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BIOGRAPHY

8. マシュー・ボーン「白鳥の湖」 (4)

1996年9月、マシュー・ボーン率いるAMPの「白鳥の湖」は、初演から一年と経たないうちに、ウエスト・エンドのピカデリー劇場で、ロンドン再演を果たすことになった。これは初演時の期間限定公演(2週間半)とは違い、期間を限定しない公演、つまり人気が出れば出るほど、エンドレスで長期公演を行なうことができる、という形式である。反対にいえば、チケットの売れ行きが悪ければ、すぐに公演打ち切りになる、ということでもあった。

私は門外漢ですので、くどいですが説明させて下さい。「ウエスト・エンド」といっても、ズバリこういう名前の街や通りが地図上にあるわけではなく、ロンドン中心部の、有名劇場がたくさん密集している界隈をまとめて「ウエスト・エンド」と呼んでいるらしい。

赤坂の英国政府観光庁でくすねて・・・じゃない、もらってきた(本当です)ガイドブックによると、ウエスト・エンドとは「ピカデリー広場からオードウィッチ、オックスフォード・ストリート、ホワイトホールにかけての地域。ロンドンの主要な劇場のほとんどがあることでよく知られている。ここではお馴染みのミュージカルや古典劇が上演されている」そうだ。ちなみに、「ヒースローからロンドン市内へは、最速のヒースロー・エクスプレス、略して『ヒックス』で!ご宿泊はぜひアベイ・コート・ホテルへ!パディントン駅徒歩2分!」だという。

ウエスト・エンドで今年の夏に上演されていた演目で、私でも名前を聞いたことがあるものには、たとえば、「ライオン・キング」(ライシーアム劇場)、「マンマ・ミーア!」(プリンス・エドワード劇場)、「キャッツ」(ニュー・ロンドン劇場)、「レ・ミゼラブル」(パレス劇場)、「オペラ座の怪人」(ハー・マジェスティーズ劇場)、「マイ・フェア・レディ」(シアター・ロイヤル・ドルリー・レーン)などがある。

アダム・クーパーは、このウエスト・エンドでの公演に、第一キャストの白鳥/黒鳥として出演することになった。ところが、キャスト決定をめぐっては、いささか気まずいことが起きていた。キャメロン・マッキントッシュ、カザリン・ドレといったプロデューサーたちが、AMPの興行に商業的利益を最優先する「ウエスト・エンド方式」を導入し、また芸術監督兼振付家であるマシュー・ボーンが、カンパニーにプロのバレエ・ダンサーを引き入れたことによる、AMP内部での軋轢の始まりを予感させる出来事である。

前年のAMP「白鳥の湖」の初演で、クーパー君とともにダブル・キャストで、またイギリス全国ツアーでは、第一キャストとして白鳥を踊った、デイヴィット・ヒューズが、AMPを去ったのである。彼は、クーパーが第一キャストとして、ウエスト・エンドで白鳥を踊ることに、不合理を感じたのだという。ボーンはヒューズを庇って言う。

「彼は、自分がアダムに対する第二キャストである、という状況にうまく対応できなかった。とりわけ、アダムがたくさんの論評や賞賛を受けた後では。彼は、その通りなんだけど、彼が白鳥役に多くのものをもたらし、白鳥役が確立されていく過程に影響を及ぼしたと感じていて、その創作的な貢献を少しも認めてもらえない、というのは、彼にとって辛いことだった。」

ボーンがあれこれ弁明しなくても、自分から決然として身を引いた、という事実だけで、ヒューズの言い分がもっともなことであったのは、じゅうぶんに分かる。

これは、誰が悪いのでもない。ヒューズが不満だったのは当然だ。彼の立場にあれば、誰でも同じように感じただろう。でも観客が、クーパーの白鳥を観たい、と希望したのも、それは観客の自由である。金を払って観るのだ。どのダンサーを観たいかを望むのが、なぜいけないのだろう?プロデューサーや出資者たちは、ウエスト・エンドで成功するため、チケットをできるだけ売ることを、第一に考慮しなければならなかった。週に最低16万ポンドは稼がないと、元手すら回収できないのだ。ボーンに至っては、ダンサーたちの立場や言い分はもちろん、興行で一定の収益をあげる必要もよく分かっていただけに、却て誰の味方をすることもできなかっただろう。

クーパーも一生懸命、白鳥役に取り組んだのだ。ボーンのやり方に追いつくよう努力し、周りのダンサーたちの動きをよく観察し、いろんなことを学んで吸収した。ボーンは、あらゆる機会をとらえて、できるだけ多くのことを学ぼう、というクーパーの意欲と謙虚な姿勢は、AMPでも1、2位を争うほどだと言っているし、ボーンがバレエ面での構想を練る過程で、クーパーが重要な役割を担ったことを認めている。クーパーは、白鳥を見事に踊ってみせ、観客の圧倒的な支持を得た。それは彼自身が意識的に操作できたことではない。

前年の短期の公演は大成功のうちに終わったが、今回のウエスト・エンドでの公演も、チケットが完売となる異例の大盛況となった。当初、公演は9月上旬から11月上旬までの予定だったが、チケットの売れ行きが好調だったため、翌1997年の1月まで延長され、結局、全公演数は120回にまで及んだ。これは「ダンス・クラシック」の演目としては、空前絶後の現象であるといわれている。そして、このウエスト・エンドでの公演は、BBCによってテレビ収録が行なわれ、この年、1996年のクリスマスに、BBC第2チャンネルで全国放映された。

現在販売されている映像版が、このときテレビで放映された番組である。この映像版は、編集や音声加工がかなり施されているようである。シーンによっては、これはテレビ番組用に、わざわざスタジオで撮りなおしたんじゃないか、と思える部分もあるし、音声もビデオ版とDVD版とではかなり違っている(と思うんですが)。

今度は天下のウエスト・エンドで、それも初演とは比べようもないほどの、長期に渡る「完売御礼」公演を行ない、地上波で全国放送までされた。それでも、というか、だからこそ、ボーンの「白鳥の湖」は、終始マスコミ注目の話題となった。ボーンは、自分の「白鳥の湖」で問題とされるのは、誰の目から見ても明らかな、英国王室のパロディではないか、と思っていた。ところが、マスコミが嘲笑の種にしたのは、やはり男性が白鳥を踊る、という点であり、一部マスコミはあいもかわらず、「おカマ」だの「ゲイ」だの「ホモ」だのと、面白半分に茶化して報道した。ボーンは拍子抜けしたものの、「ゲイ・スワン」というレッテルは、前年ほどには気にならなくなっていたという。しかし中には、ボーンが後年になっても、しつこく根に持っているほどひどい記事もあった。

「僕たちはたくさん、国内メディアの取材を受けた。けど、それらはすべて、男の白鳥に関する論争についてだった。たくさんの『じょーだんじゃねえ』フザけたもの、たとえば、オデットを踊るマーゴ・フォンテーンの写真の隣に、白鳥を踊るアダムの写真を切って貼り付けたりしていたよ。実にバカげた、とんでもない記事だ。中でも一番ひどかったのは、スコット(・アンブラー)の背中の上に乗ったアダム(注:第二幕にある王子と白鳥とのデュエットの一部)の写真を使って、『ボクをノっけてよ、スコッティ』(注:ティッシュ・ペーパーじゃないんだから)と見出しが付けてあるものだった。そこまでやるクセに、彼らは王室への風刺的要素については、ぜーんぜん取り上げもしなかった。王子のガールフレンドは、明らかにファーギー(注:セーラ元妃。アンドリュー王子の前妻。多分)そっくりなのに。」・・・そうだったの?ぜんぜん気が付かんかった。

それでも、ボーンの「白鳥の湖」が、前代未聞の大成功を収めたという事実は、どのマスコミも否定することはできなかった。しかも、ウエスト・エンドでの上演が始まってほどないある日、ピカデリー劇場でリハーサル中のボーンを、意外な人物が尋ねてきた。ミハイル・バリシニコフがやって来て、ボーンに作品の振付を依頼したのである。ボーンは驚いた。バリシニコフは、ウエスト・エンド公演を観て、ボーンの「白鳥の湖」に感嘆したのだという。バリシニコフは、その後もボーンを応援してくれ、後年のブロードウェイ公演でも、いろいろと力になってくれたそうである。

またある日、ボーンのところに一本の電話がかかってきた。それはロイヤル・バレエ往年のバレリーナ(すごい有名なんだって)、リン・シーモアからのもので、彼女は自分に女王役を踊らせてもらえないか、とボーンに打診、というか無理強いしてきたのである(これは後に実現した)。またシーモアは、翌97年の「シンデレラ」でも、継母役として主演の一人にキャスティングされた。

白鳥/黒鳥を踊ったクーパーに対する評価は、このウエスト・エンド公演で更に高まった。彼の白鳥を観たいがため、普段はバレエなどまったく観ない人々が、ピカデリー劇場にわんさか押し寄せた。ちょっと特殊な事情も手伝ったこともあるが、おカタい批評家たちも、クーパーを手放しで賞賛した。また、テレビでの全国放送によって、ロンドンはもちろん、イギリス全国で(後にアメリカ全国でも)、女性はもちろん男性までもがアダム・クーパーの擒になり、多くの家庭や恋人たちの間で、揉め事を引き起こしたそうな。

とりわけ第三幕、黒レザー姿の「黒鳥」役によって、彼に対する人々のイメージは、「危険な魅力にあふれた、マッチョでセクシーでエロティックなオ・ト・コ」(ぶぶっ)に、すーっかり定着しちゃったんである。自分が「セックス・シンボル」になってしまったことに、クーパー君はびっくりした。この「白鳥の湖」を境に、マスコミは、彼を紹介する枕詞に、必ず「神秘的な」とか「傲岸不遜な」とか「セクシーな」とかいう形容詞を入れるようになったし、人々は突如として、彼を頭から足の爪先まで、文字どーり舐めるような視線で見つめるようになったという。ごめんなさい、私もその一人です。でもなあ、上から下まで、ついしつこく見ちゃうんだよお。それこそ三往復でも四往復でも。だってホントにかっこいいし、見とれるほどキレイなんだむぉ〜ん。

クーパー君は、今度のウエスト・エンド公演には、ロイヤルを休んで参加するわけにはいかなかった。ロイヤルの新シーズンも、ちょうど10月の末から始まるし、そのリハーサルだってあっただろう。彼は自分のスケジュールをなんとかやりくりし、なんと、ロイヤルとウエスト・エンドとで、日替わりで踊る、ということをやることにした。つまり、ピカデリー劇場でボーンの「白鳥」を踊った、その次の日には、ロイヤル・オペラ・ハウスでクラシック・バレエを踊り、またその次の日にはボーンの「白鳥」、という、超過密スケジュール・プランを組んだのである。この時の王子役はスコット・アンブラーとベン・ライト、クーパーとダブルキャストで白鳥を踊ったのはウィル・ケンプである。つまり、クーパー君は、2公演につき、必ず1回は踊っていたことになる。このパターンを、ロイヤル・バレエと並行で5ヶ月間続けたのだ。これは大変だ。

彼のクラシック・バレエでのキャリアでも、今までにないことが起きた。ロイヤル・バレエはこれまで、彼を主にキャラクターやモダンに起用するばかりで、プリンスには代役としてしか使ってくれなかった。ところが、そのロイヤルが、12月から1月にかけて上演される予定の「白鳥の湖」(もちろん伝統版)の王子役に、クーパーをキャスティングしてくれたのである。しかも第一キャストとして。クーパー君念願の、ロマンティック・バレエでの正式な主役である。

彼は素直に嬉しかったかもしれないが、これは明らかに、ボーンの「白鳥の湖」の話題性に乗っかった、実に分かりやすい、二番煎じを狙った便乗商法である。しかしね、バレエのキャスティング、っていうのは、どうやって決まるんだろか?振付家や芸術監督の鶴の一声で決まる場合もあるらしいが、ロイヤル・バレエには、他にもキャスティング・スタッフというのがいるそうだ。こういう人たちが、どういった基準にのっとってかは知らないが、まあ、いろんな面から最適なキャストを選出・決定するんだろう。その中に、チケットをさばくため、という基準もあるのは、間違いのないところのようだが。常識ある態度である。

だけど、日替わりでロイヤルとAMPの両方に出演する、なんて、素人目から見ても、こんなことして大丈夫なのか、と思うくらいだ。休みがとれた日はあったんだろか?当時の新聞を見ると、AMPがウエスト・エンドで「白鳥の湖」を公演していた期間中、彼のロイヤル・バレエでの公演のレビューが、確かに掲載されている。彼はホントに、AMPとロイヤルと、同時並行で出演していたんである。ボーンは、AMPのほとんどのダンサーが、ウエスト・エンドで踊った経験がなかったため、非常に過密な公演スケジュールに適応できず、ケガ人が続出したと述べている。クーパーの場合、クラシック・バレエとコンテンポラリー・ダンスを同時に踊る、ということをやってしまった。

こないだ、ロイヤル・バレエの芸術監督を、就任して一年も経たないうちにクビになったロス・ストレットンは、新しい演目をどんどんレパートリーに取り入れて上演した。彼の就任から半年も経たないうちに、ロイヤル・バレエのダンサーにケガ人が続出し、今年の春くらいからは、深刻なケガのために何ヶ月も休養せざるを得ないダンサーが相次いだ。それがサマー・シーズンの度重なるキャスト変更につながり、最終的には、ダンサーたちのストレットンへの不信感が、彼の解任を決定的なものにしたという。

この異常なケガ人の多さについて、ある批評家は、踊りのタイプが異なる複数の作品を、ほとんど同時に、しかも自分の好みのダンサーたちばかりに踊らせた(一部のプリンシパル・ダンサーは、全公演のうち、その3分の1に駆り出された計算になるという)ことが、主な原因ではないかと指摘している。これは、体への負担が大きすぎるため、あまりやってはならないことだそうで、なんでかっていうと、踊りのタイプが違うということは、つまりは使う筋肉や、その使い方も違うということなので、ケガをする危険が大きくなるのだそうである。

クーパー君が、ロイヤルとAMPとの両方に義理を果たそうとしたこと、意地悪い言い方をするなら、おいしいとこをまんべんなくつかもうと欲張ったことで、彼は後に高い代償を支払うことになった。それは皮肉にも、ロイヤル・バレエでの伝統版「白鳥の湖」公演を目前にして起きたのである。

(2002年11月4日)

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