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BIOGRAPHY

2. ロイヤル・バレエ時代 (1)

1989年7月、ロイヤル・バレエへの就職を目前に控えたアダム・クーパーは、ロイヤル・オペラ・ハウスで、「二羽の鳩(The Two Pigeons)」の青年(young man)を踊った(卒業公演か?)。そして9月にはロイヤル・バレエに正式に参加、クーパーの7年半に及ぶロイヤル・バレエ時代がスタートする。

さて、英国ロイヤル・バレエとはどういうカンパニーなのか、きちんと調べて説明しようと思ったのだが、面倒くさいのでやっぱりやめることにした。というわけで、英国ロイヤル・バレエの沿革や組織形態、上演作品の特徴などについては、みなさん各自お調べになってくらさい。バレエ関係の本に書いてあると思うし、リンク集にあるBallet.coとか、ロイヤル・オペラ・ハウスの公式HPとかを御参照下さい。ちなみに、私は何冊かバレエ関係の本を買ったんだけど、大抵は最初の2、3行で挫折してしまい、ほとんど全部読んだためしがない。

でも順調に読了できた本もあって、おすすめなのは、熊川哲也の自伝「メイド・イン・ロンドン」(文春文庫)である。ロイヤル・バレエについても、分かりやすく説明してくれているので、とてもありがたい。しかも、この自伝は非常に面白かった。大爆笑。いいキャラだぜ熊川哲也。ここでロイヤルにおけるダンサーの序列を説明しておこう。まず、最も下位が「アーティスト(artist)」、その上が「ファースト・アーティスト(first artist)」、その上が「ソリスト(soloist)」、その上が「ファースト・ソリスト(first soloist)」、その上が最も上位である「プリンシパル(principal)」となっている。僕は史上最年少でファースト・ソリストに昇格、入団以来四年という異例のスピードでプリンシパルに昇格・・・じゃなくって、学校出たての新人は、普通はまず最も下位の「アーティスト」となり、それから上のランクへと昇進していくんだそうです。で、入団したてのクーパー君も、とーぜん最初は「アーティスト」だった。「アーティスト」は普段は「コール・ド(corps de、群舞)」を踊るのだそうで、クーパーといえども、最初は「その他大勢」の中で一生懸命踊ってたのだ。まさに石の上にも三年である。

ところが、ここでクーパー君独特の、奇妙な運の良さがさっそく発揮される。それは「コール・ド」を踊っていた頃から始まった。彼は入団してほどなく、「白鳥の湖」(もちろん伝統版)でダーシー・バッセルの相手役、つまり王子役をいきなり踊った。ファンとしては、ほらやっぱりアダム様は最初からスゴかったのよっ、と思いたいが、当時それを実際に観た人は、「テクニックがイマイチだった」と回顧している。しかし「バレエの神様」は、意外とおちゃっぴいだった。それに引き続き、しがないコール・ドのクーパー君は、今度は突然シルヴィ・ギエムのパートナーに大抜擢される。その日、彼は前の晩に飲み過ぎたため、二日酔いで朝のレッスンをサボっていた。芸術監督のアンソニー・ダウエルから呼び出しを受けたクーパー君は、てっきりクビ宣告だと思いこんだ(んなワケねーだろ)。しかし、それはもちろんギエム御指名の知らせだったのである。

ギエムはクーパーを名指ししたらしい。一体ナゼなのか。クーパー本人はこう言っている。「僕が思うに、彼女は僕に目をとめて、そして考えたんだろう。『サイズが合うみたい』と。」彼は自分の背が高かったからだと言っているのである。

こうして、世紀の偉大なバレリーナと、19歳の無名コール・ド・ダンサーとは、パートナーを組むことになった。彼らの最初の仕事は、バランシン振付の「シンフォニー・イン・C(Symphony in C)」と「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ(Tchaikovsky pas de deux)」で、ともに現代的な振付の作品("modern works")に該当するそうだ。

ギエムとパートナーを組んだ最初は、彼のキャリア始まって以来の、「最も神経を消耗した」瞬間だったそうだ。「僕はスタジオに足を踏み入れた瞬間、そのまま真っすぐ後ろを向いて出て行きたくなった。僕にとって彼女はスターで、それなのに突然、スタジオで彼女の驚異的な体を扱わなくてはならなくなるっていうのは、これは・・・恐怖だった。僕には、自分のやることなすこと間違っているとしか思えなかった。慣れてしっくりいくまでには、長い長い時間がかかった。」

クーパーによれば、ギエムは完璧主義者で、仕事には絶対に手を抜かないという。「公演が終わって、幕が降りるとすぐに、彼女はその場で満足できなかった部分の手直しをした。そんなことをするダンサーは珍しかった。」終演後、ギエムはまだ完全に仕事モードで、内心早く家に帰りたいと思っているクーパー君に、「ダメ、ダメ、ここへ来て。ピルエットをしてみて」と居残り練習を要求した。これは爆笑である。なんてったって、クーパー君は「幕が降りてから30分以内に家に帰る」主義者だ。

二人はその後、ウィリアム・フォーサイスの作品でも共演するようになった。その中で特に高い評価を得たのが、「ヘルマン・シュメルマン(Herman Schmerman)」である。この他に、クーパーは「マノン(Manon)」でもギエムの相手役を務めることがあった。

彼がいつどういうふうに昇進していったのか、詳しい時期は分からないんだけど、彼は1994年にめでたくプリンシパルに昇進している。だから大体1年ちょっとで一つ、というふうにランクを上げていったのだろう。ギエムのおかげでもあるだろうし、あとケネス・マクミランが目をかけてくれたおかげでもあるらしい。もちろん、クーパー自身の実力や努力のおかげもあっただろうけど。だけど、実力のあるダンサーはたくさんいるし、努力もみんな一生懸命するでしょう。でも、それが漏れなく絶対に正当に評価されるとは限らないんじゃないかと思う。報われないで辛い思いをしているダンサーが、実は大多数なんじゃないのかな〜、と、今まで人生に大した山も谷もなかった私でも想像はつく。きっかけとか偶然の運って、実は一番決定的な要素だ。

ここで、ロイヤル・バレエでのクーパーのレパートリーを挙げておきませう。邦題が分かんないのは、原題だけにしときます。「夢(The Dream)」、「Symphonic Variations」、「ラ・ヴァルス(La Valse)」、「ダフニスとクロエ(Daphnis and Chloe)」、「Raymonda」のパ・ド・ドゥ、「三人姉妹(Winter Dreams)」、「マノン」、「マイヤーリング(Mayerling)」、「Gloria」、「ユダの木(The Judas Tree)」、「ロミオとジュリエット」、「招待(The Invitation)」(←踊り以前に内容が非常識)、「Different Drummer」(←これの写真見たことある。衣装がヘン)、「Danses Concertantes」、「Stravinsky Violin Concerto」、「Agon」、「Ballet Imperial」、「In the middle, somewhat elevated」、「Steptext」、「Firstext」。・・・ちょっと頭痛がしてきたが、もうひとふんばり。「Bloodlines」、「Reard」、「Ebony Concerto」、「Room of Cooks」、「Present Histories」、「Magpie Tower」、「Desirable Hostilities」、「La Diversi」、「The Planets」、「Cyrano」などなど。見る人が見れば、どういう傾向か分かるんでしょうが、私にはさっぱりです。が、彼の役柄は専ら「モダン(modern)」と「キャラクター(character)」に集中してるんだそうで、これは後々クーパー君の人生を変える原因になっちゃうのだ。

さてクーパーは、1989年9月、18歳の時に入団し、1994年1月、22歳の時にプリンシパルになっているので、足かけ4年あまりで最上位に上りつめたことになる。これは通常よりも速い昇進スピードなのだそうだが、彼はロイヤルでの自分のキャリアに関する話になると、とかく茶化したり、時にはちょっと斜に構えたような、皮肉っぽい言い方をする。彼はロイヤル時代を「すばらしい時間だった」と表現する。が、一方では、彼がずっと抱いていた、ある鬱屈についても正直に告白している。

傍目に見れば、彼の人生は実に順風満帆だ。普通よりも速いスピードで昇進して、プリンシパルになれた。一体なーにがそんなに不満なの!?と言いたいだろう。私もそう言いたくなる。でもやっぱり、人は複数のタイプの人生を、同時進行で生きてるわけではないので、自分が今生きてる唯一の人生の中で、満足したり不満を感じたりするしかない。すごい悩んで落ち込んでる人に、「おまえの悩みは贅沢だ。世の中にはもっと恵まれない人たちがいるんだぞ」などと言っても仕方ないでしょう。クーパーは確かにプリンシパルだ。でも彼自身は、自分が正当に評価されているとは、あんまし感じていなかったのである。

(2002年9月8日)

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