Club Pelican

NOTE 6

ロイヤル・バレエ“Gong Mixed Bill”覚え書き (2)

(3)“Broken Fall”

“Proverb”が終わって幕が下りたあと、客席のライトがいったん点灯された。だが休憩時間ではない。観客は席に座ったまま一斉におしゃべりを始めた。そのまま数分が過ぎた後、ライトがゆっくりと落とされて客席が暗くなった。客たちは再び静かになる。

“Broken Fall”、ダンサーはSylvie Guillem、Michael Nunn、William Trevitt。振付はRussell Maliphantである。音楽はBarry Adamsonで、この作品のために作られたオリジナル曲である。マリファントは1961年生まれ、子どものときからバレエを学び、16歳のときにロイヤル・バレエ上級学校に入学した。卒業後はサドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエに入団し、1988年に退団した後はフリーランスのダンサーとなった。それにともない、マリファントはクラシック・バレエからモダン・ダンスへと活動の場を移し、同じくフリーの個人振付家の作品を踊るようになった。

マリファントはクラシック・バレエに加え、即興の踊りやカポエイラ(ブラジルで男性によって踊られる伝統舞踊・武術)、太極拳、ヨガ、またアクロバットなどにも影響を受けていった。1991年以降、彼は自ら振付も手がけるようになったが、一時編成のカンパニーや実験的なダンス・イベントなど、限られた条件下で上演されることが多かったせいで、その振付や作風はあまり知られていなかった。

しかし近年になり、彼の作品は、彼のカンパニー(名前不明)やGeorge Piper Dances(2000年にMichael Nunn、William Trevittが設立したカンパニー)によって、多く上演されるようになり、テレビ番組でも紹介された。また彼はリヨン・オペラ・バレエ、ニュルンベルク・バレエ、The Batsheva Ensembleなどにも作品を提供している。

今回、マリファントがロイヤル・バレエで振付作品を上演することになったのは、マリファントのカンパニーと、George Piper Dancesとが合同で行なったある公演で、マリファントの作品を観たシルヴィ・ギエムが、彼に話を持ちかけたからだという。ギエムは更に、マリファントがGeorge Piper Dancesのために振り付ける次の作品でも、彼女を出演させてほしいと申し入れた。またこの“Broken Fall”は、George Piper Dancesがマリファントに製作依頼した作品であったため、それでMichael Nunn、William Trevittが、ゲストとして今回のミックスド・ビルに出演することになったそうである。

幕が開くが、舞台はいまだ真っ暗なまま。やがて、たとえばSF映画、宇宙をテーマにしたテレビ・ドキュメンタリー、科学博物館などで流されているBGMや効果音のような電子音楽が始まり、それと同時に左側にスポット・ライトが当たって男性ダンサーが踊り始める。両腕を盛んに回転させた動きである。淡い色の袖なしTシャツに、黒の膝下丈の緩いズボンで、足は裸足。同じように右側にもスポット・ライトが当たり、もう1人の男性ダンサーが同じような踊りを踊る。

最後、真ん中奥にスポット・ライトが当たり、ギエムがゆっくりと前に歩み出てくる。髪はひっつめにして後ろで束ね、さらに1本の三つ編みに結って下に垂らしている。上は袖なしで胸の下までの短い丈のグレーのTシャツに、黒のショート・パンツ、脚には黒の長い膝当てをはめている。足は同じく裸足。したがって完全なポワントはない。

“Proverb”が10数分だったから、この“Broken Fall”は、20数分はあったはずである。作品は最初の20分くらい(つまり大部分)が3人での踊り、最後の数分がギエムのソロだった。はっきりした具体的なストーリーはないが、同じ女に恋する2人の男と、その2人の間で態度をはっきりさせない女の関係を描いた踊りである。たぶんね。でもこの作品は、ストーリーを描きたいんじゃなくて、人間の身体の動きそのものを見せたい踊りなんだと思う。

3人で踊るといっても、2人の男性ダンサーがギエムを様々な形でリフトしたりサポートしたりというのが、その主な内容だった。3人がソロで踊る部分はほとんどなく、同じ振りを一斉に踊るというのもなかった。ただし例外は、まとまった振りが終わるたびに、3人が同じタイミングで床に転がり、また立ち上がる動きである。また連鎖的に同じ動きをする部分もあった。

振付は、見た目は静かだけど複雑で、いかにも難しそうな動きばかりだった。振付もよかったんだろうけど、それよりも3人のダンサーが本当にすばらしかったと思う。ナンとトレヴィットについては、ソロで踊るシーンがほとんどなかった。でも2人のタイミングが完璧に合っていないとかなり危険な、あんな複雑なサポートやリフトを、息もピッタリと、しかもなめらかにこなしていた。

でも最もすばらしかったのは、持ち上げられていたギエムである。持ち上げられるのにも高い能力が必要だろう。それに、ただ持ち上げられていたんではなくって、持ち上げられながら動いていたのだ。ある方に指摘されて気づいたことには、あんなにも激しく複雑な動きを次々と行なっていきながらも、見た目にわかるような力の移動をまったく感じさせなかったのである。すべては静かでしなやかな動きであった。

順番は覚えてないので、印象に残っている動きだけ挙げていく。3人がお互いの手足を複雑に絡ませたまま、ギエムが持ち上げられ、彼女が更にその手足をまた複雑な形に伸ばしたり曲げたりする。両手を男性ダンサーにそれぞれ掴まれ、しかも体が横に大きく傾いだ姿勢で、片脚だけを支えにして、もう片方の脚を高く上げる。また、腰を曲げた男性ダンサーの背中に、ギエムが両脚をきれいに伸ばして側転しながら乗り上げ、そのまま向こうに着地する。そうするともう1人の男もギエムの後に続いて、同じように側転する。男性ダンサーの1人がギエムをさかさまに持ち上げるところでは、ギエムは両脚をピンと伸ばして、まるで1本の棒のように動かない。その足の甲が大きく弓なりに曲がってるのが特徴的だった。

このギエムはすごいバランス保持力と度胸がある、と思った。男性ダンサーの背中に、支えなしで両足だけで立っても、まったくグラグラしない。そのままかたわらに立つもう1人の男性ダンサーの方に、直立不動の姿勢で、すごい勢いで身体をがっと倒してリフトされる。また、2人の男性ダンサーが前後に立ち、前にいた男性ダンサーがギエムの体を抱き上げると、急に勢いをつけて彼女の体をくるりん、と回しながら上に放りあげ、それを後ろにいた男性ダンサーが抱きとめる(前後が逆かも)。

踊りがすばらしいという以前に、ギエムは体そのものがなにか違う。柔らかいというのもあるだろうし、手足が普通では考えられない角度や方向に曲がったり上がったりする。あとは、筋力も並大抵のものではないと思う。たとえば、男性ダンサー2人に両手を互い違いに取られながら、膝を大きく曲げた、しかも半つま先立ちの左足だけを軸にして、右脚を左脚の裏から高く差し出し、さらにその右脚の膝を曲げては伸ばす、といった信じられない動きをする。それから、男性ダンサーに両手を支えられ、片脚を地に着け、もう片脚を上げて開脚するときに、その脚は180度どころか、それ以上にまで反りかえっていた。

最後には、2人の男は女に背を向けて去ってしまう。残されたギエムはひとりで踊る。観客の全員が「待ってました!」と心中ひそかに思ったことだろう。今までは、ひたすら持ち上げられてるギエムしか観てないから。いや、上に書いたことと矛盾するけど、やっぱりひとりで踊るギエムが観たいんだよ〜。ものの数分だったけど、激しくなる音楽に合わせて、手足を激しく動かす。四つんばいのような姿勢から、片方の脚をゆっくりと上げていって伸ばし、更に膝を折り曲げ、そのまま体を反転させる。ギエムが踊り続ける中、幕がゆっくりと下りてくる。踊るギエムの姿を幕が完全に隠して、“Broken Fall”が終わった。

終わった瞬間、ものすごい拍手と歓声。幕が再び上げられる。中央にギエム、左右にナンとトレヴィットが並び、前に出てきて一礼する。さらにすさまじい拍手、喝采が湧き起こる。まあギエムだからな。こんなもんだろう。わたくしはすこうし悔しい気分であるが。最終日は彼女のファンがいたのか、彼女が出てくるたびに、足をドカドカと踏み鳴らす人々がStalls Circleの後ろの席に陣取っていた。

ただし。ケチをつけさせてもらおう。カーテン・コールの回数が明らかに多すぎだ。普通は客の拍手喝采が一段落すれば、カーテン・コールも終わるものだろう。盛り上がっていても、途中で無理矢理おしまいになるときだってある。ところが、ロイヤル・バレエは、なんとなく客を煽ってるくさいカーテン・コールを、この“Broken Fall”でやった。不自然にしつこく何度も幕を上げて、客の笑いを誘い、拍手、ブラボー・コール、そしてスタンディング・オベーションを促すのである。これは2002年の「カー・マン」日本公演、2003年の「白鳥の湖」日本公演で、AMPも用いた方法だった。AMPの発明じゃなかったらしい。

スタンディング・オベーションをしている人々は、“Proverb”でも“Broken Fall”でも、ごく少数しかいなかった。でもあれだけ観客が盛り上がったのに、なにが不満だったのか。最終日、何度かカーテン・コールが行なわれた後で、客席のライトが点灯されて明るくなった。幕は閉まったままで上がる気配がない。てっきり、もうカーテン・コールは終わりで、休憩時間に入ったんだと思った。観客たちが次々と立ち上がる。私も立ち上がった。そしたらだ。いきなりまた幕が上がって、ギエムたちが挨拶に出てきた。立ち上がった観客たちは、立ったままあわてて拍手した。ギエムの目には、多くの観客たちが、スタンディング・オベーションをしているように見えたことだろう。

(4)“Qualia”

ダンサーはChristina Arestis、Leanne Benjamin、Helen Crawford、Lauren Cuthbertson、Cindy Jourdain、Laura Morera、Sian Murphy、Samantha Raine、Christina Elida Salerno、Jaimie Tapper、Ricardo Cervera、Paul Kay、Adam Linder、Tim Matiakis、Ernst Meisner、Ludovic Ondiviela、Ivan Putrov、Edward Watson、Thomas Whitehead。

振付はWayne McGregor。1970年生まれで、University College Bretton HallとJose Limon Schoolでダンスを学んだ。モダン・ダンスを中心にやってきたということだ。1992年、彼はRandom Danceという自分のカンパニーを旗揚げし、同年にThe Place in Londonの常任振付家にも任命された。Random Danceは小さなカンパニーだが、2001年以降、サドラーズ・ウェルズ劇場に招聘され、同劇場を主な公演会場とするようになった。

McGregorは、他のダンス・カンパニーに対しては、Shobana Jeyasingh Dance Company、Rambert Dance Company、Stuttgart Ballet、English National Balletなどに振付作品を提供し、またダンス・ショウ以外でも、Royal National Theatre、English National Operaなどで振付を担当している。ロイヤル・バレエでも、以前に作品を発表しているらしい。彼はモダン・ダンスとバレエ双方の振付をこなすことができ、ときにはこの2種類の踊りを融合させた振付をするという。その若さにしては珍しく、振付一本に打ち込んで、順調にキャリアを積み上げてきた人のようである。

音楽はScanner(本名はRobin Rimbaudというらしい)の作曲で、“Qualia”のために作られたオリジナル曲である。ちなみにこのスキャナーさん、振付のマグレガーと見た目がそっくし(ハゲ、眉なし)。

客席が暗くなると、オーケストラ・ピットにスポット・ライトが当たって、おっさんがひとり出てきた。観客が拍手する。作曲者兼演奏者のScannerのようだ。演奏、といっても、オーケストラ・ピットには、楽器を持った人の姿はみえない。やがておっさんは城壁のように周りを取り囲んでいる機器の真ん中に座る。ひとりで機器を調整して、あらかじめプログラミングされた音楽を演奏していくらしい。イメージ的には、小室哲哉がglobeかなんかのコンサートで、機器を操作しているような感じである。

“Broken Fall”と“Qualia”の音楽はよく似ていた。ともに電子音楽であり、その構成もそっくり。最初は音楽ともつかない、さまざまな効果音を組み合わせた音を流し、次に徐々にリズムやテンポを速めながら、やや激しいメロディになる。真ん中ではいきなりピアノやハープシコード風の音色で、有名なクラシック音楽のゆっくりとした旋律を流す。それから最後に向けてまた現代的な、クラブとか若者向けのデパートとかで流していそうな音楽に戻り、電子パーカッション音を鼓膜が破れそうな大音響でドッコンドッコンと響かせながら、一気に速度と激しさを増して盛り上がる。そして最後は、音を徐々に途絶えさせていって静かにシめる。

最初、舞台左に下げられたスクリーンに、1人の男性の姿が映し出される。それが段々と増えていって、小人がずらりと並んだかのようになったところで、幕が上がる(だったかな)。そこにはスクリーンに映っていたのと同じ格好をした、1人の男性ダンサーがいる。上半身は裸で、白いショート・パンツだけ。なんだか下着みたい。・・・ショート・パンツだから、その、目立つのよ。中間部分のふくらみが(いや〜ん)。

その男性ダンサーは、やがて音楽に合わせ、真っ直ぐに伸ばした手足を、すばやくピキピキと動かし、また飛んだり跳ねたりして踊り始めた。それが終わると、黒いシースルーの短いシュミーズを着た1人の女性ダンサーが出てきて、2人の男性ダンサーと踊る。・・・なんか、この組み合わせといい、また振りやリフトといい、“Broken Fall”とよく似ている気がする。女性ダンサーは時にポワントになるが。

それから他のダンサーたちも出てくる。男性ダンサーは袖なしのグレーのTシャツに同色のタイツ。女性ダンサーはグレーの袖なしシュミーズを着て、トゥ・シューズを履いている。それぞれが微妙に違った衣裳だが、色と柄は似ていて、胸のところになんかウルトラマンみたいな模様が入っている。

・・・この群舞の構成は、“Gong”とよく似ている気がする。舞台のあちこちに、何人かが組になって散らばり、それぞれの組が異なる振りを踊る。そしてそれらの組がしじゅう出たり引っ込んだりする。“Gong”と“Broken Fall”を継ぎはぎしたような構成と振付。音楽は“Broken Fall”そっくり。集中して観ようという気持ちがだんだんと失せてきた。これ以降は、どんな踊りだったか、どうしても思い出せない。なんかパ・ド・ドゥがあったような気がするんだけど。これも“Broken Fall”みてえ、と思ったことしか覚えてない。

作品の中間部分で、音楽が静かでゆったりした旋律のクラシック音楽に変わる。9日は何も起きなかった。ところが、11日の公演では、ここの部分で音声がいきなりおかしくなった。ハープシコード風の主旋律がくぐもったようになってよく聴こえない。やがて伴奏と主旋律とがズレ始めた。あり?なんか昨日とチガウな?と思って、オーケストラ・ピットにいるおっさんの方を見たら、おっさん、表情は平静だったが、顔を盛んに左右に動かしている。手元は見えない。やがて音声は明瞭になり、ズレた音楽もぴたりと合わさって、何とか持ち直した。

ところが、12日の公演でも、11日と同じ箇所でまた同じように音がくぐもり、音楽がズレ始めたのである。今度は厄介なことになった。異常は徐々にひどくなり、ラストの盛り上がりに向けて、メロディ、効果音、激しく急なリズムのパーカッション音が互いにズレまくったまま、会場中に大音響で流され続けた。ついでに前の方で演奏されて既に終わったはずのメロディまでが、小さくくぐもって聴こえてくる始末である(11日まではなかった)。

私は、私が斬新な音楽についていけてないんじゃなくて、機器の方が異常を生じているらしい、と思い始めた。それと同時に客席がかすかにざわつき始める。やっぱり他の人もそう感じているんだ。女性ダンサーが出てきてソロを踊る。が、踊りと音楽が明らかに合っていない。音楽がプログラミングされているコンピュータが異常を起こしていて、それが修正不可能な状態になっているに違いなかった。

やがてフィナーレに向けた群舞が始まった。もはや繁華街の騒音と化した音楽が響き渡る中、ダンサーたちはただただ踊り続けていた。男性ダンサーの衣裳は袖なしのTシャツにショート・パンツ、女性ダンサーの衣裳は、ストラップレスの方形の胸当てに股ぐりの浅いパンツ。この素材が面白くて、ライトが当たる角度によって、ときには白、ときにはグレーになる。ここの群舞の振りもすっかり忘れた。あの大音響の騒音にうんざりして、ダンサーたちには申し訳ないけど、早く終われ、とばかり思っていたから。

おっさん、Scannerはプログラムに、“Each night the soundtrack is performed live;every time a different shape is secreted from the machines”とか書いている。だけど、あれは明らかにその“the machines”がトラブルを起こしたんだと思う。いくら“every time a different shape is secreted”だとしても、音がくぐもってよく聴こえないのも、左右で音がズレていたのも、パーカッションとメロディが合わないのも、みーんなワザとだったとでもいうのか。

もしワザとやったんなら、ダンサーの立場を考えろ。おっさんはステージに背を向けて、機器のモニタをひたすらのぞきこんでいたから、踊るダンサーたちの姿は見ていないだろう。演奏者がその場のノリで勝手に音楽(?)を変えたら、ダンサーたちはどうすればいいのか。彼らは決まった振りを練習して、それをこなしているのだ。演奏者の思いつきでいきなり音楽が変わっても、ダンサーたちにはどうしようもないだろう。それに、聴いている観客のことも考えろ。もし意図的にああしたのなら、12日は明らかにやりすぎた。もはや音楽ではなくなっていた。単なる耳障りな騒音だ。

最後は、どういう終わり方をしたんだったか・・・。舞台が暗くなり、左側に再びスクリーンが現れ、また男性ダンサーの姿が映し出されて、男性ダンサーがひとりで踊っている姿をしばらく映した後、スクリーン上からその映像がふっと消えて終演だったか。もしくは、ダンサーたちが群舞を終えた後、みんなで静かに舞台奥に歩いて去っていく中で、ライトが落とされて終演だったか。

カーテン・コールは、幕がいったん下ろされてから始まったのか、それとも幕は上げられたまま、消えた舞台上のライトが再び点灯されて始まったのか、これもよく覚えてない。でもとにかく、カーテン・コールはちょっと滑稽だった。ダンサーたちが後半で身に着けていた衣裳は蛍光素材でもあったらしく、そのため舞台上のライトが消えても、暗闇の中にダンサーたちの衣裳だけが蛍光グレーに浮かび上がっているのである。

今では、私が感じていることと、他の観客が感じていることの間には、以前に思っていたほどの遠い間隔はない、と私は思っているのだが、闇の中に、女性のストラップレスのブラと、パンツの形だけが白くぼわ〜ん、と浮かんでいるのを想像してみて下さい。笑えませんか?私はおかしいと思ったけど、笑っちゃいけないのは分かっていたから、笑わなかった。でもクスクス笑いをしている観客もいた。

9日と11日のカーテン・コールはまだよかった。すばらしい踊りをみせたダンサーたちには、大きな拍手と喝采が送られた。ただし、12日のカーテン・コールには面白い(申し訳ないけど)ことが起きた。舞台上のライトが消えて終わったとたん、カーテン・コールを待たずに、観客たちが次々と立ち上がり、帰り始めたのである。終演と同時に帰る観客はいつでもいるけれども、9日と11日にはこんなことは起きなかった。それにこの12日は最終日だったのである。

ライトが点灯されてカーテン・コールが始まっても、立ち上がって帰る観客は跡を絶たない。ダンサーたちが前に出てきて挨拶しているのに、かまわず背を向けて続々と出口に押し寄せる。しかもその多くは、Orchestra StallsやStalls Circleに座っていた客たちだった。案内係たちは心なしか戸惑ったような顔をしている。

だが、“Broken Fall”の カーテン・コールで、足をドカドカと踏み鳴らしていた人々は、この“Qualia”でも大騒ぎだった。今となっては、彼らはロイヤル・バレエを情熱的に愛する人々だったのか、それともただ単にお祭り騒ぎをしにやって来た人々だったのか、よく分からない。盛んな拍手と喝采を送り続ける観客がいる一方で、多くの観客が席を立ってぞろぞろ出て行くという奇妙な光景だった。カーテン・コールは2、3度で終わってしまった。ギエムのときには、しつこいほど幕を上げていたのに。楽日にしては、あっけない幕切れ(オヤジギャグじゃないですよ)だった。

こんなわけで、この“Qualia”、特に最終日の12日は、ダンサーたちにとって少し気の毒な結果になった。こんなとき、日本人だったら、健気なダンサーたちのために暖かい拍手を送るだろう。でもイギリス人はキツイですわ。よくもわるくも、反応がはっきりしている。いちばん責められるべきなのは、あのScannerとかいうおっさんだ。なーにが「毎回、違った形が機械から醸し出される」だ。ただの故障だろが。前の日におかしくなったんなら、次の日までに直しとけよ。すぐに帰った観客たちは、はっきりいってアンタに怒ってたんだと思うぞ。

次にお間違いさんなのは、バランスの悪い演目を設定したロイヤル・バレエのスタッフたち。“Gong”と“Qualia”は、振付、踊りの構成や順番、群舞でのダンサーたちの舞台配置がそっくり。“Broken Fall”と“Qualia”は、同じような構成とメロディ(?)の電子音楽に加えて、パ・ド・ドゥやパ・ド・トロワでのリフト部分が、これまた似たような振付であった。というわけで、3作品の魅力が相殺されることになり、特に最後の“Qualia”は、ほとんど目立たなくなってしまったのである。

あと、もうひとつ思ったのは、バレエのモダン作品自体が、ひょっとして行きづまってしまっているのかな〜、ということである。たまたま偶然に、似たような作品と音楽ばかりが集まったとは考えにくいし、また振付家や作曲者同士が事前に打ち合わせて、わざと同じような作品を作ったはずもないんだから。でもこれは、もっといろんな作品を観てみないと分からないけれど。

アダム・クーパーが観られたからよかったものの、また彼の踊った作品が、かろうじて面白いと感じられたからよかったものの、自分が観にいきたいと願った公演が、総じてあまり好きになれなかった、というのはちょっと残念だった。

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