Club Pelican

BIOGRAPHY

13. 振付活動の開始

98年4月、アダム・クーパーは、スコティッシュ・バレエにゲストとして招かれ、ピーター・ダレル振付の「ホフマン物語」に主演した。が、ホフマン役を打診される以前、彼はスコティッシュ・バレエから、すでにある依頼を受けていた。

スコティッシュ・バレエは、同年の7月に行われるトリプル・ビル公演(一回に複数の小-中規模作品をまとめて上演する形式)、名づけて"Cool Classics"の演目の一つとして、彼にバレエ作品の振付を頼んできていた。

ある程度の経験を積んだダンサーが、踊るかたわら、振付にも取り組むようになる、というのは、あちらこちらで見かける話である。私はこれは、引退したプロ野球選手が、いきなり野球解説者とか球団のコーチとか監督とかになるのと同じで、ダンサー引退後の再就職への布石みたいなもんなのか、と思っていた。まあ本当に優れた振付能力を持つダンサーもいるんだろうけど、それよりも、「あの有名ダンサーの○○が振り付けた」というのが、メインの売りなんだろう。

特にバレエの振付家は、ダンサーとしてのキャリアを持っていた方が、ダンス業界で認められやすい、という傾向があるように思える。踊りというものを自身の実践経験として、文字通り自分の体で知っている、という方が信頼されるらしい。マシュー・ボーンは、ダンサーとしてのキャリアをほとんど持っていない、とされている。これはボーンのある種の烙印で、ボーンに批判的な人々は、いつもこの点を突っついているし、決してボーンに批判的でない人々も、この点について、しつこくコメントを求めている。

ボーンがこの4-5月に来日した折の、ボーンに対する多くのインタビューは、なぜだか判で押したように、一様にボーンにダンサーとしてのキャリアがほとんどないことに触れていた。スポンサーでもあった、あるテレビ局の深夜ニュースのメイン・キャスターも、このことについてボーンに直に質問していた。正直言って、こんな質問に一体どれほどの意味があるのか疑問だ。どうせ質問するなら、「正統的な振付家として認められるために要求される条件」自体が、ダンス業界のどんな状況を反映したものなのか、ボーンの意見を尋ねてみた方が面白かったろうに。

ボーンには、そのキャリアに加え、その作品にも、一部の人々の反感を煽りやすい特徴がある。ボーンは作品のアイディアをどのように思いつくのか、ボーンが自ら詳しく説明もしている通り、彼は主に鑑賞経験、つまり目で見た色んな映像の一片一片で、作品全体を埋めていっている。

ダンス業界、とりわけバレエのように、特殊な技能や専門的知識を重んじる業界では、鑑賞した映像をアイディアの主要な源泉としていることは、実践経験をアイディアの主要な源泉としていることよりも、「所詮は素人の真似事」だとして、より軽んじられる傾向がある。

しかも、ボーンがインスパイアされるという映像には、バレエに限らず、映画、ミュージカル、その他のダンス・ジャンルの作品、果てに記録写真にいたるまで、色々な要素が無尽に含まれていて、バレエの規範に外れている、とされる要素、「低俗」「大衆的」と見なされている要素も、かまわず混淆して取り入れられている。ボーンの作品が大人気を博するのも、またその逆に反感を買うのも、ボーンの作品の各シーンに、観る側が「以前にどこかで見たことがある」ような感覚を抱くからである。それが一方の人々には、「分かりやすい」「気軽に楽しめる」といった親近感を、また一方の人々には「低俗である」「底の浅い」といった拒否感や軽蔑の念を抱かせる。

クーパー君はどうかっていうと、彼はロイヤル・バレエ学校の学生だった頃、ある小さな振付大会で優勝したことがある。また、彼は本当はローザンヌ・コンクールに参加する予定ではなかったのだが、もともと出場するはずだった他の学生が、急なケガでキャンセルしたため、ロイヤル・バレエ学校は、彼は踊りはダメだが、振付では賞を取れるかもと期待して、彼を急遽コンクールに連れていくことにした。熊川哲也とアダム・クーパーは、ロイヤル・バレエ学校での同級生であり、しかも在学中からすでに仲が良かったらしい。周囲から浮いてる者同士でくっついたのかな(笑)。

で、熊川君によれば、クーパー君は、確かに在学中から振付に取り組んでいて、ちょくちょく小さい作品を作っては、放課後に友だちで集まって「試演」していたそうだ。もちろん熊川君ファンの方はご存じでしょうが、クーパーは去年(2001年)、熊川君のK-バレエ・カンパニーに振付作品を提供し、またダンサーとしてゲスト出演もした。

彼はロイヤル・バレエを退団した理由として、自分に与えられる役柄に不満なこと、不合理に酷使されること、また、多忙なあまりに、自分のやりたいことをやる時間がとれないことを挙げていた。彼のやりたいこととはなんなのか、彼は振付をその筆頭に挙げている。

クーパー君は、そのダンサーとしてのキャリアからみれば、振付をやるには少しは有利な、というか、多少は甘く点数をつけてもらえる条件にあった。しかし、アダム・クーパーとマシュー・ボーン、というのは、ほとんどの人々が連鎖的に思い浮かべる名前の組み合わせである。クーパーが、決して正統的ではない振付家であるボーンの、その代表的作品を踊って大成功したこと、さらに彼がそれ以前には、クラシック・バレエのダンサーとして、必ずしも超一流とはみなされていなかったことによって、振付家としてのアダム・クーパーは、逆に厳しい目で評価されることになってしまった。

クーパー君が、スコティッシュバレエの"Cool Classics"公演に提供した作品は、"Just Scratchin'the Surface"という題名であった。これは、「とりあえず表面をなぞっただけ」とか、「ある情景の簡単な素描」とかいう意味なの???それともこういう名前の音楽でもあるのか???分かりまへん。

"Just Scratchin'the Surface"がどういう作品なのかは、私はもちろん観てないから分からない。が、彼はその音楽に、クラシック音楽ではなく、デューク・エリントン、オスカー・ピーターソンなどのジャズを採用した。彼は子どもの頃からジャズが好きだったそうだ。

クーパー君はなんでも「子どもの頃から・・・だった」と言うクセがあるらしい。去年、日本のバレエ雑誌のインタビューでも、彼は「30歳になったらタバコをやめる、と子どもの頃から決意していた」などと、ワケの分からないことを言っていた。ところで、コイツはダンサーのくせに、ボーンから「煙突」呼ばわりされたほどのヘビー・スモーカーである。舞台の幕が上がる直前でも、楽屋でタバコばっかり吸ってるそうだ。「白鳥の湖」でもそうだが、今年(2002年)の春に行われた、スターダンサーズ・バレエ団の「マクミラン・カレイドスコープ」公演でも、演出とはいえ、舞台上でいきなりタバコに火を付けて、実に嬉しそうにプカプカやっていた。終演後も、デマチファンに応対している間はさすがに控えていたが、ファンに別れを告げて道に踏み出したとたん、さっそく歩きタバコを始めたのにはあきれた。マナーの悪いヤツだな〜

話は戻るが、彼はかつてニューヨークで訪れたことのあるジャズ・クラブを作品の舞台に設定することにし、「何週間もかけて、数百枚ものジャズCDをひたすら聴きまくって」、作品に使う音楽を決めたんだと。何百枚ものジャズのCDを、何週間ものあいだねえ。・・・凝り性なのね。サラや3匹のネコたちは、さぞいい迷惑だったろう。

そして舞台美術は、なんとレズ・ブラザーストンが担当してくれた。ブラザーストンは、ボーンが「シンデレラ」の製作にクーパーを参加させたことを、最初は面白く思っていなかったというが、クーパーとブラザーストンは、今では相当に仲が良いようだ。

クーパーは言う。「レズは『よし、僕がデザインしよう』と言ってくれた。イギリスで最も需要の多いデザイナーの一人である彼が、『絶対に僕がデザインする』と言ってくれるなんて、すばらしいことだった。」この他にも、ブラザーストンは、上記のクーパーがK-バレエ・カンパニーのために振り付けた作品や、また未だ上演されてはいないが、クーパーが振り付けた全幕バレエ作品の美術も担当している。

具体的なあらすじとかは(あればの話だが)、よく分からないが、場末の暗〜い、しみったれた雰囲気のジャズ・クラブに繰り広げられる、様々な人間模様(?)を描いた作品だったらしい。登場人物は、バーテンダー、セクシーな娼婦、彼女の胸の谷間に金をねじ込むいかがわしい客の男、神経質なダサい男、ハデな身なりの若い男とその恋人の少女、ミニスカートをはいた美脚の女装男、などなど。なんか雰囲気だけはなんとなく想像できるよーな気がするが・・・。っていうか、このテの、最近、流行ってるの?

で、やっぱりというか、アダム・クーパーの振付は、マシュー・ボーンの強い影響を受けている、と指摘する意見が出た。「この作品の全体に、AMPとその振付家マシュー・ボーン流スタイルの影響を見出すのは、実に容易なことである。レズ・ブラザーストンはこの作品の美術担当であり、むきだしのネオン・ライトや、ジューク・ボックスが配置される、いかがわしい酒場という舞台装置は、いかにもそのような雰囲気を醸し出すには、適切なものであった(もちろん、これは本物のジャズ・クラブではなく、生バンドもいなかったが)。」

「クーパーの振付は、ボーンの滑稽味にあふれたスタイルを、前面に押し出している。それは見た目は洒落たエンターテイメント性を有し、時に大げさに誇張されたもので、登場人物の性格を豊かに描いているというよりは、カリカチュア的要素の方に絡め取られてしまっている。」耳が痛いです。ワタクシは思考そのものが、すでにカリカチュア的なので(笑)。

クーパー君はボーンのおかげで大成功したのだから、こうした見方をされるのは、成功の見返りとして、彼が当然引き受けなければならないものだ。しかも、クーパー君が、少なくともボーンの仕事の進め方に決定的に影響されたのは、クーパー君本人が率先して認めている。クーパー君の次のような言葉は、ボーンが言ってもおかしくないようなセリフだ。

「それぞれの登場人物について、僕はそれぞれの歴史を作りあげていかなければならない。そうしてこそ、それらの登場人物たちは、ダンサーにとって現実味のあるものになる。もし振付家がスタジオに入っていって、こう言ったとする。『これこれがステップ、ちなみに、君の役は年老いた娼婦っていうことで。』ダンサーたちが、それらのステップを自分なりに表現するやり方について、振付家は、ダンサー一人一人の個性を認めようとはしない。だから、僕は一回目のリハーサルの時間の半分は、ひたすら登場人物について話し合うだけだ。それらの役柄を、真に現実味のあるものにするために。」・・・クーパー君、お願いですから、海外の読者の英語力を考慮し、インタビューに答える際には、以下の二つの項目を守ってください。(1)語の省略はなるべくしない。(2)接続詞はマメに入れる。

そうして彼は、「ホフマン物語」のリハーサルとツアー中の空いた時間に、スコティッシュ・バレエの団員たちを「ひっつかまえて」、"Just Scratchin'the Surface"の準備とリハーサルを行なったそうだ。彼は、それが公演で良い結果となってあらわれた、と言っている。・・・凝り性なのね。スコティッシュ・バレエの団員たちは、さぞいい迷惑だったろう。

ボーンと似ているとか、影響されているとか言うけど、ボーン・スタイルが、結局はクーパー君の好みというか、彼が元来もっていた嗜好や傾向と合致してそれを強化した、ということなのだから、別にいいと思うんだけどなあ・・・。大体、他者の影響を全く受けてない人なんているの?私だって、自分の中に確かに存在する、あるものの正体が、ずいぶんと長いあいだ分からなくて、言葉にできなくて、すごく悩んでいた。でも、ある人のおかげで、それらをようやく整理して考えることができるようになった。今はその物まねのレベルにも達していないけど、でも私が物事を受けとめる、基本的な考え方にはなっていて、これでかなり救われたと思っている。

振付の傾向や演出が似ているかどうか、っていうのは、私には判断のしようがないし、大体、似ていることの何が悪いのか?「個性的」とか「独自性」の神話っていうのは、全く始末に負えない。しかも芸術の世界では、そんなものが確かに存在する、といまだに信じられているばかりか、そうであることが望ましい、とされているんだから。じゃあ、フランコ・ゼッフィレッリは、明らかにルキーノ・ヴィスコンティの影響を受けているが、ゼッフィレッリは悪いのか?バズ・ラーマンとマシュー・ボーンの演出は似ているところがあるが、これはどっちが悪いのか?どうでもいいことだ。

クーパー君は、この頃あたりから、振付意欲にターボがかかってきたようだし、たとえ小さなものでも、機会を捉えては振付に取り組むようになる。彼はこの後、ロンドン・スタジオ・センター(バレエ学校を併設した小さなバレエ・カンパニーらしい)プロフェッショナル部の公演"Images of Dance"のために、"The Reflections"という小作を振り付けた。

実は彼はその前年、ロイヤル・バレエを退団した年である97年、このカンパニーのために作品を振り付けていた。イギリスの新聞に掲載されるバレエ批評というのはこれが普通なのか、たとえばバレエ学校の定期公演とか、卒業公演とかであっても、批評家が実にマメに観に行って、そのレビューを新聞に寄稿する。しかも、それがちゃんと掲載されるんだから驚きだ。このロンドン・スタジオ・センターの公演"Images of Dance"も、ほぼ毎年その批評が新聞に載っている。

マシュー・ボーン不倶戴天の敵である某批評家は、クーパーの振付は「時にいささかごった煮的」ではあるが、「クーパーには間違いなく振付の才能があり、時に胸おどらされるような独創性が見られた」と感想を述べてくれた。いいなあ、じいさん。表面的に「自由で良心的」な批評家より、頑固で融通の利かないあなたの方が、気骨があって好きだぜ。

クーパー君は、昔からやりたいと思っていたことを、少しづつではあるが、地道に続けていっている。特定のカンパニーに属していて、多少失敗をしても許される、結構なご身分の振付家たちとは違い、彼は一旦失敗をしでかしたら、それが即命取りになるリスクにさらされている。なんにせよ気苦労が絶えないとは思うが、どうか頑張っていってほしいものざんす。

新しいことに挑戦する一方、彼はダンサーとしての仕事もこなしていく。98年10月-12月、彼はAMP「白鳥の湖」ブロードウェイ公演に、白鳥/黒鳥役として参加する。

(2002年12月22日)

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