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BIOGRAPHY

17. コヴェント・ガーデンのアダム・クーパー

ボーンやAMPと一定の距離をとりはじめたアダム・クーパーは、偶然かもしれないが、この時期を境に、再びバレエの舞台に登場することが多くなっていく。

前述のように、クーパー君は、1999年7月にサドラーズ・ウェルズ劇場で行われた、ロイヤル・バレエのトリプル・ビル公演の最後、いきなり舞台に登場し、その鬼気迫る踊りは、観客たちに痛烈な印象を与えたのだった。しかし、ロイヤル・バレエへの事実上の復帰第一作といえるこの公演についても、彼は後年、これはロイヤル・バレエが代役のダンサーによほど困ってたのだろう、と、例によって皮肉とも冗談ともとれる一言で片付けているが。

ロイヤルに復帰したこの直後、クーパー君は、ダーシー・バッセルを中心としたバレエ・ガラ、題して「ダーシー・バッセルと仲間たち("Dercey Bussell and Friends")」に、サラ・ウィルドーとともに参加、フレデリック・アシュトンの「二羽の鳩」、ジョージ・バランシンの「アゴン("Agon")」クリストファー・ウィールドンの「パヴァーヌ("Pavane")」、ウィリアム・タケットの「カルメン("Carmen")」(笑)などを踊った。このガラ公演を観た人がいうには、クーパー君とサラ嬢が一緒に踊るシーン、二人の顔には始終、さも嬉しそうな笑顔が浮かんでいたそうです。ああそーですかっ。よかったねっ。けっ。

ダーシー・バッセルは、ロイヤル・バレエのスター・プリマの一人であり、当時の(そしてもちろん現在の)ロイヤルにおいて、人気の面で、そしておそらくは能力の面で、唯一シルヴィ・ギエムに拮抗できた女性ダンサーである(私は正直いうと、バッセルの方がギエムよりも好きなんです)。ギエムと同様、バッセルも背の高い女性ダンサーらしく(170センチくらいあるそうだ)、クーパー君はロイヤル・バレエに入団して間もないころ、伝統版「白鳥の湖」の王子役として、オデット姫を踊る彼女と共演した。それ以来、クーパーとバッセルは数多くパートナーを組むことになり、もうどこかで書いたけど、バッセルを取材したテレビ・ドキュメンタリーでも、彼女と一緒にウィリアム・フォーサイスの「ヘルマン・シュメルマン」を踊っている。

バッセルはなんか天真爛漫でお気楽な雰囲気のある女性だが、サラ・ウィルドーがいうには、実際もすごく気さくな人柄で、とてもユーモアのある面白い性格をしてるんだそうだ。あれほどのスターであるにも関わらず、極端に貪欲に、野心的にキャリアを追い求める、といったガツガツしたところもないようで、性格的にすごくバランスの取れてる人なんだろう、という印象がある。

ちなみに、クーパー君も登場する、ある面白いエピソードを、バッセルはインタビューで明かしたことがある。クーパー君がロイヤルに在籍していた時期のこと。クーパー君は、ある演目でバッセルの相手役に正式決定して、彼女と一緒にリハーサルに入っていた。ところが、本来の相手役が降板してパートナーがいなくなってしまったシルヴィ・ギエムが、クーパー君を自分のパートナーとするよう、ロイヤルのマネジメント部にごり押しし、彼をバッセルから奪って(笑)自分の相手役にしてしまった、ということが起きたんだって(笑)。もちろんバッセルはギエムのことを大っぴらに悪くは言わず、ただこう言うだけにとどめている。「自分のパートナーがいなくなったのなら、他人のパートナーを横取りなんかしないで、自分でほかに見つけるべきよ」。

もひとつムダ話さして。あるスター・ダンサーが、自分の同僚や友だちのダンサーたちを組織して、バレエのガラ公演を行う、というのはよくある。常々思ってたんだけど、そのテのガラ公演って、なんか「○○とその仲間たち」とかいう名前が多くない?去年(2002年)、クーパー君がプロデュースした、あるガラ公演の名前も、「アダムとサラと仲間たち」(うぴゃーっ)だった。「ムツゴロウと動物王国の愉快な仲間たち」みたいでなんかヤダな。チケット・カウンターで「『アダムとサラとその仲間たち』のチケットS席1枚ください!!」とか大声で言うのか。そーとー恥ずかしいぞ。他にも「○○(ダンサーの名前)の贈り物」とか(なんかムッとしたぞ、という方、本当にごめんなさい。でもけなすつもりは毛頭ありません)、「バレエの美神たち」とか(よく臆面もなくこんな恥ずかしい題名がつけられるよな)。三十代のややコワモテ・無精ヒゲ・妻子あり男が、若い女しか客にいないような、おしゃれなイタリアン・レストランで、「森の木こりさんのにぎやか山の幸パスタひとつください!!」とオーダーするくらい恥ずかしいものがある。

ムダ話終了。クーパー君とサラ・ウィルドーは、同棲を始めてから5年、婚約してからもすでに4年という月日が経っていた。彼らはもともと、この99年の夏に結婚式を挙げたいと希望していたのだが、しかし二人のスケジュールの折り合いがつかず、式を1年延期することにした。特にウィルドーは、ロイヤル・バレエのサマー・シーズンに上演される「オンディーヌ(Ondine)」のタイトル・ロールにキャスティングされており、とてつもない緊張の中にあった。

「オンディーヌ」は、振付はフレデリック・アシュトン、音楽はハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(Hans Werner Henze)で、1958年にヘンツェ自身の指揮で初演が行われた。初演で主人公のオンディーヌを踊ったのはマーゴ・フォンテーンで、以来オンディーヌは彼女の当たり役の一つといわれているという。

今回の「オンディーヌ」再演は、99年の7−8月、サドラーズ・ウェルズ劇場で行われたが、延期を余儀なくされた結婚式のお詫びのつもりなのか、ロイヤル・バレエは、二人にちょっとしたプレゼントをした。主人公である水の妖精オンディーヌが恋した人間の男性で騎士のパレモン役として、またもやクーパー君をゲストに招き、古典バレエの全幕作品における二人の共演を実現させたのである。

このときの舞台写真は日本のバレエ雑誌に掲載されたことがあるし、去年(2002年)、二人がゲストとして出演した公演のチラシにも使用された。クーパー君は、髪型はオールバック、衣装はなんか金飾りのついた黒い衣装で、この物語での重要なアイテムである魔よけの金の首飾りをかけ、笑みを浮かべながら両手を胸に当て、片膝を立てて跪いている。そのクーパーの肩に、ボディラインがはっきりと見える、白いシースルーに金糸や銀糸の刺繍が入った、ノースリーブでゆらゆらしたロング・ドレスという衣装を着たウィルドーが手を置き、顔を彼の頬に寄せて微笑んでいる。ウィルドーはとても神秘的な美しさにあふれているが、なんでクーパー君って、素の笑顔はとってもキュートなのに、「舞台用笑顔」になると、とたんに悪代官が邪な笑みを浮かべているように見えちゃうんだろ?

「オンディーヌ」は、いちおう古典バレエに分類される作品ではあるのだが、古典バレエ特有の舞踊形式(ディヴェルティスマン、グラン・パ・ド・ドゥなど)の要素が薄く、ストーリー性のかなり濃厚な全幕作品なのだそうだ。そのあらすじは「人魚姫」と少し似ていて、人間の男性に恋した水の妖精オンディーヌの悲恋物語である。

古典バレエ作品の男主人公っていうのは、そのほとんどがヒロインを裏切る二股男である。「オンディーヌ」のパレモンもこの例に漏れず、偶然に出会った海王の娘オンディーヌを愛し、海王の許しを得て結婚までするのだが、同時に人間の女の婚約者もいる。その婚約者がこれまた超わがままなキツイ女で、パレモンとオンディーヌとの仲を引き裂いてしまう。パレモンはオンディーヌへの罪悪感にかられながらも、婚約者との結婚式に臨むが(←いいのかそれで!?)、折しもパレモンの裏切りに激怒した海王が、結婚式が行われている城を水で沈めてしまい、パレモンはオンディーヌとの再会を果たした直後に力つきて死ぬ。

ジークフリート(「白鳥の湖」)といい、アルブレヒト(「ジゼル」)といい、みな後先考えずに、いちいち目の前の女に夢中になる。なんでバレエではこんなアホ男ばっかり、と私は常々思っているのだが、どんな役柄でも現実味のあるものにしてしまうのが、我らがクーパー君のすごいとこで、彼のパレモンはとても情熱的で、感情的にも非常に説得性のあるものだったということだ。さいざんすか。ところで、私、一度でいいから、クーパーとウィルドーが踊るマクミラン版「ロミオとジュリエット」を観てみたい。マクミラン版の「ロミジュリ(英語での略語は”R&J”だと)」は、私が唯一真剣になって観られる、そして泣けるバレエなんだよお。二人が共演したら、さぞすごいことになるだろう。

クーパー君は、自分がどのカンパニーにも所属しない、フリーランス・ダンサーという立場になっただけに、自分のキャリアについて自分自身が決定権を握ること、また自分に選択の自由が存することを、この上なくすばらしいこと、と、ことあるごとに強調する。その反動か、彼は特定の組織に所属することや、一定の場所にとどまることに対して、強い拒否感を示す。

ロイヤル・バレエが本拠地としているロイヤル・オペラ・ハウスについても、彼は「ロイヤル・バレエがコヴェント・ガーデン(ロイヤル・オペラ・ハウスがある地区の名前。転じてロイヤル・オペラ・ハウスの通称として用いられる)にとどまり続けることには反対だ」とインタビューで述べた。彼はロイヤル・バレエに「一度も帰属感を持てたことがなかった」という。自分が「よそ者」であるという疎外感、自分が属する、また余計に厄介なことには、自分が融けこみたいと願っている、まさにその世界で、自分が異質な存在であると終始感じざるを得なかったこと、こうした経験が、彼にこのような態度をとらせたことは間違いない。

ロイヤル・オペラ・ハウスの全面的な改築工事のため、ロイヤル・バレエは各劇場を転々とツアーしてまわる、という公演形態を余儀なくされていた。しかし、1999年11月、ロイヤル・オペラ・ハウスの改築が完工、同年12月1日、その落成を祝うロイヤル・オペラとロイヤル・バレエ合同のガラ・コンサートが、王室一家の臨席の下、盛大に催されることになった。クーパー君にとっては、凄まじいストレスを感じるような雰囲気だったろう。

このガラ公演は、ロイヤル・オペラ、ロイヤル・バレエと縁の深い演目からの抜粋で構成されていた。オペラの部では、当時のロイヤル・オペラの芸術監督であったベルナルド・ハイティンク(Bernard Haitink)が指揮を担当し、またプラシド・ドミンゴ(Placido Domingo)、デボラ・ポラスキ(Deborah Polaski)など超一級の歌手たちが、ワーグナーの「ヴァルキューレ(Die Walkure)」、ベートーヴェンの「フィデリオ(Fidelio)」などの有名な1シーンを歌った。バレエの部では「眠りの森の美女(The Sleeping Beauty)」、「シンフォニック・ヴァリエイションズ(Symphonic Variations)」、「シンデレラ」(アシュトン版)、「バレエ・インペリアル(Ballet Imperial)」、「ラ・フィーユ・マル・ガルデ(Le Fille Mal Gardee)」、「ラ・バヤデール(Le Bayadere)」、「ロミオとジュリエット」(マクミラン版)、「ライモンダ(Raymonda)」、「田園の生活(A Month in the Country)」、「グローリア(Gloria)」、「パゴダの王子(The Prince of the Pagodas)」、「ステップテクスト(Steptext)」などの各シーンが、ロイヤル・バレエのトップ・ダンサーたちとゲスト・ダンサーとによって、次々と披露されていった。

クーパー君はこのガラにゲスト・ダンサーとして招聘され、舞台に上がった。演目は「ステップテクスト」のみで、その出演はわずか3,4分に過ぎなかった。しかし、彼が登場したのは最後から3番目と、いわば「トリ」に近い待遇である。このときの映像を観ると、彼の表情は硬くこわばっていて、ひどく緊張しているらしいのが窺われる。その踊りも、特に出だしの動きは、素人目に見てもぎこちなく、相手のデボラ・ブル(Deborah Bull ・・・私はこの人にとっても興味がある)のサポートでも、明らかにはっきりと分かるミスを最初で犯している(詳しくは「VIDEO,DVD」を参照してね!)。

しかし彼の動きはその後どんどんなめらかになり、二人が踊り終えて闇の中に消えたときには、会場からは大きな拍手とブラボー・コールとが浴びせられたのだが、イヤホーンを当て音量を上げてよーく聴いてみると、ブーイングも起きているのがかすかに聴こえる。彼のぎこちない動きに対して向けられたものだろうけど、でも彼の置かれていた立場の特殊さを、再び思い返してみましょう。同じミスでも、その人が「正統的」とみなされているバレエ・ダンサーであったなら、「単なるミス」として大目に見られただろう。でもクーパー君は、バレエ・ダンサーの正道からはみ出した。だから少しのミスであっても、それは彼が「純粋なバレエ・ダンサーでない」証拠とみなされ、容赦ない厳しい批判の対象になりやすいのである。

私には、このブラボー・コールとブーイングとが同時に起こる、というのが、バレエ界におけるクーパー君の立場を象徴しているものに思えてならない。また繰り返しになってしまって申し訳ないのだけど、クーパー君は、バレエ界の人々にとってはバレエ・ダンサーではなく、コンテンポラリー・ダンス界の人々にとってはバレエ界からの侵入者で、コマーシャル・ダンス界の人々にとっては、プロフェッショナルなショウビズ・ダンサーではないのである。

とはいえ、クーパー君が、このロイヤル・オペラ・ハウスの改築祝賀ガラ公演に参加したことで、彼は新しいロイヤル・バレエとも、繋がりを持てることになったといえる。たとえば、取り壊されて今はない旧校舎しか知らず、母校への親近感が薄くなった卒業生が、新築された校舎の落成式典に招かれたようなもので、クーパー君は完全にロイヤル・バレエと縁を切ることは免れ、むしろ復帰の足がかり、といえば大げさか、復帰する可能性を残してもらえたのである。

クーパー君が在籍していた当時、ロイヤル・バレエの芸術監督だったのはアンソニー・ダウエルである。ダウエルはクーパー君が抱いていた鬱屈を理解し、ボーンの「白鳥の湖」への参加を許可した。そして、クーパー君が曖昧な態度でおいしいとこ取りをしようとした時には、クーパー君と話し合って、彼に決断を促した。クーパー君はロイヤルへの不満を大っぴらに表明していたが、ダウエルは「彼の(フリーランスのダンサーになるという)試みがうまくいかなかったなら、ロイヤルに受け入れたい」と答え、バレエへの未練が断ち切れなかったクーパー君を、その言葉どおりに受け入れたのだ。ものすごい大きな器量の持ち主である。

(2003年1月19日)

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