Club Pelican

Stories 11

「危険な関係 ( "Les Liaisons Dangereuses")」
日本公演感想集(東京編)

by 桃花


今回の「危険な関係」は、22日夜公演(初日)、26日昼公演、2月11日、12日、15日と見てまいりました。

私は「SWAN LAKE」のSwanの優しさや強さが好きで、DVDを見るたびに、何故か癒され、涙している人間なのですが、初日は2階席で遠かったにもかかわらず、あの1幕終わりの強姦シーン、天蓋から降りてくるアダムの危険な魅力にぞくぞくっとして心わしづかみにされつつも、ダイレクトな性的描写が、そういう内容の舞台なのだと頭では理解しつつ、今ひとつ受け入れられずにいました。

26日、一度見たから少しは慣れたものの、頭の中に霧がかかったようで、何か重くよどんだものが残り釈然とせず、ひたすらぼ〜っとして帰りました。

そして11日。サイモンの舞台。アダムが出ていないせいか、とてもリラックスして見ることができました。出ていると見逃すまいと必死になるあまり疲れてしまうのでしょうか・・(笑)

びっくりしました。と同時に本当にスゴイ兄弟だと感動しました。サイモンの舞台はアダムの舞台と比べて何の遜色もない。

顔は違うけれど、体付きは、パッと見はアダムに似ているし、その長い手足を使った踊りは大きくダイナミックで、なおかつアダムより丁寧で柔軟性がある。飛び、回転し、ぴしっと止まりポーズを決めるなど、メリハリの効いた舞台。大人の男の落ち着きと安定感、さりげないけれどわかりやすい演技力、うまく言えませんが、とても成熟した感じがしました。舞台終了と同時に、今までにはなかった深い満足感を覚えました。

ナターシャ・ダトンのトゥールベル夫人は、最初違和感ありましたが、慣れてくると、若い未亡人の、理性で押さえても押さえきれない、女性として自由に生きたい願望みたいなものが、はちきれそうな若さとともに伝わってきました。

清々しくって、素直で自分に正直でウブなトゥールベル夫人でした。サイモンが大人だったので、年上の彼が受け止めてる感じで、あのバランスは結構よかったと思いませんか〜?

狂乱して死ぬシーンは、思わず、彼女がジゼルを踊るところを想像してしまい・・・(チャウ注:びっくり!私もそうでした)。あれはあれでいいけれど、やっぱり、サラの方が成熟度(人間として表現者として)が違うな・・と思ってしまいました。

12日の舞台。兄の舞台を見て、アダムはどう変えてくるのだろうか?・・・と期待していましたが、あまり大きな変化はなく、逆に、心ここにないような感じにも見えました。舞台終了後、周りの方達は、皆、「やっぱりアダムがいい」と。。

サイモンがいいと思ったのは、私だけ?私には、舞台のことはわからないのかなぁ?アダムのよさがわからないのかなぁ・・とか、大事なものを見逃してしまったんだろうか・・とか不安に思っていたのですが、チャウさんの日記を読ませていただいた時、なんとなく漠然と抱いていたアダムの舞台に私が感じていたもの足りなさ、期待していて得られなかったものを言い当ててられたようで、思わず大きく頷いてしまったのでした。

「バレエとは呼ばないでくれ」といっているアダム。最近は、あまりバレエを踊っていないみたいだし、今回の舞台は、椅子の背を使ってのけぞるシーンがあるけど、前より体が硬くなったようにも思えるし、ジャンプも低い、どことなく流して踊ってるような、よいしょと持ち上げてるみたいなリフト。チャウさんの言葉を借りるなら粗さが見えてしまう。

もしかして、お稽古不足?それとももうバレエっぽい踊りはしたくなくなってしまったのかなと密かに心配していたのですが・・・。サラがメインキャストに復活した昨日15日の夜の部。15日のアダムは、今までと全く違っていました。ひとつひとつの踊りも演技も、それはそれは丁寧。

セシルに手紙をヒラヒラ見せるところ、アダムはサイモンに比べ、ややtoo muchに感じていたのですが、それもなくなり、ジャンプ、回転と停止、ポースを決めるところの緩急が抜群。

椅子に座っているトゥールベル夫人の下へ上手から滑り込んで大きく手を広げるシーンなどは、今までとは違うものでした。アダムにしては、ちょっとオーバーだけどドラマチックな仕草だったのです。そこへ体ごと飛び込むトゥールベル夫人。

魅せるところは、きちんと見せる。そして、やっぱりアダムにしかないオーラとテクニックをこれでもかっ!と見せてくれました。「これよ〜、これがアダムよ♪やっと見れた。。」と小さくガッツポーズ。(笑)

そして、サラとのパ・ド・ドゥは、ほんとに二人とも「今ここで一緒にまた踊れる幸せ」を、お互いにかみしめているかのような、非常に優しい、愛情に満ちた踊りでした。

リフトも柔らかく、表情も二人とも切ないほど愛し合っている感じがあふれ出ていてたまらなく美しく、あぁ、アダムはサラを、サラはアダムを本当に愛しているんだなって思ってしまうほどでした。 ストーリーとあいまって、こみ上げてくるものがあり、思わず目がうるみました。5回見て初めてでした。

今回のサラの病気と復活は、アダムとサラだけでなく、全メンバーの一体感、連帯感みたいなものに影響を与えたような感じすらしました。本当によい舞台で、感動に胸を熱くしつつ帰途につきました。

今日のチャウさんの日記で、セシルが何故自分からヴァルモンの部屋へ赴くようになったのか、不自然さがあると書かれていましたが、2幕の踊りの後、メルトイユに言い含められてセシルはうつむきながら自分の部屋のカギを渡す。このとき、彼女はまだショックから立ち直っていません。

しかし、プレヴァンを罠にはめたメルトイユ夫人から話を聞かされたセシルは、二人してケタケタと大笑いしています。つまり、ヴァルモンにカギを渡したシーンからプレヴァンを陥れるシーンの間に、時間の経過を感じます。

その間に、セシルはメルトイユの洗脳?を受け、人の心をもてあそんだり、ゲームのような恋愛をあたりまえと思うように麻痺させられていったのかも・・・と思いました。

真矢みきの特番の映画のシーンで、メルトイユがヴァルモンに「あなたのおかげでセシルは今や誰とでも平気で寝る娘になったわ」というセリフがあったので、そう私は勝手に理解したのかもしれません。。

1幕の終わり方は、やはりかなりショッキングですし、あそこまで表現する必要があるのだろうか・・・と、私も少し疑問に思ったりもするので、あれはもう少し改善されるかもしれないなぁ・・・などと思ったりしました。


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