Club Pelican

Notes 3

「オン・ユア・トウズ」について
(「不定期日記」2003年6月26日原載)

アダム・クーパーが今度の8月に再演する“On Your Toes”は、1936年4月にニューヨークのインペリアル劇場(Imperial Theater)で初演された。ロンドンでの初演は、その翌年の1937年2月、パレス劇場(Palace Theatre)においてである。その後の1954年10月になって、ニューヨークの46番街劇場(でいいの?46th Street Theaterって書いてある)で再演が行なわれ、この時のキャストによる録音が現在も残っている(原盤はDeccaが1954年に発売したレコード。MCA Recordsが1997年にCD化した)。

そして1982年12月、ワシントンD.C.のケネディ・センター(Kennedy Center)で、およそ30年ぶりの“On Your Toes”再演が行なわれ、この公演は翌年の1983年3月、ブロードウェイのヴァージニア劇場(Virginia Theater)に進出し、ロシアのプリマ・バレリーナ、Vera Baronova役として、ナターリャ・マカーロヴァ(Natalia Makarova)が出演して大きな話題となった。この時のキャストによる録音も残っていて、私が持っているCDは、JAY Records(?)から発売されたものである。(ちなみにその翌年の1984年、ロンドンのパレス劇場でもこのプロダクションの公演が行なわれた)。

1954年版と1983年版とを聴き比べてみると、カナーリ違っている。いや、もちろん歌や音楽は基本的にぜんぶ同じ曲なのだが、1954年版を先に聴いてから1983年版を聴くと、特に序曲の出だしなんかは、まるで別の作品のように感じられたくらいだった。1954年版はいかにも昔っぽいというか、音楽だけ聴いてても、昔の白黒のミュージカル映画みたいなシーンが浮かんでくるようだ。

ところが、実に不親切なことには、この2種類のCDには、歌詞がまるきり付いてないんだよ、歌詞が。何て歌ってるのか、聞きとれない。英語圏の人は苦もなく聞きとれるんだろうけど、日本人のアタシはどうしたらいいんだよう。それに大体、アタシは“On Your Toes”のあらすじ自体、まだよく分かってないのだ。それにしても、歌の意味が分からないなんて、これではあれこれ想像してみたりすることもままならない。てことで、Amazonを検索したら、“On Your Toes Vocal Score”(CHAPPELL社発行)なるものがあった。ヴォーカル・スコア?じゃあ、歌詞はぜんぶ付いてるのかな?けっこう高かった(消費税込みで5,384円)けど、でも仕方ない。注文した。

2、3日前、その“On Your Toes”のヴォーカル・スコアとやらが、ようやくAmazonから届いた。注文してから1ヶ月も待った。届いたのは嬉しかったけど、Amazonの商品紹介画面からは、歌詞がぜんぶ付いているのか、またこのスコアが拠ったヴァージョンが、今度の公演と同じものなのかどうか分かりにくかったから、ちょっと不安だった。今日になって、ようやくCDを聴きながら全部つきあわせてみた。

そしたら、よかった。歌詞はすべて付いている。それに、歌の出だしや合間にあるセリフ、各シーンの簡単なト書き、もちろん各々のキャストが受けもつ歌と歌詞の部分もぜんぶ記載されていた。もちろん楽譜はチンプンカンプンだけど、なんとか歌詞を頼りに必死に目で追った。

まえがきによれば、このスコアは1983年版に準拠したものだった。どうりで1983年版と一緒に聴けばバッチリ合うはずである。ちなみに、何十年も前の作品を再演するに当たって、リチャード・ロジャース(Richard Rodgers、作曲者)とローレンツ・ハート(Lorenz Hart、作詞者)のオリジナル・スコアに「わずかな変更」を加えてあるそうだ(Hans Spialekによる。“On Your Toes”1936年初演時のオリジナル・スコアのオーケストラ編曲担当者)。

クーパー君が去年の春に振付・主演し、今夏に再演する“On Your Toes”が、1936年のオリジナル版に沿っているのか、それとも1983年の新プロダクションを採用しているのかは、さっきロイヤル・フェスティバル・ホールの“On Your Toes”ミニサイトに寄ってみたけど、よく分かんなかった。ひょっとしたら、去年の公演のレビューには書いてあるのかな。まあでも面倒だからいいや。歌詞やセリフやストーリーの進行自体には、そんなに大きな違いはないだろうし。

あまり興味がなかったけど、意外と面白そうだ、この“On Your Toes”。特に第1幕最後の“La Princesse Zenobia Ballet”のシーン、クーパー君が演じるフィル・ドーラン・ジュニア(Phil Dolan “Junior”)が、バレエの群舞にいきなり代役で参加することになった挙げ句、そのバレエをメチャクチャにしてしまうんだって。「振り付けや踊る相手を間違えて慌てふためく」っていうシーンがあると読んだけど、ここのことかしらね。舞台ではいつもクールな役ばっかりのクーパー君が、振付や段取りをマチガえて慌てるなんて、想像しただけで大爆笑だわ。

イギリスの新聞がアダム・クーパーをとりあげるときは、いまだにほぼ例外なく、「マシュー・ボーンの『白鳥の湖』の大成功で名を馳せた」とかいう類の、決まった修飾句を付けたがる(最近はこれに「『オネーギン』でロイヤル・バレエに復帰を遂げた」とかいう語も加わるようになった。いったいいつの話だ)。私にとって、ボーン版「白鳥の湖」のザ・スワン/ザ・ストレンジャーは、アダム・クーパーのただ一人しかいないことには変わりがない。でも、こういうお決まりの「アダム・クーパー専用修飾句」を読むと、ひょっとしたら、クーパー君は時には、自分に対するこうしたイメージを、脱げない殻のように感じたこともあったのかもしれない、とも思ったりする。

アダム・クーパーには、ドラマティックで苦悩する役がいちばん似合う、と私は思うけど、でも実際には、彼にはもっと幅広い可能性と、それを実現するに足る充分な能力とがあるのは確かだ。でも少なくともイギリスには、人をとかくタイプ・キャストにはめたがって、いったんそれが固定するとなかなか揺るがない、という風潮がある、と私は感じている。クーパーは一生懸命いろんなことに取り組んでいるのに、何年も前からの固着したイメージがなかなか外れない、ということに、彼は歯がゆい思いを抱くこともあったろう。

“On Your Toes”で、クーパーがダンサーとしてはもちろん、振付の面でも、彼本来の実力を、ロンドン人相手に存分に見せつけてくれるといいな、と心から願っている。

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感想だけの“ON YOUR TOES”感想 (1)

「名作劇場」の方の“ON YOUR TOES”「感想」が、ほぼ完全に物語紹介と化したため、自分の思ったことや感じたことを書く余地があまりなくなってしまった。それで、ここでは、私が今回の“ON YOUR TOES”ロンドン公演を観ての、まさに感想だけを書いていきたい。

まず言いたいのは、この“ON YOUR TOES”公演は、大金を費やして観に行っただけの値打ちは大いにあった、ということである。なによりも、何度観てもその都度とても楽しむことができて、飽きるということがなかった。これはいちばん大事なことだと思う。

「大成功」、「スマッシュ・ヒット」、「大評判をとった」などという、新聞批評にままみられたホめ言葉は、決して大げさなものではない。私が観た週の公演も、会場はほぼ満席で、オーケストラの団員たちは半ば呆れたような表情で、大にぎわいの客席を見つめていた。

またクーパーが公式サイトの“diary”でいうには、公演の最終週、チケットは完売状態だったそうだ。公演が始まった当初は盛況でも、公演が終わりにさしかかると閑古鳥状態になった、というなら悲惨だが、Royal Festival Hallという2000以上の席数を持つ大型の劇場で、1ヶ月間にもわたる公演を行なったにも関わらず、毎回ほぼ満員の観客を動員できた、というのはすごいことである。

意地悪なことを最初に言っちゃうと、これは公演期間の設定がよかったことも幸いしたと思う。1ヶ月という期間限定の公演だったから、客のチケット購買意欲は増しただろう。それになにせ8月である。世界のほとんどの国は夏休みだ。だから国内外から客が来やすかった。もちろん日本人も。そして、強い競合相手がいなかった。この期間のロンドン、特にバレエ関係は、まったく公演がなかったのである。プレビューと本公演が始まった第1週はキーロフ・バレエ団のロンドン公演と重なったが、これは“ON YOUR TOES”にとっては、逆に客の興味を掻き立てる格好のネタになった。

クーパー自身が述べたことには、外国からの観客が多く訪れたこと、またRoyal Festival Hallは、固定の音楽ファン、ダンスファン、また幅広い嗜好を持つファンなど多様な客層を有し、“ON YOUR TOES”の観客層には、それらのすべてが混合していたこと、それが成功につながったという。

付け加えるなら、もちろんRoyal Festival Hall という会場もよかったんだろうけど(特にチケット・ブッキングのシステムはすばらしい)、それ以上に、“ON YOUR TOES”はめずらしい演目であること、その音楽や歌は人々に広く知られていること、またその中ではジャズ、タップ、バレエなど、さまざまなジャンルのダンスが同時に観られることなどが、幅広い多様な客層を集めることができた理由だと思う。ああ、もうひとつ付け加えることがあった。チケット代が安かったことである。いちばん高い席でも36ポンド(約6,900円)。

そして、これは好意的なのか、それとも意地悪な意見になるのか分からないが、今回の“ON YOUR TOES”公演は、キャストがとにかくよかった。アダム・クーパー以外も。私が思ったのは、“ON YOUR TOES”は、最初は確かにあのアダム・クーパーが振付・主演するということで話題となったわけだが、しかしアダム・クーパー1人の力だけで成功させるのは絶対に不可能な演目だ、ということである。

クーパーが演じたジュニア(Junior,Phil Dolan III)は、いちおう主人公とはいえ、出番がそう圧倒的に多いというわけではない。やはり他の役、ヴェラ・バロノヴァ(Vera Baronova)、コンスタンティン・モロシン(Konstantine Morrosine)、ペギー・ポーターフィールド(Peggy Porterfield)、セルゲイ・アレクサンドロヴィチ(Sergei Alexandrovitch)、フランキー・フレイン(Frankie Frayne)、シドニー・コーン(Sidney Cohn)、これら「脇役」のすべてにいいキャストを持ってこないと、成功はかなり難しい演目だと思う。

その点、今回は本当に恵まれていた。コンスタンティン役にイレク・ムハメドフ(Irek Mukhamedov)、ヴェラ役にサラ・ウィルドー(Sarah Wildor)を出演させることができた。クーパー、ムハメドフ、ウィルドーという、ロイヤル・バレエの元プリンシパル3人が共演する、ということで、ロンドンのバレエ・ファンの興味を引くことができたし、またペギー役にカスリン・エヴァンス(Kathryn Evans)が参加したことも幸いなことだった。

特にムハメドフのおかげで、第1幕の劇中劇、“La Princesse Zenobia”は、ただのお笑いシーン、また「なんちゃってバレエ」に終わらず、逆にバレエとして高いレベルを有する出来になった。もう「名作劇場」でも書いたけど、ムハメドフがソロを踊っているシーンは、最も迫力ある見せ場のひとつであった。明らかに、クーパーはムハメドフのレベルに合わせて、コンスタンティンのソロを振付けていると分かった。それに、ムハメドフが出演したために、ジュニアとコンスタンティンの関係が、ロイヤル・バレエ時代におけるクーパーとムハメドフとの関係を彷彿とさせるものとなり、第2幕でのジュニアとコンスタンティンの口論やその後に続く乱闘シーンには、とりわけ大きな「裏効果」をもたらした。

そして、ウィルドーもこの上なく魅力的であった。なんといっても、彼女は非常に美しいし、また演技もすばらしかった。表情を時にはくるくると激しく、また時には微妙に変化させて、ヴェラの感情を緻密に表現する。また私が特に好きだったのは、あの声音である。ヴェラの性格に合わせた、激しい気性そのままの、早口で、けたたましい、ヒステリックな話し方だが、ウィルドーが怒鳴っていても、その声はなんというか、耳に心地いいのである。うるさい耳障りなキンキン声じゃなくって、ややハスキーな大声になる。それに、発声はよく、また英語の発音の美しいこと!!ヴェラはロシアなまりの英語をしゃべる、という設定だが、やはり基本的な発音は正しく、しかも非常に明瞭である。

彼女はあの美しさと魅力的な声音で、これじゃあジュニアが「食われちゃう」のも仕方がないよなあ、と充分に納得できるものがあったし、やはりあれだけの美女が舞台に立っていると、それだけで舞台が華やかで見栄えのするものとなる。彼女がいろんなデザインのゴージャスなドレスを着て舞台に出てくると、思わずうっとりと見とれてしまう。まして、彼女が踊っているときには、容姿の美しさに加え、その手足の動かし方は繊細で、表情は豊かで細やか、また醸し出す雰囲気は色っぽく官能的であった。

そのウィルドーとムハメドフが“La Princesse Zenobia”で、一緒にパ・ド・ドゥを踊るのを目にすることができたのは、とても幸運な経験だったと思う。しかも、ロイヤル・バレエでは絶対にありえないギャグ入りで(笑)。ウィルドーがムハメドフのハラを蹴ったり、突き飛ばしたり、頭をつかんでどついたり。ウィルドーがこれまた表情ひとつ変えずにやってのけるのに対して、ムハメドフは目をくるりとむいて頭を振りながら、あわててウィルドーの後を追いかけていく。ただし、このパ・ド・ドゥは随処にお笑いが入っているものの、基本的にはマジメな踊りで、クーパーはバレエとしての魅力を損なうほどにフザけた振付は一切していない。

ペギー役のエヴァンスに関しては、もう「名作劇場」でホめまくったので、付け加えることもないのだが、踊り、とりわけクラシック・バレエの面で、ムハメドフとウィルドーが大きな役割を果たしたなら、歌の面での大きな役割をほとんど1人でこなしたのは、このエヴァンスであった。この人は他の出演者とは明らかに違っていた。唯一のプロフェッショナルであった。演技、セリフ、歌、踊り、すべての面で圧倒的な優れた能力を持っている。

たとえば、この人はいかにも「歌を一生懸命歌ってます」という感じが微塵もなく、まるでセリフをしゃべるように自然に歌う。そして歌声で演技し、歌いながら表情や身振りや動きでも演技する。そして、圧倒的な存在感、カリスマ性を持っている。もう「名作劇場」で書いたけど、“The Heart Is Quicker Than The Eye”では、なんとクーパー君を余裕で一蹴したし、“You Took Advantage Of Me”では、演技力、表現力、歌唱力の違いをみせつけ、“ON YOUR TOES”中で最大の喝采を得ていた。こ、これが本物のプロか・・・すげえや、と私が思い知らされた人である。

さて真打のクーパー君であるが、まず踊りに関しては、何も言うことはありません。完璧です。タップ、バレエ、私は、彼がこんなに溌剌として、生き生きと、楽しげに、のびのびと踊っているのを初めて目にしました。いくつかの曲やシーンでちょびちょびと踊ったくらいで、まともにたくさん踊ったのは、最後の“Slaughter On Tenth Avenue”だけだったけど、まず彼が踊りだすと、舞台の雰囲気ががらっと変わる。びしっとひきしまる感じになる。そして、彼の姿勢の美しさ、手足の動きの流麗さ、音楽を余すところなく有効に使い切る巧みさに目が奪われるのである。

彼が踊る最初のシーン、学生がいなくなった教室で、ひとりタップを踊りだしたときの、あの細かくて鋭い澄んだ音は、まだ耳に残っている。しばらくは忘れないだろう。タップの音が、こんなに耳に快いものだとは思わなかった。誰かと、また群舞の中で踊っていても、彼のダンスは明らかに他の人々とは違っていた。たとえ早くて激しい踊りでも、彼の動きはなめらかで丁寧で繊細だ。総合的なダンスの能力、という面では、まちがいなくクーパー君がピカイチであった。

そして、“Slaughter On Tenth Avenue”での、手足を真っすぐに伸ばしたまま、鋭い直線的なラインを描きながら踊る姿、彼が長い手足で描いた踊りの線が、まるで光の残像のように、舞台の暗い背景に流れていく様子は、殊のほか印象的なシーンであった。

ふと思ったのは、クーパーは、ソロで踊るのがいちばん映える、ということ。おそらくソロでなんの制約もなく踊るなら、できないことは何もないだろう。誰かと踊るのがいけない、というのではなくて、相手がいればこの人は相手に合わせてしまう。相手を優先して自分を二の次にする。それがはっきりと出てしまうのである。これは美点でもあるんだろうけど、やはり向き不向きというものはあって、クーパーはソロで踊るのが最も魅力的だ、と感じた。

それから特筆すべきは、案の定、彼がすばらしいコメディ・センスを持っていたことである。二枚目が無理にお笑いやって、観ている方が痛々しくなるような不自然さが皆無。コイツ、お笑いが素なんじゃねえか、と思えるくらいだった。ヴェラの誘惑に乗って彼女に襲いかかるシーン、涙と人情の大ウソ身の上話、二股かけてるのがバレたときの必死なごまかし笑い、またやはり“La Princesse Zenobia”では、セリフはなかったし、またケ○芸を抜きにしても、最初は超弱気だったのが、徐々に昔を思い出して調子に乗りだし、コンスタンティンに追い出されても目立とうとする必死な努力(笑)、能天気でマヌケな表情、ぎこちない身振り、完全にハズしまくりな不恰好な踊りだけで、ホントに腹の底から大笑いした。これで彼の芸域は広がった(?)と思う。「神秘的でワイルドでセクシー」というレッテルも、めでたく外れただろう。よかったね。

二つの異なることを書くんでも、ホメ言葉を最初に書いて、批判的なことを後に書くか、それとも批判的なことを先に書いて、ホメ言葉を後に書くか、順番を反対にするだけで印象は変わるものである。だから、クーパー君を批判されることには耐えられない、という方は、ここから先は読まないでね。

単純にはっきりと分けられるワケではないんだけど、“ON YOUR TOES”には、踊りがメインな役と、歌がメインな役とがあるようだ。ヴェラやコンスタンティンは明らかに前者、ペギー、フランキー、シドニーは後者の方にやや傾いている(もちろん踊りも要求されるが)。ジュニアは歌と踊りの両方が要求される役である。比重はやはり踊りの方に傾いていると思うが、でも“Questions And Answers”、“It’s Got To Be Love”、“There’s A Small Hotel”、“The Heart Is Quicker Than The Eye”と、4曲も歌わなくてはならない。

クーパー君の歌はすばらしかった。素人の付け焼刃でもなく、もちろんミキシングなどで音程に加工が施されてもいない。「紅白歌合戦」とかで生で歌っても大丈夫だ。なにしろ声がよく透る。よく伸びる。声量もある。それに美声だ。ちゃんと長い時間かけて鍛えられてきたと分かる。それでも。あえて要求を高くするなら、もう少し安定性がほしい。

低音部と高音部はやや辛そうだった。それから声を長く伸ばすところでは、時折かすれそうなところがあった。息が続かないのである。またそれから(しつこくてすみません)、踊りながら、あるいはやや激しい動きをしながら歌っているときである。たとえばエヴァンスは両方をそつなく完璧にこなしていた。でもクーパーはそれができていなかった。踊りや動きに歌がついていけていない。体が静止した状態で、あるいは軽い動きをしながら歌っているときは、ぜんぜん問題ない。だけど、踊りや激しい動きと同時並行で歌わなくてはならないのは、役柄上しかたがないんだから、自分でそういう役を選んじゃったんだから、もう少し安定させてくれるといいなあ、と思う。歌のトレーニングを粘り強く続けて下さい。

セリフ回しは流暢ですばらしかった。歌声と同じで、声は大きくてよく透るし、発音はきれいで明瞭(アメリカ英語だけど)。なによりも美声。いつまでも聴いていたいような、とても魅力的な声音だ。・・・ただし(ごめんね)、声やセリフでの演技には、時にちょっとワザとらしいというか、素人芝居なところが(ホントにごめんね)あった。

たとえば、声優さんの声での演技力がいかにすごいものかは、たまに有名俳優とかがゲストで映画の吹き替えをやるとすぐに分かる。認知度の低い声優さんたちの方が、有名俳優より明らかに優れている。クーパー君のセリフでの演技には、映画の吹き替えをしている有名俳優の声を聴いているような気恥ずかしさを感じることがままあった。第1幕冒頭、怒って教室を出て行くフランキーをあわてて呼び止めるシーン、「ああ、マズった、彼女の心を傷つけてしまったぞ!」というセリフでは、私の方が“Oh, gosh!”とつぶやきたくなりました・・・。

バレエにおけるクーパー君の演技力や表現力には定評があるが、同じ演技でも、セリフで演技することは、また別次元のことなのだとあらためて思い知った。これもトレーニングに励んで下され。

でも、こんな言い方はなんだが、ミュージカルに主に出演している他のキャストたちと比べても、クーパーの歌やセリフや演技は、総じてなんら遜色のないレベルの高いものだった。正直、私は彼に対しては、踊り以外はそんなに期待していなかったので(むしろ不安でさえあった)、これにはびっくりというか、まあ意外で嬉しかった。だから、つい要求が更に厳しくなってしまったワケである。実際ひどかったなら、ここでは逆にホメまくりに終始したことだろう。

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感想だけの“ON YOUR TOES”感想 (2)

“ON YOUR TOES”の舞台は1936年のニューヨークである。衣装は当時の服飾のデザインを取り入れる一方、ひと昔前、20〜30年前に流行したデザインも採用して、それらを現代的にアレンジしたもので、男女ともにすごくおしゃれでよかった。特にヴェラのドレスはいずれもゴージャスで、それに頭全体をすっぽりと覆う形の、お揃いの生地のふちなし帽子が必ずついていた。ヴェラの衣装は30年代に流行した女性の服装に近いデザインだった。ウィルドーが着るとこれまたよく似合う。特にあの黒いベルベット地の、長袖のガウン風ロング・ドレスに白い羽根マフラーという出で立ちは、まるでマレーネ・ディートリッヒを彷彿とさせる、惚れ惚れするような美女ぶりであった。

ジュニアの音楽クラスの学生たちは一様にカジュアルな服装で、どれも非常に明るいカラフルな衣装を着ていた。女子学生は横ストライプのタイトなTシャツ、水玉模様のブラウス、ニットの半袖セーター、裾広のカラー・ジーンズ、チューリップ型のスカートなど、男子学生はカラー・シャツにネクタイ、また淡い色のシャツに袖なしのVネックのセーター、木綿のズボンなどで、これらはいくらなんでも30年代のデザインではなく、せいぜい60〜70年代に流行したデザインを基調としているらしい。今はレトロなファッションが流行っているから、あれを着て外を歩いてもぜんぜん違和感がないと思う。

それに対して、ロシア・バレエ団の団員たちのレッスン着は、もっぱら黒やグレーなどの暗い色合いばかりであった。アメリカの学生たちの明るいカラフルな服にわざと対比させたものだろう。デザインは現代のレッスン着をそのまま用いたんじゃなかろうか。初演(1936年)リハーサル時の写真で、バレリーナが着ている当時のレオタードの写真と明らかに違うもん。もしかしたらダンサーたち各自持ち寄りだったのかも。ムハメドフの黒Tシャツと黒いズボンも自前だったのかもしれない。・・・でも、ヴェラの黒ベルベット&黒レースの超ゴージャスレッスン着、あれはさすがに特注だろう。

セルゲイの衣装はセルジュ・ディアギレフの写真そのまんまであり、黒いシルクハットに黒い外套、ダブルの細縞のダーク・スーツを着て、ステッキをついている。ペギーはいかにもリッチな女性という感じで、最初に登場したときは薄紫のフレアー・スカートのワンピースに、つばびろの帽子を斜めにかぶり、肩にシルバー・フォックスの毛皮をひっかけていた。フランキーはいかにも育ちのいいおとなしいお嬢さん風の、淡い色や小花模様のワンピースを着て、またその上に薄いデニム地の短めのジャケットを重ねていた。

ジュニアは袖の幅が広いシャツにネクタイをきちんと締め、サスペンダーをつけるか、またはギンガム・チェックのチョッキを着て、同じく幅が広い同柄のズボンを穿いていた。肩から背中にかけてのラインが実にきれい。クーパー君、きっと紳士服の広告もイケルよ(でもア○キやコ○カはできればやめてね)。シャツの袖がだぼだぼなので、なんていう名前だったっけ、袖が下がってくるのを止めるバンドを両腕にはめていた。これがまた似合う。ズボンの裾は靴のかかとぎりぎりに長かった。踊るときにズボンの裾が靴に引っかかりそうでちょっとハラハラした。上着は無地のアイボリー色のもの。

この服装が「ダサくてサエない男」を意味しているのかどうかは分からない。だってクーパー君はスタイルがいいから、何を着てもすっごく似合ってかっこいいんだも〜ん。でも厚ぶちメガネをかけて、髪をポマードでかっちり固めているのは、とーぜん「マジメ人間」を象徴しているんでしょう。でもでも、クーパー君だとやっぱりかっこいいの。だって彼はメガネがよく似合うのは、メガネの広告に出た経験があることでも証明済みよ。それに、髪が七三分けでも、クーパー君は男前だからやっぱりステキなのよ。おほほっ。

“La Princesse Zenobia”の衣装は、トルコみたいなターバンにハーレム・パンツが基本。ダンサーたちの衣装は、男女ともに濃い紫、薄い紫、青、水色、オレンジ、赤、金色、銀色、白銀色など非常に色彩豊かで、髪飾りやネックレス、腕輪、胸当て、金鎖、銀鎖など豪華なアクセサリーもふんだんに身につけていて、いかにもエキゾティックな雰囲気が漂っていた。よくみるとそんなに上質の材料を使ってるワケではないし、色も強い色ばかりが目立ってよい趣味とはいえないが、この安っぽさと目にイタい極彩色は、昔っぽい、そしてステロタイプされたロシアのアラビアン・ナイト風バレエ、という印象を与えるのには、まさにうってつけであった。

“On Your Toes”での衣装は、タップ側はともかく、バレエ側の衣装のデザインはちょっとな〜、と思った。ロシア・バレエ団のダンサーたちの衣装を、コミュニズムを象徴する赤で統一したり、またバレリーナのチュチュの胸元に、旧ソ連国旗にあった金色マークが縫いつけてあったり、これらの象徴的なデザインは、ぎりぎり80年代末までは効果を発揮したかもしれないが、ソ連が解体して10年も経った今となっては、もう時代遅れな感じがする。

“Slaughter On Tenth Avenue”での衣装は、ビッグ・ボス(ダーク・スーツ)とヴェラ(純白のビュスチェの下着にキューピーちゃんみたいな帽子、またラベンダー色の膝丈スリップ・ドレス)、ダンサーの男(黒い上着、タンクトップ、ズボン、帽子)以外は、全員が紅の衣装を着ていた(今度はもちろんコミュニズムの象徴ではない)。デザインはそれぞれ違っていて、特に女性陣の衣装はとてもセクシーだった。超ミニのワンピースに網タイツ、ハイレグのレオタードに短い丈の上着を重ねているだけとか、脚線美を強調したもの。男性陣はタンクトップにサスペンダー、シャツ、ズボンなどで、彼らの紅い衣装は、藍色の背景と、微かに漂う白いスモークによく映えていた。

こんなふうに、衣装はどれもすごくおしゃれでよかったんだけど、舞台装置に関しては、もうちょっとなんとかならないものだろうか、と思った。特に背景に用いられていた壁、まるで薄っぺらいベニヤ板に色紙を貼り付けたみたいだった。安っぽい質感で、上からライトが当たると、表面がビミョーに波打っているというか、なんだか微かに凹凸がある。それから、ヴェラが序曲の冒頭で登場するときに歩いてくる深紅のカーペット、端っこの角がまくれあがって裏側が見えていたよ。小さいことだが、ここは舞台が始まる直前で、観客の注意がヴェラ1人に集中する、最も緊張する場面である。安普請のB&Bの廊下じゃないんだから。

それから、またしつこく書くけど、ヴェラの靴棚の絵、あれもなんとか他の工夫をしてほしい。もしかしてワザとああいう安っぽい感じの絵にしたのかもしれないけど、もし安っぽい感じを出すことで「別の効果」を狙ったのなら、私にはその「別の効果」が分からなかった。仕方がないのでいちおう付き合いで笑ったが、背景の壁といい、この絵といい、なんか安っぽいな、この公演って、あんまし予算がナイのかな、と思った。

総じて舞台装置や小道具は少なめで、たとえばヴェラの部屋には、あの藍色の壁と靴棚の絵を背景に、ヴェラのベッド、散乱する靴、ピアノ、椅子しかなかった。プリマの部屋にしてはなんだか寂しいなあ、という感じさえする。・・・いや、ごちゃごちゃと家具や調度品を置けばいい、と言いたいのではなくって、簡素でもいいんだけど、・・・ちょっと比べてもいいかな・・・ボーン版「白鳥の湖」の舞台装置、よくみると全体的に簡素であっさりしているけど、そうは感じさせないし、まして安っぽくて貧相だとも感じないでしょう?

王子と白鳥が出会う池辺のシーンなんて、ベンチと「エサやり禁止」の看板とゴミ箱と舞台両側面の白い壁(しかも全幕使い回し)しかナイですよ。しかも途中でベンチも看板もゴミ箱も消える(消えた方がイイけど)。横の白い壁と背景の星と月、青白いライトだけで、充分に幻想的で美しい。パーティーのシーンもそう。同じ白い壁に、テラスの柵、丸テーブルと椅子、ヘンなデザインの(2本の巨大な手が松明を握っている)照明だけ。王子の部屋。またもや同じ白い壁に、王子のベッドだけ。でもぜんぜん貧相にみえない。

“ON YOUR TOES”の舞台装置は、簡素というよりは、貧相で寂しいという印象を受けることが多かった。・・・今ふと考えたのは、舞台装置の転換がせわしかったために、舞台装置をギリギリまで最少にする必要があったのかもしれない。・・・付随していろいろと思い出してきたぞ。“ON YOUR TOES”は、一幕の中で何度も場面が変わるのだが、あの舞台装置の転換も、なんかガタガタとして見た目にもすごく忙しそうだった。ライトを落としても見えてしまうんです。スタッフや、時にはキャストまでが舞台装置を押して移動させているのが。マメに短い間奏曲を入れても、音楽でごまかすにはやはり限界がある。

それからこれは演出とも関係してくるが、第1幕の“Questions And Answers”での、あの“Bach”、“Beethoven”、“Brahms”看板は、やっぱりお願いだからやめてくれ。なんで恥ずかしいのか自分でもよく分からないんだけど、とにかく恥ずかしいんです。アステアとレーニンの顔写真入り垂れ幕、巨大なアメリカと旧ソ連の国旗も、やめてほしいとは言わないが、なんかいかにもな感じでちょっと・・・。重箱のスミをつつくが、セルゲイはニコライ2世をいまだに尊敬しているらしいのに、なんでロシア・バレエ団とタップ・ダンスの競演が、いきなりソ連とアメリカの融和の象徴になっちゃうの?

というわけで、舞台装置の方はちょっとお粗末な感が強かった。・・・やっぱり予算が足りなかったのかな。演出にもちょっと気恥ずかしいところが多い。でも、演出に関しては、これは作品自体が限定された時代背景を背負っているので、仕方がないといえば仕方がないかもしれない。でも、もし安っぽさや昔くささを、意識的にそのまま強調することで別効果を狙ったのなら、それは“La Princesse Zenobia”以外は、あんまり効果を発揮していなかったと思う。ロンドンでは、舞台装置が多少安っぽくても、演出が多少寒くても、キャストやパフォーマンスはこの上なくすばらしかったので、36ポンドでこれなら充分だ、と思えた。でも来年の日本公演は13,000円(約68ポンド)なので、やはり最低でも舞台装置は、それなりに値段に見合ったものにしてほしい。(まだ続く)

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