Club Pelican

BIOGRAPHY

26.放蕩息子の帰還 (2)

チケットを売るためにゲストの知名度を利用した、成功する確率の高いキャストにした、ファンたちが皮肉を交えて書いていたことは正しいだろう。多くのゲストを招き、しかもゲストを極端に優遇したキャスティングをすれば、ファンたちの間から大きな不満の声が上がるだろうことなど、ロイヤル・バレエ側はよく承知していたはずである。それでも、このキャストじゃないと公演チケットは売れない、また、このキャストじゃないと公演は成功しない、つまりロイヤル・バレエにはオネーギンやレンスキーを踊れる人材がいない、と「『オネーギン』の権利を所有する人々」や、そして他ならぬロイヤル・バレエ自身が判断したのだろうから。

「オネーギン」のキャスティングは、実際にかなり難航したようだ。以前から指摘されてきたことであり、またストレットンも認めたことだが、ロイヤル・バレエには主役級男性ダンサーの人材が慢性的に「不足」しているという問題があった。更にその貴重な1人であったムハメドフが解雇されて選択肢が狭まった。そして、キャストに関する最終的な決定権を握っていたのは、「オネーギン」を上演するロイヤル・バレエ側ではなく、「オネーギン」を含むクランコ作品の権利保持者たちであったからである。

たとえば、シルヴィ・ギエム(Sylvie Guillem)は「オネーギン」への出演を希望していた。当然ヒロインであるタチヤーナ(Tatiana)役を要求したのだろう。しかし、彼女の申し出は拒否された。ギエムは言う。「まあ、そうね、驚いたわ。どういう人たちなのか知らないけど。たぶん、私には思いもよらないことで、彼らは私に反感を抱いているのでしょう。」

彼女によれば、オネーギン役を希望したジョナサン・コープ(Jonathan Cope)の申請も却下された。「そればかりか彼らは、ロイヤル・バレエのベテラン・ダンサーであるジョナサン・コープを、オネーギン役とすることも拒否したらしいの。しまいには笑ってしまったわ。はっきり言って、お目にかかりたくない人たちね。」

なるほど、作品に関する権利の中には、上演を許可するかしないか以外にも、キャスティングに口を挟める権利もあるのか。しかし、天下のギエム様を拒否するなんてね。ちなみにジョナサン・コープについては、事態が良い方向に変化したらしく、2003-2004シーズン第4ピリオドの「オネーギン」再演では、オネーギン役を踊ることになっている。(彼は2004年5月28日、6月2、10、18日の公演に出演することになっていた。だが5月19日、ロイヤル・バレエは“As Jonathan Cope is indisposed, he has had to withdraw from his performances of Onegin. ”と発表した。2004年5月22日後記)

11月の初旬に行われた「オネーギン」リハーサル見学会に参加したあるファンは、参加者たちと当時ロイヤル・バレエの副芸術監督であったモニカ・メイスン(Monica Mason、現ロイヤル・バレエ芸術監督)との間で、こんな質疑応答が行われたことを記している。

「ある興味深い討論が行われた。全く新しい全幕作品をバレエ団に定着させることにおける困難と、その作品のディテールやニュアンスを完全に正しく再現することの、諸々の難しさについてである。メイスンが指摘したことには、新しいダンサーたちがロイヤル・バレエに入団して踊る場合、たとえば『マノン』などであれば、ロイヤル・バレエは全体的にこの作品を知り尽くしているから、ダンサーたちはそれを自分のものとすることができる。しかしロイヤル・バレエの皆にとって新しい作品が入ってくる場合は、事情ははるかに困難をきわめる。」

「メイスンは述べた。パースン(Johan Persson。当時のロイヤル・バレエ団員)が以前在籍していたバレエ団で、レンスキー役をやったことがあるというだけでも、それがどんなに役に立ってくれたことか。新しい作品は、どれも定着するのには時間がかかるものだ、と。」 この質疑応答の背景には、やはり「オネーギン」の男性キャストに外部からのゲスト・ダンサーが多すぎる、という疑問や不満を大方の人々が抱いていた事実があるだろう。

ロイヤル・バレエでの「オネーギン」初演において、ロイヤル・バレエがなるべく「オネーギン」経験者を用いる方針で臨んでいたのは確かだった。アメリカン・バレエ・シアターは「オネーギン」を頻繁に上演しており、イーサン・スティーフェルは何度もレンスキーを踊っていた。またロバート・テューズリーも、クランコ作品上演の本場、シュツットガルト・バレエでレンスキーを持ち役の一つとしていた。そしてモニカ・メイスンが、ロイヤル・バレエ所属のダンサーで、唯一「オネーギン」で踊った経験を持っている例として挙げたヨハン・パースンは、今回の公演でもレンスキー役にキャスティングされていた。

しかし、アダム・クーパーは、もちろん以前にオネーギンを踊ったことなどなかったし、おそらくはジョン・クランコの作品を踊った経験もなかっただろう。それに、彼は確かにロイヤル・バレエの元プリンシパルではあったが、ロイヤル・バレエ在籍時代にさほど高い評価を受けていたわけではない。それは彼自身がいつも認めていることだった。「僕は(ロイヤル・バレエでは)床のカーペットと同じようなものだった。」 彼は自分をここまで自虐的に表現したことがあるくらいだ。それなのに、なぜ彼が第1キャストのオネーギンに決定し、出演回数もいちばん多く割り振られたのか。

皮肉屋の私としては、やはり彼の大衆的人気を利用して公演チケットを売りさばくため、というロイヤル・バレエの一ファンの揶揄は的を射ていると思う。ストレットンの方針にはロイヤル・バレエの客層を拡大すること、という項目もあったのだから。このためには、アダム・クーパーはまさにうってつけの存在である。

それから、これは私が個人的に思うことだが、ムハメドフやウィルドーを解雇したことの埋め合わせ、という意図もあっただろう。クーパーはムハメドフやウィルドーとは親しい(笑)人物であり、この件で高まったストレットンやロイヤル・バレエへの感情的な不満を、いささかでも和らげることができそうだった。また、和らげることはできなかったとしても、結果的には、不満の対象をアダム・クーパーに移しかえることができた。

そして、保険がわりにもなる。公演が成功すれば、それはもちろんロイヤル・バレエの功績になるし、たとえ公演が失敗しても、その責任はロイヤル・バレエではなく、第1キャストのオネーギンを踊ったアダム・クーパーに負わせることができる。今となっては、クーパーはしょせんロイヤル・バレエ外部の人間である。失敗したなら使い捨てにすればいいだけのことだ。これでロイヤル・バレエやロイヤル・バレエ所属のダンサーたちにキズはつかない。

私はあまりに荒んだ心の持ち主かしらね。でも一方で、次のように思うのも確かだ。「オネーギン」の権利を所有する人々、シュツットガルト・バレエ関係者、ロイヤル・バレエ関係者たちは、アダム・クーパーにはオネーギンを踊る能力があり、難しい初演を成功させることができる、と判断したのだろう、と。

クーパーは、少なくとも9月の末にはオネーギンを踊ることが決まっていたようである。ならば、出演を打診されたのは当然もっと前だったはずである。クーパー君も後にこう言っている。「誰かの代わりじゃなく、僕自身が必要とされている仕事をするために呼び戻されたのは、『オネーギン』がはじめてだった。」

クーパー君にとっては、この「オネーギン」が、退団後はじめてのロイヤル・バレエへの復帰となる、というわけではなかった。しかし、彼が退団後にロイヤル・バレエで踊ったのは、記念公演などでのほんの少しの出演か、あるいは「代役」としての急遽の出演ばかりであった。彼は退団後もロイヤル・バレエでちょくちょく踊らせてもらってはいても、自分がロイヤル・バレエに受け入れられている、などと考えたことはなかったのだ。ところが今回は違っていた。ロス・ストレットンも、「オネーギン」以降もクーパーをゲスト・ダンサーとして招く予定であることを認めた。

上記の見学会で公開された「オネーギン」リハーサルには、クーパー君も参加していた。上に引いた投稿をした人は、オネーギンとオリガがわざとレンスキーの前でいちゃついてみせるダンス(第二幕)と、オネーギンのソロ(第一幕)を踊るクーパー君を観たそうだ。この見学会は初日のわずか2週間余り前に行われたのだが、この人はこう記している。「ダンサーたちは、人物の性格描写をまださほど確立できていなかった。クーパーを除いては。」

だから、さんざん皮肉は言ったけど、クーパーが大抜擢(?)されたのは、やはりオネーギン役の特殊さと難しさにあると私は思いたい。あるバレエ・ファンの意見。「オネーギンも踊るのが実に難しい、男性ダンサーにとっては最も難しい役の一つだと思う。オネーギンを踊るダンサーは、タチヤーナの寝室のシーン、鏡のパ・ド・ドゥでは、すべてのリフトを上手にこなさなくてはならないし、それらのリフトの間隙を縫って、とても高いけど容易にみえるジャンプをしなくてはならない。・・・そしてもちろん、オネーギンは優れた俳優でなくてはならない。ストーリーの進行にともなって、オネーギンというキャラクターを造形していくことは、タチヤーナ役よりも、その役を理解し演じるのがはるかに難しい。」

「・・・オネーギン役のダンサーは、最初はタチヤーナに興味を示さなかったものの、それでも彼自身の中に、最後の場面で突然、あれほどの深くて激しい愛に変化するような、タチヤーナに対する未練のようなものがあった、ということを観客に納得させなければならない。もしオネーギンが最初からただ単に横柄な人物に過ぎないならば、その後はきれいさっぱり彼女のことは忘れただろうし、最終幕における彼のタチヤーナへの愛はどこから湧いて出てきたのか理解不能になる。私が言いたいのは、オネーギンのキャラクターはとても複雑で、演じることはもちろん踊るのも難しい、ということだ。平凡な出来に終わった『オネーギン』公演のほとんどは、オネーギン役のせいで失敗したのであって、タチヤーナ役のせいではない。」

バレエ「オネーギン」は1965年にシュツットガルト・バレエで初演された。振付者は当時シュツットガルト・バレエの芸術監督であったジョン・クランコ(John Cranko)。原作はプーシキン(Alexander Pushkin)の韻文小説「エフゲニー・オネーギン」(“Eugene Onegin”、1830年)である。「韻文小説」は、“novel in verse”とか“verse novel”とか英語では表記されており、押韻した文章、つまり詩の形式を用いた小説らしい。もちろん原文はロシア語(たぶん)で、ロシア語による詩の形式とはどんなものなのかさっぱり分からないけれど、一部を聴いた限りでは、脚韻は間違いなく踏んでいるようだ。英語版もそれにならって、脚韻を踏んだ詩の形式に準じて翻訳されている。ただ、私が読んだ日本語版(「オネーギン」、池田健太郎訳、岩波文庫、1962)は散文体で訳されており、非常に読みやすかった。

音楽はチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky)だが、バレエで使われている音楽は、オペラ「エフゲニー・オネーギン(Eugene Onegin)」(1878年作曲)のものではない。チャイコフスキーの諸作品から音楽を抜粋し、それらを継ぎ合わせてバレエ音楽用に編曲した。音楽の選曲と編曲はクルト=ハインツ・シュトルツェ(Kurt-Heinz Stolze)による。ケネス・マクミラン振付の「マノン(Manon)」(1974年初演)の音楽が、マスネ(Jules Massenet)のオペラ「マノン」を用いずに、マスネの他の諸作品から構成されたのと同じである。

バレエ「オネーギン」の音楽はCDが発売されている(ACD 6048)。このCDは、作品、振付家、編曲者などについて懇切丁寧な説明が付されており、とりわけ原曲の出典を一つ一つ明記しているという点でも、後で再構成・編集されたバレエ音楽のCDはかくあるべき、と感じさせられるくらいよい出来である。音質もとてもよい。バレエ「マノン」のCD(DECCA、470 525-2)はぜひとも見習ってほしい。

バレエの映像版については、ナショナル・バレエ・オブ・カナダ(National Ballet of Canada)が1986年に収録したものがあるらしい(オネーギン:Frank Augustyn、タチヤーナ:Sabina Allemann)。ビデオ版とLD版が販売されていたらしいが、現在はともに品切れ、絶版になっている。このバレエを観たい方は、持っている人を探すか、収蔵している図書館か資料センターなどを探して下さい。この映像版を観た、という方によれば、バレエはすばらしかったけど、オネーギン役のダンサーがあまりにおっさん顔だったので、首のすげ替えに苦労なさったそうである。

あとは、いっそのこと実際の上演を観に出かける、という方法もある。・・・ロイヤル・バレエは、クーパーがオネーギンを踊った映像を持っているはずなんだけど、なんで出さないのかね?(補記:その後、クーパーの「オネーギン」映像について、そらさんよりメールを頂いた。どうもありがとうございました。そらさんがロイヤル・オペラ・ハウス側に直接問い合わせたところ、クーパーが主演した「オネーギン」は映像収録されていないので、従って映像版の販売予定もない、と回答してきたとのことである。残念。ただし、一部の映像は確かに収録されているはずである。なぜかというと、私が2002年夏に「オネーギン」を観に行った際、ロイヤル・オペラ・ハウス内にある巨大モニターで、クーパーが踊るオネーギンのソロと、クーパーとタマラ・ロホが踊るオネーギンとタチヤーナのパ・ド・ドゥが上映されていた。一部でもいいから、放出してほしいものである。たとえばクーパーが踊っている映像をつめこんだDVDを編集し、「踊る美神〜アダム・クーパーの肖像〜」とかいう題名を付けて販売する。絶対売れると思う。)

バレエ「オネーギン」のプロットは原作とさほど変わらない。短くまとめると、舞台は田舎の貴族ラーリン家。ラーリン氏はすでに没し、現在はラーリナ夫人と2人の娘、タチヤーナ、オリガとが暮らしている。同家と付き合いのあるレンスキーの紹介によって、オネーギンもラーリン家に出入りするようになる。タチヤーナはオネーギンに恋心を抱き、彼にラブレターを書いて送るが、オネーギンはそれを彼女につき返し、その目の前で破り捨てる(ここは原作とは異なる)。レンスキーはオリガに恋していたが、オネーギンとオリガが踊っていちゃついたため、レンスキーは激怒し、オネーギンと決闘する。オネーギンはレンスキーを撃ち殺してしまう。長い年月が過ぎて、オネーギンはタチヤーナがある公爵の夫人となっていることを知る。オネーギンはタチヤーナにラブレターを書き、その邸宅を訪ねて彼女と対面する。タチヤーナはまだオネーギンを愛していたが、結局はオネーギンの求愛を拒絶する。

原作にはうんざりするくらいオネーギン、タチヤーナ、オリガ、レンスキーの人物像、心の動き、考え、言動がこと細かに描かれている。オペラの方の歌詞は、原作の文章やセリフをかなり取り入れていて、原作にかなり忠実に沿った作品となっている。だが最後の場面は原作をよりドラマティックに再構成している。

オネーギンは幾度拒まれても情熱的にタチヤーナに求愛し、タチヤーナはオネーギンへの愛情と夫への義務感との間で悩み苦しんだ末に、オネーギンの前から立ち去る。バレエ「オネーギン」のラストも、オペラのラスト・シーンを参考にしたように思われる。(オペラでは、第一幕、タチヤーナがオネーギンへの愛を歌いながら恋文を書くシーンでのメロディが、第三幕、オネーギンがタチヤーナに対して激しい愛情を抱くシーンで反復される。クランコはそれをバレエにも応用したのだろうか?)

オペラには歌詞があるし、歌がよければ基本的にはそれで許される。結核で死の床にあるヴィオレッタがどうみても体重100キロはありそうでも、アルフレードもそれに負けないくらいの出バラでしかもハゲていても、愛のデュエットなのにお互いが顔をそむけて客席目線で白目むいて大口開けていても、大根演技でも、歌がよければいい。(たぶん)

でもバレエの場合、ダンサーは、自分が踊る作品の大体のあらすじは分かっても、それぞれの振付は覚えられても、振付者の意図を説明してもらえても、でも自分が踊るキャラクターの性格、考え、感情、動機、行動は自分で解釈しなければならないだろうし、その解釈した意味を振付(踊り)という、外から与えられた「器」に盛りつけることによって、また身のこなし、動き、表情などによって、言葉なしで観客に伝えなければならない。

ロイヤル・バレエの「オネーギン」上演に際しては、シュツットガルト・バレエの現芸術監督リード・アンダーソン(Reid Anderson)自らが、リハーサルの指導に訪れた。意地悪な言い方をするなら、クランコ作品の権利保持者たちの代理として、適正なキャスティングを行ない、そして「オネーギン」をクランコのオリジナルに忠実に再現させる任務も負っていたのだろう。

その他にも、シュツットガルト・バレエの振付指導(choreologist、あるいはnotatorというらしい)であるジェーン・ボーン(Jane Bourne)、ドナルド・マクリアリー(Donald MacLeary)、シュツットガルト・バレエの元プリンシパルでバレエ・マスターのイヴァン・カヴァラリ(Ivan Cavallari)らが、リハーサルを指導しに入れ替り立ち替りロンドンにやって来た。

ちなみにIvan Cavallariは、2004年“On Your Toes”日本公演で、ロシア・バレエ団のスター・ダンサー、コンスタンティン役で出演することになっている(Ivan Cavallariの公式サイトは ここ )。彼はシュツットガルト・バレエの元プリンシパルであり、オネーギン、レンスキー、グレーミン役を踊っていた人物である。

クーパー君は公式サイトの日記の中で、Cavallariとは、ロイヤル・バレエ「オネーギン」公演のリハーサルで知り合った、と書いている。そのときにちゃっかりコネクションを作っておいたのだろう。更にシュツットガルト・バレエは、ミュージカルである“On Your Toes”を上演したことがある。もしかしたら、Cavallariはシュツットガルト・バレエでも、“On Your Toes”に出演した経験を持っているのかもしれない。(後日、Cavallariさん本人に尋ねてみたところ、シュトゥットガルト・バレエが“On Your Toes”を上演した当時、彼はケガのために休団していて公演に参加できなかったそうである。2004年5月22日後記)

オペラでもバレエでも、主人公のオネーギンは“antihero”と表現される。親戚が残した莫大な遺産でのうのうと暮らしている貴族のはしくれで、働く必要もないので文学、学問などにいちおう取り組もうとするが、真面目に努力する意志など微塵もないので何事も中途半端に終わる。だが知ったかぶりの天才で小器用に振舞うことができるので、社交界では一目置かれている。そのくせ生きがいなど何もない、と感じて気分はいつも憂鬱、ふさぎこんで怠惰かつ無為な生活を送っている。・・・なんかイヤな気分になってきたな。

それからいきなり都会の喧騒を煩わしがって自然派志向となり、世捨て人を気取って領地の田舎に移住するが、美しい自然に囲まれた田舎での牧歌的生活にたちまち退屈し始める。その田舎で、友人のレンスキーの紹介でラーリン家に出入りするようになるが、もとより彼は田舎の貴族など頭からバカにしきっている。ラーリン家の姉娘、タチヤーナから恋文を送られたオネーギンは、良識ある大人を気取ってこんなことをしてはいけない、とタチヤーナに偉そうな説教をたれて、彼女の初恋を彼女に大きな羞恥と屈辱を味わわせる、という形で踏みにじる。

田舎の愚かな小娘の恋愛悲劇に巻き込まれてうんざりしたオネーギンは、ラーリン家と付き合いを持つきっかけとなったレンスキーに仕返ししようと、レンスキーが思いを寄せるオリガを誘惑する。それが原因でオネーギンとレンスキーは決闘することになり、オネーギンは無二の親友を殺してしまう。さすがのオネーギンも意気消沈してモスクワに戻り、しばらくして旧知の公爵の宮殿で、その夫人となったタチヤーナと再会する。オネーギンの中に彼女への恋心がメラメラと燃え上がり、彼は何度も彼女に恋文を書いて送った挙句、直に彼女の許へ押しかけて求愛する。

はっきりいって、オネーギンはいいところなんて一つもない人間である。最低のクズ男だ。だから余計に難しい役だと思う。オネーギンのキャラクターには、“arrogant”という形容詞がよく用いられているが、だからといってとことん横柄一辺倒な、単純な悪役にしてしまったらつまらない。また逆に、オネーギンを観客の共感を呼ぶような、無理に人間味のある人物として解釈してしまうのも不自然だ(ある意味、人間味がある、といえないこともないか・・・)。

クーパー君の表現によれば、オネーギンは“bastard”である。「大変だよ。踊りという点からみても手ごわくて、内省的に演じようとか、自分自身の中に入り込みたい衝動に駆られるけど、でも同時に、外に向けてはっきりと表現しなくてはならないから。」 クーパー君はプーシキンの原作(英語版)は読んだが、レイフ・ファインズ(Ralph Fiennes)主演の映画「オネーギン」はあえて観なかったという。「僕は自分でキャラクターを作り上げていくのが好きだから。もし他の誰かのオネーギンを観てしまったら、それに影響されてしまう。」

クーパー君は“On Your Toes”の振付でも、バランシン版を観るように勧められたが断ったという。その理由もやっぱり、「影響を受けたくないから」だった。他人の作品を観ても自分の独自性を保てるような、タフな精神力を早く持てるといいね。他人の作品を観なければ、自分の独自性もまた生まれないだろう、と思うから。

公演初日の数日前に行われた、ある新聞のインタビューで、記者は書いている。「クーパーは、彼にはすばらしいドラマティックな存在感がある、と人々がみなしていることを嬉しく思っている。この要素こそが、彼が情熱的なオネーギン像を構築することになった理由である。」 思うに、ロイヤル・バレエは、「オネーギン」を「華麗なる技の競演が繰り広げられる夢の舞台」にしようとしていたのではなく、「ドラマ」として成功させようとしていたのだろう。クーパーに期待されていたのは、技巧ではなく、役にたいする解釈の深さと確かな表現力とであった。

クーパーも言った。「僕が踊りの中で最も楽しいのは、雰囲気やキャラクターを創造していくことだ。僕が他のパフォーマーたちを観るとき、僕は自分の気にかかる人を見ようとするけど、僕は彼らがピルエットで何度回るかに興味はない(チャウ注:ピルエットは爪先立ち、または半爪先立ちの片足だけで回転する動きで、回転数が多ければ多いほど偉いらしい)。僕は、舞台上で僕が演じている人物が、本当にそこに生きているのだ、と観客の人々に信じさせることができればと思う。」

(2004年3月7日)

この続きを読む


このページのトップにもどる