Club Pelican

THEATRE

「雨に唄えば」
“Singin' in the Rain”


Interval

ここでインターバル・ウォッチングである。イギリスの観客はナニをやって休憩時間をつぶしているのか。

休憩時間が始まると、たいていの観客はホールの外へ出る。やることは日本の観客と同じである。トイレに行ったり、プログラムやグッズを買ったりするが、圧倒的に多いのは、ビュッフェで何か飲んだり軽食をとったりすることである。しかも始終しゃべりまくってやかましい。

メニューはどこも似たり寄ったりである。飲み物はオレンジ・ジュース、リンゴ味の炭酸飲料(もしかしたらアルコールが少し入っているかも)、コーラ、コーヒー、紅茶などのソフト・ドリンクと、ワイン、シャンパンなどのアルコール類(ビールがあったかどうかは覚えてない)。軽食は定番のサンドウィッチ、ポテト・チップスなど。

1回だけ、ロイヤル・オペラ・ハウスのビュッフェでサンドウィッチを食べた。中の具は、茹でたか蒸したかしたらしい、味のない鮭のフレークだけ。全粒粉の食パンを四つ切りにしたサイズのサンドウィッチが8つくらいあって、確か10ポンド(約2,000円!)ぐらいした。一杯の白ワイン(たぶん5ポンドぐらい)で胃に押し込んだ。確かにヘルシーかもしれないが、なんでこんなマズい代物に10ポンドも払わねばならぬのか、と後悔した。

リンバリー・スタジオのビュッフェは小さかったが、透明なプラスチックの箱に入ったサンドウィッチが売られていた。市販のものだったと思う(でも封のシールがROHのあのマークだったような気もする)。値段は5ポンドほどだった。こっちの方が味はマシだった。化学調味料や保存料が入っているからだろう。

劇場によっては市販のお菓子、たとえばチョコレート、キャンディ、スナック類が売られている。これがロイヤル・オペラ・ハウスやナショナル・シアターあたりだと、お高くとまってやがるのか、市販の安菓子などはまず目にしない。

食べ物や飲み物が外から持ち込み可なのかどうかは不明。たぶん持ち込み可だとは思う。たとえ持ち込み不可でも、イギリス人なら平気で破るのではないかという気もする。でもおそらく、そんなバカバカしいことにわざわざ規則なんぞ設けていない可能性が高い。

客席での飲食行為を許可するかどうかは劇場によって違うらしい。ただこれも規則の問題ではなく、その劇場では普通やるものかどうかという問題のようだ。ロイヤル・オペラ・ハウスは、なんかやらなそうな雰囲気がある。でもたいていの劇場は客席でも飲食可だと思う。ワイングラスを客席に持ち込んで飲んでいたり、客席でアイスクリームやチョコレートが売られていたりするから。

そう、日本の劇場と明らかに違うのは、どこの劇場でも絶対にアイスクリームが売られていることだ。しかも、なぜかプログラムを売っているのと同じ場所で売られている。ロイヤル・オペラ・ハウスもナショナル・シアターもサドラーズ・ウェルズもそう。

どうしてプログラムと同じ場所で売るのか。食べ物なんだから、ビュッフェで売ればいいではないか?謎である。また、上にも書いたように、アイスクリームやチョコレートの売り子が客席を巡回する。

なにゆえに劇場では必ずアイスクリームが売られているのか。私が思うに、イギリス人は暑がりだからであろう。たとえばロイヤル・オペラ・ハウスは第二幕の休憩時間あたりから、ドームのてっぺんにある円形の小窓を開けて風を入れる。下の座席まで風が通ってきてけっこう寒い。

また、orchestra stallsの入り口近くには半円形の廊下があり、その片側はずっとシートになっている。休憩時間には観客がそこに座って休んでいるが、そこはなぜだか寒くて寒くて仕方がない。5分も座っていると体がガタガタ震えてくる。そんな中で、イギリス人たちは平然とアイスクリームを食べている。

レスター・ヘイマーケット劇場の観客も暑がりであった。第一幕が終わると、観客たちは暑い、暑いと一斉に文句を言っていた。私は寒くて上着を膝の上にかけ、長袖の服を持ってこなかったことを後悔しながら腕を組んでいた。そんな私の横に座っていたイギリス人女性は、肩も腕もむき出しのストラップのタンクトップ一枚で、「なんて暑いの!」とつぶやいている。

私の前には、短い半袖のワンピースを着た女性が座っていた。薄い綿のワンピースはスケスケで、彼女がワンピースの下にブラとパンツしか着ていないことが分かる。私はニットのアンサンブルの下には防寒用タンクトップ、スカートの下にはギリギリ薄いタイツと防寒用(ついでに腹と尻のライン矯正)ガードルを穿いていた。

レスター・ヘイマーケット劇場は小さい。ロビーもラウンジもビュッフェも小さい。婦人用トイレも4つしか個室がない。したがって休憩時間になると、どこもかしこも長蛇の列。観客たちは「キュー!」、「ロング・キュー!」と呆れたように言う。それでも並んで自分の番がくるのを辛抱強く待っている。

当初、「キュー」とはなんぞや、と思ったが、「列」を意味するとしか考えられない。だがスペルが分からない。私が持っている和英辞典では「列」で引いても出てこない。この間ようやく判明した。"queue"だった。なぜに"ue"を2つも重ねるのか。英語のスペルはかくも面妖である。

ロビーにはプログラムやグッズを売るスペースが、休憩時間の間だけ設けられる。困ったのが、そこには小型の冷蔵庫が置かれていて、アイスクリームとチョコレート・バーも売られていることだった。私はグッズが見たいだけなのに、アイスやチョコを買う人々と一緒に並ばないといけないのである。

ロビーでもアイスクリームやチョコレートが売られているが、客席にもアイスやチョコが入った、画板みたいな大きなトレイを肩からぶらさげた売り子がくる。で、その前にも長蛇の列ができている。

イギリス人と日本人は寒さに対する感覚が違うらしい。それはまあよい。イギリスの夏は涼しく乾燥している。同じ温度でも、日本人にとっては寒いが、イギリス人にとっては暑いのだろう。しかし、これはどうしても理解できない。アイスクリームとかチョコレート・バーとか、なんでそんな甘物を、子どもばかりではなく、大人もみんな食べているのか。

レスター・ヘイマーケット劇場では、カップ・アイスではなく棒アイスが売られていた。ピンクと白、または茶色と白がバベルの塔のように渦巻いている形をしており、おそらくはイチゴ&バニラ、チョコ&バニラであろう。

チョコレートも、板チョコとか粒チョコじゃないよ。絶対にチョコレート・バー。長さは15センチくらい、2×3センチの方形で、チョコの外壁の中には、ぬにょーん、と糸引くような、ナッツやキャラメルのヌガーやクリームが詰まっている。そういう胸焼けのするようなものをさあ、老若男女、みんなもぐもぐ食べている。

私はなにか飲みたかったが、あの気の遠くなるような長い「キュー」がイヤだったので、結局いつもあきらめざるを得なかった。日本より携えてきた「焼き梅」を食べて渇きをしのいだ(飲み物を持ち込めばよかったじゃん、と思うでしょ?でもイギリスのペット・ボトル飲料は、最も小さいのが500mlサイズなのよー!!!)。もとよりアイスやチョコレート・バーなんか食う気も起こらん。

帰りの飛行機で、彼らが食していたのと同じようなチョコレート・バーの一口サイズが、セルフ・サービスで置いてあった。そんなにうまいもんか、食ってみた。確かにマズくはない。一口サイズなら。でも15センチはなあ。

休憩時間の終わりが近づくと、たいていの劇場では館内アナウンスが何度も流される。ロイヤル・オペラ・ハウスではアナウンスに加えて、職員が大きなベル(木製の柄の先に鐘がついている)をチリンチリン鳴らしながら、ビュッフェやロビーを歩き回る。すごくうるさい(静かだと意味ないか)。でも昔っぽくて面白い。

レスター・ヘイマーケット劇場は、館内放送があったかどうかは忘れた。職員が大声で叫んでいたような気がするが・・・。小さいからあれで充分だろう。

"Singin' in the Rain"のプログラムには「休憩時間:20分」と書いてある。サドラーズ・ウェルズ公演ではどうだったか知らないが、私が観たレスター公演では、休憩時間は毎回かならず30分あった。席に戻ると、シャッターが閉ざされた向こうからは、「ガガガーッ」というものすごい音がまだ響いていた。深夜に道路清掃車が通るでしょ。あんな感じの音。水を処理して床を再調整する機械の音だろう。どんな機械なのか見てみたかったな。

休憩時間が終わり、観客たちが席につく。席に座りながら、まだアイスクリームやチョコレート・バーをもぐもぐやっている人々もいる。プログラムに見入っている人々もいる。プログラムに関しては、ひとつ印象的な出来事があった。

プログラムの表紙の下には、"theatre Leicester Haymarket"と"Sadler's Wells"というロゴが並んでプリントされている。更にその下に、"with Tokyo Broadcasting System"というロゴが載っている。

あるイギリス人の女性観客が、プログラムの"with Tokyo Broadcasting System"というロゴを指さしながら、いかにも不愉快そうな口調でしゃべっていた。「この公演は日本のテレビ局がスポンサーなのよ。『危険な関係』も日本で初演するらしいわ。」 彼らは私の2列くらい前に座っていたので、私が後ろにいたことに気づいていなかったのだろう。

プログラムの表面に、その公演を主催する劇場名ばかりではなく、スポンサーである企業のロゴ、マーク、名前等を掲載するのは、日本ではよくあることだろうが、イギリスでは珍しいと思う。私の知る限りでは、イギリスでは、舞台公演はあくまで劇場が主催者の筆頭であって、プログラムの表面に名前を出すとしたらその劇場名のみである。金を出す企業はせいぜいプログラムの内表紙に、または後ろの方のページにひっそりと名前が載っている。

イギリスで行われている公演で、日本企業が金を出しているものは数多くある。ロイヤル・バレエのスポンサーにも日本企業の名前があるくらいだ。私は思うのだが、「海外で人気沸騰のあの舞台が遂に来日!」と銘打った舞台公演の中には、実はその「海外」で日本企業やプロモーターが金を出して、「海外公演」の既成事実を作り上げている場合もあるだろう。

日本企業や日本のプロモーターが、イギリスの舞台公演に金を出すのはまったく悪いことではない。むしろいいことである。イギリス人に文句を言われる筋合いなどない。あくまで理屈の上では。

ただし感情の上では、イギリス人観客が、日本企業がこの公演の実質的なスポンサーである、と知ったとき、すべてのイギリス人がそんなことは気にしないか、あるいは日本企業に一目置くかといえば、そうとは限らない。むしろ、不快感や反感を抱く人々の方が多いに違いない。

一般のイギリス人が日本についてどういう印象を持っているのか、私は、おそらく決して尊敬はされていないし、同等にも見られていないと思っている。イギリス人にとっては、日本は極東にあるアジア人の国であり、まして日本とイギリスの「歴史的確執」を考えるならば、すべてのイギリス人が日本人に対して友好的であるはずがない。

つまりは何を言いたいのかといえば、TBSが"Singin' in the Rain"イギリス公演のプログラムの表紙に、一発で日本企業と分かってしまう自社の名前を載せたことは、現実的にみればあまり適切な行為ではなかった、と私は思う。クーパー君が出ている公演にお金を出してくれるのはありがたいが、イギリス人の日本や日本企業に対する現実的な感情も考慮して、もっと上手に立ち回ってほしかった。

これは日本では当たり前のやり方なのかもしれない。でも日本企業が背後にいることがバレバレだったせいで、クーパー君が同胞であるイギリス人にまでうさんくさい目で見られ、また"Singin' in the Rain"への評価にまで影響が及んだかもしれない、と思うと複雑な気分になる。


第二幕

観客たちが席に着いてから更に10分も経ったころ、ようやく指揮者のジュリアン・ケリーがオーケストラ・ピットに姿を見せる。彼が指揮台に上ると、彼のハゲ頭の先端部分が床から突き出るので、それが第二幕開始の目安である。

第二幕の前奏曲は"Broadway Melody"と"Make 'Em Laugh"のメロディーをつなぎ合わせたもの。管楽器の明るい音色が次々と威勢よく飛び出す。これを聴くと、おお、この幕では"Singin' In The Rain"と同じくらい楽しみな、"Broadway Melody Ballet"があるんだな、と気分が高まる。

ジーン・ケリーは、映画のメイン・シーンとして当初予定されていた"Singin' In The Rain"を中盤に持ってきて、更に終盤を"Broadway Melody Ballet"でしめくくることに決めた(彼は"Singin' in the Rain"の単なる主演俳優ではなく、この映画の監督兼振付者でもあった)。ジーン・ケリーは偉かった。舞台版でも、第一幕と第二幕の最後にそれぞれお楽しみシーンが配置されることになったから。

さて幕が上がると・・・実は私、第二幕がどんなふうに始まったか忘れてしまいました。たぶん、キャシーがリナの"Would You"をアテレコするシーンで始まったと思うのですが、そうすると、"Dueling Cavalier"をミュージカル映画に変更することをシンプソンが了承するシーンが後回しになり、ストーリーのつじつまが合わなくなってしまうのです。

ま、仕方がないんで、ここはオリジナル映画のシーンの順番どおりに進めましょう。いずれにせよ大したことじゃありません。シンプソンの社長室。白い壁には女優たちのセピア色の写真が飾られ、壁の前には白い柱が何本も立っている。左端にはシンプソン社長の立派なデスク。

シンプソン、デクスター、コズモの3人が現れる。シンプソンは"Dueling Cavalier"をミュージカルにすることと、キャシーにリナの声の吹き替えをさせることに喜んで同意する。だがシンプソンはリナがキャシーを嫌っていることを心配し、絶対にリナには悟られないようにコズモに念を押す。

ふとシンプソンはつぶやく。「ミュージカル映画にするとなると、作品名を変えなきゃならんな。"Dueling Cavalier"ではおかしい。」 三人は部屋の中を歩き回りながら考え始める。いきなり、コズモが両手を日本の昔の幽霊みたいに前に出し、指をブラブラ振りながら叫ぶ。「『踊るミイラ("Dancing Mummy")』!」 シンプソンとデクスターは寒そうな顔。

観客はコズモの「両手ブラブラ"Dancing Mummy!"」で大笑いしていたのだけど、私にはなんで面白いのか分からなかった(この作品ではこういうことが多い)。数日後、レスター市内にあるNew Walk Museum(なーにが"Museum"やねん、とツッコミ入れたくなるくらい小さい)に行ったら、なぜか古代エジプトのミイラが数体展示してあった。

そしてなぜか古代エジプトのミイラの隣に、包帯を体中にぐるぐる巻きつけた「ミイラ男」(ドラキュラ伯爵や狼男と同じく、欧米における定番モンスターの一種らしい)の大きなアメコミ調イラストがあった。ミイラ男はコズモと同じような、両手を前に出したあのポーズをとっている。

あ、なるほど、これって「ミイラ男」のお約束ポーズなのね、とやっと分かった。それは分かったが、しかし古代エジプトの本物のミイラと、モンスターの「ミイラ男」の実にバカバカしいイラストを、一緒に展示する博物館の神経はよく分からなかった。

"Dancing Mummy"を却下されたコズモがすごすごと引っ込んだ後、今度はデクスターが叫ぶ。「『闘って時々歌う騎士("Dueling Sometimes Singing Cavalier")』!」 これは私も大いにウケた。でもこれも却下。こっちのほうが笑えるのになあ。

またコズモが叫ぶ。「『踊る騎士("Dancing Cavalier")』!」 デクスターは即座に「つまらん!」と吐き捨てるが、シンプソンは「それはいいな!」と褒める。するとデクスターの態度が急変、一転して「いい名前だ!」と大きくうなずく。ゴマすり男デクスター。

映画を観てこんな題名はウケ狙いの冗談だろ、と思っていたが、作品の時代設定である1920〜30年代には、『踊る海賊』というミュージカル映画が実際にあったそうである(数年前に人気が出たインド映画の邦題、『踊るマハラジャ』はもちろんウケ狙いだろう)。ということで新作品名は"Dancing Cavalier"に決定。

キャシーによるリナの声の吹き替えが行われる。舞台にはあの大きな白いスクリーンが下ろされている。その左側にマイクが置かれ、キャシーがその前に立っている。右側にはあの木製の小さな録音室があり、コズモと録音技師が中に控えている。

録音技師がキャシーに指示する。「リナの"Would You"だ。よく見ていて。」 白いスクリーン上に、"Dueling Cavalier"でのお姫様の格好をしたリナが映る。"Would You"の前奏が始まる。リナはカメラ目線で正面を向き、両手を前で組み合わせたポーズで歌い始める。

リナの鼻にかかったひたすらデカい、一本調子な歌声が流れる。けっこうカワイイ愛嬌のある歌声なんだが、高音部に入ると途端に音程が大きくズレ始める。

しかしリナは一向に気づいておらず、そのまま陶然とした表情で、ハズれまくった音程のまま「アーイウーッド、ウッドユ〜〜〜〜〜!!!(I would, would you?)」と両手を広げて絶叫する。さっそく観客が爆笑する。

コズモ、録音技師が顔をしかめる。コズモがキャシーに指示する。「キャシー、リナの唇の動きに合わせて、もう一度歌い直してくれ。」 スクリーン上にさっきと同じリナの映像が再び映される。"Would You"の伴奏が始まるが、今度はリナの歌声が消されている。キャシーはマイクの柄を握りしめ、スクリーンを見つめながら、リナの口の動きにぴったり合わせて歌う。

リナがスクリーン上で歌ってキャシーが歌い直す"Would You"は短く、全曲を縮めた形のものである。しかし、全曲ではないとはいえ、すでに2回も"Would You"が繰り返されたことになる。ところが、更にこの後コズモが「よし、今度は全曲を流して録音しよう」と言い、なんと3度目の"Would You"が始まる。

3度目の"Would You"では、キャシーはスクリーンを見つめることなく、目を閉じたり両手をかすかに動かしたりしながら、自由にのびのびと"Would You"を歌う。途中でクーパー君演ずるドンが現れ、背後からキャシーの両肩に手を置く。

"Would You"を一部分だけでなく、キャシーに全曲を歌わせることで、きちんとした形で観客に聴かせたい、という意図は分かる。だがいくら長さが違うとはいえ、同じ曲を3度も繰り返されるとさすがにくどい感じがした。

続けて、キャシーはリナのセリフを吹き替える。「何ものも私たちを引き離すことはできません。私たちの愛は続くのです。星が燃え尽きるまで。("Nothing can keep us apart. Our love will last till the stars turn cold.")」

ドンが微笑みながら、キャシーが言ったセリフの最後をゆっくりと繰り返す。「星が燃え尽きるまで・・・。」 ドンはキャシーに静かにキスをする。ドンは自分たちの仲をすぐに公表しようと言い出す。キャシーは躊躇するが、ドンは彼女を固く抱きしめて口づけをする。

すっかりアツアツのドンとキャシーのところへ、リナがゼルダに案内されて突然やって来る。リナはホルスタインみたいな、白黒マダラ模様のワンピース姿。ゼルダはドンとキャシーを指さす。「ほらね!」 リナは抱き合っているドンとキャシーの姿を見て悲鳴を上げる。ゼルダ「言ったとおりでしょ?」 リナ「ありがとう、ゼルダ!あなたはホントのお友だちだわ!」

リナはドンに詰め寄る。「その女にジャマさせやしないわよ。アタシの声の吹き替えなんてさせるもんですか!ゼルダがみんな話してくれたのよ!」 ドンは皮肉っぽく笑い、「ありがとう、ゼルダ、君はホントのお友だちだよ!」とリナのマネをする。ゼルダは「いつでもよ、ドン」と気味よさげに笑って去っていく。

キャシーはリナをなだめようとして、「ラモントさん、ドンと私は・・・」と言いかける。リナは、キャシーが「ドン」と呼びすてしたことに逆上する。

リナは「ドン!?」とデカ声で叫び、ずんっ、とキャシーのほうに足を踏み出す。キャシーが後ずさる。しばらく沈黙した後、リナは更なるデカ声で「ドーン!?」と叫び、再びずんっ、と足を踏み出してキャシーに詰め寄る。キャシーが再び後ずさる。

リナ役のRonni Anconaは肩を怒らせ、両手をわなわなと震えさせながら、ガニ股になってキャシーにじりじりと近づいていく。観客は大爆笑。「ドン!?」というセリフ一つでこんなに笑いを取れるとはすごい。

リナは早口で怒りまくる。「気安く『ドン』なんて呼び捨てにするんじゃないわよ!アタシはね、あんたが生まれる前から『ドン』って呼んでたんだから!」 リナはコーフンのあまりワケの分からないことを口走る。また観客が爆笑する。

自分でもヘンなことを言ってしまったことに気づいたリナは、ますます怒鳴りまくる。「だ、だいたい、・・・・・・よくもドンとキスしてくれたわね〜〜〜〜〜!!!」 ドンがリナに言い返す。「僕が彼女にキスしたんだ!僕と彼女は愛し合っているんだから!」 リナ「そんなのヘンよ!アタシたちが愛し合っているのは公然のことじゃない!」

ドンは呆れたように言う。「リナ、どうか分かってくれよ。("Try and understand."私はこのセリフが好きじゃない。リナをいかにもバカにしている感じがして。) 僕は彼女と結婚するつもりでいる。」 リナは怒り狂う。「なんておバカさんなの!この女にあなたと結婚する資格なんてないわよ!この女はあなたを利用したいだけなのよ!今すぐにシンプソンに訴えてやるわ!」

コズモが割って入る。「キャシーがいなければ、"Dueling Cavalier"はもうおしまいだ。ついでに君もおしまいだよ。」 リナ「おしまいなのはこの女よ!誰がこの女の声なんか聞きたいっていうの?」 ドン「みんながだ!君は、ゼルダが君のことを本気で思いやってくれている、とでも思っているのか?」 コズモも口ぞえする。「キャシーはただ君のことを助けたいだけなんだよ。」 ドン「だからキャシーの名前はクレジットに出す。」

リナは驚愕する。「じゃあ、セリフも歌もアタシの声じゃない、って、スクリーンに出るっていうこと?」 コズモ「そのとおり!」 ドン「キャシーを売り出す宣伝も計画されているんだ。」 リナ「宣伝ですって!?みんなでこのアタシを笑いものにする気なの!?」

そしてまた出た、リナの決めゼリフ。「アタシを何だと思っているのよ!バカかなにかとでも!?(What do you think I am, dumb or something?!)」 観客がドッと笑う。

リナ「アタシは莫大なカネを稼ぎ出すことができるのよ!大統領よりも!」 「大統領」は"Calvin Coolidge"で、この作品の時代設定、1927年当時のアメリカ大統領である。

リナは大言壮語しちゃったあと、しまった、という顔。あわてて付け加える。「足し算すれば!(put together!)」 観客は大爆笑、リナはカツカツとヒールを鳴らしながら退場する。

キャシーは不安げに言う。「リナは何をする気なのかしら。」 ドンはキャシーの肩を抱きながら、「大丈夫、リナには何もさせないよ。心配しないで」と元気づけ、"Would You"の最後のフレーズを歌う。

"They met as you and I. And they were only friends……"とまで歌ったところで、ドンは口を閉ざす。伴奏が"I would, would you?"部分のメロディーを奏でる。ドンは再びキャシーを抱きしめて口づける。ってさー、ドンとキャシー、さっきからキスしてばっかりじゃない?クーパー君、キス・シーン多すぎ。ぶちぶちぶちぶち。ドンとキャシーはスタジオを後にする。

リナの楽屋。舞台の左側に、鏡の枠に沿って電球がいっぱいくっついているドレッサー、そして椅子が置いてある。椅子の背には白いガウンがかけてある。まだ怒りに燃えているリナが現れる。ゼルダがその後に従う。リナは叫ぶ。「アタシが悪いっていうの!?」

ゼルダは力強い口調で言う。「いいえ、リナ。あなたは何も悪くないわ。絶対に。」 ゼルダ(Juliet Gough)は、言葉だけ聞くとリナを励ましているようにみえるが、その表情は冷たく、何か裏の思惑がある模様。

ゼルダはリナの着替えを手伝い、シュミーズ姿になったリナに、椅子にかけてあったガウンをかぶせる。ガウンは襟元にふんわりしたフェザーのついた、光沢のある純白のシルクっぽい素材。リナはドレッサーの前に座る。ゼルダがリナの耳元で何かささやき、観客は笑っていたが、私は聞き取れなかった。たぶん、リナを励ましているかにみえて、実は皮肉っていることを言ったのだろう。

だがリナは気がつかない。彼女は去ろうとするゼルダを呼び止める。ゼルダは立ち止まって振り返る。リナとゼルダは同時に「お友だち!」と言って手を振る(ここでも観客は笑っていた。例によって私には何がおかしいのか分からなかった)。ゼルダは冷たい笑いを浮かべながら去る。

"What's Wrong With Me"の前奏が始まる。ユーモラスな感じのメロディ。この歌は映画にはない。リナの歌の見せ場を作るために取り入れられたらしい。作曲者は同じNacio Herb Brownだが、作詞者はArthur Freedではなく、Earl K. Brent、Edward Heymanで、元来は"The Kissing Bandit"(1948)という映画中の歌だったようである(違ってたらごめんなさい)。

リナは鏡に向かって一人つぶやく。「アタシってきれいよね?『ええ!』 すべてのオトコはアタシにメロメロよね?『ええ!』 で、あなたはそうなのかしら?(男のような低い声音で)『いいや!』 ・・・アタシには分かんないわ!」

リナは立ち上がり、歩きながら"What's Wrong With Me"を歌い始める。「アタシの何がいけないの?(What's wrong with me?) なぜ彼はアタシにキスしようとしないの?せっかく恋のチャンスが転がっているのに。アタシの何がいけないの!」

Ronni Anconaはワザと少し音程を外し、粗雑で一本調子な大声で歌う。でもとても愛嬌のある、可愛らしい声音である。おまけに彼女はものすごい声量がある。彼女は今回の"Singin' in the Rain"がミュージカル初挑戦だということだが、そんなふうにはみえない。彼女が歌っているとき、聴いているこちら側はすっかり安心しきっている。

「アタシの何がいけないのよ?彼にはアタシのセクシーさが分からないのよ(ガウンをずり下ろして肩を見せるセクシー・ポーズ)。私の何がいけないのかしら?もしかして、アタシがあまりにコーフンしすぎたからかしら。それで彼は怖気づいてしまったのかしら?行き過ぎはいけないってことね。これが間違いだったんだわ。」

リナはウットリした表情で、両手を広げて天を仰ぐ。いちだんと鼻にかかったユーモラスな声音。「彼はアタシを月夜に連れ出したわ。そこで恋に落ちるはずだった。アタシは彼がキメてくれると思ったのよ。でも、彼はただアタシをひどい目にあわせただけだったわ。」

「彼が悪いのよ!(What's wrong with him?) 彼はせっかくの恋を棒に振ったんだから!アタシは一生懸命だったのに、彼はそうしなかったわ。彼が悪いんだわ!なぜ彼は心変わりしてしまったの?彼は『ラモント氏』になれるはずだったのに!」 この"When he could be Mr. Lamont!"で観客は大笑いする。リナにとっては、ドンはあくまで自分の付属物なのである。これは痛快。

リナは再び鏡の前に座り、手鏡をのぞきこむ。「アタシの何がいけないの?どうしてこんなにみんなこんがらがっちゃったの?アタシは女らしい、おまけに善良な人間なのに!アタシの何がいけないの?彼はいまにひどい目にあうわよ。何か災いが起こるかもね♪アタシって悪い女かしら?」 リナは手鏡をバタンと倒し、断固とした強い口調で言う。「いいえ!」 リナは何かを決意したらしい。

舞台が暗くなる。舞台転換の間に "What's Wrong With Me"のメロディの短い間奏曲。

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