Club Pelican

NOTE 20

Will Tuckett's "The Soldier's Tale"
(13,14 May 2005)

舞台左奥に置かれた電球つきの鏡台の前では、兵士の婚約者/王女を演ずるゼナイダ・ヤノウスキー(Zenaida Yanowsky)が一心不乱にメイクに励んでいて、右奥に置かれたテーブルの前には、兵士を演ずるアダム・クーパー(Adam Cooper)が座って静かに煙草をくゆらせている。舞台の両脇にもいくつかの丸テーブルが置かれ、観客が穏やかな表情で黙って座っている。

今年の指揮者はMikhail Agrestで、開演前、彼はシルクハットをかぶってずっと客席に背を向けていた。しかし語り手役のウィル・ケンプ(Will Kemp)が指揮者を紹介した途端、Agrestはシルクハットを脱いで観客に顔を向けて挨拶した。その顔には真っ白なドーランが塗られ、頬紅を厚くはたき、黒々とした見事なカイゼル髭をつけている。指揮台には酒瓶が置いてある。

14日の夜公演前には、指揮者はいつのまにか酒瓶を手に持って、ふらついた足取りで舞台上に現れると、テーブルの上に突っ伏した。観客は特に気にとめていない。やがて現れたケンプが指揮者をせっつく。彼はあわてて起き上がると、ふらつきながらオーケストラ・ピットに入った。しっかり酒瓶を持ちながら。彼が指揮者だったのだと気づいた観客がドッと笑う。

指揮者のこうした悪ノリは今年初めて見たが、これで去年にもまして、いよいよ舞台と客席、作品の世界と現実の世界との境界線がはっきりしなくなっていた。仄かな蝋燭の明かりと薄暗い黄金色のライトのLinbury Studioは、舞台、客席、作品、現実、時間、すべてがごちゃまぜになった、不思議な空間になったようだった。

開演時間になっても始まる気配は一向にない。観客がおしゃべりに興ずる中で、突然ドラムのけたたましい音が響き、語り手のウィル・ケンプが走り出てきた。ケンプは大げさな身振り、表情、言葉で、作品、キャスト、オーケストラ、指揮者の説明をする。

わざとらしい大仰な褒め言葉と皮肉を込めた紹介に、観客はまたしてもドッと笑う。兵士について。「この上なく優秀ですばらしいダンサー、アクター、そしてパフォーマー!私が見出してきた人材です!」 ふとクーパーがケンプの方を向き、無表情のままケンプをじっと見つめる。

婚約者/王女について。「絶世の美女にして魅力的なバレリーナ!」 その瞬間、ヤノウスキーは大量の錠剤を酒で一気にあおる。ケンプが「ついでに薬物でも・・・」と言いかけたところで、ヤノウスキーは振り返って彼をキッと睨みつける。ケンプは気まずい顔で言葉を飲み込む。

ケンプ「すべての扉は閉まりましたね・・・さて、どうぞ最後までリラックスしてお楽しみ下さい。ショウの始まりです!」

舞台上にある更に小さな舞台の幕が開き、長い銃を抱えた兵士役のクーパーが、ややかがんだ姿勢で静止している。「兵士の行進曲」が勢いよく始まる。

クーパーは機械的な仕草で足踏みをすると、頭、腕、上半身、脚をカスケードのように順々に動かしていく。ロボットのような不自然な動きに、観客の間からかすかに笑いが漏れた。クーパーは草色の軍服で全身を包んでいるけれど、彼の身体の筋肉の動きや温かさが生々しく伝わってくる。兵士は途中で敬礼しながら行進する。クーパーの表情を見てハッとした。

去年はこわばった奇妙で滑稽な笑いを浮かべていたのだが、今年は泣きそうな寸前で辛うじて我慢しているような、歪んだ悲しそうな表情をしていた。唇をきつく噛みしめ、しかしその眉は悲しげに下がり、目だけは懸命に前を見据えている。

やがて兵士は上の舞台から下の舞台にドンと降り立ち、左右をひっきりなしに見ては、銃を抱えたまま両脚を外側に曲げた姿勢でジャンプし、両の踵を打ちつける。地べたを這いずり回り、匍匐前進して銃を構える。兵士は立ち上がると銃を引きずって歩き、すっかり疲労困憊している。これが兵士の味わった苛酷な戦争の体験なのであった。

語り手役のウィル・ケンプが、踊る兵士の横で「道を歩いてゆく兵士がひとり、彼は歩いて、また歩いて・・・」と語る。やがて立ち止まった兵士は、オーケストラに「止めろ!」と叫ぶ。

去年は素の声だったが、今年は兵士を含めたキャスト全員が細いワイヤー状のマイクをつけていた。アンプを通して聞こえる声には少し不満だが、その方がキャストたちに無理がかからないということだろうか。

背嚢から傷だらけのヴァイオリンを取り出した兵士は、「小川のほとりの音楽」に合わせて、語り手とともに踊り始める。兵士は嬉しそうに微笑んで、語り手と顔を見合わせて跳びはね、片脚を前に上げてぴっ、と鋭く横に回転し、足で床をリズムよく踏み鳴らし、手足を大きく広げ、腕を思い切り伸ばしてヴァイオリンをゆっくりと振り回し、語り手とヴァイオリンを渡しあう。

その途中で奥の小さな舞台の奈落の蓋が開き、マシュー・ハート(Matthew Hart)演ずる悪魔が姿を現し、キョロキョロと左右を見わたす。兵士に目を止めた悪魔は、兵士に近づいてヴァイオリンの柄を舐めて味を確かめる。また悪魔に気づかずに踊り続ける兵士の傍で同じ振りで踊り、「乗っ取る」標的として兵士に狙いを定める。

それに気づいた語り手は、兵士にヴァイオリンを両手で抱え込ませ、その手を上からそっと押さえて、うなずきながら目くばせする。ヴァイオリンを大事に持っていろ、決して離すな、というのだ。これは去年はなかった仕草だと思う。

今年の舞台でよりはっきりしたことには、語り手は兵士の一部、正しい判断を下す部分である。自分にとって最も大事なものを手放すな、と語り手は兵士に警告している。しかも今年の公演では、兵士はまるで子どものように無邪気で、語り手はそんな兵士を見守るお父さん、みたいな感じになっていた。

語り手は兵士とともにヴァイオリンを持って楽しげに踊り、危険が迫るとそれを察知して兵士に警戒を促す。兵士が悪魔の本を手にとって開いたとき、兵士は中に書かれている単語が読めずに詰まってしまう。それを後ろから語り手が指さして発音を教えてやる。兵士はたどたどしく「株価、為替・・・」と繰り返す。

その本に未来のことが書いてあると気づいた兵士は、金儲けうんぬんよりは、不思議な本であるというそのこと自体に単純に驚いて喜ぶ。彼はヴァイオリンと本を両手に持ってしばらく考える。クーパーの考えるときの表情も、考えるというよりは戸惑っているという感じで、やがて無邪気な笑顔で「取引だ!」と言ってヴァイオリンを悪魔に渡してしまう。

この間のクーパーの表情、口調、そして字が読めずに語り手に発音を教えてもらう演出、ヴァイオリンを悪魔に渡すとき、腕をぐっと前に突き出す子どもっぽい仕草などで、兵士は無知で物事を深く考えず、素朴でお人好しな田舎者であり、ほんの軽い気持ちで悪魔と契約を交わしてしまったことがよく分かる。

2回目の「兵士の行進曲」が流れると、クーパーの兵士はなんだか戸惑ったような、腑に落ちないような表情のまま踊る。自分が何かとんでもない過ちを仕出かしたらしいことは感じているのだ。兵士はヴァイオリンを持っている悪魔の方に自然と引き寄せられていくのだが、悪魔に杖で追い払われてしまう。

舞台中を放浪するかのように踊る兵士の後を、悪魔がヴァイオリンを口にくわえて、四つん這いの姿勢で追いかける。途中で悪魔は仰向けになり、ヴァイオリンを自分の股間に当てる。これは今年の公演で新たに付け加えられた仕草である。そして魔法をかけられて動けずに立ち尽くしたままの兵士の体を脚で挟み込んで、悪魔は小刻みに腰を振る。

「小川のほとりの音楽」のとき、兵士もヴァイオリンの柄を股間に挟んで、実に幸せそうな笑顔で両腕を広げる。上記の悪魔の仕草でもすでにはっきりしたが、ヴァイオリンは、表面的には男性の性器の象徴である。

しかし男性の性器を象徴するヴァイオリンによって、兵士のセクシュアリティ、更には兵士の人間としての尊厳そのものを表している。セクシュアリティは、個人の境界、価値、尊厳の中で、最も重要でほとんどの部分を占めている。

兵士は故郷の村にたどりつく。この場面で、この作品がまさに「兵士の物語」であることが明らかとなる。兵士は観客やオーケストラの団員たちに呼びかける。しかし誰も返事をしない。観客は静かな表情で兵士を見つめ、オーケストラの団員はオーケストラ・ピットの中をのぞきこむ兵士を見上げるものの、やはり無表情のまま黙り込んでいる。

悪魔と語り手は舞台の両脇からそんな兵士の様子を見つめている。このリンバリー・スタジオの中で、兵士はたった一人ぼっちである。兵士は険しい表情でうつむいて黙り込む。長い沈黙の後、兵士はやっと事の次第を悟って怒鳴りだす。

兵士は横に座っている観客たちに向かって訴える。しかしそれは自嘲である。「そう、俺は確かにとても疲れていて腹が減っていた。でもそんなのは言い訳だ。どうすればよかった?ただこう言えばよかったんだ。見知らぬ人間の相手はできない、と!」

静まり返った会場の真ん中で、クーパーの兵士はつぶやく。「俺はどうすればいいんだろう・・・。」 うーん、今年は見事だクーパー君、と思った。兵士は孤立していなければならない。兵士だけが唯一リアルな人間だ。観客席もオーケストラ・ピットもひっくるめて、この会場全体が兵士の心の中なのだから。

観客やオーケストラの団員、他の登場人物は、あくまで兵士に見えている姿であり、実際の彼らとは限らない。しかし唯一のリアルな存在として、ヴァイオリンと同じくらい大事な何かが兵士の前に現れる。兵士の本心を表す語り手が、兵士の後ろを指さす。ゼナイダ・ヤノウスキー扮する兵士の元婚約者が、兵士にそっと歩み寄る。

彼女は他の男と結婚して子どももいる。しかし彼女の心はまだ兵士にある。兵士も彼女におそるおそる近づいて彼女の背中に触れ、彼女も後ろ向きのまま兵士の手に身を持たせかける。彼らはそれから愛しているけど愛せない、近づきたいけど近づけない、離れたいけど離れられない、という踊りや仕草を繰り返す。

このシーンの振付や演出には、大きな変更はなかったように思うが、片脚を耳の傍まで上げて立っている状態のヤノウスキーを、クーパーが腰を支えて垂直に持ち上げる、という振りが加えられていた(去年もあったのかもしれないが)。小さな劇場だから、こういうリフトをされるととても大きく見えて印象的だった。

元婚約者がうつむいて姿を消した後、兵士の前に悪魔が現れる。正体を知った兵士は悪魔に長銃を突きつけるが、悪魔はまったく動じず、逆に兵士を嘲笑する。悪魔は「そう、お前は兵士だったな」と言い、杖で客席を指しながら「それをご覧に入れろ」と命令する。そこで語り手役のケンプが照明用のライトを押してきて兵士に当てる。

これは去年もあった演出だが、照射されたライトの中に浮き出た兵士は、会場の中で文字どおり見せ物にされている。兵士は必死な表情で敬礼したり、気をつけの姿勢をしたり、銃を脇に挟んで下に降ろしたりといった兵隊のポーズをとる。悪魔は兵士の軍帽を奪って投げ捨て、上着も脱がせて、更に兵士を辱しめていく。

兵士をひたすらいたぶるマシュー・ハートの悪魔は相変わらず憎々しかったが、でも悪魔の言うことには確かに道理がある。不思議なことに、今回の舞台では、悪魔がいちばんまともなことを言っている、まともな反応をしている、と感じた時が何度かあり、それは特に第二部で顕著であった。

悪魔はヴァイオリンを弄びながら言う。「俺には俺のもの(ヴァイオリン)がある、お前にはお前のもの(本)がある。公平じゃないか?」 軽はずみだったとはいえ、語り手の警告を無視して、「取引だ!」と言って自らヴァイオリンを悪魔に手渡してしまったのは兵士自身だ。

悪魔が最初に現れたとき、語り手は兵士にヴァイオリンを両腕の中に抱え込ませ、大事に持っているように念を押す。この調練のシーンで、悪魔は兵士に本を取ってこさせると、「大事にしろ!」と叫んで兵士に本を両腕の中に抱え込ませる。兵士は最初のシーンではヴァイオリンを、このシーンでは本を、まったく同じ仕草で両腕の中に抱え込む。

兵士は本を読み始める。元婚約者が再び兵士に近づく。兵士は気づかずに本を読み続ける。彼女は泣きながら走り去ってしまう。悪魔はその様子を後ろから眺めてあざ笑う。

語り手と兵士は小さな舞台の上に立ち、ふたり並んで威勢よく商売の呼び込みを始める。布地の小売で元手を貯めた後、兵士は株の取引で更に財産を増やしていく。小さな舞台に腰かけて本を読み耽る兵士の横で、語り手がその過程を述べる。

やがて兵士は本に見入ったままつぶやく。「この本は宝の詰まったタンスだ!」 悪魔と同じセリフを言う兵士の顔には、今までの彼にはみられなかった笑いが浮かんでいる。冒頭の無邪気な笑顔ではなく、あさましい、いやらしいような笑顔である。兵士自身がすでに変貌し、欲に目がくらんでしまっている。

語り手が兵士の後ろに立ち、その後を続ける。「彼は欲しいものは何でも手に入れた。彼はどうすればいいのか知っていた。彼には持てないものなどない。彼はすべてを手に入れた。すべてを。」 舞台に座って本をのぞき込んでいた兵士が、ふと顔を上げる。「すべて?いいや、すべてとは、何もないことだ。」

「小川のほとりの音楽」が演奏される。語り手は座っている兵士の傍にかがみ込んでつぶやく。「夕暮れどき、人々は庭に出て水をまき、子どもたちが遊んでいる。大人たちはグラスを傾けて乾杯し、みな楽しそうにしている。それはみんなが持っているもの。」

次に兵士も同じ言葉を反復する。やっぱり去年とは違う。いや、演出も違うけど、兵士は語り手と話しているようでいて、実は自分自身と対話しているのだ、という感じがよく出ている。兵士は最後に言う。「俺には何もない。俺は空っぽだ。俺は生きた死人になってしまった。」

兵士は慌ただしく本をめくる。「本に書いてあるはずだ。取り戻すにはどうしたらいいんだ?俺が以前に持っていたものを!」 クーパー君のセリフ回しは去年よりも格段にすばらしくなっていた。語り手が「旦那様、最新の口座状況は・・・」と言いかけたところで、「後にしろ、と言っているんだ!」と怒鳴りつけたタイミングが特に絶妙であった。

老婆の物売りに扮した悪魔が兵士のところへやって来るシーンでは、去年と同じくマシュー・ハートの怪演が際立っていた。いつだったか、かぶっていた帽子が次第にずり落ちていって、しまいには完全に後ろに脱げてしまった。顎の下で結んだリボンで、辛うじてぶら下がっているだけである。

でも場面が場面だけに、あれは故意にやった演出だと思った観客も多かっただろうし、ずり下がった帽子を首に引っかけて、必死な様子で兵士の後を追う悪魔の姿は滑稽で面白かった。ちなみに去年の公演で、老婆が鋭い細い棒状の物を兵士の目に突きつけて言うセリフ、「ペン!」だか「ピン!」だか分からなかったところは、今年は「ジュエル・ピン!」と言っていた。女性が髪に挿す簪である。

老婆がヴァイオリンを兵士に渡して姿を消した後、兵士は喜んで早速ヴァイオリンを奏でようとする。しかし音が出ない。ここからのクーパー君の演技がまた良かった。ヴァイオリンを持ったまま、上半身をかがめ、顔を歪めて首を左右に激しく振り、声にならない声でしぼり出すように"No! No!"とつぶやき、また声を出さずに嗚咽する。そして一気に爆発したように"No!"と絶叫し、ヴァイオリンを奥に向かって投げつける。舞台が真っ暗になり、第一部が終わる。

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