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BIOGRAPHY

25.「放蕩息子の帰還」 (1)

ロス・ストレットンはロイヤル・バレエの芸術監督に就任する前から、レパートリーの改革について、おおよその方針を明らかにしていた。フレデリック・アシュトンやケネス・マクミランの作品ばかりにこだわるのではなく、現在活躍している、ヨーロッパのメジャーな振付家の作品をどんどん採用する、というのである。

就任後に行われたインタビューで、ストレットンは加えて述べている。「ロイヤル・バレエの個性を確立するのに重要なのは、たとえばフレデリック・アシュトンのような、いかなる特定の振付家の作品にしがみつくことではなく、ロイヤル・バレエ内部で創られる優秀な振付作品を通じて、バレエ団を絶えず刷新していく風潮をかたちづくることだ。」

ストレットンは主張した。その環境作りをするために、ロイヤル・バレエのダンサー兼振付家たちが、そこから学んで刺激を受けるような、最も優れたコンテンポラリー・バレエの振付作品を採用するだけでなく、彼らに新しい振付作品の創作そのものにもとりかからせるのだ、と。その他にも、ストレットンは、彼の表現によれば「イギリスが追放した」イギリスの振付家、ジョン・クランコ(John Cranko)やアントニー・チューダー(Antony Tudor)の作品にも、アシュトンやマクミランの作品と同等に、ロイヤル・バレエの個性となり得る大きな資格があるはずだと述べた。

ストレットンは、2002-2003シーズンには、マクミラン没後10周年記念公演、ニネット・ド・ヴァロワ(Ninette de Valois、ロイヤル・バレエの前身であるヴィック・ウェルズ・バレエ、サドラーズ・ウェルズ・バレエの芸術監督を務め、ロイヤル・バレエ学校の前身であるサドラーズ・ウェルズ・バレエ学校を設立し、イギリスのバレエの確立と発展に尽力した人物)の記念公演、2003-2004年シーズンには、フレデリック・アシュトン生誕100周年(←すげー)記念公演を行う予定であると述べ、決してロイヤル・バレエの古い作品をないがしろにするつもりはないことを強調した。

ストレットン在任中の2002年、私がテレビのニュース(NHKの芸術劇場)でたまたま目にした場面を思い出す。ロイヤル・バレエは、ロイヤル・オペラ・ハウスの外の広場に巨大スクリーンを設置し、今まさに劇場内で上演されているバレエを野外の人々に鑑賞させる、ということをやった。公演終了後、出演したダンサーたちは、外のスクリーンを通じて公演を観ていた人々の前でもカーテン・コールを行なった。そのときの演目は「ロミオとジュリエット」で、シルヴィ・ギエムが主演していた。ダンサーたちは薄い衣裳の上にダウン・コートを着て、野外の観客の喝采に応えた。

「野外上映」はストレットンの提案ではなかったのかもしれないけど、これもロイヤル・バレエの客層を広げるための、一つの試みだったのかもしれない。イレク・ムハメドフやサラ・ウィルドーのリストラ方法は苛烈なものだったが、ストレットンは悪意や個人的な怨恨でやったわけではなく、淀んで停滞していた(と彼はみなしていた)ロイヤル・バレエに変化を引き起こし、なんとか活性化させようとしていたのだろう。ただ彼の「ダンサーたちを奮起させる」方法は、ダンサーたちにショックと恐怖感を与え、絶えず緊張させ、「実力主義」や「競争主義」を導入し、必要ない人員はさっさと切り捨てる、というものだった。

ストレットンは、翌年のシーズンの変わり目にも「人員の再編成」が行われるであろうことを認めた。つまり、ムハメドフやウィルドーと同様、ロイヤル・バレエを解雇される上位ダンサーが出るだろう、ということである。もっとも、ダンサーをクビにする前に、ストレットン自身がクビになったから、大騒ぎを引き起こしかねない新たな「犠牲者」は出ないですんだ。

ストレットンの脳裏にリストラ対象として浮かんでいた上位ダンサーが誰だったのか、今となってはもはや知る由もないし、知る必要もない。ただ、以下のことには留意すべきだと思う。彼らは幸運にもすんでのところで首がつながった。でもムハメドフやウィルドーは不運から逃れられなかった。この両者は、結局は同じことだ。もしストレットンが解任されずに、次のシーズンの変わり目にもダンサーたちを解雇していたならば、そのダンサーたちに対する評価はその後どうなっていたことか。おそらくは、偏見と意地悪い目で見られていたことだろう。ダンサーたち自身の能力がどうであろうと、ダンサーたちの外側の事情で起こることは、彼らにはコントロールできない。だから私たちは、ダンサーの運不運とダンサー自身の能力とを、安易に結びつけて考えることはできないのである。

つまり、「イレク・ムハメドフは解雇された=彼の技術は衰えている」、「サラ・ウィルドーは退団させられた=彼女はプリンシパル・ダンサーとしてふさわしくない」、「ロス・ストレットンはひどいやり方でダンサーをリストラし、ロイヤルの伝統を軽んじた=ストレットンは悪人」という具合に、たまたま起きてしまった出来事から受けたマイナスの印象やイメージで、これらの人々の是非や善悪を判断したり、またそのマイナスな印象やイメージと、彼らの能力とをダブらせて考えたりしてはいけない、ということだ。

起きた出来事から受ける印象やイメージに同化してしまうと、たとえば現在のムハメドフの踊りを見るときに、そういえばムハメドフはロイヤルを解雇されたのだから・・・とか、ウィルドーの踊りを見るときに、彼女はロイヤルを退団させられたのだから・・・とか、彼らの身の上に偶然に起きてしまった不運な出来事の根拠を見出そうと、つまりアラ探しをしてしまいやすい。

でも、私たちの身の上に起きる出来事というのは、良いことでも悪いことでも、すべてがなにか納得のいくような、正しく合理的な原因や理由があって起こるとは限らない。ムハメドフやウィルドーの身の上に降りかかった災難は、基本的には彼らの外側で起きた出来事であって、ただそうなってしまった、ということに過ぎない。優秀なダンサーであれば必ずすべてがうまくいって大成功の万々歳、凡庸なダンサーであれば充実したキャリアは最初から望めない、というわけではないのである。

さて、ロス・ストレットン芸術監督1年目、ロイヤル・バレエ2001-2002シーズンの演目である。「ジゼル」やピーター・ライト(Peter Wright)版「くるみ割り人形(Nutcracker)」はお約束の演目として、他にはルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Nureyev)版「ドン・キホーテ(Don Quixote)」、「オネーギン(Onegin)」(ジョン・クランコ振付)、「Beyond Bach」(Stephen Baynes振付)、「葉は色あせて(The Leaves are Fading)」(アントニー・チューダー振付)、ナターリア・マカーロヴァ(Natalia Makarova)版「ラ・バヤデール(La Bayadere)」、「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド(In the middle, somewhat elevated)」、「The Vertiginous Thrill of Exactitude」(以上2作品ウィリアム・フォーサイスWilliam Forsythe振付)、「レマンゾ(Remanso)」、「Por Vos Muero」(以上2作品ナチョ・ドゥアトNacho Duato振付)、「カルメン(Carmen)」(マッツ・エックMats Ek振付)、このほか、クリストファー・ウィールドン(Christopher Wheeldon)の新振付作品、ニネット・ド・ヴァロワ記念公演が予定されていた。

アシュトンの振付作品は「マルグリットとアルマン(Marguerite and Armand)」と「A Month in the Country」の2作品、マクミランの振付作品に至っては「ロミオとジュリエット」のみである。

試みにアンソニー・ダウエルが芸術監督であった前年、2000-2001シーズンの演目をみてみると、プティパ=イワーノフ版「白鳥の湖」、ライト版「くるみ割り人形」、「ジゼル」以外には、アントニー・チューダー振付「Shadowplay」と「Lilac Garden」、ジェローム・ロビンス(Jarome Robbins)振付「The Concert」、ミハイル・フォーキン(Mikhail Fokine)振付「火の鳥(Firebird)」、ジョージ・バランシン(George Balanchine)振付「Agon」、ブロニスラヴァ・ニジンスカ(Bronislava Nijinska)振付「Les Noces」、またMichael Corder、Ashley Pageの新振付作品の上演が予定されていたものの、その他はみんなアシュトンかマクミランの振付作品であった。

アシュトン作品は「マルグリットとアルマン」、「オンディーヌ」、「ラ・ヴァルス(La Valse)」、「シンフォニック・ヴァリエイションズ(Symphonic Variations)」、「ラ・フィーユ・マル・ガルデ」、「真夏の夜の夢」の6作品、マクミラン作品は「グローリア(Gloria)」、「ロミオとジュリエット」、「Triad」、「大地の歌(Song of Earth)」の4作品。なるほど、ストレットンが指摘したように、ピーター・ライト、マイケル・コーダー、アシュレイ・ペイジ以外は、確かにみな「死人」の作品ばかりである。

ストレットン指揮下の2001-2002シーズン、第1ピリオドの演目の中で、最も注目されることになったのは、ジョン・クランコ(John Cranko)振付の「オネーギン(Onegin)」であった。ロイヤル・バレエでは初演となる作品であり、また上演が11月(初日は11月22日)に迫っていたというのに、9月の末になってもキャストが発表される気配が一向になかったからである(通常は早ければ半年前か、少なくとも4ヶ月前までには主なキャストが発表される)。

特にタイトル・ロールであるオネーギンを誰が担当するのかについては、最も有力な候補と思われたイレク・ムハメドフの退団によって、ますます予測がつかなくなった。ある記者は指摘した。「ムハメドフに踊らせるのが自然な選択であるように思われる、より重要な役、11月に上演が始まるジョン・クランコ振付の『オネーギン』のタイトル・ロールがある。だが、クランコのキャスティング・チームは、ムハメドフを候補に挙げることを許されていなかった。上演まで6週間を切ったというのに、キャストはいまだ決定されていない。これは前例のない事態である。」

10月の半ばに近づいても、「オネーギン」のキャストは発表されなかった。しかし、内部情報やロイヤル・バレエ常連客の噂話などから、大体のキャストが漏れ伝わってきた。タマラ・ロホ(Tamara Rojo)がタチヤーナ(Tatiana)、アリーナ・コジョカル(Alina Cojocaru)がオリガ(Olga)、イワン・プトロフ(Ivan Putrov)がレンスキー(Lensky)・・・。その中にはアダム・クーパーの名前も現れた。あるファンはBallet.coの掲示板に書きこんだ。「アダム・クーパーはおそらくオネーギン役をやることになるだろうと思われる。」

実は、サラ・ウィルドーの退団を報じた9月28日の新聞記事の中で、そのことはすでに暗に示唆されていた。「今や、皮肉なことに、クーパーがコヴェント・ガーデンに復帰する人物となりそうである。」 クーパー自身も認めた。「正式には何とも言えないけど、でも、そう、来週からリハーサルを始めることになっています。」 おそらく口止めされていたのだろう。答えに困っている彼の表情や口調が目に浮かぶようである。ただ自分が出演する作品や役柄については、彼はこの時点では明らかにしなかった。

2001年10月16日、公演初日のほぼ1ヶ月前になって、ようやく「オネーギン」の主要キャストがロイヤル・バレエから正式に発表された。そのキャスティング・リストを知ったファンたちは愕然とした。第1キャストとして初日にオネーギンを踊るのは、ロイヤル・バレエのプリンシパルでもファースト・ソリストでもなかった。そこには「アダム・クーパー」と記されていたのである。ロイヤル・バレエ時代はパッとしないプリンシパルで、しかもマシュー・ボーンという素人振付家の低俗な似非バレエ「白鳥の湖」を踊って、芸術とは無縁な一般大衆を客とするショウ・ビジネスの世界で成功するために退団した人物、今となってはロイヤル・バレエとは関係のない、外部の人間が。

オネーギンの友人レンスキー役の第1キャストも、ロイヤル・バレエのダンサーではなかった。アメリカン・バレエ・シアター(American Ballet Theater)のイーサン・スティーフェル(Ethan Stiefel)である。更に、オネーギン役を踊るダンサーとして、クーパー以外にも、ロイヤル・バレエの所属ではないダンサーが招聘された。シュツットガルト・バレエ(Stuttgart Ballet)のロバート・テューズリー(Robert Tewsley)。

オネーギンを担当する4人のダンサーのうち2人がゲストであり、しかもクーパーには5回、テューズリーには4回の出演が割り振られた。更にクーパーはグレーミン(Prince Gremin)役としても、4回の公演への出演が決まった。対してオネーギンを踊るロイヤル・バレエのダンサー2人の出演回数は、2人合わせて6回であった。ロイヤル・バレエの熱烈なファンは激怒した。

キャストの次序や出演回数は重要らしい。ロイヤル・バレエのファンが訝り、また憤激したのは、これじゃあロイヤル・バレエの男性ダンサーに不公平ではないか、というものであった。またBallet.coへの投稿から引用する。

「男性プリンシパルたちやソリストたちは失望を感じているに違いない。ロス・ストレットンに言いたい。私はそれこそ長年の間ロイヤル・バレエに通いつめている。でもこんな芸術監督は以前にはいなかった。私はブルース・サンソム(チャウ注:Bruce Sansom。ロイヤル・バレエの元プリンシパル。ロイヤル・バレエの芸術監督に最もふさわしい人物として、名前が挙がることが多い)に言いたい。できるだけ早く戻ってきて、ストレットンをネバーランドに追放してもらいたい。」 (←それはマイケルに頼みなさい。)

「これらの名前の発表は、公演チケットの購入申し込みをさぞ派手に煽ることになるだろう。」

「お尋ねしたい。なんでプリンシパルたちに高い給料を払っているのに、彼らを起用しないんだ?ウルレザーガ(Inaki Urlezaga)やコープ(Jonathan Cope)は、すばらしいオネーギン像を創りあげるだろうし、エドワーズ(チャウ注:Edwards。誰か分からない。ファースト・ソリストのEdward Watsonのこと?)もそうだろう。それなのに、なんでゲストなんか引き入れるんだ。タチヤーナとオリガのキャスティングはまったく奇妙だ(チャウ注:2人のプリンシパルに偏った起用と、格下のアーティスト、またソリスト級ダンサーを主役・準主役に起用したことを指していると思われる)。ストレットンをピーター・パンの世界へ送りこむことに賛成する。彼はおとぎの国での方が、よりうまくやっていけるだろう。」 (←だからそれはマイケルに頼みなさいってば。)

「数だけでみれば、クーパーはオネーギン役とグレーミン役として9回も踊る。他のどのダンサーよりも出演回数が多い。・・・多くの人の意見に賛成する。なんでベンジャミン(Leanne Benjamin)やコープの名前がみえないのか。」

「私はベンジャミンや吉田都、とりわけコープが観たかった。・・・リード・アンダーソン(チャウ注:Reid Anderson。シュツットガルト・バレエの芸術監督で、今回の「オネーギン」公演でキャストの最終的な決定権を持っていたといわれている)が、ただ単に知名度によってではなく、リハーサルを通じて彼が看取した確かな特徴や能力に基づいて、キャスティングを進めているのなら気も休まるのだけど。アダム・クーパーについては、私たちは彼の復帰に対してうだうだ言っている(とにかく私はそう)けど、それは彼が9回も出演することがいちばんムカつくのだ。」

「アダム・クーパーの復帰を目にすることができるのはすばらしいことだ。とても待望されていたことだから。でも、ロイヤル・バレエの男性プリンシパルは少し気分を害するかもしれない。ロイヤル・バレエに貢献してきた専属プリンシパルを出しぬいて、ゲスト・スターが初日を踊るというのは、好ましいこととは思えない。」

「アダム・クーパーとウィリアム・タケット(チャウ注:William Tucket。演技を主とする“Principal Character Artist”だったが、タチヤーナとのデュエットがあるグレーミン役にキャスティングされた)に割り当てられた役は、奇妙だし些か不公平だ。」

「私の目には奇妙なキャスティングにみえる。なぜこんなに多くのゲストが含まれているのか理解できない。もしバレエ団の中に適したキャストがいないというのなら、なぜその新しい作品をレパートリーに加えるのか?」

「今回のキャスティングは、『オネーギン』を所有する人々の意向に大いに沿ったものだと思われる。他方では、ロス・ストレットンは、この作品を大枚はたいてレンタルしたのだから、成功できるキャストの選定という事項や、どうすればこの公演が現実的にうまくいくのかということを重視しているだろう。」

「長い間ロイヤル・バレエに尽くしてきたダンサーたちの名がみえず、出演者がほぼいずれもゲストか、ロイヤル・バレエと関係のある新参者である、という状況を目の当たりにすると、非常に失望されられる。非常に多くのゲストで占められる、というのは、当初から意図されたものだったのだろうか。もしストレットンが、総合的にみてロイヤル・バレエのダンサーには、『オネーギン』を踊れる能力はないだろう、と考えたのなら、なぜ彼は『オネーギン』をレパートリーに加えようとしたのか、私には想像できないのだが。一方、ゲストたちはずっと以前に出演依頼されていたようである。だが、ゲストたちが『オネーギン』で踊らせてもらえるという珍しい機会のためだけに、リハーサルをしにはるばるロイヤル・バレエにまでやって来るものだろうか、と私は疑いを禁じ得ない。」

最初の公演スケジュールとキャストが発表されたわずか4日後、あまりの抗議の声に辟易したのか、ロイヤル・バレエは急遽「オネーギン」の公演数を1回増やした。ロイヤル・バレエの男性ダンサーがオネーギンを踊る公演を追加したのである。

「オネーギン」のキャスティング、キャストの次序、出演回数をめぐっては、ロイヤル・バレエの一部のファンが、新芸術監督ロス・ストレットンに対しては、最初から過度に反感を抱いていたことと、ロイヤル・バレエに所属するダンサーたちに対しては、一種の「仲間意識」のようなものを抱いていたこととが相乗効果をもたらし、騒ぎが余計に大きくなったという感がある。それは、よく言えば、彼らのロイヤル・バレエを守りたいという熱意から起きたことであり、だからこそ、「よそ者」は出ていけ、来るなという排他的な態度にも繋がってしまった。そして、こうした不満や怒りの矛先は、「オネーギン」でいちばんオイシイ扱いを受けることになった「よそ者」、アダム・クーパーに向けられたのである。

(2004年3月1日)

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