Club Pelican

THEATRE

「オネーギン」
("Onegin")
Choreographed by John Cranko


注:このあらすじは、英国ロイヤル・バレエにより、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで2002年7月15日、18日、20日(マチネ)に行われた上演に沿っています。登場人物の性格や行動の描写は、当日踊ったダンサーの演技を、私なりに解釈したものです。また、もっぱら私個人の記憶に頼っているため、シーンや踊りの順番、また踊りの振付などを誤って記している可能性があります。


ロイヤル・オペラ・ハウスにたどり着いた時には、開演までまだ一時間半以上もあった。初めてで時間が読めなかったんですう。幸い周りはショッピング街なので、時間をつぶすには充分だし、会場にはまだ入れないけど、ロイヤル・オペラ・ハウスのお店は開いていたので、みてみることにした。小さいお店だし、品物もさして面白くない。CD、DVD、ビデオは町中で売ってるのと大きな違いはないし、"ROH"のロゴとマークが入ったマグカップだの、Tシャツだの、チョコレートだの買ったってしょうがないです。

まだ6時前。オペラ・ハウスの周りを一巡してみることにした。裏の入り口から正面入り口へとまわり、搬入口を通り過ぎ、更に建物の後方へ。ちょうどその時です。向こうから、棒のような体型をした一人の兄ちゃんが、悠然と歩いてくるのが見えました。マジメな顔、まっすぐに前を見据え、真ん中から分けた長い前髪が、歩くたびにゆらゆら上下に揺れています。あのどっかで見覚えのあるハンサムな顔は・・・アダム・クーパーだ!!ひええ〜〜〜〜〜〜っ、マジ!?ウソだろオイ!?いいのかこんなオイシく出会ってしまって!?と思った瞬間、クーパー氏の姿が突然壁の中に消えてしまいました。あり?と思って行ってみると、そこは楽屋口だったのです。でもこれは実に幸先の良いスタートではありませんか。

公演30分前。もう会場に入れるだろう。ボックス・オフィスのカウンター前の壁に、大きなモニターが据え付けてある。モニターの隣にはチケットの販売状況を示す電光掲示板。クーパー君が出演する予定の公演チケットは、すべて売り切れ!!他の日はすべて余っているのに。よしよし。よかった。ホッとしつつ大きなモニターをぼんやり見てると、突然、オネーギンの衣装を着て踊る男性ダンサーの姿が映し出された。

この独特のけだるい雰囲気、しかしとてもしなやかな動き。これは紛れもなくヤツだ!!アダム・クーパー!!ちょっと待て、さっきといい今度といい、なんで不意打ちばっかり〜!!うれすいい〜!!と思って見入ると、タチヤーナ役らしい女性ダンサーとデュエットを踊る場面に切り替わる。この女性ダンサーは、写真で見たことがある。どうやらタマーラ・ロッホらしい。ってことは、これは去年10-12月か、今年1月の公演を収録した映像だ。クーパーの「オネーギン」は、映像収録されていたのだ!!不覚にも胸がドキドキする。売ってくれー!!金はいくらでも出すから〜!!ただし分割払いでお願い、と思ったところで、今度はロス・ストレットンのインタビュー場面に切り替わった。どーやらなにかの番組らしい。でも、そんな番組が放送されたなんて、聞いたことがなかった。一体これは???ホールへのドアが開くのを待っていた客たちがどよめくのが聞こえた。開場だ。パンフレットを買わなければ。あと、トイレにも行っておこう。映像のことはとりあえず後にして、ホールに入る。


第一幕

序曲途中で幕が上がる。紗幕はまだ降ろされていて、その中心に金糸で円形の枠の刺繍があり、中に「E.O.(EUGENE ONEGIN)」の文字。円形の縁に沿ってなにか文章も書いてあったが、意味は分からない。おそらく原作にある頭書きのいずれかだろう。

ロシアの田舎にあるラーリン家の庭。庭には椅子と机がだされ、ラーリナ夫人、乳母、ラーリン家の次女オリガが、長女タチヤーナが今度の誕生パーティーで着るドレスを眺めながら、楽しげにおしゃべりしている。が、当のタチヤーナは、そばの地面に寝っ転って本に読みふけり、ドレスやおしゃべりには見向きもしない。

タチヤーナは本好きでおしゃれには関心がないマジメ少女、一方オリガは椅子の上に立ち上がったり、姉のドレスを自分にあてがったり、非常に天真爛漫な性格なようである。オリガは姉を引っ張り起こし、ドレスをあてがう。

姉妹の友だちらしい少女たちが入ってきて、オリガとともに楽しげに踊り、また鏡に自分の顔を写すと将来の恋人が見えるという占い遊びを始める。そこへオリガの恋人ウラジーミル・レンスキーがやって来る。レンスキーは鏡を覗き込んでいるオリガに後ろからそっと近づき、自分の顔を鏡に映す。オリガは一瞬びっくりし、しかし次には嬉しそうにレンスキーと抱きあい、二人で踊る。その間も、タチヤーナはわれ関せずといった調子でひとり本を読み続けている。

そこへ、ゆったりとした足取りで庭を眺めながら黒衣の青年が現れる。レンスキーは彼をラーリナ夫人やオリガに紹介する。彼はレンスキーの親友でエウゲーニー・オネーギンといい、サンクト・ペテルブルグからやって来た。

オネーギン瞬間の登場から、その黒一色の服装で、彼が異質な存在であることがすぐに分かる。舞台は全体的に淡く柔らかい色調で、夫人や乳母、姉妹はいうに及ばず、レンスキーも淡い明るい色の衣装をまとっている。その中でオネーギンの黒衣は決定的に浮いてみえる。このオネーギンの異質さが、「オネーギン」の重要なポイントであり、一切の悲劇の原因となる。衣装を考えた人に2000点。

黒い衣装のクーパー君が、舞台後方から両手を後ろに組んだ姿勢でゆっくりと現れた。衣装の色のせいもあるのだろうけど、現れた瞬間、私は心中「ほっそー!!」と叫んでいた。一緒に出演していた、他のどの男性ダンサーよりも痩せておりました。

オネーギンは折り目正しいが無表情、ピリピリとした雰囲気がただよい、一見して近寄り難い青年である。レンスキーが夫人と話し込んでいる間、オネーギンは、少女たちの占い遊びに引きずり込まれて鏡を覗き込んでいるタチヤーナにふと目をとめる。オネーギンは彼女の背後からそっと忍び寄り、身をかがめてタチヤーナが見ている鏡を覗き込む。いきなり見知らぬ青年の顔が鏡に映ったのに驚いたタチヤーナは、椅子から飛び上がって逃げ出す。オネーギンはタチヤーナの大げさな反応を訝るが、彼女に礼儀正しく挨拶する。彼はタチヤーナをエスコートして庭の散策に出るが、彼女はオネーギンの腕をとりながらも、俯いたままで肩をすくめている。

ちなみにこの公演でのクーパー君は、たぶん地毛でやっており、プレスリーみたいなヘンなもみあげのついたヅラではなかった。そのせいか、2001年の公演の写真から受けるオヤジくさい印象とは大幅に違い、完全に青年オネーギンになっていた。オネーギンはオヤジダンサー、ごめん、ベテランダンサーが演ずることが多いようだが、原作ではオヤジではなく、若くして人生に倦み疲れたアンニュイな青年貴族だし、ワタシ的にもこの方がグーである。

庭の一角にオネーギンとタチヤーナがやって来る。タチヤーナは俯きながらもオネーギンを見つめるようになっている。オネーギンは表面的には彼女に優しいが、しかし心は何か別のことを考えているらしく、彼女を本当に見てはいない。オネーギンはタチヤーナからふと離れ、彼女はその後ろ姿を見つめる。ここでオネーギンのソロ、「オネーギン苦悩の踊り」。眉間に皺を寄せた表情でゆったりとした動き。クーパー君、こういう踊り得意だね。動きがとても特徴的。全体的にけだるそうな雰囲気とか、あと動きの最後に指先をちょろっと動かすところとか。なんか色気があるんだよなあ。他でも見たことあるけど、やや曲げた右足だけでゆっくりと着地するのって、見てるだけで膝が痛くなるし、バランスとるのが大変そう。

それにしてもオネーギンは、一体何をそんなに悩んでいるのか?原作をみると、てめえざけんな、この無為徒食の搾取階級、食うために働いてみー、Tube Strike!!と言いたくなるようなお悩みだ。要はやることがなくてヒマなのが悩みなのである。小人閑居して不善を為す。しかしタチヤーナは、何か影のあるオネーギンに心惹かれた様子である。若い女の子はとかくダーティーな男に憧れるものだし、あとは、オネーギンとタチヤーナは、周りから孤立しているという点では似ているせいもあるだろう。

二人が去った後、ロシアの民族衣装をまとった青年たちと少女たちが踊る。ロシアの民族舞踊調のアクロバティックな振付。途中でオリガとレンスキーも加わるが、最後の振付は面白かった。男女一組ずつ、縦一列になって、かなり速いスピードで舞台を斜めに走り抜けながら、男性が女性を一秒間隔でリフトし、女性は持ち上げられた瞬間に足を開いて伸ばす。これには終わった瞬間に、会場から盛大な拍手がわき起こった。

客たちが去り、オネーギンとレンスキーもラーリン家を後にする。このとき、舞台の幕は下ろされ、更にその前面にも黒い紗幕がかけられる。紗幕の内側では、家族で楽しそうに笑いあうラーリン一家、踊ったり、家路につく客たち、別れを惜しむオリガとレンスキーがおり、それを紗幕を隔てた外側からオネーギンが見つめる、という演出になっていた。同じ演出が第三幕、オネーギンの回想シーンでもなされており、どうもこれはオネーギンの心象風景なようである。オネーギンは楽しげな彼らの様子を無表情に眺め、やがてさっと踵を返して去る。

ちなみにクーパー君のオネーギンから察した、オネーギンの基本的性格は、「仲間に入れなくて寂しい気もするんだけど、でもどうしてもとけ込めないし、だったらいっそ自分から孤立しちゃおう」というものであった。で、これが、第二幕でオネーギンがタチヤーナを拒否する原因になるのである。

間奏曲(すごいきれい!)が終わると、場面は変わってタチヤーナの寝室。セピア色にくすんだほの明るい舞台に、レース・カーテンが大きくゆるやかに弧を描いて幾重にも下ろされている。舞台美術の人に3000点。右にベッド、左に書き物机、真ん中に大きな鏡。タチヤーナはベッドに横たわって物思いに沈んでいるが、やがて、机に向かうと、ペンを手にとってオネーギンへの手紙を書き始める。

そこへ乳母が入ってきて、タチヤーナはベッドに追い立てられる。しかし寝つかれず、彼女は再び机に向かって手紙を書く。が、彼女はいつのまにか机にうつ伏して眠ってしまう。

タチヤーナは夢を見ている。彼女が鏡の前に立つと、真っ黒い鏡の中に映る彼女の背後に、オネーギンの姿が現れる。タチヤーナが驚いて後ずさると、鏡の中からオネーギンがゆっくりとすべり出てきて、彼女の耳元で優しく語りかけ、彼女を抱きしめる。

ここで第一幕のクライマックス、タチヤーナとオネーギンのデュエット。音楽が劇的なのと同様、踊りも緩急織り交ぜた、とてもロマンティックな振付のもの。リフトは「マイヤーリンク」みたく複雑で激しいものだった。一番印象的だったのは、オネーギンの許にタチヤーナが飛び込んでいって、そのスピードを利用して、オネーギンを軸にして足を広げながら真横にくるりと一回転する、という動きである。「マイヤーリンク」でも似たような振付があった。ただし、タチヤーナが一回転するとき、オネーギンもタチヤーナを支えて振り回すので、よりパワフルでスピード感に溢れる動きになる。この動きを、位置を変えながら四回連続してやっていた。

私はこのデュエットでのクーパー君を目のあたりにし、心の中で彼に土下座して詫びておりました。白状すると、私はクーパー君リフトだいじょぶかなあ、と心配だったのです。前さんざん悪口言われてたし、あまりに細い体型なので、相手のマーラ・ガレアッツィを支えきれず、バックドロップになるんではないかと。ところが。支えてます、ということを微塵も感じさせない、それは見事なリフト&サポートだったのでございます。まるでフォークリフトです。オネーギンは真っ黒な衣装で、ともすると暗い舞台にとけ込んじゃって見えない。そうすると、まるで白いシースルーのシュミーズをまとったタチヤーナだけが、闇の中にふわりと浮かび上がっているようで、とても美しかった。

中でも、ほとんど直立した姿勢のタチヤーナを、オネーギンが高々とリフトする部分があるんだけど、これはとても印象的だった。タチヤーナがオネーギンに持ち上げられているんじゃなくて、空中に立っているように見えた。どういう支え方をしていたんだろう?多分クーパーが片腕を真上に伸ばした状態で、手でガレアッツイの足の付け根を支える。んで、もう片方の手では彼女の太ももかふくらはぎを支える、という感じ?

考えてみれば、これは相当コワイ。クーパーは身長が182,3センチはある。しかも彼の腕は長い。その彼が腕を真っ直ぐに伸ばした、その手の部分にガレアッツイのおしりがあるとなると、ガレアッツイの目線は、最低見積もっても地上3メートルの空中にあったことになる。しかも彼女はクーパーに掴まることなく、両手をゆるく前に差し出した姿勢だったし、クーパーの体に腰掛けていたわけでもない。彼女を支えていたのはクーパーの両手のみである。支える方もタイヘンだが、支えられる方も並々ならぬ度胸が要るだろう。こんなことは信頼関係がなければできない。

クーパーの腕の動きもとりわけすばらしかった。一人での動きの時、体を回転させながら、腕も伸ばして同時に回転させるところがあり、その腕の動きが描くラインは、完璧に曲線で繋がる立体図形になっていて、これには一瞬息をのんだ。それから後ろ向きに身を反らせてジャンプしたのが、とてもスピーディー且つきれいでした。左足がぴーんと弓なりに後ろに反っている。やればできるんじゃん(←エラソー)。

また、「息の合った踊り」ってこういうものなんだ、と、このデュエットを見て、はじめて実感した。「オネーギン」は、キャスト変更が何度もあったため、渡英前は本当にハラハラさせられた。タチヤーナ役のマーラ・ガレアッツィは、ケガをしたタマーラ・ロッホの代役として舞台に上がったのだが、幕間には多くの人がガレアッツィに感嘆していた。

息が合っていない、というのは、両人の動きに、もたつきやぎこちなさがみられる状況を指すんだろうと思う。ところが、クーパーとガレアッツイは、一方が一方に無理に合わせているといった不自然さや、「お見合い」状態な「間」が微塵もなかった。二人が自然に動けば、それがそのまま合っていた。踊りがすばらしいとはどんなことなのか、私にはイマイチよく分からないのだけど、でも二人がすばらしい信頼関係にあることが、よく伝わってきた。それが真実なことは、カーテン・コールの二人の様子、特にクーパー君の彼女に対する態度から確信した。

オネーギンは鏡の中へ消える。どうやって人が鏡を出たり入ったりできるのか?というと、実に簡単なことで、鏡は空洞なのである。タチヤーナが自分の姿を鏡に映していたのは、同じ格好をしたもう一人のダンサーが鏡の向こうに立ち、動きを合わせていただけのことだ。そう、ドリフで志村けんと沢田研二がやった「鏡コント」と同じである。

一つ疑問なのは、オネーギンが鏡の中に消える瞬間、両腕を仮面ライダーの「へーんしん!」のポーズみたく、ぶるんぶるんと振る動きがあるんだけど、あれは何を意味しているのか、ということである。はっきりいってヘンなのでやめてほしい。

朝になり、目覚めたタチヤーナは部屋に入ってきた乳母に、オネーギンへの手紙を託す。


第二幕

タチヤーナの誕生パーティー。招待客たちがラーリン家の広間に続々とやって来る。タチヤーナは客たちの祝福を受けている。

レンスキーとオネーギンもやって来る。タチヤーナは客の相手をしながらも、自分の手紙を受け取ったはずのオネーギンが気になって仕方がない。

そんな中、ラーリン家の遠戚に当たるグレーミン公爵が現れる。物腰は柔らかく、温和で優しそうな人物で、タチヤーナに好意を持っているようである。

20日のマチネでは、クーパー君がこのグレーミンを演じた。なんで?と思っていたのだが、この日のラーリナ夫人役はニコラ・トラナーで、映像版「三人姉妹」や「マイヤーリンク」に出ていたから、すごく嬉しかったと同時に、マチネの主役を踊る新進ダンサーをサポートするため、脇役にベテランを起用するのだろうと納得した。

グレーミン役のクーパーは、金モールの飾りの付いた軍服にブーツという衣装で、まるでルードヴィヒ二世そっくりのかっこよさ。やっぱりこの人、容姿の美しさという点で圧倒的に群を抜いている。出てきた途端、会場全体が物言わぬ声で「出た〜〜〜〜っクーパーだ!!」と言ったのが分かったし、私もいい年こいて「キャーッキャーッキャーッキャーッキャーッキャーッ」と心の中で悲鳴を上げ続けていた。恥ずかし。

オネーギンは「孤独で悩める男」なのだが、この辺から、それは実は彼の一種の「気取り」であり、すべては彼の心の問題に過ぎない、ということが分かってくる。徐々にオネーギンの化けの皮が剥がれてきて、幼稚で未熟な人間性がかいま見えてくる。

まず、オネーギンは、第一幕であれほど慇懃無礼に、冷たく振る舞っていたくせに、グレーミンのような高位貴族に対しては、妙にへりくだった態度をとるのである。

それから彼はワルツやマズルカを楽しげに踊る人々に背を向け、机に向かってトランプの一人遊びを始める。向こうではタチヤーナが老人たちの話し相手をしながら、遠目にオネーギンの様子を窺っている。オネーギンはタチヤーナと目を合わせようとしないが、明らかにタチヤーナの視線を意識しており、神経質な手つきで、しつこく何度もトランプ遊びを繰り返す。つまり、こいつはこういうヤツなのである。年下の少女にまっすぐな気持ちをぶつけられて、普段の冷静ぶった態度とは裏腹に、狼狽しているのである。

客たちの姿が広間から一瞬いなくなる。その場にはタチヤーナとオネーギン二人が残される。タチヤーナは彼を見つめ続け、オネーギンはトランプをめくる手を止め、やがて意を決したように椅子から立ち上がる。

オネーギンはタチヤーナに近づくと、懐から手紙を取り出し、タチヤーナの胸元に突き返す。ここでオネーギンにとって意外だったのは、自分が突き返した手紙の受け取りを、彼女が拒んだことである。彼女が素直に身を引いてくれることを望んでいたオネーギンは、彼女の弱いながらも折れない強い態度によって、逆に自分が混乱に陥る。

感情的になったオネーギンは、背を向けて泣くタチヤーナの後ろから、両手を彼女の目の前にさしだすと、手紙をびりびりに破き、それを彼女の手に無理矢理握らせる。これもまた気の弱いことに、彼は自分への恋文を、書いた本人の面前で破くという、残酷この上ない行動に出ながらも、彼女の顔をまともに見る勇気がないのである。

呆然と立ちつくすタチヤーナの手のひらから、紙片がはらはらと舞い落ちる。オネーギンは彼女に背を向けているが、感情にまかせて彼女を傷つけてしまったことに、内心気まずさを感じている。

そこに踊る人々の輪が戻ってくる。ここでだ。オネーギンは、不自然に明るい態度になり、わざとらしく笑う。レンスキーと踊っているオリガの手をつかんで引き寄せ、トランプ遊びに誘い込む。オリガはレンスキーの許に戻ろうとするが、オネーギンはしつこく何度も彼女を引き留める。バカな男である。タチヤーナへの罪悪感に耐えられず、更にタチヤーナを傷つける行動に出たのだ。まるで好きな女の子をいじめる小学生のガキである。

オリガは徐々にオネーギンのペースに巻き込まれていき、ついには彼と踊り出す。ここのオネーギンとオリガとの踊りは、両手を繋いだままの状態で、体の向きを裏返しにしたり、小刻みでしかも複雑なステップのもの。

レンスキーは些かムッとした態度で、彼女を強引に引き戻そうとする。が、オリガはそんなレンスキーを面白がり、彼女とオネーギンは挑発するように彼から逃げ、わざと見せつけるように楽しげに踊ってみせる。見かねたタチヤーナが割って入り、オリガをレンスキーの許に戻す。

タチヤーナは、あれほどひどい仕打ちを受けながらも、それでもオネーギンに目を向けてほしくて、必死な表情で踊ってみせて、彼に気持ちを訴えようとする。この時のガレアッツィの表情といったら、今思い出しても涙が出てきそうだ。けなげで痛々しい。が、この一途な行動が、更にオネーギンの暴走に拍車をかける。

オネーギンはバン!と机を叩いて椅子から立ち上がり、タチヤーナを睨みつける。タチヤーナは泣きながら走り去る。彼はいよいよムキになってオリガを引き寄せ、彼女と踊る。とうとうレンスキーの怒りが爆発し、彼は手袋でオネーギンの頬を叩き、決闘を申し込む。オネーギンは驚き、レンスキーの肩を抱いてなだめようとするが、レンスキーは更にオネーギンの頬を叩く。オネーギンは憤然とした態度で手袋を拾い上げ、決闘を受けると、身を翻して広間を後にする。

この第一場は心理ドラマという感があって本当に見応えがあった。明るい調子のマズルカを踊る人々の輪の中で、オネーギン、タチヤーナ、レンスキー、オリガ四人の関係が、徐々に緊張したものになっていき、ついには破綻する。すべての元凶はオネーギンなのだが、オネーギンは破壊することに意義を見いだすといった、無意味にデモーニッシュな人物なのではない。彼は実は気が弱く自信のない男で、タチヤーナにまっすぐに気持ちをぶつけられ、どうしたらよいのか分からなかったのである。彼女を恐れたオネーギンは、ひたすら彼女を攻撃することで自分の自尊心を守ろうとした。ということを、クーパー君のオネーギンは雄弁に語ってくれたのですよ。観る前は、意味なくひたすら悪いヤツを演じていると思っていたから、これはとても意外でしたが、彼の演技の幅広さと、役の解釈の奥深さに感服しました。

決闘の朝。レンスキーは一人決闘の時を待ちながら、幸せだった頃のことを懐かしく思い出している。そこにタチヤーナとオリガが決闘をやめさせようとやってくる。しかしレンスキーは耳を貸さない。ここの踊りもとても特徴的だった。特にサンドイッチみたいに、姉妹がレンスキーを挟んですがりつき、レンスキーが姉妹を交互にリフトするところ。

やがてオネーギンも現れる。姉妹はオネーギンにもすがって思いとどまらせようとする。彼は姉妹を振りのけると、レンスキーに近づき、最後の説得を試みる。しかし、レンスキーはオネーギンを平手で殴る(ここは本当にビンタしていた。いい音してました)。

つれづれにちょっと計算してみた。2001-02シーズン、クーパーは合計7回オネーギンを踊っている。レンスキー役はイーサン・スティーフェルとイワン・プトロフの二人で、クーパーはスティーフェルには計3回、プトロフに至っては計4回も舞台上で殴られていることになる。これにリハーサルを加えると、最低でもこの2倍は殴られているだろう。このような場面が展開されたと考えられる。

〈リハーサルにて@〉スティーフェル(←今までくさるほどレンスキーをやってるので慣れた調子で)「じゃあいくよお。」クーパー「オッケ〜。」スティーフェル、爽やかな笑顔でクーパーに強烈ビンタを食らわす。クーパー「・・・・・(そのまま気絶)。」

〈リハーサルにてA〉プトロフ、クーパーのほおを恐る恐る殴る。ぺそっ、という情けない音。クーパー「あかんがなー!!客に聞こえんわ!もっと力入れんかいコラ」プトロフ(涙目で)「いいんスか?ホントーにいいんスか?」クーパー「わしらは舞台で痛い思いしてなんぼじゃ。遠慮すなー!!」プトロフ「じゃ、失礼するっス!(思い切りビンタする)」バチーン!!という威勢のいい音。クーパー(実は相当痛かったがやせ我慢)「今度はまあええわ。」プトロフ「クーパーさん、口から血が出てます」

オネーギンは激怒し、決闘の場である森へと去る。ここで覚えているのは、「オネーギン怒りの踊り」。同じ場所でふんばって跳び上がってくるくる回ったあとに、腕を怒ったように振り回すの。見とれたんじゃなくって、笑えたから。

レンスキーはオリガを抱きしめてキスをし、タチヤーナに挨拶して去る。木陰でオネーギンとレンスキーは銃を向け合う。銃声がした瞬間、レンスキーが倒れる。オリガはその場で気を失う。タチヤーナの傍らに、オネーギンが無表情に戻ってくる。タチヤーナは、こぶしを固く握りしめ、怒りのこもった凄絶な表情で立ちつくす。オネーギンはマントの下からゆっくりと両手を出し、自分の手のひらを見つめる。親友を殺した手。徐々に表情が苦しそうに歪み、そのまま両手で自分の顔を覆ってくず折れる。


第三幕

長い年月の後。モスクワのグレーミン公爵邸。公爵夫妻主催の舞踏会が催されている。

幕が上がると、すでにダンサーたちが舞台上に居並んでいる。帝政ロシアのきらびやかな軍服の男性が、豪華なドレスに身を包んだ女性の手を取り、女性はドレスの端をつまみ上げてワルツを踊る体勢をとっている。金糸や銀糸の縫いとりが施されたドレスの裾が扇状に広がり、この美しい光景に感嘆した観客から、大きな拍手が自然と湧き起こった。

黒衣をまとった初老の男がやって来る。足取りはおぼつかなく、やつれきった表情をしている。あのオネーギンのなれの果てである。

突然舞台が暗くなり、客たちの姿が消える。オネーギンの周りに女性たちが次々と現れ、彼と踊っては姿を消していく。原作からすると、あの後オネーギンは様々な女性と恋愛を重ねては、結局真剣に愛せる女性を見いだせずに(当たり前だ)、この年まで独り身できた。

オネーギンは疲れ切った足取りでよろよろと、舞い踊る客たちに背を向けて椅子に座り込む。若い時から何一つ変わっておらず、依然として孤独なのである。そこへ、グレーミン公爵が夫人を伴って客たちの前に現れる。夫の腕をとりながら現れた公爵夫人は、夫を信頼しきった眼差しで見つめてはその肩にもたれ、夫の公爵は優しい微笑みでそれを受けとめる。夫人は優雅な美しさと気品とに溢れ、鷹揚に客たちに挨拶する。やがて公爵夫妻は二人で踊り始める。

椅子にもたれて休んでいたオネーギンは、ようやく公爵夫妻に気が付いて目を向ける。オネーギンは驚愕する。公爵夫人は、かつて自分がさんざん傷つけてはねのけた、あのタチヤーナだったのである。夫と踊るタチヤーナの、自信に満ちた輝くような美しさに、オネーギンは我を忘れて見とれる。

ここの音楽は、「三人姉妹」で、マーシャとヴェルシーニンの別れのデュエット前半に使われている音楽と同じもの。チャイコフスキーでドラマティックな音楽を探そうとすると、やっぱり同じ作品に行き着いてしまうものらしい。

20日マチネでの出来事であるが、このとき客席で、なんとフラッシュをたいて(意味ないよね)写真を撮った大バカ者がいた。しかも二回。セキュリティー・スタッフにつまみだされたことを祈るが、これは絶対にいけない。肖像権だの、劇場での常識だの以前に、ダンサーにとって非常に危険だ。踊っているときにフラッシュが目に入ったりしたら、深刻な事故を引き起こしかねない。

公爵夫妻が去った後も、オネーギンは踊りにも加わらず、一人呆然と立ちつくしている。が、やがて何事かを決意したかのように、広間を後にする。

第一幕と同様、ここで黒い紗幕が下ろされ、その外からオネーギンが紗幕の内側に展開される光景を眺める演出がなされる。今目の前で狂ったように踊っている舞踏会の客たちの中に混ざって、昔のタチヤーナ、オリガ、レンスキーが現れる。タチヤーナは手紙を握りしめ、悲しげな表情でオネーギンを見つめ、レンスキーは銃を向けるかのように右腕をオネーギンの方に突き出す。オネーギンがそれを止めようと手を挙げた瞬間、レンスキーは倒れる。オネーギンは混乱してその場から逃げ出す。

タチヤーナの部屋。舞台中ほどに紗幕が下ろされ、左に入り口がしつらえてある。舞台前方右には机と椅子。タチヤーナは手紙を読んで驚愕した表情を浮かべている。オネーギンが寄こした手紙である。

そこへグレーミン公爵が入ってくる。くすんだブルーグレーの軍服のロングコートにブーツ。みなさん、クーパー君がこんな格好で舞台に現れたらどうします?観客はみんなうっ、と息をのんでいましたよ。ワタシは一目見た瞬間、ふー、と失神しそうになりました

タチヤーナは気を取り直して夫を迎える。公爵は出かけるところらしい。タチヤーナはふと夫に抱きつき、そのまま離れようとしない。公爵は困ったような笑みを浮かべて、彼女を優しく抱きしめると、静かに部屋から去っていく。

紗幕の向こうに、オネーギンが駆け込んできたのが見える。オネーギンは扉の前でしばらく行ったり戻ったりし、オネーギンがやって来た気配を察したタチヤーナも、部屋の中をうろたえながら行きつ戻りつする。ここの二人の動きは連動していて、客席からは二人の動きが紗幕を隔てて前後に重なって見える。

オネーギンはようやく部屋に駆け込んでくる。タチヤーナは机の前に坐り、張りつめた表情のまま身じろぎもしない。彼女はゆっくりと立ち上がる。オネーギンは彼女の足下に倒れ伏す。それを無視して離れようとするタチヤーナの腕を、彼は何度もつかんでは跪き、また彼女を追いかけては抱きしめ、肩や首筋に接吻する。

これからが第三幕の、そして作品全体のクライマックス、タチヤーナとオネーギンとのデュエット。第一幕の最後に、タチヤーナが夢の中でオネーギンと踊ったデュエットと対比させたもの。似た振付だが、しかし二人はもう大人で、立場も逆転しているため、かなり激しく官能的な踊りになっている(ここでクーパー君、髪を振り乱しての大熱演。なんかすげえ音楽と合ってるの)。第一幕でのデュエットの音楽が反復され、オネーギンの振りにも第一幕と同じものが繰り返される。少女時代のタチヤーナが夢で見たのと同じもの。

オネーギンの激しい求愛に、タチヤーナの頑なな表情が、徐々に苦しげなものに変わる。彼女の心は揺らぎ始める。オネーギンは、彼女の腕を引っ張り、一緒にここから出ていこうと促す。タチヤーナはオネーギンに抱きしめられながら、身をよじって悩み苦しんでいたが、ついに決然として彼を振り払う。彼女は震える手でオネーギンからの手紙をつかみ取ると、それをオネーギンの胸元に突き返す。オネーギンは狼狽しながらも首を振って拒む。タチヤーナは手紙を引き裂くと床に投げ捨て、扉を指さして彼にここから立ち去るよう命ずる。

オネーギンは彼女の足にしがみつき、最後の哀れみを請うが、タチヤーナは、「永遠に彼女の人生から出ていく」よう、厳然として再び彼に命令する。絶望したオネーギンは部屋から転び出ていき、タチヤーナはそれを追いかけようとして踏みとどまり、揺れ動く心を抑えながら立ちつくす。

カーテン・コール。全員が舞台上に立って挨拶したとき、まずガレアッツィ、続いてオリガ役のジェーン・バーンに劇場側から花束が贈られた。その時、突然客席から、花がいくつも舞台上に投げ込まれた。すると、クーパー君はそれらを拾い上げ、まとめてガレアッツィに手渡した。

次に幕が下ろされ、数人ずつ、そして一人ずつ挨拶に出てきたが、やはり主役の二人に対しては、最も大きな拍手と賞賛の声とが送られた。とても印象的だったのは、ガレアッツィとともに出たクーパー君が、いきなり彼女の頭を両腕でがばっと抱え込み、彼女の髪にむー、と力を込めてキスをしたことである。二人の身長差はどうみても20センチ以上あり、まるで兄が小さな妹に対してするような、いくぶん子供っぽい仕草で、観客席から「おお」と大きな笑い声が起こった。すごくほほえましい情景で、ガレアッツィとクーパー君は、たぶん本当に気が合うんじゃないかな。クーパー君にしてみれば、突然の大役に、堂々たる見事な踊りと演技とで挑んだ彼女が、好きで仕方ないんだろう。

バレエの全幕ものなんてヒマそうだし、原作もつまんないけど、オペラの方は好きだし、すべては踊る生クーパー君を目にするため。とはいえ3時間も耐えられるか?と思っていたが、意外にも「オネーギン」はとても面白かった。舞台や衣装は美しくシックで、演出や振付に象徴や暗示が多くあり、とても演劇的だった。それに音楽がとてもドラマティックできれい。バレエの全幕ものは、あってもなくてもいいようなストーリー、ヘンテコな衣装を着たダンサーが順番に踊って、他のダンサーはそれを周りでぼーっと見ているだけ、という偏見があっただけに、とても意外で感動した。

更に意外だったのは、クーパー君のキャラクターづくりの見事さである。これも彼に土下座して詫びたい。私は観る前は、オネーギンにAMP「白鳥の湖」の黒鳥をどこかで期待していたし、向こうの批評だってそんな言い方をしているものがあった。しかし、そうした予想はきれいさっぱり覆された。この人はおそらく、どんな役柄であれ、実に見事にやってのけるだろう。どうやったら客に効果的に見せられるか、分からせることができるか、といったことを緻密に計算している、全くもってプロのダンサーである。

(2002年7月23日)


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