Club Pelican

Stories 3

Exeter Festival Report

(2003年7月12日/13日)

by いお


はじめに

Northcott TheaterはExeter大学のキャンパス内にあるこぢんまりとした劇場です。

客席は433席で、階段状になっているので、どの席からでも舞台は良く見えます。

しかも、客席の最前列と舞台に段差がなく、地続きなので、舞台のパフォーマーと観客は非常に近しい関係になり、密度の濃い時間と空間を分かち合っているという気分になれます。

今回の Adam Cooper Companyの公演で特徴的なことは、舞台装置というものはまったくなくて、音楽、ライティング、ほんの少しの小道具とシンプルな衣装だけで、ダンサーたちは満員の客席を魅了したということです。豪華なセットや華やかな衣装などに目を奪われることがないので、それだけ個々の踊りに集中することになり、客席との距離が近い分、ごまかしはきかず、ダンサーの力量がむき出しになって、観客との真剣勝負という雰囲気になります。

小さな大学町の観客の中には、毎年アダムの公演を見ている人がかなりいるようでしたし、地元の人だけではなく、遠くから駆けつけた人も少なくないようでした。

初日は、午後7時半開演予定が、技術的なトラブルのため大幅に遅れて、午後8時過ぎに開演されました。(2日目は時間通りでした。)

いやがうえにも高まる期待の中、第1部の幕があがりました。


Part1

Walk and Talk

Performed by: Laura Morera & Adam Cooper
Choreographed by: Ashley Page
Music by:  Orlando Gough

舞台中央にAdamとLauraが立っています。Adamは生成色のスーツ(中は白いノースリーブシャツ)に黒い靴、Lauraは黒のレオタードと透ける素材の黒のパンタロンにトゥ・シューズ。

Jazzyな音楽とスタイリッシュなダンスで、洗練された都会の男女の恋の駆け引きを見ているような感じでした。軽やかで繊細な振付ですが、バランスのテクニックが随所にみられ、やわらかく、しかも緊張感のあるリフトも多く、LauraとAdamの呼吸が良く合っていていました。冷たい前菜をさらっといただいた感じです。

Hurricane

Performed by:     Simon Cooper
Choreographed by:  Christopher Bruce
Music by:        Bob Dylan

Simonのソロです。ボブ・ディランの“Hurricane”という曲そのものが伝説的な傑作なので、これにいったいどんな振付をするのか、魂がシャウトしているようなディランのあの歌に負けない踊りができるのか、8分以上ある曲をカットしないで使うなら、Simonはたったひとりで長丁場をどうもたせるのか、興味津々でした。

そして、Simonは、すばらしい踊り手でした。

“Hurricane”という曲の背景についてはここでは詳しく述べませんが、冤罪によって、20数年の獄中生活を強いられた黒人ボクサーRuben‘Hurricane’Carterの無実を確信したディランが社会を強烈に批判するという歌です。何度も同じフレーズが繰り返されるのですが、振付もそのリフレインを非常にうまく使っています。

Simonはピエロのような白塗りの顔に、黒のTシャツ、グレーのスウェットパンツ、両手にはボクシングのバンディジをして、舞台後方でスポットライトを浴びて縄跳びを始めます。そのあと、ボクサーが生きている環境や境遇、ボクシングの訓練、警察による逮捕と取調べと投獄という物語を示唆するような象徴的な動きがあり、一連の動きが何度か繰り返されます。そこには、何度も挫折し、打ちのめされながらも、不屈の闘志で立ち上がる‘Hurricane’のエッセンスがありました。

SimonはAdamとほとんど同じ背格好で、すらりとバランスのいい体型ですが、短髪とスウェットパンツのせいで、いかにも労働者階級出身のボクサーという雰囲気がかもしだされていました。

最後に再び縄跳びをしているところで暗転し、幕が下りました。

観客が大喝采したことはいうまでもありません。

このソロは、SimonとAdamがいかにタイプの違うダンサーであるかを強く印象づけるものでした。 だから、第3部で2人がいっしょに踊るとどうなるのか、期待はふくらむばかりです。

Solo

Performed by:    Matthew Hart
Choreographed by: Matthew Hart
Music by:       Dmitri Shostakovich

ショスタコービッチの音楽に自ら振付けたMatthewのソロですが、彼がいかに才能のあるダンサー兼振付家であるかを見せてくれました。衣装は、モスグリーンのショートパンツだけ。鬱屈した怒りが肉体を激しく突き動かす、という運動量の多いダンスでしたが、よくコントロールされ、緊張が途切れることなく、観客の目をくぎづけにしました。

Flames of Paris

Performed by:    Marianela Nunez& Martin Harvey
Choreographed by: Vasily Vainonen
Music by:       Boirs Asafiev

この公演のうち、唯一といってもいい、クラシック・バレエらしさにあふれた踊りです。

白をベースに、フランス国旗のトリコロールカラーをあしらった衣装は、はなやかで、とてもきれいです。MarianelaとMartinのパ・ドゥ・ドゥーは、端正ですがすがしく、心地よい踊りでした。舞台装置がなく、舞台から数歩はみだしたら観客とぶつかるようなフロアで踊るパ・ドゥ・ドゥーというのは、少々勝手が違うかもしれないのですが、さすがにプロフェショナル、みごとな踊りを披露してくれました。観客は華やかな踊りに大満足。やんやの喝采の中、Part1の幕が下りました。


Part2

Jeux

Performed by:     Matthew Hart, Marianela Nunez& Laura Morera
Choreographed by:  Peter Darrell
Music by:        Claude Debussy

幕が下りたまま、暗い場内に、不安に満ちたドビッシーの音楽が流れるプロローグは、これから展開される物語が男1人、女2人の三角関係がもたらす不穏なものであることを暗示するかのようです。

幕が上がり、明るいライトに照らされた舞台後方には、白いプラスチックのガーデンチェアとテーブルがあり、ミルクティー色のバッグがひとついすの横に置かれています。テーブルの上には空のグラスが3つ。

そこに舞台上手から白いテニスウェアのMatthewが登場。ラケットをぶんぶんと振って、いかにも健康そうな、でも、分別のなさそうな青年像です。続いて、清楚なテニスウェアのMarianelaが登場。2人は見るからに親密な間柄で、ラケットを置いて、2人の踊りが始まります。

Marianelaはしっかりとした骨格の踊り手なので、テニスウェアが良く似合います。テニスウェアにトゥシューズというのは、視覚的には違和感がありますが、バレエなので、これはもうしかたがないです。MatthewはMarianelaとほとんど同じくらいの背丈なので、リフトする時などはいかにもMarianelaの方が大きく見えてしまうのですが、しっかりと安定感のあるリフトで、ほとんど不安を感じさせませんでした。

2人の踊りが終わると、舞台下手から、ピンクの薄いドレスを着たLauraがアイスティーのピッチャーを持って登場。「テニスで疲れたでしょ、さぁ、お茶にしましょう!」と誘うような雰囲気。でも、男性との視線の交換から、この2人の間にもなにやらいわく因縁がありそうな気配です。

3人の踊りは、愉快にテニスをしているような振付ですが、ひとりの男をめぐって、2人の女がライバル関係になっていることを暗示しています。ボールが遠くに飛んでいってしまったようなマイムがあり、ここでMatthewは上着を脱いで、「ああ、暑いよ!」とばかりに、その上着で脇の汗を拭くようなしぐさをします。「おっと、これはマナー違反かな。」という気配を察して、着替えるべく、下手へ去ります。

舞台の上ではLauraとMarianelaの踊りが始まります。その中で、気になる動作が2種類ありました。

ひとつは、2人が時々、同時にはっと振り返って、どこか遠くを見つめるというものです。この動作が何度か繰り返され、なにかしら予期せぬものに対する不安を感じさせます。

もうひとつは、はじめにLauraが、あとからMarianelaも、「ぺっ!」と唾を吐き出すようなしぐさをするのです。これにはびっくりしました。2人の女を天秤にかけるような男に対する嫌悪なのか、あるいは、なにか得体のしれないものに対する拒絶なのか、美しい動きの途中に、こういうしぐさが入ると、なんとなく人間の嫌な部分とか醜い部分が見えてしまうような居心地の悪さを感じさせました。

Marianelaが自信たっぷりにアイスティーの入ったグラスを掲げたあと、退場します。

舞台に残ったLauraは、バッグの中から小瓶を取り出し、中身をグラスにそそぎます。どうやら、ライバルの毒殺を企てているようです。ほくそえみながら、小瓶を持って退場します。

そこに、Matthewが着替えて再登場。ポロシャツとチノパンにジャケットというカジュアルな格好です。

でも、なにやら悩んでいる風情で、落ち着かない様子。なんと、彼はピストルを隠し持っていたのです。それをジャケットに隠して、ジャケットをいすの上に置きます。

Lauraが現れ、2人は恋人同士のように踊り始めます。なかなか情熱的な踊りで、男に対する女の強い執着を感じさせます。2人が踊っているところに、ブルーのドレスに着替えたMarianelaが再登場。Matthewが毒入りグラスに手をかけると、Lauraはあわてて止めます。

3人の踊りが始まります。でも、Matthewの気持ちはLauraに移っており、Marianelaは邪険に扱われます。このあたりは、2人の女性のキャラクターの違いを衣装や動作、踊りで演じ分けています。

Marianelaがタバコに火をつけようとライターを探すうちに、男のジャケットにあったピストルを見つけてしまいます。これをこっそり自分のバッグにしまって、退場します。

MatthewはLauraに次第にいらいらしてきて、冷たくし始めます。Lauraが退場して、ひとりになったとき、男はピストルがなくなっていることに気づきます。そこに2人の女が再び登場し、いっしょに下手に去ります。不安そうな男。と、その時、一発の銃声が!男は驚愕します。ところが、2人の女は、仲良くにこやかにもどってきます。ほっとした男は、アイスティーの入った三つのグラスを持ってきて、一つずつ女に渡します。そのうちのひとつには毒がはいっているのですが・・・。三人が並んで、観客に向かってグラスを掲げたところで幕が下ります。

恋あり、裏切りあり、毒薬あり、ピストルありの、ミステリー仕立ての三角関係ドラマです。

女性2人の息が合わないところがあったのは残念でしたが、練習時間が足りなかったからでしょう。

三角関係のサイコドラマを20分足らずの一幕もののバレエで見せるという試みには素直に拍手です。

Matthew Hartは、非常に表現力豊かなアクターダンサーであることがよくわかりました。

分別のない若者の浮ついた恋心、板ばさみのジレンマ、事態の推移に途方にくれる様子などを踊りと演技で巧みに表現していました。

また、女性バレリーナは、素人目にはみんな同じような体型、表情に見えるときがあるのですが、衣装の色が違うだけではなく、MarianelaとLauraは、体型も容姿もかなり違うので、それぞれのキャラクターの違いが理解しやすくて、キャスティングの妙を感じました。Lauraは「悪女」風の役で、目の動き、表情の変化などでキャラクターをよく表現していたように思います。

Sarcasm(UK Premiere)

Performed by:     Zenaida Yanowsky & Adam Cooper
Choreographed by:  Hans van Mannen
Music by:        Sergei Prokofiev
Accompanied by: Paul Stobart (Royal Ballet Pianist)

個人的には、この公演のベスト・パフォーマンスだと思います。(でも、“Binocular”と“The Nature of Touch”もすばらしかったなぁと、未練たっぷりなのですが。)

マドリッドですでに好評を博した演目ですが、イギリスでは初めてのパフォーマンスです。

幕が上がると、舞台下手にグランドピアノが一台。正装のピアニスト(Paul Stobart)が腰掛けています。その右手には、短いスカート(というのでしょうか?)付きの黒いレオタードとトゥシューズのZenaidaが無表情に突っ立っています。

ピアノがプロコフィエフの音楽を奏で始めると舞台下手から、Adamがドスドスドスと床を踏み鳴らしながら大またで歩いてきます。黒の長いタイツと白のバレエシューズを身に着け、上半身は裸です。

AdamはZenaidaの気を引くため、すばらしいダンスを見せますが、Zenaidaはまったく感動する様子はありません。Adamの情熱あふれる踊りを、まるでレプリカントのように醒めた目で見ているだけです。Adamの努力は報われず、「なぜ?どうして?僕のこのすばらしい魅力が、君にはわからないのかい?ああ、なんてこったい!」とお手上げの風情。Zenaidaだけではなく、ピアニストや観客にも八つ当たりするかのように、両手を激しく振り上げ、不満をぶつけながらピアノの周りを回って、立ち止まります。

すると、Zenaidaがあいかわらずレプリカントのような動きで踊り始めます。硬質で無機的な動きで、Adamのことなど眼中になく、プログラミング通りに動いている美しいマネキン人形のようです。Adamはあっけにとられて見つめています。

しかし、マッチョなAdamはなんとしてもZenaidaを自分のとりこにしようとがんばります。Zenaidaを捕まえて、恋人同士の踊りにとりかかるのですが、Zenaidaの身体はプラスチックのように硬く、Adamは「うんとこどっこいしょっ!」と気合を入れないと、彼女の手足を曲げることさえ難しいのです。

でも、Adamはがんばります。マッチョな男の面目を立てるためには、なんとしても彼女に自分の魅力をわからせ、情熱的な愛を交わさなければならないのです。ひたすら力技でZenaidaをリフトし、激しく抱き寄せ、散々苦労しましたが、ついに思いを遂げることができました。はぁぁ、お疲れ様でした。

なんだかギクシャクしているけれど、とりあえず、二人は結ばれたのかな?これも一応ハッピーエンドかな?と思ったところで、AdamとZenaidaはピアニストに視線を送ります。「まだ終わってないよ!」とでも言うように。

互いの心とは裏腹なちぐはぐな行動をしながらも、次第に2人の間になにかつながりがうまれつつあるような気配が漂い、上半身を反らし合いながらも、ひしと抱き合ったその時、「いいかげんにしろっ!まったく、我慢にもほどがあるっ!!」とばかりに、憤怒に駆られたピアニストはピアノのふたをバシッと音高く閉めて、ドスドスドスと退場してしまうのでした。

“Sarcasm”というのは、相手の気持ちを傷つけてやろうという意図をはっきりもっている皮肉やあてこすりを表すことばです。このダンスは、相手の気持ちを逆なでするような動作によって、2人の間に不調和が生まれ、ちぐはぐな関係が展開するのですが、それが実に滑稽で、客席から何度も笑いが巻き起こりました。

AdamとZenaidaは終始クールな表情ですばらしいテクニックを駆使しながら、このちぐはぐなカップルを演じているのですが、ひとつひとつの動きがシャープでクリアで無駄がなく、緊張感を保ちながらも、音楽をつかんで、リズムや流れを感じさせるすばらしいパフォーマンスでした。

Adamは優雅に繊細に舞ったり、激しく力強く踊ったり、コミカルにおどけた姿を見せたり、自在で豊かな表現力で、観客を魅了しました。そして、パートナーであるZenaidaのすばらしさは特筆ものです。Adamを翻弄するアイス・ドールのようなキャラクターを見事に演じていました。

舞台装置なし、衣装もライティングも、これ以上ないというほどシンプルなもので、ピアニストと2人のダンサーの力量だけがすべてを支配する、文句なしのマスターピースです。

より多くの人がこのすばらしいダンスを見られるように、大きな劇場で再演されることを願ってやみません。


Part3

Binocular(World Premiere)

Performed by:     Adam Cooper & Simon Cooper
Choreographed by:  Wayne McGregor
Music by:        Marilyn Manson

いよいよわくわくどきどきの初共演です!

司会のStephen Wicksが言いました。「AdamとSimonのために振付を依頼されたWayne McGregorは、なんの躊躇もなく、二つ返事で引き受けたんですよ。Exeterが世界初演です。」

幕が上がると、Adam&SimonのCooper Brothersが舞台に立っています。

向かって右がAdam、左がSimon。くぅぅぅ、二人ともかっこいい!

二人はほとんど同じ背格好で、おそろいの黒の半そでシャツと黒のショートパンツといういでたち。Simonはベージュ、Adamは白のバレエシューズをはいています。

舞台後方、第三ポジションで立っている二人。すぐに聞こえてくる Marilyn Mansonの音楽。

Marilyn Mansonと言えば、最近ではマイケル・ムーアの映画、『Bowlling for Columbine』にも登場した、何かと物議をかもしているハードロック歌手です。この曲は、確かにハード・ロックですが、決して耳をつんざくような破壊的な曲ではありません。(曲名:“Tainted Love”)刻まれるリズムとパワフルな音楽に乗って、AdamとSimonの腕が激しく動き始めました。

足は第三ポジションのまま、両腕だけが激しくメカニカルに動いています。ふたりの動きは、シンクロナイズしています。でも、足の上げ方、手の伸ばし方、首や上体の使い方など、それぞれに個性的な身のこなしがあり、同じ振付でも、SimonとAdamが異質な個性を持っていることがはっきりわかります。張り詰めた緊張感に、呼吸を忘れそうになりました。

小気味良いステップ、ジャンプ、リフト、バランスと、時にはシンクロしながら、時にはバリエーションをつけて、音楽に乗って力強くエネルギッシュに踊るふたりは、それぞれに相手を強烈に意識し、お互いの個性をぶつけ合いながら、同時に強い信頼で結ばれていることを感じさせます。SimonがAdamをリフトするとき、一瞬、ほのぼのとした気持ちになってしまったのは、こちらの勝手な思い入れのせいでしょう。

舞台の二人にぐいぐいひきつけられて、はっと気づいたときには音楽が消え、暗転。

「ええっ?もうおしまいなの?やだやだ、もっともっと見たい〜っ!!もっと踊ってくれぇぇぇぇ〜〜!」 と叫びたかったのは、私だけではないでしょう。

再びライトがついたとき、AdamとSimonは肩を組んでにこやかに微笑んでいました。

文字通り、割れんばかりの拍手と口笛と歓声に包まれて。

すばらしいダンスでした。日ごろは信心のかけらもないくせに、この時ばかりは、このパフォーマンスを見る機会を与えられたことに、神様でも仏様でも鰯の頭でも、感謝の祈りをささげたくなりました。いえいえ、なによりもまずAdamに、そして、Simonに、「ありがとう!」と言うべきでしょう。

Afternoon of a Faun

Performed by:     Martin Harvey
Choreographed by:  Christan Uboldi
Music by:       Claude Debussy

AdamとSimonのダンスの後、興奮冷めやらぬ観客の前で、ソロを踊る役目をおおせつかったMartin Harveyは、ちょっと損な役回りでした。

ニジンスキーの「牧神の午後」はあまりにも有名ですが、今回は別バージョンです。

耳になじみのあるドビッシーの音楽が聞こえてくる中、舞台にはクッションを枕に、寝そべって本を読む青年がひとり。けだるい午後のひととき。青年はなにかを追いかけるように起き上がり、ゆっくりと動き始めます。クッションと本と椅子を相手に、ジーンズとTシャツ姿のMartinは興奮していた観客の呼吸を静めるように、丁寧に踊り続けます。

熱くなった観客にとっては、ここにどんなダンスがきても物足りなかったはずです。

そこに、「牧神の午後」をもってきて、あえてクールダウンさせるような、あるいは、緊張を解きほぐすような静かな音楽とスローなダンスを配したあたりは、構成演出の工夫をうかがわせます。

そういう困難な条件を考えれば、Martinのダンスは観客の暖かい拍手に十分値するものでした。

Nisi Dominus

Performed by:     Zenaida Yanowsky
Choreographed by:  William Tuckett
Music by:      Claudio Monteverdi

Zenaidaがすばらしいバレリーナであることは、このソロでもはっきり証明されました。

スポットライトに浮かび上がるZenaidaは輝く金髪をぴっちりとなでつけて、奇妙奇天烈な衣装に身を包んでいます。真っ赤なショートパンツに白いフープが格子状になっているスケルトンのスカート(といっていいのかな?とにかく、昔のペチコートの枠組みだけのものをはいているという感じです。)、両手で胸を押さえています。その手が開かれたとき、観客ははっとします。胸には、真っ赤な花のような飾りがついているだけで何も着ていないように見えるからです。でも、もちろん、これは透ける肌色の素材に赤い模様がついているのです。胸だけではなく、おなかの辺りにも小さな模様が点在しています。しかし、それにしても十分刺激的、挑発的な衣装ではあります。

使われている音楽は、16-17世紀に活躍したイタリア初期バロックを代表するモンテヴェルディの宗教曲、『聖母マリアの夕べの祈り』の第8曲、詩篇126「神が家を建てるのでなければ」(Nisi Dominus aedificaverit domum)であることを思えば、この衣装はほとんどアンチ・キリストです。

(Exeterのプログラムには、「Monteverdi Vesprs」とありますが、これは、モンテヴェルディ作曲の“Vespers”のことで、Vespersというのは、「晩課」、すなわち、カトリックの聖務日課の定時課の第 6にあたる、夕方の礼拝のことです。)

通奏低音と合唱による、父と子と聖霊の栄光をほめたたえる荘厳な音楽に抗うかのように、Zenaidaは軽やかに、とぎすまされた動きを見せます。鋼のような身体がくっきりと目に焼きつく衣装なので、しなやかに、あるいは、きりりと伸びる手足に観客の視線は釘付けです。これは、正確なテクニックの裏づけがあってこそのパフォーマンスで、異世界からやってきたような姿のZenaidaの踊りは、「聖母マリアの夕べの祈り」の敬虔さなどまったく意に介さず、人間の身体の美しさをその動きのうちに誇示しているように見えました。

もちろん、これは私の勝手な解釈なのですが、音楽とダンスは、予定調和的に呼応するのではなく、むしろダンスが音楽に挑み、人間の身体をもって聖三位一体のドグマと格闘しているような気がしました。そして、最後に、舞台中央の奥から、低い姿勢で挑むように手足を伸ばし、不敵な面構えで観客をねめつけるZenaidaはその闘いの勝者となったのです。

“Sarcasm” と“Nisi Dominus”のふたつのパフォーマンスによって、Zenaida Yanowskyは忘れがたいバレリーナになりました。

The Nature of Touch

Performed by:   Marianela Nunez, Laura Morera, Anthony Kurt,
Matthew Hart, Simon Cooper & Adam Cooper
Choreographed by:  Adam Cooper
Music by:      Georg Telemann

Adam Cooperがすばらしい踊り手であることはあらためて言うまでもありませんが、最後の作品では、彼が可能性に満ちた振付家であることも、しっかりと印象づけました。

”The Nature of Touch”は17-18世紀に活躍したテレマンの音楽にAdamが振付けた作品で、Exeterでは再演だそうです。作品は、4つのパートに分かれていました。

衣装は全員おそろいで、男性は、黒のノースリーブのシャツに黒の7分丈のパンツ。なんとなくやんちゃな少年たちというイメージです。女性は、黒のロングスカートのレオタードです。

まず、Laura、Anthony、Matthewの三人がコミカルな味わいのダンスを踊ります。冒頭、スポットライトに浮かび上がるLaura。すぐに退場すると、Anthony とMatthewが登場します。さらに、Lauraが加わって、3人で踊り始めるのですが、しだいにいさかいの様相を呈してきて、最後は、ひとつのスポットライトをめぐって、我勝ちに争う場面で終わります。

次に、Marianela とAdamがしっとりとロマンティックなパ・ドゥ・ドゥーを踊ります。

これは、とてもすてきでした。Marianelaはモダンよりもクラシックの方が似合う踊り手のようです。それに、Adamは女性ダンサーをしっかりとサポートしながら、女性が美しく見えるように振付けています。優しく繊細なタッチの小品です。

その次は、Lauraのソロで始まります。軽やかに伸びやかに舞う姿は生き生きとしています。ここでもAdamの振付は女性が美しく見える動きに留意しているようです。そこに、Anthony と Matthewが加わって、3人で踊り始めます。2人の男性が美しいLauraに夢中という風情。最後は、Anthony がLauraをリフトし、Matthewは横に伸ばされたLauraの足にいとおしげに頬を寄せて終わります。軽やかでユーモラスなダンスでした。

最後に、SimonとAdamが登場します。

このダンスは、”Binocular”とは違って、ゆっくりとした動きと身体の接触の多さが特徴的です。

そこには、ふたりの人間の心理的な葛藤が秘められているようで、互いに向き合い、支えあい、横たわるかと思えば、激しく反発し、背き合ったりします。最後はふたりが並んで立ちながら、AdamはSimonの顔を右手でぎゅうっと押しつけ、SimonはAdamの頭を左手でぐぐっと押さえつける、というシーンで終わります。

このダンスに、私はゾクゾクしてしまいました。“Binocular”の二人もすばらしかったのですが、この最後の踊りにはSimonとAdamが兄弟であることを知っている観客が、ダンスで表現されていた緊張と葛藤について、いろいろな解釈を施したくなるような深みがありました。

今回の共演が実現するまでに、十数年もの時間が必要であったことも、おそらく意味のあることなのだろうと思えるような充実したパフォーマンスでした。

大満足の客席は拍手喝采、口笛や歓声もあちこちから聞こえてくる中、カーテンコールが始まりました。

まずLaura、Anthony、Matthewの三人、続いて、Marianela、Simon、Adamの三人。そして、ソロを踊ったMartin HarveyとZenaida Yanowskyが続きます。司会のStephen WicksとピアニストのPaul Stobartが加わって、万雷の拍手と歓声の中、幕が下りました。


おまけ

さて、20分後、ステージドアの前には関係者とほんの数人のファンだけが立っています。

なにしろ、終演が10時半だったので、すでに11時近い時間となり、劇場がある大学キャンパスは、もうすっかり夜の闇に沈み、観客はどんどん帰って行きまず。

「う〜ん、どうしようかなぁ、早く帰らないと夜中になっちゃうなぁ。」と迷いましたが、アダムとサイモンが一緒にいる場面なんて、めったに見られないのですから、ここはがんばって、もう少し待ってみることにしました。

わ〜い!やれうれしや!! マシュー・ハートに続いて、サイモンが出てきました。早速、パンフレットに2人のサインをいただいて、サイモンににじり寄り、少しお話をしました。

「今日はどうでしたか?あの、やっぱり、少しナーバスになったりしましたか?」と能のない質問をすると、「うん、少しね。なにしろ、アダムと一緒に踊るのは初めてだったから。」というお答え。「もう、ほんとに、すっばらしくよかったですっ!」と、ばかみたいな感想にも、サイモンはにこにこしながら、「ありがとう!」

アダムも好青年を絵にかいたような対応をしてくれますが、サイモンも舞台で見る鋭い眼光やとんがった雰囲気は微塵もなくて、気のいいお兄さんそのもの。

「えっと、”ハリケーン“もとってもよかったです。ボブ・ディランって、ほんとにかっこいいですよね。」 わぁ、なにをあほなことを言ってるんだ私は!いかんいかん。

「えっと、夕方、ここに来たとき、あなたは休憩していました。リハーサルの後だったんですね。」 ああ、なんでそんな当たり前のことを・・・。

「え、ああ、そうそう。すぱすぱタバコ吸ってたときだよね。わははは!」

クーパー・ブラザーズはタバコがお好き!

と、そこにアダムが出てきました。

思わず、「おわ〜っ!アダムだ!」と叫ぶと、サイモンは大笑い。お恥ずかしゅうございます。

クーパー兄弟との遭遇時間はわずか十分ほどでしたが、それはまったく至福の時としか言いようがありません。

「貯金はなくなっちゃったけど、エクセターに来てよかったなぁ!」

暗い夜道を20分も歩いて帰らなければならないことなどすっかり忘れて、夏の夜の夢のひとときにしみじみと幸福感を味わっていたのでした。


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