なら多くが通る道なのかもしれないが、意外な過去ではある。でもロイヤル・バレエに就職した後は落ち着いたようである。社会人である以上とーぜんのことだが。

「僕がロイヤル・バレエに就職したころ、僕は落ち着いて仕事ができた。今は、僕は帰りは家に直行してくつろぐことにしている。僕が友人たちと食事や酒の席に出かけるとしても、もう大酒を飲むことはないよ。」

しかし、クーパー君がまだコール・ドだったころ、彼はいきなりシルヴィ・ギエムの相手役として指名を受けた。芸術監督のアンソニー・ダウエルに呼び出されたクーパー君は、当日のレッスンを二日酔いでサボっていた。このころもまだ悪いクセが少しは残っていたとみえる。なーにが学校時代、「パーティーの影響を学校に持ち越すことはなかった」だ。

そして現在。「クーパーが最も健康管理に敏感になるのは働いていないときだ。『僕が充分にフィジカルな仕事(つまりダンスなど)をしていない場合には、僕はそうならざるを得ない。』 しかしながら、それは1パイントではなく少量のビールを飲むという程度のことにしか過ぎないようである。そして『僕がいつも食べまくっている、チョコレートやお菓子やポテトチップみたいなジャンク・フードを食べないことかな』と彼は笑って言った。『でも働いているときには、そういうのを食べないとね。』」

クーパー君、いまだにチョコレートやお菓子やポテチなんて食べるのね〜。日本では専ら子どもが食べるものだけど、イギリスでは30歳過ぎた大人がこのテの安菓子を食べるのは当たり前なのかな。そういえば、劇場では中年やお年寄りの方々も、チョコレート・バーやアイスクリームをむしゃむしゃ食べてるものね。

当時、クーパー君は「オン・ユア・トウズ」のリハーサルを週に5日間行なっていたらしい。「踊ることで僕は健康でいられるんだ。でも、舞台では2つの役(普段のジュニアとダンサーとしてのジュニア)を踊るから、僕は肉体的にも精神的にもすべてを振り絞ってそれを切り抜けることになる。それはちょっとキツイことなんだ。」 実際、「オン・ユア・トウズ」ロンドン公演のとき、クーパー君はみるみるうちに激ヤセしていった。公式サイトでの日記でも、「みんなに痩せたと言われた」と本人も書いていたとおりである。

クーパー君はやはりバレエ・ダンサーだけあって、大方の人々とは違って、たぶん油断すると痩せてしまう体質なんだろう。更に公演期間中はよく眠れないし食欲がない、というのは2003年の「白鳥の湖」日本公演時の日記でも書いていた。ストレスがかかると食べられなくなってしまうタイプでもあるとみた。うらやましくも思えるけど、体力のいる仕事だから、こういう体質なのは辛いよね。

次はケガについて。ロイヤル・バレエで馬車馬のごとく働かされていたころも、そして今もそうだが、クーパー君ほどケガをしない人もめずらしい。ロイヤル・バレエを退団してからも、毎回出演で1ヶ月の長期公演でも、体調の悪さやケガのせいで休演したことはたぶん一度もないはずである。フリーランスのダンサーでも、ケガする人ってけっこういるのよ。記者もこの点に驚いている。「驚くべきことに、彼は1996年に一度だけケガをしたことがあるだけである。」 でもそれはひどい大ケガだった。クーパー君が語る。

「あれはロイヤル・バレエで踊っていただけでなく、AMP『白鳥の湖』にも出演していたときのことだった。だから僕は午後5時までロイヤル・オペラ・ハウスで仕事をして、それから『白鳥の湖』をやるためにピカデリー劇場に直行していた。そしたらある日、僕が練習をしていたとき、跳躍から着地した瞬間に右脚を5箇所骨折した。」

読んだだけで痛そうだ。だが「ロイヤル・オペラ・ハウス物理療法部門のスタッフのおかげで、脚はたった2ヵ月半で治った。しかし彼が言うには、彼が右脚でちゃんと踊れるという自信を取り戻すには、もっと長い時間がかかったそうである。」

「今は、僕は右脚のことは気にしていない。でも骨折した後の数年間は、ぼくはまた同じ脚をケガするかもしれないと怖かった。僕はいつも右脚は左脚よりも弱いと意識していたし、そのことで僕はとても注意深くなった。」

クーパー君がロイヤル・バレエを退団する決意をしたのは、このケガのこともあったそうだ。「ケガは僕からあまりに多くのものを奪っていた。僕は自分自身にこう言った瞬間が何度もあった。僕はこんなことをやりたくなんかない。なぜ僕は自分の体をこんな目に遭わせないといけないんだ?1年間365日も?」

他のインタビューで彼が話したように、このころ、つまりロイヤル・バレエとAMPの間を往復して踊っていたころは、クーパー君が精神的に最も参っていた時期であった。ダンサーをやめようかとまで考えたそうである。これは異常な忙しさで疲れていたせいもあるだろうが、彼はインタビューでちらりとほのめかしたことがある。どうもこの時期、クーパー君はロイヤル・バレエ内で面白くない目に遭っていたらしい。詳しい事情はまったく分からないが。

ケガをしたのは身体的な疲弊にもよるのだろうけれど、いちばん大きな理由は、当時の彼の精神状態の最悪さが身体に出てしまったのだろう。このとき、クーパー君はまだ25歳の青年であった。痛々しい。

「だから彼はロイヤル・バレエを去ってフリーランスになった。彼はこの変化を後悔はしていない。彼は今や自分のスケジュールを決めている。だから彼は集中的に一定期間を踊ると、それから『自分の体を回復させるための』休暇をとることができる。『こういうやり方が、僕にとってはすごく合っているみたいなんだ。』」

酒で失敗したガキの時の武勇伝から人生を変えた大ケガへと、内容はもう単なる「健康」ではないシリアスなものになった。お笑いを期待していたけど、これはけっこういいインタビューかもしれない。クーパー君は最後をこう締めくくっている。

「でもたいていは、僕はできる限り普通の人間でいようと努めているよ。ただ偶然に踊ることを生活の手段としている普通の人間として。」

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おまけ:サラ・ウィルドー「私と健康」

クーパー君ついでに、サラ・ウィルドーのインタビューも載せとこう。これは2005年7月9日に「タイムズ」に掲載されたものである。もちろん「危険な関係」ロンドン公演の宣伝を兼ねたインタビューでもあることはいうまでもない。

インタビュアーはまず、バレエ・ダンサーと体型、体重、食事との関係についてウィルドーに尋ねる。これはみんなが知りたがっているのに、なかなか明らかにされにくい問題である。

問:バレエのせいであなたは身体完璧主義者になりましたか?

答:いいえ。ロイヤル・バレエにいた頃から、私は容姿への取り組みを厳格には行なっていなかった。自然であればあるほど、舞台の上でも現実味を出すことができるし、パフォーマンスも説得力のあるものとなるのよ。

私はこれを読んで、ウィルドーもやっぱりイギリス人だな〜、と思った。痩せるために異常なまでの努力をしない、というところが。クーパー君と同様、もちろん彼女もダンサーとして、「ある程度」は自分の身体を管理しているのだろう。でも無理はしない、ガツガツと頑張りすぎない、というのは、イギリス人ダンサーの特徴だと思う。ウィルドーの場合、「自然」なほうが舞台でも効果を発揮する、とまで断言した。イギリス人は強い。

問:バレエは体重についての不健康な強迫観念を引き起こすものですか?

答:全員がその強迫観念に駆られているわけではないわ。でも、成功するためには華奢でなければならない、と信じている人々はいつでも存在するものなの。

問:それであなたはカロリー計算マニアではない?

答:ええ。私はそういう道に陥ったことはないわ。それは危険なことなのよ。

インタビュアーが聞いているのは、特に女性のバレエ・ダンサーには多いであろう厳格なダイエットのことである。ウィルドーが「危険」だというのは、もちろん異常なダイエットが摂食障害に移行しやすいことを意味している。

なお、ウィルドーとくれば、彼女の体型を云々したがる一部の人々がいる。インタビュアーはそれでわざと彼女にこんな質問をしたのだろうか。私はたぶんそうではないだろうと思う。ウィルドーの体型にケチをつけている記事の筆者の大部分は日本人で、それからアメリカ人であり、イギリスではそんな議論は不思議と目にしたことがない。

問:でも、あなたは柔軟性を保たなければならないですよね。

答:もちろんよ。毎日踊っていない時は、他の方法で調子を保つよう工夫するの。たとえばトレーニング・ジムに行く、スカッシュをする、ヨガをやる、とか。違った方法でエクササイズをすると元気が出てくるわ。

クーパー君もトレーニング・ジムに行ったり、スカッシュをやったりしていると別のインタビューで答えている。たぶんダンサーは日焼けができないから、二人ともこうした屋内エクササイズやスポーツしかできないのだろう。スカッシュはもちろん夫婦でペアを組んでいるんだろうな。うふ。

問:現在あなたが出演している一連の舞台は、身体的にさほど要求が厳しくないのでは?

答:逆にハードになったのよ。バレエ団にいる場合は、連日連夜踊るなんてことはないから、要求は分散するのよ。でも今回の舞台(チャウ注:「危険な関係」)でいえば、私は毎週7、8回も出演することになっているの。

それでもバレエ団に所属しているバレエ・ダンサーはよくケガをする。しかも尋常じゃないケガが多い。めったにケガをしないクーパー君でさえ、かつて右脚を一気に5箇所も骨折した。バレエというのは、もともと人間向きじゃないダンスなんだろうな。以下に述べられているウィルドーのケガもすごい。

問:身体に無理をさせたことはありますか?

答:それは仕事柄つきものよ。でも仕事に追いまくられている場合は、いつ自分が無理をしているのかは気づきにくいの。8年くらい前、私は脚のじん帯を切ってしまった。それで数ヶ月もギブスをはめて、膝でのろのろと這い回って動く破目になった。こういうときは、自分の頭をやる気充分に保っておかなければならないの。もし私が今ケガをしているとするなら、私はたやすくそれに対処するでしょうね。だって戯曲や本を読んだり、アイディアを考えたりできるのだから。

ウィルドーはロイヤル・バレエ学校時代にも背骨を骨折したことがあり、半年以上も背中をギプスで固定して、バレエは一切できなかったそうだ。クーパー君はほとんどケガをしないタイプだが(するときはすごいケガをするが)、ウィルドーは体のアクシデントが起こりがちなタイプらしい。ケガをするダンサーとケガをしないダンサーとでは、いったい何が違うのだろうか。

問:あなたは自分の子どもたちにもダンサーになってほしいと思いますか?

答:私はまだ母親の立場ではないから、それは分からないわ。ダンサーになることは、人生に持ち込むには難しい道程だわ。それでも、たぶん私の子どもたちはそうするんでしょうね。私は彼らを無理にダンスの道に進ませようとは思わないし、かといって彼らの邪魔もしないつもりよ。

ダンサーのような特殊な職業の場合、子どもは親と同じ道に進むことが多いようだ。というか、これは他の特殊な職業でもいえることだが、子どもは親のあからさまな、または隠微なコントロールで同じ道を選んでしまうらしい。まあそれはおいといて、クーパー君とウィルドーに子どもができた場合、その子がダンサーになるのなら非常に楽しみだ。

問:あなたの夫であるアダム・クーパーも、かつてはロイヤル・バレエのプリンシパルでした。ですから遺伝子は完璧でしょう?

答:私たちが一緒に踊ることができて、かつ踊りの相性が合っているのは幸運なことだわ。結婚しているカップルには、いずれかの事態が起こりうるのよ。悪夢か、それとも完璧なパートナーシップか。

ウィルドー、子作りの予定に関する質問をかわして、話題を「夫婦がともにダンサーである場合」に移行。クーパー君もダンサー夫婦の難しさについては何度か語ったことがある。クーパー君は、ウィルドーと踊るときにはいつも"chemistry"が起こる、と臆面もなくデレデレに言うが、一方でダンサー夫婦がうまくやっていくコツは、四六時中一緒にいないこと(←オマエが言うか)、双方がコンスタントに仕事をしていること、とか言っていたような覚えがある。

問:今度のショウでは、彼はかなり強引な男性ですね。

答:本当にね。役柄に必要とされる情熱は簡単なことよ。私たちはお互いにどんな壁も設けていないし、私たちはお互いを完全に信頼しているから。これはダンスにとって大きな要素となるの。

はいはい。ごちそうさまです。次にインタビュアーはやや聞きにくい質問をぶつける。

問:あなたがたはダンス界のベッカム夫妻("Posh and Becks")と呼ばれています。誇りに思いますか?それとも不愉快ですか?

答:そこにパートナーシップ以外の共通性があるのか、私には判断しがたいわ。もしダンスの魅力が彼らと同じくらいに人々に知られるようになっていることを意味しているのなら、それはすばらしいことだわ。

これはけっこう敏感な問題かもしれない。またもやウィルドーはさらりとかわしたが。サラ・ウィルドーはイングランド南部(生活水準がイギリスで最も高いといわれている)のエセックス州の出身で、父親は幹部クラスの高級公務員、母親は大学教授である。これはつまり、ウィルドーは正真正銘のお嬢だということを意味している。

対するクーパー君はサウス・ロンドン(下町だそう)の出身であり、父親については曖昧に「音楽家」と紹介しているが、ピアノ教師で、聖歌隊の指揮者もやっていた人、というのが本当のところのようだ。お母さんはソーシャル・ワーカーであった。イギリス特有の「クラス・システム」は複雑そうだし、話題にするのにも抵抗感があるが、要するに、クーパー君とウィルドーは、おそらくクラスの違いを超えて結婚した夫婦だろう、ということである。

問:「危険な関係」は不倫の物語です。そのことであなたがたの間に嫌な問題は起こっていませんか?

答:私がどんなに徹底的に調査を(←何の?ご教示請う)行なったか、疑問に思っているのかしら?実際、アダムのキャラクターが本当の女たらしなので、私たちのどちらもあまり真剣に受け止め過ぎていないことに、私は安堵しているの。そのおかげで、私たちは舞台では自分たちが描いているキャラクターになりきって、素の自分としての目でお互いを見ることはないのよ。

舞台をネタにして夫婦仲を聞き出そうとするなんて、日本のワイドショーの芸能リポーターみたいな質問である。でも、ウィルドーとクーパー君は、舞台に立っているときは役の人物になりきっているものなのか。これは人によって違って、いつもの自分が冷静に表だけ演技している、というダンサーもいるだろう。

問:長い一日が終わった後、あなたはどうやってくつろぐのですか?

答:寝る前のお風呂は最高ね。筋肉の緊張を緩めてくれるの。私はいつも何時間でも湯船に浸かっていようとするんだけど、あんまり熱いお湯で浴槽をいっぱいにするものだから、たった5分間でとび出してしまうの。

夫がそうだと妻も天然になるのだろうか。ウィルドーよ、お湯が熱ければ水で埋めればいいのだよ。

問:あなたの足には最高のメンテナンスが施されているのですか?

答:そうでもないわ。私は足を強くするために裸足で歩き回っているの。私は足用のクリームも足浴剤も使わないわ。私は自分の足が固くなるのが好きだから、私の足にはマメや水脹れができないのよ。これは優雅なバレリーナの足のイメージには程遠いわね。そうでしょ?

ロイヤル・バレエ時代、ウィルドーの足には常に痛みがあり、彼女はハイヒールを履かないようにしていたそうである。しかし、裸足で歩いているって、これはもちろん家での話だろうが、イギリス人の家でも裸足はOKなのだろうか。じゃあクーパー君はどうしているのだろう。彼も付き合って屋内では裸足なのだろうか。

でも裸足で足が固くなるのが好きだなんて、儚げで繊細なイメージとは違って、野生児ぽくていいねえ。彼女は自然が好きらしく、ある日デマチしてたら、おそらくはずっと前に贈られて、今は花の枯れてしまった鉢植えを抱えて出てきて、「庭に植えるの♪」ととても嬉しそうに笑っていたのを見た。

問:悪癖は?

答:私には少し喫煙癖があるの。でもひどくはないわ。日によって違うわね。でも私は完全にこの癖を止めることはできないわ。何年間も、途切れては再発、途切れては再発、というふうに続いているの。ニコチン・パッチ(チャウ注:禁煙用外用薬)を貼ったこともあったわ。だけどきちんと禁煙しようと必死に努力したことはないわね。

これも意外である。ウィルドーはあんなに清楚でかわいらしい感じなのに、タバコ吸うんだ。ひどくはない、と言っているが、それは「一日一箱」の煙突男である夫君、クーパーと比較しての話だろう。でもイギリス人ダンサーは割と喫煙率が高いと思う。ニュー・アドヴェンチャーズのダンサーやサラ・バロン(「危険な関係」メルトイユ侯爵夫人役)も、楽屋口でプカプカ吸ってたもんなあ。バロン姐さんなんか、銜えタバコが堂に入って、とてもカッコよかったです。

問:喫煙のせいで舞台で息切れしてしまうのでは?

答:そんな感じはないわね。アダムも煙草を吸うのよ。私たちはお似合いのコンビなのね。だから私が禁煙するつもりなら、私たちは別れなくちゃいけないわ。私はいつも30代で煙草をやめると言っていたのよ。そろそろ時間切れだわね。

奇しくも、クーパー君も30歳になったらタバコを止める、と20代後半の頃は宣言していた。いまだに実行している気配はないが。「30歳でタバコを止める」のって、なんか科学的根拠でもあるのかな?現在に至っても、クーパー君もウィルドーも禁煙を実行していないと思われるから、夫婦仲はしばらく何の問題もないだろう。

問:他の弱点は?

答:私は一杯の赤ワインを飲むのが好きなの。ダンサーは完璧だとみんな考えているでしょう。もちろん、私たちはそうではないわ。私たちは人間なのよ。理想の上に打ち立てられた存在として人生を過ごすことはできないわ。すべての誘惑に負けた人間になることが必要なのよ。

こういう点でもクーパー君とウィルドーは同じ考え方をしている。本当に似た者夫婦だ。もっとも、クーパー君はチョコレートやポテトチップが好き、ウィルドーは赤ワインが好きと、それぞれ嗜好が違う。だがそれぞれのイメージに合っていてほほえましい。

問:いつまで踊り続けることができるでしょうか?

答:今でさえも、私はクラシカルな役を踊りたいとは思わないわ。他の種類のダンスについては、できることなら、私の年貢の納めどきがいつなのか知りたいわ。それか、もしくは誰かが客席からこう叫ぶのを耳にした瞬間でしょうね。「あなたの年齢でそんなことをするべきじゃないよ、サラ!」と。

「サラ!」と訳したが、原文では"Love!"となっている。だから、ウィルドーはひょっとしたら、いつも妻の公演に駆けつけるクーパー君が、客席からそう教えてくれることを想像してこう言ったのかもしれない。

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