Club Pelican

NOTE 4

感想だけの“ON YOUR TOES”感想 (3)

そして、肝心のアダム・クーパーの振付について。“ON YOUR TOES”のプログラムを見ると、“CHOREOGRAPHY ADAM COOPER”と確かに書いてある。でも、その他にも振付に関わったらしき人物の記載がある。“ASSOCIATE CHOREOGRAPHER GREG PICHERY”、そして“RESIDENT CHOREOGRAPHER SPENCER SOLOMAN”である。Greg Picheryは出演もしており、“Two A Day For Keith”(Phil Dolan II、ジュニアのパパ)、また“On Your Toes”では、タップ・ダンスのソロやデュエットを受け持っていたし、“La Princesse Zenobia”ではゼノビア姫の父王シャー・ミン、また楽屋口番、“Slaughter On Tenth Avenue”でもビッグ・ボス役で登場し、至るところでなにげに活躍していた。

だから実際は、クーパーには振付助手として少なくとも2人のスタッフがいたことになる。よく考えれば、“ON YOUR TOES”には、(ダンスの分類がいいかげんですが)タップ・ダンス、ジャズ・ダンス、クラシック・バレエ、モダン・バレエ、社交ダンス、また既存のタイプに当てはまらないダンス(コンテンポラリー・ダンス?)など、それこそいろんな種類のダンスが要求されるので、いくらクーパーが多才でも、そのすべてを最初からカンペキに網羅することは難しかっただろう。踊れるのと振付けができるのとは、また別次元のことだと思うから。

でも振付にアシスタントがいるのは当たり前のことだろう。マシュー・ボーンには複数の振付助手がいるのはもちろん、さらにダンサーたちにもアイディアをどんどん出させて、最終的な振付は彼らとの共同作業の中で決めていく、とボーン本人が認めている。それでも「振付:マシュー・ボーン」と銘打って、ボーンだけがナントカ賞を受賞したり叙勲を受けたりして、助手たちやダンサーたちは“the company”で一括りにされて名前も出ないのだから、“ON YOUR TOES”に関しても、「振付:アダム・クーパー」という前提で話を進めていいだろう。

ところで、振付ってなんだろう。マーゴ・フォンテーン曰く、「まず、踊りには『きまり』があります。ステップがあり、脚の動きがあり、片足跳びがあり、体重の移動があります。大昔の踊りですら何らかのステップの繰り返しでしたし、どんなに簡単な踊りでもダンスと名がつく以上、それは、ステップがつながり、組み合わされたものなのです。」(「バレエの魅力」、湯河京子訳、新書館)

とすると、クーパーもあらゆるタイプのダンスの各ステップ、ポーズ、ムーヴメントを組み合わせて振付をしていったんだろう。私がクーパーの振付作品を観たのは、この“ON YOUR TOES”が初めてなので、他の作品も観てみないことには、クーパーの振付はすべてこうだ、と決めつけることは当然できない。

でもあえて言うなら、“ON YOUR TOES”は可もなく不可もない振付であった、と思う。そんなに強烈な印象を残したとはいえない(クーパーは天才的振付家だ!!といいたいのはやまやまなんだけどね)。もちろん、ひとまとまりのシーンとか、また部分的な、断片的な振付とかでは、ああ、これはいいなあ、とか、非常に美しい、とか、とても印象に残った、とか、独創的だ(こうした表現が適当かどうか分からないが)、とか感じた振付はたくさんあった。

いいところは確かにたくさんあったんだけど、でも、なんといったらいいのか、“ON YOUR TOES”の作品全体としてはどうだったかと言われると、・・・なんだか不統一というか・・・色の合わないパッチワーク的なところがあったというか・・・出来不出来の差が激しいというか・・・紋切り型の動きの切り貼りが多かったというか・・・。とにかく、各シーンで振付けるダンスのタイプは違っても、作品の全体に通じて流れているはずの「アダム・クーパー色」がどんな色なのか、私には分からなかったのである。

いきなりブチかましちゃってわるかったけど、第1幕の“Questions And Answers”や“It’s Got To Be Love”は、振付がどうという以前に、採用した踊りの振り自体に古くさいものがあってちょっと恥ずかしかった。たとえば、“Questions And Answers”で、学生たちが“Rossini, Bellini, Campanini, Tetrazzini, Cambini, Trentini, Martini, Paganini,・・・・・・”と作曲家の名前を次々と歌いながら踊るシーン、全員が舞台中央に集まって上半身をかがめた姿勢で足踏みしながら、モグラ叩きみたいに交替で体を上下させる動き。

また“It’s Got To Be Love”では、ジュニアとフランキーと学生たちが一斉に踊るシーンで、なんか80年代に流行した青春ものダンス映画の群舞みたいなところがあった。たとえば、みんなが“Love, love, love!”と叫びながら両手を横にヨイヨイヨイ、と3回振り上げるところ、それからみなが左脚を根元から思い切り上にあげて1回転したまではかっこよかったが、その後で片脚を前に踏み出した姿勢で、両脇をシめて肘から先の両手を、まるで何かを訴えかけるかのように(冗談)ゆっくりと広げるところ、最後に学生たちが“It’s got to be love!”と何度も大きく叫びながら、ジュニアとフランキーを神輿みたいに担ぎ上げてキスをさせるところとか。ちなみに、これは振付とはぜんぜん関係ないが、“Hideeho!”にはマイった。

同じく第1幕の“There’s A Small Hotel”では、ジュニアとフランキーの踊りはこざっぱりしてきれいだったけど、ほんの一瞬、ふたりが並んでチャールストンみたいな動きをするところがあって、これもちょっと恥ずかしかった。それから、これははっきりいって私は好きになれなかった。途中から出てくるホテルのボーイやメイド風のダンサーたちの踊りだ。覚えようと意識しながら観ていたハズなのに、あの踊りだけはあんまり印象に残っていない。ただ、恥ずかしい、ちょっと寒い、きちんと振付ける時間がなかったのかな、と毎回思っていたことは覚えている。特に3人のメイドが中央に出てきたときに、ペンギンみたいな姿勢で、上半身だけを左右に傾けるカマトトぶった動き、そしてボーイが荷物用カートの上にメイドを乗っけて押して出てくるシーンは、今でも思い出すとちょっと赤面する。

第2幕の“The Heart Is Quicker Than The Eye”、また“Slaughter On Tenth Avenue”で特に気になったのが、切り貼り的な振付が時折みられたことである(ちなみに両者とも、お手本どおりのクラシック・バレエのステップや動きやポーズは用いられていない)。せっかくいい流れで踊りが進行していたのに、途中で、あれ、この振りはどっかで見たことがあるな、と振付が一瞬浮いて見えてしまった箇所がいくつもあった。素人の私にも、これはたぶんアノ作品のアノ部分の振付に「影響されている」のだろう、ということが分かったくらいだった。“The Heart Is Quicker Than The Eye”のリフト部分、“Slaughter On Tenth Avenue”での、ダンサーの男(ジュニア)がストリップ・ガール(ヴェラ)をリフトする部分など。

たとえば、“La Princesse Zenobia”なんかは、あれは観客に元ネタの作品を想起させるように、ワザと仕向けているのだからいいのである。むしろ想起された方が、より大きな効果を得ることができるのだから。それに“La Princesse Zenobia”はクラシック・バレエだから、厳格に定められたクラシックのステップを用いなくてはならない。でも、特に振付者の「個性」や「斬新さ」が要求されるような「ジャズ・バレエ」、“Slaughter On Tenth Avenue”みたいな作品では、事情は大いに異なると思う。

気に入った他人の振付があって、それを自分の作品にも取り入れたり応用したりするのは、振付にあっては特に問題視されるようなことではないようだ。ダンスのステップやポーズやムーヴメントのひとつひとつには、所有権や著作権はないらしいから。でも、他から採用したその振りが、前後の振りと連関し、かつ自然に溶け込んでいればいいんだけど、そこの振りだけが全体の中で明らかに浮いていると、観てる方としては、いかにもコピペという感じがして、なんとなく白けてしまうのである。

後でまた触れるけれども、クーパーは、それぞれの音楽に最もふさわしい動きを当てはめることができる。クーパーは自身が踊るときにも、音楽から外れることはまずない。緩急自在に身体を駆使し、音楽を最初から終わりまで無駄なく使い切る。振付でもそうだった。名演とされている映像版でも、振付に問題があるのかダンサーに問題があるのか、これなら音楽なぞ最初から必要ないだろうに、とか、この音楽になんでこの振りなんだろう、という踊りはたくさんある。しかし、クーパーの振付は音楽に非常によく合っている。音楽のそれぞれの部分に最も適した動きを持ってくる。でもその中には、自分の振付に昇華できずに「借り物」のままで終わってしまった(と私個人は感じた)動きもあった。

クーパーは、ダンサーとしては豊富なキャリアを持っている。だが、あらゆるタイプを包括するダンス全体とその振付に関して、彼がどれほどの知識と実践経験とを持っているのか、私は知らない。だから所詮は憶測に過ぎないのだが、彼がダンス全体と振付に関して、豊富な知識と実践経験とを持っているのなら、それは“ON YOUR TOES”では充分に発揮されていなかった、と私は思っている。確かにその音楽に最も適してはいるのだが、それは表面的なイメージ(既存の振り)を、よそからコピペしてきているに過ぎない、という印象さえ抱いたときもある。

私がいちばんやきもきしたのは、クーパーの振付の中で、ダンスや振付に関する「専門的で幅広い」知識や経験よりも大事な、というかそれ以前の、最も重要であろう前提が、私には読み取れなかったことだった。クーパーは、ダンスはどうあるべきだと考えているのか。ダンスに関して何を問題として、そしてそれに取り組んでいるのか。自分の主張を振付によってどう展開していたのか。それとも、彼の振付は、無意識的なコピペとリンクとで小器用に構成されたものに過ぎなかったんだろうか。

思ったのは、その作品の物語や脚本に合わせて、つまりあらかじめ限定された条件に沿って作品を振付けるのは、実は非常に困難な作業なのではないか、ということである。特に、この“ON YOUR TOES”には、なにしろ制約が多すぎる。いちばん大きいのは、作品自体が基本的に時代遅れなものになっているというハンデである。

“ON YOUR TOES”は、ロシア革命、レーニン、ソヴィエト連邦、バレエ・リュス(ディアギレフの外見をマネしただけだが)、1930年代のニューヨーク、禁酒法、裏社会を跋扈するイタリアン・マフィア、「新世界」アメリカを象徴するジャズ、東西冷戦、そして「東西の融和」、「雪解け」など、今ではもう歴史の教科書にしか載っていないような舞台設定とテーマに制限されまくっている。

音楽、歌詞、セリフは70年も前の大昔に作られたものである。ストーリーの展開も、70年という長い時間の経過と、後続の似たような作品の大量出現とともに、「お約束で他愛ない」ものとなってしまった。1971年生まれのクーパーは、そうした極端に限定された条件に合わせて、しかもあらゆるタイプのダンスの振付をこなさなければならなかった。更には、“ON YOUR TOES”は上演に3時間もかかる全幕作品である。はっきりいえば、今のクーパーには、少々荷が重すぎたと思う。

いきなり手に余る大きな荷物を抱えたのだから、多少のことは気にしない方がいいのかもしれない。現に、クーパーが今までに振付けたいくつかの小品は、とてもすばらしい出来だったと聞いているし、これからどんどん経験を積んでいけば、どんどん優れた作品を創り上げていくだろうと思う。“La Princesse Zenobia”や“Slaughter On Tenth Avenue”で私が感じたことだけど、本人がどう思っていようと、クーパーはやはりバレエ畑の人間で、ミュージカルよりはバレエ作品を振り付けた方が、圧倒的に優れた能力を発揮するんではなかろうか。

これもマーゴ・フォンテーンの言葉。「さて、振付師が、ミュージカルでの仕事を依頼される時は、演出家によってすでに曲は選ばれており、衣裳も、デザインされたものが振付師に手渡され、振付師はその段階から仕事にとりかかるのが通常のきまりです。しかし、バレエでの振付師の役割は少し違います。バレエ団では振付師自身が、テーマ、音楽、そしてそれに必要な衣裳、装置を選ぶのが常とされています。」(「バレリーナの世界」、湯河京子訳、音楽之友社)

これも推測だが、制約がなければないほど、つまりあらかじめ細かく設定されすぎた題材とか脚本、音楽などを押し付けないで、本人に自由にやらせればやらせるほど、クーパーはより優れた作品を作ることができるだろう。

私が個人的に好きになれなかった部分的な振付はあっても、クーパーの振付で、これはすごい強みだな、とつくづく感じたのは、やはり振りがいずれも音楽に非常によく合わせてあることだった。これは作品全体を通じて一貫していた。序曲、第1幕“Two A Day For Keith”、“It’s Got To Be Love”、“La Princesse Zenobia”、 第2幕“The Heart Is Quicker Than The Eye”、“On Your Toes”、“Slaughter On Tenth Avenue”など、ト書きが楽譜に記されているとはいえ、いずれも音楽のツボをズバリ捉えた振付で、観ていて気持ちよかった。この音楽にはこれが最もふさわしい、という動きを、実に見事に、的確に把握している。これは振付家になりたいなら非常に有利な能力だ。

たとえば序曲は“There’s A Small Hotel”、“On Your Toes”、“It’s Got To Be Love”のメロディを繋ぎ合わせたものである。序曲が始まる前、静寂に包まれた舞台上で、ヴェラがゆっくりと美しいアラベスクのポーズを取り始めるとともに、“There’s A Small Hotel”のメロディが響きわたる。すばらしい始まり方だった。次に“On Your Toes”のメロディが始まると、ロシア・バレエ団の団員たちが一斉に出てきて、それに合わせて基本的なバー・レッスンを始め、そして序曲が段々と盛り上がり、団員たちが“It’s Got To Be Love” や“On Your Toes”の軽快なリズムに合わせて、様々なステップやジャンプをこなしながら、次々と舞台を横切っていく。これはとても小粋で気持ちのいい振付だった。

ジュニアの父フィル、母リル、ジュニアによって踊られる“Two A Day For Keith”では、2番の歌詞に入る前のタップ・ダンスが、1番の歌詞部分よりも激しく強いものになっていて、それがなんかすごい効果的だった(うまく説明できないんだけど)。

“It’s Got To Be Love”の、クーパーが短い時間ながらもソロで踊るシーンでは、なんといっても、あのつま先立ちで静止するポーズを入れたタイミングが、まさに絶妙である。音楽が途絶えている間をタップの音で繋いだ後、再び音楽と歌が始まろうとする直前の、まさに一瞬の間を上手に利用している(これもうまく説明できないよう)。

“There’s A Small Hotel”でジュニアとフランキーが一緒に踊るところも、歌を歌いながら、ふたりが手を繋いでスムーズに踊りに入るタイミングもよかったし、ステップや動きもゆっくりした音楽と、途中から盛り上がる音楽の両方に巧みに合わせてあった。そこではなにげに某クラシック・バレエ作品の振りが取り入れられていて、そのアイディアもすばらしかったと思う。

“La Princesse Zenobia”は、クラシック・バレエの振りだけで構成されているが、あれはカンペキだった。基本的にはお笑いシーンだけど、でもクラシック・バレエの大事な見せ場でもあるから、これはバレエを専門にしている人じゃないと振付は不可能だったと思う。笑いをとると同時に、きちんとしたクラシック・バレエを見せなければならない。

クーパーは、この15分程度の短い時間しかない「全幕バレエ」で、マジメなバレエを土台にして、それにお笑いの要素を随処に巧みに織り込んでいた。しかも、純粋なクラシック・バレエの振りのみで構成するとはいえ、あまりにクソ真面目になりすぎもせず、今ではどことなく滑稽で大仰に感じるような、昔っぽいバレエの雰囲気が漂うように振付けた。

それでも、ヴェラ演ずるゼノビア姫の踊りの見せ場や、コンスタンティン演ずる貧しい青年の踊りの見せ場をきちんと盛り込んで、要処要処で、観客が彼らの踊りに真剣に見入ってしまうような、緊張できる場面も用意した。また言うけど、ムハメドフが踊るソロ部分の構成は、さまざまな高度な技術を、ダイナミックな音楽に完璧に合わせて展開していくすばらしいものだった(踊る方は大変かも)。

いちおうはマジメなクラシック・バレエ“La Princesse Zenobia”の舞台が進行する中で、ジュニアの度重なるプチ失敗や、周囲と完璧にズレた踊りは超笑えた。「4人の奴隷の踊り」で、ジュニアが自分の体に塗料を塗り忘れたことに気づくところの振りとか、侍女と組んで踊るシーンで、組む相手を間違えるところとか、ジャンプのタイミングや腕の振りが、他のダンサーたちと正反対になっているところとか。あと、コンスタンティンがマジメにジャンプするフリをしながら、ジュニアを舞台から追い出そうとするところなんかは、ちゃんとした踊りとギャグが同時展開されていて、きちんとジャンプしながらジュニアを追いつめる、ムハメドフのドスをきかせた表情は今でも忘れられない。

音楽とバレエがクライマックスに向けて激しい盛り上がりをみせる中で、舞台からいったん追い出されたジュニアが、いきなりロープにぶら下がって現れるタイミングもよかったし、バレエの最後で主役2人よりもいいポジションを(しかも生ケツで)獲得して終わる、というケツ末は最高である。ただし、これは何をやっても基本的には優雅で上品なクーパー君だからできたことであって、他のダンサーがギャグで生ケツ出したら、場合によってはブーイングものかもしれない。

“The Heart Is Quicker Than The Eye”も、タンゴの振付があの音楽にはピッタリだったし、間に入れたリフトのタイミングも絶妙であった(ただそのリフトが、どっかで見たことがあるようなものだっただけで)。最後にジュニアがペギーの体を回しながら離して、ペギーが回転した後ぴたっと止まってセリフを言うのとかは、とてもかっこよかった。

“On Your Toes”は、冒頭で学生たちが立ち上がって楽器を演奏するマネをするところは、いかにもお約束な感じでいまひとつだったが、それからタップ・ダンスとクラシック・バレエが交互に展開されていって、それが徐々に混合してそのどちらでもない踊りになる、という構成はすばらしかった。でも、タップでもない、バレエでもない踊りになるのは、“On Your Toes”の、それこそ最後の最後のシーンにおいてであり、それまでは、バレエ団員たちはよく目にするクラシック・バレエのお約束的振りのみで踊っているのである。また、学生たち(タップ・ダンス)と団員たち(バレエ)が一緒に組んで踊るシーンでも、学生がタップ・ダンスを踊っているそのすぐ横で、同じ音楽に合わせて、団員がクラシック・バレエを踊っているのだから、これはすごく不思議というか面白かった。

“Slaughter On Tenth Avenue”の冒頭、ライトが点くと同時に、ダンサーたちが二人一組で、小刻みなステップを踏みながら踊り始めるのが、音楽にすごく合っていた。それから、ストリップ・ガールが、ウェイトレスたちと舞台中央に出てきて、早いリズムにのって一緒に踊るシーンもかっこよかった。またストリップ・ガールが男たちの手からチップを次々と取り上げていくところは、これも某クラシック・バレエ作品からの応用だと思うが、これは元ネタを自分のものとして生かすことのできたすばらしいシーンだった。ストリップ・ガールが男たちに担ぎ上げられながら踊るシーンはとりわけきれいだった。この「娼婦が男たちに担ぎ上げられる踊り」は、たとえばアノ作品やアノ作品やアノ作品でもあるが、それらに負けないほどすばらしいものだった。っていうか、ここだけはクーパー君の勝ち。美しくてセクシーで自然で、ワザとらしさやどうみてもヘンな振りが全然なかったもの。

でも3人の警官が出てくるシーンでは、ちょっと照れくさいところがあった。警官たちが手を振り上げながら大股で舞台中央へと順番に出てきて、一瞬立ち止まって客席の方に顔を向けるところとか。いや、音楽には確かに合っているんだけど、でもあまりにお約束すぎる感じがして。でもそれから早いテンポの音楽に合わせて、クラブがてんやわんやになるシーンでの様々な人間模様(?)、また、スケベな警官がウェイトレスのボディ・チェックをするところは、ボディ・タッチのタイミングが音楽に合っていたし(笑)、男の警官二人がアクロバット的な踊りをするところもよかったです。

それから、ストリップ・ガール(ヴェラ)とダンサーの男(ジュニア)がふたりで踊るシーンで、なんといってもダンサーの男が椅子から立ち上がって、踊りながらストリップ・ガールに徐々に近づいていくところの踊りが最高にかっこいい。音楽に見事に合っているし、手足をほとんど曲げることなく、真っ直ぐに伸ばした状態で踊るため、踊りが直線的でキレのいいものとなる。ただしこれも、クーパー以外のダンサーがやったら、また印象が変わってくるかもしれない。

ストリップ・ガールが殺された後、ダンサーの男がストリップ・ガールの幻影たちと踊るシーンは、楽譜ではそういう指示はみえないんだけど、これも非常に面白いアイディアだった。ストリップ・ガールの幻影たちが次々と現れるタイミング、特にステージの上に横たえたヴェラの死体の後ろから、いきなり別のヴェラががばっと起き上がり、ダンサーの男を睨みつけるように見つめるシーンは、振付とはいえないかもしれないけど、これは白眉だった。ヴェラの幻影たち(総勢5、6人もいたかな)がダンサーの男を囲んで踊るシーンは、なんだか小学生がキャンプ・ファイヤーとかで踊る「マイムマイム」(うろおぼえ)みたいでちょっと笑っちゃったが。

最後のダンサーの男のソロは、“Slaughter On Tenth Avenue”のクライマックスの壮大な音楽にぴたりと合った、また劇的な最後にふさわしいダイナミックな振りで、まさに圧巻だった。両腕を斜め横に伸ばしたまま片脚で回転したり、すごいスピードでジャンプして空中で回転したり、体を外向きにして何度もジャンプしながら移動したり、最後は両脚を揃えてぐるぐる回って、床に倒れこんで自殺しようと銃を拾い上げる。

ジュニアはこのソロをもう3回くりかえすのだが、最後の4回目の前に“One more time!”と叫ぶのは楽譜にも指示がある。でも、その前に2度“Again, again!”と叫ぶのは、楽譜にはみえない。脚本にはあるのかな?ナニが言いたいかというと、あの“Again, again!”のセリフとともに音楽が途切れて、せっかくの盛り上がりがなんか冷めてしまうのである。前述のように、最後のソロの踊りがダイナミックですばらしいだけに、これはちょっと残念だった。

でも、このセリフは脚本にあるのかもしれない。一観客としては、盛り上がっては冷めて盛り上がっては冷めて、というのがくりかえされたため、“Slaughter On Tenth Avenue”が終わったあと、拍手するタイミングがうまくつかめなかった。セルゲイが出てきて、ヴェラとジュニアの手を取って歓声を挙げ、観客の拍手を引き出したのは、この“Again, again!”の「間」が観客の盛り上がりに水を差すだろうことを、あらかじめ承知していたからだったのかも。

“Slaughter On Tenth Avenue”の振付は、全体的にちゃんとまとまったものだったし、観ていてすごく面白かった。ここが“ON YOUR TOES”のいちばんの見せ場なので、振付がすばらしい仕上がりだったことは本当によかった。前述の警官たちのお約束的ポーズとヴェラの幻影の「マイムマイム」さえなければ。たぶん、“Slaughter On Tenth Avenue”を観て、「あれはマシュー・ボーンの影響が・・・」と思った人々はいるだろう。私も最初はそう思ったんだけど、でも、よく考えてみたら、場末のナイトクラブだのキャバレーだのバーだのストリップ劇場だの、このテのシーンって、ある意味、もう演出の定番になっているんじゃないのか?なにもマシュー・ボーンが初めて考案して創出したものではないと思うんだけど。

まとめると、「振付家」としてのクーパー君は、まだまだ発展途上かな〜、というのが正直な感想である。まだまだ粗削りというか、お約束的な、または採用した振りを消化しきれていなくて、継ぎはぎがはっきりと見えてしまう。もうここまで書いちゃった以上、ついでに言っちゃうけど、振付は粗削りでもいいんである。どんなに有名な振付家の作品にだって欠点はあるんだから。すべての人に気に入られる完璧な振付なんてないんだから。

でもそれ以前に、自分はどういう踊りにしたいのか、自分はどういう踊りが好きなのか、クーパーがそれをはっきりと強く主張してくれればよかったな、私がそれを感じることができればよかったのに、と思った。踊りのボキャブラリーが豊富かどうか、とか、リンクがスマートかどうか、とかいう表面的な問題は、こういう根っこの部分がしっかりしていれば、おのずと解決されてくるものだと思う。

私は今回の“ON YOUR TOES”公演を観て、これはいうなれば「ロンドントライアル公演」だと感じた。もっともっと改善を加えていって、また来年にでもロンドン再公演があって、ひょっとしたら今度は、テームズ河を北に渡った地域にある、どこかの劇場で長期にわたって上演されるのかな、と思った(願った)ので、先に日本公演が来春に行われると知ってちょっとびっくりした。でも、いずれはぜひロンドンでも再演してほしいものである。「人気ダンサーが果敢に振付に挑戦してみました」というご愛嬌レベルの公演では、決して終わらせてほしくない。

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バレエ「マイヤリング」の音楽について

Bruce Marriottさんのballet.coに、興味深いスレッドができていた。クーパー君いちばんのお気に入りであるバレエ「マイヤリング」("Mayerling" ケネス・マクミラン振付)について、その音楽(フランツ・リストの作品より、ジョン・ランチベリーが選曲、編曲を行なった)の出典が掲載されている(→ ここ )。

いい音楽だけど、お恥ずかしい話ながら、私には原曲がさっぱり分からなかった。特に第2幕で、カタリーナ・シュラット役のソプラノ歌手(現在出ている映像版ではリンダ・フィニーが特別出演している)が実際に歌うリートは、一時期それこそ必死に探したが、結局分かんないままだった。リストが作った歌曲のどれかだろう、と当てずっぽうに思って探したが、リストの歌曲は意外と出てない(と思う)。それこそいくらでも出てそうなのに。どっかからの受け売りだけど、70曲くらいしか作ってないそうだから、簡単に見つかりそうなもんなんだけど。それにドイツ語だから、なんていう出だしなのかが聞きとれない(歌曲の題名は多くがその歌詞の出だしの一句をとっている)。

「マイヤリング」は、19世紀末、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子ルドルフが、マイヤーリングの狩猟館で愛人のマリー・ヴェッツェラとともに心中を遂げた(暗殺という説もあり)有名な事件をバレエ作品化したもの。登場人物はほぼ全部が実在した人物である。現在出ている映像版(ビデオ・DVD、日本版はパイオニアLDCより発売)は1994年に収録されたもので、4人のハンガリー将校の1人が、ロイヤル在籍時代のクーパー君であるのは、みなさんご存じのとおり。それに第1幕の最初の方で、ルドルフ(イレク・ムハメドフ)が色目を使って一緒に踊る令嬢がサラ・ウィルドーである(私はあの踊りと彼女の演技を観て、ウィルドーを文句なしに好きになった)。ところで、マシュー・ボーンの「白鳥の湖」第3幕の冒頭、舞踏会に赴く客たちのシーンは、「マイヤリング」第1幕冒頭をパロったものではないですか?そう思いません?

初演は1978年だそうで、ルドルフ役はデイヴィッド・ウォール(映像版「マノン」でレスコーを踊っている人)、マリー・ヴェッツェラ役はリン・シーモアだと。1978年というと、題材に重なるところが多いだけに、「マイヤリング」を観れば、誰しもルキノ・ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」("Ludwig" 1973年)を連想しただろうが、ランチベリーが超偉大だったのは(エラソーでごめんなさい)、「マイヤリング」の音楽を、「ルートヴィヒ」で使われなかったフランツ・リストの作品から選んだとこだろう。それにリストは、エリーザベト皇后が実際に好んだハンガリーの音楽家であった(リストの娘のコージマは、ワーグナーと不倫の末に結婚した。まだ生きてるかどうかは知らないが、演出家のウォルフガング・ワーグナーは、ワーグナーとコージマの直系子孫である。うろ覚えだけど)。・・・ところで、「ルートヴィヒ」がまた観たくなってきたでしょ〜?ほらほら、あの「愛の死」の音楽が、あなたの頭の中に流れてきたよ・・・。「夕星の歌」も(笑)。

ところで、バレエ音楽を既存の作品から選んで編曲するのなら、その映像版やCDには、ぜひとも原曲ぜんぶのリストを明記してほしい。その音楽自体をとても気に入って、原曲を聴きたいと思う人はたくさんいるはずだ。それに、チャイコフスキーの「白鳥の湖」についても、私は「全曲版」と銘打ったCDを持っているけど、そのCDに入っていない曲が、ある「白鳥の湖」の映像版では使われている。

バレエでは、原曲の取捨選択やアレンジが、比較的自由に行なわれているらしいし、何人もの作曲家が原曲に付加や補充を行なっていく、ということもあるようだ。「海賊」とかの場合は、どの音楽がどの作曲家によって作られてつけ加えられたのか、はっきり分かるようなリストはないんだろか?あったらさぞ便利だろうに・・・。それに同じ音楽が別々の演目で使われていることもあってびっくりした。ちなみにハチャトゥリアン(だったっけ?)は、自分が作曲したバレエ音楽を、振付家が時間が長すぎるという理由で削除しようとしたのに激怒し、振付家と大ゲンカになったそうな。・・・ちゃんと確かめましょー。はい、ハチャトゥリアンです。「スパルタクス」だって。

「マイヤリング」原曲リストのスレを見つけたのと、ちょうど今、ハエが止まりそうなくらい超スローな「白鳥の湖」映像版(特に名は秘す)を観ていたので、バレエ音楽についての素朴な疑問を書き連ねてみました。 (「不定期日記」2003年4月28日原載)


森下洋子とマーゴット・フォンテーン

このまえの日曜日(11月30日)の夜、NHK教育で松山バレエ団公演「ジゼル」(83年)を放映していた。観ながらとても懐かしい思いになった。これは、たぶん私が生まれて初めて(テレビでだけど)観た全幕バレエだった。

今回は1時間ほどのダイジェストだったけど、20年前に同じNHK教育で放映したときはノーカットだったと思う。なにせ子どもの時分のことなのでよく覚えていないが、あのときはマイム部分に字幕がついていた。たとえば、バチルド姫がジゼルに初めて会ったとき、姫はジゼルの美しさに感心し、ジゼルの顔に軽く手を添えて持ち上げる。そのときの字幕はたしか「おまえ、恋人はいるの?」であった。

当時はまだ衛星放送もケーブル・テレビもなかった。教育、科学、芸術関係の番組はほとんどNHK教育で放映していた。特に週末の番組にはバレエ、オペラ、クラシック音楽のコンサート、演劇などが集中していたのである。今は芸術関係の番組のほとんどが衛星チャンネルで放送されるようになり、しかもなぜかビデオやDVDなどで一般販売されている映像版や番組の放映が目立つが、あのころは、国内外のいろんな舞台の公演を、ノーカットでバンバン放映していたように覚えている。松山バレエ団の「くるみ割り人形」もNHK教育で観たと思う。

唯一覚えているシーンは、魔女みたいな人が出てくるところで、その魔女は男性が演じていた。その背丈は異様に高く、「紅白歌合戦」での小林幸子や美川憲一の衣裳みたいに、ドレスのスカートが山の裾野状に大きく広がっている。実はその超巨大スカートは張りぼてで、魔女役の男の人はスカート型張りぼての上に固定されていたのである。スカートの内側は空洞になっており、その裾の一部がドアみたいにいきなり開くと、そこから子どもたちが演ずるいろんな妖精たち(?)がわらわらと出てくる。

そのころと前後して、ある面白いバレエのドキュメンタリー番組を観た覚えがある。NHK教育には土曜日の夜8時から「海外ドキュメンタリー」という番組枠があって、文字どおり海外のテレビ局が製作したドキュメンタリー番組を放映していた。その中で、イギリスBBC製作の「バレエの魅力」という番組があった。5、6回のシリーズで、毎週土曜日、1ヶ月くらいかけて放映していた。

司会はマーゴ・フォンテーンで、バレエの歴史や現在の状況を、主に映像によって紹介していく、というものであった。フォンテーンの声は吹き替えだった。あのときはたしか、「マーゴット・フォンテーン」と日本語のテロップで表記してあった。だから私は、ずーっと「マーゴット・フォンテーン」だと思っていた。

番組のテーマ音楽は「眠れる森の美女」の“The Rose Adagio”だった。最後は、フォンテーン演ずるオーロラ姫が、求婚者たちからバラの花を受け取った後、彼らに手を取られながらアティチュードの姿勢でゆっくりと1回転していく場面だった。求婚者が入れかわる間、彼女は両手を上にあげ、一人で片足の爪先立ちだけで立っているのだ。なんというのか、最初にあれを観たときはびっくりした。人間、見たことのないものを見たら驚くものである。

たぶん、アンナ・パヴロヴァが踊る「瀕死の白鳥」も、ルドルフ・ヌレエフが踊る「海賊」の奴隷のソロも、あの番組で初めて観たんだと思う。「海賊」のソロを観たときもとてもショックを受けた。黒人の男性ダンサーばかりが踊るモダン・バレエもそこで観たように思う。あの筋肉の見事さと、彼らの踊りのしなやかさと力強さもいまだに覚えている。それから、上品で美しくて優しそうなおばさん(フォンテーン)が微笑みながら、「新品のトゥ・シューズはとても硬いので、自分で柔らかくするのです」と言って、いきなりトゥ・シューズのかかと部分を持って壁にバン、と叩きつけた。あの場面もなぜかいまだに覚えている。

でもそれから20年間、バレエとはほとんど縁がなかった。最近になって、あの番組と同じ題名の本を見つけた。著者もマーゴ・フォンテーンだ。番組も面白かったので、きっとビデオやDVD が一般販売されているに違いない、と思って探したが見つからない。どうも販売されていないらしい。ロンドンでも探したが見つからなかった。あんなにすばらしい番組をなぜお蔵入りのままにしておくのか。BBCよ、ビデオかDVDを販売しろ。NHKよ、ぜひとも再放送して。テープはあるんでしょう?BBCと交渉して下さい。お願いします。

ついでに思い出したんだけど、これと同じ時期(だと思うんだけど)、民放の午後6時台のニュースの合間に流されるCMに、ソ連のあるバレエ学校(テロップはあったが覚えてない)の女子生徒(たぶん10歳くらい)が、広いスタジオで踊っているというものがあった。なんのCMだったか・・・保険会社のだと思ったけど。2ヴァージョンあって、ひとつは「くるみ割り人形」の音楽でひとりで踊っている。もうひとつは、同じ年の頃の男子生徒も出てきて一緒に踊っている。音楽は「眠れる森の美女」の終幕、オーロラ姫とデジレ王子のグラン・パ・ド・ドゥのアダージョ部分だった。あの子たちは、結局バレエ・ダンサーになれたんだろうか。

20年前の松山バレエ団「ジゼル」放映で、当時のバレエに関するささやかな思い出が、芋づる式に次々と出てきた。そういえば、テレビ番組の方の「バレエの魅力」にも、森下洋子が踊る映像が紹介されていたように思う。この「ジゼル」は録画させてもらった。あれから毎日、夜寝る前に観ている。ヌレエフよりも森下洋子の方に断然見とれている。ほとんど名前しか知らなかったが、こんなにすごい日本人バレリーナが当時から活躍していたんだな、と今さらながらに驚いている。 ( 「不定期日記」2003年12月3日原載 )

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