Club Pelican

NOTE

レニングラード国立バレエ「バヤデルカ」

(2008年1月10、11日、東京文化会館大ホール)

主なキャスト。ニキヤ(神殿の舞姫):アナスタシア・コレゴワ(10日)、オクサーナ・シェスタコワ(11日);ソロル(戦士):イーゴリ・コルプ;ガムザッティ(藩主の娘):エレーナ・エフセーエワ(10日)、オリガ・ステパノワ(11日);

大僧正:マラト・シェミウノフ;ドゥグマンタ(インドの藩主、ガムザッティの父):アレクセイ・マラーホフ;マグダヴィア:ラシッド・マミン;アイヤ(ガムザッティの召使):ナタリア・オシポワ;奴隷(ニキヤと踊る):ウラジーミル・ツァル(10日)、ドミトリー・シャドルーヒン(11日);

ジャンペー:エレーナ・コチュビラ、ユリア・カミロワ;黄金の偶像(←つまり仏像):デニス・トルマチョフ(10日)、アントン・プローム(11日);マヌー(壷の踊り):エレーナ・ニキフォロワ;

太鼓の踊り:アレクセイ・クズネツォフ;インドの踊り:アンナ・ノヴォショーロワ、アンドレイ・マスロボエフ;

グラン・パ(第二幕):イリーナ・コシェレワ、エレーナ・コチュビラ、タチアナ・ミリツェワ、ユリア・カミロワ、アレクサンドラ・ラトゥースカヤ、エレーナ・シリャコワ、サビーナ・ヤパーロワ、マリア・リフテル;

ヴァリエーション(第三幕):イリーナ・ペレン、タチアナ・ミリツェワ、イリーナ・コシェレワ(注:キャスト表によれば、10日と11日に影のヴァリエーションを踊ったのはともにペレン、ミリツェワ、コシェレワとなっているが、11日は違ったダンサーが踊ったように思う。少なくともペレンはおらず、エレーナ・エフセーエワがいたような気がする)。

演奏はレニングラード国立歌劇場管弦楽団、指揮はミハイル・パブージン。

レニングラード国立バレエの「バヤデルカ」は去年(2007年)にも観た。去年の感想と「バヤデルカ」の詳しいストーリーは こちら をどうぞ。

第一幕の冒頭、マグダウィア役のラシッド・マミンが裸の上半身やむき出しの両脚を柔らかく動かして踊っている。ちょうど数日前にバーミンガム・ロイヤル・バレエの「美女と野獣」を観たばかりだったので、ラシッド・マミンの体型や手足の動かし方を見た途端、マミンのしなやかな体つきやなめらかな動きに、ああ、ロシアのバレエだ、と実感した。

それにしても、やっぱりマグダウィアは苦行僧というよりアダモステで、現れるたびに「ア〜ダモちゃ〜ん」と心の中で声をかけてしまう。

戦士たちがやって来て、ソロル役のイーゴリ・コルプが現れる。イーゴリ・コルプはマリインスキー劇場バレエのプリンシパルで、ゲストとしてこの公演に参加した。コルプ演ずるソロルが2回ずつ手を打ってマグダウィアを呼び出すところでは、コルプはうまく音楽に合わせて手を打ち、その拍手の音が太く大きく響いた。ヘンなところにこだわるが、私は上手に手を打ったり、足踏みをして音を出したり、手拍子を打ったり、カスタネットやタンバリンを鳴らしたりすることのできるダンサーには文句なしに好印象を持つ。

レニングラード国立バレエの「バヤデルカ」のソロルは、ボリショイ・バレエやマリインスキー・バレエのソロルほど高飛車でなく、ニキヤを呼び出すことを躊躇するマグダウィアに高圧的な態度を取ることはない。マグダウィアも、ソロルに無理強いされてというよりは、今すぐニキヤをつれて来いと無茶を言うソロルをなだめ、更に妙案を出してソロルを納得させる。マグダウィアは火の祭壇の前で行なわれる祈りの儀式を利用して、ニキヤにソロルが待っていると伝えよう、と約束する。

ソロルは去り際に神殿の入り口に向かって、つまり神殿の中にいるであろうニキヤに向かって、うやうやしい態度でお辞儀をする。去年はソロルが熱い投げキッスをしていて、場所設定は一応インドなんだから、投げキッスをするのはなんかヘンだなあ、と思った。礼をするほうが自然だし、戦士らしくていいと思う。

やがて祈りの儀式が始まって、大僧正役のマラト・シェミウノフが姿を現す。シェミウノフはすごい長身で体格もがっちりしている。大僧正は暗いオレンジの僧衣をまとい、両腕をむき出しにしている。シェミウノフの両腕は長くてたくましく、顔立ちも端正だけど精悍で、両腕を広げて立った姿にはものすごい威厳があった。シェミウノフのたくましい両腕の筋肉のつき方がきれいで、広げた腕の形だけで威圧感をかもし出していた。

10日にニキヤを踊ったアナスタシア・コレゴワも、マリインスキー劇場バレエから招聘されたゲストである。彼女のプロフィルの写真は金髪だけど、この公演では黒髪に染めていた。ニキヤの髪飾りや衣装はレニングラード国立バレエの衣装で、頭の両脇に大きな白い花の髪飾り、髪の分け目に沿って真珠の髪飾りをつけて額に垂らし、白い胸当てに白いスカートを穿いている。

コレゴワは背が高く、顔が小さく、ととのった顔立ちで、弓なりの眉に大きな黒い瞳という東欧風の非常に美しい容貌をしており、首が細く長くて、体つきは華奢だけど四肢がとても長い。大僧正がニキヤのかぶっていた白いヴェールを取り払い、コレゴワは厳粛な面持ちで踊り始める。コレゴワの腕もとても長くて、腕の動きもポーズも非常に美しかった。腕が長くてきれいなダンサーだな〜、というのが第一印象だった。膝から曲げた片脚を前に上げて一瞬止まるポーズが様になっていて、これは安心して見ていられるダンサーだわ、と確信した。

大僧正がニキヤに言い寄る場面では、コレゴワのニキヤはたじろぐことなく、逆に大僧正をしっかりと見つめ、ゆっくりとだけど力強い足取りで歩み寄る。大僧正のほうがうろたえて後ずさる。気の強いニキヤだ。ニキヤは両腕で踊りのポーズをとり(←タイ舞踊のようなポーズ)、自分は神殿の舞姫であり、大僧正の気持ちを受け入れることはできない、と拒む。

11日にニキヤを踊ったオクサーナ・シェスタコワはレニングラード国立バレエのダンサーである。シェスタコワのニキヤは去年も観た。シェスタコワは控えめな、どちらかというとなんとなく悲しげな表情をしている。純粋でひたむきで一途な性格のニキヤだという感じがする。

ニキヤに求愛して玉砕した大僧正は激した感情を抑え、ニキヤをはじめとする舞姫たちに、倒れ伏した苦行僧たちに水を飲ませるように命ずる。マグダウィアはニキヤのスカートの裾を引っ張り、手を打つ仕草をしてみせて、ソロルがニキヤを待っている、と伝える。その瞬間、静かな表情だったニキヤがぱっと明るく微笑む。

シェスタコワのニキヤは、それまでどこか悲しそうな表情をしていたので、ソロルが自分を待っていることを知って明るく微笑んだときには、彼女にとってソロルがどれほど大事な存在であるかがよく分かった。それが大僧正と目が合った途端にあわててうつむいて目を伏せ、そそくさとした足取りで神殿の中へ去っていく。さすがはシェスタコワ、と思った。

祈りの儀式が終わり、ニキヤは水を汲みに来たフリをして神殿から出てくる。ソロルが現れて、ニキヤとソロルは嬉しそうに抱き合って踊り始める。イーゴリ・コルプは女性ダンサーを支えたり持ち上げたりするのが唸るほど上手だ。回転するニキヤの腰をソロルが支えるところでは、コレゴワもシェスタコワも、コルプの腕の中で、いつまで回っているのかと思うほどぐるぐる回り続ける。ジャンプしたニキヤをソロルが受け止めて静止するところも、コレゴワやシェスタコワの体をがっしりと受け止めて、なめらかな動きでそのまま振り回したり持ち上げたりする。

大僧正は神殿の入り口から、ソロルとニキヤが密会しているのを見てしまう。大僧正は火の祭壇の前に立って、ソロルが去ったほうを指さし、こぶしを握った片腕を振り下ろして、ソロルを殺して復讐することを誓う。

幕がいったん下りて場面転換。この間に、幕の向こうからガタン、ガタガタとセットを動かす音や指示を飛ばしているらしいロシア語の声が聞こえる。年末(2007年)のモスクワ音楽劇場バレエの公演もまったく同じ調子だった。バーミンガム・ロイヤル・バレエの公演での場面転換では、観客に待たせる時間をほとんど設けなかった。まして舞台裏の物音やスタッフの話し声が聞こえるなど論外である。だが、ロシアのバレエ団の公演独特の、こういうアナログな場面転換には素朴さと大らかさを感じる。またしても、ああ、ロシアのバレエだな〜、とほほえましく思った。

インドの藩主であるドゥグマンタの宮殿。旗持ち、兵士、戦士たちが続々と現れて居並ぶ中、最後にドゥグマンタが現れる。ドゥグマンタは去年と同じ人らしい。メイクが相変わらず切り絵か影絵のアリババみたいに濃ゆい。ヒラの兵士(←衣装が地味)と旗持ち(←同前)は今年も現地調達の日本人で、どーも去年と同じ人々のような気がする。特に孔雀の羽みたいな旗を持った兵士の列の、いちばん右側に立っていたオタフク顔の青年は去年も絶対にいた。彼らは体型からみると、バレエを習っている連中とは思えない。いったいどこから調達しているのだろう。光藍社に今度きいてやろう。

ジャンペー(女性の群舞)を踊る女性ダンサーたちが現れて舞を披露する。みな白いハーレム・パンツを穿いて、ハーレム・パンツの片方の膝から白い長い布が伸びていて、それを手に持ちながら踊る。片脚を高く上げたまま、もう片脚だけで立って移動したり回転したりする振りが多い踊りである。音楽もエキゾチックでいい。途中からエレーナ・コチュビラとユリア・カミロワが加わって、片脚を振り上げてそのまま後ろにぐいん、とスピーディーにそらす動きを何回も続ける。女性ダンサーたちはみな脚が長くて、弓なりに高く曲がる脚の形がとても美しい。

でも、このジャンペーの踊りは、ダンサーたちが片脚だけで立ったまま、徐々に舞台の奥に引っ込んでいって終わりとなるので、いったいいつ拍手をすればいいのか分からない。踊った後にお辞儀しに出てくることもないので、拍手してやれなかったのが今年も心残りだった。

ドゥグマンタは娘のガムザッティを呼ぶ。10日のガムザッティ役だったエレーナ・エフセーエワは、去年に引き続いて今年も金髪のエクステンションを垂らしている。メイクは濃い目だが美しいし役柄にも合っていて、特に権高そうな感じの形に描かれた黒い細い眉がよかった。エフセーエワはかなりのメイク上手なのではないかという気がする。

11日のガムザッティ役だったのはオリガ・ステパノワで、ステパノワのガムザッティは初めて見た。ステパノワは、髪は黒髪に近い褐色で、アイ・メイクを濃い目に施していた。エフセーエワとは違って艶っぽい雰囲気で、やはりプライドの高そうな感じである。ガムザッティの衣装は、ティアラ、金色の胸当て、金糸の刺繍と飾りのある白いスカート。

話がそれるが、レニングラード国立バレエの女性ダンサーたちのメイクを見て、去年の秋に行なわれた東京バレエ団の公演で、上野水香がしていた不可解なアイ・メイクの謎が分かった。上野水香はヨーロッパ人女性がやるアイ・メイクをしていたのだ。アイ・ホールの輪郭に沿ってシャドウをライン状に刷き、アイ・ホール全体を濃く塗るメイクである。彫りの深いヨーロッパ人がやると効果的だが、日本人女性には似合わない、というのが私の出した結論である。

ドゥグマンタはガムザッティにソロルとの結婚を提案する。ガムザッティは驚くが、恥じらいながら承諾する。ドゥグマンタはソロルを呼ぶように家来に命じ、ガムザッティをいったん去らせる。やって来たソロルに、ドゥグマンタはガムザッティと結婚するよう命ずる。

イーゴリ・コルプのソロルはあまり自分というものがない優柔不断な男であるらしい。ソロルはためらうが、あまりはっきりした態度をとらない。ソロルは白いヴェールをかぶって出てきたガムザッティと対面し、ドゥグマンタがガムザッティのヴェールを外す。それでも王女の美しさに打たれたとか心がグラついたとかいうふうにはみえない。

ソロルがドゥグマンタに背を向けて暗い面持ちになっているうちに、ドゥグマンタはさっさとソロルの手を取ってガムザッティと手をつながせる。そのときにもソロルはためらったり一瞬拒んだりということはなく、ドゥグマンタのペースに乗せられて、あれよあれよという間にガムザッティとの婚約が成立してしまう。ちょっと待てソロル、それでいーのか!?と見ているほうが思った。

ニキヤが呼ばれ、何も知らずにドゥグマンタとガムザッティの前で踊ることになる。コルプのソロルは情けない。気まずそうな表情でさりげなく奥のほうに隠れて後ろの壁と一体化し、ひたすらニキヤに見つからないようにしている。

ニキヤと奴隷との踊りでは、コレゴワとシェスタコワはすばらしかった。特に奴隷に腰を支えられて、やや前のめりに持ち上げられながら、上半身をピンとそらして花を掲げるポーズが両人ともきれいだった。ものすごい腹筋力が必要だろうに。

ただ、10日に奴隷を踊ったウラジーミル・ツァルは、コレゴワを持ち上げたり支えたりするのが、全体的にガタついてグラグラしていた。11日に奴隷を踊ったドミトリー・シャドルーヒンはツァルに比べればまだ上手で、うまくタイミングを合わせてシェスタコワを支えて持ち上げていた。何も知らないニキヤは、ひざまずいたガムザッティの頭上から花の雨を降らせて祝福する。

ニキヤたちが下がると、大僧正が硬い表情でやって来る。大僧正は口を手で軽く押さえ、ドゥグマンタに人払いを願う。ドゥグマンタはみなを出て行かせる。ソロルもガムザッティの手を取りながら去る。エフセーエワとステパノワのどちらだったかは忘れたが、ガムザッティは不審に思ったのか、去り際に父と大僧正のほうを振り返り、不安げな顔で見やる。これは後の展開の伏線となるすばらしい演技である。

ソロルとガムザッティの後ろ姿を見送った大僧正は、ふたりの去った方向を指さし、両手の甲を合わせて「王女とソロルを結婚させるのか?」とドゥグマンタに尋ねる。ドゥグマンタがうなづくと、大僧正は手でそれを制して反対の意思を示す。ドゥグマンタは怒りに駆られて思わず剣に手をかける。

大僧正は片腕を上げてソロルがニキヤに愛を誓った仕草を真似し、ソロルには恋人がいると告げる。ドゥグマンタは驚き、相手が誰なのかを尋ねる。大僧正を演ずるシェミウノフの演技がよかった。大僧正はさっき踊ったニキヤが身に着けていた白い長いヴェールを震える手で握りしめ、ヴェールを床に叩きつける。愛と憎しみは表裏一体というわけですな。

ドゥグマンタと大僧正が話している背後にガムザッティが現れる。彼女はソロルがさっき踊った舞姫と恋仲であることを聞いてしまう。ドゥグマンタはニキヤのヴェールを足で踏みつけると、腕を上げてこぶしを握り、ニキヤを殺すと宣言して、足早に去っていく。

大僧正は呆然とし、あわててドゥグマンタの後を追うように姿を消す。彼はドゥグマンタがソロルを罰してくれるだろうと期待していたのだ。去年も心の中でツッコんだが、ドゥグマンタにとって、戦士のソロルと舞姫のニキヤとどちらが大事かといえば、それは実用的な戦士であるソロルのほうに決まっている。また、かわいい娘が恋い慕っている婚約者の命を奪うようなことができるわけもない。ちょっと考えれば分かりそうなものだが。

うち沈んだ表情のガムザッティが現れる。ガムザッティはうつむいて目を伏せ、花嫁の白いヴェールをいとおしそうに抱きしめる。エフセーエワの不安そうな表情と頼りなげな仕草での演技が秀逸だった。ガムザッティはただ単に高慢でわがままな王女さまなのではなく、傷つきやすくて繊細な女心を持ち合わせていることをうかがわせる。だが、ガムザッティは召使のアイヤ(ナタリア・オシポワ)が現れると、顔をきっと上げて、王女らしい気品ある厳然とした表情を作る。

ヴェールをかぶり、地味な衣装に着替えたニキヤが召しだされてやって来る。ガムザッティはニキヤをソロルの肖像画の前に乱暴に押し出し、自分の婚約者はソロルだと暴露する。エフセーエワのガムザッティは、去年は感情的で激しい気性を思わせる演技で、なかばヒステリックな感じでニキヤにソロルをあきらめるよう懇願していたが、今年はかなり役作りが異なっていた。すっごく強い女になっていたのである。エフセーエワのガムザッティは自信に満ちた堂々とした態度で、勝ち誇ったような笑顔さえ浮かべて、ニキヤに身分の違いを思い知らせる。

ステパノワのガムザッティも強くて、顔色ひとつ変えず、冷たい表情でニキヤを見据えて、ソロルをあきらめるように迫る。自分の首飾りをニキヤに与えようとするところも、首飾りをニキヤの喉元に突きつけたまま、どんどんニキヤを追いつめていく。ほとんど脅迫しているかのようである。

ところが、対するコレゴワのニキヤも、シェスタコワのニキヤも強かった。ニキヤはショックを受け、ガムザッティの威圧的な態度に押されるものの、ソロルが自分に愛を誓ってくれた仕草を繰り返して、ソロルが本当に愛しているのは自分だ、と確信に満ちた表情で微笑む。どちらも一歩も引かない。このへんから、強いニキヤとガムザッティ、その間で困りまくる弱いソロル、という図式が頭にできあがってきた。

激昂したニキヤは短剣をつかむとガムザッティに切りかかる。ガムザッティの召使であるアイヤに止められてニキヤは我に返り、自分のしたことに怯えながら走り去る。第一幕はガムザッティがニキヤを殺すことを決意するマイムで終わる。

このシーンでのエフセーエワの表情とマイムがすばらしかった。エフセーエワは冷たい表情で、ぐっと握ったこぶしを振り上げてゆっくりと下げる。冷たい凄絶な迫力に満ちていて、エフセーエワのこの仕草には心の中で思わず唸ってしまった。すごくカッコよかった。エフセーエワのガムザッティは、去年よりもはるかにレベルアップしているようだ。

第二幕はソロルとガムザッティの婚約を祝う宴である。宴に呼ばれた人々、また人間以外(仏像)が続々と入ってくる。旗持ちはまたしても日本人で、やっぱり右端に立っている朝青龍似の兄ちゃんは去年も絶対にいたと思う。ドゥグマンタとガムザッティがそれぞれ輿に乗って現れる。ガムザッティの輿を担いでいたのも全員日本人の若者で、彼らがいったい何者なのか非常に気になる。

ついでソロルが巨大で不恰好な象の張りぼてに乗って登場する。去年はファルフ・ルジマトフが大真面目な顔で、このマヌケな張りぼて象に乗っていたので爆笑したが、今年は慣れたせいかあまり笑えなかった。イーゴリ・コルプの飄々とした感じと張りぼて象のおマヌケ度が比例していたからかもしれない。ソロルとガムザッティは手をつなぎ、連れ立って姿を消す。

様々な踊りが始まる。去年も登場した、顔を黒ピカに塗られた日本人のガキども(全員男の子)が今年も参加した。6〜7歳くらいかな。彼らは間違いなくバレエを習っているガキどもである。片脚を曲げ、もう片脚を横に伸ばしてジャンプする動きをしていたし、生意気にも足の甲の形は弓なりで、あれはバレエを習っている人独特のものだ。ガキどもは踊り終えると舞台の左右に輪を作り、群れなして座る。不覚にも超かわいいと思ってしまった。

「黄金の偶像」こと仏像役は10日がデニス・トルマチョフで、11日がアントン・プロームだった。踊りの振りが微妙に違っていた。全身金ピカのトルマチョフは、高くジャンプすると片脚だけで柔らかく着地して、もう片脚を後ろにぐっと伸ばす、という技を連続でやった。動きが安定していてしなやかだった。

マヌー(壷の踊り)は両日ともエレーナ・ニキフォロワが踊った。日本人の女性ダンサー2人が加わった。初日は頭上に置いた壷から手を離す時間が短かったが、2日目は割と長かった。壷の中の飲み物を分けてほしい、とまとわりつく2人を笑顔でかわしながら、音楽に合わせて可憐なポーズを決めていく(特に床についた足の形がいい)。とてもかわいらしい踊りである。

「インドの踊り」というのは一体どの踊りのことなのか、去年はついに分からずじまいだった。だが、どうも「太鼓の踊り」の途中から男女2人が加わって踊るのが「インドの踊り」のようである。音楽が一続きなので分かりにくいのである。

太鼓の踊りが始まると、赤いハチマキを締めて赤いハーレム・パンツを穿いた黒髪オカッパの兄ちゃんたちが威勢よく走り出てくる。大きな太鼓を持った長身のアレクセイ・クズネツォフが、片脚を根元から力いっぱい振り上げて弧を描く。長い脚をピンと伸ばしてブンブン振り回すのがパワフルでカッコいい。まさに「力強い躍動感、輝くような健康美、見ると元気になる男の魅力」(by 「エロイカより愛をこめて」)である。

途中からアンドレイ・マスロボエフとアンナ・ノヴォショーロワが出てきて踊りに加わる。マスロボエフはオカッパ兄ちゃんたちと同じ扮装、ノヴォショーロワは髪をポニー・テールのようにしていくつも束ねて後ろに長く垂らし、ビキニ・スタイルの水着みたいなセクシー衣装を着て、脚は素足である。

マッチョな兄ちゃんたちとセクシー健康美の姉ちゃんは、手足を思いっきり振り上げて元気いっぱいに踊り、最後はライン・ダンスみたいに脚を交互に高く上げながら前に出てきた。決めのポーズをとった瞬間、ノヴォショーロワは「ヤア!」と高く声を上げた。感極まって出てしまったのだろう。ダンサーたちが本気でノリノリで踊っていたのが分かるとこちらも嬉しいものだ。拍手がいつにもまして大きかったのは、ノヴォショーロワの「ヤア!」のおかげに違いない。

グラン・パ(イリーナ・コシェレワ、エレーナ・コチュビラ、タチアナ・ミリツェワ、ユリア・カミロワ、アレクサンドラ・ラトゥースカヤ、エレーナ・シリャコワ、サビーナ・ヤパーロワ、マリア・リフテル)を間に挟みながら、ソロルとガムザッティのパ・ド・ドゥが始まる。・・・そろそろ、誰がコシェレワで、コチュビラで、ミリツェワで、カミロワなのかくらいは覚えないといけない。

ガムザッティはお色直しをしていて、白い胸当てと白いスカートから白いチュチュに着替えている。エフセーエワはエクステンションを外して髪をすっきりとまとめている。これは去年と同じ。ステパノワも第一幕と第二幕の冒頭までは黒髪のエクステンションをつけていたが、このパ・ド・ドゥで外していたような気がする。

ソロル役のイーゴリ・コルプがここでようやくまともに踊り始める。コルプは中肉中背で、そんなに長身というわけでもないし、見とれるほど美しい体型をしているわけではないと思うのだが、舞台に立つとなぜか非常に大きく見える。

コルプはとても柔らかい体を持っているのか、全身に小さな関節がまんべんなくあるように思えるほど手足がぐんにゃりと曲がる。ひとつひとつのポーズがツボにはまっていてきれいだし、腕の動きも美しいし、脚は前にも後ろにも異常なほど高く上がるし、大きく開くし、硬さや危なっかしさが皆無で安定感に満ちている。それに踊りが音楽にいつもよく合っていて、音楽を先読みしているかのように、音楽の終わりと同時にポーズをびしっと決める。

おまけに、コルプは女性ダンサーを支えたり持ち上げたりするのが非常にうまい。彼の「ろくろ回し」の凄まじさは上に書いたが、たとえば跳びこんできた女性ダンサーを受け止めて静止させたり、受け止めてから間をおかずに自然に次のリフトやサポートに移ったりすることができる。ニキヤ役のコレゴワ、シェスタコワ、ガムザッティ役のエフセーエワ、ステパノワたちといつも踊っているわけではないだろうに、あれだけ自然でなめらかなパートナリングができるというのは、踊っている間にも、常に相手の女性ダンサーの動きに注意して合わせているのだと思う。

コルプは自分の踊りだけに没頭するタイプではなく、絶えず周囲の状況を観察して、その場に最適な判断を瞬時に下して踊るダンサーだと思う。コルプが「怪しい」とよくいわれるのは、ただ単に彼が悪人顔をしている(←私はあまりそう思わないが)からだけではなく、彼のそうした一歩引いた姿勢というか、冷静さがにじみ出ているせいもあるかもしれない。

去年に引き続いてガムザッティを踊ったエフセーエワの演技は、去年とはかなり違っていて、非常に良くなっていた。更に驚いたことには、踊りも同じように去年とは比べものにならないほどレベル・アップしていた。去年はまだおぼつかなさや迫力に欠けるところがあった。でも今年は踊り全体にすごい気迫が漂っていて、自信を持って堂々と踊っていた。

コーダで片脚をまっすぐに振り上げて下ろしながら回転するところでは、脚がビシッと高く上がり、それから体全体がくるりと回転する。それを何度も繰り返す。これまたすごくカッコよくて、このエフセーエワの踊りにも圧倒された。申し訳ないけど、ステパノワの踊りはあまり印象に残っていない。

えんじ色の地味なヴェールと衣装に身を包んだニキヤが、ソロルとガムザッティの前で踊らされる。コレゴワもシェスタコワもすばらしかった。両腕を組んで上げ、爪先立ちで伸び上がったときの肋骨の美しさは互角である。細かくコレゴワとシェスタコワを比べると、技術だけをとりあげるならコレゴワのほうが上だと思う。でも演技を含めた全体をとりあげるなら、シェスタコワのほうがコレゴワより優れている。

踊り自体はコレゴワのほうが安定していたが、コレゴワはあまり表情がなく、一方シェスタコワのほうは、時に足元が危うくなったりバランスを崩しかけたりするものの、打ち沈んだ表情と悲しげな瞳で、身も心もすっかり打ちのめされたニキヤを演じながら踊っていた。

コルプ演ずるソロルはここでも情けなく、自分が裏切った恋人が目の前で踊ることに耐え切れず、しばしば席を立ってはニキヤに背を向ける。去年はなかった演出だと思うけど、ソロルが耐えかねて席を立つたびに、ソロルの親友らしい戦士がソロルをなだめて席につかせていた。

去年はガムザッティ(シェスタコワ、エフセーエワ)がソロル(ファルフ・ルジマトフ)を自分につなぎとめようとする演技が見ものだったが、今年はソロルが席を立ってばかりいるので、ガムザッティはもっぱら父親のドゥグマンタと一緒に、平然とニキヤの踊る様を見つめていた。

踊りの途中でニキヤは花籠を受け取る。彼女はそれがソロルから贈られたものだと聞かされる。シェスタコワの表情での演技がすばらしく、それまでの愁眉を開いて、一転して救われたような明るい表情になって踊る。だが、ニキヤが花籠を抱きかかえた瞬間、花籠から毒蛇が飛び出してニキヤの喉元に噛みつく。

ニキヤが毒蛇に咬まれた後、ソロル役のコルプの演技は初日と二日目とで異なっていた。毒蛇に咬まれたニキヤは、苦しみながらも激しい勢いでガムザッティを指さし、ガムザッティが仕向けたのだと暴露する。ついでにいうと、ガムザッティ役のエフセーエワは、去年は必死な表情で弁解するようにソロルに取りすがっていたが、今年は顔色ひとつ変えず、傲然と顔を上げてニキヤを見つめ、「そうよ、私がやったのよ。だから何なの?」と平然としていた。ステパノワのガムザッティも同じである。

コレゴワがニキヤ役だった初日は、ソロルは事の次第を察しながらも、毒に苦しむニキヤに背を向けて立ち尽くす。ソロルが自分を見ていないことに絶望したニキヤは、ついに力尽きて倒れて死んでしまう。事前の打ち合わせがあったのかどうかは知らないが、自分に背中を向けるソロルを目にしたときの、コレゴワの絶望した表情がよかった。

シェスタコワがニキヤ役だった2日目は、ソロルは苦しむニキヤを呆然と見つめている。ニキヤもソロルを見つめたまま、一度は手にした解毒剤をわざと取り落とし、それから倒れて死ぬ。2日目は去年の公演、ニキヤがシェスタコワでソロルがルジマトフだった舞台を思い出させる。シェスタコワのニキヤは絶望して死ぬのではなく、助かることとひきかえに大僧正のものとなるよりは、ソロルへの愛を貫いて覚悟の死を遂げる、という感じである。

ニキヤが死んだ後のコルプの演技も初日と2日目で違った。初日はソロルが倒れたニキヤに歩み寄り、膝をついて座って天を仰いで嘆き悲しんで幕、だったが、2日目はソロルが倒れたニキヤを抱き起こし、ニキヤの体を抱きしめたまま慟哭して幕、だった。シェスタコワには男性ダンサーを思わず夢中にさせる魅力があるのだろうか。

第三幕の冒頭、ソロルが激しい動きで踊りながら舞台上に現れる。悲壮な音楽に乗って、コルプは高いジャンプや回転を連続で次々とこなしていく。コルプが後ろ向きに飛べば、脚が180度も開いているんじゃないかと思えるほど、後ろに上げた片脚が常に腰より上にぐっと伸びている。高度もすごいし、空中での姿勢も美しい。コルプのジャンプのあまりの高さと凄さに、客席からため息が漏れていた。

ソロルは阿片を吸いながらマグダウィアに余興を演じさせる。私はこのシーンが苦手で、早く影の王国の場にならないか、といつも思っている。ソロルが阿片を吸引する姿もあまりカッコよくないが、特にマグダウィアが蛇使いの老人を呼んできて、籠から機械仕掛けの蛇が出てくると噴き出しそうになる。隣に座っていた観客もクスクスと笑っていたので、やっぱり他の人もおかしく感じるのだろう。この蛇使いのシーンさえなければいいバレエなのになあ、と思う(あと第二幕の張りぼての象も)。

影たちがアラベスクを繰り返しながら、山の斜面を下りてくる幻想的なシーンは、初日は肝心の影たちがグラグラしていて悲惨だった。特に前から3番目のダンサーは、アラベスクをするたびに床に着いた片脚がグラついていて、いつ転ぶかとヒヤヒヤしながら見守っていた。影たちの列も等間隔でなくバラバラだった。舞台上に降り立ってからの群舞も同様に不安定で、やはり片脚だけで立って静止するところでは、後ろに立っていたダンサーたちが何人もバランスを崩し、上げていた片脚を床についてしまっていたのが見えた。

ところが、2日目の舞台では、影の群舞は見違えるほど持ち直した。山を下りてくる列も動きもきれいだったし、舞台に降り立ってからの群舞も美しかった。一部のダンサーを交代させたのか(そんな人員的余裕があるとは思えないが)、それとも芸術監督のルジマトフがダンサーたちに檄を飛ばしたのか、とにかく同じバレエ団とは思えないほど違っていた。

私が少し引っかかったのは、去年の「バヤデルカ」公演で、シェスタコワとともにニキヤを踊ったイリーナ・ペレンが、今年はヴァリエーションを踊る3人の影の1人だったことである。コレゴワがニキヤ役として出演するためにペレンが降ろされたのか、それともペレンはニキヤ役にはふさわしくない、と芸術監督のルジマトフが判断したのかは分からない。

いずれにせよ、去年は主役を踊っていたのに、今年は主役から降ろされてヴァリエーションの一つを踊らされるとは、ダンサーにとってどんな気持ちがするものなのだろう。それでも一生懸命に自分の役を踊るのがダンサーの務めなのだろうが、私はペレンを気の毒に思った。3人の影のヴァリエーションと、3人の影が同時に同じ振りで踊るところでは、やはりペレンがずば抜けてよかった。ところが、影の王国のシーンの最後で、他の影たちとともに踊っていたとき、ペレンはアラベスクからバランスを崩して前のめりになった。それを見て、なおさらペレンがかわいそうだった。

ニキヤとソロルのパ・ド・ドゥは、コレゴワもニキヤもすばらしかった。特に、ソロルに手を取られたニキヤが横っ飛びに大きく開脚してジャンプするところは、両人とも白い両脚がピンと伸び、ほとんど180度も脚が開いていてすごく美しい。だが、シェスタコワは去年と同じ箇所でスタミナ切れして踊りが乱れた。白いヴェールを使った踊りである。ニキヤが大きく回転するところで、シェスタコワは足元が定まらず、バランスを崩してはよろめいていた。コレゴワは最後まで安定していた。

レニングラード国立バレエの「バヤデルカ」にはエピローグがある。影の王国が終わると幕が下り、幕の前をソロルとガムザッティの結婚式を祝う人々が通っていく。影の王国で女性ダンサーの数が足りなくなったらしく、今年も数人の男性ダンサーが頭と顔の下半分を覆うヴェールをかぶり、体の線が目立たない長い衣装を着て、女性のフリをして通っていった。

ガムザッティとソロルとの踊りに、白いヴェールをかぶったニキヤの亡霊が加わって一緒に踊る様は不気味である。ガムザッティがソロルから受け取った花束を、ニキヤの亡霊がことごとく奪い取ってしまう演出も相変わらず怖い。同じ亡霊でもジゼルはちっとも怖くないが、このボヤルチコフ版「バヤデルカ」でのニキヤの亡霊は、ソロルへの執着や強い未練、あるいは独占欲さえ感じさせる。

ニキヤの亡霊がガムザッティとソロルの目の前に花を一気に浴びせかける。ガムザッティが驚愕したのは、生前のニキヤが同じように自分に花を降らせたことを思い出し、ニキヤの亡霊の存在を感じて恐怖に駆られたのだとしても、ソロルはなぜいきなり怒り出すのかが今年もよく分からなかった。ドゥグマンタとガムザッティの陰謀でニキヤが殺されたことは百も承知の上で、ニキヤを見捨ててガムザッティとの結婚を選んだはずなのだが。

最後は劇的な音楽とともに宮殿が崩壊する。初日はこの感動的なシーンも無残だった。瓦礫が描かれた幕が下りている最中、まだ舞台が明るいにも関わらず、スタッフたち数人が出てきて、幕が下りるのに邪魔なセットを押して動かしているのが見えてしまったのである。せっかくのドラマティックなシーンが台無しになってしまった。だが、2日目はこんな失敗はなく、無事に感動できた。

宮殿が崩壊した後、影たちが現れた山の斜面に大僧正が立ち、天を仰いで祈るように両腕を上げる。空中を白い長いヴェール(←ニキヤ)が飛んでいく。このラストも意味がよく分からない。だが、分からなくても充分に印象的で感動的なのには変わりない。大僧正はニキヤの死によって、ようやく我に返ったのかもしれない。彼はニキヤの亡霊が現れ、神の怒りによってすべてが滅びることを見越しており、ニキヤの魂が天へ帰っていくのをひとり静かに見送ったのだろうか。

カーテン・コールでは、イリーナ・ペレンの表情が冴えないことが気になった。ペレンは前に出てきてお辞儀をしても笑わなかった。彼女はちょうどコレゴワの後ろに立っていた。主役たちが左右の人々と手をつないで一緒に前に出てこようとしたとき、コレゴワは右にいたペレンと手をつなごうとしたが、ペレンはコレゴワの手を取らず、コレゴワの後ろに立ったままお辞儀をした。主役たちが前に出てお辞儀をし、他のダンサーたちも主役たちに拍手を送っている間も、ペレンは複雑そうな表情をして、他のダンサーたちよりも明らかに控えめに拍手していた。

芸術監督の好みでキャスティングが決まるのは、どのバレエ団でも当たり前にあることだと思う。あるいは、今年はコレゴワがゲストとして出演したために、ペレンはニキヤを踊れなかったのかもしれない。ペレンがニキヤ役から降ろされた理由が、もし後者だったらまだいいが、前者だったらかなり複雑な気分だ。去年に観たペレンのニキヤは、私はすばらしかったと思ったから。来年の日本公演では、ぜひまたペレンにニキヤを踊らせてやってほしい。

カーテン・コールの途中で、イーゴリ・コルプが芸術監督のファルフ・ルジマトフを引っ張り出してきた。コレゴワやシェスタコワが舞台から目くばせしてもダメだったので、コルプが自ら舞台脇に寄って手を伸ばし、それでルジマトフは仕方なく出てきたらしかった。黒いセーター、あるいは白いシャツにズボンというカジュアルな服装をしていたが、黒いズボンを穿いた脚が細いのなんの。舞台で異様に大きく見えるルジマトフは、普通の服を着るとこんなに華奢な人だったか、とびっくりした。

ルジマトフはコルプの肩を抱え、コルプの手を取って高く上げた。コルプのソロルにはルジマトフも満足だったらしい。ていうか、実際コルプの踊りはすばらしかったから、当然のことかもしれない。

ともかく、「バヤデルカ」はすばらしい作品である。ダンサーによってこれほど違ったドラマが展開される作品もめずらしい。踊りも見ごたえのあるものばかりである。来年はどんなキャスティングで楽しませてくれるのか、今からとても待ち遠しい(しつこいけど、ぜひペレンのニキヤ復活を熱烈希望)。

(2008年2月8日)

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レニングラード国立バレエ「ドン・キホーテ」

(2008年1月26日、Bunkamuraオーチャードホール)

オーチャードホールの客席は前10数列の傾斜が緩くて、あまり好きではなかった。ちょっと大柄な女性が前に座ると、途端に視界が遮られてしまう。男性が座ったらどうなるかはいうまでもない。幸運なことに、私の前に座ったのは小柄な女性だった。おかげで舞台全体がよく見渡せた。

「ドン・キホーテ」、原作はセルバンテスの同名小説、音楽はルードヴィヒ・ミンクス、原振付はマリウス・プティパ、演出はアレクサンドル・ゴルスキー、改訂演出はN.ボヤルチコフ(レニングラード国立バレエ前芸術監督)、美術はV.オクネフ、衣装はI.プレスによる。

主なキャスト。キトリ/ドルシネア:アナスタシア・コレゴワ;バジル:イーゴリ・コルプ;ドン・キホーテ:マラト・シェミウノフ;サンチョ・パンサ:デニス・トルマチョフ;

キトリの友人:アレクサンドラ・ラトゥースカヤ、サビーナ・ヤパーロワ;ガマーシュ:マクシム・ポドショーノフ;ロレンツォ:イーゴリ・フィリモーノフ;

エスパーダ:デニス・モロゾフ;大道の踊り子:オリガ・ステパノワ;メルセデス:エレーナ・モストヴァーヤ;トレアドール(闘牛士):アンドレイ・マスロボエフ、アントン・チェスノコフ;

ジプシー:アンナ・ノヴォショーロワ、ニコライ・アルジャエフ;森の女王:オクサーナ・シェスタコワ;キューピッド:エレーナ・ニキフォロワ;

ファンダンゴ:アリョーナ・ヴィジェニナ、アントン・チェスノコフ;ヴァリエーション:イリーナ・コシェレワ、タチアナ・ミリツェワ;

グラン・パ:アンナ・スホワ、ディアナ・マディシェワ、エレーナ・フィールソワ、エカテリーナ・スカーチナ、エレーナ・カシェーエワ、リディア・カルプーシキナ、エレーナ・スヒーフ、ヴァレリア・ジュラヴリョーワ。

演奏はレニングラード国立歌劇場管弦楽団、指揮はアンドレイ・アニハーノフによる。

上の「バヤデルカ」でも書いたように、キトリ役のアナスタシア・コレゴワはマリインスキー劇場バレエのソリスト、バジル役のイーゴリ・コルプもマリインスキー劇場バレエのプリンシパルで、今回の公演にはゲストとして参加した。

エピローグは、ドン・キホーテが部屋の中で佇んでいると、ヴェールをかぶり、ロココ調の横出っ張りスカートのドレスを着た女性(ドルシネア)が現れる、というお馴染みのあれだった。しかし、部屋の中にはたとえば机だのベッドだのといった大道具が何もなくて、このバレエ団はあまりお金がないんだろうか、といらない心配をした。そこへサンチョ・パンサが飛び込んできて(だが盗み食いはしていなかった気がする)、ドン・キホーテはサンチョ・パンサとともにドルシネア姫を尋ねて旅立つ。

キャスト表をよく見たら、ドン・キホーテ役はマラト・シェミウノフ、サンチョ・パンサ役はデニス・トルマチョフだったのね。「バヤデルカ」で、シェミウノフは大僧正を演じ、トルマチョフは仏像を踊った。演目によって、それぞれまったくの別人になりきる演技力は大したものだけど、踊らないのはもったいない。特にシェミウノフは、プロフィルの写真は超イケメンだし、身長は195センチで(←でかっ!)、かかとからウエストまで124センチもある、ナイスなプロポーションの持ち主なんだって。

第一幕はバルセロナの広場。セットは幕物が多かったが、背景には川か運河が描かれ、大きな帆船が停泊している。岸の向こうにはバルセロナの街並みが描かれている。

人々の喧騒の中、黒と紅の衣装に身を包んだキトリ役のアナスタシア・コレゴワが、舞台に飛び出してくる。コレゴワは美しいハニー・ブロンドかマロン・ブロンドの髪(煙るような変わった色合いの金髪だった)をすっきりとまとめている。たぶんこれが地毛なんだろう。「バヤデルカ」では役に合わせて黒髪に染めていたのだ。やっぱりこの子はスタイルがいいし美人だ。小さな顔に鶴のような長い細い頸。眉と目をはっきりと際立たせたメイクも上手である。

踊りは安定していてきれいだったと思う。テクニックもスタミナもあって、安心して観ていられた(第三幕のグラン・パ・ド・ドゥのコーダまでは)。

続いてバジル役のイーゴリ・コルプが現れる。その衣装を見てちょっとびっくりした。プログラムに載っている写真の衣装とは違う。ピンクのシャツ、ベスト、淡い紫のタイツという出で立ちだった。他のダンサーが着れば「なんじゃこりゃ」だったろうが、コルプが着るとあんまり違和感がない。むしろコルプらしくて大爆笑。

キトリの父親であるロレンツォ(イーゴリ・フィリモーノフ)が、キトリからバジルを突き放すシーンでは、コレゴワはもうちょっとユーモラスな演技をしてもよかったと思う。ロレンツォに甘えて、しなだれかかってなだめようとし、バジルがそれにワル乗りして、ちゃっかりと自分もロレンツォにしなだれかかり、ロレンツォに突き放されるこのシーンは、もっと笑えるはずだ。デニス・マトヴィエンコのバジルは、踊りがすばらしいのはもちろん、演技の一つ一つがおかしくて笑いっぱなしだったから。

ガマーシュ(マクシム・ポドショーノフ)は、紫の悪趣味なフリルだらけのロココ衣装を着て登場する。ミラノ・スカラ座バレエ団の面白くもなんともないガマーシュよりは笑えたが、ボリショイ・バレエの「ドン・キホーテ」のガマーシュの強烈さにはまだかなわない。

そしてお楽しみ、カッコいい音楽に乗って、エスパーダ(デニス・モロゾフ)率いる闘牛士軍団の登場である。白い闘牛士の衣装を着て(←カッコいいデザイン)、闘牛用のマントを翻して現れるんだけど、エスパーダ役のデニス・モロゾフは四角い顔立ちで、髪型もまとめておらず乱れ髪っぽく、なんだか「勧進帳」の武蔵坊弁慶にそっくしだった。マントを翻す手さばきは見事でダイナミックだったし、闘牛士役のダンサーは、6人くらいはいたと思う。それが勇壮な音楽に乗って、舞台の前に出てくる様は圧巻だった。

エスパーダと街の踊り子(オリガ・ステパノワ)との踊りも決まっていた。街の踊り子は黒のドレスを着ていてクールだった。闘牛士たちのマントさばきがすばらしかった。闘牛士たちが短剣を舞台に突き立てて、街の踊り子が短剣の間を縫って踊るシーンもうまくいった。ただ、いちいちボリショイ・バレエと比べるのは申し訳ないのだけど、ボリショイ・バレエの場合は、短剣の刃を床に突き立てるのではなく、柄の部分を床に立てるのである。よって、街の踊り子役のダンサーの足が少しでも短剣に触れると、短剣がすぐに倒れてしまう。その点では、ボヤルチコフ版(他の版もだが)「ドン・キホーテ」の街の踊り子の踊りは無難に逃げている気がする。

ドン・キホーテとサンチョ・パンサがバルセロナの街にやって来る。ドン・キホーテがキトリにぞっこんになっている間に、サンチョ・パンサは街の娘たちにからかわれて鬼ごっこをさせられ、闘牛士たちによって、お約束のトランポリンで空中に放り上げられる。いつも思うんだけど、あの布はトランポリン用の、弾力性のある布なのかしらね。

第一幕はキトリとバジルが踊りっぱなしだが、踊るイーゴリ・コルプを観ていて、私はかなり違和感を感じた。「バヤデルカ」での安定した柔軟且つ端正な、しかも迫力ある踊りが、この「ドン・キホーテ」では見られないのだ。バジルがキトリを片手で持ち上げて静止するシーンでは、パートナリング上手のはずのコルプの足元が大きくグラついた。なんとか踏ん張って持ちこたえたが、足の位置がズレてしまい、その拍子に静止していたコレゴワの体も大きく揺らいでしまった。

なんだかいつも冷静沈着で飄々としていて、しなやかで美しい踊りを見せるコルプらしくない。焦って無理に大技を決めようとして、不安定になってしまっているように思えた。肩に力が入りすぎだなあ、と感じた。

この日のコルプの踊りの中でもっともハッとしたのは、半爪先立ちの両足を揃えて回転しながら横に移動する動きだった。すごく速くて、しゅっしゅっしゅっしゅ!と超高速スピードで、体が平面的で表と裏の2面しかないように回る。ああいうのは初めて見た。

また、キトリがカスタネットを鳴らしながら現れて踊るシーンでは、それを眺めているコルプもカスタネットを持ち、ノリノリな様子でリズムよく鳴らして囃していて、こういうところはさすがコルプらしい。たぶんすごく頭のいい人だよね。自分が踊らないシーンでも、決して「でくのぼう」にはならず、うまい方法を考えてちゃんと舞台に参加して盛り上げる。

第二幕、バジルとキトリはジプシーの野営地に逃れてくる。背景にはこれもおなじみ、おおきな風車小屋のセットが置いてある。ジプシーたちの踊りは、ヌレエフ版と音楽は同じだが、振付はかなり違っていた。

ジプシーの男(ニコライ・アルジャエフ)と女(アンナ・ノヴォショーロワ)を中心に、妖艶な踊りと、アクロバティックだけど整然とした踊りで構成されていた。ジプシーの女を踊ったノヴォショーロワは、「バヤデルカ」第二幕で、「太鼓の踊り」の途中から加わって(「インドの踊り」)、セクシー・ボディを露わにした衣装で、パワフルな踊りを披露した姉ちゃんだ。こういう色っぽい踊りも踊れるんですね。プロフィルによれば、「ジゼル」のベルタも持ち役のようだが、ベルタ役をあてがって踊らせないのはもったいないことだ。

ドン・キホーテとサンチョ・パンサもそこへやって来る。そこでジプシーたちが人形劇(実際にはダンサーたちが演ずる)をドン・キホーテに見せる。人形劇のあらすじはよく分からなかった。でも、悪者が貴婦人を追いつめる、というストーリーらしい。貴婦人にドルシネアの姿を重ね合わせたドン・キホーテは、剣を抜いて斬りかかり、人形劇の舞台をめちゃくちゃにぶっ壊してしまう。

風車が動き出す。風車を敵だと思い込んだドン・キホーテは、風車に向かって突進していく。ここの演出は非常に良かった。普通はいかにもな人形が風車の羽根に引っかかって投げ飛ばされるが、今回の公演では、風車の大きな羽根がブランコ状に舞台の脇から飛び出してきて、その度にシェミウノフ演ずるドン・キホーテが羽根にぶら下がって現れる、という演出だった。ショボい人形を羽根に吊り下げるより、はるかに見ごたえがある。

もう一つ面白かったのが、キトリは途中で姿を消すんだけど(お色直しをして、ドルシネアとして次の場で踊らなくてはならないから)、バジルはその場に残り、ドン・キホーテが風車に突進して、風車の羽根にぶら下がって現れるのを、ジプシーの人々とともに、やきもきしながら眺めているの。他の版でもこうだったっけ?とにかく、これは珍しい演出だな、と思った。

気絶したドン・キホーテが憧れのドルシネアに会うシーンは、森の女王がオクサーナ・シェスタコワという豪華キャストだった。シェスタコワは銀糸の刺繍の入った純白のチュチュを着ていた気がする。ドルシネアとして登場したコレゴワはどんな衣装だったかは忘れた。淡いピンクだったかな〜?(自信なし) ボヤルチコフ版「ドン・キホーテ」のこの場では、キューピッドが1人ではなく大量に登場する。もちろん、中心的な役割でヴァリエーションを踊るのは1人(エレーナ・ニキフォロワ)である。あの金髪巻き毛のショート・カットのヅラは、いつ見てもこそばゆいな。

シェスタコワのヴァリエーションも、コレゴワのヴァリエーションもすばらしかったけど、コーダではやはり両人の差が出た。やはりコレゴワのほうが(あくまで)身体能力、テクニック、パワーでは、シェスタコワより上である。シェスタコワはカーテン・コールには出てこなかったので、ヴァリエーションが終わった後だけが拍手できる機会で、それがちょっと残念だった。

ちなみに、サンチョ・パンサが、伯爵だか公爵だかに出くわして助けを求めるというくだりは、このボヤルチコフ版「ドン・キホーテ」ではなかった。

バジルとキトリは酒場に逃げ込む。エスパーダも着ていて、第一幕での白い衣装から黒い衣装に着替えていた。でもやっぱり武蔵坊弁慶だなあ。ここでようやく朱のドレス姿のメルセデス(エレーナ・モストヴァーヤ)が登場し、エスパーダと官能的な踊りを踊る。軟体を生かした柔らかな動きがなまめかしい。

そこへ、キトリとバジルを追って、ロレンツォとガマーシュが現れる。ついでにドン・キホーテとサンチョ・パンサも一緒である。娘たちや闘牛士たちはキトリを自分たちの背後に隠すが、ロレンツォはめざとくキトリを見つけて引きずり出し、ガマーシュと結婚するように迫る。

いつのまにか姿を消していたバジルが、なぜかマントをはおって、人々の間を縫って現れる。バジルは懐から短剣を取り出して人々を威嚇する。キトリも本気にして怯える。このときのコルプの目つきがまるで尋常じゃなくって、本当に狂気を帯びているというか、本気でイっちゃっているような超アブない目つきであった。最優秀演技賞。狂気じみたアブない役があったら、コルプはまさしく適任ではないだろうか。

バジルの狂言自殺は、「ドン・キホーテ」の中で最も笑えるシーンである。バジル役のダンサーはぞれぞれに創意工夫を凝らしているが、コルプはどう出るだろう。コルプは、マントを床の上に広げると、なんと客席に向かって熱い投げキッスをしてから、剣を脇に挟んでバッタリと倒れた。まあ努力賞かな。

キトリはバジルが本当に死んでしまったと思い込み、バジルの体にすがって嘆き悲しむ。ところが、バジルはちゃっかりと顔を上げ、キトリの頬にキスをする。キトリは狂言自殺だったことを悟って、顔を伏せながら明るく微笑むが、人々に向かってはわざとらしい顔つきで大げさに嘆き悲しむ。キトリは死んだ(フリをしている)バジルの手を取って自分の胸に当て、ドン・キホーテに向かって、一瞬の間であってもいいから、バジルと自分が夫婦となれるように、と助けを求める。コレゴワのわざとらしい悲嘆の演技が笑えた。

ロレンツォはドン・キホーテに諭されて(脅されて)、ようやくキトリとバジルの結婚を許す。バジルはとたんに飛び起き、キトリと一緒にロレンツォの前に跪いて結婚を誓う。

この後、ヌレエフ版では第三幕のラストで繰り広げられる群舞が、第二幕の最後で踊られる。バジル、キトリ、エスパーダ、メルセデスをはじめとする人々全員が、舞台いっぱいにならんで、両手で指パッチンをしながら踊るやつだ。これでめでたしめでたし、とはならず、まだ第三幕のキトリとバジルのグラン・パ・ド・ドゥが残されている。

第三幕の最初はファンダンゴが踊られる。男女2人(アリョーナ・ヴィジェニナ、アントン・チェスノコフ)を中心に踊られる群舞である。音楽とスペイン風の衣装がカッコよかったが、ミラノ・スカラ座バレエ団のファンダンゴ(ヌレエフ版)のほうが、衣装も振付もはるかにクールだったと思う。

グラン・パ(アンナ・スホワ、ディアナ・マディシェワ、エレーナ・フィールソワ、エカテリーナ・スカーチナ、エレーナ・カシェーエワ、リディア・カルプーシキナ、エレーナ・スヒーフ、ヴァレリア・ジュラヴリョーワ)が踊られ、その後でグラン・パ・ド・ドゥが始まる。

間にイリーナ・コシェレワ、タチアナ・ミリツェワによるヴァリエーションが踊られる。キャスト表には書いてないんだけど、グラン・パかヴァリエーションを踊る2人のダンサーの中に、オリガ・ステパノワがいたような覚えがある。キャスト表と実際の出演者が食い違うのは困るよな。

コレゴワのキトリの衣装が美しくてセンスがよかった。白地にくすんだ金色の草花の紋様が入っている。コルプはどんな衣装だったかな。忘れました。

最初にキトリとバジルが踊るところと、キトリのヴァリエーションは普通によかった。コルプは相変わらず支え上手・持ち上げ上手さを発揮していて、「ろくろ回し」ではコレゴワが目を回すんじゃないかと思うくらい、ぐるぐると回し続けていた。「しゃちほこ落とし」はスムーズにいったようには見えなかったが、「しゃちほこ落とし」がスムーズにいった舞台を観たことがないので、こんなものなのだろう。

ところが、バジルのヴァリエーション、コーダでのコルプは明らかにおかしかった。ヴァリエーションの振付は、よく見るバジルのバリエーションの振付とは違っていた。勢いに任せた力技ではなく、しなやかにゆっくりと踊るが実は難度の高そうな技で構成されていた。コルプは無難に踊ってはいたのだけど、どうも動きが今ひとつきごちなく、音楽にも遅れていた。疲れていたというより、肩に力が入りすぎだったのではないかと思う。流麗に踊れない振付を無理に踊って「自分ならではのバジル」を作らなくても、よくある振付を丁寧に踊ればよかったのではないだろうか。

コレゴワのキトリの踊りは順調だったが、彼女がコーダで32回転を始めたとき、そのあまりな見苦しさに愕然とした。右脚を太腿からかなり下げていて、まず見た目に美しくない。決定的なのは、いくら途中で2回転を入れて色を添えても、回転自体が音楽にまったく合っていないことだった。回るスピードも一定でない。去年夏のボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラで、マリインスキー劇場バレエのアリーナ・ソーモワが踊った「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」での、ソーモワの回転にそっくりだった。こういう美しくない回転をしても注意されないものなのかな。あの32回転は、それまでのコレゴワの踊りとはあまりに落差があってびっくりした。

でも、この舞台は基本的にはとても楽しかった。「ドン・キホーテ」は見どころの多い作品だし、やっぱりレニングラード国立バレエは優れたバレエ団だと思う。来年はどんな作品を持ってきて見せてくれるのか、とても楽しみ。

カーテン・コールには、「バヤデルカ」のときと同じく、芸術監督のファルフ・ルジマトフがコルプに引っ張られて出てきた。この日も黒いズボンを穿いていて、ズボンを穿いていてもやっぱり脚が極細なんでびっくりした。ルジマトフがカーテンの間から出てきたとき、一瞬の間だったけど、フラメンコみたいな仕草をしてポーズを決めた。ルジマトフは意外とお茶目なんだな、と思ったが、今年の「ルジマトフのすべて2008」で「カルメン」を踊るそうなので、ルジマトフは今、スペイン舞踊がマイブームなのかもしれない。

ところで、アナスタシア・コレゴワがゲストとして参加した意義は、ついによく分からなかった。コルプがゲストとして呼ばれたのは分かる。事実上ルジマトフの代わりだから、ルジマトフに負けない強烈な個性と力量をもったダンサーでなければならなかったのだろう。一方、コレゴワも確かに優れたダンサーではあるものの、別にゲストとして呼ぶほどではないと思う。

コレゴワはマリインスキー劇場バレエのダンサーなのだから、彼女を育成して活躍の場を与えるのはマリインスキー劇場バレエの仕事だ。レニングラード国立バレエの日本公演を、「マリインスキー劇場バレエ期待の新進ダンサー日本初お披露目の場」にしてほしくはないなあ、とひそかに思った。

(2008年2月19日)

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