Club Pelican

THEATRE

「オン・ユア・トウズ」
(“On Your Toes”, Music by Richard Rodgers , Lyrics by Lorenz Hart ,
Book by Rodgers & Hart and George Abbott)


注:このあらすじは、“On Your Toes”1954年録音版(MCA Records, MCAD-11575)1983年プロダクション録音版(JAY Records, CDJAY-1361)、そして“ON YOUR TOES VOCAL SCORE”(83年プロダクションに準拠、CHAPPELL & CO.INC. 1985)、そしてシュツットガルト・バレエ団1994年日本公演「オン・ユア・トーズ」のプログラム( F-Tさんにご提供頂きました。感謝!!) とによって再構成したものである。曲名後の英数字、たとえば「“OVERTURE”,VS-1/54-1/83-1」の「VS-1/54-1/83-1」は、VOCAL SCOREの1曲目、54年版の1曲目、また83年版の1曲目に収録されていることを指す。ただし、実際の上演に際しては、Rodgers & Hartのオリジナル・スコアに多少の変更、削除、省略、付加、補充などが加えられている可能性があり、また録音版やヴォーカル・スコアには、キュー(歌の出だしや合間の短いセリフ)以外には、ストーリーの進行を受け持つセリフの大部分は収録されていない。よってここに紹介するのはあくまで基本的なストーリーであり、また部分によっては、83年上演版とシュツットガルト・バレエ94年公演版とがごった煮状態になってしまっているだろうことをお断りしておく。


第1幕

序曲(“OVERTURE”,VS-1/54-1/83-1)。

〔第1場〕 時は1920年代のアメリカ。ドーラン(Dolan)一家はドサ回りの旅芸人である。一座の花形役者は、フィル・ドーラン2世(Phil Dolan)とその妻のリル・ドーラン(Lil Dolan)、そして彼らの15歳になる息子のフィル・ドーラン3世、通称ジュニア(Phil Dolan“Junior”)である。一家はいわゆる“ヴォードヴィル”(大衆演劇)芸人として、各地を転々としながら、日に何度もの興行をこなしていく生活を続けている。今日はココモでの興行である。父のフィルと母のリル、そしてジュニアが“TWO A DAY FOR KEITH”(VS-2,2A/54-2/83-2)を歌う。

フィル「おれがリルと結婚したときは、キースで興行していた。」 リル「そして1年後にはジュニアをみごもった。」 フィル「貧乏で産科に行くカネもなかった。」 ジュニア「それで僕は芝居小屋の中で生まれた!」 フィル、リル、ジュニア「キースでは1日2公演、ロウでは1日3公演、パンタジェスでは1日4公演、ついでにディナー・ショーも!でも、我々がどこへ行こうとも、お客さまは神さまです!」

フィル「おれの親父、フィル・ドーラン1世はすばらしかった!」 リル「あんた、フィル・ドーラン2世もわるくはないわ。」 ジュニア「踊りバカとしては、僕、フィル・ドーラン3世は失敗作だな。」 フィル、リル、ジュニア「キースでは1日2公演、ロウでは1日3公演、ファリー・マーカスでは1日5公演、5割増しの報酬にありつくために。ココモのみなさん、みなさんのご愛顧は忘れません!」

〔第2場〕 ショーが終わった後、ジュニアが女の子とデートの約束をしていたことから悶着が起きる。父のフィルは、ジュニアが芸人として“格下”の娘を相手にしたことが気に入らず、ジュニアにフィル・ドーラン3世としての誇りを持ち、一人前の芸人となって一座を継ぐよう説教する。しかし、母のリルは根無し草のような芸人生活から足を洗い、大学の音楽教授のような、きちんとした職業に就いてほしいと夢を語る。息子のジュニアもドサ回りを続ける今の生活に不満を抱いていて、もっと文化的で芸術的な世界に踏み出したいと願っている。そしてジュニアは父の罵声を背に受けながらも、とうとう一座と袂を分かって去る。

〔第3場〕 それから16年後。成人したジュニアは音楽教師となり、ある職業訓練大学校の公開講座でクラシック音楽を教えている。ジュニアはビシッとしたスーツに身を包み、ポマードでかっちりと髪をなでつけ、メガネをかけて、いかにも典型的なインテリ教師といった風である。彼は自分が昔、ドサ回りのドーラン一座で、花形役者として踊っていたという過去を恥じ、それをひた隠しにしている。学生たちのほとんどは、クラシック音楽についてあんまし知識のない人々で、ジュニアのオヤジが「しみったれた音楽のセンセーさま!!」と悪態をついたとおり、ジュニアが学生たちに教えている内容はちょっと情けない。この授業でのジュニアと学生たちとの珍問答が、“QUESTIONS AND ANSWERS”または“THE THREE B's”(VS-4,4A/54-3/83-3)である。

ジュニア「打楽器をよく用いたロシアの作曲家の名前を挙げて下さい。」 学生「チャイコフスキー、モスコフスキー、ムソルグスキー、ストラヴィンスキー!」 ジュニア「ショスタコーヴィチは何を作曲しましたか?」 学生「『ミンスクのマクベス夫人』!」 ジュニア「プッチーニの代表作は?」 学生「『かわいそうなチョウチョさん』!」 ジュニア「サイテーな答え新記録だな!」 ジュニア「音楽界の三大Bといえば?」 学生「バッハ、ベートーヴェン、ブラームス!・・・『オルフェオ』の最も優れている点は、私たちをすぐに眠りの神モルペウスの許に誘ってくれることです!」 ジュニア「バッハ、ベートーヴェン、ブラームスのうち2人は交響曲を、残りの一人は聖歌を作曲しました。」 学生たちはジュニアの後について復誦しながらこっそり言う。「ここで彼らをホメておかなくちゃ。口笛で『ラ・パロマ』でも吹いてるのがバレた日にゃ、卒業証書がもらえないもんね!」

クラスが終わった後、男子学生のシドニー・コーン(Sidney Cohn)は、自分が作った“SLAUGHTER ON TENTH AVENUE”(「10番街の殺人」)という奇妙な名前の曲をジュニアに持ってくる。それはジャズ風のバレエ音楽で、ジュニアはそれを非常に気に入り、実際にどこかのバレエ団に上演させることはできないかと考える。ジュニアはコーンに、もっと手直しをして作品として完璧なものにするよう指示する。学生たちがいなくなった教室で、ジュニアはひとり“SLAUGHTER ON TENTH AVENUE”に合わせてタップで踊ってみる。彼は自分の過去を恥じつつも、依然としてダンスとはきっぱりと縁を切れないでいたのである。

そこに女子学生のフランキー・フライン(Frankie Frayne)が突然入ってきて、ジュニアは踊っているところを見られてしまう。ジュニアは自分の“恥ずべき過去”を知られてしまったと真っ青になるが、フランキーはジュニアのダンスに驚嘆する。フランキーは、ジュニアが“SLAUGHTER ON TENTH AVENUE”を上演したい、という望みを持っていることを知り、助け船を出す。フランキーの叔父の友人が、折しもアメリカ公演中のロシア・バレエ団のパトロンであるペギー・ポーターフィールド(Peggy Porterfield)と知り合いだったのだ。

ジュニアとフランキーはいい雰囲気となり、彼女はジュニアへの恋心を歌った自作の曲を彼に見せる。これが“IT'S GOT TO BE LOVE”(VS-6,6A,6B/54-4/83-4)である。フランキーがまず歌う。

「あなたの瞳が好き。でも色なんて関係ないの。アクアマリン?それともエメラルド・グリーン?あなたの髪の色は絶対にくすんだりしないでしょうけど、でも万が一そうなっても、私にはあなたの髪が金色に光り輝いて見える。私はこんなにも夢中になってしまったの。これは恋なんだわ。扁桃炎であるはずがないわ。まるでノイローゼ。でもやっぱりこれは恋なのね。レストランで出されたピクルスやパイ・アラモードが腐っていて、私の元気を失わせたとか、私の心臓を壊れたポンプ状態にしたなんて言わないで。これは恋なのよ。二日酔いのせいで、水面をぐるぐる回っている薪みたいになっているんじゃないのよ。これはきっと運命の恋なのね。そうでないなら、なぜ私はこんな沈んだ気分になっているの?まるで死んでしまったみたい。でも、やっぱりこれは恋に違いないんだわ。」

それを読んだジュニアも、フランキーへの恋心が芽生えはじめ(←ちょっと待てよコラ)、フランキーの後に歌う。

「恋なんだろうな。扁平足のせいか、もしくは糊の付けすぎで、体が動かなくなってしまったのか。いや、やっぱり、これは恋なんだろう。床屋の明かりで僕が日射病になったなんて言わないでくれ。たったの一撃で、君は僕を昨日の残飯を食べたように具合悪くさせてしまったよ。これは恋なんだろうな。消化不良のはずはない。問答無用で、僕はハトのように(チャウ注:今年の春には白鳥だったのに)せわしく羽ばたいている。恋の病は風邪より悪くはないと人は言うけれど、でも、ああ、この熱ときたら!僕は粉々になるまで燃え尽きてしまうよ。でも、やっぱり、これは恋なのに違いない。」

こうして、フランキーの叔父やペギーらの仲介によって、ジュニアはロシア・バレエ団の監督であるセルゲイ・アレクサンドロヴィチ(Sergei Alexandrovich)、そしてバレエ団のプリマ・バレリーナであるヴェラ・バロノヴァ(Vera Baronova)に引き合わされることになる。

〔第4場〕 ヴェラがホテルの寝室にいる。ヴェラは気まぐれでワガママな女性、同じバレエ団のスター・プリンシパルであるコンスタンティン・モロシン(Konstantine Morrosine、F-Tさん、Yukiさん、読み方さんきゅ!!)とは恋人同士である。だがモロシンは浮気性な男で、最近も他の女に手を出したため、ヴェラは部屋の中でひとり怒り狂っていた。そこへ、ペギー、セルゲイ、モロシン、そしてジュニアが、“SLAUGHTER ON TENTH AVENUE”上演の話し合いのため、ヴェラの部屋を訪れる。

ロシアの伝統あるクラシック・バレエを重んじるセルゲイは、ジャズ・バレエである“SLAUGHTER ON TENTH AVENUE”の上演を、なかなか承諾しようとしない。ここでペギーとセルゲイが“TOO GOOD FOR THE AVERAGE MAN”(VS-7/54-5/83-5)を歌う。この曲は特に意味がとても分かりにくいが、おそらくは、時代がいくら変わっても、金持ちはいつまでも金持ち、貧乏人はいつまでも貧乏人、と当時の世相を諷刺している(たぶん)歌詞である。それにことよせて、セルゲイが人間は己の分をわきまえるべきだ(正統的なクラシック・バレエから外れるような真似はしたくない)、と主張するのに対して、ペギーは今の時代では分を越えたことをしてもよい(クラシック・バレエのダンサーがジャズを踊ったっていいじゃない)、と言い返しているようである。

セルゲイ「ロシアが王制だったころ、それは王侯貴族にとっては輝かしく、民衆にとっては暗黒だった。不幸なやつらよ!すべての富は少数の人々の手中にあった。」 ペギー「イングランドがチューダー王朝だったころ、王と貴族たちは優雅にカクテルのグラスを傾けていた。たぶん『トニーズ・バー』とかでね(チャウ注:もちろんこれはふざけて言っている)。でも貧乏人たちはクズ肉のソーセージにありつくのが精一杯、イングランドはこんなふうにして成り立っていったのだ。」 二人「貧乏な人々のために歌おう、『おお!万歳!』と!貧乏な人々が我らの家族であるかぎり。」

セルゲイ「よりよきものはよりよき人のためにある、こうして社会は始まった。農民のためのキャビアなんて絵空事、しょせん庶民には高嶺の花だ。」 ペギー「サパー・クラブは上流階級の人々のためにあって、それはオイル・サーディンの缶詰のように密閉されていた。煙草や料理の煙が立ちこめる中で、勘定を払ったり煙にむせたりするなんて、庶民にはありえないことだ。」 セルゲイ「貧乏な男には一生連れ添うべき妻が一人だけ。でも金持ちは違う。浮気の現場を押さえられるなんて、ふつうの男どもにとってはあり得るべくもない。」 ペギー「貴族のように夜どおし飲み明かすパーティーは、我が国の社会計画に最適だ。起きたらそこはアルコール病棟だったなんて、ふつうの人間にとっては願ってもないこと。」

セルゲイ「金持ちの年寄りはバラのように肌もつやつや。整形外科医が若返りプランを立ててくれるのだから。逆に悲惨な出来になったとしても、ふつうのご面相にとっては端から望むべくもないことだ。」 ペギー「極上の食べ物は高尚な趣味のためにある。粗末な食べ物は貧乏な人間のためにある。腰回りにたくさん余分な脂肪がつくなんて、ふつうの缶にとってはぜいたくなこと。貧乏な妻にはつきものの、たくさんの子どもたちはすばらしいけど、上流階級のお嬢さんたちは男の選り好みができる。産児制限とその運用は、子どもを大量生産する女にはありがたいこと。」 セルゲイ「精神分析医はみんな狂っているが、金持ちどもはそれにありったけの金をつぎこむ。自分がオカマだと自覚するなんて、庶民にはもとより縁のないことだ。」

ペギーとセルゲイは、ジュニアとヴェラに“SLAUGHTER ON TENTH AVENUE”の上演についての話し合いを任せる。ヴェラはモロシンにあてつけるため、ジュニアと二人きりになった機会を利用して、ジュニアを誘惑しようとする。彼女はジュニアに、自分と一緒に実際にバレエの舞台に立ってみないかと誘いかけ、バレエに関するジュニアの質問に、「バレエではこうするんですのよ」とジュニアを相手にバレエの「実技」で答え、ついには彼と一緒にベッドに倒れ込む。(“Underscore(Zenobia)”,VS-8

〔第5場〕 ヴェラの後押しで、ジュニアはロシア・バレエ団公演「王女ゼノビア」の第2週目に、コール・ドの奴隷役の一人として出演させてもらえることになる。ジュニアはバレエの技術を習うため、ロシア・バレエ団の臨時団員として雇われる。しかし、ジュニアはバレエ技術を習得すること以上に、美しく魅力的なヴェラに近づけることが嬉しくてたまらない。

すっかり有頂天になったジュニアは、習ったばかりのステップを、シドニーとフランキー相手に嬉々として披露する。ジュニアの心がロシア・バレエ団と、そしてヴェラに向いていることに不安になったフランキーは、ジュニアとふたりきりになったあと、二人どこかで一緒にいたいと願い、“THERE'S A SMALL HOTEL”(VS-10/54-6/83-6)を歌う。

フランキー「いい方法があるわ、ジュニア、あなたと二人きりでいられるの。ああ、それならさぞ楽しいでしょうね、ジュニア!笑うこと、二人でいることが必要なのよ。私が知っているあの場所は、ジュニア、陽気な人々が楽しく過ごせる場所なの。そこは私たち二人が行くところなのよ。愛する人!あなたが1、2、3と数えあげるよりも早くに。小さなホテル、そこには願いが叶うという井戸があって、私は願うの、私たちが一緒にそこにいられますように、と。豪華なスウィート・ルームはないけれど、明るくてきれいな部屋、私たちが一緒に住むのに最適な部屋があるわ。窓から外を眺めれば、教会の塔が見えるの。」 ジュニア「人々の祝福なんて要らないよ、ただ二人でいられるなら。」 フランキー「教会の鐘が『おやすみなさい、ゆっくりお眠り』と告げるとき、私たちは一緒に、その小さなホテルに感謝するでしょう。」

フランキーはまた歌う。「窓には美しい布地で織られたカーテンがかけられている。私たちの夢の国。壁にはグラントやグローヴァー・クリーヴランドの、雰囲気のある写真が飾られているの。休憩室に降りていくと、そこの壁には鹿の頭が掛かっていて、あなたの目を楽しませるでしょう。」 いや、鹿のアタマはちょっとね・・・。

ジュニア「君はオルガンを弾きたくなるかもしれない。ホテルの人々は、それを丁寧に調律してくれるだろう。ホテルの庭は、アダム(笑)とイヴの楽園のようなんだろうね。」 二人は一緒に歌う。「二人で小さな貝殻の中にひきこもろう。そして一緒にその小さなホテルに感謝しよう。」

〔第6場〕 休日、ジュニアとフランキーは一緒に連れだって、ロシア・バレエ団のアラビアン・ナイト風バレエ“LA PRINCESSE ZENOBIA”(「王女ゼノビア」)公演初日に出かける。そこへジュニアの姿を見つけたペギーがやってくる。ペギーはジュニアに、群舞の奴隷役のダンサーの一人が、突然のケガで出演できなくなったため、その代役としてジュニアにすぐに舞台に立つよう告げる。フランキーに励まされ、ジュニアは準備のため急いで楽屋へ向かう。

アラビアン・ナイト風バレエ「王女ゼノビア」の幕が上がる(“LA PRINCESSE ZENOBIA BALLET”,VS-12/83-7)。エキゾチックな雰囲気あふれるゼノビア王女の王宮には、今日もたくさんの王や王子が、ゼノビア王女に結婚を申し込もうと続々やって来る。求婚者たちはいずれも豪華な贈り物で王女の気に入られようとするが、王女は彼らをすべてハネつける。そこへ貧しい身なりの若者が現れ、王女の前にひざまずいてその手にキスをする。王女はその若者に気を惹かれた様子で、彼のために踊る。

来客がすべて去った後、ゼノビア王女は侍女や衛兵を部屋から全員出ていかせる。そこへさっきの若者がバルコニーの窓から王女の部屋の中へと飛びこんでくる。ふたりは恋に落ち、一緒に愛のパ・ド・ドゥを踊る。「シェエラザード」や「海賊」のような、エキゾチックな雰囲気に溢れる幻想的なバレエに、観客はうっとりと見入る。

正式に結婚を申し込むための贈り物を持たない貧しい彼に、王女は奴隷部屋の鍵を渡す。王女の奴隷を彼からの贈り物として差し出し、体裁を整えればよい、というのである。そして再び求婚者たちへの謁見が始まる。王女は例によって彼らをみんな拒む。最後にあの貧しい若者が、手筈どおりに5人の奴隷を連れて現れる。その1人は急遽の代役出演が決まったジュニアである。5人の奴隷たちは、みな体をケープですっぽりと覆っている。

「5人の奴隷たちの踊り」の始まりに先立って、奴隷たちのケープが一斉にはがされる。奴隷役のダンサーたちは、みな顔と全身に濃い色のドーランを塗っている。ところがジュニアは、顔だけはメイキャップをしていたが、体は地肌のまんまであった。緊張のあまり、体にドーランを塗るのを忘れてしまったのだ。顔と体の色がくっきりと違うジュニアの奇妙ないでたちに、それまでのロマンティックな雰囲気が一気に壊れて、観客はゲラゲラ笑い出す。

あわてて我を失ったジュニアは、その後も振付をことごとく間違え、バランスを崩して転倒し、自分が踊る相手役まで取り違える。後ろでドタバタな踊りがくり広げられているなか、舞台前面中央では、王女と若者とが「王女ゼノビア」のクライマックスである、ロマンティックなパ・ド・ドゥを踊っている。そして主役の二人が見事に最後のポーズをキめた瞬間、よろけたジュニアが二人にぶつかってきて、彼らを巻き添えに地べたに顔から突っ込んで転ぶ。舞台全体が大混乱、しかし観客は最後まで笑いっぱなし、満場の大喝采のうちに幕が下りる。

観客に大爆笑コミック・バレエだと誤解されたまま、「王女ゼノビア」公演が終わる。すばらしい芸術バレエをコメディにしてしまったジュニアに、セルゲイやロシア・バレエ団の団員たちは激怒し、彼をバレエ団から追い出す。

(2003年7月11日)

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