Club Pelican

Swan Lake in Tokyo 2

2003年3月7日

主要キャスト。白鳥/黒鳥:アダム・クーパー、王子:ベン・ライト、女王:マーガリート・ポーター、執事:スティーヴ・カーカム、ガールフレンド:フィオナ=マリー・チヴァース。

マーガリート・ポーターの女王は冷たい性格で、意識的に悪意ある女という感じがする。自己本位で支配欲が強く、狡猾に計算を働かせて他人の心を操作しようとする。映像版でのフィオナ・チャドウィックの女王は、自身が精神的に子どもであるがために、時には天真爛漫で可愛らしく、時には無神経で自分勝手になってしまう。観ている方としては、彼女が根は悪い人ではないと分かるだけに、息子を追いつめて死なせる結果になってしまう彼女を、どこかで痛々しく感じるのである。

しかし、ポーターの女王は典型的な悪女である。第一幕、王子が宮殿で出会った少女(ガールフレンド)を、王室一家のバレエ鑑賞に同席させたい、と母親に申し出ると、女王は嫌悪感を露わにしてそれをはねつける。王子は憤然として軍帽を脱いで自分の腿に叩きつけ、いまいましげに早足でその場から去る。女王はその後ろ姿を眺めながら、してやったりというふうに、小気味よさげな婉然とした笑みを浮かべる。自分の息子を束縛して他の女には絶対に渡さない、ということを、明らかに確信犯的にやってるのだ。こわいよう。

またこの女王はちょっと変態的な性的嗜好も持っているらしい。第三幕で、クーパー君演ずる黒鳥の青年は、女王の腕から首筋、頬までを一気にべろ〜んと舐めあげた上に、鞭を取り出して女王の顎をそれで持ち上げる。このとき、女王はいささかも動じることなく、逆に青年を挑発的な瞳で見つめかえす。

ポーターは大仰な演技はせず、冷然とした気品ある雰囲気と、微妙な表情の変化でみせてくれる。なんだかんだいって、この人は非常に美しいし、だいたい踊りが非常に安定していて、いかにもプロフェッショナルという感じ。それに彼女の手の動きやポーズは、ロイヤル・バレエのあの独特な特徴がある(たぶん)。バレエ鑑賞が惨憺たる結果に終わった後、落ち込んだ王子が女王をひきとめようとして踊る、例のちょっとアブない(なんか近親姦くさい)デュエット、ライトとポーターとが踊ると、あの緊迫感あふれる音楽に、二人の動きやリフトがきちんと合ってるので見応えがある。

この作品での群舞についてだけど、1階席から観ていると、なんだかゴチャゴチャだな〜、と思える。でも、2階席、3階席から観ると、群舞の全体が上から見渡せるため、これらの群舞が、実はきちんと調和的に配置されているのがはっきりと見てとれる。特に白鳥の群舞はすばらしい。いくらボーンが白鳥の動物的な面を再現したいと述べたところで、ホントに自然の群れみたいにしてしまったら、舞台作品にはならないだろう。かといって一斉にまったく同じ動きをするのではないけれど、数人ずつの白鳥が、位置はもちろん、動きやタイミングも異なりながらも、でも結果的にはお互いにうまく調和して均整がとれるように作られている。

これは第三幕冒頭の、王子と王女たちの踊り、そして舞台前方で寝転がって女たちを悠然と眺める黒鳥の青年の前で、女たちが一斉に踊るところでもそう。だけど、全員で一斉に同じ動きをすることで、よりダイナミックな効果が得られそうなところでは、ちゃんとそうしているのだからすごい。白鳥たち全員が、まったく同じ動きとタイミングで一斉に羽ばたくところとか、女性たちが脚を高く挙げるところとか。

チケットカウンターの人は1階席を薦めてくれるけど、でも2階席、3階席の利点は、舞台全体がよく見渡せることと、それにダンサーたちが舞台上で動いている音が、はっきりと聞こえることだ。ダンサーたちが一斉に足拍子をとっているところ、たとえば第二幕、白鳥たちが「ジグザグ入場」をした後での群舞とか、第三幕の王子と王女たちの踊り、女性たちの群舞、「黒鳥のパ・ド・ドゥ」コーダでの男女の群舞など。

それに、第四幕、白鳥たちが王子をボコるシーンでは、ダンサーたちが手を叩いたり、自分の腿を打って、殴る音を出している。あと白鳥たちが王子のベッドの上で羽ばたくところでは、鳥が威嚇するときの「ハーッハーッ」という音を息づかいで出しているので、上の階の席ではこれらが実に効果的に聞こえてくる。私はこういう舞台上の音が大好きで、特にクーパーが白鳥を踊っているときの、裸足の脚で床を擦るときの音や、ジャンプの着地音、それに黒鳥を演じているときの、彼が手に持った鞭がヒューン、としなる音や、王子にスゴんで床をバン!と乱暴に踏みつける音、王子とタンゴを踊っているときの衣擦れの音なんかが聞こえてくると、すごく生々しい感じがして楽しい。

クーパー君の白鳥を観ると、やはりこの人は腕のしなり方が他のダンサーとは全然違うし、長い腕を持つ利を充分に生かした動きをする。柔らかくてしかも鋭い。腕が動いた線の残像が目に残る。彼が両腕を伸ばし、体を斜めにして片脚を伸ばして上げると、本当に巨大になるので思わずギョッとする。第四幕、白鳥のクーパーが、王子のベッドの上に立ち、両腕を大きく広げて羽ばたくシーン、スポット・ライトが彼を照らし、あの音楽(分かるね)が響く瞬間の、彼の腕の動きは本当にすばらしい。神々しい威厳があって、白鳥が最後の力を振り絞って王子を救おうと決意するのがよく分かる。

映像版ではただ単に映っていないだけかもしれないけど、執事の存在が映像版よりも大きいものになっている。第三幕は、クーパー君演ずる黒鳥の青年は、確かに悪魔的で邪悪だ。でも彼の行動は、すべて執事に逐一指示されてやっている。「スペインの踊り」の最中、青年が王女たち一人一人を誘惑していくのも、「ナポリの踊り」の最後で、青年がイタリア王女のエスコートにタバコの煙を吹きかけるのも、青年が吸っているタバコを女王に渡して意味ありげに見つめるのも、みな執事がその前に青年に何事かを耳打ちしている。

クーパーは本当に細かい演技をする人だ。第三幕の最後、嫉妬に駆られた王子が銃を取り出して女王に向けたとき、周りの人々が驚いて逃げまどう中、クーパー君の黒鳥はそれを見てかすかに笑い、それからさも慌てた振りをして女王をかばい、王子を説得しようとする。こういう結果になることを最初から狙っていたんである。クーパーも、観る側にとってはとても忙しい。踊りも見なくちゃいけないし、演技や表情も見なくちゃいけない。こういうダンサーは本当に珍しいですね。

昼公演の観客は、どちらかというと年輩の方々が多かったように思うが、平日の夜公演は、勤め帰りか、あるいは大学生らしい20〜40代の人たちが多い。この日の観客はとても元気で、カーテン・コールでは拍手はもちろんのこと、ブラボー・コールや口笛を盛んに吹いて盛り上げている人がたくさんいた。たぶん、このテの公演の観劇にすごく慣れている人たちだと思う。例によってスタンディング・オーヴェイションもすごかったけど、これは一面、観客にそうするよう促す「カーテン・コール技術」みたいなものを、AMPが用いているせいもあると思う。去年の「カー・マン」ではあまり効き目がなかったが、今年は効果抜群だ。

カーテン・コールの最後の方で、舞台上のダンサーたちが、観客たちに向かって両手をバイバイ、と振り始める。この前の公演、クーパーはこれを咄嗟にやって大いにウケを取った。以来すっかり定着したようである。ダンサーたちが一様に両手を振る中で幕が下りていく。これでカーテン・コールはおしまいだ。するとクーパー君、幕が下り始めた瞬間、両腕をまるでメトロノームのようにひときわ大きく、激しくぶんぶん振り始めた。今までの公演では、ここまではやらなかった。クーパーのファンたちは、これがどういう意味か分かったと思う。もちろん私もすぐに分かった。早く戻っておいでね。

でも他のダンサーたちにとっては、公演はまだまだ続く。終演後、ダンサーの一人(ジョン・チュウ)に、ほとんど毎日踊っているのではないか、疲れないかと聞いてみた。彼は「うん、疲れた」と仕方なさそうに笑って、それから軽く握りしめた両の拳を挙げてみせて、「でも大丈夫。ちゃんとやれる」と言った。優しくてすごく感じのいい子だった。やっぱりみんな疲れているみたい。舞台では、彼らはそんなそぶりはまったく見せないが。なんていったらいいのか、とにかくケガにだけは気をつけて、無事に公演を終えてほしい。

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2003年3月6日

主要キャスト。白鳥/黒鳥:アダム・クーパー、王子:ベン・ライト、女王:マーガリート・ポーター、執事:スティーヴ・カーカム、ガールフレンド:フィオナ=マリー・チヴァース。

第一幕、"Swank Bar"のシーンの途中で、舞台右後方から、2本のデカいショッキング・ピンクのうちわ(?)で姿を隠しながら登場してくる人物がいる。うちわが取り払われると、そこにいるのは、黒レースにショッキング・ピンクのファーの縁飾りがある、ワンピースのランジェリーを身に着けたストリッパーらしき女。その女はお立ち台に上ると、腰を小刻みに振りながらエロいダンスを踊り、それを客の水兵たちが床に寝転がって下からのぞき込む。

そのストリップ・ダンサー役の人が、これまたすごい爆裂ボディで、黒の網タイツを穿いた太モモがむっちりとして、えらいことセクシー。ダンスを踊っているときの表情がまた最高で、くわえタバコをふかしながら、ぶすっとしたふてくされた顔で踊る。それがあのむちむちした体に似合っていて、いかにも場末の小汚い酒場の安ストリッパー、という雰囲気が滲み出ている。

だけど、彼女の名前が分からない。パンフレットには、この公演に参加しているダンサー全員の担当する役柄、顔写真と簡単な経歴が載っている。しかし役柄の中には、それがどこに出てくるどういう踊りをする役を指しているのかが分かりにくいものもある。このストリッパーの役名は「ファン・ダンサー」だと思うけど、この役を担当するダンサーは4人もいて、どの人なのか分からぬ。むちむちボディにぶーたれた顔、というキーワードで覚えておこう。

ボーンの「白鳥の湖」も「カー・マン」も、観る側にとってはすごく忙しい作品である。特に、"Moth Ballet"と"Swank Bar"は大変だ。"Moth Ballet"では、あの滑稽な蛾の姫と木こり男がヘンな表情でヘンなバレエ(?)を踊っていると同時に、その横のロイヤル・ボックスで、ガールフレンドがお菓子を食べたり、ハナをかんだり、パンフレットを指さして王子に話しかけたり、カン高い笑い声をあげて女王をどついたり、手拍子を打ったり、だらしない姿勢で前の手すりにもたれたりし、それに女王が表情を凍りつかせ、また目をむいて怒りを露わにし、さらに王子も段々と苛立ちを募らせて彼女に失望する、という場面が展開されていく。よりによってそのどちらもすごく面白いため、時々どちらを優先して観ればいいのかあたふたしてしまう。

"Swank Bar"はもっと大変だ。舞台上はバーの客たちやホステス、ダンサー、バーテン、王子、変装した執事でごった返し、あちこちで客が女を口説いたり、客同士がケンカしたり、乾杯したり、ふざけあったりという中に、執事がガールフレンドをけしかけ、王子とガールフレンドとが諍いを起こし、酔ってヤケになった王子がケンカに巻き込まれ、店の用心棒に引きずり出されていく様子が織り込まれている。それらは緻密に計算、構成、配置された雑然とした混乱であり、音楽に効果的に合わせてあるため、とても生き生きとしていて、安酒場の喧噪やざわめきが今にも聞こえてきそうだ。

第四幕、私は正直言って今まで苦手であった。たぶん好きではなかったのだろうと思う。なんで好きではないのか?今日なんとなく分かった気がする。第四幕でのクーパーの白鳥があまり好きではないからだ。第二幕のアダム白鳥は大好きなのに、なんで第四幕のアダム白鳥は好きではないのか?たぶん、第四幕のアダム白鳥が、もはや動物ではなく、なかば人間になってしまっているからである。

なんであの白鳥は、群れから襲われて喰われてしまうのか?これからはちょっと残酷な話になりますから、このての話が苦手な方や、動物が大好きで残酷な話は知りたくない、という方は、読むのをやめて下さい。

ペットとして家で飼われている動物、おとなしくて人間にとって安全な動物でも、その中には共食いをするものがある。いくらかわいらしい外見でも、また草食動物であっても、なぜかまれに共食いが起きる。職業柄そうしたことを何度か見た人から教えてもらったことには、特に、たとえば一つの飼育箱に、たくさんの群れで飼っていたりすると、共食いが起こりやすいという。その場合には、一匹が一匹を殺して食うのではなく、特定の一匹を群れが集団で追い回して傷つけ、ついには殺して食ってしまうそうだ。

その人が言うには、仲間からいじめられた末に喰い殺されてしまうターゲットになるのは、なぜか人間から見てもすぐに分かるような、群れの他の仲間とは明らかに違う特徴を持つ一匹なのだという。たとえば、色素の異常、身体機能の異常、骨格の異常、性格(動物にももちろん性格はあります)の弱さなど。つまり、他の仲間と違うというだけの理由で、仲間から殺されて喰われてしまうのだ。だから、明らかに他と違う個体は、あらかじめ群れから隔離して、そうしたことが起きるのを未然に防ぐそうである。

私はこの話を聞いた時、心底ゾッとしたものだった。今日、第四幕を観ながら、この話をなぜだか急に思い出した。あの白鳥が殺されて喰われるのは、他の仲間と違うからなのだ。第二幕での白鳥たちは、みんな動物である。もちろんあの白鳥も。でも、第四幕では、あの白鳥はすっかり人間になっている。他の仲間は依然として動物なのに。

クーパー君の白鳥は、第二幕と第四幕とではぜんぜん違っている。特に表情の変化はすごい。第二幕では無表情だったのに、第四幕では、王子のベッドの枕の下から抜け出てきた時から、表情は人間そのものになっている。第二幕よりもはるかに凶暴になって、獰猛で残酷な本性を露わにした仲間の白鳥たちの中で、クーパー君の白鳥は、悲壮な表情で王子を見つめて自分のもとに差し招く。身振りもそう。両腕を人間のように振りまわして、王子を必死で守ろうとし、王子を人間のように両腕で抱え上げ、両手の指を王子の背中にそえて、優しい瞳をしながら抱きしめる。王子が死んだと思ったとき、あの白鳥は驚愕した表情を浮かべ、悲しげに目を閉じてがっくりとうなだれると、次には天を仰いで激しく慟哭する。

映像版では異なっているが、第四幕であの白鳥が出てきたとき、その体はすでに傷ついて血が流れ出している。クーパー君の背中には、ひっかいた傷みたいに、3本の血の線が、腕や額や頬にも、流れる血が描かれている。それに第四幕の白鳥は、最初から動きがおかしくて、すでに相当弱っていると分かる。第二幕が終わった時点で、あの白鳥は、ただの動物から人間になってしまった。他の仲間とは違う、というだけの理由で、あの白鳥は仲間たちから集団で傷つけられ、殺されて喰われてしまうのだな、と自分なりに腑に落ちた。

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2003年3月5日(昼公演)

主要キャスト。白鳥/黒鳥:アダム・クーパー、王子:ベン・ライト、女王:マーガリート・ポーター、執事:リチャード・クルト、ガールフレンド:フィオナ=マリー・チヴァース。

今日は時間が時間だけに、客層が面白かった。平日の夜は会社帰りらしい人が多いけど、今回の公演の観客には、年輩の方々がとりわけ多かった。おじいさんもたくさんいらした。これを観てどんな反応をするんだろ。

クーパーの踊りは、やっぱり観るたびに微妙に違っている。基本の振りはもちろん同じだけど、特にソロで踊っているときは、毎回少し違うんじゃないかと思う。わざとかどうかは分かんないけど、たぶん、もう振りを覚えているとかいう問題じゃなくて、白鳥/黒鳥の青年の動きや踊りが、身にしみついているんだろう。翼にみたてている両腕の振り動かし方、ジャンプするか、片足を床につけたまま回るか、あと決定的に違うのが、音楽と合わせるタイミング。振り自体は同じだけど、音楽よりも時には早かったり、時には遅かったりする。でも、どうであれ結局は合っているんだよね・・・。この音でこう動く、って決めてるんじゃなくて、先読みして動いてるのかな?

踊りじゃない動きとかポーズは明らかに違う。面白いのが、第一幕、青年の裸体の石膏像が出てくるシーン、これは私が毎回絶対に欠かさず断固たる態度で一分の狂いもなく狙ったら決して逃すことなしに鉄の意思で徹頭徹尾オペラグラスを構える瞬間である(だって基本でしょ!?)。裸体像のポーズが毎回ビミョーにちがう。特に顔を隠している腕の位置が(笑)。時には顔をすっぽりと覆っているし、時には額や、または頬の下にあって、顔がはっきりと分かる。あの裸体像は、白鳥/黒鳥の青年と同じダンサーであるっていうことを、知らせたいの?それとも隠したいの?

それから、第三幕、女性たちが黒鳥の青年のために踊っているシーンでの、青年が舞台左前方でそれを満足そうに眺めているところ。坐ったり、寝転がったり、坐るんでも片脚を立てたり、両脚を伸ばしたり、寝転がるんでも体の右半身と右肘を床に着けて体を客席に向けたり、或いは左肘を床に着けて客席に背を向けたり。いろんなバージョンがある。でも、どんなポーズでも、脚長い。

王子役が誰かによっても違うみたい。それぞれの王子役と綿密なリハーサルを行なった時点での振付なのかもしれない。相手がベン・ライトだと、二人が一緒に踊るときの振りとか、リフトしたりされたりするタイミングは、映像版と近いように思う。私、王子役はコルベットとライトの二人を観たけど、王子役がライトのとき、白鳥/黒鳥の青年と王子の踊りの息はより合っている気がする。王子の踊り的には、コルベットの方が私は好きだけれど。ダイナミックで。

ライトの王子はもう何回か観たから、最初ほどの違和感は抱かなくなった。特に、第三幕、黒鳥の青年に誘われて一緒に踊り、さんざん翻弄された挙げ句にホールに取り残された王子が、女王と青年とがイチャイチャしながら入ってくるのを目の当たりにしたとき。王子の表情は硬くこわばり、悲しそうな目で二人を見つめる。無理矢理に笑おうとした口元が歪み、笑っているとも泣いているともつかない、なんともいえない痛々しい顔になる。

でも、ライト王子に慣れるのにこれほどかかったのだから、去年の「カー・マン」公演で実感させられたこととはいえ、スコット・アンブラーはやはり偉大だ。あの人が舞台に出てきただけで、雰囲気が一変したもの。遠目からだって、表情や雰囲気がはっきり分かったくらいだった。

今日はちょっとしたハプニングがあった。第一幕、酒場から叩き出された王子は、ガールフレンドが執事と結託して自分を陥れたことを知ってショックを受け、白鳥たちのいる池で自殺することを決意する。呆然と座りこむ王子の背後に、白鳥たちがゆっくりと羽ばたいている姿が、紗幕を隔てて青白く浮かび上がる。それから紗幕が上がると、場面は月が皓々と照らす夜の公園。舞台奥を左から右にかけて、アダムの白鳥が両手を腰の後ろで組み、ゆっくりと体を前後に揺らしながら行きすぎていく。

彼は膝を崩して正座した状態で、あの筋肉が隆起した独特な形の肩と背中を見せながら、台車らしきものに乗って舞台奥を横切る、はずであった。ところが。アダム白鳥が舞台奥のちょうど真ん中まで来たとき、とつぜん移動が止まった。恐れていたことがついに起こってしまった!!明らかに分かりやすく台車が動かなくなったのである。2秒、3秒、まだ止まったまま。観客の間にかすかにざわめきが起こる。なんてこったい!許されるものなら、私が今すぐ舞台に駆け上がって押してあげたいわ!!さあどーするクーパー君!?

しかしクーパー君はさすがにプロであった。たぶん前にも同じようなトラブルがあったのだろう。彼は表情ひとつ変えず、さりげなく片腕をゆっくりと台車の下(客席からはみえない)に伸ばした。すると、台車が再び動き始める。下にケーブルがあってそれを自分で引っ張っているらしい。さすがにちょっとおマヌケな姿になってしまったが、誰も笑わなかった。日本の観客は実に寛大だ。その場にいた全員が一致団結して、それを見なかったことにしたのである。こういうことは、日本人は大の得意だ。

今回の公演には年輩の方々が大勢いらしたのだけど、平日の夜ほどではないにせよ、そこそこウケておられたようだ。私の後ろ斜めに坐っていたじいさん連中が面白くて、黒鳥の青年と王子が踊る「タンゴ」のシーンで、王子が女王にすり替わって青年と向き合った瞬間、そのじいさんたちは一斉に、「ウオッホッホッホ」と、困ったような、照れたような笑い声をあげたのである。私も内心、あのシーンはなんとなく滑稽に感じていたんだけど、でも笑っちゃいけないマジメなシーンだと思って我慢していた。同志よ。

終演後も、お友だち同士で観劇に訪れたらしい、年輩のご婦人方がはしゃいでおられた。「白鳥よりも黒鳥の方がステキねえ。」「かっこいいわよ。」「あら、白鳥の方がたくましくてキレイだわ。」「いやだ、ウフフ」。他にも、「意外と面白かった」、「つい泣いちゃった」という感想がそこかしこから聞こえてきたし、「そもそも伝統版の『白鳥の湖』ではね・・・」などと、難しそうな話をしている方もいらした。年輩の男性では「僕はやっぱりちょっと・・・」、「なんだか気恥ずかしくてね」と言っている方々がいた。男性にとってはちびっと照れくさいだろうなあ。

とはいえ、カーテン・コールは相変わらずにぎやかだったし、楽しい雰囲気のままに、今回の公演も無事終了した。この日は夜公演もあったので、群舞のダンサーたちは、たぶんあのまま会場にとどまって、夜の舞台も勤めたのだろうと思う。役柄に多少違いはあっても、ほぼ全員が毎回の舞台に出ているんじゃないだろうか。ダンサーをすっかり入れ替えてるとは思えない。オーバーワークでケガとかしなきゃいいんだけど。

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