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BIOGRAPHY

7. マシュー・ボーン「白鳥の湖」(3)

ボーン振付の「白鳥の湖」は、1995年11月9日から25日まで、ロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場で、およそ2週間半にわたる初めての公演を行った。観客はクーパーの白鳥を目にしても、笑い出すことはついになかったらしい。ボーンの「白鳥の湖」は、批評家たちや、なによりも観客たちの大絶賛を受けた。そして公演開始から1週間もすると、在ロンドンの海外メディアも、その大ヒットぶりをロンドン発の話題として、母国に配信するようになったのである。

クーパー君は、この予期せぬ成功に驚いたという。「奇妙なことだった。なにせその理由が、『白鳥の湖』を踊ったから、というのだから。あれがおおごとになるなんて、思いもしなかった。」「だから、すべてが起こったとき、それは大きな驚きだった。しかも嬉しい驚きだった。」・・・ホントですか?あなた、すごくカンがいいから、本当はどっかで成功を確信していたんじゃないの?

ロイヤル・バレエでもそんなに目立ってなかったプリンシパルで、地味なハンサム君だったアダム・クーパーは、ふってわいたよーに、いきなり有名人になってしまった。道を歩けば通行人が、またレストランにメシを食いに行けば周りの客たちが、次々と彼にサインを頼むようになった。そして超現金なことには、さしたる抵抗もなく二つ返事で、クーパーをAMPに貸し出したロイヤル・バレエまでが、サドラーズ・ウェルズでの公演途中で、クーパーにバレエ団に復帰するよう要請してきたそうな。

このまえロンドンに行ったとき、私はロイヤル・バレエを観にいかない日は、別のバレエ団の公演に行こうと思いついた。ロンドンなら、たくさんバレエ団があるだろうし、いつでもどこでもバレエの公演をやっているだろう、と安易な素人考えをしたんである。それでさっそく、ロンドンのバレエ公演情報を調べた。そしたら、ロイヤル・バレエの公演が行われる週の前後には、他のバレエ団の公演があるのだが、ロイヤルの公演期間と重なる、他のバレエ団の公演情報は、どうしても見つけることができなかった。

単なる偶然かもしれないし、それこそ小さなカンパニーの公演なら、もっとよく探せば見つかったのかもしれない。だけど、中規模以上のバレエ団についていうなら、これは、お互いの公演同士がバッティングしないよう、故意にずらしてあったんじゃないだろうか。つまり、ロンドンのどのバレエ団も、同じ人々を観客にしているらしいのである。ロイヤル・バレエを観に行く人々は、たとえば次の週には、イングリッシュ・ナショナル・バレエを観に行き、さらに次の週には、サドラーズ・ウェルズ・バレエを観に行くんだろう。んで、たぶんバレエ団同士で、観客の奪い合いをして共倒れにならないよう、事前に調整を行なって、公演期間をお互いにずらしているんだと思う。

ミュージカルや演劇などは、バレエ団の公演の有無とは、ぜんぜん関係なく行われるし、AMPの客層は、ロイヤル・バレエの客層とは基本的に異なるそうだ。しかし、AMP「白鳥の湖」の初めての公演期間は、ロイヤル・バレエのシーズン第一ピリオドと重なるし、なにせ演目が「白鳥の湖」である。ロイヤル・バレエとしては、自分たちのダンサーが、他のダンス・カンパニーの公演で、しかも一応バレエの演目で大人気を博したことは、決して愉快なことではなかっただろうし、それなりに危機感も持ったかもしれない。ごく一部のスター・ダンサーが出演する日を除けば、ロイヤル・バレエの公演のチケットは、当日になっても余っているのが普通らしいから。マシュー・ボーンが、後年のインタビューで言っていたのだが、ロイヤル側は、最初はボーンもAMPもあまり眼中になかったらしく、「AMP?ああ、あの小さなカンパニーね」てな調子で、意外と気安くクーパー君を貸し出したそうである。それに、バレエといっても、結局は客商売であることには違いない。話題がホットなうちに、AMPにならって一山あてようという欲もあったのかも。

アダム・クーパーはそれまで、これほど高い人気を得たことはなかったし、これほど高く評価されたこともなかっただろう。マシュー・ボーンは、ダンサーとしてのアダム・クーパーの特質について、こう述べている。みなさんや私が感じている彼の魅力と比べると、どんな共通点や違いがあるでしょうか。

「アダムはウィル(・ケンプ)に比べて、全体的によりパワフルで、支配力があり、力強い存在感がある。彼の踊りには、堅固さとパワーとが備わっている。だから、王子をたやすく、苦もなく魅了したようにみえる。彼は存在感だけで、舞台全体を支配してしまう。そして彼は本当に、舞台上では、実際よりもはるかに背が高く見える。(『白鳥の湖』の)第二幕と第三幕、彼が舞台上に足を踏み入れるや、彼は巨大になる。だけど、彼が舞台から降りると、彼は僕と同じ身長で、6フィートもないんだ。僕にはさっぱりわけが分からない。」

インタビュアーがこれに応じる。「それは、批評家のジェイムズ・モナハンが、『背が高く見える才能』と嘗て呼んだものではないのですか?モナハンは、フォンテーンやマカロヴァのような、小柄なバレリーナの踊りが、大きな劇場で、なんとも大きいという印象を与えることに、とりわけ魅惑されました。これは、たとえば俳優やダンサーといった一部の人々が、生まれながらにして持ち合わせているものです。でも私が思うに、バレエというのは総合的な視覚効果ですから、これはバレエの訓練が、結局のところ、一部の人々(極めて少数とはいえ)が、舞台上でこうした強化された特質を獲得するのに役立つのでしょう。」

ボーンにとって、アダム・クーパーとは、あくまで自分たちとは異質な存在である。ボーンはバレエに対して、愛憎の交錯する複雑な感情を抱いているらしい。でもバレエを評価しようが批判しようが、結局はすさまじい執着を持っているのには違いない。しかし、ボーンは自分と、彼のカンパニー(に参加するおなじみのダンサーたち)とを、バレエに対立するものとして位置づけているし、バレエに対する伝統的な諸概念や、それらを象徴する各要素を取り出して、ひっくり返して反対にしてやると、それはそのままボーンの作品になるだろう。

ボーンは、クーパーを「バレエ・ダンサー」、つまりは彼らが属する世界とは違う、バレエ界の人間であると規定している。クーパー本人にとっては、実に心外なことかもしれないが、クーパーの実際がどうであれ、ボーンは彼のことを、生まれ持った才能の差(本人にはどうしようもないこと)で、人を容赦なく勝者と敗者とに分ける、バレエ界に属する人間、つまり「生まれもっての勝者」に分類している。「ウィル・ケンプの存在感は、彼が努力して得なければならなかったものだ。ウィルの強烈さとは、彼が取りくんで手に入れたもので、アダムの強烈さが自然なものなのとは対称的だ。アダムは人々に対して、凄まじいばかりの性的な吸引力を発揮する。なぜなら、アダムが意識的にそうしたイメージを放出している、という前提に立つなら、彼はさほど努力しなくてもできるんだと思う。たぶん実際、アダムは努力してそうしているわけではない。」

ボーンはまた、クーパーの音楽的な能力も指摘する。「アダムは音楽とともに演ずる、すばらしい方法を身につけている。彼が自分のやるべきことを知っている、という意味で、その音楽は、本当に彼の内側に存在する。だから、彼は音楽中の、あるコード、拍子、音を先取りすることもできれば、逆にためをきかせることもできる。彼は音楽を制御できている。なぜなら、彼はすばらしい技術的源泉を所有しているからだ。そうして踊りの個々の箇所に、一連の非常に強い、ダイナミックな要素をもたらす。」わたくし、ここの言葉、意味がイマイチよく分かりません。とはいえ、クーパーの踊りを観ていて感じる、そしてつい見とれてしまう、「あれ」のこと、なんだか分からないが、この音楽では、まさにこう動かなければ、というツボにハマりまくりな、あのクーパー独特の巧妙な動きを指しているんだろう、とは思うんですが。

で、ボーンが言うには、フィオナ・チャドウィックも、クーパーと同じような、優れた音楽性を持つダンサーらしい。クーパーは、当時、ロイヤル・バレエを引退したばかりのチャドウィックを、女王役としてボーンに推薦した。クーパー君は、チャドウィックと共演するのが、とりわけ好きだったそうだ。クーパー君はあるとき、ロイヤル・バレエの「マイヤーリング」に出演していた。彼はその時は主役ではなかったのだが、主役であるルドルフ皇太子役のダンサーが、公演途中で負傷してしまった。クーパー君は突然、ルドルフの衣装を着せられ、舞台にたたき出された。代役で踊れ、というのである。だけど彼は、主役の振りなんてロクに覚えていなかった。そこで、チャドウィックをはじめとする周りのダンサーたちが、次の振りはこう、次はそこに立って、というふうに、こっそりと彼に助け船を出してくれた。類は友を呼ぶ、というか、似たような特質を持っている者同士で、仲良くなるんですな。そして私のカンでは(あんまり当てになんないが)、たぶんサラ・ウィルドーも同じタイプだろう。

話がそれたが、ボーンは、クーパーの欠点としてさんざん悪口を叩かれている、彼のサポート力についても、彼を擁護している。「アダムは世界でも優秀なパートナーの一人だよ(←!!!!)。女性ダンサーたちは、彼の手の中で全く安心しきっている。これが、今、ロイヤル・バレエで、女性ダンサーたちが惜しがっているに違いない、彼の美点だ。バレリーナたちは、絶対的に強力で頼れるパートナーがいない限り、しょっちゅう恐ろしい危険にさらされている、と感じている。」このインタビューが行われた当時、クーパーはすでにロイヤルを退団していた。ボーン的には、ロイヤル・バレエはクーパーを復帰させるべきだ、と陰ながら応援したかったのかもしれない。

クーパー君は、マシュー・ボーン、そしてAMPとの仕事で、非常に大きな影響を受けた。でも、95年の時点では、この「アルバイト」が終われば、ロイヤル・バレエに戻る気でいた。「この後、僕はまたロイヤル・バレエに戻って、また抑圧を感じることになるんだと思う。」

その言葉どおり、彼はこの後ロイヤル・バレエに復帰した。そして、あくる1996年の3月まで、AMP「白鳥の湖」は全国(イギリスの話ですよ)ツアーを行なったのだが、クーパーはちびっとしか参加しなかったらしい。このツアーで第一キャストの白鳥だったのは、デイヴィッド・ヒューズで、彼が初日のほとんどを踊った。

新しい演目の公演は、最初にロンドン市内の中規模劇場で公演を行ない、それが終わると全国ツアーをしながら徐々にロンドンに近づいていき、(うまくいけば)とうとうウエスト・エンドの劇場に進出する、というパターンを踏むらしい。AMP「白鳥の湖」もこのパターンを踏襲し、初演のちょうど一年後、1996年の秋、めでたくロンドン凱旋公演、しかもウエスト・エンドでの上演が決定する。

(2002年10月31日)

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