Club Pelican

Video,DVD

注:ビデオの題名後に赤でPALと表記してあるのは、PAL方式によるビデオテープです。日本で一般に流通しているビデオデッキ(NTSC方式)では再生できないです。同じものを購入する際には、気をつけてちょ。

「三人姉妹」(ワーナーヴィジョン・ジャパン、WPVS-90029)  ビデオ

92年、おそらくはテレビ番組用にスタジオで収録されたもの。原作はチェーホフの戯曲「三人姉妹」だが、バレエ版は"WINTER DREAMS"という題名になっている。アダム・クーパーが映像に登場するのは、おそらくはこれが最初だろう。このとき彼はまだ20歳か21歳だったはずである。

クーパー君昇進のきっかけは、当時ロイヤル・バレエに移籍したシルヴィ・ギエムに、クーパー本人もワケ分かんないウチに、パートナーに指名されたことである。しかし、そもそもクーパーがロイヤル・バレエに入団できたのは、ローザンヌ・コンクールの様子を見たケネス・マクミランが、クーパーに目を付けてくれたおかげなのだそうな。マクミランが急死しなかったら、クーパーの人生も、今とは大分違ったものになっていたかもしれない。

クーパーの役は、物語の舞台プローゾロフ家に出入りする砲兵隊二等大尉、ソリョーヌイである。プローゾロフ家の末娘イリーナ(ヴィヴィアナ・デュランテ)を同僚のトゥーゼンバッハ(スティーヴン・ウィクス)ととりあい、最後にはイリーナにフラれて逆ギレし、見事イリーナのハートを射止めたトゥーゼンバッハと決闘して彼を射殺するという、どっかでみたような役である。

作品自体は1時間くらいで終わるし、脇役とはいえ、クーパー君はさりげなく画面の隅に映っていたりするので、油断してはなりません。今回ばかりは早送りしたりして、「勝手にハイライト版」にしないようにしましょう(自省)。アップも多いです(なんか笑っちゃうんだよな)。イリーナ、トゥーゼンバッハとのパ・ド・トロワ、トゥーゼンバッハとのデュエット、イリーナとのデュエットなどでは、まだいくぶん体つきの細くてきゃしゃな、ピチピチで初々しいクーパー君の踊りを堪能することができる。でも、私が一番好きなのは、トゥーゼンバッハがイリーナのために切ってやってるリンゴを、突然横取りしてかしっと食べちゃうとこなんだもーん。

衣装も嬉しい軍服姿で、濃いブルーの布地に金ボタン、金の縁取りの肩章が付いている。でもそーとー濃ゆい口ヒゲ&アゴヒゲ付きなんだけどね。トゥーゼンバッハの知的で穏和なキャラクターと対称させるために、粗野で乱暴な感じを強調したのでしょう。実際、ソリョーヌイは、強引で激しやすい性格らしく、最後にイリーナを無理矢理抱きすくめてキスをしようとし、彼女に平手打ちを喰らってフラれるんである。でもちっちゃくてかわいいデュランテは、クーパーのちょうどアゴヒゲの辺りを軽くはたいているだけ。どうせならこの前のイワン・プトロフみたいに、劇場全体にビンタの音が響き渡るくらいにやらんかい。

このバレエの「三人姉妹」と原作の戯曲とは、全然別の作品になっている。バレエの方は、原作(私が読んだ日本語翻訳版:湯浅芳子訳「三人姉妹」、岩波文庫)のストーリーから、いくつかの要素を抜き出し、それらをクローズアップして継ぎ合わせている。三人の姉妹愛だとか、マーシャ(ダーシー・バッセル)とヴェルシーニン(イレク・ムハメドフ)の恋だとか、イリーナをめぐるトゥーゼンバッハとソリョーヌイの争いなど。

更にそれに、原作では(私にとっては)曖昧だった登場人物の性格や心理、たとえばマーシャの夫クルイギン(アンソニー・ダウエル)の戸惑いや苦悩が、物語の重要な要素として付け加えられている。あと、長姉のオリガ(ニコラ・トラナー)が、クルイギンに好意を寄せているという設定になっていて、クルイギンが悩んでいると、絶対にオリガがそれをそっと見つめている。クルイギン悩むところにオリガあり。「太陽にほえろ!」という超昔の刑事ドラマに、どんな場面でも「話は聞いた」というセリフとともに現れる山さん(露口茂)という刑事がいたが、それと似ていなくもない(または星飛雄馬の姉の明子。飛雄馬が親父の一徹にシゴかれていると、それを必ず木陰から泣いて見つめている。とめろよ)。

一方では、原作から受ける登場人物のイメージとはかなり違っているところもある。たとえば、原作のマーシャはかなり気性が激しく、自分の感情や考えをはっきりと表に出す人物である。またヴェルシーニンは、バレエほどに押しの強い性格ではないし、とても複雑な家庭事情を背負っている。チェブトゥイキンも、単なる酒好きな好々爺キャラではなく、陰鬱な側面を持ち、アンフィーサも、姉妹を暖かく見守るといった都合のいいばあやではない。最後では、かわいそうでマジに涙が出そうになるくらいである。ナターシャも、別にとび抜けて意地悪い、ずる賢い人間というわけではなく、ただ普通に強い女なだけだ。

ソリョーヌイはやたらと虚勢を張ってウソをついたり、雰囲気をわきまえず粗野で場違いな言動をしては、周囲の人々を白けさせる嫌われ者である。イリーナもソリョーヌイを最初から嫌っており、別にトゥーゼンバッハとの間で思い悩みなどしていない。が、物語の半ばくらいから、誰よりもソリョーヌイ自身が、そうした自分の異常さに苦しんでいることや、更にはそうした彼の苦しみを、ただ一人理解しているのが、よりにもよってトゥーゼンバッハであることが、徐々に明らかになってくる。それぞれに複雑で暗い事情を背負った人々が登場し、結局は誰も救われないんだけど、でもそれでも、とにかく日々は過ぎていく。バレエもとても美しく見応えがあるけれど、原作もすごく面白く、ぜひ演劇の形でも観てみたい作品である。

今年(2002年)の3月に、スター・ダンサーズ・バレエ団が「マクミラン・カレイドスコープ」という公演を行なった。クーパーは奥さんのサラ・ウィルドーとともにゲスト出演し、この「三人姉妹」の最後のシーン、マーシャとヴェルシーニンの別れのデュエットも踊った。その公演は、私が踊る生クーパー君を目にした、初めての経験だったので、このビデオを見ると、今でもちびっと感慨深い。

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「ダーシー・バッセル 〜Back Stage」(TDKコア、BAL-19)  ビデオ

収録年が分からない。クーパーがまだロイヤル・バレエに所属している時らしいので、少なくとも97年3月以前のはずである。いわゆる「バックステージもの」は多いが、それでもやはり踊りが要所要所をしめているものである。が、これは本当にバックステージだけだった。リハーサル風景も、場面が短い時間でくるくる切り替わったり、ダンサーの上半身とかつま先とかを、やたらとどアップで撮影しているため、動きがよく分からず、あんまり見応えがない。もっと踊るとこを見せてよ〜。シルヴィ・ギエムのドキュメンタリーでも見習ってほしい。

そうそう、クーパー君が出てくるのは、一番最後で、出演時間はせいぜい3,4分てとこだろう。ウィリアム・フォーサイス振付の「ヘルマン・シュメルマン」を稽古場らしいところで踊っている。ただし、練習着ではなく、ちゃんとした衣装を着ている。前半は黒いヘアバンド、黒いTシャツ、黒いズボン、黒いシューズという黒づくし。足の長さがひき立ってすごくかっこいい。立ったときに足ががっと外股になる男っていいよねえ。で、後半の衣装は、そう、例のあの黄色いミニスカートですよ。なんで男の方だけまっぱ(厳密にはそうじゃないが)にミニスカートなの?分かりません。でもこの踊り面白いっすよ。音楽もクールだ。全部見たいですね。


「白鳥の湖」

(ワーナーヴィジョン・ジャパン、ビデオ:WPVS-4108、DVD:WPBS-90051)

ご存じアダム・クーパー大ブレイク作。収録映像は1996年冬にロンドンのウェストエンドで行われた公演時のもの。日本では97年3月にビデオの方がまず発売されている。ビデオに同封されている解説はDVDとは全然異なる。

私のDVDプレーヤーが安物のせいかもしれないけど、なんかDVDの方、音が小さくない?すごく音量上げないと聞こえないんだけど、音量上げると機械音が入ってきちゃって、ちびっと耳ざわりである。

ただ、DVDには客席の音も入っていて、ロンドンの観客が、どういう場面でどういう反応をしたのかがよく分かって面白い。いちばん面白いのは、第二幕、王子(スコット・アンブラー)と白鳥(アダム・クーパー)とのデュエットが始まったとたん、複数人の咳払いやしわぶきの声が、一斉に聞こえてくるところ。まあこれは、たまたま偶然に、彼らの喉の具合が一斉におかしくなっただけかもしれない。あの「白鳥たちの踊り」の音楽には、気管を刺激する何らかの要素があるのかしら?

ビデオの方は、画質はやっぱり落ちるけど、音はよく聞こえる。DVDの方も音をステレオにすれば聞こえるんだけど、ビデオの方では舞台上の音がホントにはっきり聞こえる。ダンサーの衣ずれの音とか、クーパーがジャンプして着地する音とか、身につけているレザーがきしむ音とかまで聞こえて、すごく臨場感があります。でも編集の時点で加えたらしい効果音には、ちょっと不自然なものがある。特に第三幕、王宮でのパーティーの場面に挿入されている、「客たちが談笑する声」は明らかに同じものを何度も使い回ししている。

ところで、なんでビデオまで持ってるのかというと、姉に送ってクーパー君を普及促進しようとしたものの惜しくなり、そのままとっておいてるのです。てへ。

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"Opening Celebration 1st DECEMBER 1999"

(BBC、BBCV-6986) ビデオ PAL

ロイヤル・オペラ・ハウスの改築記念セレモニー。およそ二時間半の番組で、前半がオペラ、後半がバレエのガラ・コンサート。間に新しいロイヤル・オペラ・ハウスの紹介を折り込む。以前にNHKの衛星かなんかで放映されたとどっかで読んだ気がする。

バレエのガラ・コンサートでは、ロイヤル・バレエのダンサーが総出演で、更に数名のゲストも参加している。アンヘル・コレーラ、ヴィヴィアナ・デュランテ、アダム・クーパー、イレク・ムハメドフなど。シルヴィ・ギエムは出演していない。

クーパー君は、デボラ・ブルと一緒にSTEPTEXTのパ・ド・ドゥを踊っているが、出演時間はわずか2、3分に過ぎない。でもこのビデオは値段安いし(9.99ポンド)、ロイヤルのスターがほぼ総出演しているので、お買い得な一本である。

STEPTEXTは、振付がウィリアム・フォーサイス、音楽はバッハ(無伴奏バイオリンのためのパルティータ第2番より「シャコンヌ」)。う〜む、どんな踊りだと説明すればいいのか・・・。跳んだりはねたり、派手な動きは一切ありません。とにかく複雑です。「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」のパ・ド・ドゥを、もう少し静かで、しかしより激しく複雑にしたような、とでもいえばいいのかなあ?

デボラ・ブルは赤いレオタード、クーパー君は上がグレーと黒の細い横縞の袖無しシャツ、下は光沢のあるグレーのタイツに同色のシューズ、という衣装である。まあ別にヘンだとまでは言わないけど、「ヘルマン・シュメルマン」のあの黄色くて裾に黒いラインの入った、プリーツのミニスカートといい、フォーサイスというのは、衣装に関して一体どういうポリシーを持っている人なのでしょう。

クーパー君はすごい複雑なリフトとサポートをこなしているが、初めの部分で、デボラ・ブルの背を支えようとした手がずるっとすべっていて、一瞬こちらをヒヤリとさせる。が、デボラ・ブルもクーパー君も顔色一つ変えない。さすがはプロです。

このガラ・コンサートは、一演目が大体2,3分で終わり、いちばん短いのは多分1分もない。しかもぱっぱと次の演目に移ってしまうので、客が満足に拍手する時間がない。でもSTEPTEXTが終わると、客席からブラボー・コールがとんだ。一度くらいのミスはあんまり影響しないらしい。

他には、サラ・ウィルドーがブルース・サンソムと一緒に、A MONTH IN THE COUNTRYのCherriesを踊っている。物語のあらすじはさっぱりですが、サクランボの入ったザルを抱えた少女(ウィルドー)が、恋人らしい若者(サンソム)にじゃれつき、サクランボをその口に放り込む、という場面です。ウィルドーの衣装は、ハイネックで袖のふくらんだ白いブラウス、淡い黄色と緑色のギャザースカート、髪は後ろで束ねて一本の三つ編みにし、長く垂らしている。かわいい。

また、今年3月に東京でスター・ダンサーズ・バレエ団が、「マクミラン・カレイドスコープ」で上演した「エリート・シンコペーション(ELITE SYNCOPATIONS)」のCascadesを、ニコラ・トラナー、ジェーン・バーン、クリスティナ・マクダーモットが踊っている(パッケージにはこう書いてあるが、映像のテロップでは後の二人がベリンダ・ハトレー、ジリアン・レヴィになっている。どっちが正しいのか分からない。すみません)。本当にあの宇宙人衣装を着ている・・・。

しかし、どうにも許せん演目がある。一つは、"STILL LIFE"AT THE PENGUIN CAFEとかいう踊り。ダンサーはシマウマの扮装をしている。「キャッツ」か「ライオン・キング」かと思ったぜ。これはシマウマが出てきた瞬間、即早送り。大体、このわざとらしい、いかにもアフリカな音楽はなんだ。高校の吹奏楽部の定期演奏会とかでやりそうな音楽だ。

最も許せないのは、こともあろうに、私の(二番目に)愛するアンヘル・コレーラ君に、全身を金粉で塗りたくらせ、超奇妙極まりない悪趣味な踊りを踊らせていることだ。ナイナイの岡村が昔やってたコント「金粉男」を彷彿とさせる。「ラ・バヤデール」のBronze Idolだそうな。英語で書かれるとなんかかっこいいが、直訳すれば「銅像」だ。ハナ肇だ。背景には仏像のイメージが映し出されることから、早い話がこれは仏像踊りなのである。その振付ときたら、まるで「かに道楽」のカニの動きそっくりだ。ここも最初の10秒で早送りにしたので、全部は見てない。永遠に見ないだろう。

で、このガラ・コンサートのなかで、一番かっこいいのは、実は吉田都だったりする。

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「リトル・ダンサー("BILLY ELLIOT")」

(日本ヘラルド、アミューズピクチャーズ、DVD:ASBY-5122)

2000年、イギリス映画。原題は"BILLY ELLIOT" 。マシュー・ボーンの「白鳥の湖」の次に(いや、それ以上かも)、アダム・クーパーの名を巷間に知らしめる結果になった作品。とはいえ、クーパー君の出演は、映画のいちばん最後、ちびっとだけである。時間にしたってほんの2、3分じゃないのかな。成人してプロのダンサーとなった主人公のビリーが、ボーン版の「白鳥」を踊るために舞台に飛び出していく、というシーン。ボーンの「白鳥の湖」映像版にはない大ジャンプと、あと片足を上げながら勢いをつけてぐるぐる回転する動き(こんな表現はないよな)を披露する。

映画のあらすじはねえ・・・省略してもいいよね。レンタルビデオ店はもちろん、CD・DVD屋さんには大体あるはずだ。うちの近くのレンタルビデオ店にも、字幕版、日本語吹替版、DVDが、あわせて10本くらいは常時置いてある。でもいまだにいつも全部がレンタル中。

「リトル・ダンサー」という邦題についてだけど、「リトル・○○○」という邦題の洋画は実に多い。「リトル・ニッキー」、「リトル・ヴォイス」、「リトル・マーメイド」、「リトル・ストライカー」、「リトル・チュン」、「リトルフットと歌おう」(←誰だよそれ)、「リトル・セックス」(←どぱーっ)、「リトル・ヒーロー」、「リトル・プリンセス」、「リトル・ヴァンパイア」、「リトルパンダの冒険」(←はあ?)、「リトル・ビッグ・フィールド」(←いったいどっちなんだ)、「リトル・オデッサ」、「リトル・フェアリー」、「リトル・ブッダ」(←巨匠になればなるほどヘンな作品を作るようになる典型例)、「リトル・モンスター」(←なんかカワイイ)、「リトル・ニキータ」(←ガキの暗殺者かよ)、「リトル・ロマンス」、果ては「リトル・トーキョー殺人事件」などなど。正直言ってちょっと紛らわしい時もある。

「リトル・ダンサー」を観ていていちばん切ないのは、この映画に登場する大人たちが全員、自分の人生に絶望していることだ。ビリーの父親も兄も、今まで自分たちを支えて守ってきてくれたもの、崩壊するなど考えられなかった彼らの世界が、じきに壊れてしまうであろうことを漠然と予期していて、文字どおり足元を崩されるような恐怖を感じている。父親は妻を失なった悲しみと失業の不安とに苛立ち、兄は過激な組合活動に強迫的にのめり込む。彼らは自分のことだけで精一杯で、自分の幼い子どもや弟の気持ちを思いやる余裕が持てない。

最もビリーの夢や希望を尊重しているかのようにみえる、ウィルキンソン先生でさえそうだ。彼女は自分の結婚、生活、自分の人生そのものに失望している。そんな彼女がビリーに出会う。彼女は「ビリーの才能を見出し、それを伸ばそうとする」。が、実は彼女は、失敗したと感じている彼女自身の人生を、ビリーを通じてやり直そうとするのである。ウィルキンソン先生を演じたジュリー・ウォルターズが言っているとおりだ。

ビリーはまだ子どもである。彼は自分の感情をまだはっきりと認識できない。そして彼の生育環境は、豊富な語彙や複雑な表現を駆使した言葉で、自分の意志や感情を表現することを習慣として持っていない。しかしビリーは、大人たちがよってたかって、各人各様のエゴを自分に押しつけようとしていることが分かっていて、それにブチ切れそうになっている。

実際、彼には救いになるものが何もない。生活は苦しい。父と兄はいつもヒステリックで、ビリーにまともに取りあうどころか、横暴といってもいい態度で応ずる。ストライキの激化に伴い、父と兄の仲も険悪なものとなり、ついにある夜中、二人は罵り合いをした挙げ句に父が兄を殴り倒す(子どもにとってこれはすごいストレスに、というよりトラウマになるだろう)。それに祖母はボケていて、孫の顔もはっきりと見分けられない(映画ではあまり触れられてはいないが、この祖母にも何らかの背景があるようだ)。そして母親はもういない。

彼には守ってくれる人、救いを感じられる人が誰もいない。彼は積もり積もった自分の怒りを、唯一信頼できる相手、怒りをぶつけても安全そうな相手、ウィルキンソン先生に爆発させる。

「あんたに何が分かる!きれいな家で、寝小便をたれる旦那と一緒に暮らしてるあんたに!あんたもみんなと同じだ!僕に話すことといえば、何々をしろ、っていうことだけだ!アホらしいオーディションなんて受けるものか!あんたはただ自分の利益のために、僕にそれをやらせたいだけだ!自分が失敗した人間だから!立派なバレエ学校を持てていないから!あんなしみったれたボクシング・ジムでくさくさしているから!てめえの人生に失敗したからって、僕に八つ当たりするな!」 図星をさされたウィルキンソン先生は、思わずビリーを殴る。でも、先生にはビリーの辛い気持ちが痛いほど分かっている。彼女は自分の肩にもたれて泣くビリーを抱きしめる。

が、ビリーはバレエに出会った。崇高な身体芸術であるバレエに、またはダンスというすばらしい身体表現に出会えたから幸運なのではない。自分の怒りや恨みや悲しみを、健全な形で表現し、発散する方法に出会えたから幸運なのである。彼の父親や兄は、自分のマイナスな感情を、表現するどころか、自覚することさえ許されない環境の中で大人になった。妻を失った悲しみ、母を失った悲しみ、仕事を失うかもしれない恐怖、自分の将来へのはかりしれない不安、自分の人生への絶望。そうした怒りを感じたり認めたりすることは、彼らは「男らしくない」とみなしている。

しかし実際のところ、彼らはそうしたマイナスな感情に、確かに追いつめられている。そこで彼らは、自分の老いた母親、小さい子ども、小さい弟に罵声を浴びせたり、殴ったり、締め上げたり、小突いたり、辛い記憶を呼び覚ますもの、妻の遺品であるピアノをたたき壊したり、ストライキに同調しない同僚が乗るバスを取り囲んで破壊しようとしたり、卵やトマトを投げつけたり、「裏切り者」と罵ったり、警官隊に反抗したり、または自分自身を酒に溺れさせることで、自分の怒りを発散し、辛い感情から逃れようとする。

ビリーも最初は、父や兄と同じように、乱暴な言葉を使い、地団駄を踏み、ドアや壁を蹴っ飛ばすことくらいしかできない。しかし、バレエを習うに従って、彼の地団駄、振りまわす拳、ドアや壁を蹴っ飛ばす足の動きは、徐々にリズミカルなものとなっていく。そしてクリスマスの夜、ビリーは父親の前で、ついになんの罵りの言葉も暴力もなしに、身体の動きだけで、つまり踊ることだけによって、実に雄弁に自分の感情を表現し、父親に自分の気持ちを完璧に理解させてしまう。

ビリーの父親も兄も、今までの、現在の自分たちのやり方に救いがないことは分かっている。でも、彼らにはそうする以外に方法がなかったのだ。ビリーの父親は、そうした報われない悪循環から、ビリーを逃がしてやることを決意する。彼は自分が今までそれに頼って生きてきた価値観の中で、最も恥ずべき行為(スト破り)までやって、ビリーの進学資金を稼ごうとする。

それを止めようとするビリーの兄に、父親は泣きながら言う。「ビリーのためだ。あいつの才能を伸ばしてやるんだ。あいつにチャンスを与えてやるんだ。俺たちはもう終わりだ。俺たちにどんな未来がある?」兄は返す言葉もなく父親を見つめる。彼にもそれはよく分かっている。

この映画は、よくよく考えると割と深刻な内容だ。結末も暗い(ビリー以外の人々の人生は、結局のところ何も変わらない)。でも、これが「イギリス的」というのか、救いのない現実を、皮肉っぽい、かつ温かいユーモアで包んであるため、その悲惨さがそんなに肌身に迫ってはこず、時に本気で大笑いさえしてしまう。ひょっとしたら、悲惨な現実をユーモアで包み、それを突き放して笑いとばしてやるのが、「イギリス的」ということなのかもしれない。私はこういうのがとても好きである。

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「アルゴノーツ 伝説の冒険者たち 完全版」(日活)DVD

by 浅葱

2000年、アメリカTV映画(ただし撮影はトルコロケとロンドンのスタジオだそうです)。原題は"Jason and the Argonauts"。VHSも出ていますが、DVDだと3時間、VHSだと2時間なのでクーパー君の出番はカットされているかもしれません(未確認)。以下の記述はDVD版に基づいています。

ストーリーは有名なギリシア神話のアルゴー船冒険物語によるもの。登場する怪物などはデジタル技術を駆使して表現されており、娯楽作といった趣です。

イオルコスの王子・ジェイソン(ギリシア名ではイアソン)は伯父のペリアスに父を殺され、王位を奪われる。成長したジェイソンは金羊毛を手に入れるためにアルゴー船に乗り込み、大勢の勇者を募って船出し、数々の苦難の末に金羊毛を持つコルキスの国に辿り着く。ここでジェイソンを守護する女神ヘラが、クーパー君演じる愛の神エロスに命じてコルキス王の娘メディアに愛の矢を放たせる。そしてジェイソンは魔女である彼女の助けを得て金羊毛を奪い取り帰国する…というのがあらすじです。

クーパー君の登場シーンはチャプター12。

海を行くアルゴー号。舳先にはジェイソンが立っている。と、右上方に雲が湧き起こりヘラが現れる。その手のひらの上には、何やらオレンジ色の炎に包まれカクカクユラユラと不自然な揺れ方をする超ミニサイズの人物が…。何とこれが愛の神エロスである(日本人か中国人ならここで必ず「孫悟空とお釈迦様かい!」と突っ込みを入れるはず)。エロスと言えば、美少女プシュケを妻にする美青年、もしくはいたずら好きな赤ん坊の姿で描かれると相場が決まっているのに、「大人だけどミニサイズのエロス」なんて聞いたことがない。一体どういう意図なんだろう?それはともかく、ここでヘラは彼に「メディアに愛の矢を放ってジェイソンを愛するようにせよ」と命令。エロスは「But why?」と問い質そうとしたところをフーー!とヘラの息に吹き飛ばされ、ぐるぐるぐると回って消えてしまう。

ここでエロスの扮装の説明をしますと、まず、上半身は裸。下半身は炎に包まれて消えており、何を着ているんだか(もしくは着ていないんだか)不明です。手にはお決まりの弓を所持。翼はなし。そして何と、金髪・巻き毛・肩に付くくらいの長さ、のヅラをかぶっている!金髪巻き毛ですよ、巻き毛!いやー、「衣装が時代がかかっていて変」という理由で「“眠りの森の美女”“バレエ・インペリアル”は好きじゃない」って言うクーパー君がこんなヅラをかぶるとは。上述のぐるぐる回って消えるシーン、自分で回っているようには見えないので回転台のようなものに乗って撮影したんだと思われますが、金髪巻き毛の(←しつこくてすみません)クーパー君がそんなことしているところを想像すると何だか笑ってしまいます。何回くらい撮り直ししたんだろー。

さらに、肝心の矢を放つシーンが続きます。

メディア・父王・兄がいる謁見室に入ってくるジェイソン。彼を見つめるメディア。王座と彼の間にはたき火が燃えている。と、突然そのたき火の中にエロスが登場。振り返ってジェイソンを確かめ(この時巻き毛がぶんぶん揺れる!)、メディアの方に向き直ってにやりと笑い、矢を放つ。これで登場シーンはおしまい。ほんとにちょっとだけしか出てきません。しかもミニサイズだし。ただし、このチャプター12のタイトルは「愛の神エロス」。だから彼はこのチャプターの「タイトルロール」(?)を演ったといえるのかも。にしても、クーパー君は上半身を脱ぐ役どころが多いですねー。もしかしてキャスティングされた理由もそれなんでしょうか?

チャウ付記:ずいぶんと前に頂いた浅葱さんからのメールに、この「アルゴノーツ」の感想が書いてあった。ちょうど「経歴」でこの"Jason and the Argonauts"について書いたことがあって、でもウチの近所のビデオ屋さんではさっぱり見かけず、詳細がぜんぜん分からなかった。そしたら浅葱さんがメールを下さり、クーパー演ずるエロス神の登場シーンについて詳しく教えて下さった。これがまたありありと目に浮かぶよな迫真(笑)の描写で、見事に私のワキ腹にきた。それで今回お願いしてこのサイトに掲載させて頂くことになった。浅葱さん、ホントに感謝です。浅葱さんの抱いたギモン、クーパーはナゼこの映画への出演を決意したのか?チャウの仮説。(A)日活だから。 (B)たまたまヒマだったから。 (C)ペイがよかったから。 (D)バレエを正しく描いているから。 (E)地毛が直毛なので巻毛に超憧れていた。

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