Club Pelican

NOTE

マラーホフの贈り物(Bプロ)

(2008年2月21日、東京国際フォーラムCホール)

いきなりだけど、この公演の総括。いや〜、マラーホフはいい人ですね!あんなに人柄の良さげな、優しげで親しみやすい雰囲気のダンサーは、今まで見たことがないです。つい友だちになりたいとか思っちゃった。

ウラジーミル・マラーホフはちょっと複雑な経歴を持つ人なので、メモがてら簡単にまとめてみましょう。ウクライナのリヴォイログ生まれ。ボリショイ・バレエ学校卒。86年、卒業と同時にモスクワ・クラシック・バレエに入団する。同バレエ団ではソリストとして活躍し、同時にモスクワ劇場専門学院のクラシック・バレエ教師専修コースで学ぶ。

ロシアを離れ、数多くのバレエ団と契約を結ぶ。早い話がかけもちのダンサーである。92年、ウィーン国立歌劇場バレエ団(ファースト・ソリスト)、94年、ナショナル・バレエ・オブ・カナダ(プリンシパル)、95年、アメリカン・バレエ・シアター(プリンシパル?だろうきっと)、後にウィーン国立歌劇場バレエ団ではゲスト・プリンシパル扱いとなる。

99年、ウィーン国立劇場バレエ団で「ラ・バヤデール」を演出、2001年にも同バレエ団のために「グスタフ王または仮面舞踏会」を振付・演出、02年、ベルリン国立劇場バレエ団の芸術監督に就任、同バレエ団のために「ラ・バヤデール」を、04年には「シンデレラ」を演出した。同年、ベルリン国立バレエ団の芸術監督に就任する。05年に「眠れる森の美女」を振付・演出した。

受賞歴多数。86年、ヴァルナ国際バレエ・コンクールでグランプリ、88年、全ソ・コンクール第1位、またモダン・ダンス特別賞、89年、モスクワ国際バレエ・コンクール金賞、91年、セルジュ・リファール賞。ついでにキエフ市名誉市民でもある。大したもんだ。

第1部:「牧神の午後」、音楽はクロード・ドビュッシー、振付はジェローム・ロビンス。1953年、ニューヨーク・シティ・バレエによって初演された。

ダンサーはウラジーミル・マラーホフ、ポリーナ・セミオノワ(ベルリン国立バレエ団プリンシパル)。

舞台上に白い布によるバレエ・スタジオのセットがあって、入り口や窓がしつらえてあって、側面にはバーも渡してある。上半身が裸で、黒いすね丈のタイツに白いソックスを穿いた青年(マラーホフ)が床に寝転がっている。青年は片腕をゆっくりと上げ、また片脚を上に伸ばす。そのときの、マラーホフの脚から爪先までの形が、まるで弓道で使う長弓のように美しくて、「あ、この人はすごいダンサーだ」と一発で分かった。

気だるそうに寝転んでいた青年はやがて客席に顔を向け、ゆっくりとした動きでストレッチのような、また踊るような動きをする。腕の動きも波打つようでとても美しかった。マラーホフがあまりに客席をガン見しているので、最初は奇妙に思ったけど、ふと、客席を全面の鏡に見立てているのだ、とやっと気づいた。青年はゆっくりと身を起こし、鏡の中に映る自分を凝視しながら踊り続ける。

だけど、両足のかかとを揃え、体全体を上に伸ばすように半爪先立ちで立つところで、マラーホフはグラグラしていた。それで、本当はまだ怪我から完全回復していない、もしくはバレエを踊れる体を取り戻せていないのではないか、と思った。

舞台上に立ったマラーホフは大きく見えた。胸板が割と広くて、なによりも脚の形がいい。黒タイツが似合わない男性ダンサーっているでしょ?フトモモは太いのに、ふくらはぎや足首が異常に細いとか、なんかバランスがよくない人。マラーホフは、脚の各パーツのバランスが非常によい。太すぎず、細すぎず、均衡が取れている。これぞ黒タイツを穿いた脚の理想形である。

黒タイツ議論はともかく、青年が鏡を見つめながら踊っていると、淡いラベンダー色の短いワンピースを着て、同じ色のサッシュを巻いたレッスン着姿の少女(セミオノワ)が入ってくる。少女も客席、つまり鏡を見つめながらゆっくりと踊る。

ポリーナ・セミオノワは、小柄でかわいらしい人なんだろうと思っていた。確かにかわいらしいことはかわいらしい。大きな黒目がちな瞳は潤んだようで、黒髪を後ろに長く垂らし、淡いラベンダー色のレッスン着を身につけた姿は可憐そのもの。だけど、思いもよらなかった。セミオノワはデカい。かなりな長身だ。ポワントで立たなくても、マラーホフより少しデカいようだ。マラーホフが男性にしてはあまり背が高くないとしても、170センチくらいはあるだろう。セミオノワはそれと同じくらいか、それ以上かもしれない。

セミオノワは手足が長くてスタイルがいい。舞台に立った姿は大きく、彼女の踊りもダイナミックで大きい感じがした。でも乱暴だとか粗いとかいう感じは全然しない。

それぞれ鏡に映る自分の踊りだけに見入っていた彼らは、やがて鏡の中にお互いの姿を認めあう。少女は恥ずかしがってバーのほうへ行き、青年に背を向けてバー・レッスンをする。だが青年は彼女に近づき、彼らは鏡を見つめながら、そして次第に互いを直に見つめて一緒に踊り始める。・・・やっぱりマラーホフはまだ本調子じゃないな。セミオノワを持ち上げるときもなんだか危なっかしい(←身長の問題もあるかもしれないが)。

彼らは床に座り込む。青年が少女の頬にキスをすると、少女はその頬を押さえながら、スタジオから去ってしまう。ひとり残された青年は再び床にうつぶせに寝そべり、最後はびくり、と身をのけぞらせて、射精したことを暗示する動きをする。いま思えばかなり直球な動作だったけど、マラーホフの動きには下品なエロさが皆無だった。

マラーホフの役は、おそらく「少年」が正しいんでしょうね。マラーホフもセミオノワも非常に表情が豊かで、最初は自分に夢中になっていたのが、やがて互いの存在に気づいて相手を異性として意識し、恋のような感情が湧いてくるものの、少女はためらって逃げてしまい、少年の恋心は性的な動作として爆発する。たった20分弱の間に、静かで穏やかではあるけれど、危うい色っぽさをともなったドラマが繰り広げられる。まあまあの佳作だった(←絶世の名作とされていたらどうしよう)。

「グラン・パ・クラシック」、音楽はダニエル・オーベール、振付はヴィクトール・グゾフスキー。ダンサーはヤーナ・サレンコ(ベルリン国立バレエ団プリンシパル)、ズデネク・コンヴァリーナ(ナショナル・バレエ・オブ・カナダ プリンシパル)。

NBSの公式サイトや公演プログラムに載っているヤーナ・サレンコの写真を見て、うーむ、ちょっとお顔が・・・と思っていたら(←ごめんなさい)、舞台に現れたサレンコは写真とは別人で、すごくかわいい、きれいな人だった。写真うつりがあんまりよくないのだろう。あと、すごいメイク上手なのかもしれない(わたくしは「ダンサーは舞台上で美しければそれでよろしい」という主義である)。とにかく、実物は本当に美人だったしかわいかったのでびっくりした。

今回の公演では、サレンコはこの「グラン・パ・クラシック」と、「ドン・キホーテ」のグラン・パ・ドゥを踊ることになっている。だからおのずと「得意科目」がうかがわれる。この「グラン・パ・クラシック」では、まずアダージョで、非常に安定したバランス保持力をみせた。あの有名なヴァリエーションも見事だったけど、ちょっと音楽のテンポが速かったような気がする。脚もちょっと下がり気味だったかなー。コーダでは非常にゆっくりとしたダイナミックな回転を続けていた。ただ、去年の夏に観たヴィクトリア・テリョーシキナ(マリインスキー劇場バレエ)と比べると、私としてはテリョーシキナのほうに断然軍配を上げたい。

ズデネク・コンヴァリーナは、ヤーナ・サレンコが順調にバランスを保てるような、上手なサポートをしたのが最も大きな功績だと思う(この点では、テリョーシキナはかわいそうだった)。ただ、コーダでの踊りの一部(下半身を左右にひねりながら連続して跳ぶところ)は、やはり振りが難しくて四苦八苦していたのだろう、ちょっとヘンだった。

「ハムレット」、音楽はベートーヴェン、振付はボリス・エイフマンによる。この作品の原題(英語名)は“Russian Hamlet”(←もうちょっと格調高い題名にできなかったものか)で、シェイクスピアの「ハムレット」に基づいたのではなく、ロシアのロマノフ王朝のエカテリーナII世とその息子であるパーヴェルI世との間の愛憎を描いており、妻のエカテリーナII世によって暗殺されたパーヴェルの父、ピョートルIII世も幽霊としてちゃっかり出現するらしい。この作品は、1999年にボリス・エイフマン・バレエによって初演された。

ダンサーはマリーヤ・アレクサンドロワ、セルゲイ・フィーリン(ともにボリショイ・バレエ団プリンシパル)。

アレクサンドロワ(エカテリーナII世)はゴールドのラメの入った紫(だったかな?)の長いドレス、フィーリン(パーヴェル皇太子)はグレーのビロードのシャツとズボンに、なぜか茶色の膝上まである長靴(築地市場でおっちゃんが穿いてるようなヤツ)姿。

最初にアレクサンドロワが厳しい表情で現れる。いかにも女帝らしい威厳を漂わせていて、ひとりで踊る。やがてフィーリンが現れ、アレクサンドロワとフィーリンが組んで踊る。振付はクラシカルな動きとモダンぽい動きが混在していて、組体操かアクロバットみたいな動きもあった。

アレクサンドロワが長いドレスの裾を翻しながら踊るのが鋭くて美しかった。手足の動きはなめらかで、まさに踊りそのもので物言うダンサーだ。両脚を前に蹴り上げるように跳躍する動きがすごかった。

アレクサンドロワ演ずるエカテリーナII世と、フィーリン演ずる皇太子との踊りは、かなりアブない雰囲気が漂うものだった。アレクサンドロワとフィーリンは互いの手足を複雑に絡み合わせ、アレクサンドロワがフィーリンの差し出す手に足を乗せて立ち、フィーリンがアレクサンドロワの背後から、彼女の胸から腰に手を這わせる。ロシアのモダン作品にしては、非常に大胆な内容と踊りの作品だと思う。

アレクサンドロワは、皇帝、母親、女、とめまぐるしく変わる複雑な感情を醸し出していた。彼女の演技力も非常に抜きんでていると思う(第3部で彼女が踊った「シンデレラ」でも同じように感じた)。

振付自体の良し悪しは分からない。でも、アレクサンドロワの踊りは凄まじいほどすばらしかった。他の女性ダンサーたちとは明らかに別格だった。どう説明したらいいのか分からないけど、技術とか以前に、動きそのものの質からして他の女性ダンサーたちとは違う。

今回の公演で、アレクサンドロワが登場したときに私が抱いた「びっくり感」は、前に何度も経験したことがあった。たとえば、一昨年の「ルジマトフ&インペリアル・ロシア・バレエ」公演の「シェヘラザード」で、スヴェトラーナ・ザハーロワが出てきて踊ったときとか、去年のボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラ公演で、ウリヤーナ・ロパートキナが出てきて踊ったときとか、去年の「シルヴィ・ギエム・オン・ステージ」で、東京バレエ団による「ステッピング・ストーンズ」のすぐ後に、ギエムとニコラ・ル・リッシュが出てきて「優しい嘘」を踊ったときとかだ。

私は今まで、古典作品を踊るアレクサンドロワしか観たことがなかったので、彼女がこうしたモダン作品で、これほど流麗な動きで踊れるとは思ってもいなかった。この公演に参加した女性ダンサーの中では、アレクサンドロワが(ダントツで)最も優れたダンサーだろうと思う。

セルゲイ・フィーリンも、母親への(異性としての)愛情、父親を殺した女への憎しみ、皇帝への畏怖など、激しく交錯する感情を漂わせながら踊っていた。フィーリンは88年にボリショイ・バレエ学校を卒業したそうだから、今年で38歳くらいかな?でも、すごく若く見えた。アレクサンドロワは97年にボリショイ・バレエ学校を卒業したようだから、フィーリンのほうがアレクサンドロワよりも10歳近く上のはず。でも、母親と息子として踊っても、違和感がまったくなかった。

「白鳥の湖」より「黒鳥のパ・ド・ドゥ」、イリーナ・ドヴォロヴェンコ、マクシム・ベロツェルコフスキー(ともにアメリカン・バレエ・シアター プリンシパル)。

普通によかった。可もなく不可もないという印象。ただ、テープ演奏なのでいつもと勝手が違ったのか、特にドヴォロヴェンコの踊りが音楽にあまり合っていなかった。ドヴォロヴェンコの踊りには一種のクセがあって、音楽の切れ目に合わせて上半身をさっ、とくねらせ、両腕を動かして、手首をくるりと回してポーズを決める。ドヴォロヴェンコ本人は、音楽にうまく合わせているつもりのようだった。ただ、観ている側にとっては、ドヴォロヴェンコの踊りは全体的になんだかあわただしく、見得を切っても音楽に合っていなくて、空回りしている印象だった。

ドヴォロヴェンコの演技も、私にはちょっと演技過剰なように見えた。演技過剰というよりも、彼女はオディールを「プロフェッショナルに」演じつつ踊っているようなのだが、その「プロフェッショナルな演技」があまりに型にはまりすぎていて、それがこの公演の雰囲気に合わないというか、やはり浮いてしまっている感があった。

全幕上演とかでは、「黒鳥のパ・ド・ドゥ」をロットバルトがずっと見ているだろうし、オディールがヴァリエーションを踊るときにも、王子が舞台の脇に立って、オディールをうっとりと見つめているのかもしれない。ドヴォロヴェンコはアダージョやヴァリエーションで、時おり誰もいない空間を邪悪そうな目つきで見ていた。彼女としては、こうした演技によって、何もない舞台上に王宮の舞踏会を現出させようとしたのだろう。ただ残念なことに、私の目には、王宮は現れてくれなかった。実際、ドヴォロヴェンコにはそれほどの力はないと思う。

だから、カーテン・コールで、ドヴォロヴェンコがオディールのキャラを保ったままお辞儀しているのには、ちょっとこそばゆい思いがした。いかにもお約束な邪悪な笑顔を浮かべ、白鳥の腕のポーズをとり、自信に満ち溢れた態度でお辞儀をする。たぶん、アメリカの観客はこういう大仰な演技が好きなので、ドヴォロヴェンコも環境に適応せざるを得なかったのだろう。

第2部は「バレエ・インペリアル」のみ。「バレエ・インペリアル」は、音楽はチャイコフスキー(ピアノ協奏曲第2番)を用い、振付はジョージ・バランシンによる。この作品の詳細については、こちら をご覧下さい。

主なキャスト。パ・ド・ドゥ:ポリーナ・セミオノワ、ウラジーミル・マラーホフ;第1ソリスト:奈良春夏、中島周、横内国弘(以上3人は東京バレエ団)。第2ソリスト(女性ダンサー2名)、コール・ドも東京バレエ団による。

去年の秋、やはり東京バレエ団による「バレエ・インペリアル」を観たときには、なんてヒマくさいつまらない作品だろう、と思った。しかし、今回の公演での「バレエ・インペリアル」は、まったく別の作品のように思えた。すごく見ごたえがあって、最後まで飽きなかった。

第一の功労者はポリーナ・セミオノワで、彼女の踊りがとにかくすばらしかった。セミオノワがソロを踊るところでは、ピアノの独奏にバッチリと合わせてステップを踏みながら動く。チャイコフスキーのピアノ協奏曲をそのまま踊りにしたような、音楽性に溢れた端正で美しい動きだった。セミオノワは長身で手足が長いから、純白のチュチュもよく似合う。もちろんバランシンの振付自体が優れているのだろうが、同じ作品でも踊れる人が踊ればこんなに見違えるものか、と感動した。

第二の功労者はやはりウラジーミル・マラーホフだった。今回の上演で最もすばらしかったのは、ストーリー性がほとんど削除されたというこの作品に、明らかに「ドラマ」があったことだった。マラーホフの踊りにはやはり力がなく、ジャンプなどの大技は無理せず無難にまとめ、おっかなびっくり踊って、セミオノワをなんとか持ち上げている、といった感があった。

しかし、マラーホフ、セミオノワ、そしてマラーホフとセミオノワが踊っているのを見ていると、なんだか頭の中に勝手にストーリーが浮かんでくるのだった。ロシアの宮廷で舞踏会があって、美しく誇り高いロシア皇女がいて、皇女に恋する下級貴族の青年がいて、皇女と青年は互いに心を惹かれあって・・・という具合に。

そういう「ドラマ」を作り上げてしまうマラーホフの演技力は大したものだと心の中で舌を巻いた。そして、セミオノワの演技もすばらしかった。セミオノワは「牧神の午後」ではあどけない少女だったが、この「バレエ・インペリアル」では誇り高い皇女様だった。役によってここまで雰囲気を変えられるのはすごい。

ただ、誇り高い皇女様といっても、能面で冷たい無表情で踊るのではなく、気高い雰囲気を保ちながらも、自分を慕う貴族の青年に惹かれていって、女性らしい愛らしさを表情に出すようになっていくのがすばらしいと思った。ちなみに、最後はハッピー・エンドらしいのもよかった(いつだったかのウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートで、マラーホフがバレエを踊ったときに、一緒に踊った女性に最後にフラれてしまうラストを思い浮かべてしまったので)。

ぜひとも書いておかなくてはならないのは、東京バレエ団のダンサーたちの踊りが非常によかったことだ。第1ソリストの奈良春夏さんはちょびっとミスはしたけれど、堂々と華やかに踊っていた。それに、なんといっても、群舞が非常に整然としていて、列も動きもよく揃っていた。第2楽章の最後(たぶん)なんか、全員が一斉にビシッと床に片膝ついて、叫びたいくらいカッコよかった。

第3部:「シンデレラ」、音楽はプロコフィエフの同名曲、振付はロスチスラフ・ザハーロフにより、1945年にボリショイ・バレエによって初演されたそうだ。

ダンサーはマリーヤ・アレクサンドロワ、セルゲイ・フィーリン。

プログラムによると、ザハーロフ版は、フレデリック・アシュトン版などとは違って、プロコフィエフの原曲を一切削除していないそうだ。今回踊られたのは、音楽は第49曲「ゆるやかなワルツ」で、最後から2番目の曲である。プログラムには「シンデレラと王子の華やかな結婚式の場面」とあるんだけど、アレクサンドロワは淡いブルーグレーのワンピース、髪は1本のみつあみにして垂らしていた(新鮮!)。フィーリンは白いシャツに白いタイツで、結婚式にしてはそぐわない衣装だな、とちょっと奇妙に感じた。

おまけに、振付もこれが1945年の作品かと思えるほど斬新だった。お約束のクラシカルな動きがほとんどなく、アレクサンドロワとフィーリンが第1部で踊った「ハムレット」そっくりな、クラシックとモダンを融合させた振付だった。

やはりアレクサンドロワの見事な動きと、フィーリンとアレクサンドロワによる息の完璧に合った踊りが印象に残った。アレクサンドロワは手足を美しく、絶妙のタイミングで旋回させ、アレクサンドロワの体をフィーリンが自然な動きで受け止める。

アレクサンドロワの演技にもまたもや感動した。シンデレラは王子が自分を見つけて求愛してくれたことに感動しつつも、それでも最初は王子の愛を信じることができないようで、自分なんかが王子に求愛されるなんて、と戸惑っているようにも見えた。

だが、王子がシンデレラを抱きしめながら踊るうちに、シンデレラもだんだんと切なそうな表情になっていく(アレクサンドロワの繊細な表情の変化がすばらしかった)。シンデレラの気持ちが王子に傾きつつあるのが分かる。王子が彼女の両足に口づけをすると、シンデレラは完全に王子を信じ、ふたりは床に横たわって抱き合って終わる。

後でNBSの公式サイトを見直してみたら、アレクサンドロワとフィーリンが踊ったのはユーリー・ポソホフ版「シンデレラ」だと書いてあった。ザハーロフ版だというプログラムの紹介文は、アレクサンドロワとフィーリンによる実際の踊りとは、振付、衣装などの点で重ならないので、おそらくユーリー・ポソホフ版であるというのが正しいと思われる。

「アポロ」、音楽はストラヴィンスキー、振付はジョージ・バランシン、初演は1928年にディアギレフのバレエ・リュスによって、パリのサラ・ベルナール劇場で行なわれた。だから作品的にはけっこう古い。

ダンサーはイリーナ・ドヴォロヴェンコ、マクシム・ベロツェルコフスキー。ドヴォロヴェンコもベロツェルコフスキーも白いギリシャ風の短いヒラヒラ衣装を着ていた。ベロツェルコフスキーはアポロの役だと思うが、ドヴォロヴェンコは何の役なのか、そしてこれはどんな場面での踊りなのかが分からなかったので、今ひとつ楽しめなかった。

早くも記憶が薄れかかっていて、ドヴォロヴェンコが最初に一人でコミカルな踊りを踊り、次にベロツェルコフスキーが一人で踊り、最後にドヴォロヴェンコとベロツェルコフスキーがふたりで踊ったように覚えている。

ドヴォロヴェンコとベロツェルコフスキーの踊りより先に、まずバランシンの振付の多様さに感心した。分かりやすいクラシックの技がほとんどない振付だったのである。同じ振付家が、一方では「バレエ・インペリアル」のようなクラシカルな作品を振り付け、また一方では「アポロ」のようなモダン作品を振り付けたのだから、大したもんだと思った。

振付は鋭くてメリハリのある、かつスピーディーな動きで構成されていた。ドヴォロヴェンコとベロツェルコフスキーの踊りは、第1部での「黒鳥のパ・ド・ドゥ」よりはるかによかった。彼らの動きはとてもキレがあって、シャープで、またダイナミックだった。

一昨年からいろんな公演でアメリカン・バレエ・シアターのプリンシパルたち(ジュリー・ケント、パロマ・ヘレーラ、ホセ・カレーニョ、マルセロ・ゴメス、デヴィッド・ホールバーグ)の踊りを観てきて、今回イリーナ・ドヴォロヴェンコとマクシム・ベロツェルコフスキーの踊りを観た結果、1対6の多数決により、今年のアメリカン・バレエ・シアター日本公演は観ないことに決定した。

「ドン・キホーテ」よりグラン・パ・ド・ドゥ、ヤーナ・サレンコ、ズデネク・コンヴァリーナ。サレンコは朱に近い赤いチュチュ(金の刺繍入り)、コンヴァリーナは黒いボレロ、黒いタイツ姿で登場。

最初に二人で踊るところでは、サレンコが「爪先立ちアティチュードによるバランス・キープ耐久レース」を披露した。本当にバランスを保つ能力に秀でているダンサーである。最も長かった記録は5〜6秒間くらいだと思う。すばらしいことと思わなくてはならないのに、なぜかちょっと鼻についてきて、つい嫌味に感じてしまった。

さっきの「グラン・パ・クラシック」でも、サレンコが優れたバランス・キープ力を持っていることは分かったけど、ここまで徹底してすばらしいバランス・キープだけ、これでもかとばかりに見せつけられると、なんか押しつけがましい感じがする。観客ってワガママですね。

それに、片脚ポワントで立っているサレンコの軸足はグラグラしていた。どうせやるなら、タマラ・ロホ(英国ロイヤル・バレエ)みたいに、文字どおり微動だにしないレベルにまで達してほしい。それなら観客もアラ探しはしないだろう。あと、バレエ・ダンサーで一芸だけを売りにするのはキツイと思う。すばらしい容貌と肢体とテクニックとを持っているのだから、どんどん芸域を広げていってほしい。

バジル(コンヴァリーナ)のヴァリエーション。「グラン・パ・クラシック」を観て、サポートは上手だけど、いまいち印象の弱いダンサーだな〜、と思ったが、やっぱりバジルのヴァリエーションも、そんなにすばらしいというほどではなかった。キトリ(サレンコ)のヴァリエーションでは、サレンコはやっぱり安定したバランス・キープと、ゆっくりした余裕ある回転を見せてくれた。さっきも書いたけど、これはこれで充分にすばらしいので、これ以外にもどんどん自分の売りを開拓しましょう。

目立たなかったコンヴァリーナは、コーダでのジャンプ舞台一周で、やっと根性を見せてくれた。力強くて、ダイナミックで、そしてほとんどヤケクソになっていて、迫力満点だった。最後の連続回転もぐるぐるとパワフルに回っていた。

サレンコは32回転で、きっとやるだろうと思ったが、やっぱり3回転を織り込んで回っていた。ところが、途中でバランスを崩してしまい、立て直そうとした拍子に、思いっきり斜めに移動した。こういうことがあると、観客がそれまでは彼女のすばらしい回転に対して好印象を抱いていたのが、一転して反感に変わってしまいやすいので要注意だ。完璧にできないのなら、高難度の技はいっそやらないほうがよい。こういう離れ技を文字どおり完璧にやってのけるという点で、この32回転もタマラ・ロホの勝ち。

最後の作品はマラーホフのソロだった。「ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ(La Vita Nuova)」、振付はロナルド・ザコヴィッチ(Ronald Savkovic、ベルリン国立バレエ団プリンシパル兼振付家)で、この公演のためにマラーホフが振付を依頼した作品だそう。音楽はクラウス・ノミの曲を編集したものを用いているという。もちろんこの「マラーホフの贈り物2008」が世界初演。

コンテンポラリー作品・・・なんだと思う。マラーホフは白のTシャツと白のショート・パンツの上に、濃いグレー(もしくは黒)の透ける生地のTシャツを着て、同色のゆるいズボンを穿いている。マラーホフは踊っている途中で床に横たわり、上に着ていたTシャツとズボンを脱ぐ。この「脱皮」は、プログラム(正確にはキャスト表の紙の裏)に書いてある、「天使のようなものが禍々しい部分から生まれる」ことを表現しているのだろう。でも、踊り自体で何かを表現できるダンサーに、こんな演出は不要だし、余計だとさえ思う。

マラーホフの動きは凄かった。男性ダンサーであんなふうに踊れる人を見たことがない。まるでザハーロワかギエムかアレクサンドロワみたい。男性ダンサー的な柔らかい動きではなく、女性ダンサー的な柔らかい、繊細で優美な動きができる。マラーホフが四肢を縦横に、複雑に動かす様は、とにかく柔らかい、しなやか、鋭い、きれい、美しい、螺旋のよう、流線のよう、連続写真のようだった。うまく形容できないけど。

最後の最後でガツンと一発やられた感じである。闇の中で踊るマラーホフを、私は緊張して、息をつめてガン見していた。それまでは、優れたダンサーらしいけど、まだ本調子じゃないみたいだし、とある意味ナメて、上から目線で見ていたところがあった。でもこの作品のおかげで、マラーホフが本当に優れたダンサーであることを実感できた。というか厳然たるその事実を頭に叩き込まれた。

カーテン・コールでは「威風堂々」が流された。確か「ルグリと輝ける仲間たち」でも流れていたような気がする。ダンサーたちが集結する。そこでもやられた。マラーホフのまぶしいほどの笑顔に。本当に嬉しそうに、そしてとても優しい目で他のダンサーたちや観客を見るんだもん。これが冒頭の総括につながるわけ。ニコニコ笑って、両腕を広げて、両手を胸に当てて、投げキッスをして、人柄の良さがにじみ出ていた。ダンサーとしての能力と人格が比例している最もよい例だと思う。うん、ホントに徳の高い人だと思う。

そうそう。マリーヤ・アレクサンドロワとセルゲイ・フィーリンが二人でカーテン・コールに出てきて、それからカーテンの後ろに退場するとき、フィーリンは先に姿を消したアレクサンドロワに「手を強く引っ張られて前につんのめるフリ」をして、観客をドッと笑わせた。また、全員が並んでのカーテン・コールのときには、アレクサンドロワがフィーリンから差し出された手に、わざとバチン!という乱暴な感じで手を置いた。

観客からは、年下のアレクサンドロワのほうが強くて、年上のフィーリンが弱気そうにみえる、ということを両人とも知っていて、それでふざけたんでしょうね。アレクサンドロワとフィーリンは本当に仲がいいんだな、とほのぼの思った。

マラーホフが嬉しそうに笑っている顔が強く印象に残った。そして、「ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ」でのマラーホフの動き、あれは久々の衝撃的出会いだった。でも、舞台に復帰してまだそんなに月日が経っていないらしいから、どうか無理せず、着実に治して、完全復活することをお祈りしたい。マラーホフは本当にいいダンサーだと分かったので、また機会があったら絶対に観に行こう、と固く心に決めた。

(2008年3月2日)

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