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BIOGRAPHY

11. マシュー・ボーン「シンデレラ」

AMP「白鳥の湖」ウエスト・エンド公演最中の96年末から、マシュー・ボーンと彼のスタッフたちは、今度は新版「シンデレラ」の製作にとりかかっていた。この「シンデレラ」も、「白鳥の湖」と同様、クラシック・バレエの作品として、すでにいくつかのバージョンが存在していた。音楽はプロコフィエフ。

・・・実は、私、「シンデレラ」の全曲を聴いたことがない。フレデリック・アシュトン版「シンデレラ」も観たことないです。すんません。パリ・オペラ座バレエ団の「シンデレラ」映像版は持ってるんだけど、途中で観るのをやめてしまって、まだ全部観ていない。「虚飾に彩られたハリウッド映画界に物語の舞台を移しかえた、大胆かつ異色の新演出!!」っていうのは、おばさん、どうも恥ずかしくてね・・・。このまえNHK教育で、どっかの野外音楽祭で上演された「ラ・ボエーム」を放映していたが、あれも相当恥ずかしかったです。ダサい「ザ・カー・マン」みたいだった。どうせ「ラ・ボエーム」を新演出するなら、アキ・カウリスマキ監督(「ラヴィ・ド・ボエーム」)を見習ってください。

でもよく考えると、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」なんかは、19世紀末のヨーロッパ風演出どころか、近未来SFチックな演出になってても、そう不自然には感じないなあ・・・。今はそうでも、数十年前にバイロイト音楽祭で、初めて現代風演出の「指輪」が上演された際には、激怒した観客たちが暴動を起こしそうになったという(←世の中ヒマな人たちはいるものです)。となると、ハリウッドの虚栄を鋭く活写した「シンデレラ」だって、1950年代のパリに集まった若き芸術家たちの青春と挫折とを描いた「ラ・ボエーム」だって、恥ずかしいと思ってはいけないのかもしれない。

ボーンは「シンデレラ」の舞台を、第二次世界大戦さなかの1940年代初頭、ドイツ軍による連日の空襲にさらされていたロンドンに設定した。そして伝統版での王子を、戦争神経症にかかった「パイロット」、妖精のおばさんを男性の「天使」とし、更にシンデレラの意地悪な二人の異母姉の他にも、異母の男兄弟たちを登場させた。

空襲で混乱するロンドンで、アル中の継母にいじめられる上に、地味でダサくてサエない少女のシンデレラは、偶然にケガを負ったパイロットと出会う。二人はロクに言葉も交わさないままに一瞬で別れるが、彼女は自分の不幸な境遇と空襲の不安の中で、妄想の世界に逃避する。そこではパイロットは彼女の理想的な恋人で、非常に勇敢で強靱な男性である。白髪にグレーのスーツという扮装の天使は、そんなシンデレラにそっと寄り添い、ことある毎に彼女を助ける。パイロットも彼女のことが気になり、彼女の所在を懸命に探り当てようとするが、二人は現実生活ではなかなか再会できない。しかし、最後に二人は偶然に同じ病院に担ぎ込まれ、ようやく再会を果たすが、現実のパイロットは、マジメでおとなしくて気の弱い男性だった。そしてシンデレラとパイロットは、幸せそうに一緒に列車に乗り込んで去っていく。それを見送った天使は、駅にひとりぼっちで佇む別の少女の肩に、いたわるようにそっと手をおく、んだそうな。

ボーンが言うには、お姫さまや王子といった特別な人間が、不思議な魔法で永遠に幸福になる、というあらすじでなく、どこにでもいる普通の人々が、ささやかな幸福を得て、そしてその幸福は誰もが手にし得る、という物語にしたかったのだそうな。

晴れてプーになった、じゃない、フリーランス・ダンサーになったアダム・クーパーは、ボーン版「シンデレラ」には、パイロットと天使の二役で出演することになった。ボーンは、クーパーを、このプロジェクトの最初の段階、それこそ第一回目の打ち合わせから参加させていた。その場にいたのは、もちろんボーン、スコット・アンブラー、レズ・ブラザーストン、そしてクーパーであった。

ボーンは説明する。「最初、レズはアダムに参加させるのはおかしいと感じていたようだ。レズはアダムのことを、あくまでダンサーの一人とみなしていたから。でも、僕にはアダムを参加させたい、いくつかの理由があった。一つには、アダムは『白鳥の湖』に、いくつかのとてもすばらしいアイディアをさりげなく盛り込んで、それらのアイディアは、作品化の最終的な局面において、非常に重要な役割を担ったこと。二つには、彼はそうした創作の作業を、本当に楽しそうにやっていたこと、三つには、当時、彼はロイヤル・バレエを退団するかどうかについて、結論を出そうとしていた。それで僕はこう考えた。それが彼に、彼がうち込むことのできるような何かを与えるのだから、こうした仕事に加わることは、ロイヤル・バレエの外の世界に、かれが楽しくやっていけるような、なんらかの人生の形があるかどうかということを、彼が見い出す一助になるかもしれない、と。」

「時に僕がスコット、レズ、アダムの3人に与えたのは、実際のところ、アイディアではなく問題だった。『この部分の音楽は、どう処理すべきだろう?』と。もう一度いうけど、こうした方面で、アダムは本当に助けになってくれた。スコットやレズが、こうした方面で、アダムと同じくらいに助けになってくれるためには、彼らはその前にまず音楽を知る必要があった。それに比べて、アダムに僕が頭を悩ませていることを、完全に理解してもらうには、僕はただ彼にこう尋ねさえすればよかった。『四季の音楽は、どうすればいいだろう?』と。(『シンデレラ』には)アシュトンの振付した版があったから、アダムはプロコフィエフの『シンデレラ』をすでに熟知していた。

たとえば『四季』の場合を例にとると、彼は即座に『四季』がソロ・ダンサーのために作曲された、4つのヴァリエーションで構成される組曲だということや、それぞれの音楽の全体像を思い浮かべることができた。僕たちは、『シンデレラ』に4人の妖精たちのディヴェルティスマンを採用するつもりはなかったし、でも同時に、本質的に筋のないあの音楽を通じて、物語を進行させようとしていたから、彼にはこうしたすべての独特な問題を理解することができた。即座に、彼はそれぞれの音楽のテンポや性格について、僕と議論することができたし、アイディアを考えだしたり、あるいは更なる問題点を挙げることもできた。」

舌を噛みそうな「ディヴェルティスマン」とは、ほら、「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」、「眠れる森の美女」なんかに出てくる、ナポリだのマズルカだのスペインだのハンガリーだの中国だの赤ずきんだの青い鳥だのロシアだのネコだのイヌだのが順番に出てきて踊る、ああいう踊りのことだそうです。マシュー・ボーンは、古典バレエにはよくみられる、ストーリーには関係のない、しかししつこく繰り返されるこのテの踊りが苦手で、「はしょれよ」と常々思っていたそうだ。まあ確かに赤ずきんちゃんやネコはね、困ったもんだ(笑)。

この「シンデレラ」の主役は、もちろん女性ダンサーであった。ボーンは、その第一キャストのシンデレラとして、なんとサラ・ウィルドーに出演依頼する。ウィルドーはこの当時、ロイヤル・バレエのソリストであった。

サラ・ウィルドーが出演することになったのは、どうせクーパー君が推薦したんでしょ〜、と思うでしょ?私もそう思っていたけど、ボーンが言うには、彼女をシンデレラに、というのは、かなり早い段階で決めていたのだそうです。

「僕は、ロイヤル・バレエの多くの作品で観ていた彼女の踊りが、とても好きだった。彼女は端役であろうと、その踊りへの独特なアプローチで抜きんでており、僕は彼女を優れたダンサーだといつも感じていた。それに一連の作品で主役を踊る彼女も観ていて、たとえばマクミランの『マノン』では、彼女が性的な雰囲気を自在に醸し出すのを目の当たりにして感心したし、『招待(The Invitation)』では、彼女はアダムと息の合った踊りを見せていた。それに僕は、彼女がアシュトン作品の役で見せる踊りの質が好きだった。『真夏の夜の夢』のティターニアとか、『ラプソディ』のバレリーナとか。彼女に会ってみて、僕は彼女が、人々がとかく思いこみがちな、バレリーナのタイプではないと感じた。彼女はサウスエンド(エセックス州を指す)の出身で、実に簡潔明瞭で堅実な話し方をした。こういったことで、僕は彼女に強い印象を持った。」

ボーンは、今回もロイヤル・バレエの許可を求めるべく、当時の芸術監督であったアンソニー・ダウエルの許を訪れた。以前にクーパーのレンタルを依頼したときとは違い、ボーンやAMPはすでに大きな存在になっていた。ボーンによれば、ウィルドーの客演話を切り出されたダウエルは、「ちょっと不愉快な様子だった」という。でも、ダウエルは今回も許可した。「ダンサーの現役期間は短いのだし、色々なことに挑戦する機会を持たせてやりたい」というのが理由である。

「シンデレラ」には、ウィルドーの他にも、ロイヤル・バレエの往年の名バレリーナであるリン・シーモアが、意地悪な(というより精神に問題のある)継母役で参加した。御年57歳にしての、華々しい舞台への返り咲きである。第一キャストについていうなら、主役の4人、シンデレラ、パイロット、天使、継母が、ぜんぶバレエ・ダンサーか、バレエの訓練を専門に受けたダンサーで占められる、という、ボーンとAMPとにとって、かつてない事態になった。こうした状況は、ボーンやAMPにとって、いいことと悪いことの両面の結果をもたらしたし、その後のボーン(と彼の新しいカンパニーである"New Adventures")の方向性を決定する要素になったことは疑いない。

「シンデレラ」のパイロット役は、クーパー君にとっては、それまで彼が取り組むことが多かったタイプの役柄とは、かなり傾向が違っていた。ボーンは、パイロットを「王子くささ」の微塵もないキャラクターとした。ボーンは言う。「男らしくて英雄的な役を多く演じてきたアダムに、まるでメガネをかけた会計係みたいな役を演じさせるのは、すごく面白かった。」

しかも、クーパー君には「白鳥の湖」のおかげで、マッチョでセクシーで女たらし、というイメージが定着していた。彼は「シンデレラ」初演前のインタビューでこう話している。「『白鳥の湖』第三幕が、すべてのそうした『胸を焦がさんばかりな』思い込みの始まりだった。僕がレザーの衣装を着て登場したときに。それが今や人々が僕に期待していることだ。」

「みんなはその手の様子を観たがっているだろうけど、でも女の子たちはあぜんとすることになるだろう。これが、『シンデレラ』が僕に本当に合っている理由だ。パフォーマーとしての僕の、別の一面を見せてくれるから。実際、僕がいつも楽しんでやっているのは、ちょっと変わった役柄だし、いささか荒っぽいキャラクターだ。僕は、その辺にいそうないいヤツで、女の子とたわいもない恋に落ちる、なんて役を演じたくはない。」

しかし、彼が『シンデレラ』で演じるのは、彼が好きではないという「その辺にいそうな」人間であった。「パイロットは変わっている男だ。観客は第三幕になるまで本当の彼を目にすることはない。第一幕以降、観客が見ているのは、シンデレラが妄想の中で思い描いた彼だ。舞踏会の場面でのパイロットは、シンデレラが彼はこうだと理想化したもので、負傷もしていない、これ以上にないほど英雄的な人物だ。でも現実の彼は全然そうじゃない。彼は気が弱くて臆病なタイプの男で、たくましくなんかない。人々が期待しているような男性じゃない。」

意外と似合ってるんじゃないのかな〜。だってね、たぶん地はかなり近いと思うよ(笑)。だってあなた、楽屋口から出てくるときは、完全にその辺にいる兄ちゃんじゃないですか。素でやればそのままハマるよ。

1997年9月26日、マシュー・ボーンによる新版「シンデレラ」は、なんとピカデリー劇場で初演された。前作の「白鳥の湖」が、サドラーズ・ウェルズ劇場での試演と、イギリス各地での公演とを重ねた末に、ピカデリー劇場、つまりこのウエスト・エンドへの進出を果たしたのとは大きな違いである。

この初演時の風景というか、雰囲気がどんなものだったかは、前記の番組で窺うことができる。公演に訪れた人々の多くが、男性はタキシード、女性はキラキラしたアクセサリーにドレス、という正装で、かなり華やかな雰囲気である。今年(2002)の春に行われた、AMP「ザ・カー・マン」東京公演の初日を観た方は、一階席の前半分を占めていたのがどんな人々だったか、思い出してみて下さい。さすがにタキシードとかイブニング・ドレス姿の人はいなかったけれど、雰囲気的にはよく似ている。

クーパーとウィルドーが、ロイヤル・バレエで共演したのは、僅か一回だけだった。前にも書いたと思うが、ケネス・マクミランの「招待」という作品である。二人にとって「シンデレラ」は全幕作品での、しかも長期にわたる、初めての共演であった。

二人は共演を楽しんだだろうが、しかし二人ともに生真面目な性格が災いしてか、途中ちょっと険悪な雰囲気にもなった。ウィルドーは言う。「(実生活の恋人同士が)共演すると、相手を批評することに、いささか遠慮がなくなってしまう、ということなの。私は自分が威張りちらす人間だとは言わないけど、・・・まあ、ちょっとはそうかも。でも、私は言いたいことは我慢しないたちで、『シンデレラ』で共演していた間、彼は本当によく耐えたものだわ。ある日、彼が私に、私が母そっくりになってきた、と言うまでは。それで私はもう黙った方がいい、と思ったの。」

前年に行われたAMP「白鳥の湖」ピカデリー劇場公演は、最初は9月から11月までの公演予定だったのが、チケットの売れ行きが好調だったため、翌年の1月まで延長された。これに対し、「シンデレラ」は、最初から翌年1月まで公演が行われることが決まっていた。そして、当初の予定どおり、「シンデレラ」は翌1998年の1月をもって、ピカデリー劇場での公演を終了する。

ところが、「シンデレラ」は、作品的にも興行的にも、決して満足のゆくものとはいえなかったらしい。ある新聞がいうには、「前作である『白鳥の湖』の比類なき大成功に続こうとしたものの、『シンデレラ』は、観客たちの高い期待を、充分には満たすことができなかった。それはある部分は、ボーンがインフルエンザでダウンしてしまい、決定的な10日間の準備をキャンセルせざるを得なかったから、かもしれない。」

もちろん、10日やそこらのブランクで、その作品の出来不出来が左右されてしまった、などということをマジメに言いたいのではなく、全体として準備不足の感がある、と言いたいのだろう。物語にも説明不足なところがあったらしく、たとえば最後に継母はシンデレラを殺そうとするらしいのだが、ある新聞によれば、なぜ殺そうとまでしなければならないのか、劇中で説明されていないという。でも、ほぼ4ヶ月にわたる公演を行なうことができたのなら、御の字じゃないのだろうか?それとも、公演を一応したことはしたけど、空席が目立つような状況になっていたんだろうか?AMP「シンデレラ」の映像版がいまだ販売されていない理由も、このあたりを反映しているのかもしれない。

ウィルドーが言うには、「完全なものにする充分な時間がなかったために、『シンデレラ』には、まに合わせ的なつぎはぎがあった。だから、観客の反応がいささか残念なものだったことに、私は驚かなかった。修正を必要とする物語の筋や、その動機をよりはっきりさせなければならないキャラクターが残されていると思う。遠からず、『シンデレラ』は、再度の鑑賞に値するものに生まれ変わるでしょう。」

で、この97-98公演での「シンデレラ」には、後に大幅な変更と修正とが施された。99年に行われたロスアンジェルス公演の「シンデレラ」は、ウエスト・エンド版とは、かなり違っているそうである。

(2002年12月6日)

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