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Stories 17

バーミンガム・ロイヤル・バレエ団について

by あび

2005年3月3日、バーミンガム市内ヒポドローム劇場へ、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団によるマクミラン版「ロミオとジュリエット」を見に行った時のことです。開演に先立ってバレエ団への寄付を求めるスピーチが、芸術監督デヴィッド・ビントリーによって行われました。ちょっとロビン・ウィリアムス似の40代後半のおじさん、ビントリーによるユーモアを交えたスピーチの内容は語り口とは裏腹に、かなりシビアなものでした。

カンパニーは今年、本拠地ヒポドローム劇場の改築費を全て返済し数年ぶりに無借金状態となったのですが、アーツ・カウンシルからの資金援助が二年ほど凍結される上にスポンサー企業が降りることが決定したというのです。

すでに衣装や道具の揃っている古い作品を上演し続ければ問題はないが、それは非常につまらない。(ここで観客から同意するような声と笑い声があがりました。) そこで一般から、新作の製作資金として一口150ポンドの寄付を求めるとのこと、特典として門外不出だったリハーサル見学付、ということで、すでに客席にも寄付受付用紙を添付したチラシが配布されていました。

その後上演された舞台は非常に素晴らしかったのですが、幕間のロビーにも「寄付お願いします」と書かれた不細工な段ボール箱が無造作に置かれていたり、後日地元のバーミンガム大学の機関紙「Red Brick」の演劇評でも寄付について言及されていたりといったことがあり、果たしてバーミンガム・ロイヤル・バレエ団がどのような経緯で援助が凍結されるにいたったのか?なぜスポンサーが降りることになったのか?疑問がわいてきたのです。

そこで今回、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団とはどんなカンパニーなのか、そして今回の経済危機の背景には何があるのかを、ウェブサイト、雑誌、地方紙「Birmingham Post」の記事などからまとめたことを述べていきたいと思います。

バーミンガム・ロイヤル・バレエ団(以下BRB)はその名が示すとおり、ロンドンから西へ150kmほど離れたバーミンガムを本拠とするバレエ団です。沿革としては、チャウさんがお書きになられた「ロイヤル・バレエ・スクール」(チャウ注:「雑記」英国ロイヤル・バレエ・スクール公演)の方に詳しいですが、大元はロイヤル・バレエ団から分派した、1946年設立のサドラーズ・ウェルズ・バレエ団になります。

56年にはロイヤル・バレエ・ツーリング・カンパニーと改称し、本拠地を持たない旅公演専門のバレエ団となりましたが、70年に再びサドラーズ・ウェルズ劇場と提携を結び、77年、ピーター・ライトの芸術監督就任に伴い、再びサドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエと名乗ることになります。87年ごろからバーミンガム市の誘致を受け、3年後の90年にバーミンガム市のヒポドローム劇場に本拠地を移し、現在の名称となりました。

その成り立ちから兄弟カンパニーであるロイヤル・バレエ団との結びつきも深く、ロイヤル・バレエ・スクール、ロイヤル・バレエ・シンフォニア(オーケストラ)など関係機関を共有し、ダンサーの両カンパニー内での異動もあります。また、理由は不明ですが、例えば2004/5シーズンの「デュオ・コンチェルタント」(バランシン振付)、2005/6の「ソリテイル」(マクミラン振付)、およびアシュトン版「ラ・フィーユ・マルガルデ」など年に数演目ほど同一の作品を上演する傾向があります。

とはいえ、バーミンガムという地方都市に移動したことから、BRBは実質的にはロイヤルから独立した、より英国的な作品をレパートリーとする路線を強めていきます。その傾向が加速したのが、95年の芸術監督交代でした。

95年、20年近くBRBを統率してきたピーター・ライト卿が引退しました。2003年末より「Dance Now」誌などで後任の公募が行われていましたが、結局、後任に選ばれたのはサドラーズ・ウェルズの元キャラクター・ダンサーであり、93年までBRBのレジデント・コリオグラファーを勤めていたデヴィッド・ビントリーでした。

ここで少しビントリーについての補足です。デヴィッド・ビントリーはミッドランド出身、6歳からバレエを始め、ロイヤル・バレエ・スクールを経て76年にサドラーズ・ウェルズ・バレエに入団、キャラクター・ダンサーとして活躍し、「ペトルーシュカ」、「ラ・フィーユ・マル・ガルデ」のシモーヌ、「真夏の夜の夢」のボトムなどをあたり役としていました。

振付にも早くから取り掛かり、16歳頃にストラヴィンスキーの「兵士の物語」を振付したのを皮切りに、82年からはサドラーズ・ウェルズで振付活動を本格化します。1986〜93年にはロイヤル・バレエとBRB、双方のレジデント・コリオグラファーとして活躍した後、2年間ほどフリーランスとしてシュツットガルト・バレエなどに作品を提供し、95年BRBの監督に就任しました。

ロイヤルのレパートリーに入る彼の作品は、「トンボ Tom beaux」、「ペンギン・カフェ Still life at the Penguin Cafe」、「The Seasons」、ピーター・ライト振付/アンソニー・ダウエル監修の「白鳥の湖」第一幕のワルツ(87年の改訂で新たに付加された)などがあります。

一方でBRBのレパートリーとしては、「ジゼル」改訂版、「カルミナ・ブラーナ Carmina Brana」(チャウ注:2005年10月末〜11月初めに日本の新国立劇場バレエ団が上演する予定)、「ホブソンズ・チョイス Hobson's Choice」、「エドワード二世 Edward II」、「美女と野獣 Beauty and the Beast」、「くるみ割り人形キャンディ Nutcracker Sweeties」などがあります。 基本的に軽いタッチの演劇的な作品、あるいはイギリス的な文学をモチーフにしているのが特色です。

(追伸:このうち、「ペンギン・カフェ」、「くるみ割り人形キャンディ」はビデオ化されています。「Nutcracker〜」はデューク・エリントンによるジャズ・アレンジされた「くるみ割り人形」第二幕のスコアを用いた作品で、ビデオには現プリンシパル3人-佐久間奈緒、Robert Parker, Chi Cao-も出演しています。ビントリー自身もちょっと出てきます。作品自体は良いのですが、このビデオはなぜかイレク・ムハメドフ、リャーン・ベンジャミン主演のマクミランのヘヴィーな遺作『ユダの樹』が同時収録されていて、並べてみると心情的に一挙に突き落とされますので要注意です。)

  今年で彼の任期は10年となりますが、その間にカンパニーの顔ぶれもまったく変わってしまいました。大きな変化としては、プリンシパルの交代があります。2004/5シーズンにBRBには男7女6の計13人のプリンシパルが在籍していたのですが、一人を除いて全員が1999年以降に昇格しており、しかも7人は2002年の昇格となっています。

これはヒポドローム劇場改築に伴う3年間の財政緊縮、演目の減少、18ヶ月に及ぶツアー公演、更には他のカンパニーからの引き抜きなどで2001年までにプリンシパルの退団が相次いだことにもよるのでしょうが、中々に過激な話です。

ここまで来ると、強引な手段で団員リストラに着手して、ロイヤルの芸術監督を一年で解雇された故ロス・ストレットン氏が頭に浮かびますが、バレエファンの多くを敵に回したストレットンとは異なり、不思議なことに、ballet.coなどに寄せられる投書には彼の手腕に非難・疑問こそあれ、解雇要求などは皆無です。

実のところ、2005年にはプリンシパル6人を含めた15人が一挙に退団し、論争が起こったのですが、 「今回の退団者の半数は実質上前年度から、カンパニーを離れている。50人足らずのダンサーで来シーズンを乗り切るのはハードだがビントリーの人材育成に期待する。カンパニー内の昇進は理に適っているし。」といった意見に最終的には落ち着いてしまったのです。

こうした動きの背後にあるのは、やはり彼がロイヤル内部の人間であること、ロンドンより多くのロイヤル・バレエ・スクール出身のダンサーを起用していることがあるのでしょう。早い話、バレエファンはビントリーに対して仲間意識を持っているのです。個人的にはこうした「村意識」が英国バレエ界の「引きこもり」状態を招いていると思うのですが…。

話を戻すと、ロス・ストレットンとビントリーの相違点をもう一つ挙げるとしたら、所属ダンサーとの関係でしょう。公演ごとに販売されるBRBのプログラムには所属ダンサー全員のプロフィールが明記されるのですが、ソリスト以下がモノクロ+顔写真なのに対して、プリンシパルは各自決めポーズ付の全身カラー写真でビントリー自身の手による紹介文が併記されています。これがまた「彼は多面的なダンサーだ」だの「名クラシックダンサーだ」。はたまた、「彼の急激な昇格は十分に見合ったものだ」「彼女のコミカルなセンスは云々」と、とにかくほめまくっています。いやはや。

とはいえ、簡単にプリンシパルを外部から調達することなく、スクール上がり、もしくは外部移籍ながらソリストに甘んじていた内部の人材を、積極的に起用することでダンサーを育ててきたのも事実です。実際BRB内部は非常に仲がよいらしく、ソリスト入団したあるダンサーは、入団して数日以内にダンサー及び関係者全員と知り合えたのでありがたかったとインタビューで述べています。

では、なぜ、そんなフレンドリー村的カンパニーから大量退団が、そしてアーツ・カウンシルの資産凍結が起きたのでしょうか?これにはBRBがコヴェント・ガーデンの兄弟カンパニーであると同時に、バーミンガム市(Birmingham City Council)の管轄に置かれているという特殊な位置づけ、さらにカンパニーの性格自体が抱える問題に原因があるようです。次章では、バーミンガムがどのような街であるのか、そしてカンパニーが何を目指しているのかを併せて述べていきたいと思います。


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