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BIOGRAPHY

3. ロイヤル・バレエ時代 (2)

ロイヤル・バレエに入団して何年も経たないうちに、彼はもう独立を念頭に置くようになる。「ロイヤルに入って2年くらいも経った頃には、僕はどうすればフリー・ダンサーになれるかを、模索するようになった。僕はよそ者としてロイヤルに入ってきて、自分はここにとけ込んでいると感じたことがなかった。僕は自分をバレエ・ダンサーだと思ったことはない。確かにロイヤル・バレエ学校出身のバレエ・ダンサーじゃないし。」

彼はロイヤル・バレエ上級学校を卒業しているのに、どうしてこんなことを言うのだろう。ロイヤル・バレエでは、上級学校からの入学生は、「ロイヤル・バレエ学校出身」とはみなされないのか?それとも、彼は自分が後にロイヤルを退団したことを正当化するために、こんなことを言ったのだろうか?それもあるのかもしれない。けど、彼はプリンシパルであったにも関わらず、自分は正しく評価されていないと日常的に感じていて、最後には「自信を失くす」ところまで行き着いてしまったようである。

彼は「モダン」や「キャラクター」に専らキャスティングされていた。これは男性プリンシパルとしては、落伍者を意味していた。「ロマンティック」の役、つまり王子役、たとえばジークフリート、アルブレヒト、ロミオ、デ・グーリューを踊ってこそ、勝利者なのである。勝利者である真のスターは、東欧出身のイレク・ムハメドフやゾルタン・ソリモシであった。「鉄のカーテン」(こんな言葉はもう死語かな?)の向こうからやって来た彼らが、いきなりロイヤル・バレエ団にプリンシパルとして迎え入れられ、たちどころに重要な役を独占する。学校時代から努力を重ねて、ここまではい上がってきたイギリス人団員たちは、なおさら感情的な不満を募らせたようだ。「僕たちは補欠だと感じていた。そして僕がしばしば主役を手に入れることができたのは、彼らがケガをしたか、或いは退団したからだった。」そして落伍者も勝利者も、一旦そう決まってしまえば、それをくつがえすことは難しかった。

ロイヤル・バレエのスター・プリンシパルたちは、ほとんど外部からの移籍組か、もしくは外国人である、と批判または皮肉られているのをよく見かける。このうち外国人云々というのは、多分に感情的な言いがかりだが、一方、ロイヤル・バレエが付属のバレエ学校を有していながら、自前のダンサーを地道に育て上げようとせず、手っ取り早く外から優秀なダンサーを引き抜いてくる、というのは、ちょっとした背景があるようである。熊川哲也は、ロイヤル・バレエ上級学校の生徒たちが、思ったほどレベルが高くなかったので驚いたというし、クーパーも、プロのダンサーとして必要な技術を、ロイヤル・バレエ学校の教師たちが教えないと話したことがある。ある新聞にも、ロイヤル・バレエ学校が、技術指導の面でサポートやフォローが薄いのは、指導する側として無責任な姿勢だという批判が掲載された。

こうした方針は、情感を重んじてテクニックを第一におかない、という「伝統」のせいらしいのだが、そのくせバレエ団の方で実際に重宝されたのは、超絶テクニックに秀でたダンサーたちなのだから、確かにこんなアホな話はない。もっとも、現在のロイヤル・バレエ学校は、バレエ団の現芸術監督の息のかかった人々が実権を握ったので、これまでの方針を転換し、以後はテクニック指導にも力を入れて、自前ダンサーの育成を目指していくんだそうです。(と思ったら、去年秋に就任したばかりの芸術監督が、新シーズン目前で、いきなり辞職、というかクビになっちゃいました。たった一年の在職期間でございました。ダンサーたちとの関係が超険悪になったのが、最も大きな理由だそうです。学校の方の人事もどうなるのか、これでまた分からなくなりました。まあどーなろうが知ったこっちゃありませんが。9月26日ペリカン追記)

話は戻る。あくまで私が目にした限りにおいてだけど、クーパーは、プリンシパルへの昇進は、自分の才能とか実力のおかげだとか、これまで言ったことがない。自分がプリンシパルになれたのは、誰かがケガをした時に備えてのこと。自分が主役を踊ったのは、誰かがケガをしたから。自分は振付を覚えるのが早かったので、急な代役にも対応できたから。彼は自分の昇進や活躍を、「いつも間違った理由のせい」だったと言ってのける。後年、彼はマシュー・ボーンの「白鳥の湖」で白鳥/黒鳥を踊り、大センセーションを巻き起こした。ロイヤル・バレエはその時はじめて、クーパーを伝統版「白鳥の湖」の王子役としてキャスティングした。代役ではない、正式なキャストとして。しかし、クーパーは当時、ほとんど日替わりでロイヤルとAMPとで踊っていた上に、ロイヤルでは急な代役をいくつも命じられた。その挙げ句、クーパーは足の故障が悪化し、皮肉なことに、今度は自分が降板して代役を立ててもらう結果になった。

このように、クーパーは通常キャスティングされた役に加えて、突然の代役にもしょっちゅう駆りだされていた。彼はイヤだと言ったことがないそうだ。便利屋的に都合よく酷使されたのは、本人のこういう態度のせいもあったと思うが、しかし、彼はなぜ、そんなに何でも引き受けたのか?基本的には、おとなしくて優しい性格なのだろうということは分かる。赤の他人のファンにさえ、一瞬でうちとけて、気安く話をさせることができるような人である。たぶん、頼まれるとイヤと言えないんだろう。ファンのみなさん、機会があったら、ぜひデマチしてみて下さい。ああ、コイツはだいじょぶだ、こっちのいうこと聞いてくれる、という感じがする人なんで、遠慮なくつけこめるよ。

だけど彼は彼なりに、一生懸命考えていたのだ。ロイヤル・バレエの前芸術監督であるアンソニー・ダウエルが、去年マシュー・ボーンのインタビューに対してこう答えた。「アダムはカンパニーを救った」と。これはもちろん、クーパーは「代役要員」としては役に立った、ということを、善意的に表現したものである。ごく最近のインタビューで、これについて感想を求められたクーパーは、こう話している。「僕がそこにいて、何にでも『はい』と言っていれば、僕はその状況に割り込むことができた。なぜなら、僕は成功したかったし、当時、ロイヤルには多くの優秀な外国籍のスターがいて、通常の状態で成功するのは難しかった。だから、誰かが降板したときにはいつでも、僕は彼らの代役として舞台に上がったし、この点では、ロイヤル側は僕をヒーローだと考えていたとは思う。だけど僕は、自分が少しいいように使われているんじゃないか、といつも考えていた。僕は、自分が代役としてよくやったという感覚で舞台を降りたけど、自分本来の姿としてよくやったとは、感じたことがなかった。」

この言葉のように、彼が「その場に介入する」ことができたかというと、あんまりうまくいかなかったようだ。最後には、「どんなに一生懸命取り組んでも、どんなに役柄に没入しても、自分が現実には正当に評価されない、と感じることに疲れてしまった。大きなバレエ団では、一つの役をそうたくさん踊る機会はないし、自分はいなくてもいい存在で、いつでもその仕事をできる他の誰かがいる、という感覚がある。それはまあ、こちらを叩きのめしてしまって、全力を尽くして役を演じようとはしなくなってしまう」という状態になった。

大きなカンパニー独特の、超過密スケジュールも、クーパーの不満に輪をかけた。「バレエ団に所属していると、とても多くのことが同時進行していく。新しい演目に取り組むことができるけど、でも同時に、5種類もの別の演目のリハーサルも抱えていくことになる。自分のエネルギーのすべてを、一つのことに集中させるなんて、できるわけがない。」彼は、一時にたくさんのことをやるのは、あんまり好きじゃないみたいっスね。マシュー・ボーンや、ロイヤル・バレエのリハーサルを見学した人が言っていたのですが、クーパー君は、リハーサルからすでに全力投球完全没入するタイプみたいです。それに最近の仕事ぶりからすると、この人は、丁寧に取り組んだ仕事と、やっつけで片づけた仕事との差が、はっきりと現れるようですね(「適当にやる」能力は、あった方がいいんだけど)。確かにこういう人は、同時に複数のことをやるのは好きじゃないでしょう。だったらもっと余裕をもってスケジュールを組めよ、とか思わないこともないですが。

シルヴィ・ギエムが、パリ・オペラ座バレエ団に在籍していた当時に収録された、あるドキュメンタリー番組がある。その前夜、公演で主役を踊り、当日もいくつものリハーサルをこなしたギエムが、更に別の演目の練習に取りかかる。ギエムはポワントで踊り出すが、疲れきっている彼女の足は、すぐにぐらぐらと崩れてしまう。彼女は無理に続けるが、辛そうな顔つきになり、最後にはたまらず床に座り込む。それでもバレエ教師は、実に穏やかな口調で、「できるだけやるように」と促す。ギエムは泣きそうな顔でそれを見上げる。私はこの場面を見て、いにしえの「アタックNO.1」とか「エースをねらえ!」の世界じゃん、と妙な気分になりましたが、どの大きなバレエ団も、状況は似たり寄ったりなのだろう。

しかも、演目の多さは、客にとっては嬉しいが、ダンサーにとっては、必ずしも嬉しいとは限らないらしい。「かなりな数の作品を、僕は2回踊った後、それから3年か4年の間それらを踊ることはなかった。こんなようでは、アーティストとして進歩なんてできるはずがない。」一つの作品を「踊り込む」必要を言っているんだろうか?

こんな具合に、インタビューでは不満たらたらりんなクーパー君ですが、でも当時の彼は、毎日暗〜い顔して、絶望の日々を送っていたワケでは決してないでしょう。楽しかった日々の方が、むしろ大部分だったろうと想像します。ただね、たとえば小学校時代とか、高校時代とか、前の会社にいた頃とか、前の男とつきあっていた頃とか、以前のある一時期を、一言で表現するなら何ですか、という質問をされたとします。たとえ当時は楽しいと感じていたとしても、今になってその時期をマイナスな意味の語で言い表したなら、その人にとってのその時期は、やっぱり全体としては不本意な日々だった、と思っていいでしょう。

都合良く酷使される割には感謝も評価もされない、そして自分は別に必要とされている人間ではない、と感じざるを得ない状況が、慢性的に何年も続くと、人はどうなるだろう。基本的に自分に対して強い信頼感を持っている人でも、やがてはどこかで自分はダメな人間なのではないか、と思い始めるだろう。特に小さい頃から特殊な世界で過ごしてきて、学校を出てすぐ、18歳とか19歳とかいう若さで、更に輪をかけて特殊な世界に入り、あまり世間を知らない。そういう人が、自分が現在属している世界の価値観、自分がそれによって優れているか劣っているか、ランク付けされている価値観、それが実は特殊且つある意味歪んだものなのではないか、とか、自分がそれによって低く評価されているとしても、それは自分自身の本来の価値とは、元々関係がないのではないか、と疑うのは、とても難しかったに違いない。

だけど、彼はクラシック・バレエが好きだった。彼はアルブレヒトを踊りたかったし、彼が考えるに、伝統版「白鳥の湖」のジークフリートは、ボーンの「白鳥の湖」の王子に比べて、いささかも見劣りのしない「ドラマティック」な役なんだそうな。アタシはあんまりそう思わないけど。ボーンも特にこう触れているくらいである。「僕は実際にアダムに会ってみて、彼がクラシック・バレエの作品にも、大きな愛情を持っていることを悟った。たとえ、彼がそれらの主役を踊る機会が与えられないとしても、彼はやっぱりそれらの作品の、すべてのアイディアを愛していたんだ。」クーパー君は、自分は特にバレエ・ダンサーになりたいと思ったわけではない、と言った。自分をバレエ・ダンサーだとは思わない、と言った。でも本当は、というかやっぱり、彼はバレエが大好きだったのである。

ロイヤルに在籍していた間、彼は「いつも出口を探していて、いつも出口を求めていた。」欲しいものがあって、意識的に努力してそれを求めるなら、大体は思いどおりに手に入るものである。やがてその「出口」が、彼の前に現れる。

(2002年9月11日)

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