Club Pelican

BIOGRAPHY

19.What does it feel like when you're dancing?

2000年9月、映画「ビリー・エリオット(Billy Elliot、邦題は『リトル・ダンサー』)」が、ロンドンで公開された。アダム・クーパーは、この映画の主人公ビリー25歳の姿として、作品の最後にちょっとだけ出演した。

今さらもうネタバレも何もないだろうから、書いてもいいよね。ビリーがロイヤル・バレエ学校に入学するため故郷を離れてから12年後、場所はロンドンの有名老舗劇場であるシアター・ロイヤル・ヘイマーケット(Theatre Royal Haymarket)。すっかり年とったビリーの父ちゃんや兄ちゃん、これまた自分の夢を叶えて一人前のゲイに成長した友人マイケル(イケメンのカレ同伴)が見守る中、ボーンの「白鳥の湖」のメイクと衣装を着たビリーが、「白鳥の湖」のあの有名な「情景」の音楽、それが最も高まろうとする、まさにその瞬間、舞台袖から一気にわあっと飛び出し、腕を頭の上にかざした例の白鳥ポーズで、画面を大きく横切ってジャンプする。

クーパー君はほんの一瞬の出演にもかかわらず、観る者にきわめて強い印象を残した。この映画によってはじめて、アダム・クーパーに興味を持ったという人は、かなり多いはずである。今、このサイトをご覧になっている方々の中にも、まず「ビリー・エリオット」を観て、きゃーっ、この背中の美しい、う〜ん、せくすぃ〜なダンサーはだれ!?メイクと衣装はちょっとキモいけど、と思い → エンド・クレジットで、アダム・クーパーね、ととりあえずメモして → yahoo、google、lycos、msn、excite等で検索、AMP「白鳥の湖」にぶち当たり → 「白鳥」DVD・ビデオを買う、または友達から借りて観る、もしくはテレビでやってたので録画して → そっこーハマりまくり  → いつしか話題がアダム様一色に → 家族が心配そうな目で自分を見るようになった、または最近友だちが減った気がする、という過程を経た方は絶対にいるだろう。ほんっと、クーパー君ってこーゆーとこがオイシイのよね。

だけど、この「ビリー・エリオット」は、アダム・クーパー主演の映画ではないし、クーパー君がカメオ・ロール(おいしいチョイ役)で出演したから大ヒットしたのでもない。だからさもクーパー君あっての映画だ、みたいな書き方は、いくらイタい私でもしないが、でもまあクーパー君に関連のあることは書いてもいいでしょ。

クーパー君がビリーの成長した姿を演じたせいか、ビリーのモデルはアダム・クーパーなのではないだろうか、という感想を読んだことがある。これは違う。第一、クーパー君は北イングランドの出身ではない。バリバリのロンドンっ子だ。それに、彼の両親はともに健在だし、クーパー父はピアノ教師、クーパー母はソーシャル・ワーカーと、二人の職業も違う。クーパー君には兄(サイモン)がいるが、このクーパー兄もランバート・ダンス・カンパニー(Rambert Dance Company)の現役ダンサーである。

「ビリー・エリオット」の脚本を書いたリー・ホール(Lee Hall)によれば、ビリーのモデルとなった人物は2人いる。うち1人は当時ロイヤル・バレエのファースト・アーティストであったフィリップ・モーズリー(Philip Mosley)である。リー・ホールは「ビリー・エリオット」のアイディアを思いつくと、ロイヤル・バレエに対して、炭鉱のある町出身のダンサーがいないかどうか照会した。ロイヤル・バレエが、該当する人物として紹介してくれたのが、このモーズリーであった。

ホールはモーズリーにインタビューを申し込み、モーズリーは自分の家庭環境や、ロイヤル・バレエ学校のオーディションを受けたときの経験、家族たちの反応、自分の心境などについて、その思い出をホールに話してきかせた。彼は北イングランドのバーンズリー(Barnsley)出身で、家族の多くに炭鉱労働者がいた。7人兄弟の末っ子である彼は、両親はもちろん、祖父母や兄弟たちに支えられつつ、ロイヤル・バレエ学校に進学、卒業後はプロのバレエ・ダンサーとなった。

「ビリー・エリオット」で、ウィルキンソン先生がビリーに、ロイヤル・バレエ学校を受験してはどうかと勧めるシーンがある。彼女はオーディションで重要視されるのは、バレエにどれほど習熟しているかではなく、どういう動きをするか、踊りによってどう自分自身を表現しているかだ、とビリーに説明する。これはどうも本当らしい。モーズリーは、オーディションを受けるまで、バレエ作品はおろか、バレエのポーズ、ムーブメントやステップを、ほとんど目にしたことがなかった、というのである。

ビリーのモデルとなったもう1人は、なんとケネス・マクミランである。マクミランの境遇は、ビリーとより近いように思える。マクミランの母親は、彼が12歳のときに亡くなっており、彼がバレエ・ダンサーを志したとき、炭鉱労働者であった彼の父親は失業中であった。マクミランの夢を支えてくれたのは2人のバレエ教師であり、マクミランの父親は、息子がバレエ・ダンサーになることにはずっと反対していた。

マクミランは、そんな父親や友だちに隠れてバレエのレッスンを受け続け、サドラーズ・ウェルズ・バレエ学校(Sadler's Wells Ballet School)のオーディションを受けさせてもらえるよう、サドラーズ・ウェルズ・バレエ(現在のロイヤル・バレエの前身)の芸術監督であったニネット・ド・ヴァロワ(Ninette de Valois、ロイヤル・バレエの事実上の創設者)に、父親の名前をかたって手紙を書いた。時に1944年のことであった。事ここに至って、ようやく息子がバレエの道に進むことを許したマクミランの父親は、しかし息子の踊る姿を観にくることは、死ぬまで拒否し続けた。

「ビリー・エリオット」の時代設定は1984年だが、ビリーの父や兄はもちろん、レッスン・ピアニスト、果てはビリー自身が、男がバレエをやることに対して、ひどい抵抗感を抱いている様子が描かれている。クーパー君も、ビリーをとりまいていた環境は、今でも同じだ、とインタビューでコメントしていた。それを思えば、ビリーやクーパー君よりもはるかに昔、ケネス・マクミランが置かれていた環境は、どれほど困難なものであったことだろう。

そんな中で、マクミランがバレエ・ダンサーになることを志したこと自体が、非常に稀有なことであり、ましてそれを諦めずに実現させたということが、どんなに奇跡的なことであったか。私は、人間は生まれ落ちた環境で、その人生の8、9割が決まってしまうだろう、とどうしても思ってしまう。でも、確かにそれが起きるなんてほぼ不可能だ、と思えるような状況にも関わらず、それでもこうした例外的な、奇跡のような人物が出ることがある。いったいどういうことなのか、まったく不思議だ。

ちなみに、モーズリーもマクミランも、「ビリー・エリオット」の中にその映像が挿入されている、フレッド・アステア(Fred Astaire)にあこがれていたそうだ。クーパー君にとっても、アステアは理想的存在であるようだ。熊川哲也に暴露(笑)されて、否定はしてみせたが。

「ビリー・エリオット」の監督はスティーヴン・ダルドリー(Stephen Daldry)だが、この映画の監督をやらないかという話は、マシュー・ボーンのところにも来ていた。「スティーヴン(ボーンはダルドリーとは親友の間柄らしい)が引き受ける前に、僕のところにも脚本が送られてきた。僕はぜひやりたいと思ったけれど、僕は普通以上にレベルの高いショウを上演するために、AMPを築き上げていく渦中にあって、もし僕がAMPを留守にすれば、AMPは瓦解してしまうだろう。だから僕はその話を見送ることにした。」

それにしても、「ビリー・エリオット」の最後でのビリーは、なぜボーンの「白鳥の湖」の白鳥を踊っているのだろう?ダルドリーはこう言っている。「クラシックじゃなくて、コンテンポラリーなヴァージョンってのが面白い発想だと思ったんだよ。」・・・監督、答えになってません。

クーパー君は次のようにコメントした。「アグレッシブな姿が、ビリーの成長した姿に似つかわしいと思ったんじゃないかな。ちゃんと体制に対する反抗心の片鱗のようなものも感じられてね。」 出たぜ、「体制に対する反抗心」!! 「王子には父親の愛情が欠如している」発言と双璧をなす名言だ(笑)。クーパー君、もう大人なんだから、決まり文句的な表現を無批判に使うのは、そろそろ卒業しようね。

冗談はさておき、「ビリー・エリオット」の結末が、「ロイヤル・オペラ・ハウスで伝統版『白鳥の湖』のジークフリート王子を踊っているジョナサン・コープ」にならなかったことは、至極当然な判断だったと思える。そんな結末がそうそうあり得ないことを、というかほとんど不可能なことを、脚本家や監督はもちろん、私たち全員がすでに知っているからだ。

ビリーがボーン版の「白鳥」を踊っているあの姿は、ビリーが結局のところは、正統的なバレエの世界で勝利することができなかったという、極めて現実味のある結果を窺わせるものである。しかし別の言い方をするなら、これはビリーが正統的なバレエの世界から閉め出されたことで、逆にある意味ユニークな立場を占めることになり、彼が以前にはなかった、新しいあり方を実現する可能性を手にしたことを感じさせる結末になった、ともいえるかもしれない。

クーパー君は「ビリー・エリオット」への出演について、「読んでみたら、すばらしい台本だったので、出演を決めました」とか、「『ビリー・エリオット』は、バレエを正しく描いている」とか言っている。あんなチョイ役でそんなおーげさな、と私なんかは思うけど、ただ、「ビリー・エリオット」でもうかがわれるように、またビリーの父親を演じたゲアリー・ルイスが、自分の役について説明していたように、イギリスではバレエとは「女性的なもの」であるという固定観念が根強くあり、したがって男がバレエをやることは、自分は「ホモ」であると公言したも同然だとみなされるという背景を、そこに見出さなければならないだろう。

クーパー君は子供のころ、自分がバレエを習っていることは、恥ずかしくて友だちには内緒にしていたと何度も語っている。ビリー少年を演じたジェイミー・ベルも同様で、バカにされるのがイヤで、自分がバレエをやっていることは口外しなかったという。

私は常々思っていたのだが、クーパー君が非常に気にしていること、神経質に受けとめていること、めったに感情を波立たせることがないという彼が、唯一マジギレする悪ふざけがあるとしたら、たぶんそれは男性バレエ・ダンサーに対するこの固定観念だろうと思う。バレエとは女のやることで、男でやるのはオカマだけ、しかもバレエは金持ち上流階級の結構なご趣味であり、一般人には縁がない、という図式は、彼を苦しめてきた偏見でもあり、また一方では現実でもあったのだ。

「ビリー・エリオット」は、「ハリー・ポッター」などのように、映画ができる前から超話題作として注目を集め、イギリスはもちろん世界中でほぼ一斉に公開されて、お約束どおりの大ヒットを飛ばす、なんてことは、最初は想定されていなかった。クーパー君は、監督のダルドリーから出演を頼まれたとき、「これは非常に小さな映画で誰も見ることができないかもしれない」と言われたそうだ。

これはいくらなんでもいいすぎだとしても、「ビリー・エリオット」は、まずカンヌ映画祭やアメリカのいくつかの地域で限定的に上映され、こうした小規模な公開の積み重ねによって、じりじりと評判が高まっていったのは確からしい。ロンドンで公開されたのは、このような“からめ手公開”を経て大手の映画配給会社が付いた後のことで、やがてイギリス全土、そしてヨーロッパ、アメリカ、日本と、徐々に世界中へ公開地域が広がっていったのである。監督のダルドリーや主演のジェイミー・ベルは、ロンドンプレミエの上映会場で、「ビリー・エリオット」の評判が予想外に高いものになったことに、マジに驚いた様子でコメントしているし、クーパー君も多くのインタビューで、「ビリー・エリオット」があんなにヒットするとは思っていなかった、と答えている。

ロンドンでのプレミエには、出演した俳優たちや関係者たちはもちろん、劇中劇として「白鳥の湖」を提供し、撮影に協力したマシュー・ボーンやAMPのメンバー、そして同様にロイヤル・バレエの関係者や現役ダンサーたちが多く招待された。とうぜんクーパー君も。

ところで、私はいままでクーパー君の「経歴」を、イタくそして執念深く書き連ねてきた。これを読んでくださってきた皆さんの中には、もしかしたら気づいていた方もいらっしゃるかもしれない。私は、クーパー君がなぜダンサーという職業を選んだのか、バレエやダンスに対して彼がどんなふうに考え、感じているのかについては、今までほとんど引用したことがなかったし、そうしたことに言い及んだこともなかったと思う。これは私がこのテの話題に興味がなかったせいもあるが、こうした話題になるのを意図的に避けてきたというのもある。

人がおこなっているすべての行為、たとえば仕事や趣味でもいいし、恋愛とか結婚でもいいだろう、こうした行為について、その人がなぜそうすることを選んだのか、またなぜそれを続けているのかについて、その人自身が説明する理由や動機などを、今の私はどうしても全面的に信用することができないからである。とりわけ「芸術」とよばれている行為に関しては。

でも実際のところ、ダンサーたちは、なぜダンスを職業として、仕事として、自己実現の手段または媒体として、選んだのだろう?ダンサーであることを続けていられるモティベーションとは、いったいなんなのだろうか?

ロイヤル・バレエ学校のオーディションを受けたビリーは、最後に試験官の一人からこう問われる。「踊っているときには、どんな気持ちがする?」と。自分の思いを言葉で表現できないビリーは、短く、途切れ途切れにこう答える。「いい気持ちです・・・体がこわばって・・・でも踊りだすと、その後はぜんぶ忘れることができて・・・それで・・・消えていく、消えていって・・・僕の体の中で、なにかが変わっていって・・・体の中で、火が燃えあがるようで・・・僕はそこでは飛ぶことができて・・・鳥のように、電気が流れるように、・・・そう、電気のように。」

「ビリー・エリオット」を観たサラ・ウィルドーは言った。「ええ、それはまさに私自身が(踊っているときに)感じていることよ。電気が流れるような、魔法にかかったような。」

ダーシー・バッセルの感想。「見た?見た?サラとアダムの隣には、ヒュー・グラントが座っていたのよお!サラの顔に浮かんだ表情ったら!サラは必死に気づいてないようなフリしようとしてたけど、ヒュー・グラントの方は絶対にサラに気づいてたわよ。彼女はあんな美人だもの!ところでアタシね、ボンド・ガールになりたいの。」バッセルさん、そうじゃなくて、「ビリー・エリオット」の感想なんですが。「アラ?そうだったわ。・・・あの男の子が、お父さんの目の前でがむしゃらに踊るシーンね。あれは、彼が自分の中に封じ込めている感情のすべてなのよ。あの子は自分の感情を放出させるすべを見出して、そして今度はそれを追い求めていくの。彼のように、私は舞台に上がること自体に夢中になっているわけじゃないわ。私はただ自分の中にある炎を燃やし尽くしたいの。それは抑えがたい衝動よ。」

クーパー君は言う。「大人になると、最初の頃に、自分を踊ることに駆りたてていたものを見失いがちになってしまう。現実の世界から解き放たれ、自分のいろんな夢に夢中になれることを。子供のころ、僕はタップをやってぴょんぴょん跳ね回っては、自分の中にある蒸気のようなものを解放していた。バレエははるかに大変だったけど。」

「僕はいつも、踊ることに一種の現実逃避を見出していた。僕は舞台の上が最も安全であると感じているんだと思う。この箱の中では、僕はなんでもできる。どんな人物にもなれる。ただただ夢中でいられる。僕はまったくもって内気な人間だけど、でも舞台の上では、僕ははるかに自分自身でいられることを実感できる。・・・・・・そうした陶酔感が、ぞくぞくするような快感が大好きだ。開演直前の、徐々に高まっていく緊張感、アドレナリンの噴出を感じるのが大好きだ。それは本当にすばらしいもので、まさにこれが僕の生きがいなんだと思う。踊りで僕が好きなのは、ドラマティックな面、他の誰かになれることだ。僕は踊りの動きそのものも好きだけれど、でも僕が本当の陶酔を感じるのは、ある人物になれることだ。これが、僕が本当に楽しんでやっていることだ。」

う〜ん、やっぱり分からない。なぜ、ダンスなの?でも、自分がやっていることを大好きだ、って、それって、このうえない幸福だと思う。いくらひねくれ者の私でもね、認めざるを得ないわ。うらやましいよ。

(2003年2月5日)

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