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NOTE

ボリショイ・バレエ&マリインスキー・バレエ合同ガラ公演(Aプロ)

(2007年8月30日、新国立劇場オペラ劇場)

ボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエが合同で公演を行なうのは、少なくとも日本では初めてのことだそうだ。ひょっとしたら世界で1、2位を争うバレエ団が合同で公演を行なう。先行予約日、私はチケットをためらうことなく即買いした。レベルの高い公演になるだろうこと、期待は決して裏切られることはないだろうことが分かりきっていたからだ。

しかも、演目はよく知られている古典作品のパ・ド・ドゥがほとんどだったので、気軽に踊りそのものを楽しむことができるだろうし、ロシアのクラシック・バレエの正統的スタイルを目にすることができるだろう。

Aプログラムではボリショイ・バレエが先攻だった。演奏は東京ニューシティ管弦楽団、指揮はパーヴェル・ソローキン(ボリショイ劇場指揮者)。

「エスメラルダ」第二幕のパ・ド・ドゥ(振付:ニコライ・ベリオゾフ、音楽:チェザーレ・プーニ)、ダンサーはエカテリーナ・クリサノワ(ソリスト)、ドミートリー・グダーノフ(プリンシパル)。クリサノワが現れた途端、さっそくロシアのバレリーナのプロポーションの美しさと優れた身体能力に打ちのめされる。

濃い緑のチュチュを着たクリサノワは長い脚を耳の傍まで高く上げて、右手に持ったタンバリンをトゥ・シューズの爪先でリズムよく叩く。伸ばした脚の形が実に美しい。弓道に使う弓のようだった。クリサノワがコーダで何かミスをしたように覚えているが、最初だから緊張もするだろう。

「マグリットマニア」デュエット(振付:ユーリー・ポーソホフ、音楽:ベートーヴェン、ユーリー・クラサーヴィン)、ダンサーはネッリ・コバヒーゼ(ソリスト)、アルテム・シュピレフスキー(リーディング・ソリスト)。コバヒーゼは両脇に深いスリットの入った赤いドレス、シュピレフスキーは白いシャツにサスペンダーを付けた黒いズボン。クラシックお約束の動きがほとんどないモダン作品である。

コバヒーゼがシュピレフスキーに持ち上げられながらゆっくりと舞う。コバヒーゼの白い腕の動きがとても柔らかで美しかった。シュピレフスキーはコバヒーゼをリフトしっぱなしだったけど、とても自然でなめらかなパートナリングですばらしい。ふたりは闇の中を白い流線を描いてすべるように踊っていた。

「海賊」第一幕より奴隷の踊り(振付:マリウス・プティパ、音楽:オルテンブルク公爵)。「海賊」はまともに観たことがないので分からないが、ランケンデムがグルナーラを売りに出そうとして、人々に見せびらかすときの踊りらしい。ダンサーはニーナ・カプツォーワ(リーディング・ソリスト)とアンドレイ・メルクリーエフ(リーディング・ソリスト)。

カプツォーワは白い紗のヴェールをかぶって登場した。メルクリーエフが途中でそのヴェールを外す。美しいグルナーラの素顔が露わになるわけだが、なぜかカプツォーワは巻き毛のヅラをかぶっていた。このヘンなヅラは必要ない気がするけどなあ。カプツォーワはすごい美人なのに。このへんから、ボリショイ・バレエのダンサーたちが、揃いも揃って背が高くてスタイル抜群、しかもみな恵まれた身体能力と超絶技巧を誇るという事実を痛感し始める。

「ジゼル」第二幕のパ・ド・ドゥ(振付:マリウス・プティパ、音楽:アドルフ・アダン)、ダンサーはスヴェトラーナ・ルンキナ(プリンシパル)、ルスラン・スクヴォルツォフ(リーディング・ソリスト)。ルンキナのジゼルはすばらしかった。動きは丁寧で、ゆっくりと回転するときやアラベスクをするときの足元も安定している。そして動くときの音がほとんどしない。賑やかなパ・ド・ドゥばかりのガラ公演で、そしてウィリたちもいないのに、あっという間に舞台を静謐で幻想的な「ジゼル」の世界に変貌させてみせた。

片脚を前に上げ、同時に上半身を後ろに反り返らせたジゼルの腰をアルブレヒトが支え、その瞬間にジゼルが前に向き直る動きでは、スクヴォルツォフのサポートがバッチのタイミングで見事だった。スクヴォルツォフは腕が長いのか、ルンキナからずいぶんと離れたところから支えていた。

「ファラオの娘」第二幕のパ・ド・ドゥ(振付:ピエール・ラコット、音楽:チェザーレ・プーニ)。古代エジプトの王女アスピシアとウィルソン卿の前世(?)であるタオールの踊り。「ファラオの娘」は、ストーリーは下らなく、意味のない派手な踊りばかりが延々と続く作品で、全幕で観ると耐え難かった。でもこうしてパ・ド・ドゥだけ観るとすばらしい。ダンサーはマリーヤ・アレクサンドロワ(プリンシパル)、セルゲイ・フィーリン(プリンシパル)。

アレクサンドロワは紫のチュチュ、フィーリンは古代エジプト風の(?)白地に水色の入った胸当てと短いスカート状の腰巻。アレクサンドロワは舞台に出てくるだけで華やかで、目が吸い寄せられる。ヴァリエーションでのアレクサンドロワの爪先が、超高速で激複雑な振付なのにも関わらず、正確に動いてステップを踏んでいくので、心の中で絶句してしまった。

「パリの炎」第四幕のパ・ド・ドゥ(振付:ワシリー・ワイノーネン、音楽:ボリース・アサーフィエフ)。ダンサーはナターリヤ・オシポワ(ソリスト)、イワン・ワシリーエフ(ソリスト)。オシポワは白いドレス、ワシリーエフは白いシャツに淡いグレーのタイツを身につけ、いずれの衣装にもトリコロールのリボンが付けられている。

プログラムによると、「パリの炎」はフランス革命を描いた作品で、1932年にレニングラード国立オペラ・バレエ劇場(現マリインスキー劇場)で初演された。この作品によって、「民衆の中から現れた勇壮なヒーローが描かれる」バレエ、「英雄バレエ」というジャンルが確立されたという。「エクセルシオール」とか「スパルタクス」の先駆けだろう。

オシポワの体には空中浮揚装置かジェット噴射エンジンでも付いているのか。なんで助走もしないのにあんなにふわっと高く跳べるのだろう。高度も普通のバレリーナの3割り増しくらいではないか。ワシリーエフはヴァリエーションでとても人間技とは思えない回転ジャンプをした。斜め跳びして回転するんだけど、その体の角度が尋常じゃない。床に対して45度くらい?なのに片膝ついてポーズを決めて着地する。あまりの凄まじさに観客がどよめいた。欲を言えば、もうちょっと美しく跳んでくれたらもっとすばらしかった。

後攻はマリインスキー・バレエ。演奏は同じく東京ニューシティ管弦楽団、指揮者は交代してアレクサンドル・ポリャニチコ(マリインスキー劇場指揮者)。

「ばらの精」(振付:ミハイル・フォーキン、音楽:ウェーバー)、ダンサーはイリーナ・ゴールプ(セカンド・ソリスト)、イーゴリ・コールプ(プリンシパル)。イーゴリ・コールプの「ばらの精」を観るのはこれで3度目である。イーゴリ・コールプが例によって、はなからものすごい大ジャンプで舞台に飛び込んできた。でも回転では足元が多少グラついた。珍しい。マリインスキーの一番手だから緊張していたのだろう。男のくせに腕の動きがゆらゆらと波打つようでとてもきれいだった。相変わらずどこかアヤしげな「ばらの精」だった。

「サタニラ」より「ヴェニスの謝肉祭」のパ・ド・ドゥ(振付:マリウス・プティパ、音楽:チェザーレ・プーニ)、ダンサーはエフゲーニヤ・オブラスツォーワ(セカンド・ソリスト)、ウラジーミル・シクリャーロフ(セカンド・ソリスト)。オブラスツォーワは黒地に紅の入った、オディールみたいなチュチュ。

シクリャーロフのパートナリング(特にろくろ回し、リフト)が相変わらずぎこちなくて、観ていてハラハラした。アダージョが終わったとたんに後ろの観客が「何かヘンじゃない?」とささやいているのが聞こえた。シクリャーロフはヴァリエーションでは飛ばしまくった。去年のマリインスキー・バレエ日本公演(オールスター・ガラ)でもそうだった。ソロで見せる前に、もっとパートナリングを徹底的に練習したほうがいいのではないか。なんでこの程度のダンサーがセカンド・ソリストなのか(マリインスキー・バレエのダンサーの位階制度はよく知らないが)。

「三つのグノシエンヌ」(ハンス・フォン・マネン振付、音楽:サティ)、ダンサーはウリヤーナ・ロパートキナ(プリンシパル)、イワン・コズロフ(セカンド・ソリスト)。コズロフはなんとつい最近、2007年の7月にマリインスキー・バレエに移籍したばかりのダンサーである。このフォン・マネン振付「三つのグノシエンヌ」は、1982年にネザーランド・ダンス・シアターのために創作された作品だったが、ファン・マネンがロパートキナのために改訂を施し、2006年にマリインスキー劇場で初演された。

ロパートキナは膝下丈の薄い青い生地のドレス。コズロフの衣装は忘れた。第1曲はふたりが組んで、第2曲はふたりが並んで同じ振りを、第3曲は再び組んで踊る。ロパートキナが踊りだした途端、彼女がそれまで踊ったバレリーナたちとは明らかに別格なのがすぐに分かった。分かったというよりは、確かな現実として、厳然たる事実として目の前に突きつけられた感じだった。

ロパートキナは背が高く、手足が長くて、プロポーションは完璧、それに手足の動きが他のバレリーナとはぜんぜん違う。動きに緩急をつけ、また音楽のツボを的確に捉えてメリハリをつける。この作品の振付は少し変わっていて、これもモダン作品に属すると思う。足首を曲げたり、ロパートキナが人形のように体を硬直させて持ち上げられたりする。

振付もすばらしいのだろうけど、ロパートキナは振付を完全に凌駕してしまっている。まさに踊りだけで「見せた」。コズロフのサポートやリフトもすばらしかった。ぎこちなさやたるみがまったくない。彼らが踊っている間、観客は息を呑んで見つめていた。私もすごく集中してガン見していた。

個人的な印象だが、マリインスキー・バレエのダンサーたちは、見てくれ(身長と体型)ではボリショイ・バレエのダンサーたちにやや劣ると思う。またミスもボリショイ・バレエに比べて多かった。ロパートキナが来なかったら、マリインスキー・バレエはボリショイ・バレエに容姿でも踊りでも負けていただろう。ロパートキナを来させたのは賢明な判断だった、と思った。

「エスメラルダ」よりディアナとアクティオンのパ・ド・ドゥ(振付:アグリッピーナ・ワガノワ、音楽:リッカルド・ドリゴ)、ダンサーはエカテリーナ・オスモールキナ(ファースト・ソリスト)、ミハイル・ロブーヒン(ファースト・ソリスト)。今日の公演で最も見ていて気の毒に感じた演目。ヴァリエーションでのオスモールキナは不安定で(特に片脚で回転してから、そのままもう片脚を後ろに伸ばすところ)、またロブーヒンは、ヴァリエーションでの最初の回転ジャンプをするタイミングを逸してしまい、跳躍せずに床の上でゆるやかに踊ってしのいだ。

「グラン・パ・クラシック」(振付:ヴィクトール・グゾフスキー、音楽:オーベール)、ダンサーはヴィクトリア・テリョーシキナ(ファースト・ソリスト)、アントン・コールサコフ(ファースト・ソリスト)。テリョーシキナはすみれ色のチュチュ。テリョーシキナの「グラン・パ・クラシック」を観るのは2回目である。

申し訳ないけど、やっぱりテリョーシキナばかりに目が向いてしまった。よって申し訳ないけど、コールサコフの踊りはまったく印象に残っていない。アダージョでのテリョーシキナのバランス・キープもすごかったけど、ヴァリエーションでのテリョーシキナは更に安定していて、定期的に脚の方向を変えながら、また回転しながら、爪先を細かく上げ下げして、ゆっくりと前に進んでいくところも、最後までリズムよく動き、パワーも落ちなかった。音楽の雰囲気と同じく、ポーズや動きがきちんとしていて端正だった。

「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(振付:ジョージ・バランシン、音楽:チャイコフスキー)、ダンサーはアリーナ・ソーモワ(セカンド・ソリスト)、アンドリアン・ファジェーエフ(プリンシパル)。ソーモワは古代ギリシャ風デザインの薄い生地の長いドレスで、色は淡いピンクだった。ソーモワの腕の動きがたおやかでとても美しくなっていた。またソーモワは脚がとびきり長く、体も極端に柔らかい。だから脚を高く上げたりする動きがすごく様になる。でもヴァリエーションはあまりに動きが速すぎて、私の目が追いつきませんでした。

いろんなサイトやブログを読むと、ソーモワは非常に不人気で批判ばかりされている。当日の会場でも、「必要ないのに意味なく手首をくいっと曲げるのがイヤなのよ」と観客がソーモワの踊りについて言っているのを耳にした。正直なところ、私はウラジーミル・シクリャーロフのダメさ加減は分かるのだが、ソーモワの踊りについては、なにがそんなにダメなのかが分からない。彼女の踊りはこれからも観る機会があるだろうから、注意して見ていきたい。

「瀕死の白鳥」(振付:ミハイル・フォーキン、音楽サン=サーンス)、ダンサーはウリヤーナ・ロパートキナ。これはもう号泣ものだった。踊りを見て涙が出たのはこれがはじめて。鼻をすする音が周りからも聞こえてきた。どう書けばよいのか分からない。「瀕死の白鳥」を生で観るのは2度目で、1度目はユリア・マハリナ(マリインスキー・バレエ)だった。確か去年のことである。率直に言って、マハリナの「瀕死の白鳥」にはまったく感動しなかったし、むしろこれは観るのが辛い、とさえ感じた(テープ演奏だったせいもあると思う)。

濃い藍色の舞台の中で、白いチュチュを着たロパートキナが長い腕を白鳥の翼のように伸ばし、両足の爪先をやや粗く、小刻みに動かしている。ロパートキナはかすかに厳しい表情を浮かべながら踊っていて、静かながらも迫りくる死にあらがう気高く美しい白鳥そのものだった。

「ドン・キホーテ」第三幕のパ・ド・ドゥ(振付:アレクサンドル・ゴルスキー、音楽:ミンクス)、ダンサーはオレシア・ノーヴィコワ(セカンド・ソリスト)、レオニード・サラファーノフ(プリンシパル)。愛らしい容姿のノーヴィコワの踊りはすばらしかった。バランス・キープは安定していて、ヴァリエーションでの爪先の細かい動きもとてもきれいだった(コーダの32回転では1回かかとが床に着いてしまったけど)。

私にとって厄介なのがサラファーノフ。私には、アリーナ・ソーモワの踊りの何がそんなにひどいのかが分からないが、サラファーノフの踊りの何がそんなに優れているのかも分からないのだ。一応ミハイル・バリシニコフ並みに踊れることはよく分かった。でも、得意げな顔でこれ見よがしに超絶技巧を披露し、大見得を切ってポーズを取るのはまだ許せるが(バジルだから)、コーダでノーヴィコワの出だしを邪魔してまで回転を続けるのはやめてほしい。サラファーノフの踊るアルブレヒトやジークフリートが観てみたいものだ。

フィナーレは演出に面白い工夫がされていて、とても楽しかったし見ごたえがあった。

ボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエのダンサーたちの踊りを観ていると、だんだんと感覚が麻痺してくる。みな超絶技巧ができて当たり前、男性ダンサーは何回転もできて、しかも軸がブレなくて足元もグラつかないのが当たり前、ものすごい回転ジャンプができて当たり前、女性ダンサーはみな細かくて難しい爪先の動きができて当たり前、バランスの保持が長時間できて当たり前、32回転では2回転、3回転を入れるのが当たり前、もう見慣れたわい、という感じになってくる。やっぱりロシアの二大バレエ団のダンサーはすごい、とため息をついた。

会場では「やずやの千年ケフィア」(健康食品)の無料サンプルが配られた。ロシアつながりのせいらしい。「コーカサス正統種菌の発酵食」だそうで、テレビCMで見たところ、ロシアでは日常的に液状のケフィアなるものを摂取しているらしい。やずやのサンプルはカプセルに入った粉末状で、カプセルを外して中のケフィアの粉を食べてみたら、ヨーグルトとチーズの中間みたいな味がしておいしかった。

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ボリショイ・バレエ&マリインスキー・バレエ合同ガラ公演(Bプロ)

(2007年9月2日、新国立劇場オペラ劇場)

Aプロではボリショイ・バレエが先攻だったが、このBプロではマリインスキー・バレエが先攻する。

「アルレキナーダ」よりパ・ド・ドゥ(振付:マリウス・プティパ、音楽:リッカルド・ドリゴ)、ダンサーはエフゲーニヤ・オブラスツォーワ、アントン・コールサコフ。まず、プログラムを見ても、「アルレキナーダ」とはどういうストーリーの作品で、このパ・ド・ドゥを踊るのはどういう役柄の人々なのかが分からない。でも、このパ・ド・ドゥは恋の踊りであるらしく、またダンサーたちはお互いをからかうようにコミカルな仕草をし、終始ほほえましい雰囲気が漂っていた。

オブラスツォーワは白地に水色やピンクの入ったチュチュを着ていたように覚えている(コールサコフの衣装は忘れた)。コールサコフは目の周りをパンダみたいに真っ黒に塗っていて、あれはなんだったんだろう。マスクを表現していたのだろうか。

「病めるばら」(振付:ローラン・プティ、音楽:マーラー)。音楽はマーラーの交響曲第5番「アダージェット」で、「アダージェット」はバレエの振付家によほど人気があるらしい。残念なことに音楽は録音されたものだった。最初に男性の声でなにかの朗読が入っていて、その後に音楽が始まる。ダンサーはウリヤーナ・ロパートキナ、イワン・コズロフ。ロパートキナはピンクの膝下丈のドレスを着ていて、スカートは何枚も重なった薔薇の花弁のようなデザインだった。コズロフは上半身裸でオフホワイトのズボンを穿いていた。

プログラムによれば、この作品はローラン・プティがマイヤ・プリセツカヤのために1973年に振り付けたもので、プリセツカヤの指名によって、ロパートキナがこの作品を引き継ぐことになったそうである。

この「病めるばら」は、一輪の薔薇の花が虫の毒によって枯れゆく様に想を得た作品であるらしい。Aプロの「三つのグノシエンヌ」(ハンス・フォン・マネン振付)と同じくリフトを多用した作品で、コズロフのリフトやサポートは実にすばらしく、ロパートキナの手足の動きや四肢のポーズも非常に美しかった。最後は中腰になってかがんだコズロフの膝の上にロパートキナが横たわり、薔薇が枯れて死んでしまったことを暗示して終わった。

ただ、「三つのグノシエンヌ」ほど感動はしなかった。振付の良し悪しは私には分からないけれども、「病めるばら」はいかにもロパートキナが踊りそうな、典型的に優雅で美しい作品で、振付も薔薇というよりは白鳥を連想させるものだった。

「三つのグノシエンヌ」は、振付のタイプとロパートキナの踊りのギャップがよかったというか、そうクラシカルとはいえない振付を、ロパートキナが彼女独特のスタイルで完璧に踊りこなして、それで逆に彼女の踊りの魅力がいっそう引き出されていたと思うが、「病めるばら」はロパートキナに対するありきたりなイメージと合いすぎて、それで逆に彼女の踊りの魅力が埋没してしまった気がする。「病めるばら」は、少なくともロパートキナにとっては役不足の作品ではないかと思った。

「眠れる森の美女」より第三幕のパ・ド・ドゥ(振付:マリウス・プティパ、改訂振付:コンスタンチン・セルゲーエフ、音楽:チャイコフスキー)、ダンサーはアリーナ・ソーモワ、アンドリアン・ファジェーエフ。ふたりとも純白の衣装を着ていた(結婚式のシーンだから)。

アリーナ・ソーモワの長い脚の驚異的な上がりっぷりは何度観ても壮観だ。腕の動きも柔らかくて丁寧だった(少なくとも私が感じたことには)。あとは、あの細くて長くて美しい脚の動きを完全にコントロールできれば、もっと魅力的になると思う。まだ勢いや力に任せているところがあるように見えた。でもヴァリエーションで爪先立ちでゆっくりと歩くところはすばらしかった(少なくとも私が感じたことには)。元気で勝ち気そうなオーロラ姫も、私はそれはそれでいいと思う。

「ジゼル」より第二幕のパ・ド・ドゥ、ダンサーはオレシア・ノーヴィコワ、ウラジーミル・シクリャーロフ。ノーヴィコワの清楚で可憐な雰囲気はジゼルによく似合っていた。彼女の爪先の動きは細かくてすばらしかったが、ゆっくりと一回転するところやバランスを保つところで不安定なときがあった。また、アダージョはまだよかったものの、その後の踊りはなんだかバタバタしていて、音楽にあまり合っていなかった気がする。

シクリャーロフのリフトやサポートは、Aプロの「サタネラ」での悲惨なパートナリングよりはまだマシだった。ただ、ソロの踊りはやはりバタバタしていて不安定で、しかも音楽にもそんなに合っていなかった。なんだかジゼルもアルブレヒトもまだまだ未熟なジゼルとアルブレヒトだな〜、と思って、終演後、一緒に観ていた母親にそう言ったら、「最初から完璧に踊れる人はいない。場数を踏んで段々と良くなっていくのよ。そう思ってあげなさい」と説教された。

「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」(振付:ウィリアム・フォーサイス、音楽:トム・ウィレムス)よりアダージョ。そうか、あれも「アダージョ」というのか。ダンサーはイリーナ・ゴールプとイーゴリ・コールプ。ゴールプは胸から腰までが緑でパンツ部分が黒のレオタードにシースルーの黒いタイツ、コールプは緑のユニタード。話変わるけど、イリーナ・ゴールプとイーゴリ・コールプは、名前が似ていてちょっと紛らわしい。

ちょっとクラシック風の優雅な「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」で、もちろんゴールプとコールプ(やっぱり紛らわしい)の技量も身体能力もすばらしく、短い時間だったけどフォーサイスの「人間ねじり飴」的振付と「人体の奇跡」に圧倒された。イーゴリ・コールプがひとりで踊るのはほんの一瞬だったが、それでも刃物のように鋭いキレがあってカッコよかった。母親はこの作品を「変わってて面白かった」と言っていた。

「タリスマン」よりパ・ド・ドゥ(振付:マリウス・プティパ、音楽:リッカルド・ドリゴ)。プログラムによると、このパ・ド・ドゥは天の支配者の娘であるニリチと風の神であるヴァイユによる踊りだそうだ。ダンサーはエカテリーナ・オスモールキナ、ミハイル・ロブーヒン。オスモールキナはギリシャ神話風デザインの白い薄い衣装、ロブーヒンは片肌脱いだ水色の薄い生地の上衣に同じ色で同じ素材のハーレム・パンツ風ズボンだった。オスモールキナの踊りがしなやかですばらしかった。ロブーヒンもダイナミックな踊りを披露していた。

「瀕死の白鳥」、ダンサーはもちろんウリヤーナ・ロパートキナ。2回目に観たせいか1回目ほど感動はしなかった。踊りのイメージが「病めるばら」と基本的に同じテイストだったせいもあると思う。これだからガラ公演での作品の選び方は難しい。

でも、闇の中で静かに踊るロパートキナの姿は本当に美しかった。上半身をがっくりと折って立ち、爪先立った足だけを細かく動かしたり、床に片膝ついて身を伏せ、大きく広げた両腕だけを翼のように天に向かって伸ばしたり、まさしく白鳥のように優美で典雅だった。母親はこの「瀕死の白鳥」が最も気に入ったそうだ。

「海賊」より第二幕のパ・ド・ドゥ(振付:ピョートル・グーセフ、音楽:ドリゴ)、ダンサーはヴィクトリア・テリョーシキナ、レオニード・サラファーノフ。テリョーシキナは濃いローズ・ピンクのチュチュを着ていた。サラファーノフは上半身裸にお約束の青いハーレム・パンツを穿いていた。

サラファーノフは態度が堂々としすぎて、どーみても奴隷には全くみえなかったが、相変わらず超絶技巧で踊っていたのではないだろうか。が、それよりも、テリョーシキナがサラファーノフを見事に押さえつけた印象がある。メドーラのヴァリエーションが、あんなに見ごたえのある踊りだとは思わなかった。

片脚を交互に上下させながら爪先を細かく動かすのも余裕たっぷりで安定していて、音楽にうまく乗りながら、見せどころを心得た「間」とタイミングで踊って、うっとりと見とれてしまった。片脚を伸ばして大きく回転するときも、ダイナミックで余裕綽々でやっていてすばらしかった。更にテリョーシキナの長所は、これほどすばらしい容姿と技術を持ちながらも、常に端正で気品を保っていて、功を焦ったイヤミな感じや自己顕示欲マンマンな感じがまったくないところだ(だからアリーナ・ソーモワは嫌われるのかな〜)。

初日(8月30日、Aプロ)を観に行ったときには、カーテン・コールは通常は1回、すばらしい踊りならば2回だった。だけどこの日は最終日ということもあったのか、すべてのペアが2回カーテン・コールをした。ただしウリヤーナ・ロパートキナが「瀕死の白鳥」を踊ったときだけは例外で、3回カーテン・コールが行なわれた。2日の、もしくはBプロでのマリインスキー・バレエは本当にすばらしかった。マリインスキー・バレエによる第1部が終わったときには、これでボリショイ・バレエはやりにくくなった、果たして巻き返せるんだろうか、とさえ思った。

第2部、ボリショイ・バレエによるパフォーマンスが始まった。

「ばらの精」、ダンサーはニーナ・カプツォーワ、イワン・ワシリーエフ。ワシリーエフはAプロで「パリの炎」を踊ってボリショイ・バレエ側のトリを務め、文字どおり超人的で驚異的な超絶技巧をやってのけ、観客を騒然とさせた。

「ばらの精」はAプロでマリインスキー・バレエがイリーナ・ゴールプ、イーゴリ・コールプのペアで上演している。マリインスキーとボリショイの「ばらの精」を脳内で比べてみて、やっぱりマリインスキー・バレエの「ばらの精」のほうがよかったな、と思った。

ボリショイ・バレエの「ばらの精」は、明るく元気で健康的で体育会系な感じがした。ワシリーエフは技術はすばらしいし、腕の動きもまあそれなりにしなやかだった。ただ、本人にはどうしようもないことを責めるのは酷というものだけど、あの帽子と衣装がまず似合わない。また、妖精っぽい神秘的な雰囲気が足りない印象で、妖精というよりふつーの男の人(というよりそのへんのおっさん)という感じだった。

そうなると、薔薇の花弁をかたどった帽子は、おばちゃんがかぶりそうな単なるハデなナイトキャップで、やはり薔薇の花弁をかたどった衣装は、お笑い芸人が着そうな単なるヘンな全身タイツにしか見えない。

「ライモンダ」より第二幕のアダージョ(振付:マリウス・プティパ、改訂振付:ユーリー・グリゴローヴィチ、音楽:グラズノフ)、ダンサーはネッリ・コバヒーゼ、アルテム・シュピレフスキー。ふたりとも純白の衣装で、シュピレフスキーは長いマントをはおっていた。シュピレフスキーは長身でスタイルも良く、マントを翻した立ち姿が様になっている。

シュピレフスキーはこの長いマントをはおったまま、コバヒーゼをリフトして踊った。踊っている最中、マントをうまく翻して、もてあましていなかったのが見事である。コバヒーゼは手足の形が美しかった。おまけに本当に美女である。シュピレフスキーはパートナリングが非常に安定していて上手だった。アダージョだけで終わってしまったのが物足りなかった。シュピレフスキーはロットバルト(グリゴローヴィチ版「白鳥の湖」のロットバルトは踊りがとても多い)やエスパーダを踊るダンサーなので、ひとりで踊っても非常にカッコいいのだけど。

「白鳥の湖」より黒鳥のパ・ド・ドゥ(振付:マリウス・プティパ、改訂振付:ユーリー・グリゴローヴィチ、音楽:チャイコフスキー)、ダンサーはエカテリーナ・クリサノワ、ドミートリー・グダーノフ。クリサノワはまだオディール(/オデット)を踊りこなしていないのではないかな、と思った。特に出だしの「一人アティチュード→ジャンプ」はもたもたしていて、かなり危なっかしい感じだった。アダージョでのオディールの演技(王子がオデットを思い出して戸惑うところ)も、かなり大仰な表情で王子のほうをちらちらと盗み見していて、オディールの邪悪だけど高貴で神秘的な雰囲気に欠けていた。

クリサノワもグダーノフも、ヴァリエーションとコーダでハデハデ技を連発して盛り返していた。終わり良ければすべて良しかもしれないが、どーもあのイントラーダとアダージョのぎこちなさが最後まで引っかかった。と、終演後、一緒に観た母親に言ったら、「最初から完璧に踊れる人はいない。場数を踏んで段々と(以下略)」とまた説教された。

「スパルタクス」(振付:ユーリー・グリゴローヴィチ、音楽:ハチャトゥリアン)より第三幕のパ・ド・ドゥ、ダンサーはスヴェトラーナ・ルンキナ、ルスラン・スクヴォルツォフ。スパルタクスとフリーギアのパ・ド・ドゥである。Bプロではこれをいちばん楽しみにしていた。

最初にフリーギアのソロの振付を見て、先日の「ルグリと輝ける仲間たち」で、パリ・オペラ座バレエ団のダンサーが踊った振付と、今回の公演でボリショイ・バレエのダンサーが踊った振付には違っているところがあることに気づいた。パリ・オペラ座バレエ団のダンサーが踊っていたのは、昔のボリショイ・バレエ「スパルタクス」映像版とまったく同じだったが、今のボリショイ・バレエの「スパルタクス」には改訂が施されているようだ。

見た目で判断してしまって申し訳ないけど、ルンキナとスクヴォルツォフはともに長身で、体型ですでにフリーギアとスパルタクスだった。パリ・オペラ座バレエ団のダンサーたちは、特に女性のほうが小柄で、なんとなく迫力に欠けていた。スパルタクスがフリーギアを複雑な形で振り回すリフトも、パリ・オペラ座バレエ団のダンサーに比べて、ボリショイ・バレエのダンサーたちのほうが音楽によく乗っていた。

例の「逆立ちリフト」ももちろん問題なく成功した。でもやはりあっさりと成功してしまって、贅沢な不満だが、もっともったいぶってドラマティックにしてもいいと思う。ただ、ルンキナは観客に見ごたえを感じさせるツボを心得ているようで、逆立ちした後に片脚を更に曲げるタイミングを巧妙に捉えて、観客を沸かせていた。ウチの母親も興奮して思わず「すごーい!」と声に出して言っていた。

「ミドル・デュエット」(振付:アレクセイ・ラトマンスキー、音楽:ユーリー・ハーニン)。この作品は、現ボリショイ・バレエ芸術監督であるラトマンスキーが、芸術監督になる前の1999年、マリインスキー・バレエのために作った作品だそうである。その作品を今回はボリショイ・バレエのダンサー、ナターリヤ・オシポワとアンドレイ・メルクーリエフが踊るわけ。

オシポワは肩ストラップの黒い短いワンピース、メルクーリエフも黒い衣装だったと思う。まず、音楽として用いられたユーリー・ハーニンによるピアノ曲が良い曲だった。振付も音楽のイメージにぴったりと合わせたものだった。

速いテンポの音楽で、短い音が間を置かずに次々と繋がって演奏されていく。それに合わせて、メルクーリエフに支えられ、客席に背を向けたオシポワが、膝まで上げた白い脚を鋭く速く左右に出すという動きを繰り返す。また、オシポワは背を向けたままメルクーリエフに持ち上げられ、その瞬間にばっと開脚する。オシポワの脚と足の動きがリズミカルですばらしかった。

ダンサーの衣装、また振付から思ったことには、これは故意に(つまり観客に想起させるように)フォーサイスの「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」を模して創作されたのではないだろうか。単なる稚拙な物真似ではないと思う。

男女が両腕をつないだまま突っ張りあうようにバランスを取ったり、複雑な形に絡み合って踊ったり、また途中で踊りをやめて唐突に別の動きに移ったりと、振付はフォーサイスの「イン・ザ・ミドル・・・」によく似ている。それに時折クラシック・バレエお決まりの振りが取り入れられている、という振付だった。

フォーサイスの後追い作品、と片づけてしまえばそれまでだけど、私はそれでもこの作品はなかなかの佳作だと思う。また、踊ったオシポワとメルクーリエフも非常にすばらしかった。特にオシポワは単なる「跳び女」ではない、優れたダンサーだと感じた。

「ドン・キホーテ」より第三幕のパ・ド・ドゥ(振付:マリウス・プティパ、改訂振付:アレクサンドル・ゴルスキー、音楽:ミンクス)、ダンサーはマリーヤ・アレクサンドロワ、セルゲイ・フィーリン。アレクサンドロワは紅のチュチュ、フィーリンは黒い衣装だった。アレクサンドロワにはやっぱり華がある。彼女が出てくるだけで楽しい気分になれる。黒い衣装のフィーリンもカッコよかった。

アダージョ、アレクサンドロワはフィーリンに手を取られて回転した後、そのままアティチュードで静止する。フィーリンはもたつかずに即座に手を離し、アレクサンドロワは平然とした顔で静止している。観ている側に安心感を与えるダンサーっていいよなあ、とあらためて感じた(もちろんダンサーは大変さを観客に悟られないようにしているのだろうけど)。

アレクサンドロワとフィーリンのタイミングはよく合っていて、アレクサンドロワが長い脚を伸ばしてダイナミックに回転し、それからフィーリンに支えられてポーズを取るところも、「シャチホコ落とし」もうまくいった。

ヴァリエーションでのアレクサンドロワもすごかった。片脚をかわるがわる上下させて、爪先を複雑に動かすところは、テリョーシキナに引けを取らないほどすばらしかった。やはりうっとりと見とれてしまった。フィーリンは技術を誇示せず、気品を保って端正に踊っていた。個人的には、こういうダンサーのほうがよほど好感が持てる。

コーダではフィーリンが舞台をジャンプしながら一周し、アレクサンドロワが華やかでダイナミックなグラン・フェッテをやってのけ、フィーリンが高速で回転し、アレクサンドロワも回転しながら舞台を一周し、最後にフィーリンに支えられて回転した後、フィーリンに手を離されてから片脚の爪先立ちのみで静止して、それからふたりがバッチリきれいに揃って片膝ついて決めのポーズを取った。

観客はすっかり大興奮して、大きな拍手を送って歓声を上げた。さすがはボリショイ・バレエのプリンシパルである。見事に大トリの役目を果たした。最高の盛り上がりの中でガラ公演は終わった。

カーテン・コールは、ダンサーたちが自分たちの踊った作品の振りを再び踊りながら登場しては消えていく。これはすばらしいアイディアだと思う。一つの同じ音楽(ジャパン・アーツの公式サイトによると、あの曲はグリエール「赤いけし」より「ソヴィエト水夫の踊り」だそう)に合わせて踊るのだけど、不思議とどの踊りも音楽に合っていて面白かった。

「スパルタクス」を踊ったスヴェトラーナ・ルンキナとルスラン・スクヴォルツォフは、なんとあの「逆立ちリフト」をした状態で現れ、そのまま舞台を半周して退場していった。これはいちばん観客にウケた。観客は思わず「おおお〜っ」と大きくどよめいた。これはうまいことやったな、と思った。その後に出てきたペアは少し気の毒だった(笑)。

最後にダンサーたちが順番に舞台に現れ、舞台の真ん中に集合写真を撮るような感じで集まり、観客に手を振るうちに幕が下りた。もっともこれはカーテン・コールの始まりに過ぎず、それからまた幕が上がり、ダンサーたちは一列に並んで前に出てきてお辞儀をする、というカーテン・コールが何度も繰り返された。

公演最終日の9月2日は、お祝いに虹色のテープのカーテンが2回も下ろされ、紙吹雪がいつまでも振り落ちていた。紙吹雪は途切れることなく降り続け、ダンサーたちの姿が見えなくなるほどだった。ダンサーたちも観客も笑った。テープのカーテンが下りると、ダンサーたちはカーテンを引きずって前に出てきてお辞儀をした。ウリヤーナ・ロパートキナはふざけてカーテンをショールのように両腕に絡ませ、マリーヤ・アレクサンドロワは紙吹雪を集めてオーケストラ・ピットにぱっと降らせていた。男性ダンサーたちは紙吹雪をお互いの頭上にかけ合っていた。彼らは上機嫌のようだった。そんな姿を見ることができて、私も嬉しかった。

最後のカーテン・コールが終わって幕が閉ざされた。観客は続々と席を立った。と、幕の向こうからダンサーたちの歓声が聞こえてきた。観客は大笑いし、ふざけてもういちど大きく拍手した。そしたら再び幕が上がってカーテン・コールになった。最後にダンサーたちは観客に向かって手を振り、観客は立ったまま拍手したり、ダンサーたちに手を振ったりした。

日本で初めてのボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエとの合同公演は、大成功だったのではないだろうか。一緒に観た母親はすっかり感激して、うっとりした目で「夢みたい」と言っていた。私ももちろん、本当に本当に楽しかった。またぜひこうした公演を行なってほしい。


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