Club Pelican

THEATRE

「兵士の物語」
“The Soldier's Tale”(“L'histoire du Soldat”)
Music: Igor Stravinsky
Text: Charles-Ferdinand Ramuz
Conductor: Richard Bernas
Translation: Paul Griffiths
Designs: Lez Brotherston
Lighting: Neil Austin
Direction and Choreography: Will Tuckett
Soldier: Adam Cooper
Devil: Matthew Hart
Fiancee/Princess: Zenaida Yanowsky
Narrator/King: Will Kemp


注:このあらすじは、ロンドンのRoyal Opera HouseにあるLinbury Studio Theatreで、2004年6月15-19日に行われた上演に沿っています。登場人物の性格や行動の描写は、当日踊ったダンサーの演技を、私なりに解釈したものです。また、もっぱら私個人の記憶に頼っているため、シーンや踊りの順番、また踊りの振付などを誤って記している可能性があります。


第1部

"The Soldier's Tale"が上演されるLinbury Studio Theatreの表玄関は、Auditorium(というのか?ふだんロイヤル・オペラやロイヤル・バレエが公演を行なう大きなホール)への入り口と隣り合わせであった。入り口をはいるとすぐに下り階段があり、壁のガラス越しにAuditoriumのクロークが見える。階段を下りた右手には洗面所、左手に小さなラウンジがあって、すでに大勢の観客がひしめいて、グラスやカップを片手に談笑していた。そのラウンジの奥にホールへの入り口が2箇所ある。Linbury Studio TheatreはAuditoriumのほぼ真下に位置しているらしい。

Linbury Studioのホールに入る。非常に小さな規模で、1階のArena席はほぼ正方形をしていたが、20列あったかどうか。1列あたりも20席ほどしかなかったと思う。ホールは全体として濃いグレーか黒の色調で、客席は簡素なパイプの椅子、Arena席に沿ってコの字型に、1、2階に立見席、3階に1列だけ椅子が数個ずつ並んだ客席がある。手すりもパイプ製、階段は狭くて非常階段みたいな無粋な材質で、歩くとガンガン音が響きそうである。1階席に行くには、3階からこの階段を何度も折り返すように下っていかなければならない。

開演時間ギリギリになって、ほとんどの観客がようやく席に着いた。公演は毎回、完全な満席で立ち見も多数(といってもスペースが限られているが)。2階の立見席に振付者のWill Tuckettが姿を現していたのを何度か目にした。

舞台は変わった作りだった。基本的な形はホッチキスの針みたいに、舞台の両端が客席に向かってせりだしており、その間に小さなオーケストラ・ピットがしつらえてある。オーケストラ・ピットの横幅は10メートル弱、縦は3メートルほど。舞台の奥には更に小さな舞台があり、両端に数段の木製の階段があった。横幅はやはり10メートル弱、奥行きはせいぜい4メートルほどだろう。小さな舞台とオーケストラ・ピットの間は2メートルあまりで、小さな舞台の縁とオーケストラ・ピットの縁に沿って、猫の手みたいな形の金色の飾りが整然と並んで突き出ている。

舞台の天井には、緩やかに湾曲した金色の棒が何本もわたされており、それと交差する形で、やはり何本もの短い金色の棒が、下に向かって放射状にとりつけられている。天井の中央と左右からはシャンデリアが吊り下げられ、小さな舞台の両側には縦長のすすけた鏡、更にその外側にも大きい全身鏡が置かれている。

大きい鏡の上には、金の長い房飾りがついた紅いビロードのカーテンが垂れ下がっており、鏡の前は小さなテラスになっている。木製で手すり部分は紅いビロード張り、客席側に面して小さな螺旋状の階段がある。縦長の鏡と大きな鏡にシャンデリアの光が反射して、まるでいくつもシャンデリアがあるかのようにみえる。

小さな舞台の背景には悪魔の絵が描かれた幕が吊り下げられている。頭に角、背にコウモリの羽を生やし、耳の先がとんがっていて、右腕に2匹の蛇、左手に木の棒をつかみ、半裸の体に紅い布をまとっている、昔ながらのお約束的な悪魔の姿である。それと同じ絵が、前にテラスのついた大きな鏡の表面にも描かれている。右側のテラスの下には小さな木製の丸テーブルと椅子が2脚、小さな舞台の左の階段脇には草色の背嚢が置かれている。兵士のものだろう。

舞台の右奥には、高い位置に正方形の厚い板がわたされ、ひな壇状の階段が前に据え付けられている。板の上には丸テーブルと椅子。左奥にもやはり同じようなセットが置かれているが、その上には楽屋にある電球で縁取られた鏡と化粧台、椅子、奥には衝立があって、スカートやドレスが何着も引っかけてある。

左右にせり出した舞台の両端にも木製の厚い板が何枚もわたされ、上には丸テーブルと椅子がある。テーブルの上には酒瓶、グラス、そしてグラス・キャンドルが置かれていて、本物の火がちらちらと瞬いている。驚いたことに、客席に最も近い位置にあるいくつかの丸テーブルにも観客が座っている。もちろんそこに座っていた観客は一般の客ではなく、ロイヤル・オペラ・ハウスの関係者、もしくは招待客らしかった。

これらの舞台セット、天井の金の棒、シャンデリア、鏡、ビロードの紅いカーテン、テラスの手すり、テーブル、椅子、舞台の縁にある金の飾り等は、なんとなくアール・ヌーヴォー調で、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館とかに転がっていそうなデザインのものばかり。しかもみんな古ぼけていて、金メッキは剥がれ、布は色褪せてすり切れ、木はニスが落ちて表面がざらつき、100年前、ヴィクトリア朝時代の小劇場が埃をかぶって朽ちかけている、という雰囲気である。

開演時間になる。いつのまにか、静かにさりげなく、舞台の両脇から、濃い草色の軍服を着たSoldier(Adam Cooper)と、ちり緬みたいなピラピラした白っぽい生地の布に、ハデな赤い色柄のガウンをはおり、頭に布を巻いて横でしばったFiancee/Princess(Zenaida Yanowsky)が姿を現す。クーパーは右奥のテーブルにつき、酒瓶を手にとるとグラスに酒を注いであおり、更にタバコに火をつけて吸う。ヤノウスキーは左奥の楽屋の鏡の前に脚を組んで座る。タバコに火をつけてくゆらせながら、鏡をのぞきこんで化粧をはじめる。

ふたりは観客には目もくれない。クーパーは椅子の背にもたれ、客席に横顔をみせて静かにタバコを吸い続け、ヤノウスキーは客席に背を向けて化粧に没頭している。開演時間はもうとうに過ぎている。いつ始まるのだろう。客席がかすかにざわつく。

いきなり打楽器がけたたましく鳴り、黒いシルクハットをかぶり、古ぼけた黒の燕尾服を着た語り手(Narrator、Will Kemp)が舞台前に飛び出してくる。ケンプはもみあげを頬のあたりまで長く伸ばし(本物)、両端がピンとはねた口ヒゲをつけている。後ろの髪はうなじを越えた長さで、これまた毛先を外側にはねさせている。白くドーランを塗り、眉毛は大げさな黒々とした困り眉で、頬紅を軽くはたき、目を大きく剥いた滑稽な表情をする。

語り手はシルクハットを脱いで両手を広げ、大仰な身振りで観客に挨拶する。ケンプの前髪はオールバック。「みなさま、ごきげんよう!今宵はみなさまにすばらしい舞台をお届けできますことを、まことに喜ばしく存じ上げます!音楽は偉大なる芸術家、イゴール・ストラヴィンスキー!作品は闇と背徳の物語です。さて、舞台を始めます前に、出演者をご紹介いたしましょう。右におりますのは、兵士でございます!」

クーパーにスポット・ライトが当たる。が、クーパーは観客を無視したままタバコを吸い続ける。「驚くべき優秀なダンサー、そしてパフォーマー!」 観客がドッと笑う。語り手「そして左におりますのは、婚約者、また王女でございます!」 ヤノウスキーにスポット・ライトが当たったその瞬間、ヤノウスキーは茶色の薬ビンから大量の錠剤を手のひらにあけると、それをがっと口に入れ、酒をラッパ飲みして一気に飲み下す(12歳以下のよい子のみなさんへ:これはとってもアブない行為です)。観客はまたも大爆笑。

語り手は次にオーケストラ・ピットを両手で示して叫ぶ。「演奏を担当いたしますのは、最高の・・・・・・カネで集められたメンバー、そして偉大なるマエストロ!」 7人のオーケストラ・メンバーと指揮のリチャード・バーナス(Richard Bernas)が、苦笑しながら各々の楽器を振り上げ、観客の歓声に応える。

その間に舞台が暗くなる。クーパーの影がゆっくりと椅子から立ち上がり、奥の小さな舞台の中央に移動して静止する。語り手が叫ぶ。「それでは、みなさん、今宵は無礼講です!リラックスしてお楽しみ下さい!『兵士の物語』です!」

「兵士の行進曲」が始まる。舞台のライトが点灯されると、長い銃を構えたクーパーが小さな舞台の上で踊り始める。兵士役のクーパーは、筒型の軍帽をかぶり、ボロボロにすり切れた学生服みたいな軍服を着て、脛にゲートルを巻きブーツを履いている。顔には無精ヒゲと頬骨の下に黒くシャドウを入れ、右頬の上にキズがあって血がにじんでおり、眉毛はやはり大きく下がった濃い困り眉の形に塗り、目を黒いライナーでふちどり、更に瞼に白いハイライトを入れている。

語り手「暑くて埃っぽい道を、一人の兵士が歩いていく。休暇はあと10日しかないのに、彼の旅は終わらないのだろうか?ひたすら道を歩きに歩いた、もうすぐ故郷に着くはずだ!」 ウィル・ケンプの声は初めて聞いた。あの顔のイメージどおりの声だった。若々しい、とてもカッコいい声をしている(彼も出演する映画「ヴァン・ヘルシング」でいずれまた聞けるだろう)。

語り手は役名どおりナレーションを行ない、またセリフもしゃべるが、それはほとんど詩を朗誦する感じに近いので、技術的にもかなり練習が大変だったろうと思う。喉もまださほど強くないようで、公演2日目で声がかすれてしまっていたが、それでも最終日までよく頑張っていた。そして彼の表情の豊かさはとても印象的だった。彼は第2部で王様(King)役もやるのだが、そのときの身振りや表情などの演技は、いま思い出しても笑いがこみあげてくる。

兵士役のクーパーは長い銃を支えにし、あるいは脇に抱え、あるいは構えて、ロボットみたいなカクカクとした動きの踊りを踊る。銃をかまえたまま、両脚を揃えてピョンピョンと飛び跳ね、不自然で奇妙な笑いを浮かべて敬礼したまま足を高く上げて行進し、そして片足とびでまたもピョンピョンと移動する。

ここの踊りで、右手に銃を持ったまま、左腕をブン、と一回転させる動きがあった(と思う)。完璧な円形である。去年の"Proverb"ではこうした腕の回転を多用していたが、この"The Soldier's Tale"では、ここ以外では、クーパー君の特徴である、長い腕を回転させて視覚的な効果を狙う振りはほとんどなかった。

兵士はそれから小さな舞台から下にドンと飛び降り、銃をかまえたまま横にジャンプし、また飛んだ瞬間に両脚を打ちつけ、それから銃を床に置いて床を転がり、苦しそうな表情で匍匐前進し、腹ばいになったままで再び銃を構える。

兵士は最後には疲れきった表情で、銃口を持って銃を後ろに引きずりながら歩き、打楽器のリズムに合わせて、はあ、はあ、はあ、と息をつく。ふと、クーパーはオーケストラ・ピットに向かって手を差し出し、「止めろ!」と叫ぶ。音楽が止む。

「ここはなかなかいい場所じゃないか。」 兵士は小さな舞台の左にある階段に腰を下ろす。兵士「軍隊なんぞに入ってしまって、まったく骨の折れることだ。」 兵士は階段の横に立てかけてあった草色の背嚢を取って中を探る。左のテラスに立つ語り手「長旅でしかも一文無し!」 兵士「ああ、背嚢の中はめちゃくちゃだ。聖ヨセフ様はどこへいった?」 語り手「彼は守り神である聖ヨセフの顔が刻まれたメダルを探す。」 兵士「よし、あった。」

語り手「彼がカバンの中をひっかきまわすと、出るわ出るわ、書類やら、弾薬入れやら、鏡やら。もっとも、曇ってしまってほとんど映らなくなっている。」 クーパー、語りに合わせて、クシャクシャになった紙や鏡を次々に取り出す。兵士「俺の恋人は?」 語り手「故郷にいる彼の恋人の似顔絵だ。」 兵士はあわてて更に中をかきまわすと、ようやく小さな額縁を探し当てる。「あったぞ!」 彼はそれを微笑みながら見つめると、いとおしげにチュッ、と音を立ててキスをする。

語り手「彼はもっと奥を探って取り出した。・・・小さなヴァイオリンを。」 兵士はヴァイオリンを取り出して構え、弦をはじいて調子をみる(もちろんこれは小道具のヴァイオリンなので、実際に音を出しているのはオーケストラの人である)。「安物だから、弦の調子も安物だ。しょっちゅう弦の調子を合わせておかないと・・・」と言いながらも、兵士はとても嬉しそうに笑い、そして立ち上がってヴァイオリンを弾き始める。

「小川のほとりの音楽」。クーパーは、ボウは持たずに右手でヴァイオリンを弾く仕草をしながら踊る。右手の動きが実になめらか。ここの踊りで、ヴァイオリンの柄を股に挟んで、両腕を広げて微笑む、というポーズがあった。このポーズは後でも出てくる。兵士は語り手と目を合わせて再び嬉しそうに笑うと、二人で踊り始める。飛び跳ねるようなステップを踏んで、入れ替わるようにして円を描いて踊る。二人で音楽に合わせて、だ、だ、だん、だん、と一斉に足で拍子をとっていたのが気持ちよかった。

二人でヴァイオリンをお互いに手渡しあう踊りは、尺取虫が大きく伸び上がるみたいだった(ヘンなたとえですみません)。背の高い人たちがヴァイオリンを持った手を伸ばすと、なおさら長く見えるんですね。また客席に背を向けるケンプが背中にヴァイオリンを回し、クーパーがケンプの体の前を右から左へと回りこみながら、再びヴァイオリンを手に取る。

二人が踊っていると、小さな舞台の上に老人の姿をした悪魔(Devil、Matthew Hart)が現れる。悪魔は耳当てのついた狩猟用の帽子をかぶり、ぶ厚い茶色の長袖の上着をまとい、腰にヒモを巻いて結び、肩掛けカバンを斜めにひっかけ、ズボンにブーツを履いて木の杖をついている。白っぽい顔の頬にシャドウを入れ、長く伸びた白い眉毛の下からのぞく眼が鋭く光る。

悪魔は右のテラスの手すりに背中で寄りかかり、そのまま体を手すりに沿ってぐるりと反転させながら、顔だけは踊る二人から離さずじっとりと見つめ続ける。かなり不気味。やがて、二人の周りで、悪魔もそれに合わせて踊り始める。木の杖をフェンシングのように鋭く振り回し、二人にまとわりつくように踊り、兵士と斜め向かいになって、木の杖を持った悪魔はヴァイオリンを持った兵士と同じように踊る。

だが、兵士と語り手は悪魔に気がつかない。悪魔は横に並んだ二人の背後に近づくと、杖を二人の肩に置いて押さえつける。二人は固まった表情のまま身動きしない。悪魔は二人の前に立って兵士の顎をなでると、再び兵士の後ろに回り、兵士が左脇に抱えていたヴァイオリンの柄をぞぞ〜っと舐め上げる。なんかエロい。うまそうに舌なめずりをして味を確かめた悪魔は、木の杖を再び手に取る。

兵士と語り手は正気に返る。そしてまず語り手が、何かおかしな気配がするぞ、と兵士に注意を促す仕草をする。しかし悪魔は巧みに兵士の目から逃れて動くため、兵士はなかなか気がつかない。語り手が悪魔の姿に気づく。ハートの悪魔はとっさにケンプの語り手の背後に回り、彼の首筋に息を吹きかける。語り手は、ああん、という表情をして力が抜けてしまう(腰かもしれない)。ケンプの悶えたような顔がよかったです。

それまで元気よくピョンピョンと動いていた悪魔は、わざとらしく杖をついて歩く。その姿がようやく兵士の目に入る。兵士は語り手に向かって、これは誰だい?と不審そうな表情をする。語り手はさあね、と両手を広げる。「小川のほとりの音楽」が終わる。

マシュー・ハートの悪魔は腰を曲げて杖をつき、しわがれた声を出して、唐突に兵士に言う。「ヴァイオリンをわしにくれ!」 兵士は驚く。「ダメだよ!」 悪魔「売ってくれ!」 兵士「ダメだよ!」 すると悪魔はぶ厚い緑色の本をさしだす。「この本と交換してくれ!」 

だが兵士は本には目もくれず、手元のヴァイオリンを見つめたまま言下に答える。「俺は字が読めない。」 悪魔は笑って言う。「そんなことは大したことじゃない。よく聞きなさい。この本はただの本じゃない。宝のつまったタンスなんだよ。ただページをめくるだけで、カネ、株券、黄金が出てくるんだよ。」 ようやく兵士は目を上げる。「ふうん?ちょっと見せてもらってもいいかい?」 悪魔「もちろん、もちろん、いいとも。」

クーパーは本を受け取ると、舞台の右側に立って本を開き、指で文字をなぞりながらつぶやく。「かわせ・・・かぶか・・・てがた・・・なんだこりゃ?」 昔話的な寓話のイメージにそぐわないと思ったのか、兵士の口から飛び出した現代的な語彙に、観客の間から笑い声が漏れる。彼はあきらめたように笑って老人に言う。「なんとか読めるけど、俺にはさっぱり意味が分からないよ。」 悪魔「しばらくすればコツがつかめてくるさ。」 兵士「でもこのヴァイオリンは、本よりはるかに安物だよ。」

悪魔はニヤリと笑う。「だったらおトクじゃないか。」 兵士は黙りこんでしばらく考える。やがて、無邪気に笑いながら「よし、取引だ!」と言い、ヴァイオリンを悪魔に差し出す。小さな舞台の上から腕を組んで様子を眺めている語り手は、ああ、やってしまった、という残念そうな表情をする。

兵士は本を開いて「かわせ・・・かぶか・・・てがた・・・」とつぶやいている。本を読んでいた兵士はふと気づく。「土曜日・・・31日の株価・・・31日?今日は何曜日だっけ?」と、語り手に尋ねる。語り手は即座に「水曜日、28日」と答える。兵士は嬉しそうに叫ぶ。「未来のことが書いてある!この本は未来のことが分かるんだ!」

一方、悪魔は木の杖で必死にヴァイオリンを弾こうとするが弾けない。困った様子の悪魔は兵士に切り出す。「わしの家に来ておくれ!」 兵士「どうして?」 悪魔「コイツがよく鳴らないんだ。音が鳴るように教えてくれないかね。」 兵士「休暇が終わってしまうよ!」 悪魔「馬車で家まで送ってあげよう。このまま歩くよりもはるかに早く着くだろう。」

兵士「俺の母さんが心配するよ。」 悪魔「お母さんを失望させるのは、今に始まったことじゃないだろう?」 このセリフで観客が笑っていたが、私には何がおかしいのか分からなかった。兵士「俺の彼女だって、俺を待っているんだ。」 悪魔「彼女だってすぐになんとかなるさ。」

兵士は考えこむ。「あんたの家は遠いのか?」 悪魔は答える。「ドリンク、お食事はすべて含まれております。そしてスウィート・ルームと豪華ディナー、またご自宅までの送迎サービスつき!」 このへんは旅行会社のツアー広告をイメージすればいい・・・と思う。悪魔「2日か3日、ちょっと寄り道するだけで、君は永遠に大金持ちだ!」

兵士は金持ちになることより、食い物と飲み物とベッド、という文句に釣られてしまう。小さな舞台の上を歩き回る悪魔の後に追いすがって、兵士は矢継ぎ早に質問する。「食べ物には何がある?」 悪魔「油のしたたるご馳走ばかり。しかも朝昼晩ぜんぶ。」 兵士「飲み物は?」 悪魔「極上のワイン。」 兵士「煙草は?」 悪魔は左のテラスに寄りかかり、ゆっくりと答える。「ハバナ産の高級葉巻。」

語り手が小さな舞台の上で言う。「欲しいと思っていたものが目の前に現れるなんて、そんなうまい話はない。兵士のジョゼフは老人の後についていってしまった。だが老人は彼を騙しはしなかった。ご馳走を食べて飲んでゆっくり休んで、ジョゼフは至れり尽くせりのもてなしを受けた。彼らは互いに教えあった。ヴァイオリンの弾き方、本の使い方を。」 その間、クーパーの兵士は、左のテラスの螺旋階段に座り込んで本を読むのに没頭する。ハートの悪魔はそのテラスを挟んだ隣、小さな舞台の階段に座って木の杖でヴァイオリンを弾く。

語り手「2日が過ぎ、そして3日目になった。夜明けとともに老人がジョゼフのところにやって来た。」 悪魔が兵士に語りかける。「準備はいいかね?おっとそうだ、その前に、ゆっくり休めたかね?」 兵士「うん、たぶん。」 悪魔「満足だろう?」 兵士「うん、たぶん。」 悪魔「では出発しよう。」

左のテラスを馬車に見立てて、クーパーとハートはジェットコースターに乗っているように、手すりにしがみついて体を大きく前後させる仕草をする。語り手がテラスの前に立つ。「彼らは馬車に乗り込んだ。馬は飛ぶように疾走し、ジョゼフは両手で必死に席にしがみついた。」 悪魔「しっかりつかまれよ!わしの馬は速く走るぞ!気をつけろ!」 語り手「ジョゼフは立ち上がって馬車から飛び降りたかったが、どうしてもできない!」

それから間髪をいれず、ケンプが舞台の左端に出てきて手で上の方をさし、早口で一気に語る。「ついに馬車は空へ飛び上がった!馬は疾走し、車はガタガタと音を立て、空をぐるぐると駆けめぐり、ジョゼフは恐怖で気が遠のく!」 ハートはクーパーの耳元にぐっと口を寄せ、あざ笑うように叫ぶ。「おまえは幸せかね?おまえはまだ幸せなのかね?」

語り手「たくさんの山や谷を飛び越え、彼らは天を駆けた。より速く、より上へと。時間が止まるまで。それからすべては元のとおり。」 舞台が暗くなる。

再び「兵士の行進曲」。小さな舞台の中央には、最初と同じように兵士が立っている。今度は銃を持っていない。兵士は大きく歩くような仕草で踊る。語り手「暑くて埃っぽい道を、一人の兵士が歩いていく!」

クーパー、途中で自分の左手で自分の顔を抱きかかえ、ぐいっと左の方を向かせる。何か大事なものを失ったことに、なんとなく気がついたのだろう。顔を向けた先、舞台向かって右側のテラスには、悪魔がヴァイオリンを持って立っている。兵士はそれに手を伸ばそうとするが、悪魔にヴァイオリンで振り払われる。兵士は両腕で顔を覆い、体をかがめて後ずさる。

再び小さな舞台から下りて踊る兵士に、悪魔が近づく。マシュー・ハートは口にヴァイオリンの柄を銜え、四つん這いになり、ヤモリみたいにのそのそのそ、と兵士に近寄っていく。すると兵士は両手をだらりと前に下げた姿勢で動かなくなる。悪魔は兵士に木の杖を両手で捧げ持たせ、その両腕をバンザイするよう高く挙げさせる。そして悪魔は兵士の体に自分の下半身をくっつけると、そのまま腰を小刻みに上下に振る(12歳以下のよい子のみなさんへ:これはとってもエッチな仕草なんだよ)。

兵士がヴァイオリンを股に挟む動きといい、悪魔がヴァイオリンの柄を舐め上げる仕草といい、またこの悪魔の兵士に対する下半身密着上下腰振り運動といい、何でこの作品が12歳以下は観劇禁止になったのか、それはこの作品でヴァイオリンが象徴しているもの(の一つ)の、これらの描写と関係があるようだ。(そしてラストでは決定的なシーンがある。)

やがて悪魔は木の杖を兵士から取り上げる。兵士は再び歩き始める。語り手「休暇はあと10日しかないのに、彼の旅は終わらないのだろうか?ひたすら道を歩きに歩き、ついに彼は故郷にたどりついた!」

「兵士の行進曲」が終わる。兵士は嬉しそうに叫ぶ。「やった!着いたぞ!俺の故郷!」 クーパーは右のテーブル席にいる観客たちに手を振り、陽気な声で呼びかける。「おはよう、***おばさん(ききとれず)!おはよう!」 語り手「だが彼女には聞こえない。」

兵士「・・・まあいいか。やあ!ルイじゃないか!ルイ!」 クーパー、今度は右の観客席を見やって叫ぶ。語り手「彼は麦畑の中を通り過ぎていく。」 クーパーはそれを追いかけるように、観客席を見上げたまま舞台の右から左へと走る。「ルイ、なんで返事をしないんだ?俺が誰だか覚えているだろう?ジョゼフだよ、兵士のジョゼフだよ!」

語り手「だが彼はそのまま行ってしまった。兵士もそのまま行くよりしかたがない。」 兵士はあきらめたようにきびすを返す。語り手「学校、火の見櫓が見えてきた。パン焼き小屋、宿屋も。村人たちがそこかしこにただずんでいる。男、女、そして子どもたち。みな立ちつくしたまま彼を凝視している。」

兵士は事の奇妙さに徐々に気づき始める。彼は後ずさりながらつぶやく。「いったいどうしたんだ?何が起きたんだ?みんな、俺のことが怖いのか?」 兵士はまた前に踏み出して叫ぶ。「ジョゼフだよ!覚えているだろう?」

語り手「だが誰も返事をしない。それどころか、家の戸がバタンと閉まる。別の家の戸も。それから次々と戸が閉まっていく。錆びた蝶番が軋んだ音を立て、ついにはすべての戸がすっかり閉ざされた。」 兵士は呆然としながらも、「でも母さんは俺を覚えているはずだ」と言い、再び右の客席を見やる。語り手「ところが、彼の母親は、彼を見るなり逃げ出した・・・悲鳴を上げながら。彼は恋人を思い出す。」 兵士「俺の恋人は?」

兵士の婚約者(Zenaida Yanowsky)が左のテラスに現れる。グレーのハイネック、長袖の薄手のニットに、おなじくグレーっぽい柄の、ふんわりと広がる長めのフレアースカート。頭は布ですっぽりと覆い、くるぶしの上くらいまでの短いブーツを履いている。彼女は大きな鏡の前で、手を空にかざしてはめている指輪を見つめたり、鏡に向かって身づくろいをしたりして、兵士には目もくれない。兵士は驚いて叫ぶ。「結婚した!?」 語り手、冷静な口調で付け加える。「子どもは二人。」 ケンプの容赦ないクールな口調に、観客がクスクスと笑う。

「いったいどういうことだ?・・・いったいどういうことなんだ?」 呆然とした表情の兵士は、よろめきながらしばらく立ち尽くす。長い沈黙。やがて、しぼり出すような口調で「あの野郎・・・」とつぶやくと、次には大きく声を張り上げて絶叫する。「あのとんでもないクソ野郎!」

兵士「お前の正体が分かったぞ!何が起きたのかも!俺は時間を盗まれた!3日なんかじゃない、3年だったんだ!」 兵士は泣き出しそうな声で力なく言う。「俺は死んだことになってしまった。・・・俺は生きた死人になってしまったんだ。」

それから兵士は自嘲するように言う。「俺は馬鹿みたいにあいつについていって、あいつの言いなりになってしまった。あのとき、俺はとても疲れていたし腹も減っていた。でも、だからって、あんな奴の言いなりにならなくてもよかった。」

クーパーはテーブル席に座っている客たちに近づいていって、早口でまくしたてる。混乱した、笑っているような、泣いているような表情。「知らない奴から声をかけられたらどうすればいい?ただこう言えばよかったんだ。『あんたのことは知らないから』と。それがどうだ?俺はあいつの言いなりになった。」

兵士は舞台の中央に戻る。「なんてザマだ。俺にはヴァイオリンももうない。俺はどうしたらいいんだろう?俺はどうしたらいいんだろう・・・」 兵士は絶望した表情でつぶやき、舞台の右端へ向かってとぼとぼと歩く。だが、その先には語り手がいて、兵士に後ろを見るよう片手で促す。もう他人の妻となった兵士の元婚約者が、いつのまにか彼の後ろに歩み寄っていたのだった。

「パストラール」が始まる。ヤノウスキーは、無表情な顔を正面に向けたまま、左手を兵士の方に伸ばし、何かを探るように、手首を回しながら指をひらひらと動かす。そして直立した姿勢から右脚を根元からゆっくりと上げ、膝から先を真っ直ぐに伸ばす。足が耳にくっつきそうである。また片脚を後ろに上げたままひらりと回転する。いずれもゆっくりとした動きなのに、彼女の体はいささかもビクともしない。

ヤノウスキーが、力なく座りこんでいるクーパーに背を向けてもたれかかると、クーパーはその腰を支える。ヤノウスキーは更に背中を反らせる。柔らか〜い。ふたりは見つめあうが、兵士はみぞおちのあたりが痛むかのように手で押さえて踏みとどまり、彼女も思いとどまった表情で兵士に背を向け、考えこむように膝を抱えて床にしゃがむ。形よくふくらんだスカートが印象的。

兵士がおそるおそる背後から近づき、彼女の腰をつかんで頭上高く持ち上げる。クーパーのリフトは非常にスムーズできれい。ヤノウスキーは空中を歩くように両脚をゆっくりと回転させる(これは"Proverb"でもあった。タケットはこの振りが好きなのか)。クーパーはヤノウスキーの両腕をつかんで低く振り回す。ヤノウスキーは開脚したまま振り回されるが、その体は床とすれすれの間を保ったまま、決して床に着くことはない。それからクーパーはヤノウスキーの腰を再びつかんで持ち上げ、彼女を抱きしめるように振り回す。

着地するなり、元恋人は兵士から身を剥がすようにして離れ、また背を向ける。兵士と元恋人はお互いの両腕をつかんで引っ張り合うが、そのバランスは緊張に満ちていて、離れようとしているのにどうしても離れられないようにみえる。ふたりは両腕をつかみあったまま、クーパーがヤノウスキーを激しく振り回し、そして次には、ヤノウスキーがクーパーを低く振り回して彼の体をくるりと反転させる(実際にはクーパーが低く飛んでいたんだろうけど)。

ふたりは舞台の左右に離れて立つが、ふたり同時に、とつぜん何かの発作が起きたかのように、体のあちこちが痙攣しはじめ、荒く息を吐きながらそれを手で押さえようとする。この「パストラール」の間、語り手は右端のテーブルに、悪魔は左端のテーブルにつき、その様子を眺めている。

クーパーが再びヤノウスキーの腰を支え、前と同じように高く持ち上げる。彼女も再び同じように両脚を回転させる。元恋人はやはり思いとどまったかのように兵士の手から逃れようとする。兵士は必死な表情で彼女の脚を抱きかかえてすがりつく。彼女は切なそうな表情でそれを見下ろす。彼女はまた床にしゃがみこみ、兵士も背中を丸めて諦めたかのように座り込む。

それからふたりは舞台を左右に行きかうが、お互いに顔をそむけ、目を合わせようとしない。ぶつかりそうになると、兵士は辛そうな表情で彼女を無理に避ける。彼女はそれを後ろ目に追うが、やがて足早にその場から去る。「パストラール」終わり。

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