Club Pelican

THEATRE

「雨に唄えば」
“Singin' in the Rain”


第1幕(つづき)

舞台が暗くなり、撮影所スタッフ役の男女3人が前に出てきて、"Moses Supposes"の短い反復ヴァージョン(reprise)を早口で歌う。歌詞は、前半は同じだが後半は違っている。ぜんぜん聴き取れない。聴き取れた方、意味の分かった方はぜひ教えて下さいませ。

"Dueling Cavalier"の撮影スタジオ。セットは同じで、例の高々としたマリー・アントワネット風ヅラをかぶり、白銀の豪華なドレスを身につけたリナがベンチの上に腰かけている。ベンチの右横にはミニチュアのパーム・ツリーみたいな、幹が奇妙にヒョロ長く、上の方だけにこんもりと葉の繁った植木の鉢が置いてある。また舞台の右脇に、前面に大きな窓が開いた木製の録音室が設けられている。中にはイヤホーンを当てた録音技師が待機している。

デクスターがリナに近づき、噛み砕くようなゆっくりした口調でリナに説明する。「リナ、よく聞いてくれ。この植木の中にマイクが仕込んである。」 デクスターは言うなり、不自然に葉っぱをてんこもりに付けまくった植木の中に手を突っ込む。

引っ張り出されたコードの先には、空飛ぶ円盤みたいな形状の丸い小型マイクがぶらぶら揺れている。小型といっても昔の小型マイクだからデカい。直径15センチはある。昔の映画撮影ってタイヘンだったんですね。涙ぐましい努力にみんな容赦なく爆笑する。

デクスターは録音の仕組みを説明する。「君はずっとこの植木に向かってセリフを言うんだよ。そうすると、このマイクが君の声を拾って、君の声はコードを伝って、録音室の中にあるレコード盤に刻まれて録音される。」 リナは明らかに理解できていなさそうだが、「???・・・Yeah?」と一応うなずいてみせる。

デクスターは「よし、始めよう!」とみなに呼びかける。スタッフたちが口々に「静かに!」と叫ぶ。デクスターが「撮影開始!」と声をかけ、録音室の中に入る。

案の定、リナは植木鉢とは完全に逆方向を向いたままセリフを言う。「オウ、ピエ〜ル、ユー・シュドゥント・ハフ・カム!(Oh, Pierre, you shouldn't have come!)」 超小声でとーぜんまったく聞こえない。やっぱりリナは全然分かっていなかったのである。録音技師「これじゃ音が拾えませんよ!」

デクスターは「中断!」と叫び、リナに再び近づき、前にもましてゆっくりと噛んで含めるような口調で、リナの反応を確認しながら言い聞かせる。「リナ、よくごらん。マイクはこの植木の中だ。君はこの植木に向かって、つまりこっちの方を向いたまま、愛の言葉をささやくんだよ。そうすると、マイクが君の声を拾う。その声は、このコードを伝って、録音室の中にあるレコード盤の表面に溝として刻み込まれるんだよ〜。」

今度は理解できたのか怪しいが、リナは明るい顔で"Yeah!"と答える。デクスターは額に青筋を立てながら作り笑いを浮かべつつ、うんうん、とうなずいて「撮影開始!」と叫ぶ。だがリナは、今度は顔を左右にぶんぶん振りながらセリフを言う。「オウピエ〜ルユーシュドゥントハフカム!」 リナの顔がマイクの方を向くときだけ声が異常にデカくなる。

このシーンは、マイクの音声を調節していたのではなく、リナ役のRonni Anconaが、植木と反対方向を向くときは小声、植木の方を向くときはデカ声、というふうに声の大きさ自体を変えていた。ぶうん、ぶうん、という顔の大きな動きと見事に連動したAnconaの巧みな「音量調節」に、みんなゲラゲラ笑っていた。

デクスターは耐えきれずに怒りを爆発させる。「植木に向かって話せっちゅーに!!!」  しかしリナもヒステリーを起こして大声で怒鳴り返す。「植木と愛を語るなんてできないわよっ!!!」

観客の爆笑が止まないうちにまた舞台が暗くなり、スタッフ役の男女3人がリナの姿をさえぎる形で前に出てきて、"Moses Supposes"の短い反復ヴァージョンを早口で歌う。舞台が明るくなると、リナの前に衣装係が数人、よってたかってドレスの胸元の辺りになにやら仕込んでいる。

リナは「何をするのよおお〜〜〜」とイヤそうな声。デクスターがリナの胸元を指さして言う。「リナ、ここにマイクがある。」 リナが自分の胸元に手を突っ込むと、握りしめたコードの先には、やはり小型マイクがぶら〜んと垂れ下がっている。

デクスターは気を取り直して「撮影開始!」と叫ぶ。「オウ、ピエ〜ル、ユー・シュドゥント・ハフ・カム!」 ちゃんとセリフは聞こえるが、ドッコン、ドッコン、ドッコン、ドッコン、というヘンな音が重なって響いている。観客が笑い出す。デクスター「なんじゃこの音はあー!!!」 録音技師「マイクが心臓の鼓動を拾っちゃったんですねえ〜。」 デクスター「中止じゃー!!!」

舞台がまたまた暗くなり、再びスタッフ役の男女3人が前に出てきて、"Moses Supposes"の反復ヴァージョンを早口で歌う。歌詞はさっきのとも違う。舞台が明るくなる。今度はリナのドレスの左肩に、白いハトのぬいぐるみがくっつけられている。リナは気味悪そうにハトを見つめる。

前の方に座っていた観客は、鳥がくっついていると分かったと思うが、後ろに座っていた観客や、眼の悪い観客には分かりづらかったのだろう。顔を真っ赤にして血管がブチ切れそうになっているデクスターが、白いハトのぬいぐるみを指さしながら、奇妙に優しい声でリナに言い聞かせる。「リナ、ここにマイクがある。君はこのに向かって愛のセリフを語るんだよ〜。」 「鳥」という単語が聞こえたとたんに、後ろの観客も巻き込んで会場は爆笑の渦。

再び撮影が開始される。リナはなんとか作りモノの鳥を相手に愛のセリフを語り続ける。今度は順調に進むかと思われた瞬間、なぜかスタジオの奥から社長のシンプソンがいきなり現れる。シンプソンは長く引かれたマイクのコードにつまずいて転びそうになる。

「これからはトーキーの時代だ!"Dueling Cavalier"はトーキーにするぞ!」と言い出した張本人のクセに、事情がさっぱり分かっていないらしい社長シンプソンは、コードを持ち上げて「なんだこれは!危ないじゃないか!」と怒る。

スタッフがあわてて「撮影中です!静かにして下さい!」と小声で止めるのにも耳を貸さず、シンプソンは持っていたコードをいきなり力任せにぐいっと引っ張る。「ギャーッ」というリナの大きな悲鳴が響きわたり、リナは座ったままの姿勢でベンチの後ろに倒れる。ベンチの向こうに、ドレスの裾がめくれ、白いタイツを穿いたリナの大股開きの両脚だけが見える。お年寄りが多い客席から、「オオ〜ッ、ホッホッホッ」という驚きのまじった大きな笑い声が起きる。

さて、"Dueling Cavalier"の試写会。ドン、コズモ、キャシーの3人が会場にやってくる。クーパー君は、淡いベージュのジャンパーにグレーのズボン、黒い靴という衣装。クーパー君のこの地味なジャンパーは、実はこの公演のためのスペシャル仕様である。キャシー役のJosefina Gabrielleは、ベージュのオーバーコートに短いつばのついた丸い帽子。ドンとキャシーが一緒にいるのをリナに目撃されたらヤバい、ということで、キャシーは「二階席から真っ先に拍手喝采するわよ」とドンを励まし、先に会場へ入っていく。

幕が開き、再び大きなスクリーンが舞台の前面に下ろされる。お姫様の格好のリナが侍女(またしてもJeanette Ranger)を伴って歩いてくる。しかし、リナが真珠の長いネックレスを手でもてあそぶたびに、ガチャッ、ガチャッ、ガチャッ、と耳障りな音が鳴り響く。

リナ演ずるお姫様が鼻にかかった甘ったれた声で言う。「わたくしは宮廷では皇后陛下に次ぐ高貴な身分(←自分で言うなコラ)。だけど、わたくしほど悲しい身の上の女はいませんわ。」 侍女「どうなさったのですか、お嬢様?」 リナ「父がわたくしを男爵に無理に嫁がせようとしているのです。でも、・・・アイ・カーント(I can't)・・・」

おお、ディンズモア先生の発音矯正は功を奏したか?しかし、続いて出てきたリナの発音は「ステンディム(stand him)!」 観客が爆笑する。

リナは続ける。「わたくしの心は別のお方のもの。ピエール様!あのお方と出会ってからは、・・・アイ・カーント・・・」 ここまではいいのだが、次は「ゲティマウトオブマイマイン(get him out of my mind)!」 観客はまた爆笑。結局、リナがマスターできたのは「カーント」だけだったらしい。

場面は変わって、リナ演ずるお姫様がベンチに腰かけている。ドン演ずるピエールが映る。ドンはテラスを上がってくるが、歩くたびに衣装や靴がギシギシと音を立てる。やがてドンはお姫様を見つけると、にぱっと笑って(クーパー君、お願いだからその爽やかな笑顔はやめてくれ)両手をばっ、と広げ、持っていた杖を放り投げる。次の瞬間、ガッシャ〜ン、という大きな音。スタッフが杖を受け止め損ねたらしい。

ドンはギシギシギシギシ音を立てながら、お姫様の背後に忍び寄り、手でいきなりお姫様を目隠しする。バチッ、という音。リナ「ああ、ピエール、いらっしゃるべきではありませんでしたわ!見つかったらただでは済みますまい!」 リナは真珠のネックレスをぎゅっと引っ張る。ガシャッ。

ドンはリナの周りをぐるぐる回りながら言う。「キューピッドの愛の矢が私の胸を貫き、私をあなたのそばへ遣わしたのです!」 この間、ギシギシギシギシうるさく鳴りっぱなし。 リナは「ああ、でも闇夜は敵だらけですわ!」と言い、扇でドンの肩を2度叩く。バコンバコン!という凄まじい音が響く。

ドンの顔のアップ。ロココ調ヅラ、潤んだ瞳のクーパー君の正面顔ですでに笑える。ドンは自分の胸元をつかむ。ギュッ、という大きい音。「恐れはしません、たとえギロチンにかけられようとも!」 そのままドンは胸元を強くつかみ続ける。「夜の女王の怒りなど!」 ギュギュギュギュ〜〜〜〜ッ。 リナは「おお、ピエ〜ル!」と言いながら、真珠のネックレスを引っ張る。ガチャッ。ドンはひざまずく。「イヴォンヌ!」 ギシッ。うるせえカップル。

ドンがリナの手を取ってキスをする。「愛してます!」 ぶちゅっ、というバキューム音。「愛してます!愛してます!愛してます!」 ぶちゅっ、ぶちゅっ、ぶちゅっ。ドンはリナの首筋に強く口づける。「愛してま〜っす!!!」 ぶちゅちゅ〜っ!最後にドンとリナが熱い口づけを交わす。ぶちゅちゅちゅちゅううううう〜〜〜〜〜〜っ!

言うまでもないが、観客はこの間ずっと笑いどおしである。場面は変わって、ピエールが一人で身支度をしている。ここで質問です。クーパー君、ライターみたいな大きさの銀色の箱を鼻穴にくっつけて、片方ずつ何かを吸い込んでいましたが、あれは何ですか?地元の観客もこのシーンで笑っていたので、笑える何かだと思うのですが。嗅ぎタバコ?香水?それともコカイン?

そこへ侍従が書状を届ける。それを読むピエール。ところが、この場面でフィルムがたるんで一瞬コマ送りのようになる。ピエールはまだ書状を読んでいるが、セリフの音声が先に流れてしまう。「なにっ、イヴォンヌが男爵にさらわれた、とー!」 その後で、ピエールが驚きながら何かを叫ぶが、とーぜん口パク状態。

ピエールが何事かを決意したように天を仰ぐ。またも音声が先に出る。「ああ、イヴォンヌ、今すぐお傍に駆けつけますぞ!」 再び正面を向いたピエールが口を開くと、なぜかそれは鼻にかかったカン高い女の声。「おお、ピエ〜ル!私を救って!」 フィルムがたるんだせいで、画像と音声のスピードがずれ、画像よりも音声が先に流れるようになってしまったのだ!

場面がまた変わる。誰が見ても分かる悪役顔の男爵にさらわれてしまったイヴォンヌが、口パクで何かを叫んでいる。その肩を男爵がつかんで引き寄せる。まだ何も言ってないのにセリフが流れる。「ふふふ、ピエールは100億光年の彼方じゃ〜!」

男爵はイヴォンヌを抱きすくめて無理やりキスをする。キスをしている間にイヴォンヌのセリフが入る。「いや!いや!いや!」 男爵からなんとか顔をそらせたイヴォンヌは、首を振りながら叫ぶ。ところがそれは野太い男の声。「よいぞ!よいぞ!よいぞ!」 男爵もセリフを言うが、なぜかそれはカン高い女の声。「いや!いや!いや!」 イヴォンヌがまた口を開くが、やっぱり男の声で「よいぞ!よいぞ!よいぞ!」

やがて画面がスロー画像になり、男爵にかぶさったイヴォンヌの「いや!いや!いや!」というセリフが間のびして、「ノウ!ノウ!ノオオオオ〜〜〜〜ッ!」という野獣の咆哮のような声になる。イヴォンヌにかぶさった男爵の「よいぞ!よいぞ!よいぞ!」というセリフも、まるで地獄の底から涌き出た悪魔の呻きのような恐ろしい声。「イエス!イエス!イエエエエエ〜〜〜〜ッスヴォヴォヴォヴォ〜〜〜ッ!」

同時にリナの顔の動きも斜めにへしゃげて、このまえ盗難にあったムンクの「叫び」状態になる。画像と音声を合わせなおそうとして、フィルムと音声のスピードを緩めたら、かえってメチャクチャになってしまったのだった。爆笑の渦の中、幕が閉ざされる。

閉ざされた幕の前を、キャシー、シンプソン、デクスター、コズモ、そしてリナが一定間隔を置いてとぼとぼと歩いてくる。リナを除いて、みなの表情は一様にこわばり、誰も一言も口を利かない。キャシーはうつむいて帽子を深くかぶりなおし、コートの襟を立てて顔を隠しながらそそくさと去っていく。

呆然と立ちつくす彼らの前を、観客が大笑いしながら次々と通り過ぎていく。「今まで観た中で最悪の映画だよ!」 「愛してます!愛してます!愛してま〜〜〜っす!」 「もうロックウッドとラモントの映画は観ないわ!」 最後に映画評論家のDora Bailey(Jeanette Ranger)が、メモを片手に出てくる。シンプソンと目が合ったベイリーは一瞬沈黙し、次に目をそらしながら「ほほほほ〜っ」と含み笑いをしながら通り過ぎる。

シンプソンがすっかりたそがれてつぶやく。「我々はもう終わりだなあ・・・。」 全員がうなだれる中で、リナだけはヘーキな顔でコンパクトをのぞきこみ、おしろいをはたいている。彼女はふと顔を上げると、ノーテンキに叫ぶ。「アタシ、あの映画、気に入ったわ!」

ところでそこにドンの姿はない。シンプソンがコズモに尋ねる。「ドンはどこへ行った?」 「ドンはまっすぐに出て行ってしまいました。なぜなら・・・」とコズモはリナに向かって口を突き出し、リナのキンキン声と口調をマネて言う。「ヒー・クドゥント・ステンディッ!(He couldn't stand it!)」 だがリナは一向にこたえた様子がなく、鏡を見ながら平然とパフで顔を叩いている。

ドンの家。舞台の真ん中に大きなソファーが置いてある。右奥にはコートがけ、そして木製の大きな窓枠。ソファーには右からキャシー、ドン、コズモが座っている。3人はソファーにもたれ、脱力状態でぼんやりと前を見つめている。クーパー君はブルーのシャツに黄色いネクタイをしめ、サスペンダーをつけてグレーのズボンを穿いている。靴は黒いタップ・シューズ。

ドンは前を向いたまま力ない声で言う。「今日でこの家ともおさらばだな。明日には競売にかけられるだろうから。」 コズモが慰める。「大丈夫だよ。明日は週末で銀行は休みだ。」 慰めになってない。

キャシーもあわてて励ます。「たいしたことじゃないわ!今回は、たまたま技術的にちょっとうまくいかなかっただけじゃない!」 ドンは黙ってキャシーに顔を向け、一言ボソッとつぶやく。「『ちょっと』?」 気まずい間が流れる。キャシーは沈黙したままドンから目をそらす。観客が大笑いする。

ドンはソファーから立ち上がり、うつろな表情でコズモとキャシーに背を向ける。「キャシーの言ったことは本当だった。思い知らされたよ。僕は俳優なんかじゃない。なんにもできない能無しな人間なんだ・・・。」 完全にいじけモードに突入したドン。

コズモとキャシーは、俳優以外にも仕事はある、生きていける、とドンの転職候補をどんどん挙げる。ドブさらい、クツ磨き、万年筆売りなど。励ましているのかとどめをさしているのか分からない。コズモは、「なんなら、ヴォードヴィルの世界に戻ったっていいじゃないか!」といい、ソファーの上で"Fit As A Fiddle"を歌いながら踊ってみせる。

それを見たキャシーが、"Dueling Cavalier"をミュージカルにすればいい、と言い出す。キャシーの思いがけないアイディア(本当に思いがけないアイディアだ)に、ドンとコズモは驚きながらも喜んで賛成する。

"Good Morning"。クーパー君、キャシー役のJosefina Gabrielleやコズモ役のSimon Coulthardに負けずに歌っていた。でもクーパー君の表情が、最初から最後まで超マジメだったのがおかしい。明るく楽しい感じのアップテンポの曲なのに。でもこの人の魅力は、いつでもこんなふうにマジメで一生懸命なところなのよ。

踊りの部分では、タップのほかに面白い振りがあった。ダイナミックな技があって、Simon Coulthardがクーパー君の腰をつかんで高くリフトし、クーパー君は持ち上げられた瞬間に両脚を大きく広げる。この男同士のリフト自体はどこかで見たことあるけど、次が工夫していたからまあいいわ。

クーパー君が着地すると、続けてJosefina GabrielleがCoulthardに同じようにリフトされて着地し、そのまま間髪入れずに、今度はCoulthardの隣にいたクーパー君が、彼女をまた同じようにリフトする。ダイナミックかつスピーディーな連続技で、見ていてとてもきれいだった。

あと、Josefina Gabrielleがジャンプして着地してからそのままスプリット、とかやっていた。これはSimon Coulthardもどっかのシーンでやっていたが、クーパー君の今回のお気に入りはスプリットらしい。

映画の"Good Morning"で、ドンとキャシーとコズモが3人横に並んで、両手を伸ばして頭上で重ね合わせて、半爪先立ちで前につつつ、と出てくるシーンがあるでしょう?たぶんクラシック・バレエのパロディね。この公演の"Good Morning"では、映画の「クラシック・バレエのパロディ」のパロディをやっていた。

確か、クーパー君とGabrielleとCoulthardが、互いの両手を複雑に交差させて手をつなぎ、顔を横に向けたまま斜めに移動する、という動きだったような気がする。そう、おそらく伝統版「白鳥の湖」の「小さな白鳥の踊り」のパロディだと思う。

"Good Morning"が終わり、3人はソファーに笑いながら倒れこむ。これで一件落着と思われたが、ドンが肝心なことを思い出す。ドン「待てよ?確かに僕は踊れるかもしれないし、歌えるかもしれない。でも、リナは?」 3人は「リナ!」とつぶやくと再び脱力状態に陥る。コズモ「彼女は演技ができない、歌えない、踊れない、と三拍子揃ってる。」 これは映画と同じセリフなのに、なぜそんなに笑うのだイギリス人。

後の展開は映画と同じ。キャシーの思い出し笑いがきっかけで、コズモは、キャシーにリナの声の吹き替えをさせることを思いつく。ドンはキャシーのキャリアに傷がつくことを恐れて反対するが、キャシーもこの作品だけなら自分はかまわないし、とにかく"Dueling Cavalier"、そしてドン・ロックウッドとリナ・ラモントを救うほうが先決だ、とドンを説得する。

ドンとキャシーの間に、またまた甘〜い雰囲気がたちこめる。コズモはそれに気づかず、自分のコートを取りながら一人しゃべり続ける。「明日さっそくシンプソン社長にかけあうことにするよ。キャシー、それじゃ僕たちはこのへんで帰ろうか」と言って振り向くと、ドンとキャシーが密着して見つめあっている。

コズモは作り笑いを浮かべながら後ずさり、「じゃあ僕はお先に・・・」と言う。でもドンとキャシーはふたりの世界に浸りきって全然聞いてない。コズモはいきなり手を上げ、「タクシー!」と叫んで走り去る。

ドンはキャシーにコートを着せてやり、自分も丈の短いベージュのジャンパーを身につける。これは"Dueling Cavalier"のプレミエの直前に着ていたのと同じもの。ジッパーで前を合わせる普通のジャンパーで、ガテン系作業着みたいなデザインである。なんで映画スターがこんな地味なジャンパーを着るんかいな、と最初は不思議だった。でも次の"Singin' In The Rain"のためには、これが最も都合がいい衣装だったのだろう。

幕がいったん閉じる。その前をドンとキャシーが傘を持ちながら、ふたりで仲睦まじげに歩いて舞台の脇に消えていく。"Good Morning"のメロディーをゆっくりめにした間奏曲が流れる。

再び幕が上がると、舞台の奥に濃いグレーの壁が下ろされている。その壁の前には、舞台の横幅いっぱいに長い、床より一段高い台が設けられている。

遠雷の音が聞こえてきて、道行く人々は空を気にしながら足早に歩いてゆく。そしていきなり落雷のような大きな雷鳴が轟き、その瞬間に鋭い光が舞台上に走る。もうすぐ雨がやって来る。人々は肩をすくめて走り去る。

再び舞台右脇からキャシーとドンが現れる。奥の壁の一部がドアのように開き、キャシーはドンにおやすみのキスをし、手を振りながら中に入る。ドンはそれを見送った後、傘を差したままくるりと前を向き、空を見上げる。

クーパー君が、グレーの舞台の真ん中にじっと立っている。さあ、始まるぞ〜。客席がシーンと静まりかえる。やがて"Singin' In The Rain"の前奏が始まる。クーパー君が歌を口ずさみ始めると同時に、天井から激しい水しぶきが降り注ぐ。

途端に、観客が大きな歓声を上げながら拍手しだした。本物の水だ!しかも舞台で!白いライトに照らされて光る水が、ざあざあと音を立てながら舞台の床を打ちつける。そのうち、舞台奥に設置された長い台の数ヶ所からも、スプリンクラーのように水が勢いよく噴き出し始めた。観客が更に笑いさざめく。

みるみるうちに、舞台の床は一面水びたしになった。水が1センチぐらいの厚さを保ったまま溜まっている。クーパー君は傘を差し、ポケットに片手を突っ込んでゆっくりと歩きながら"Singin' In The Rain"を歌う。降り注ぐ水が彼の持つ傘を打ちつけ、水の飛沫が傘から飛び散り、また水滴が傘からぽたぽたと流れ落ちる。

水気を含んだ空気が、涼しいかすかな風となって客席まで漂ってきた。本物の水の迫力はやはりすごい。それまで傘を差して歩いていたクーパー君、いきなり片手に持った傘をばっと下ろして天を仰ぐ。クーパー君は帽子をかぶっていない。水が彼の顔の上に降り注ぐ。マ、マイクは大丈夫なの!?

クーパー君は、タップ・シューズを履いていなかった。厚い素材でできた、スニーカー風の黒いダンス・シューズだった。でも、さっきの"Good Morning"では黒いタップ・シューズだったはずだ。少し引っ込んでいた間に履き替えていたんですね。

どのみち床にこんなに水がたまった状態では、タップ・ダンスは無理だろう。音が出るワケがない。タップ・ダンスどころか、踊ること自体難しいはずである。クーパー君が踊っていたのは、はっきりと分類するならバレエであった。といっても、いかにもバレエ然とした踊りではない。

クーパー君は、歌いながら注意深くステップを踏み、持っていた傘を小道具として上手く用いていた。閉じた傘をぱっと放して、その一瞬の隙にすばやく1回転し、傘が落ちる前に再び傘をつかみ取って"Come on with the rain, I've a smile on my face!"ひゅーっ、カッコいい〜!!!

また、広げた状態の傘を放り投げて縦に1回転させ、その柄を再びつかむ。これは難しいぞ。私も子どものころに散々やったから(笑)。私が観た公演では、1回だけ失敗して傘を落としてしまった。

クーパー君の髪の毛も衣装もすでにビショ濡れ。せっかくなでつけた髪の毛がブザマにオデコに垂れまくっている。彼が着ているジャンパーは、どうも頑丈な防水加工が施してあるらしい。あのテカり具合からみて、撥水成分でかなりぶ厚くコーティングしてある。防寒効果もあるジャンパーだろう。でもズボンは普通の布地で、水がしみ込んで見るからに重たげな色に変わっていた。

アダム君のやんちゃぶりはますますエスカレートする。広げた傘を楯のようにして、床に寝そべってゴロンゴロンと回る。床から噴き出している水を足で押さえたり、噴き出す水の前に立ち、ジャンパーの裾を広げて自分の胸元から水を出そうとしたり、水をまたいで立ち、な、なんと両脚の間から水を出そうとしたり!なんてお下品なの!

もちろんこういうオイタはワザとやっていたんだけど、1回だけマジに失敗した(らしい)アクシデントがあった。クーパー君が水の前に立ったところ、勢いよく噴き出す水の方向がいきなり変わり、クーパー君の×間の後ろあたりをジャスト・ミートしたのである!チ〜ン。(ごめんねアタシこそ下品で)

まあ、その、アレですな(←?)、男性は「下方向」からの打撃だとかなり痛いと聞いた。その瞬間、クーパー君は「ウワアッ」とすごいマジ悲鳴を上げて飛び退き、水を恐ろしげに見つめた。観客は無情にも大爆笑した。たかが水とはいえ、その水圧はあなどれないのであろう。

あとは、歓声を上げながら水の上をお尻で滑ってずずーっと舞台を左右に横断したり、噴水の間をまたぐようにスキップしたり、なんか本気で楽しそうで、雨の中で遊ぶ子どもみたいであった。

第一幕終了後、劇場の階段の踊り場や、緩い傾斜になっている壁のところで、ガキどもが競ってクーパー君の「お尻スライディング」の真似をしようとし、親たちが必死で止めていた。ちなみにアダム・クーパー、妻もいる今年33歳の男、いちおう英国ロイヤル・バレエ団の元プリンシパルである。

で、ここからはマジメな(笑)感想ね。前にも書いたとおり、クーパー君の踊りは基本的にはバレエだった。大がかりなセットは何ひとつとしてなく、しかも舞台の床には厚い水の層が張っているという危険極まりない状況。そしてあるのは1本の傘と彼自身だけ。

クーパー君は、最初は傘をゆっくりと高く振り回しながら、四肢を長く伸ばして踊っていた。たぶん副産物だとは思うんだけど、振り回す傘から飛び散る水滴で、また同時に、自分の動く手足の先から飛び散る水滴で、空中にきれいな線を描いていた。水芸。それとも動きが「正しい」と、飛び散る水とかも「正しい」(?)形になるのかしら。

歌が終わって踊り部分に入ると、上記のさまざまなオイタの間に、どひゃー、という振りがさりげなく入るようになった。コイツは「尻スライディング」で舞台を一気に超速横断したが、一方ではのほほ〜んとした感じで、ジャンプしながら回転し、再び踏み切ってまたジャンプしながら回転、というステップで舞台をゆっくりと横切っていった。また水の上で、爪先立ちになって片足でぐるぐると何度も回っていた。

何もない暗い舞台で、降り注ぐ光る水の中で、全身ズブ濡れになりながら、クーパー君は自分の体ひとつで"Singin' In The Rain"を歌って踊りきった。セットは大量の水だけで、効果は白いライトの照射のみ、小道具は1本の傘という、ギリギリまでシンプルにした環境は、止むを得ない選択だったのかもしれないし、同時に意図的な決定でもあったのだろう。あくまでダンスのムーヴメントそのもので見せようという方針だったのだと思う。

最後になって、舞台の右にあるスチール製の柱の上から、ナイトキャップをかぶり、ネグリジェを着た女性(Jeanette Ranger)が姿を現す。女性は夜中に騒ぎまくるドンに、上からバケツ一杯の水をブッかける。

これもまた見事にクーパー君の頭にジャスト・ミート、まともに水をくらったクーパー君は「うわっ!」とまた大声を上げる。観客もびっくりして「わあっ!」、「おお!」、「ああっ!」と驚きの声を上げ、やがて大笑いしながら拍手し始める。ドンは手を振り回して女性に抗議するが、女性はざまあみろ、という顔でさっさと引っ込んでしまう。

髪の毛が額にべっとりと貼りついたクーパー君は、顔をぬぐいもせずに、閉じた傘を肩にかけて"I'm singing, and dancing in the rain."と静かに歌い終える。実は、最後の「バケツ攻撃」で、レスター公演の初日と2日目は、クーパー君がつけているワイヤレスマイクが壊れてしまい、最後のこのフレーズが聞こえなかった。でも3日目からは、よほど頑丈にマイクをガードしたらしく、最後まできちんと聞こえた。

映画と舞台とは、異なるメディア、またボキャブラリーだと思う。でも観ている側は、どうしても映画の再現を期待するのではないだろうか。これではあまりに映画と違いすぎる。みな不満なのではないか。ひょっとしたらブーイングが起こるのではないか。私は少し不安になった。

オーケストラが"Singin' In The Rain"の終わりの音楽を奏でる。依然として降り注ぐ「雨」の中を、クーパー君は濡れたまま立ちつくしている。水がどんどん舞台の前面にまで押し寄せてきて、オーケストラ・ピットまであと数センチの距離に迫る。ぶ厚いシャッター(セーフティ・カーテンというらしい)が、ガーッという機械音を響かせながら下りてくる。

クーパー君の姿がシャッターの向こうに隠れる前に、客席から一斉に大きな拍手が湧き起こり、観客たちが興奮した歓声を上げ始めた。まるで公演が終わったかのような大騒ぎだった。私は観客のこの反応に驚いた。

映画に比べたら華やかさもなく、リズミカルなタップ・ダンスでもなく、クーパー君の踊りは決して大振りなものではなかったし、彼の歌唱力はまだ充分なレベルではない。なのに、観客たちはなぜこんなに盛り上がるのだろう?

うまく言えないんだけど、なんかあの拍手喝采は、観客が出演者を「褒めてやる」という感じの一方的なものではなかった。なんというか、「よくぞやってくれた!」的な拍手と歓声だった。まるで自分の好きなプロ野球チームが勝って喜んでいるみたいな・・・。観客のほうがなぜか大きな達成感を覚えているようだった。

私は、観客は映画と舞台とを厳密に比べて、舞台が映画と違っていれば拒否的な反応をみせるだろう、と予想していた。でもそれは違ったようだ。確かに、イギリス人は"Singin' in the Rain"といえば、空港の入国審査官からB&Bのリセプション係に至るまで、みな「ああ、あれね」という反応が返ってくる。観客はこの作品の音楽を聴けば、すぐに歌を口ずさむことができる。

でも、実はみんな映画の内容をきちんと覚えているわけではないらしい。なにせ映画と全く同じセリフやリアクションで異常に大笑いするのだから。これは英語圏の観客の強みである。その場で聞けば分かるから、ストーリーやセリフをいちいち覚えておく必要はない。だから違ったヴァージョンを受け入れるストライク・ゾーンも広くなるらしかった。

嬉しい意味で予想が外れた。観客が無邪気に出演者と一緒になって喜ぶような、こういう拍手喝采もアリなのね、とすごく不思議で面白い光景だった。シャッターが完全に下ろされても、観客たちはしばらく拍手し歓声を上げ続けていた。やがてみなぞろぞろと立ち上がる。1時間半に及んだ第一幕が終わり、休憩時間に入った。

Intervalと第二幕へ


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