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NOTE

ルジマトフ&レニングラード国立バレエのソリストとサンクト・ペテルブルクのダンサーたち

(2009年7月23日、ゆうぽうとホール)

今回は公演プログラムを買わなかったので、出演したダンサーたちの経歴やバレエ団(サンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエ)の組織概要などはまったく分かりません。調べようと思って検索かけたら、記事が出るには出たのですが、ほとんどロシア語でさっぱり意味が分からない。というわけで、この感想は感想だけです。ウンチクやマメ知識は一切なし。

私はそう気にしていなかったけど、今回の公演は演目やキャストが何度か(2回くらい?)変更されたようだった。最後に変更があったのは公演直前らしくて、会場に行って演目&キャスト表を見たら、主催元の公式サイトに掲載されていた内容とかなり違ったのでちょっと驚いた。

だからといって特に大きな不満を覚えたというわけでもない。ただ、『シェヘラザード』のアダージョで、オクサーナ・シェスタコワ(レニングラード国立バレエ)がゾベイダ(王妃)役を踊るというので楽しみにしていた。シェスタコワなら、きっと見ごたえのある踊りと演技とを見せてくれるだろうと思っていたから。でも、ゾベイダ役はイリーナ・コシェレワ(レニングラード国立バレエ)に変更になっていて、それが唯一残念だった。

演目を一覧して思ったのは、ルジマトフは現在、レニングラード国立バレエの芸術監督の仕事で本当に忙しくて、本来なら日本までやって来てガラ公演を行なう余裕などないんだな、ということ。演目の構成は本当にパ・ド・ドゥやソロを集めただけで、以前のルジマトフのガラ公演のように、たとえばメインとなる作品を中心に据えて練り上げた構成とは言いがたかった。それでも日本のファンのために時間をやりくりしてこうして来てくれるんだから、ルジマトフは誠意のある人だし、本当にありがたいことと思う。

第1部の最初は『白鳥の湖』よりグラン・アダージョ、オデットはヴィクトリア・クテポワ(レニングラード国立バレエ)、ジークフリート王子はミハイル・ヴェンシコフ(レニングラード国立バレエ)、白鳥のコール・ドはサンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエ。

サンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエというバレエ団はまったく知らなかったし、もちろん今回が初見。白鳥のコール・ドを見ると、手足が長くてスタイルが良くて顔もそれなりなダンサーばかりだし、彼女たちの身体能力や技術も、少なくとも西欧のそこらのバレエ団のコール・ドよりはるかに優れているようだし、踊りも割とよく揃っていたし、なかなか良いバレエ団なんではないかと思った。ロシアのバレエ団というのは本当に層が厚いんだなあ。

主催元の光藍社の公式サイトを見てみたら、サンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエについての説明文がありました。まず正式名称は「リムスキー=コルサコフ記念サンクトペテルブルグ・コンセルヴァトワール・バレエ」で、「1970年代にF.ロプホフのもと設立。80年代にはロシア人民芸術家N.ドルグーシンのもと、『くるみ割り人形』『白鳥の湖』『ジゼル』などのクラシック・バレエのレパートリーを拡大。サンクト・ペテルブルグをはじめ様々な都市で公演を行う。2009年、芸術監督にO.ヴィノグラードフが就任。ますますの発展が期待される」だそうです。

ロシアのバレエ団の層の厚さについての続き。じゃあ、たとえばマリインスキー・バレエとこのサンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエの女性コール・ドとでは何が違うか、身体能力とか技術とか以前に、身長と体格(ついでにいうと顔)じゃないかと私は思った。サンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエのダンサーたちは、たぶんマリインスキー・バレエのダンサーたちに比べると、背が低くて体格も小柄で(そしてやや容貌が劣る)なんじゃないかと思う。ロシアでは、ダンサーたちの身体能力や技術にあまり大きな差はなく、最後の最後で彼らの立場を決定するのは、結局は見た目だ、と私はかねがね考えているんだけど、どうでしょ?

演目&キャスト表で、クテポワがオデットを踊るのを知って、なんでクテポワはよりによって、ごまかしのきかない古典の名作中の名作ばかりを踊りたがるのか、と思った。クテポワがルジマトフのガラに出演することについては、別になんとも思わない。個人のガラ公演っていうのは、知り合いのダンサーばかりを集めるものでしょ。だから、ルジマトフの奥さんであるクテポワが出演するのは当たり前なこと。

ただ、出演するのなら、ちゃんと踊れる作品を選んで踊ってほしい。ちゃんと踊れない作品をなぜ選ぶかな〜?公演とは観客に良い踊りを見せる場であって、単なる「自分へのチャレンジ」の場で終わらせてほしくない。以上は、クテポワが実際に踊る前に考えたことで、今まで見てきたクテポワの踊りからこう予想した。そして、実際のクテポワによるオデットの踊りは、この予想どおりの出来だった。

クテポワにとっては、片足で立っていることがかなり難しいらしく、ポワントだろうが踵を地に着けていようが、立っている脚が常にガタガタと震えており、見ているほうはいつ膝が崩れるかとハラハラする。驚いたことに、王子役のヴェンシコフに手を取られている、腰を支えられているときでさえも、クテポワの脚はガクガクする。全身の動きも不安定でガタついており、クテポワは自分の身体をきちんとコントロールできていないのではないかと思った。

でも、おかげで、グラン・アダージョでのオデットの静かでゆっくりとした踊りが、踊る側にとってはどんなに難しいものであるのかがよく分かった。この点ではクテポワに感謝しなければならない。

ヴェンシコフのサポートとリフトはよかった。回れば斜めになり、動けばぎこちない重さを感じさせるクテポワをよく助けながら踊っていた。クテポワはかなりな長身のようだけど、王子がオデットを頭上高く持ち上げるところでも、ヴェンシコフはクテポワを高々と持ち上げてビクともせず、とても力強かった。

『くるみ割り人形』よりパ・ド・ドゥ、金平糖の精はオレーシア・ガピエンコ、王子はアンドレイ・ベーソフ(サンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエ)。

私は『くるみ割り人形』というバレエが好きでなく、あまり観たことがない。だから金平糖の精と王子とのパ・ド・ドゥの振付についてはまったく覚えてなかった。よって知らない踊りを初めて観たような気がしたせいか、あんまり印象に残らなかった。だけど、ガピエンコはなかなか優れたダンサーだと思った。ベーソフはまだ若い(ように見える?)ダンサーで、長身でスタイルが良い。ただ、ヴァリエーションやコーダでは、テクニックはそれなりにあるらしかったけど、まだ動きをこなすのでいっぱいいっぱいな感じで余裕がなく、足元もガタつくことが多かった。まだこれからなダンサーなんだろか。

『海賊』よりパ・ド・トロワ、メドーラはイリーナ・コシェレワ、アリは西島千博、コンラッドはミハイル・ヴェンシコフ。コシェレワは真っ青なチュチュ、西島千博はくすんだ金のハーレム・パンツ、ヴェンシコフは白っぽい、やたらと布の分量の多いビラビラした衣装を着ていた。

ちゃんとしたクラシックを踊る西島千博を観るのはこれが初めてなので、興味津々だった。しかも難しいテクニックと演技とが必要なアリを踊るとは。ルジマトフのガラでアリを踊るなんて、という意見もあったようだけど、新国立劇場バレエ団のマイレン・トレウバエフだって、マリインスキー・バレエのイーゴリ・コルプだって、ルジマトフのガラでアリを踊ったことがあるんだから、西島千博が踊ったって別にいいワケだ。でも、西島千博に限って問題視されるのは、西島君が「キワモノ」バレエ・ダンサー扱いされているからだろう。

西島千博がスターダンサーズ・バレエ団を退団したのは、私は仕方のないことと思っている。彼はスターダンサーズ・バレエ団の他のダンサーたちと、あまりに差がありすぎた。あのバレエ団だけに収まりきれるようなダンサーではなかった。でも、それならばどのバレエ団にふさわしいかというと・・・、私個人が思うことには、彼のようなタイプ、つまり踊りに表現力があって、いかなる振付であっても適応して自分のものにすることができ、更に観客を楽しませるエンタテイメント性に富んでいるが、しかしクラシック・バレエのダンサーが守るべき「枠」からは外れている、そんなダンサーが安住できるようなバレエ団は、今のところ日本にはないのではないか、と。

西島君はこれからどうするのか、と思っていたが、やがて彼は、私が「ああ、やっぱりそうなってしまったか」という道に踏み込んでしまった。というより引き込まれてしまった。彼自身の力ではなく、メディアの力によって、「世界で活躍する、日本を代表するバレエ・ダンサー」になってしまったのだった。

そんなこともあって、西島千博がアリを踊るということを知り、俄然として楽しみになった。というより、ちゃんとアリを踊れるかどうか心配になった。

舞台に出てきた西島千博を見たとたん、吹き出しそうになったと同時に、違和感がこみ上げた。パ・ド・トロワの最中、彼はずっと奇妙な笑いを浮かべ、「自分独自のアリ」を意識的に演出した踊りをしていた。しかも過剰に。西島君が踊っている最中、私は西島君の顔をまともに見ることができなかった。彼の顔があまりにおかしくて、爆笑しそうになったからです(笑)。

唇の両端を極端に上に引き上げた、海外の民芸品の人形なんかにありそうなヘンな笑いを浮かべながら、西島君はアリのヴァリエーションとコーダを踊った。テクニックのなさをスピードとポージングとでごまかした小器用な踊りを、彼は自分独自の個性的な踊り、と思っているかのようだった。しかも、彼は自分の「個性ある踊り」を押し付けがましく、これでもかこれでもかとばかりに見せまくる。個性は無理に見せるものではなく自然に見えるものなのに。西島君自身がそのことに気づいていないらしいことで、私は更に彼がかわいそうになった。ほんとに、彼はこれからどうするのだろうか。

メドーラを踊ったコシェレワは、前に踊ったバレリーナたちよりはるかにすばらしかった。美しい腕の運び、柔らかにしなる身体、安定した動きと姿勢、全身が艶やかに輝いているかのような踊り、豊かな表情、出てきた順番にバレリーナがグレードアップしていくなあ、と思った。レニングラード国立バレエには、短い間に「化ける」バレリーナが時々いる。今はマリインスキー・バレエに移籍したというエレーナ・エフセーエワもそうだったが、コシェレワもそんな感じがした。最後の『シェヘラザード』で、ますますその思いは強くなった。

コンラッド役のヴェンシコフのヴァリエーションを見て、なんとなくホッとした。表情、仕草、姿勢、動き方が「男性ダンサーが踊るクラシック・バレエ」だったから。クラシック・バレエそのものが最上の踊りとは思わないが、クラシック・バレエを踊るのなら、クラシック・バレエの規範に則って踊るべきだよな、とは思う。それが嫌なら、クラシック・バレエを踊るべきではない。私がクラシック・バレエを観るとき、守るべき制約の中にそのダンサー独自の表現がにじみ出ている踊りには感動するが、制約を破って自分勝手に動いているだけの踊りには嫌悪感すら抱く。

「阿修羅」、振付は岩田守弘(ボリショイ・バレエ)、音楽は藤舎名生。ダンサーはもちろんファルフ・ルジマトフでございます。「阿修羅」を観るのはこれで3回目。今回はどんな衣装で登場するのか。

衣装的には、装飾品が多くてちょっと残念だった。額にビンディーをつけて、更に今回は腕環と首飾りを着けていた。阿修羅像に彫られているのと同じようなデザインの、じゃらじゃらしたアクセサリーだった。どうしてこんな余計な「飾り物」を増やしちゃったのかしら。去年「阿修羅」を踊ったときには、髪を後ろでしばって、ズボン1枚だけを穿いてというシンプルな衣装で踊って、それがなおさら阿修羅の内面を表現していた感じがしてすばらしかったのに。

でも、今年のルジマトフの「阿修羅」は、「静」の印象が強かった。以前の「阿修羅」では、ルジマトフの動きや表情が激しくて、張りつめたような厳しい雰囲気があって、どちらかというと「動」の印象が強かった。振付はもちろん同じものなんだけど、今回は動きや雰囲気が静かで、もはや悟道に達したかのような(マジで)落ち着きと静謐さとを感じさせた。

「阿修羅」の後半では回転や跳躍などの激しい振りが出てくるのだけど、それでもすごく静かだった。隅々まで完璧にコントロールされた身体が作り出す動きは、同じ振りでも印象がまるで違う。また、片脚を横に徐々に上げていって静止するところは、たっぷり時間を取ってゆっくりとやらなければならないが、ルジマトフの脚はまったくグラつかず、体も揺らぐことなく、まるでスローモーションを見ているかのようで、思わず「うゎぉう!」とオヤジ声で唸ってしまった(周囲の方々ごめんなさい)。

ルジマトフは、普通の服を着て、芸術監督として舞台に挨拶に出てくるとすごく細い人なんだけど、こうやってダンサーとして出てくると、とたんに巨大化して体がたくましくなる。顔さえも変わる。衣装のせいとかメイクのせいとかいう次元を超えている気がする。これはいつも不思議に思う。

『ドン・キホーテ』よりグラン・パ・ド・ドゥ、キトリはオクサーナ・シェスタコワ、バジルはミハイル・シヴァコフ(レニングラード国立バレエ)、ヴァリエーションはナタリア・マキナ(たぶんサンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエ)、コール・ドはサンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエ。

シェスタコワとシヴァコフはともに白い衣装。シェスタコワの髪型がかわいかった。髪を左から分けて額の上を横断させて後ろでまとめ、紅い花飾りを着けていた。シェスタコワが出てきたら、そのスタイルのよさと超小顔と自然発散するスター・オーラに目を奪われましてん。やっぱり今回の公演、出てくる順番にバレリーナがグレードアップしていきますな。

シェスタコワの踊りは安心して見ていることができた。一つ一つの動きやポーズがきれいで安定していて、目つきや表情は大げさではなく、クールなあだっぽさがあって魅力的だった。あと、キトリのヴァリエーションでは、扇子の使い方が実に見事で、ここぞというところで扇子をさっと広げたりしてカッコよかった。

ただ、シェスタコワにしてはちょっと物足りないというか、彼女はやろうと思えばもっとすごいことができるダンサーだと思うので、今回は普通に無難に踊ったという印象がある。彼女は1演目にしか出ないし、体調があまりよくなかったのだろうか?

ヴァリエーションを踊ったサンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエのナタリア・マキナの踊りもよかった。跳躍をしたとき、両脚はすっきりと伸びて高さもあった。

ミハイル・シヴァコフは久しぶりに見た。なんか体が大きくなって、それに前髪が寂しくなったかな?なのに、後ろの髪を伸ばしているのはヘンだ。見た目的にバランスがわるい。アニハーノフの前髪がないヴァージョンみたい。前髪の仇をとっているつもりだろうか。ハゲなんか気にするな。同僚のプハチョフを見習いなさい。ハゲててもすばらしくノーブルな踊りをするではないか。

バジルっぽい雰囲気はあまりなかったけど、シヴァコフの踊りとパートナリングはそれまでで最もよかった。男性ダンサーも出演順にグレードアップしていった感がある(ルジマトフは別格、西島千博は評価対象外)。

クテポワの『白鳥の湖』で出だしから温度が下がった客席も、ルジマトフの「阿修羅」とシェスタコワ&シヴァコフの『ドン・キホーテ』のおかげで、なんとか盛り上がって終わった。

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第2部の最初は「ディアナとアクティオン」、ダンサーはオレーシア・ガピエンコ、アンドレイ・ベーソフ、女性コール・ドはサンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエ。やっぱり、サンクト・ペテルブルクのバレエ団には、この作品をレパートリーとして持つところが多いのかしらね。

ただ、この作品の振付(アグリッピーナ・ワガノワによる)は異常に難しいのでは、とかねがね思っていた。中でも女性ヴァリエーションの振付の難しさ(特に後半部分)は尋常でなく、完璧にきれいに踊った例を観たことがなかった。ダンサーに超絶技巧のオンパレードを強いるという点で、振付家としてのワガノワはマリウス・プティパに負けてないのではないか。

アダージョは、ガピエンコもベーソフも音楽からズレまくりだった。特にガピエンコが回転して終わったら、すかさずベーソフが彼女の身体を支え、ガピエンコがアラベスクをしてポーズを決めるところは、音楽からかな〜り遅れてしまっていた。でも、マリインスキー・バレエのダンサーたちが踊ったって、ここの振りはほぼ必ず音楽から遅れるので仕方ないか。

ところで、ベーソフのアクティオンの衣装には笑った。虎柄の上衣に、なんと真っ赤なパンツ!大爆笑。今年の節分に近所のスーパーで店長がやっていた鬼コスプレを思い出してしまったよ。ただし、ベーソフが穿いていたのは厳密にいうとパンツではなく、前と後ろがそれぞれ三角形をしている短いスカートだったのだが、見た目は完全に赤パンである。ベーソフを見ながら、心の中で「おにーのパンツはいいパンツ〜♪」と歌ってました。サンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエの衣装係さんが、アクティオンの衣装の柄と色を改善してくれるよう希望。一方、ディアナの衣装はいつもの紅い短いローブだった。

赤パンのベーソフによるアクティオンのヴァリエーションは、それなりによかった。ただし、やはり難度の高い技をこなすのでいっぱいいっぱいなようで、充分なためを置かずに踊り急いでいる印象だった。それでも、旧西側のそこらのバレエ団の男性プリンシパルより、よほどテクニックのあるダンサーだと思うけど。つまり、ちょっと頼りないものの、ロシアのクラシック・バレエの伝統に沿った踊り方をしていて、それには好感が持てる、ということです。

あと、私は非常に前の席に座っていたので、ベーソフの美しい身体をじっくりと目で堪能できた。男性バレエ・ダンサーの素肌をみせた肉体って、ほんとに美しいのよね〜。眼福眼福。

驚いたのがディアナを踊ったガピエンコで、ディアナのヴァリエーションをあんなにすばらしく踊ったバレリーナははじめて見た。第1部の『くるみ割り人形』の金平糖の精よりはるかに魅力的だった。姿勢がすごくきれいだし、脚を後ろに伸ばして上げると、脚の付け根から細くて形よい美脚がすっきりと伸びている。ポワントで軽く飛び跳ねた後で、脚を後ろに上げたまま静止するポーズもきれいに決まっていた。いちばんすごかったのが、片脚ポワントでの回転を2種類こなしてすぐ、脚を下ろさないまま、その片脚を後ろに高く上げる振りを完璧にスムーズに踊ったことで、たいていのバレリーナはここで足元が崩れてしまう。ところが、ガピエンコはまったく崩れなかった。いいもの見せてもらいました。やっぱりロシアのダンサーは層が厚いっすね。

コーダでは、普通ならアクティオンが片脚を真横に伸ばしたまま大きく回転し続けるところで、ディアナ役のガピエンコが確かグラン・フェッテをしたように覚えている。ガピエンコの見せ場を作りたかったのか、ベーソフが自分の回転に自信がなかったのか、サンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエの「ディアナとアクティオン」では元々こういう振付になっているのか、よく分からない。

『眠れる森の美女』よりグラン・パ・ド・ドゥ、ダンサーはヴィクトリア・クテポワ、ドミトリー・シャドルーヒン(レニングラード国立バレエ)。クテポワは以前にもこのパ・ド・ドゥを踊ったことがあるので、今回は「また無理な踊りを踊っちゃって」というより、「前より良くなっているかな」と楽しみでした。ズバリ言って、同じものをまた踊るんなら、前より進歩したことを見せられなければダメだよね。

クテポワが出てきた瞬間、その美しさにうっとり。純白のチュチュ、すっきりときれいにまとめた金髪、白い肌、気高い表情の美しい顔。眉のメイクとアイ・メイクが前より良くなっていた。眉と目を強調すれば表情がはっきり見える。かといって塗りが濃すぎることもなく、クテポワの顔立ちの美しさがいっそう引き立っていた。

踊りも演技も前に比べれば格段に良くなっていたのでホッとした。特に笑顔が輝くばかりに美しく、クテポワは努力すればできるんだな、と思った。踊りのほうでは、彼女の踊りによく見られる「脚のブルブル・ガクガク」がほとんどなかった。してみると、あれは彼女のいつもの弱点というよりは、踊り慣れているかどうかの問題なのか?

ただ、技術的なところはやっぱりまだ「うーん」という感じだった。アダージョでは、王子がオーロラ姫を何度も逆さに抱えて静止する振りがなく、その部分はゆっくりと後ろに倒れるオーロラ姫を王子が支えて止める、という振り(←『白鳥の湖』のグラン・アダージョにある有名な振りと同じやつ)になっていた。ロシアではああいう振付なのかな?クテポワの動きには、やはり全体的に重さを感じさせるガタつきというかぎこちなさが目立った。丁寧さも足りない感じで、がさつに急いで踊ってしまう癖があるように思った。でも、前よりだいぶ良くなっていたから、次に期待(?)である。

シャドルーヒンの踊りもよかったと思う。ダイナミックで力強かった。表情も王子らしく爽やかだった。ただ彼も前髪が絶滅の危機にあった。その枯山水な髪に、キラキラ光るラメを全面的にふりかけていた。本人的には華やかさを演出したつもりだろう(クテポワも同じく髪にラメをふりかけていたし)。でも、見ているほうは逆に寂寥感を覚えた。

『ラ・シルフィード』よりパ・ド・ドゥ、ダンサーはユリア・ルンキナ、ミハイル・シヴァコフ。

このユリア・ルンキナというバレリーナは、サンクト・ペテルブルク・コンセルヴァトワール・バレエのダンサーなんだろうか?それとも、シヴァコフが相手ということは、レニングラード国立バレエのダンサー?それにしては見覚えがない。いずれにしろ、彼女はシニア・ダンサーで、カーテン・コールでは真ん中のほうにいた。だから、(たぶんロシア限定で)有名なベテラン・プリマなのだろう。

ルンキナのメイクはよくなかった。真っ白なベースに異様に細長い真っ黒な眉を引いたのでは、まるで道化のメイクのようになってしまって、年齢よりも更に老けて見えてしまう。

しかし、ルンキナの踊りはなかなかすばらしかった。動きが非常に軽くて浮遊感があり、まさにシルフといった感じ。アラベスクをしたまま脚を更に上げるところではグラついたが、それ以外の動きは艶やかなプロっぽさを感じさせ、腕の運びも波打つかのようになめらかだった。

ルンキナの踊りそのものはかくもよかったのだが・・・ジェームズ役のシヴァコフと並んで踊ると・・・申し訳ないが、青年が森の美しい妖精に魅せられたというよりは、青年が森の主である恐ろしい妖怪に引きずり込まれたという感じになってしまっていた。たとえシニアでも、少女のような可憐な雰囲気を漂わせることのできるバレリーナはいる。森下洋子などを見習ってほしい。シニア・ダンサーの舞台メイクは大事だな、とつくづく思った。

まあでも、このオバちゃん(すみません)、きっとペレストロイカとかソ連崩壊とか関係なく、ひたすらバレエを踊ってきたんだろうなー。ソ連崩壊後も、海外に出て名を売るとか、モダンやコンテンポラリーに手を広げるとか、そーいうことぜんぜん関心なくって、自分のバレエ団だけで伝統的な古典ばかりを実直に踊ってきて、地元ではそこそこ名が知れてて、そういうことをルジマトフは知ってて、それで今回のガラ公演に招いたんだろうなー、とつい妄想が広がってしまった。

シヴァコフも爪先での細かいステップや、上半身を動かさない跳躍などの振りをよく踊っていた。第1部で踊った『ドン・キホーテ』とはまったく異なるタイプの振付をよく踊りこなせるなあ、と感心。

「NEO BALLET〜牧神の午後〜」、振付・ダンサーは西島千博。“NEO BALLET”というのは、「西島千博」という商品のキャッチ・コピーみたいなもんで、具体的な定義や内容はないのだろうと予想していたが、やっぱりそうらしかった。

暗い部屋にはソファーとベッド(?)が置いてあり、背景にはブラインドの閉じられた大きな窓が2枚。白いカッターシャツの前をはだけ、ジーンズを穿いた青年(西島千博)がソファーの上に座っている。青年はうなだれて座っていたが、やがてソファーの上で身体をうねうねと動かして踊る。青年はやがてブラインドの羽根を開けて外の光を入れる。それからまた踊って、ベッドらしき家具の上に立ち、片脚をゆっくりと高く上げる。

幕がいったん閉じられる。再び幕が上がると、舞台の前面に舞台を横断する大型のポールの装置が降りてきている。そこには白いスカーフがかかっている。青年は白いスカーフを手に取ると、それを股間に当てて悶えるような表情をする。青年がいったん姿を消す。次に青年がでてきたときには、青年は黒い海パン一丁になっている。青年は黒い海パン一丁のまま、激しく回転して踊る。

さすがに自分で振り付けただけあって、この作品は西島千博によく合っていた。無理に古典を踊らずとも、西島君は自分の好きな踊りを踊ればよいと思う。ただ、足場の不安定なところで片脚上げをするなど、無理はしないほうがいい。脚も身体もグラグラしていたから。回転は速くて鋭くてとてもすばらしかった。しかし、自分の「得意技」をこれでもかとしつこく押し出すのは、かえって逆効果なのでやめたほうがいいのではないか。第1部での『海賊』のアリでもそうだったけど、西島君はとにかく自分の個性を出そう出そうと焦っているのか、かなり力みすぎな気がした。それが観ている側に違和感を抱かせる。

あと、少しは空気読めっての。他のダンサーたち(ルジマトフも含めて)は舞台装置なしで踊ったのに、自分だけ大型の舞台装置を持ち込んで踊るってどうよ?自分の公演でなら好きなようにやればいいけど、いくら「特別ゲスト」とはいえ、今回は他所様の公演に呼ばれたんだから、他のダンサーたちとのバランスってものを考えたほうがいいんじゃないかなあ。そういうことって、普通は自然に思いつくものじゃないのか。西島君はKYというよりAWなんだろうか。

「NEO BALLET〜牧神の午後〜」という作品については、特に感想はなし。斬新だとか、すばらしいとかいえるほどの特筆すべき振付や演出はなく、作品的に云々する以前の出来だと思うので。

トリは『シェヘラザード』よりアダージョ、ダンサーはファルフ・ルジマトフ(金の奴隷)、イリーナ・コシェレワ(ゾベイダ)。

観る前は、『シェヘラザード』のゾベイダは、以前にユリア・マハリナとスヴェトラーナ・ザハロワでしか観たことがないから、イリーナ・コシェレワでは物足りなく感じるのではないかと思っていた。ところが!コシェレワのゾベイダ、とてもすばらしかったです!やはりコシェレワは「大化け」しましたなー。この冬のレニングラード国立バレエの日本公演が楽しみ〜♪コシェレワが良い役につけるとよいな♪

いちばん印象に残っているのは、コシェレワの柔らかくしなやかに反り返る肢体、安定した技術、そしてセクシーだけど少女のような初々しさと溌剌さとを残した豊かな表情。正直に言うと、今回はあまりルジマトフに注意が向かず、コシェレワの踊りに見とれておりました。もちろんキャリアの差はどうしても出てしまうけど、コシェレワは決してルジマトフの陰に隠れてはいなかったと私は思う。

コシェレワはゾベイダの衣装や長い黒髪のかつらもよく似合っていたし、誘惑するような目つきの艶冶な表情が魅力的だった。そして、身体をぐっと伸ばした、また思いっきり反り返らせたときに、胴体の表面に突き出てくるアバラ骨がなぜかとても印象的で、ハーレム・パンツを腰の低い位置で穿いているとはいえ、バレリーナはこんなに胴体が伸びるのか〜、と妙なところに感心した。

尺取虫みたいによく曲がるコシェレワの身体の柔らかさにも驚いた。今までは上半身をまっすぐに整えた姿勢で、端正なステップを踏む振りのクラシックを踊るコシェレワしか見たことなかったから、顎と上半身を反り返らせ、腕をねじりながら伸ばし、脚を根元から後ろに思い切り振り上げるコシェレワの軟体ぶりは衝撃的だった。

技術的にも安定していて、片脚を高く上げながらきれいにくるくると回り、両脚をまっすぐに伸ばして軽々とジャンプして、ぎこちなさが微塵もなかった。ルジマトフと絡んで踊っていても、ルジマトフに対して気おくれしている感じも見受けられなかった。少女らしい気まぐれさやわがままさがまだ抜けていない王妃が、自分より年上の奴隷を振り回している、といった雰囲気で、コシェレワの演技には小悪魔的な無邪気な色気が漂っていた。

金の奴隷の衣装を身につけたルジマトフが舞台に現れたときには、やはり「この人は舞台に出てくると大きく、たくましくなるなあ」と感嘆した。それと同時に、金の奴隷役のときには、男性的なマッチョな雰囲気が出る。バレエ・ダンサーはかくあるべし、といわれればそうなんだろうけど、ルジマトフは、作品によって醸しだす雰囲気がころころ変わる。金の奴隷を踊るときには、身体まで「金の奴隷仕様」にたくましく変化しているような感じさえする。

ルジマトフについての感想はこれくらい。私はやはり、古典作品を踊るルジマトフよりも、コンテンポラリー作品を踊るルジマトフのほうがはるかに好きみたいで、『シェヘラザード』のルジマトフにはあまり関心が持てないようだ。これは個人の好みだから仕方がない。いつかの公演でルジマトフが踊った「レクイエム」や「アダージェット」がまた観たいなあ。

カーテン・コールの前に「おまけ」があった。ロシアっぽい音楽が流れる中、それまで踊ったダンサーたちが再び現れて、音楽に合わせてひとしきり踊っては退場していく。数年前に行なわれたマリインスキー・バレエとボリショイ・バレエの合同ガラ公演でも、最後に同じようなことをやってたな。ロシアのバレエのガラ公演では、こういう「おまけつき」の終わり方が流行っているのだろうか。ファン的にはとても嬉しいし大歓迎である。

最後に全員が出てきて踊るんだけど、その中で、ルジマトフを真ん中に、たぶんシヴァコフとベーソフ(自信なし)が横一列に並んで、一斉に片脚を真横に伸ばして回転し続けるパフォーマンスをした。3人の中で、上げた脚の形が弓なりになっていて最も美しく、また最も脚が高く上がっていたのがルジマトフだった。

カーテン・コールでは、ルジマトフのガラ公演では恒例の、ルジマトフに花束を贈るファンが舞台の前に列をなした。その長い列を目にしたとき、ルジマトフが一瞬だけどふざけて、目を大きくひんむき、口をへの字に結んで、大仰に驚いたようなおどけた表情をした。ルジマトフがあんな表情をしたのは初めて見たよ。ひたすらストイックで真面目一直線というイメージがあったから、あのおどけた表情にはすごく暖かみというか魅力を感じました。

次に踊るルジマトフを観るのは、来年1月のレニングラード国立バレエ日本公演の『バヤデルカ』と「スペシャル・ガラ」(セット券「とことん!ルジマトフ・セット」を買ったのだ)。それまでお達者で〜。

(2009年7月29日)

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