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BIOGRAPHY

14. AMP「白鳥の湖」ブロードウェイ公演

1998年初め、マシュー・ボーンらAMPの主要スタッフは、アメリカのニューヨークを訪れた。98年秋から冬にかけて予定されていた、AMP「白鳥の湖」ブロードウェイ公演に出演するダンサーのオーディションを行なうためである。

ボーンの「白鳥の湖」が大ブレイクして以降、AMPがロンドンで行なってきたオーディションには、多くのバレエ・ダンサーが「内々に」参加してきたという。中には、ロイヤル・バレエの現役ダンサーもいたそうだ。アダム・クーパー、フィオナ・チャドウィック、リン・シーモア、サラ・ウィルドー、ウィル・ケンプらの成功例に倣おうとしたものの、しかし、しかしおおっぴらに参加するのはまだ憚られたのだろうか。かつてのクーパー君と同じく、自分のキャリアに鬱屈や閉塞感を抱き、「出口を求めている」バレエ・ダンサーがいかに多いか、しかしそれでも、バレエ・ダンサーがAMPに参加することのリスクが、この時点でもまだいかに大きかったか、このことから少しは窺われる。

ニューヨークでのオーディションにも、バレエ・ダンサーが多く参加したのだが、しかしダンサーをとりまく状況は、ニューヨークとロンドンとでは、大いに違っている点がある、とボーンは言う。

「(ニューヨークで)多くのダンサーをオーディションした経験から、アメリカで興味深かったのは、ニューヨークにおけるダンサーのコミュニティが、ロンドンよりも、はるかに融合されている、ということだ。ロンドンにおけるダンサーのコミュニティは、明らかに三つの陣営、つまりコンテンポラリー、バレエ、そしてコマーシャル(商業ダンス)とに分かれていて、この三つの陣営が互いに混じりあうことはごくわずかだ。ニューヨークでは、ダンサーたちの間に、お互いに対する敬意が存在しているようだ。ジャンルを問わず、ダンサーたちに対する、よりすばらしい尊敬の念がある。ニューヨークのバレエ・ダンサーたちは、コンテンポラリーの、そして商業ダンスのダンサーたちを尊敬し、一方コンテンポラリーのダンサーたちは、バレエ鑑賞に興味を持っている。これは、ロンドンではみられない現象だ。」

ボーンのこうした感想に対しては、そんなに単純には言い切れないんでは、と感じる方もいるだろうけど、でもこれは、ボーンやAMPのダンサーたちが、ロンドンでそれまで、ダンス業界で、とりわけバレエ業界との関係において、自分たちがどんなふうにみられていて、どんな立場に置かれていると感じていたのか、という点で真実だ。

ニューヨークでのオーディションで選抜されたダンサーたちは、主にブロードウェイ公演の最後の期間における出演を受け持った。ボーンの上記の感想を裏打ちするが如く、バラエティに富んだ面白い顔合わせである。マーサ・グラハム・カンパニーのダンサー、ミュージカル女優(女王役)、そしてアメリカン・バレエ・シアター現役の、主役級ダンサー(白鳥/黒鳥役)など。

そういえば、これはアダム・クーパーの「経歴」でしたね。「雑記」じゃなかったんだった。クーパー君のことを書かないと・・・クーパー君は、このブロードウェイ公演にも、主演の白鳥/黒鳥役で参加した。スコット・アンブラー、ベン・ライト、フィオナ・チャドウィック、ウィル・ケンプ、バリー・アトキンソンなどお馴染みの「白鳥の湖」メンバーも、ほぼ全員が勢揃いしたとある。なーんてうらやまぴー!!

ちょっと面白いエピソードがある。AMP「白鳥の湖」のポスターについてなんだけど、最初、サドラーズ・ウェルズ劇場での公演期間に使用されたポスターは、ハダカのスコット・アンブラーが、白鳥を抱いている、というデザインに、あの独特の字体の"SWAN LAKE"というロゴが付されているだけのものだったそうだ。ボーンが言うには、これはアンナ・パブロヴァが白鳥を抱いている写真に着想を得たものであって、性的なイメージを表現したつもりは全然なかったという。

ところが、ウエスト・エンド公演を行なう際、男のオール・ヌードはマズい、という意見が興行主側から出された。予期しなかった難クセに、ボーンは「なぜだあー!!」と驚いた。しかし譲歩して、アンブラーの体部分を、水面を表現したブルーの背景と同色にして、ハダカであることを目立たなくさせ、更に白鳥メイクをほどこしたアダム・クーパーの目のアップを、その上部に配置したものに修正した。たぶん、ビデオとDVDのパッケージがこれだと思う。

次のロス公演のポスターでは、アンブラーのハダカどころか、白鳥クーパー君の目までが「消失」した。理由はホラー映画だと誤解されないようにするため、というのはウソで、アメリカ側が「これはバレエではなくミュージカルだと思われるようにしたい」と希望したからだそうだ。そのため、ポスターとして、ブラック・レザーの衣装を着た黒鳥クーパー君が、真っ赤な背景の中で踊っている写真が採用された。いつだかの"Dance Europe"の表紙になったのと同じものじゃないかと思う(どーでもいいんだが)。

このブロードウェイ公演では、ボーンの強硬な主張に、今度はアメリカ側が譲歩して、白鳥アダムの目のアップの下に、"SWAN LAKE"のロゴが付されているデザイン、つまり白鳥を抱くアンブラーだけが消え失せた形になったポスターが使用された。やっぱり男のハダカはマズい、とされたらしい。でも、アンブラーのあの写真のどこが問題なんだろう?それよりは、クーパーのあの上目遣いに、こちらを睨みつけている目の方が、子どもが泣き出すくらいコワいぞ。・・・今度の日本公演はどうかっていうと、どうもデザインはブロードウェイ公演と同じだが、"SWAN LAKE"のロゴが、そのままそっくりな字体の日本語で「白鳥の湖」になっている。よくここまでクリソツな字体にできたなあ。感動ものだ。この日本語ロゴをデザインした人に10000点。

1998年9月、AMP「白鳥の湖」は、ブロードウェイのニール・サイモン劇場(Neil Simon Theater)で、およそ4ヶ月にわたる公演を開始した。ニューヨークの観客たちは、かなり手強かったそうだ。ボーンは言う。「最初、プレビュー(本来の公演期間の直前に、お試し的に行なわれる公演)を行なっていた期間、観客たちの間には『さあ、見せてもらおうか』的な雰囲気があった。僕たちはいつにもまして、この作品がいいものであることを証明しなければならない、と感じた。」

私はほんの数ヶ月前まで、「ウエスト・エンド」という語そのものを知らなかった。一方、「ブロードウェイ」については、そこがニューヨークにある有名劇場街の総称で、そこで上演される作品は高い質を有し、それらの作品に出演することは、すべてのダンサーの憧れである、ということは、たぶん小学生の頃から知っていた。日本の小学生のガキでも知っているくらいなんだから、ブロードウェイの「天井桟敷の人々」にとっては、確かにウエスト・エンドなど、なにほどのものでもないだろう。AMP「白鳥の湖」がイギリスでいくら有名だろうが、ロスアンジェルスみたいな「地方」でいくら好評を博そうが、マシュー・ボーンは外国人振付家であり、AMPは外国のカンパニーであった。

ある新聞記事には、こう書かれている。「1996年、ロンドンにおける半年間の公演期間から生じた輝かしい名声と、去年(1997)のロスアンジェルスにおける短期公演(注:ロス公演の期間は3ヶ月あった)とによって、この作品は女装した男性ダンサーによる男性版『白鳥の湖』である、という誤った印象が(アメリカで)伝わってしまっている。」 ・・・・・・。アメリカ人の自由で崇高で勇敢な独立精神が感じられます。

更に、ニューヨークでは、主に商業的な採算が取れない、という理由から、ダンスのみの演目の上演が難しくなってきている、という状況があったそうだ。ブロードウェイ叩き上げの振付家であっても、ごくまれにしか自分の振付作品を上演できないくらいだという。まして外国人振付家の場合はどうなのか、いうまでもない。だから余計に観る側の目が厳しくなったのである。

ところが本公演をこなしていくうち、「あの(観客たちの斜に構えた)雰囲気は一変した。ニューヨークでの数ヶ月にわたる公演は、実にすばらしいものとなった。」(ボーン談)

AMP「白鳥の湖」公演について、ニューヨークの各紙は大きく紙面を割いて報じ、批評家たちのレビューも、揃って大絶賛の嵐となった(なんでか知らないが、すごい歯の浮くような大仰な表現で書いてある。アメリカ人だからかな)。ロンドンで一貫してボーンの頭を悩ませていた、「おカマバレエ」だの「ゲイ・スワン」だのという揶揄はほぼみられず、ボーンが当初に意図したとおり、これを「フロイト的サイコ・ドラマ」という面から、詳細に解説を加えるものがほとんどだった。

ニューヨークの観客たち、マスコミに加えて、業界人や有名ダンサーたちも、多く支持的な態度を表明した。ミハイル・バリシニコフは、プレビュー公演と公演最終日との二度にわたって、特にAMPのために、パーティーを催してくれた(パーティーを開くことに何の意味があるのか、と不思議に思う若いみなさんは、お父さんやお母さんやお兄さんやお姉さんに聞いてみてね!!)。

クーパー君は、ここニューヨークでも、非常に高い評価を受けた。「クーパー氏はまぎれもなく、ユニバーサルなセックス・アピール(直訳:万国共通の色気)を発散させていた。強烈かつ力強く、彼は筋肉質な長い腕をもった白鳥のために振り付けられた、ボーン氏の一種独特な、バランスを崩した踊りを紡ぎ上げていく。また彼は、パンクなカッコよさと緩急織り交ぜたスピードとによって、白鳥の邪悪な面を表現するための、突然速くなる、油断のならない振付に飛びこんでいくのだ。」

イギリスの新聞では、振付家もダンサーもみーんな呼び捨てにされているのとは異なり、アメリカの新聞はいちいち敬称を付けることが多い。クーパー君は多く「ミスター・クーパー」と呼ばれている。なんか宝くじに当たって巨万の富を得た自動車セールスマンとか保険の外交員みたいだな。

観客の反応は凄まじいもので、クーパー君は後に回想してこう語った。「ブロードウェイで、会場を埋め尽くしている観客に向かって演ずる、有名スターたちが楽屋にやって来て、君はすばらしかったと言葉をかけてくれる、客席の人々が歓声を挙げてくれる。『白鳥の湖』は、僕が失くしていた、自分自身に対する自信を、僕に取り戻させてくれた。」

このブロードウェイ公演の成功によって、1999年5月に発表された、トニー賞(Tony Awards そーとーすごい賞らしい。大騒ぎしてるから)の各部門の候補には、マシュー・ボーンやレズ・ブラザーストンらの名前がごっそりと並んだ。アダム・クーパーも、「ミュージカル部門最優秀俳優賞」(best actor)にノミネートされた。けっきょく受賞はしなかった(同年6月に結果発表)ものの、でも歌なしセリフなしの、ダンスのみのパフォーマンスによって、候補に挙げられただけでも異例中の異例だったという。もし受賞していたなら(クーパー君自身は、受賞は無理だと踏んでいたそうだが)、前代未聞の快挙だったろうといわれている。

(2002年12月27日)

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