Club Pelican

BIOGRAPHY

18. ドラマ、映画への出演

2000年2−4月、AMPはロンドンのドミニオン劇場(Dominion Theatre)で、「白鳥の湖」の再公演を行った。この再演には、アダム・クーパー、スコット・アンブラー、フィオナ・チャドウィック、ウィル・ケンプなど、「白鳥の湖」のオリジナル・キャストが久しぶりに勢ぞろいした。

1996年のウエスト・エンド公演からおよそ3年余り、ロスアンジェルス、ブロードウェイを経てロンドンに帰ってきた「白鳥」たちに、押し寄せた大観衆は熱狂的な喝采を浴びせ、およそ5週間にわたる公演期間で動員した観客数は、のべ75,000人以上に及んだ。えーとえーと、1週間7公演として、それが5週間だとすると全部で35公演くらい、75,000を35で割ると1公演あたり2,143人の観客が訪れたということで、ドミニオン劇場は座席数が2000ちょっとだから、たぶん公演数はもっと多かったんだろうけど、つまり連日満員御礼だった、っていうことだ。ぜーぜー。

ところが、このめでたい公演の初日の席で、マシュー・ボーンは、記者に対して妙な感想を漏らした。「ずいぶん前に、僕はこの『白鳥の湖』に資金を提供した。でも、その投資分はいまだに回収できていない。」 おそらくは、このころからすでにもう、ボーンとAMPのプロデューサー(作品製作や公演のための資金調達、公演の期間・場所・回数・広告、各方面への周旋など、実務的な仕事を行なう)であるカザリン・ドレ(Katharine Dore)との間で、なにかがしっくりいかなくなってきていた。

意外なことに、AMPは「白鳥の湖」が大成功したことが原因で、一時的な資金難に陥った、とされている(ドレが言うには)。しかし、AMPはこの難しい局面を、逆にさらなる飛躍の機会として利用した。ところが、この資金難を乗り切るために採った打開策が、いったんその中にはまってしまうと、抜け出すのがなかなかに難しい、一種の厄介なルーティン、またはシステムと化し、それがボーンにプレッシャーを与え始めていた。

ボーンとドレの間に生じていたこのきしみは、これからほどない2000年の秋に表面化し、更に1年後の2001年暮れには、ボーンが「白鳥の湖」、「シンデレラ」、「カー・マン」の3作品の所有権や上演権を放棄し、自分が設立したはずのAMPから分離して、新たにカンパニー(New Adventures)を創設する、という事態にまで至ることになる。

ところで、ロンドンのトラファルガー広場(Trafalgar Square)にあるナショナル・ポートレイト・ギャラリー(National Portrait Gallery イギリス歴代有名人の肖像画とか胸像ばっかりの美術館。1部屋か2部屋回っただけでうんざりしてくるし、特に胸像はみんな同じ人にみえる。夜中にあの胸像だらけの部屋に一人閉じ込められたら、さぞコワイだろう)に行ったときのこと。ある一室に入ったとき、一面の壁の真ん中にどーんと飾られている、ダーシー・バッセルの超デカイ肖像画(全身像)が目に入った。

それは水彩っぽい、イラスト風な肖像画で、バッセルは横顔を見せ、髪は後ろに束ねただけで、シンプルなレオタードを着て両腕を広げてポワント、というポーズをとっている。瞬間、あっ、これは見たことあるぞ、と思ったのだが、それはTDKコアから出ている「ダーシー・バッセル〜Back Stage〜」というビデオに、じいさん画家がなんかウンチクたれながら、バッセルの姿をスケッチしたり、ペイントしたりしている場面が折り込まれていて、なんとその肖像画だったのだ。私はあのビデオのほうを先に見ていて、そのときには「ヘンな絵」とか思っちゃったのですが、国立美術館に飾ってもらえるような、名のある画家さんだったのね。

バッセルの肖像画からふと横に目を移すと、その壁の隅にタテ20cm、ヨコ12、3cmくらいの、えらいこと目つきの悪い男性の小さな肖像画があるのに気がついた。「誰だよこの人相のチョー悪いオヤジはよ」と思って横の説明ボードを見ると、そこには”Adam Cooper,Dancer”と書いてあったのだった。・・・

クーパー君のこのミニ肖像画は胸元から上を描いたもの。クーパー君は短く刈り込んだ髪に、顔は向かって左斜め45度、視線は右側に向けている。首には黒い皮ひも状のネックレスをかけ、襟元からすると黒のTシャツぽいものを着ている(←この組み合わせは写真で何度か見たことがある。好きみたいね)。しかし、ここまで凶悪な顔に描くこともないだろうに。目はガンつけているし、目の下と頬には、こそげたように黒いシャドウが入っている。・・・はっきりいって超極道。もういちど言っておきますけれどね、素顔のクーパー君は、とってもとっても優しい顔つきで、超キュートでスウィートなコなんですからね!!

肝心のこれを描いた画家のアホ野郎はなんていう名前だったか忘れちゃったが、説明ボードには「この肖像画は、ドミニオン劇場での『白鳥の湖』公演期間中、彼の出番でない日に楽屋で描かれた」とか書いてあったように覚えている。でも、ロンドンにお立ち寄りの節は、ぜひどうぞ〜。タダで入れるしね!(国公立の博物館、美術館などは、多くが無料開放されている。文化芸術は万人のもの、などというタテマエも、場合によってはありがたいものです)。

クーパー君は、ロンドン再演を終えた後の2000年7月、AMP「白鳥の湖」ドイツ公演に参加した。そしてこれが、私が現在のところ確認できている、彼がAMPに参加した最後である。今年(2003年)2−3月に行われるAMP「白鳥の湖」日本公演は、彼にとってはおよそ2年半ぶりの「白鳥」となるはずだ。

AMPへの参加を終えたアダム・クーパーは、その後すぐにスコットランドへ飛び、スコティッシュ・バレエに合流した。スコティッシュ・バレエの7−10月公演「ロミオとジュリエット」で主役のロミオを踊るためである。この「ロミオとジュリエット」は、音楽はプロコフィエフだが、ケネス・マクミランが振り付けた、あの有名な版ではなかった。当時のスコティッシュ・バレエの芸術監督であったロバート・ノース(Robert North)が振り付けたもので、初演は1990年、スイスのジュネーヴ・バレエ団によって行われたとある。

ノースはまず音楽の選定と順序、各場面への割り振りに関して、マクミラン版の影響を彷彿とさせるものはいっさい廃した。そして物語の舞台は15世紀のイタリア、トスカーナの田舎に移され、濃淡のくっきりときわだつトスカーナの風景を舞台背景にとり入れ、その色彩は黄色、青、赤褐色を基調とし、登場人物の衣装も簡素なものに統一された。

ストーリーの進行に関しては、ノースはシェイクスピアの原作をより忠実に再現した。とりわけ舞台を郊外に移したことで、対立する両家からは、王族的な華麗で豪奢な雰囲気が一掃され、またロミオとジュリエットだけを特に中心に据えるのではなく、二人を両家族の複雑な人間関係の中に融け込ませることで、より自然かつさりげない形で悲劇を展開させた。

振り付けの面で特徴的なのは、このノース版「ロミオとジュリエット」には、ポワント(女性ダンサーがトゥ・シューズを履いて爪先立ちで踊る技術)が、まったく採用されていないことだという。ある評者はノース版を「その情緒性は気高く、また誇張のない自然な雰囲気を作り出してはいる」が、こうした舞台の色彩や装置、美術の質朴さ、また主役二人を多くの人間関係の中に紛れ込ませたこと、そしてポワントがないことで、劇的な効果や情熱的な要素が弱まってしまった、と述べている。特に最後の場面があっけなさすぎる、と。女の死体を引きずり回して踊ったり、もう死ぬかと思うと再び起き上がって、しつこく3、4分もひっぱったり、というようでないといけないらしい。

クーパー君の踊りについては、今回は特に批判もみえず、好意的に評価するものがほとんどだった。彼のパートナリングは良く、ソロの踊りもノースの振り付け(この評者はノースの振り付けを「一貫性がない」と評している)を沈着冷静にこなし、とりわけ、モダンの要素が強いノースの振り付けにおいて、クーパーは「正式なクラシック・バレエの経験で培ってきた力強さと技術とを終始保ち続けた」そうだ。

さてこの2000年には、アダム・クーパーが登場するテレビや映画の作品が、いくつか放映・公開されているので、これらの作品についてもまとめておきましょう。

彼はBBCが2000年度に製作したテレビドラマ「ボヴァリー夫人」(”Madame Bovary”、全2回)にちょっとだけ出演する。この「ボヴァリー夫人」の原作は、もちろんフローベール(Gustave Flaubert)の同名小説で、自分の結婚生活と田舎暮らしにうんざりしたエマ・ボヴァリーは、愛人の男との逢瀬と、度を越えた高額な買い物にふけった挙句、夫に内緒で莫大な借金を抱え込む。愛人の男たちから見捨てられ、裁判所の差し押さえが迫るなか、追いつめられた彼女は、自ら毒をあおって死を遂げる、というお話。

クーパー君の役柄は「子爵(The Viscount)」で、物語の最初の方、エマと彼女の夫で村医者のシャルル・ボヴァリーとが、ダンデルヴィリエ侯爵の舞踏会に招かれたシーンに登場する。ドラマでは、踊れないことを恥ずかしげに告白するエマに対し、ダンデルヴィリエ侯爵夫人は「殿方は女性に手ほどきをしてさしあげることが嬉しいのよ」と言って、「ヴァイカント(子爵)!」と彼を近くに呼び寄せエマに紹介する。

「子爵」役のクーパー君は、髪を軽くふわっとした感じの七三分けにし、太いもみあげと口ひげとをたくわえている(19世紀半ばという時代設定なので。この時代のヨーロッパ、大人の男性はもみあげはもちろん、ひげをたくわえるのが普通だった。許そう)。衣装は舞踏会用の黒い燕尾服。侯爵夫人が彼に「ボヴァリー夫人にはご一緒する相手がいないのよ。それに、ワルツも苦手でいらっしゃるの」と言うと、子爵は「夫人がお許しくださるのなら、僕にお任せくださいませんか?」とエマに手を差し出し、彼女をエスコートしてワルツを踊る。

クーパー君演ずる子爵は、フランシス・オコーナー(Frances O’Connor)演ずる、19世紀半ば、ナポレオン3世治下にあるフランス独特の、豪華な白いクリノリンのドレスに身を包んだエマを、終始じいいいいいーーーっと見つめながらワルツを踊っている。踊りの最後、彼はエマの腰をとつぜん両腕でぐっと強く抱えて持ち上げ、そのままぐるぐると回る。

踊りが終わって子爵がエマから身を離すと、彼女は頬を赤くして息を弾ませながら、呆然として子爵に膝をかがめてお辞儀をする。エマは完全に子爵にのぼせあがってしまう。アダム・クーパーに見つめられて、その肩にもたれて踊って、最後に腰を抱えられてぶんぶん振り回されちゃな。無理ないぜ。この後エマがどうなるのかは、原作なりビデオなりをご覧ください。原作の邦訳はいくつかあって、書店や図書館でほぼ確実に見つかると思うです。

この他にも、クーパー君が出演している作品はいくつかある。これは私は観てないのでよく分からないのだが、「イヤーソンとアルゴナウテース(”Jason and the Argonauts”)」(邦題不明。日本での上映もしくは放映があったかどうかも不明)という作品にも出演しているらしい。で、クーパー君の役柄は、・・・さあみなさん、その前に深呼吸を一つして、心の準備をしましょう。・・・クーパー君の役柄は、エ、エ、エ、エロス神(Eros)、だそうだー!!はっはっは、えろすだってよ、こりゃスゲーや。・・・みなさん大丈夫?落ち着いてね。

「イヤーソンとアルゴナウテース(”Jason and the Argonauts”)」は映画なのか、それともテレビドラマなのかはっきりしない。クーパー君が演じたエロス神は、愛の神(ぶーっ)、だとー!!激ウケだよ〜。ギリシャ神話の挿絵とかでよく見る、あの片胸とフトモモ出した、白くて薄いひらひらした生地の、ナルシスみたいなお色気美少年風衣装着てるんだろーか!?きゃーっ、耽美よ、耽美だわー!!それとも「ダビデ像」みたいなのかしら!?いや〜ん。ところで、「ダビデ像」ってさ、風呂あがりのオヤジがよくやるポーズに似てねえ!?

と、エロい妄想の世界(←風呂あがりのオヤジをか!?)に没入しかけたところで、今回はここまで。「ビリー・エリオット( “Billy Elliot”、2000年10月イギリス公開。邦題は『リトル・ダンサー』、2001年2月日本公開 )」についても書こうと思ったけど、力尽きました。当初は、イギリスのローカルなバレエ普及推進文化教育映画に過ぎないはずだったこの作品については、また次回ね!ああ、1週間のあいだに2回も切開した歯肉が痛痒いよう。

(2003年1月26日)

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