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BIOGRAPHY

12. クラシック・バレエへの復帰

クーパー君は、ロイヤル・バレエを退団しても、クラシック・バレエを踊る機会が訪れることを、なおも希望していた。でも彼は、バレエ出演の依頼がそう来るわけはない、と内心覚悟していたのかもしれない。彼はバレエの練習をやめていた。

彼は97年6月に、AMP「白鳥の湖」ロスアンジェルス公演の合間を縫って、しかもクラシック・バレエの舞台に立っていないブランクが、数ヶ月も続いていた状況にも関わらず、いきなりロイヤル・バレエの日本公演に参加してロミオを踊った。だれからどう言われようと、彼は偶然とはいえ訪れたクラシック・バレエを踊る機会を、絶対に手放したくなかったのだと思う。実際、その後の半年間、クラシック・バレエの仕事の依頼はやってこなかったのだから。

しかし、「バレエの神様」はやっぱりおちゃっぴいだったのだ。98年1月、「シンデレラ」の公演が、あと数週間で終了することが決定した直後、クーパー君は、またまたミョーな運の良さを発揮する。この人はねー、一体なんなのだ。なんでこーいうふうに、すんでのとこで助け船が出るっていうか、危ない橋を渡ってるようで、実はツイているっていうか。

スコティッシュ・バレエ(Scottish Ballet)が、彼にバレエの、しかも全幕作品での主役として、出演を打診してきたのである。「すばらしいタイミングだった。ケニー(ケン・バーク[Kenn Burke]。当時のスコティッシュ・バレエのディレクター)が電話をかけてきて、『これからの予定は?こっちで「ホフマン物語」を上演することになったんだけど、来てやってみないか?』と言ったんだ。僕はその作品については、あまりよく知らなかった。でもケニーからの打診があってから、僕は『ホフマン物語』を以前に観たことのある人々に話を聞いた。(ホフマンは)男性ダンサーにとってはすばらしい役だし、色々なカンパニーと仕事ができるのも、いいことだった。」

バレエ「ホフマン物語(Tales of Hoffmann)」は、スコティッシュ・バレエの設立者であり、またその芸術監督でもあったピーター・ダレル(Peter Darrell)が、1972年に自らのカンパニーのために振り付けた作品である。オッフェンバック(Jacques Offenbach)のオペラ「ホフマン物語(Les Contes D'Hoffmann)」をベースに、これを全幕バレエ作品として改編・振付を施した。音楽は、オペラの音楽をそのまま使用しているが、ジョン・ランチベリー(John Lanchbery)によってバレエ音楽用への編曲がなされ、更にオッフェンバックの他の作品もつけ加えられた。

この「ホフマン物語」は、ピーター・ダレルの死後は、めったに上演されなくなった作品だそうで、イギリスでもここ数十年は上演されていなかったという。近年では、1991年に香港バレエ団が上演しているそうで、このときはピーター・ファーマー(Peter Farmer)が舞台美術と衣装を担当した。ちなみに、今年(2002年)10月、日本のバレエ団による再演も行われている。

構成はプロローグ(酒場)、第一幕(オリンピアの物語)、第二幕(アントーニアの物語)、第三幕(ジュリエッタの物語)、そしてエピローグ(再び酒場)からなり、ストーリーはオペラとほぼ同じである。但し、オペラではアントーニアは歌手であり、重い病を患っている彼女は、再び歌えば命を失うことになる、と医者から戒められている。が、バレエではアントーニアはバレリーナであり、再び踊れば死ぬ運命にある、という設定に変更された。

クーパー君は、「ホフマン物語」の主人公である、老いた詩人ホフマンの役を依頼された。老いた、といっても、老詩人ホフマンが、大酒を飲んで酔っぱらいながら、若かりし頃の悲恋を回想する(この回想が第一幕から第三幕にあたる)、という設定なので、じいさんをやったのは、プロローグとエピローグだけだったらしいので安心してね。でも、「とてもじいさんに見えなかった」そうだが。

こうしてクーパー君は、一度はそこから飛び出したバレエの世界へと、再び舞い戻ることになった。彼はバレエの練習を再開した。しかし、クラシック・バレエに復帰するのは、容易なことではなかった。技術的なレベルを回復させる困難さもあったし、彼にとってそれ以上に辛かったのは、クラシック・バレエの世界における、独特かつ厳格な伝統的な規範を、再び受け入れることであったという。

「とても辛かった。僕はほぼ一年半の間、どんなクラシック・バレエの作品も踊っていなかったから。自分の身体を再びそれに慣らすのは、大変なことだった。それは、スコティッシュ・バレエの公演が始まって一週間が過ぎた後だった。僕は自分が以前に属していた世界に戻り始めていた。それは一種の格闘で、すべてが拷問に他ならなかったし、クラシック・バレエを踊っている時には抱えざるを得ない、異常なプレッシャーでもあった。人々は、バレエにはテクニカルであることをはるかに期待する。だけど、僕は踊りと演劇性とを、同列なものと考えるようになっていた。」

彼のこの言葉の意味はすごく分かりにくい。私が思うには、「ホフマン物語」でのクーパーの踊りが、技術面で人々の批判にさらされたことを指しているのだと思う。彼はこの言葉に続けて、こう言っている。「『ホフマン物語』には、たくさんのドラマが含まれていたし、それらのシーンはすばらしいものだった。でも純粋にクラシック・バレエ的な一幕もあって、それは悪夢だった。僕は内心、悪態をつきながら舞台を降りたものだった。」

「純粋にクラシカルな一幕」とは、おそらく第二幕、アントーニアの物語を指すのだろう。第二幕には、ストーリーの進行には関係のない踊り、ディヴェルティスマンやグラン・パ・ド・ドゥといった、伝統的な踊りの形式がふんだんに盛り込まれているという。

1998年4月から5月にかけて、「ホフマン物語」は、スコットランドのグラスゴー、エディンバラ、ニューカッスルの主要な劇場で上演された。この作品の上演が極めてまれだった上に、当時スコティッシュ・バレエは、財政面での窮迫と政治的な事情による揉め事が悪化して、カンパニーが解散するかもしれない危機にあり、この「ホフマン物語」の再演は、スコティッシュ・バレエの復活を賭けた一大イベントであった。またこの作品は、「あの」アダム・クーパーが、久しぶりにクラシック・バレエに復帰する第一作でもある。こうした特殊な事情が重なったことによって、ロンドンから遠く離れたスコットランドでの公演にも関わらず、各紙の名だたる批評家たちが、続々とロンドンから品定めにやってきた。

クーパー君が自覚していた通り、彼のソロについては、批判する意見が多かった。普段はクーパーに好意的な批評家でさえ、次のように書いている。「彼はクラシカルな長いソロでは、粗雑で荒っぽさが目立った。」

まあこれは、ピーター・ダレルの振付が、非常に難しかったせいでもあったらしい。「タイトル・ロールとしてゲスト出演し、スコティッシュ・バレエの今シーズンの公演全体を輝かしいものにし、活気づけた、優秀なアダム・クーパーでさえ、全体的な動揺に影響されてしまっていた。彼のクラシック・バレエのテクニックは、なにかずれた様相を呈していたし、彼の踊りからは明快さや調子が消え失せていた。ダレルの振り付けた、複雑で危険な一連のリフトも、彼と彼の相手役であるバレリーナたちの手に余るものだった。」

しかし、クーパーのクラシック・バレエの技術的不完全さを指摘したどの批評も、次の事実だけは認めざるを得なかった。彼のパートナリングの力強さと、秀逸な演技、説得性ある役柄の解釈と表現、そして、言葉では名状しがたい、クーパー独特の不思議な魅力である。「しかし、コヴェント・ガーデン時代の彼と、そしてそれに引き続いた、マシュー・ボーンの『白鳥の湖』ウエスト・エンド公演で、大成功をおさめた彼の踊りとから、我々がすでに知っていたことではあるが、クーパーはすさまじい役者である。」

「ジェレミー・アイアンズのような優雅さと、レイフ・ファインズのようなロマンティックさとを併せ持ったクーパーは、ホフマンという人間像の一つ一つを、ともに等しく現実味のある、そして観ている方が思わず釣り込まれるようなものにした。機械人形のオリンピアに恋したホフマンとして、クーパーは、激しい情熱と抗しがたい魅力とを発散させていた。不幸なアントーニアの悲しみに満ちた、しかし聡明な恋人であるホフマンとしては、彼の心は熱く官能的であった。そして、娼婦ジュリエッタの好色な追求者であるホフマンとしては、彼の体は、性的な狂乱に突き動かされているかのようであった。」

「クーパーのような全面的な能力を有している人物によってこそ、この『ホフマン物語』の全三幕、プロローグとエピローグとは、作品として持ちこたえることができたのだ。スコティッシュ・バレエが、これほどの優れたアクター・ダンサーを、キャストの一員に加えることができたのは、まさに幸甚である。」

批評っていうのは、前にどっかで書いたと思うけど、大抵はダンサーの悪い点と良い点とを、並べて書くものだ。そういう書き方をしたほうが、客観的で公平にみえるからである。クーパー君の踊りについてのレビューは、大体がクーパーの演技力や存在感を誉める一方で、クーパーの技術にケチをつけるものがほとんどだ。ところで、クラシック・バレエを崇高な芸術とし、バレエ界の伝統的な価値観を頑なに守り、マシュー・ボーンを徹底的にこき下ろして、あの温厚なボーンが思わず「ひっこめ!」と毒づいたほどの、超保守的なじいさん批評家がいる。この頑固で偏見に凝り固まったじいさん批評家は、なんと意外にもこう書いた。

「クーパーは、彼自身がやっていることのすべてを、エキサイティングなものとしていた。彼は、我々の最も優れたドラマティックなダンサーの一人になりつつある。彼はロイヤル・バレエで、数々の主役を与えられていたとはいえ、人々は彼については、常に留保を付けていた感があった。」

「まあ、そうだ。彼の足先は、完璧なクラシック・バレエのダンサーがそうあるべきような、つま先立ちにはなっていない。彼の脚は、ほんのわずか曲がっている。でも、それがなんだというのか?そんなことを誰が気にするというのか?彼は恵まれた容姿と、観客の注意を釘付けにするほどの存在感がある。とりわけ、彼はいかなる振付であれ、たとえダレルの振付でさえも(注:このじいさんは、振付家としてのダレルをさほど評価していないため)、ただそれを踊るだけで、なにか違った、新鮮なものに見せてしまうという、稀な才能を有している。ダンス界のマシュー・ボーンたちが、彼を必要とするのも当然だ。クーパーは、ダレルは創造的な振付家である、ということを、私にほとんど納得させてしまった。」

クーパーの踊る「ホフマン物語」、観てみたいですね。オペラの方も、かなり演技力が必要な役柄だと思うので、言葉に一切頼らないバレエとなると、よりいっそう見ごたえがあっただろうなあ・・・。つくづく思うのは、この人がやったらさぞ面白いだろう、見ごたえがあるだろう、と思わせるようなダンサーは、非常にまれじゃないだろうか、ということです。パフォーマーとして信頼できるというか、ほとんど確信できるといってもいいだろう。こちらの期待を絶対に裏切らないだろう、とね。

この「ホフマン物語」への出演は、彼にとって、その後のキャリアの重要なきっかけになった、と私は思う。いったんはバレエから離れた彼は、これを契機に、再びバレエの仕事に多く取り組むようになる。

(2002年12月14日)

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