Club Pelican

THEATRE

「雨に唄えば」
“Singin' in the Rain”


第1幕(つづき)

舞台が明るくなると、いきなり華やかな前奏曲が響く。舞台の奥には白い壁と入り口が設けられ、その前の階段に、白いシルクハットに白い燕尾服をまとった歌手のErrol(Dougal Irvine)を真ん中に、淡いピンク色の袖なしの上身ごろにショート・パンツ(だったと思うけど)のワンピースを着て、手に同じ色の羽根扇を持った大勢の女性ダンサーたちがポーズをとって居並んでいる。その中にはキャシーが混ざっている。

エロル役のDougal Irvine が"Beautiful Girl"を歌い始めると同時に、彼と女性ダンサーたちはゆっくりと踊りながら舞台の前に出て来る。彼らの姿を2台のカメラが追い、デクスターが移動式の椅子に座り、カメラとともに回り込みながら見守っている。

Dougal Irvineはやや高めの歌声で、やはりよく響く豊かな声量を持つ。歌声もよかったけど、彼の"Beautiful Girl"を歌っているときの演技が、いかにも自己顕示欲全開200%という感じで面白かった。

エロルはカメラが自分の目の前に来ると、片膝立ちになって両手の指をばっ、と差し出して(「ゲッツ!」みたい。そういえばあの芸人は最近みないね)ポーズを決めたり、自分の傍をカメラが通過すると、さりげなく横目でカメラ目線になり、キザなイヤらしい表情でウインクしたりする。そのときの顔が非常にナルっぽい。Dougal Irvineの声音はかなり西城秀樹の「ローラ」入っているので、このナル入った仕草がよく似合う。

短編のミュージカル作品を撮影している、という場面だから、エロルは客席に向かってではなく、あくまで自分を撮っている2台のカメラに向かってカッコつけている(もちろん客席目線もバリバリだったけど)。それを第三者的に見ていると奇妙におかしい。

"Beautiful Girl"の踊りは、エロルも女性ダンサーたちも、ゆっくりと歩くようなステップを踏みながら、体を左右に軽く揺らしたりする程度のもの。"All I Do Is Dream Of You"のスローテンポ版みたいな感じである。女性ダンサーたちは羽根扇をふわふわ動かしたり、色っぽいため息をついたりする。

最後にエロルはキャシーと腕を組み、ゆっくりと舞台の前に歩いて出てくる。そして女性ダンサーたち全員が舞台中央前に集まり、エロルを取り囲むようにして微笑みながらポーズをとる。が、その中でも、女同士の熾烈な戦い(笑)が繰り広げられる。

カメラのいちばん前に位置した女性ダンサーは、ここぞとばかりにカメラに向かって微笑みかけ、懸命に自己アピールを試みる。それを、彼女の後ろにいた別の女性ダンサーが、何気ないふうを装い、持っていた羽根扇を彼女の顔の前にかざして遮る。彼女は微笑みを崩さず、自分の顔を隠そうとする女性ダンサーを横目でギロリと睨みつける。隠した女性ダンサーは、フフン、と冷ややかな笑顔。オンナは怖いよ。

エロルが最後に「ビュリフォグァァァァ〜〜〜ッル!」と劇的に決め、それと同時に伴奏の音楽も止む。ところが、歌が終わったのに、エロルをはじめとして全員がポーズを決めたまま動かない。顔も固まった舞台用スマイルのまま。

やがて、デクスターの「カット!」という声がかかる。そのとたん、白い歯を見せて爽やかな笑顔を浮かべていたエロルは、いきなり超仏頂面になり、やってらんねーよ、というナゲヤリな仕草で列から離れる。肩を叩いて褒めたたえるデクスターに対しても、無愛想な顔で無言のまま2、3度うなずくと、シルクハットを乱暴に脱ぎ捨てながら、さっさとその場を出て行ってしまう。舞台のオモテとウラが窺われます。

社長のシンプソンも初トーキーの撮影を見に訪れていた。シンプソンは「すばらしい出来じゃないか!」と驚嘆する。そしてデクスターに「あの子は特にいいね。次の映画では、準主役に抜擢してみたらどうかね」と言い、キャシーを指さす。

デクスターは女性ダンサーたちと出て行こうとするキャシーを呼び止める。「着替えたらすぐにまたここに来るんだ。社長が直に君の実力を見てみたい、とおっしゃっている。」 それを聞きつけたゼルダ(Juliet Gough)と数名の女性ダンサーたちが、なんですって!?と嫉妬心をむき出しにした表情を浮かべる。

やがてコズモがピアノを伴奏するために呼ばれる。キャシーも戻ってくる。キャシーは薄い水色に白い小花模様か水玉模様が入ったワンピース姿。確か頭を同じ布でできたスカーフみたいなので、カチューシャ風に縛っていたと思う。デクスターはキャシーに、シンプソンの前で歌ってみせるように言う。

キャシーはコズモに、"You Are My Lucky Star"を弾いてくれるよう頼む。コズモがピアノで"You Are My Lucky Star"を弾き始める。ピアノのソロに合わせて、キャシーが歌い始める。Josefina Gabrielleがこの作品で一人だけで歌うのは、実はこの曲が初めて。

「あなたのことを考えると、空の星がいっそう明るく輝くのが見えるの。あなたのことを考えると、夜空にあなたの顔が浮かんでくるような思いがする。私はあなたのことを好きなのかしら?つまりはそういうことなのかしら?星が輝いているわ。私の目の前で。あなたが私の幸せの星なのね。・・・・・・」

Josefina Gabrielleは清々しい感じのハスキー・ヴォイスで、歌声はやはりまっすぐでクセがなくきれい。ここでは踊りはなし。キャシーは舞台の中央に立ちつくして静かに歌う。最初はピアノだけだが、途中からオーケストラの伴奏が入る。ピアノだけの伴奏のときは、周りが静かなぶん、歌声だけが大きく響いて印象的だった。でもオーケストラが入るタイミングも絶妙で、曲がとても盛り上がる。

キャシーが全曲を歌う"You Are My Lucky Star"は、映画でもラスト・シーン用に収録されたが、編集時にカットされてしまったそうだ。映像自体は残っていて、DVD(ワーナー・ホーム・ビデオ、DL-65621)の特典で観ることができる。

キャシーが歌っている途中で、ドンが現れる。ドンはピアノを弾くコズモに嬉しそうに笑って目くばせし、彼に気づかず歌い続けるキャシーを見つめる。ここは映画と展開が違うけど、最初はキャシーがドンに向かって(彼に気づいていないとはいえ)"You are my lucky star."と歌い、ラストではドンがキャシーに向かって同じ歌詞を歌う。この方がバランスがいい。

このときのクーパー君の衣装もステキだった。今度は白いシャツの襟を少し立てて、その内側に赤いアスコット・タイを結び、上には生成りの白のベスト、グレーのズボンを穿いている。このベストもシンプルだがしゃれたデザインで、襟はV字型でボタンはなく、丈は短め、裾が紺色の線で縁取られている。

この公演では、登場人物の普段着の衣装がみんなおしゃれで、特に紳士服の組み合わせや着こなしは、いずれもさりげなく粋で洗練されたものであった。さすが紳士服では世界に冠たるイギリスである。ただしクーパー君に関しては、本人がここまで服装のセンスがいいとは思えないので(センスが悪いとは言わないが、同じ服やボロついた服を平気で人前で着たりする)、100%以上の確率で衣装の人がコーディネイトしたと思われる。

キャシーが歌い終わる。社長のシンプソンは彼女を大絶賛、即座に契約を申し出る。キャシーは感激して、「ありがとうございます、シンプソンさん!」と礼を言う。そこへドンが「ブラヴォー!!!」とノーテンキに拍手しながら近づく。(←調子のいいヤツ)

それを目にしたとたん、キャシーはシンプソンの方に向き直り、「だけど、お受けできません」と早口で断る。驚くシンプソンに、キャシーは「ケーキ事件」の犯人は自分だと打ち明け、リナは自分を決して許さないだろうと告げる。

だがドンは「ぜーんぜん問題なんかありません、むしろすばらしいことですよ!」とシンプソンを説得する。シンプソンはリナの機嫌を損ねるだろうことにかなりビクついている様子。しかしドンが「リナのことなんか気にする必要はありませんよ!社長はあなたじゃないですか!」と励ますと、プライドを刺激されたシンプソン、「それもそうだな!」と一転して強気な態度になる。ドン、お見事な操縦術です。

社長の威厳を取り戻したシンプソンとデクスターが慌しく去った後、コズモは戸惑うキャシーに「ドンはずっと君のことを心配して、ずっと探していたんだよ」と明るく話しかける。ドンが照れながら「君が見つかってよかった」と言うと、コズモはすかさずその背後から付け加える。「これでもうありとあらゆるケーキの中を探し回らなくて済むよ!」

キャシーがクビになる原因を作った、ドンのキャシーに対するイジワルを思い出させるナイス・フォローに、ドンは「ありがとう、コズモ」とまたも皮肉な口調で礼を言う。ドンとキャシーの間に、徐々に甘い雰囲気がたちこめる。

それに気づいたコズモは、ごまかし笑いを浮かべながら後ずさり、「タクシー!」と手を上げて走り去る。この「タクシー!」シーンは2度あって、確か1回目はここでだったと思うが、自信はない。間違ってたらごめん。ドンはキャシーを昼食に誘い、ふたりもスタジオを後にする。

舞台は変わって、ドンとキャシーは、モニュメンタル・ピクチャーズの大スタジオにやって来る。あのスチール製の橋が天井の半ばまで下ろされている。その橋の上を歩きながら、キャシーは言う。「リナが知ったら、きっと怒るわ。あなたとリナは愛し合っているんでしょう?映画雑誌で読んだわ。」

ドンは面白そうに答える。「映画雑誌?君は映画雑誌を読むんだね?」 キャシーはあわてて弁解する。「!パラパラとめくるだけよ。美容院で。月に5、6度。みんなやっていることでしょ?」 観客が笑う。やってませんよ(笑)。月に5、6度も美容院には行きません。我ながら無茶な言い訳だと思ったのか、キャシーはドンの映画をほとんど観たことを照れながら告白する。

ドンもキャシーに「キャシー、僕は・・・」と何かを言いかけるが、なぜか言葉につまってしまう。ドンはキャシーから目をそらし、ぎこちない口調で言う。「君の言ったことは本当だよ。僕は大根役者(ham)で、舞台装置がないと本当に言いたいことも言えないんだ。」 キャシーは訝しげに尋ねる。「どういうこと?」

ドンが橋の手すりに付いているレバーを下げる。すると橋がゆっくりと降下しだした。着地したときの衝撃でふたりがグラつくんじゃないかと思ったが、橋は床すれすれに見事にぴったりと着いた。もちろんふたりとも大丈夫だった。

橋の手すりの一部は、ドアのように開閉できるようになっていた。ドンは手すりを開けてキャシーに出るよう促し、自分はひらりと手すりを乗り越える。だから、クーパー君のこの乗り越える仕草が、実に優雅でしなやかで見とれてしまうのだ。なんでこの程度の仕草で感動しなければならんのだ、と我ながら呆れるんだけど。

橋が再びゆっくりと天井に上がっていく。それから映画と同じく、ドンが「美しい夕日!」とか言いながら、次々と舞台装置をセッティングしていく。装置は映画よりも一回りどころか五回りくらいは小さめな装置で、特にドンが「50万キロワット(だっけ?)の星屑!」と言って点灯したライトは、どう贔屓目に見ても50万キロワットは確実になかった。映画に出てくるライトの5、6個分くらいだと思う。

観客の間から軽い笑いが漏れ、その多くは「暖かく反応してあげよう」的な好意的な笑いだったが、中には失笑を隠さない人もいた。私は、控えめなライトを無理に50万キロワット扱いにしなくても、たとえばショボさを最初からバレバレにしといて、その上でワザと「50万キロワット!」と冗談にしてしまえばよかったのに、と思った。

この公演に対する批判の大元を探れば、つまるところは舞台装置が映画のように豪華でないことに行き着くだろう。今までの数少ない舞台版は、映画をいかに忠実に再現するかに専ら意を注いだらしい。映画とそっくりな演出、そっくりな踊り、そっくりな衣装、そっくりな雰囲気、そしてそっくりな舞台装置。だったら最初から舞台化する必要などないのに。

今回の公演は、多くのシーンで映画のイメージをあえて白紙に戻していたんだけど、この「50万キロワット!」みたいに、半端な形で映画をそのまま再現しようとしたシーンもあった。そうなると、とたんに映画のイメージが呼び覚まされて、どうしても違和感が生じてしまう。

それはさておき。キャシーは脚立に足をかけて立ち、ドンを見下ろしている。静かな前奏曲が流れる中、キャシーはドンに言う。「舞台装置は揃ったわ。話してくれる?」 ドンは「やってみるよ」と答え、"You Were Meant For Me"を歌い始める。

クーパー君のソロはこれで2曲目。この作品では、ドンが本当に歌いっぱなしである。彼はこの作品でいったい何曲歌ったのか。ソロはもちろん大変だけど、デュエットだってハモらなくちゃいけないから、本当にヘタだったらできないよ。まして、ラスト・シーンではアカペラもある。

"You Stepped Out Of A Dream"もいい曲だったけど、"You Were Meant For Me"もとても聴き心地のよい曲である。クーパー君はここでもまっすぐに歌っていた。歌声はもちろん、歌詞の発音が実に美しい。基本は直球、変化球はこれから学べばいいのである。でも、彼の声音は魅力的で、この直球的で素朴な歌い方こそが彼の声音によく合っているのだ。

ドンはキャシーの手を取って脚立から下りさせる。"You Were Meant For Me"のダンス部分に入る。ここの音楽はなんだか暖かくて懐かしい感じがする。ドンとキャシーは手をつないだまま、ゆっくりした音楽に合わせて軽くステップを踏み始める。

途中で音楽が高まりをみせる。ここでふたりの動きはやや大きなものとなる。ドンとキャシーは、脚立の両側に同時にジャンプするように駆け上り、お互いに見つめあったまま、片脚を大きく高く上げて反転させながら降りる。この動きは一瞬だけどとても美しかった。この"You Were Meant For Me"中の白眉。

最後はドンがキャシーの腰をつかんで頭上に持ち上げ、それからいきなり彼女の体を落とし、その腰を片手でつかんでぐるぐる回る。キャシーは手と両脚とを美しく伸ばした姿勢。ふたりの描く流れるような線が、華やかな音楽に合っている。

私はこの時点に至っても、Josefina Gabrielleのバックグラウンドについて、ぜんぜん気がつきませんでした。彼女の動きはあまりにも自然すぎたのです。世の中には、二物どころか三物も四物も当たり前のように持っているパフォーマーがいるのだった。ただそれをひけらかさないだけで。

ドンとキャシーは舞台の反対側に移動する。クーパー君は再び同じようにGabrielleの腰をつかんで頭上高く持ち上げる。が、今度は彼女の腰をつかんだまま、ゆっくりと下ろして前を向かせる。「・・・そして僕は幸福をかみしめる。天使が君を遣わしてくれたのに違いない。君は僕のためにこそ来てくれたんだね。」

短いアップテンポの間奏曲。確か"You Stepped Out Of A Dream"をアレンジしたものだったような・・・。間奏曲が終わると、舞台が明るくなる。舞台の奥一面はドアが2つか3つある白い壁で、ドアとドアとの間には、当時または往年の名女優風の、古い白黒の写真がたくさん飾られている。

舞台奥の両脇に、ちょうど左右対称の形で、それぞれ大きな立派なデスクと、その横に椅子とが置かれている。舞台向かって右側の机には、丸メガネをかけた女性の発音教師(Jeanette Ranger)がおり、机の横の椅子にはリナが腰かけている。対する左側の机には、やはり丸メガネをかけた男性の発音教師(Greg Pichery)がおり、こちらの机の横の椅子にはドンが座っている。

まずリナが座っている側が明るくなる。Jeanette Ranger扮する発音教師が椅子から立ち上がる。「ではラモントさん、私の後に発音して下さい。ア〜、エ〜、イ〜、ウ〜。」 基本母音の練習である。リナは顔を突き出し、キンキンのガラガラのデカ声で一本調子に切れ目なく復誦する。「アーエーイーウー!!!

発音教師が注意する。「ラモントさん、柔らかな調子、柔らかな調子で!・・・では、タァ〜、テェ〜、ティ〜、トォ〜、トゥ〜。」 子音"t"の練習。リナはまた顔を突き出し、やっぱりキンキンのガラガラのデカ声で一本調子に切れ目なく復誦する。「ターテーティートートゥー!!!

発音教師は疲れ果てた表情で、机にガタッと手をつき首を振る。そこへ監督のデクスターが入ってくる。「やあ、リナ、調子はどうだい?」 リナは大声でデクスターに訴える。「アタシ、こんなのイヤ〜〜〜〜〜!!!」 デクスターは彼女をなだめる。「ディンズモア先生は優秀な発音教師だ。ニューヨークからわざわざ我々を手助けに来て下さったんだよ。」

リナとデクスターが話している間、当の発音教師ディンズモア先生は、両のポケットをなにやら必死に探っている。やがてその手に握られていたのは小さな酒瓶。彼女はリナとデクスターに背を向け、酒をぐいっと一気飲みする。観客はその姿に爆笑。

やがて教師は口元をぬぐいながら、なんとか気を取り直した(?)様子で、再びリナに言う。「・・・では、あなたのセリフを聞かせて下さいな。『アイ・カーント・スタンド・ヒム!(I can't stand him!)』」 リナは色気もへったくれもない大声で怒鳴る。「アイキィェーントステンディム!!!

発音教師の顔が引きつる。教師はリナをじっと見据え(睨みつけ)、強い口調で再び言う。「カーント(can't)。」 リナ「キィェーント!!!」 教師は連呼する。「カント、カント、カーント!」 リナ「キィェント、キィェント、キィェェーント!!!」 ついに教師はブチ切れて絶叫する。「カアアアーーーーーーント!!!」 リナも絶叫する。「キィエエエーーーーーーント!!!」 デクスターが「オーマイガッ!」と頭を両手で抱えながら出ていく。

「リナは悪声」という設定である。確かにあのキンキンでガラガラな大声は「悪声」なんだろうけど、それだけじゃなくて、標準的な英語を明瞭に正しく発音できない、という設定でもあるらしい(更に、美しい顔に似合わない汚い言葉をヘーキで使う)。

ところで、この「アイキィェーントステンディム!!!」は、具体的にどういう理由でおかしいのだろうか?たとえば、バカっぽい話し方だとか、訛りがあるとか?分かる方はご教示下さい。こういう英語の言語系ギャグは、私にはよく分からないのです。

ついでに。現米大統領ジョージ・ブッシュの話し方は、アメリカ人に言わせると「かなりバカそう」という印象を与えると聞いた。でも具体的にどういう点がバカそうなのか、これも分かる方はご教示下さいませ。

ちなみに、現日本国首相の小泉純一郎の話し方(というより言葉そのもの)を聞くと、私は「実は何にも考えてなさそう」という印象を抱く。なんでかというと、一見すると断言的な物言いをするけれど、言葉自体の意味は曖昧だからである。

次にドンが座っている側が明るくなる。ここでのクーパー君は、"Make 'Em Laugh"での衣装と同じだったような気がする。ドンが繰り返す。「カント。カーント。」 こっちは順調に進んでいるようだ。Greg Pichery扮する人の良さそうな発音教師は、「よろしい!・・・それでは」と言い、本をパラパラとめくる。"Around the rocks the rugged rascal ran!" これは子音"r"の発音練習用センテンスらしい。

ドンが"Around the rocks……"と復唱しかけたところで、発音教師がさえぎる。教師は「違います、違います、"Arround the rrocks the rrugged rrascal rran!"」と"r"を強調して言い直す。この"r"は、「巻き舌」とか「のどびこの"r"」とか呼ばれている、スペイン語、ロシア語、ドイツ語、フランス語などにある"r"音(フランス語の"r"音は前の3言語の"r"音とは違う音だが)。

教師がドンに注意したのは、舌を口蓋につけないだけの普通の"r"を、「のどびこの"r"」にせよ、ということである。映画を観て、なんでかなー、と不思議だったのだが、イギリスの上流階級御用達英語、バリバリのクイーンズ・イングリッシュでは、現代でも"r"を「のどびこの"r"」で発音するらしい。それはロシア語ほど強くはないにしても、ドイツ語の音にかなり近いそうである。

また以前に「英語の歴史」というBBC製作のドキュメンタリー番組で観たんだけど、シェイクスピアの戯曲を当時(16-17世紀)の英語の発音で上演しているシーンがあって、登場人物のセリフ中の"r"もやはり「のどびこの"r"」であった。

日本語には「のどびこの"r"」はもちろんないし、ふつうの"r"もない。日本人は"r"と"l"の区別ができないといってよく笑いものにされるが、仕方がないのである。だって日本語には本来存在しない音なんだもん。

「のどびこの"r"」に至っては、日本人の半分が発音不可能だという説がある。私もできない。一方、母語に関わりなく、練習すればみなできるという説もある。でも「のどびこの"r"」は喉に負担がかかるので、この子音を元来持たない日本人は、ゆっくりちびちびと練習していった方がいいそうである。

えーっと、なんだっけ。そうそう、ドンは立ち上がって本を手に持ち、再び復唱してみせる。"Arrrround the rrrrocks the rrrrugged rrrrascal rrrran!" 教師以上に「のどびこの"r"」を持続させたユーモラスな発音に、観客は大笑い。すごーい、クーパー君、さすがイギリス人だわ〜。

コズモが部屋に入ってくる。コズモに気づいた教師は、「続けてよろしいのですかな?」とドンに尋ねる。映画ではコズモ自らが「僕のことは気にしないで下さい。(Don't mind me.)」と言うが、この公演ではドンが「コイツのことは気にしないで下さい。(Don't mind him.)」と勝手に言う。

教師は次のセンテンスを読み上げる。"Sinful Caesar sipped his snifter, seized his knees and sneezed." これは"s"の練習用らしい。ドンは"Sinful Caesar sipped his snifter,…"と復誦するが、またも教師のダメ出しが入る(ナゼに?)。コズモが "Sipped his snifter!"とすかさず教師のマネをする。教師は思わず手を叩いて、「すばらしい!」とほめる。いったいどっちを訓練しているんだ。

コズモが教師をおだてる。「他には?」 教師はお調子者らしい。「いいのがあるんですよ!」と言い、長めのセンテンスを読み上げる。"Chester chooses chestnuts, cheddar cheese with chewy chives. He chews them and he chooses them. He chooses them and he chews them those chestnuts, cheddar cheese and chives in cheery, charming chunks!" 子音"ch"の練習用だが、もはや「となりの客はよく柿食う客だ」とか「バスのガス爆発」とか「寿限無」の世界である。

ドンとコズモは「ワンダフル!」、「マーベラス!」と大げさに叫んで拍手する。すっかり得意になった教師は、嬉しそうな顔で「ではもう一つ」と言いながらページをめくる。アンタ教えてる立場でしょーが。

"Moses supposes his toeses are roses but Moses supposes erroneously. Moses, he knows his toeses aren't roses as Moses supposes his toeses to be." これは"…ses"の練習用か、それとも単なる語呂合わせのセンテンスか。

ドンは再び本を手に取り、大げさな身振り付きで復誦してみせる。"Moses supposes his toeses are rrrroses but Moses supposes errrrrrrrrrrrrroneously!" いつまで続くのかと思うほど長い「のどびこ"r"」の"errrrrrrrrrrrrroneously!"に観客は爆笑、拍手が起きる。

コズモがその後を引き取る。"But Moses, he knows his toeses aren't roses as Moses supposes his toeses to be!" ドンとコズモは交互に"A mose is a mose!"、"A rose is a rose!"、"A toes is a toes!"と指を弾きながらリズミカルに言い、発音教師の周りをぐるぐる回る。

いきなり"Moses supposes"が始まる。ドンとコズモは発音教師の両脇をつかんだまま、タップを踏んで踊りながら、右に左に教師を引っ張り回す。クーパー君が履いていた、白地にキャメル色のあのサドル・シューズは、タップ・シューズであった。クーパー君、よく響く声で元気に歌っていた。Coulthardの歌声に負けておらず、また美しくハモっていた。

ドンとコズモは教師をからかい、なぜか教師のフトモモをつかんで持ち上げる。教師役のGreg Picheryは、いや〜ん、という顔で悶える。なんなんですかこれは。最初にコズモ、次にドンが教師の横でタップのソロを踊ったあと、ドンとコズモは「さて、あなたは?」と教師の顔を促すように見つめる。教師はしばらくためらった後(Greg Picheryはもちろんバリバリのタップ・ダンサーです)、ぎこちなくタップを踏んで踊る。ドンとコズモが拍手。

それからドンとコズモが舞台の中央で並んで踊る。映画での"Moses supposes"は、見る人が見れば、ジーン・ケリーとドナルド・オコナーがお互いに強く意識しあっているのが分かるそうだ。そして、タイプの違うケリーとオコナーが良い形で影響しあって、すばらしいシーンに仕上がったという。この公演の"Moses supposes"もそうだったと思う。

この公演での"Moses supposes"の踊りは、うまい表現が見つからないのだが、タップ・ダンスの中にバレエが自然に融けこんだ振付であった。はっきり分類するとしたらタップ・ダンスだろうけど、うわっ、よくやるわ、という動きがさりげなく随処にあった。

コズモ役のSimon Coulthard は、前の"Make 'Em Laugh"で、これでもかといわんばかりの激しいアクションとすばらしい歌唱力とを見せつけた。今回も、大きくジャンプしてそのまま床に座りこむようにしてスプリット、とか、ダイナミックな技を見せてくれた。

アクロバット的な動きがCoulthardの長所だとすれば、クーパー君の長所は、自分独特のしなやかな動きを崩すことなく(もう身体に染みついてしまっているんだろう)、アップテンポの曲であっても、決してスピード任せの踊りには走らないことである。

左脚を上げて膝のところで曲げ、右足を半つま先立ちにしてその場でグルグル回った後、上げた方の脚を着地させずに伸ばし、前から後ろへと大きく引いて、そのままの姿勢でバランス。Coulthardはグラつきながら必死に我慢している。しかしクーパー君はガッチリとして微動だにしない。Coulthardには申し訳ないが、ここではついニンマリしてしまった。

あとは、果たして"Moses supposes"での振りだったかどうかはうろ覚えだが、クーパー君はかなりすごい技をやっていた。全部で何回まわったのか分からん長時間ピルエットとか、「ムハメドフ跳び」(私が勝手につけた名前)とかもやった。その場でジャンプした瞬間に、両脚の膝から下だけを一瞬ぴっ、と開いて閉じるやつ。まるで膝から下が前に反り返っているようにみえるジャンプね。あらまー、やればできるんじゃん。

これらはバレエの技であり、こんなのイヤミだ、とかSimon Coulthardに不公平じゃないか、とか思うかもしれないけど、でもこれでバランスがとれているのである。 Coulthardが華やかなアクロバットと力強い歌唱力を披露すると、クーパー君は同じ点で無理に張り合うことなく、優雅な身のこなしで踊ることと堅実に歌うこととに徹し、しかしさりげない形で彼にしかできない技を織り込む。

こうやって、キャスト同士が自分の長所を出し、またお互いにないものを補い合い、時に相手の長所を取り入れながら、ショウの全体を構成している。だれか一人の「○○○・オン・ステージ」にはなっていない。

これが、マシュー・ボーン版「白鳥の湖」でのクーパー君と、"Soldier's Tale"、"Singin' in the Rain"でのクーパー君との決定的な違いである。私はこれは非常に好ましい変化だと思うのだが、いまだにクーパーひとりが舞台を支配したかどうか、という観点からしか彼を評価しようとしない批評家が多いのは残念である。

"Moses supposes"の振付に戻る。ダンス部分の最初の方で、ドンとコズモが並んでカニ歩きをしながら首をペルシャ風に左右に振る動きは、音楽には確かに合っていたけど、個人的には"On Your Toes"の"There's A Small Hotel"の「一瞬チャールストン」みたいで照れくさかった。

最後は、発音の教科書を左手に抱えた教師の体に、コズモが緑色の長い布を古代ギリシャか古代ローマのローブ風に巻きつける。そしてドンが教師の右手に・・・あれは何だっけ・・・筒状の花瓶だったかペン立てだったかを持たせて、その腕を高く上げさせ、最後に植木鉢の金色の受け皿を教師の頭に乗っける。そう、発音教師を最初はモーゼに見立て、更に最後では自由の女神にしてしまう、という次第。

自由の女神になった発音教師を真ん中に挟んで、ドンとコズモが跪いて両手を広げながら、"A〜〜〜〜〜!"とハモって終わる。楽しい曲と踊りに客席から大きな拍手喝采が飛ぶ。

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