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NOTE 5

ロイヤル・バレエ“Gong Mixed Bill”覚え書き (1)

2003年12月9、11、12日にロンドンのRoyal Opera Houseで行なわれた、ロイヤル・バレエ公演“Gong Mixed Bill”を観た。演目は“Gong”(振付:Mark Morris)、“Proverb”(振付:William Tuckett)、“Broken Fall”(振付:Russell Maliphant)、“Qualia”(振付:Wayne McGregor)の4つで、ともに現代の振付家の作品である。

この“Gong Mixed Bill”は、ROHのオンラインチケットブッキングで売り出したばかりか(オンラインで売り出されるのは、残席に余裕がある場合らしい)、公演が間近に迫っているというのに、オンライン購入可能演目から名前が消える気配が一向になかった。そしてついに公演直前になって、なんと4割引でチケットを売り出し始めた。たとえば最も高い席である66ポンド(約12,600円)が、39.6ポンド(約7,500円)で買えるということである。

同時にリハーサル時の映像が一部公開され(アダム・クーパーをちゃっかり利用)、あのロイヤル・バレエが、あらゆる手段を講じて、ひたすらチケットをさばきにかかるという事態になった。うすうす感じていたことだったが、やっぱりチケットの売れ行きがよくなかったのである。

これはどうなることか、と思ってロイヤル・オペラ・ハウスに出向いたら、なんとボックス・オフィスはチケットを求める人々で大にぎわい、順番待ちの行列がショップの方にまで伸びているではないか。4割引が功を奏したのか、それとも上演されてから急に評判が高まったのか。

ホールに入ったら、案の定、ほぼ満席の大盛況であった。立ち見の人々もたくさんいた。そういえば、このまえ、Bruceさんのballet.coのpostings pagesに、「ロイヤル・オペラ・ハウスでは、自分はいつも立見席を買って、会場に入って空席があるとそこに座るようにしていた。何の文句も言われたことはない。ところが、このまえ同じように立見席の券を買って入り、空席を見つけて座ったら、案内係がやってきて立見席に戻るよう注意を受けた。こんなひどい仕打ちがあっていいものか」という投稿があった。イギリス人の中にもこーいうアホがいるんだと思うとホッとする。・・・いや、関係ないっス。ただ思い出しただけ。

去年の夏以来、2度目のロイヤル・オペラ・ハウスである。紅い布張りのシートに座る。淡いブルーに金縁の装飾が施された円い天井を見上げる。この色合いはキレイだよねい。舞台はあの真紅に金刺繍のぶ厚いカーテンで閉じられている。こういうとこに来ると激しくキンチョーする。クーパーがいなければ、こんな場所とは一生縁がなかっただろうな・・・。

(1)“Gong”

ダンサーは、12月9、12日:Deirdre Chapman、Alina Cojocaru、Lauren Cuthberson、Isabel McMeekan、Sian Murphy、Ricardo Cervera、Martin Harvey、Jose Martin、Thiago Soares(12日はThomas Whitehead)、Edward Watson、Christina Arestis、Marie Doutrepont、Bethany Keating、Emily Low、Samantha Raine;12月11日:Deirdre Chapman、Victoria Hewitt、Laura Morera、Eva Natanya、Gillian Revie、Bennet Gartside、Jonathan Howells、Johannes Stepanek、Michael Stojko、Thomas Whitehead、Gemma Bond、Vanessa Fenton、Laura McCulloch、Pietra Mello-Pittman、Gemma Sykesである。

振付はMark Morris、1956年生まれのアメリカ人振付家である。幼いころからフラメンコとバレエを学び、成人してからスペインに渡ってフラメンコを研究した。1980年に帰国して自分のカンパニー、Mark Morris Dance Groupを結成し、地道な活動で徐々に固定ファンを増やしていった。1988年、カンパニーごと引っ越しして活動拠点をベルギーに移し、1991年にまたアメリカに帰国、その頃には彼は幅広い層の支持と賞賛を受けるまでになっていた。

以来、自分のカンパニーの活動を精力的に続ける一方、アメリカン・バレエ・シアター、パリ・オペラ座バレエ団、サンフランシスコ・バレエ、ボストン・バレエなどにも振付作品を提供し、1997年には、ブロードウェイで上演されたミュージカルの振付も手がけている。

“Gong”は本来、アメリカン・バレエ・シアターのために、モリスが2001年に振り付けた作品である。音楽はColin McPheeの“Tabuh-Tabuhan”という作品で、「オーケストラと二台のピアノのためのトッカータ」という副題がついている。用いている楽器はすべて西洋のものだが、これはマクフィーがバリ島に滞在していた1936年に、バリのガムラン、太鼓や銅鑼を主体にしたリズミカルな、バリのあの特徴的な民族音楽に影響を受けて作られた曲だという。

客席が暗くなる。拍手が湧き起こる。オーケストラ・ピットに指揮者が姿を現したらしい。指揮者のRichard Bernasが指揮台に上がり、観客に向かって一礼した。かろうじてその顔が見えた。拍手が大きくなる。Bernasはオーケストラの方を向いて指揮棒をかまえる。客席が静かになった。

飛び跳ねるようなメロディのピアノの音が響き始める。幕が開くと、明るい色の背景に、シンプルな形の、カラフルなチュチュを着たダンサーたちが縦一列に並んでいる。やがて後ろのダンサーが前のダンサーを持ち上げ、持ち上げられたダンサーは両手を頭の上で合わせ、再び地上に降りてから左右に散らばっていく。

女性ダンサーはピンク、紫、黄色、緑、赤などのチュチュに、同色のタイツを穿いている。耳には金のイヤリングをつけ、足首にも金の脚輪(?)をはめている。男性ダンサーも色とりどりの袖なしの上衣に、同色のタイツ、やっぱり金のイヤリングをつけ、足首には金の脚輪。

ふと、男性ダンサーが、膝を曲げながら両脚を外向きに広げていき、同時に両手を頭の上で合わせる。そのシルエットが背景に浮かび上がる。仏像みたい。さっきの女性ダンサーも同じように手を合わせていた。リズミカルな不協和音の音楽は、バリのガムランに想を得たもの、といわれてみればそんな感じもするが、前知識がなければ思いもよらないだろう。踊りの方も、ビミョーにエスニックな衣装に、仏像みたいな姿勢や動きは、原曲に多少なりとも合わせたものかもしれないが、でも半端だ。

どーもこの“Gong”には、ストーリーはないらしい。難しい。分からない。この踊りの何をどう楽しめばいいのか。

意味不明でおかしな振付もあった。“Gong”っていう題名は、太鼓とか銅鑼とか鐘の音のことなんでしょ?でも男性ダンサーが、こぶしに握った両手をだらんと下げたまま、ガニマタで体と脚を左右にウッホウッホと傾けたときには、もしかしたら本当の題名は“Kong”なんじゃないかと思った。後で女性ダンサーも、このゴリラみたいな動きをしていたが、はっきりいってやめてほしい。みんな吹き出していたぞ。

ダンサーたちはあるときは舞台上に不均整に散らばり、あるときは左右対称に並ぶ。あるときは同じ振りを同時に、あるときは連鎖して踊り、あるときはそれぞれが違う振りを踊る。舞台の左で数人のダンサーが組んで踊っていると、舞台の袖から1人の男性ダンサーが、両足を揃えたまま、くるくると回転しながら彼らの周りを一周し(地球の自転と公転をイメージするとよい)、また舞台の袖に消えていく。あとは全員が一列になって、片脚を高く後ろに上げたまま、もう片脚だけで、一本の線みたいに移動していく(微妙に曲がった線だったが)。

配置はお約束的な「不均整の均整」、「非対称の対称」だし、振りもときおり奇妙だが、女性ダンサーはポワントで踊っており、女性ダンサーも男性ダンサーも、それぞれの踊り自体は、多くがクラシック・バレエの典型的な動きの組み合わせで構成されていた。

ふと舞台が暗くなり、音楽が途絶えて、男性ダンサーと女性ダンサーが1人ずつ出てきて、音楽なしでパ・ド・ドゥ(?)を踊る。お互いが片腕を蛇のように絡ませ、片脚を後ろに上げた状態で、お互いが片足を少しずつずらしながら1回転する。あとはどんなポーズだったか、とにかく女性ダンサーが難しいバランスを保っている間に、男性ダンサーがすぐ近くで大きくジャンプする。

その後は3人だったか(よくおぼえてない)で踊る部分もあって、そこで女性ダンサーが踊っている写真が、ROHのサイトとプログラムに載っている(アリーナ・コジョカル)。そーか、このピンクのチュチュがコジョカルか。初生コジョカルをこんな作品で観ることになるとは、なんかちょっと複雑な気分だ。

フィナーレはどんな踊りだったか、きれいさっぱり忘れました。私がこの公演で導き出した、「バレエにおけるモダン・ワークスの傾向」によれば、たぶん最後に盛り上がる音楽の中で、全員が多少ハデな踊りを踊って、それから音楽が静かに止んで、踊りも静かに終わったんじゃないかと思う。・・・なんか全員が背景に向かって静かに歩いていって、そこでライトが消えて幕が下りた気がする。

見事に雰囲気が盛り下がった観客の間から、ぱちぱちと拍手が起こる。幕が上がってダンサーたちがカーテン・コールに出てきた。ぱちぱちと拍手が続く。スタオベはもちろん、ブラボーのかけ声もない。ただ拍手だけ。こんなのはたぶん珍しいんじゃないか。ロイヤル・バレエの観客は、けっこうノリがよくて叫ぶ方だと思うんだけど。

カーテン・コールはあっさりと終わった。なんでこの作品を上演することにしたのかな。なにがそんなに気に入ったんだろう。でも、ミックスド・ビルの中の1作品として観たから、あまり印象に残らなかっただけかも。この作品ひとつだけで上演されたなら、意外と面白く感じられたのかもしれない。20分の休憩時間に入る。

(2)“Proverb”

ダンサーはZenaida YanowskyとAdam Cooper、振付はWilliam Tuckett。タケットは、そのプロフィールから見る限り、おそらくクーパーやヤノウスキーと同じくらいの年齢だと思われる。ロイヤル・バレエ学校の出身で、ロイヤル・バレエのダンサーとして踊る一方、学生時代から多くのカンパニー、ダンサー、ダンス・イベントに自らの振付作品を提供してきた。この“Proverb”は短い作品であり、上演時間は10数分に過ぎないが、なんと今年の5月からリハーサルを始めていたそうだ。

音楽はSteve Reichの“Proverbs”で、コラールのような合唱に、伴奏は木琴のような音色の楽器だけ(注:木琴ではなく、ビブラフォンという鉄琴だそうだ。それに電子オルガンも原曲の伴奏には用いられるらしいが、この公演では気が付かなかった)。前の“Gong”と同じく生演奏で、合唱はSynergy Vocalsが担当した。このSynergy Vocalsは、これまでにもSteve Reichの曲を数多く演奏しているそうだ。歌詞の意味はぜんぜん分かんなかったどころか、何語だったのかさえ分からない。ラテン語だったのかな・・・やっぱり分かりません。

客席が暗くなって幕が上がる。舞台はまだ暗い。静かなゆっくりとしたソプラノのソロが始まる。舞台の奥がぼんやりと明るく照らし出されると、その下に男(Adam Cooper)と女(Zenaida Yanowsky)が立ったまま抱き合っている姿が浮かび上がる。クーパーは黒い半そでのゆるいTシャツに、青い色のゆったりとしたジーンズ風ズボンを着て、髪は短く、顔はアゴのあたりに無精ヒゲがうっすらと生えている。ヤノウスキーは白い短い袖なしTシャツに黒いタイトなジーンズで、髪は後ろでかんたんにまとめただけ。

舞台装置は至ってシンプルで、天井と両側面には黒い照明機器がずらりと並び、背景に白い1枚の壁、右奥に2つのベッドが置かれているだけである。真っ黒いライトから照射されるぼんやりした白い光と、闇の周囲の真ん中に置かれた白い壁に、伴奏なしのコラールが異様に大きく響いて聞こえる。

抱き合っていた男と女は両腕をほどいて真っ直ぐに伸ばすと、互い違いに何度も大きく旋回させる。ふたりは舞台の前に出てくると、また体を重ね合わせながらも、同じように両腕を互い違いに旋回させる。ふたりの回る両腕はすれ違うばかりで重なることがなく、相手の体を探しているようにも、また相手の腕を避けているようにもみえる。その両腕の動きと、腕が描く円形は鋭利でしかも美しく、そして凄まじい緊張感に溢れている。客席は静まりかえり(向こうの客は上演中もけっこうしゃべる)、私も思わず息を呑んで、ふたりの鋭い動きに集中して見入っていた。

クーパーはヤノウスキーの前で膝をがっくりと折ると、そのまま両腕を高く上げ、上半身を思い切り後ろに反らせる。ヤノウスキーはしゃがみこんだクーパーの右肩に、前を向いたまま腰だけで乗り上げて身を反りかえらせる。クーパーがヤノウスキーの腰を支えて持ち上げる。時には低く、時には高く。ヤノウスキーは身をよじり、両脚を空中で歩くように回転させる。あるいは腰を支えられて高くかかえ上げられたまま、切なそうな、苦しそうな表情を浮かべる。そしてクーパーはヤノウスキーの片脚を根元から持ち上げると、そのまま彼女の体を自分の肩から背中に一気に回し、反対側から彼女の体を前に下ろす。

あらま、と私は驚いていた。クーパー君のリフトにとかくみられがちだった、「ガタガタ」や「ガクガク」や「どっこいしょ」が、一切ないではないか!こんなにゆっくりした動きだというのに、実になめらかで、いかにもな力技には全然みえない。やればできるんじゃん(←姉曰く「プロのバレエ・ダンサーの人を、アンタが何をエラソーに品評するのよ」)。

複雑な表情を浮かべて舞台に立ちつくすヤノウスキーを見つめたまま、クーパーがソロを踊る。上半身と両脚を思い切り反らせたまま、同じ場所でジャンプして1回転する。クーパー独特の、あの身の反らし方である。長い体が弓なりにぐんにゃりとしなる。スピード任せじゃない、しなやかでゆっくりとした動きだった。やっぱり見とれてしまう。・・・また、今、終演後にホテルに帰って書いたメモを見たら、「クーパー:ジャンプ+回転→音なし」とある。音楽がとても静かだから、あまりにドンドンと音を響かせるのはよくないだろう。

あとは、横に飛び上がって両脚を打ちつけたり、片脚を曲げながら上げ、もう片脚でぐるぐる回ったり。いずれもきれいにキまる。でも「見え切りポーズ」はなかった。メモには「クーパーのソロ:顔横向き、ヤノウスキーを見つめる、客席目線一切なし」と書いてある。というか、この“Proverb”では、クーパーとヤノウスキーは常に相手のことを見つめるか、または睨みつけるかしていて、客席の方を見やることはほとんどなかったのであった。

このふたりは恋人同士らしいが、でもそれとは矛盾するような動きを繰り返す。抱き合いながらも、相手を避けるかのように互いに上半身や顔を反らせ、また手を繋ぐときも、相手の手から逃れるように、手首から先をひらひらと回転させてから、やっと相手の手を握る。この手首の動きもとてもきれいだった。

少人数編成のコラールが、木琴の伴奏とともに、静かながらも徐々に速さを増して緊張感を高める。クーパーとヤノウスキーは、お互いが相手を求めるように体を重ねあわせたかと思うと、次の瞬間にはパッと体を離して、今度はお互いがお互いを避けるかのように、舞台上をぐるぐると走り回る。時にはヤノウスキーがクーパーを追いかけ、クーパーはそれをいやがり、彼女の顔に手を当てて彼女を押し止め、顔を背ける。時にはクーパーがヤノウスキーを追いかけ、彼女はクーパーからひたすら逃げ回る。クーパーは苛立った表情を浮かべて彼女を睨みつけ、彼女を威嚇するように脚をドン、と踏み鳴らす。

ふたりは疲れきって、しばしば舞台の上に呆然と座り込むか倒れこむかする。力なく倒れこんだクーパーの傍らで、ヤノウスキーが冷然としてそれを見下ろし、ふたりが体を重ね合わせて床に伏した後、クーパーが起き上がると、ヤノウスキーはそのまま彼から遠ざかるかのように床を転がっていく。クーパーは彼女の腰の辺りを乱暴に足で踏みつけて彼女を止める。ところが、彼女はそのとたんに体をしならせ、今度は腰をかがめて両腕を差し出すクーパーの方に転がっていき、その腕に飛び込む。クーパーは彼女をそのまま抱き上げる(このへんがビデオ・クリップで公開されている)。

このように、“Proverb”は恋人同士の踊りなんだと思われる。でもラブラブ一直線ではなく、お互いがヘトヘトになるまで疲れ果てながらも、時には好きでたまらないけど時には憎い、好きなはずなんだけど憎い、憎いけど好き、好きなのに嫌ってしまう、嫌ってもやっぱり好きだ、というのを何度も繰り返していく様子を描いている。

最後、ふたりはベッドに向かい合わせに腰かけて見つめあう。やがてヤノウスキーが立ち上がり、ひとりで歩いて去ろうとする。クーパーはその後ろ姿を見送る。ふと彼女は立ち止まり、後ろを振り返る。今度はクーパーがベッドから立ち上がり、ヤノウスキーの傍へ歩み寄る。彼は彼女の肩にそっと腕を回す。ふたりは静かな表情のまま、闇の中から射し込める一筋の白い光に向かってゆっくりと歩いていく。コラールの最後のゆっくりとした歌声が響く中、ふたりの姿が舞台から消え、ライトが落とされた。

シーンとしていた客席から、やがて大きな拍手と喝采が一斉に飛び始める。“Gong”でのあの白けたおざなりの拍手がウソのようだ。幕が上がって、明るくなった舞台上で、クーパーとヤノウスキーがふたりで手を繋ぎながら、客席に向かってお辞儀をする。観客の拍手と喝采はいっそう大きくなった。私は結局3回観たけど、毎回とも本当にすごい反応だった。“Proverb”はたった10数分の作品なのだが。作品の中ではニコリともしなかったクーパーとヤノウスキーは、一転してにこやかな笑顔を浮かべている。

スタッフが出てきてヤノウスキーに花束を贈る。クーパーは後ろに下がってそれを笑いながら見つめている。そしてふたりはまた並んで観客にお辞儀をする。私の隣に座っていたおじさんは、拍手をしながら、どちらかに向かって親指をぐっと前に突き出し、大きく何度も頷いていた。ふたりのどちらかと知り合いなんだろうか。

やがて、舞台脇から燕尾服を着た男性が姿を現した。ヤノウスキーがその手を取って舞台中央に迎え入れる。たぶん指揮のRichard Bernasだと思う。残りの“Broken Fall”と“Qualia”はオーケストラを使わないので、彼もここでカーテン・コールに出てきたのだろう。もっとも“Proverb”もオーケストラは使っていなかった(と思う)が、伴奏の木琴(?)と合唱のSynergy Vocalsを指揮していたのだろうか。ヤノウスキーがその両の頬にキスをし、クーパーも彼と握手する。それから3人は手を繋ぎながら並んでお辞儀をした。私としては、Synergy Vocalsにも(無理かもしれないけど)舞台に出てきてほしかった。どんな人たちなのか。ロイヤル・オペラ・ハウスはオーケストラ・ピットが深いので、楽団の様子がよく見えないのである。

曲は“Proverb”が最もよかった。民族音楽のリズムとメロディを採用した不協和音の現代音楽も、コンピュータにプログラミングされた大音響の電子音楽も使っていないが、この静かでなんだか物哀しいメロディの合唱だけで作品の緊張感が増し、同じメロディが徐々に速さを増しながら繰り返されるに従って、音楽と踊りとが相互に作用しあって、静かな激しさと凄絶さみたいなものが高まっていったのだった。

結局は演目同士の組み合わせの問題なのだろうけど、“Proverb”は4作品の中では、私が感じたことには、最も人間らしい感情が、分かりやすい形で表現された作品であった。同じ人間に対して、好きだという感情と、憎いという感情が同時にあってそれに苦しむという、人がだれでも味わっている心情を描いていたんだと感じた。この感想が正しかろうが間違っていようが、私にとって何よりも大事だったのは、非常に短い作品にも関わらず、一観客の私がこんなふうに作品内に入り込んで共感を覚えるということを、この“Proverb”が許してくれたことである。たぶん他の観客も、それである意味ホッとしたんではないか。

最終日には、あの真紅に金刺繍の豪華カーテンが閉じられた後も、カーテンの間からクーパーとヤノウスキーが出てきて挨拶をした。並んで客席に向かって一礼した後、お互いが手を取り合ったまま向かい合い、ヤノウスキーは膝をかがめ、クーパーは立ったままの姿勢で優雅にお辞儀をした。ふたりはTシャツにジーンズという超カジュアルな服装だったから、なんだかおかしかった。最終日ということで、この日は拍手と喝采がもの凄かった。ヤノウスキーは泣きそうな顔をしていたけど、クーパーもその途中で、なぜか手を顔にやって目元を隠すような仕草をした。ふたりは最後、優雅なバレエ風のお辞儀ではなく、感極まったかのようにがっしりと強く抱きあっていた。

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