Club Pelican

NOTE

モーリス・ベジャール・バレエ団2008年日本公演(Aプロ)

これが死か

イーゴリと私たち

祈りとダンス

ボレロ

(2008年6月8日、神奈川県民ホール)

「これが死か(Serait-Ce La Mort?)」、音楽はリヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」の全曲を用いている。この作品は1970年に20世紀バレエ団(現モーリス・ベジャール・バレエ団)とパリ・オペラ座バレエ団によって同時に初演された。「これが死か」という作品名は、第4曲「夕映えの中で」の最後の歌詞(ist dies etwa der Tod?)に由来している。

キャスト。ジュリアン・ファブロー(Julien Favreau)、カテリーナ・シャルキナ(Kateryna Shalkina)、カトリーヌ・ズアナバール(Catherine Zuasnabar)、エリザベット・ロス(Elisabet Ros)、ダリア・イワノワ(Daria Ivanova)。

第1曲「春」は全員によって踊られ、以降はグレーの薄い衣装を着た男性ダンサー(ジュリアン・ファヴロー)がそれぞれの女性ダンサーと組んで踊っていく。第2曲「9月」は淡いピンクのレオタードの女性ダンサー(ダリア・イワノワ?)と、第3曲「眠りにつこうとして」は濃いピンクのレオタードの女性ダンサー(カトリーヌ・ズアナバール)と、第4曲「夕映えの中で」は紫のレオタードの女性ダンサー(エリザベット・ロス?)と、また各曲の間と第4曲の最後は白いレオタードの女性ダンサー(カテリーナ・シャルキナ?)と踊る。舞台の中央で男性ダンサーと女性ダンサーが踊っている間、離れたところでは残りの女性ダンサーたちが組んで踊っている。

意外なことに(?)、純粋なクラシック・バレエの動きのみで構成された作品であった。純粋なクラシック・バレエの動きというよりは、平凡といっていいほどのお約束的なクラシック・バレエの動きといったほうがよい。個性とか独自性とか奇矯さとか奇天烈さとかあざとさとかいう要素が皆無である。「さすらう若人の歌」と同じ印象を受けた。ダンサーの表情や動き(つまり演技と振付)は、各曲の歌詞の内容に沿ったもののように思えた。

もっとも、「4つの最後の歌」の各曲の歌詞は、「さすらう若人の歌」ほど内容がはっきりしていない。私にはよく分からなかったが、「4つの最後の歌」の各曲をベジャールなりに緻密に解釈した踊りだったのかもしれないし、各曲の歌詞に漂う漠然とした雰囲気、もしくはエッセンスを表現しているのかもしれない。

男性ダンサーは一貫してどこか悲しげな、寂しげな表情を浮かべていて、女性ダンサーたちも同じような表情か無表情である。時に微笑んで楽しそうな顔になっても、最後には悲しげな表情に戻ってしまう。白のレオタードを着た女性ダンサーは常に目を落とし、悲しそうな顔で男性ダンサーを見つめ、彼と一緒にゆっくりと踊る。

この男性ダンサーは死にゆく男である。淡いピンク、濃いピンク、紫のレオタードを着た女性ダンサーとの踊りは、彼の人生の懐古であり、白のレオタードを着た女性ダンサーとの踊りは、男にまとわりついて最後には彼を連れて行ってしまう死である。

それは分かるのだが、振付があまりに平凡でつまらなかった。それでもダンサーが優秀であれば、振付の欠点をカバーするどころか、更に優れた作品に仕上げてしまうものだが、今回この作品を踊ったダンサーたちは、特に優秀なダンサーたちとも思えなかった。結果、単調な踊りが延々と続くので、途中で飽きてしまった。

ひょっとしたら、去年の夏に観た「さすらう若人の歌」も、ローラン・イレールとマニュエル・ルグリ(パリ・オペラ座バレエ団)が踊ったからすばらしいと思ったのであって、モーリス・ベジャール・バレエ団のダンサーたちが踊ったのを観ていたら、つまらないと感じたかもしれない。

考えてみれば、私が観たベジャール作品は、みなモーリス・ベジャール・バレエ団のダンサーではない、外部のスター・ダンサーたちが踊ったものばかりである。本家本元のカンパニーであるモーリス・ベジャール・バレエ団であれば、きっともっとすばらしいだろうとばかり思い込んでいたが、そうとは限らないかもしれないことにようやく思い至った。

カーテン・コールでは、ジュリアン・ファヴローにファンから花束が手渡された。なるほど、モーリス・ベジャール・バレエ団にはコアなファンがついているのだ。日本ではすでに人気のあるカンパニーらしい(無知ですみません)。

休憩時間はなく、次の「イーゴリと私たち(Igor et Nous)」が上演される。「イーゴリと私たち」、音楽はストラヴィンスキーの「ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲」、「火の鳥」、そして面白いことに、リハーサルを行なうストラヴィンスキーの声である。この作品はベジャールの遺作であり、2007年4月に作品の一部がモーリス・ベジャール・バレエ団によって初演された。

キャスト。シェフ:ジル・ロマン(Gil Roman);パ・ド・カトル:カテリーナ・シャルキナ、カルリーヌ・マリオン(Karline Marion)、ダリア・イワノワ、ルイザ・ディアス=ゴンザレス(Luisa Diaz Gonzalez);パ・ド・トロワ:ダヴィッド・クピンスキー(Dawid Kupinski)、ジュリアン・ファヴロー、ダフニ・モイアッシ(Dafni Mouyiassi);パ・ド・ドゥ:マーティン・ヴェデル(Martin Vedel)、カトリーヌ・ズアナバール。

これは非常に面白い作品で、今回のプログラムの中では最も気に入った。舞台の奥は黒いカーテンが真ん中に隙間を空けて両側から引かれていて、その奥は真っ白な背景である。素肌に燕尾服を着たジル・ロマンが現れて、神経質に叫ぶストラヴィンスキーの声に合わせて踊り始める。音楽ではなく、また歌声ではなく、ただの声に合わせて踊るというのは面白いアイディアだ。なにより、このジル・ロマンというダンサーは、さっき踊ったダンサーたちとは動きがまったく違う。ようやく優秀なダンサーが出てきたな、とワクワクした。

振付もかなり変わっていた。とはいえ、あくまでクラシックの振りが基本ではあった。でも、さっきの「これが死か」とはぜんぜん異なる動きである。ジル・ロマンは、ストラヴィンスキーの声の抑揚や緩急やストレス、曲をくちずさむ歌声、リズムをカウントする声に合わせて踊っていく。時には指揮者の仕草のように両手を広げ、目の前に相手がいるように指さし、そして鋭く速く回転する。たるみやぎこちなさはまったくない。機械仕掛けの人形のように精巧に踊る。

ジル・ロマンの醸し出す雰囲気もかなり独特であった。神経質に動き回り、観客などまるで目に入っていないかのようだ。しかし、観ている側にとっては違う。彼には観客の目を釘付けにする強烈な個性と吸引力がある。私は息を呑んで、すばやく動くジル・ロマンを目で追っていた。

やがて他のダンサーたちが現れて次々と踊る。シェフ(ジル・ロマン)はふと姿を消したかと思うと、やがてまた現れて、踊るダンサーたちの脇を悠然と歩いて舞台の奥に消える。そしてまた現れると、今度はストラヴィンスキーの声に合わせて、踊るダンサーたちに指を突きつけてダメ出しをする。ダンサーたちは整列し、神妙な顔つきになって踊りなおす。

この作品を観ていて、まるでモーリス・ベジャール・バレエ団の現状みたいだな、と思った。芸術監督であり、同時にこのカンパニーの中では最も優秀なダンサーでもあるジル・ロマンが、ダンサーとしてまだ成長途上にある若いダンサーたちを叱咤しながら教えていく。ベジャールが死んでしまった今となっては、このカンパニーの未来はロマンの双肩にかかっている。ロマンはかなりな重圧を感じているだろうなあ、とパフォーマンスの途中なのについ思ってしまった。

ジル・ロマンばかりに注意していたために、他のダンサーたちの踊りはよく覚えていない。ただ、マーティン・ヴェデルとカトリーヌ・ズアナバールが踊ったパ・ド・ドゥがコミカルな振付で、面白い踊りだなあ、と思ったことは覚えている。同時に、さっきの作品に出たのと同じダンサーがまた出ていて、このカンパニーの若きスター・ダンサーが誰なのか、おぼろげながら分かってきた。男性ではジュリアン・ファヴロー、女性ではダントツでカトリーヌ・ズアナバール、続いてカテリーナ・シャルキナ、ダリア・イワノワなのだろう。同じダンサーに立て続けに踊らせるということは、モーリス・ベジャール・バレエ団はそんなに大きなカンパニーではない、ということも分かった。

カーテン・コールでは、ジル・ロマンにファンからいくつも花束が贈られた。今回はテープ演奏であるために、客席と舞台とを隔てるものがない。ジル・ロマンはしばらくためらった後、仕方がない、というふうに笑って、ファンから花束を受け取った。そしてファンの手を取ってキスをした。さすがはフランス男、女心をわしづかみにする術は心得ているらしい。

「これが死か」、「イーゴリと私たち」を観て、ベジャールは音楽が歌曲である場合、基本的に歌詞の内容に沿って振付を行い、音楽のみの場合は、音楽を振付によって視覚化する傾向があるらしい、ということが漠然とながら分かってきた。そこには常にベジャール独特の衒学的な雰囲気が漂っているので、一方では独りよがりな印象を与えてしまう。

が、もう一方では作品の題材を求めるのに、ベジャールは芸術ジャンルの境界を飛び越えて、いわゆる大衆文化やサブカルチャーにまでネタを探し、更には民族や国境をも超えてしまうことから、時に大衆的で、底の浅い、派手派手しいだけの作品、あるいはいかにもヨーロッパ人のイメージする単純なオリエンタリズムに満ちた作品という印象を与えてしまうのだ。

後者の特徴が端的に現れているのが、次の「祈りとダンス(La Priere et La Danse)」であった。「祈りとダンス」、音楽はイランの伝統音楽、またマノス・ハジダキスの音楽を使用しているそうである。この作品にはベジャールの他の作品(「ルーミー」、「ゴレスタン、あるいは薔薇の園」、「ディオニソス」)にある踊りも挿入されており、全体としてオリエンタリズムの漂う作品となっている。

主なキャスト。3つのバラ:ルイザ・ディアス=ゴンザレス、カトリーヌ・ズアナバール、ダリア・イワノワ;炎:バティスト・ガオン(Baptiste Gahon);デュオ:カテリーナ・シャルキナ、ジュリアン・ファヴロー;パ・ド・ドゥ:ヨハン・クラプソン(Johann Clapson)、アレッサンドロ・スキアッタレッラ(Alessandro Schiattarella);

パ・ド・トロワ(4人書いてあるけど):ジュリアーノ・カルドーネ(Giuliaono Cardone)、エティエンヌ・ベシャール(Etienne Bechard)、ニール・ジャンセン(Neel Jansen)、アルトゥール・ルーアルティー(Arthur Louarti);パ・ド・カトル:ガブリエル・バレネンゴア(Gabriel Barrenengoa)、ティエリー・デバル(Thierry Deballe)、マーティン・ヴェデル、エクトール・ナヴァロ(Hector Navarro);ソロ1:那須野圭右;ソロ2:ドメニコ・ルヴレ(Domenico Levre)。

最初は白い上衣に白い長いスカートを穿いた男性ダンサーたちの群舞が輪になって踊る(ルーミー)。衣装と地球の自転と公転のように踊る動きから、トルコの男性の民族舞踊からヒントを得て、衣装をデザインして踊りを振り付けたであろうことはすぐに分かった。

だが実を言うと、私はこうしたヨーロッパ人独特のオリエンタリズムが苦手である。プログラムにも冒頭のこの群舞の写真が何枚か載っているので、この踊りはいわゆる「見どころ」なのであろうが、私は観ていて気恥ずかしさを覚えた。

途中で赤い衣装に身を包んだ女性ダンサー3人が出てきて踊ったが、どんな踊りだったかほとんど記憶にない。また、胸に炎を描いた男性ダンサーが現れて、群舞を率いて踊り、またソロも踊った。残念ながらこれもあまり記憶になし。

ダンサーたちと観客の興奮を盛り上げるために、あるいはダンサーや観客を一種のトランス状態にいざなうためにであろう、最後に踊られたのが男性ダンサーたちによる群舞だった。ダンサーたちは上半身裸で、ハーレム・パンツのようなふくらみのある赤いズボンを穿いている。

男性ダンサーたちは全員で大きな囃し声を上げながらダイナミックに踊り続けた。途中で2人の男性ダンサーがソロを踊った。いずれも鋭く速い動きで、目にも止まらぬ速さで舞台をジャンプしながら一周した。踊り終わると、周囲を取り囲んでいたダンサーたちが一斉に囃し立てる。最後は男性ダンサーたち全員が囃し声を上げ、リズムよく足を大きく踏み鳴らしながら威勢良く踊って終わった。

「これが死か」は振付が平凡でたるくてつまらなかったが、「祈りとダンス」はヨーロッパ人の他愛ないオリエンタリズムに満ちた、単純で安っぽい振付だったのでつまらなかった。こうしたオリエンタリズムも、ベジャールの作品の特徴の一つなのだろう。

休憩時間を挟んで、最後の演目は「ボレロ」である。ラヴェルの同名曲を用いている。初演は1960年、20世紀バレエ団(現モーリス・ベジャール・バレエ団)によって行なわれた。

キャスト。メロディ:オクタヴィオ・デ・ラ・ローサ(Octavio de la Roza);リズム:ドメニコ・ルヴレ、バティスト・ガオン、ジュリアン・ファヴロー、マーティン・ヴェデル、エクトール・ナヴァロ、ヴァランタン・ルヴァラン(Valentin Levalin)、ティエリー・デバル、ガブリエル・バレネンゴア、那須野圭右、

リズム(続き):アレッサンドロ・スキアッタネッラ、アドリアン・シセロン(Adrian Cicerone)、ヨハン・クラプソン、エティエンヌ・ベシャール、ダヴィッド・クピンスキー、ジュリアーノ・カルドーネ、ニール・ジャンセン、シャルル・フェルー(Charles Ferreux)、アルトゥール・ルーアルティ、

私は数年前にシルヴィ・ギエムが踊った「ボレロ」を観ている(そのときの感想は ここ )。今にして思えば、これもまずかったかもしれない。前の3演目、「これが死か」、「イーゴリと私たち」、「祈りとダンス」を観た分には、モーリス・ベジャール・バレエ団には、ジル・ロマンを除いて、個人レベルでさほど突出したダンサーはいないであろうことが窺われたので、このぶんでは「ボレロ」も望み薄だな、と思った。

しかし、円卓みたいな台の上で踊るオクタヴィオ・デ・ラ・ローサは中肉中背の黒髪の男性である。「ボレロ」の男性ヴァージョンは、ジョルジュ・ドンが踊った映像しか観たことがない。今回は生で男性ヴァージョンを観られるのだから、男性ダンサーならではの味わいというものを期待できるかもしれない。

暗闇の中に、デ・ラ・ローサの手首から上が、片方ずつぽっかりと照らし出され、次に交差させた両方の手が浮かび上がる。やがて舞台が明るくなり、円形の台の上でステップを踏んでいるデ・ラ・ローサの全身が現れた。

デ・ラ・ローサの動きを見ていて、まず同じ位置で踏んでいるはずのステップがズレまくっているのが気になった。半爪先立ちできついだろうことは分かるが、女性のシルヴィ・ギエムでさえ、寸分の狂いもなく、常に同じ位置で小刻みにステップを踏み続けていたことを思うと、デ・ラ・ローサの踊りはやや粗いように思えた。また、デ・ラ・ローサの踊りはあまり音楽に合っていなかった。

音楽が昂揚していくにつれて、デ・ラ・ローサの動きも大きくなり、最初は顔を伏せていた「リズム」役のダンサーたちも、徐々に顔を上げ、立ち上がり、ポーズをとって一瞬静止しながら、円形の舞台を取り囲んで近づいていく。ギエムが踊ったときには観ているこっちも気分が高まっていったが、今回は不思議とあのときのような緊張感と興奮を感じない。

結局、(私の気分が盛り上がるのが)まだかまだか、と期待しているうちに、「ボレロ」はあっけなく終わってしまった。やはり、最初にギエムの踊る「ボレロ」を観てしまったことが影響したのだろう。物足りない、不完全燃焼な気分が残った。

しかし、「メロディ」役のデ・ラ・ローサを取り囲んで踊る「リズム」役のダンサーたちはすばらしかった。私が観たギエムの「ボレロ」では、「リズム」は東京バレエ団のダンサーたちが踊った。そのときはギエムの存在感が大きすぎたせいか、「リズム」の踊りの重要性に気がつかなかった。

今回は、「リズム」の踊りは単なる添え物ではなく、「ボレロ」という作品を構成するもう一方の要素なのだと感じた。モーリス・ベジャール・バレエ団の男性ダンサーたちによる「リズム」は、まさに「ボレロ」の音楽を踊っていた。「メロディ」はやや物足りなかったが、「リズム」の群舞には、これぞ本家本元ならではの「ボレロ」だ、と感じた。

ただ、ベジャールの作品が、外部のカンパニーの有名ダンサーによって踊られることで、その魅力が知られるというのは皮肉なことだと思った。時として(多くの場合?)、自己のカンパニーであるモーリス・ベジャール・バレエ団のダンサーたちが踊るよりも、外部の有名ダンサーが踊るほうが、はるかにすばらしい出来に仕上がってしまうからだ。

実は、これを書いている今はBプロの「バレエ・フォー・ライフ」を観た後なのである。「バレエ・フォー・ライフ」を観て、やはりこのモーリス・ベジャール・バレエ団は、数人のスター・ダンサーを擁して、それらのダンサーを売りにするタイプのカンパニーではなく、平均的なダンサーたちの「複合体」的なタイプのカンパニーなのだな、と思った。

(2008年6月15日)

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モーリス・ベジャール・バレエ団2008年日本公演(Bプロ)

バレエ・フォー・ライフ

(2008年6月15日、東京文化会館大ホール)

「バレエ・フォー・ライフ(Ballet for Life)」、音楽の大部分はクイーンの諸曲を、一部はモーツァルトの数曲を用いている。衣装デザインはジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)、照明はクレマン・ケロル(Clement Cayrol)、ビデオ・モンタージュはジェルメーヌ・コアン(Germaine Cohen)による。この作品は1997年にモーリス・ベジャール・バレエ団によってローザンヌで初演された。

この作品には副題らしいものがついている。「司祭館の美しさはいささかも薄れず、その庭のみずみずしさもまた同じ(Le Presbytere n'a rien perdu de son charme, ni le jardin de son eclat)」というもので、さっぱり意味が分からない。プログラムに掲載されているベジャール自身の説明によれば、この言葉はある推理小説に出てくる暗号で、ベジャールはこの言葉が好きなので用いたに過ぎず、バレエの内容とはまったく関係がないという。

ではこの作品の内容はなにかというと、これもベジャールの説明によれば、「若者と希望についてのバレエ作品」、また「死についての作品」すなわちジョルジュ・ドン、フレディ・マーキュリー、そしてウォルフガング・アマデウス・モーツァルトなど「若くして逝ってしまった者たちについての作品」なのだということである。

曲名およびキャスト。「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」:カンパニー全員;フレディ:マーティン・ヴェデル;「タイム」/「レット・ミー・リヴ」:カンパニー全員;「ブライトン・ロック」:ダリア・イワノワ、エリザベット・ロス、ティエリー・デバル、バティスト・ガオン、カテリーナ・シャルキナ、オクタヴィオ・デ・ラ・ローサ、エミリー・テルベ(Emilie Delbee);

「ヘヴン・フォー・エヴリワン」:エティエンヌ・ベシャール、バティスト・ガオン;天使:エクトール・ナヴァロ;「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」:カトリーヌ・ズアナバール、ダフニ・モイアッシ;モーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」より:バティスト・ガオン、カテリーナ・シャルキナ、オクタヴィオ・デ・ラ・ローサ、エミリー・テルベ;モーツァルト「エジプト王タモス」への前奏曲より:バティスト・ガオン;

「ゲット・タウン・メイク・ラヴ」:カテリーナ・シャルキナ、バティスト・ガオン、カルリーヌ・マリオン、ティエリー・デバル、マーティン・ヴェデル;モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番」より:カルリーヌ・マリオン、ティエリー・デバル、エティエンヌ・ベシャール、ヴィルジニー・ノペ(Virginie Nopper);「シーサイド・ランデヴー」:ダリア・イワノワ;「テイク・マイ・プレス・アウェイ」:カテリーナ・シャルキナ、バティスト・ガオン;

モーツァルト「フリーメーソンのための葬送音楽」より:バティスト・ガオン;「ラジオ・ガ・ガ」:ダヴィッド・クピンスキー;「ウィンターズ・テイル」:オクタヴィオ・デ・ラ・ローサ、エティエンヌ・ベシャール、ヴィルジニー・ノペ、「ミリオネア・ワルツ」:アルトゥール・ルーアルティ、ジュリアーノ・カルドーネ、ヨハン・クラプソン、シャルル・フェルー、ヴァランタン・ルヴァラン;

「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」-「ブライトン・ロック」:バティスト・ガオン、カテリーナ・シャルキナ、オクタヴィオ・デ・ラ・ローサ、エミリー・テルベ;「ブレイク・フリー」:ジョルジュ・ドン(フィルム);「ショー・マスト・ゴー・オン」:カンパニー全員。

無人のはずのオーケストラ・ピットから、白いライトの光の線が何十本も連なって、いきなり客席に向かって照射された。観客の頭上近くをライトの光の屋根が覆ったようだった。この出だしには意表をつかれたが興奮した。まるでロック・バンドのコンサートにやって来たかのような、昂揚した気分になった。

まぶしいライトが消えると、舞台の幕はいつのまにか開かれていた。舞台の両側には白い正方形の壁状のセットが3つずつ置かれている。舞台の床には、白いシーツのような布を体全体にかぶせた大勢のダンサーたちが横たわっていた。

今、車のテレビCMで盛んに流されている「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」が始まると、ダンサーたちが音楽のキリの良いところに合わせて、次々と身を起こす。そうして全員が立ち上がる。ダンサーたちは白を基調にしたシンプルな衣装を身に着けている。ただ、あるダンサーはフレディ・マーキュリーを彷彿とさせる、袖なしで胸が大きく開いた白い全身タイツ、あるダンサーは黒い太い線の模様が入ったテニス・ウェアのような衣装、ある男性ダンサーは上半身は裸で白いタイツだけ、あるダンサーはワンピースの水着のような衣装といった具合に、デザインの基調は似ているが様々に異なっている。

驚いたことに、男性・女性ダンサーともに足は裸足であった。足を保護するシューズも履いていない。この後、各曲の踊りに合わせてダンサーたちは衣装を変え、またそれに従って靴がトゥ・シューズになったり、ピン・ヒールになったり、革靴になったり、スニーカーになったりするが、裸足で踊るときはあくまで裸足であった。

曲ごとに衣装は変わった。とても奇抜なデザインで色彩も鮮やかなものから、フレディ・マーキュリーがステージで着用した衣装とそっくりなもの、またシックでしゃれたドレスなど多岐にわたっていた。ショート・パンツのみで男女ともに上半身裸、というシーンもあり、女性ダンサーが生の胸をさらけ出していたのには少し驚いた。

この作品をどう形容したらいいのか分からないし、また細かいことはほとんど忘れてしまった。とにかく、曲ごとにダンサーたちがソロを、あるいはデュエットを、またあるいは群舞を踊る。途中でダンサーがセリフを吐いたり(英語とフランス語)、なぜか「オ〜ウ、イエ〜ス!」と叫んだり、音楽に合わせて歌う真似をしたりする。また踊りなしのパフォーマンスというか演出もあって、バレエをまじえた前衛劇という感じがした。

実際、踊りで印象に残ったものはほとんどなく、シュールで奇抜な演出のほうが印象に残った。とはいえ、看護婦の衣装を着た2人のダンサーがストレッチャーを押して現れ、それぞれの上に横たわっていたダンサーたちが下りて踊り、入れ替わりにそれまで踊っていたダンサーたちが、ストレッチャーの上に横たわってそのまま運ばれていくとか、白いレースのヴェールをかぶった花嫁が駆けぬけていって、やがて今度は黒いヴェールをかぶって駆けぬけていくとか、一辺が2メートルくらいの白い立方体の箱に、パンツ一丁の14人の男性ダンサーがぎゅうぎゅうづめになって組体操みたいな動きをするとか、踊っているダンサーの後ろに、人間の脊椎や骨盤や手や膝の大きなレントゲン写真が吊り下げられているとか、私には意味不明でさっぱりわけが分からなかった。

この作品は、クイーンやフレディ・マーキュリーに詳しい人なら楽しめたのかもしれない。また、白いスクリーンに踊るジョルジュ・ドンの姿が映し出されたとき、ハンカチで目元をそっとぬぐっている人があちこちにいた。このように、作品の内容と何らかの形でつながりを持っている人であれば、この作品は非常に思い入れの深いものとなるのだろう。

だが私はこの作品が持つ要素とのリンクを持っていなかった。クイーンもフレディ・マーキュリーも名前を知っているだけといっていいし、生のジョルジュ・ドンも観たことがない。ジョルジュ・ドンの映像でさえも、映画「愛と哀しみのボレロ」と「ボレロ」公演映像しか観たことがない。ジョルジュ・ドンがどんなダンサーだったのかについても知らない。

楽しめなかったのというのではない。休憩時間なしの一幕物で、しかも1時間50分という長い作品を、私のような完全な「部外者」でさえも最後まで飽きずに観られたのは、ベジャールがすばらしい振付・演出家だからであり、モーリス・ベジャール・バレエ団のダンサーたちが、たとえずばぬけて優秀とはいえなくても、平均的には優れたダンサーばかりだからに違いない。私はヘタレな振付家の作った長〜いバレエ作品(ストーリー性のまったくない1時間くらいのコンテンポラリー作品)を、ヘタレなダンサーたちが踊った舞台を観たことがある。そのときの怒りと呆れと白けに満ちた気分には、この公演ではならなかった。

だけど、「バレエ」なんだから、前衛的な演出よりも踊りそのもので観ている側を楽しませてほしかった、という気持ちがある。これは、たぶん現在のこのカンパニーには、皮肉なことに芸術監督のジル・ロマンを除いて、さほど突出したダンサーがいないことが原因だろうと思う。

ダンサーたちはわるくはなかったのだけど、なんというのか、「プロフェッショナルさ」や「こなれ」が足りないというか、こう言ってはなんだが、学校の演劇部かアングラ小劇団のような「青臭さ」が強く漂っていた。彼らの一生懸命さ、真面目さ、ひたむきさ、情熱、真摯、誠実、それはよく分かった。でも、私は青年のペダンチスムに満ちた哲学的独白を聞きに来たのではなく、プロのダンサーの踊りを観に来たのだ。せめて10年前にこの作品を観ていたら、辛うじてついていけたかもしれないが、今や私は薄汚れた大人になっていたのだった。

この作品はジョルジュ・ドンの死を契機に、ベジャールがフレディ・マーキュリーとジョルジュ・ドンの生涯にインスパイアされて作ったものである。白いスクリーンにモノクロの映像で、奇怪なメイクをしたジョルジュ・ドン、踊るジョルジュ・ドンの姿が映し出される。動きや場面の切り替えが音楽にうまく合わせて編集してあって感心したし、ジョルジュ・ドンをぜひ生で観てみたかったな、と思いながら観ていた。ふと気づくと、スクリーンの両側に、カンパニーのダンサーたちが整然と列をなして、神妙な面持ちで起立している。これには困ってしまった。

でも、死んだダンサーに思いを馳せて作品を作ったベジャールはいい人だと思うし、15年も前に死んだダンサーや歌手へのオマージュ的作品を一生懸命に上演するモーリス・ベジャール・バレエ団はいいカンパニーだと思う。たとえば、英国ロイヤル・バレエで、あるスター・ダンサーが急死したとしても、振付家がこれほどの努力を傾注して追悼作品を作り、カンパニーが上演することはまずないだろうし、死んだダンサーの存在など、次のシーズンには忘れ去られていることだろう。その点、モーリス・ベジャール・バレエ団には、とても親密な雰囲気が漂っている。

最後の「ショー・マスト・ゴー・オン」では、ダンサーたちが最初の「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」で着た衣装を再び身につけて現れる。そして再びシーツのような白い布を手に取り、それを自分の体に覆いかぶせながら床に横たわる。ライトが消える。

カーテン・コールでは、まず芸術監督のジル・ロマンが舞台上にひとり現れて、深々と頭を下げた。それからダンサーたちを差し招き、現れたダンサーたちと抱き合い、肩を叩き、キスをし、ハイ・タッチをする。このカンパニーが、芸術監督とダンサーたちとの結びつきを大事にしていることがこれでも分かる。ダンサーたちがみな揃うと、全員で前に歩み出てきてお辞儀をした。

観客のほとんどはすっかり興奮していた。大きな拍手と喝采に応えるかのように、ジル・ロマンが右腕を天に向かってぐっと挙げた。おいおい、と私は気恥ずかしさを覚えた。カーテン・コールが行なわれるたびに、観客が次々と立ち上がり、熱狂的な拍手を送る。後ろの席に座っていた観客で、通路を歩いて前に出てきた人もいた。私の視界がすっかり遮られてしまったので、私も立って拍手をした。

拍手をしながら、場違いなところに来てしまった、その資格もないのに来てしまった、と私は少し後悔した。

対して、ジル・ロマンをはじめとするモーリス・ベジャール・バレエ団のダンサーたちは意外と冷静だった。静かに微笑むばかりで、興奮したり感激を露わにしたりしているダンサーはいないようだった。さすがフランス人、と思った。こういう感想を持つという点でも、私はやはり場違いであったのだろう。

(2008年6月21日)

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