Club Pelican

NOTE

小林紀子バレエ・シアター第87回公演
「コンチェルト」
「ザ・レイクス・プログレス」
「エリート・シンコペーションズ」

(2007年8月24、25日、新国立劇場中劇場)

初日である24日の公演前には、イギリスの舞踊批評家であるクレメント・クリスプと、ニネット・ド・ヴァロワ、フレデリック・アシュトン、ケネス・マクミランの作品のステイジングを手がけるジュリー・リンコンとのトーク・ショーが行なわれた。意外と多くの人々が聞きに来ていた。内容的には目新しいことは話されなかったものの、フランス語なまりの入ったポッシュな英語で話すクリスプ氏が、実は遠慮なくズケズケと物を言い、暴走する(?)クリスプ氏をリンコンさんがあわてて注意していた様子が笑えた。

公演も初日の24日は、このバレエ団にしては大盛況だった。これには驚いたが、しかし客層をよく見ると、どうやら年末の「くるみ割り人形」並みの大招集をかけたらしく、バレエ団の関係者、バレエ学校、系列教室の生徒さん、そしてその家族がほとんどらしかった。次の25日はこのバレエ団らしく、閑古鳥とまではいかないが、盛況ともいえない、ほどほどの客の入りだったので、「やっぱりね〜」となぜか安心(?)した。

このお上品なバレエ団の宣伝・営業活動への消極性と意欲のなさについては、すでに散々書いたのでもう書かない。でも、会場でこの2007年11月に行なわれるデレク・ディーン版「ジゼル」公演のチケットを販売していて、そこは一つ進歩したといえる。今年中に公式サイトを立ち上げるとも言っているが、それもぜひ実現させてほしい。

この公演はトリプル・ビルである。最初の演目は「コンチェルト(Concerto)」。振付はケネス・マクミラン、音楽はショスタコーヴィチの「ピアノ協奏曲第2番」をそのまま用いている。この作品は去年(2006年7月)の公演でも上演しているので、詳細は 去年の感想 をご覧下さい。

付け加えると、クレメント・クリスプ氏によれば、ケネス・マクミランが1966年にベルリン・オペラ・バレエの芸術監督に着任した当時、ベルリン・オペラ・バレエのダンサーたちは、きちんとしたクラシック・バレエが踊れない状態だった。クリスプ氏がここまで言いかけたところで、ジュリー・リンコン氏が遮った。が、どうも「コンチェルト」は、マクミランがベルリン・オペラ・バレエのダンサーたちにクラシック・バレエを叩き込むために作った作品らしい。

更に付け加えると、第3楽章にも本来は男女2人で構成される“Principals”がいた。しかし「コンチェルト」初演当日の開演30分前、第3楽章のPrincipalsの男のほうが逃げ出してしまった。それで仕方なく、第3楽章はPrincipalsの女性がひとりで踊ることになった。以来、第3楽章の“Principals”は男女のペアではなく、“Principal Girl”として女性ダンサーがひとりで踊ることになっている。

第1楽章。Principals:高橋怜子、恵谷彰;3 Couples:駒形祥子、冨川祐樹、萱嶋みゆき、佐々木淳史、小野絢子、冨川直樹;6 Girls:難波美保、中村麻弥、小野朝子、荒木恵理、真野琴絵、秦信世。

第2楽章。Principals:島添亮子、中村誠;3 Couples:駒形祥子、冨川祐樹、萱嶋みゆき、佐々木淳史、小野絢子、冨川直樹。

第3楽章。Principal Girl:大森結城(24日)、高畑きずな(25日);Principals:高橋怜子、恵谷彰;Principals:島添亮子、中村誠;3 Couples:駒形祥子、冨川祐樹、萱嶋みゆき、佐々木淳史、小野絢子、冨川直樹;8 Boys:井口裕之、奥田慎也、佐藤禎徳、澤田展生、柄本武尊、中尾充宏、保井賢、アンダーシュ・ハンマル;16 Girls:楠元郁子、難波美保、中村麻弥、宮澤芽実、齊木眞耶子、小野朝子、松居聖子、志村美江子、荒木恵理、藤田奏子、倉持志保里、村上弘子、真野琴絵、秦信世、瀬戸桃子、大門彩美。

ピアノ演奏は中野孝紀、指揮はフィリップ・エリス(Philip Ellis)、演奏は東京ニューフィルハーモニック管弦楽団。

そう言われてみれば、この作品では、ダンサーの配置は整然としていて、振りもバレエのレッスンみたいなお約束的な動きばかりである。第2楽章はリン・シーモアがバー・レッスンをしている姿に想を得て作られたというが、全体的にも、マクミラン独特のクセのある複雑な動きはほとんどみえない。

3 CouplesはPrincipalsに準じて、アンサンブルとして補助的な踊りを踊り、時には群舞に混じって踊る。6 Girls、8 Boys、16 Girlsは群舞である。3 Couplesから16 Girlsまでのダンサーたちは、常に等間隔を保って長方形や平行四辺形に並び、常に同じタイミングで動き、手足の角度もみな揃っている。

第1楽章のPrincipalsも横に並んで同じ動きをするところが多い。片脚を横に高く上げながら前に出てきたり、回転したり、連続でジャンプをしたりする。高橋怜子と恵谷彰の動きはよく揃っていて、また動きもメリハリがあってキレがよく、見ていて気持ちよかった。

第2楽章はゆっくりしたパ・ド・ドゥで、第1楽章から一転して、常に男女のPrincipalsが組んで踊る。特に女性が男性を支えにして、前述したようにバー・レッスンみたいに腕や脚をゆっくりとなめらかに動かす振りが多い。男性は女性を支えたり、女性の体の向きを変えたり、女性を頭上高く持ち上げたりする。

第2楽章のPrincipalsである島添亮子と中村誠は非常にすばらしかった。島添亮子のポーズは美しく、腕の運び方はなめらかで音楽に合わせて緩急をつけていた。ポワントで立ち、上半身をがっくりと前に折ってからゆっくりと起き上がり、それと同時に腕を一回転させる。伸ばした脚の形もきれいで、爪先を前後と横にせわしく動かす振りでも、ぴんと伸びた甲の形が弓なりになっている。

中村誠のサポートも自然で、力を入れて持ち上げたりしているという感じが皆無で、静かで美しい音楽と島添亮子のなめらかでつややかな踊りを、更にすばらしいものにしていた。

第3楽章では、“Principal Girl”として女性ダンサーがひとりで主な踊りを踊る。24日の大森結城は動きが全体的に重い感じがした。25日の高畑きずなは健闘していて、個人的に思うには大森結城よりもよかった。でも、両者ともに軽快さというものがなく、重くてのろい、という印象が残った。それでも、去年も同じ第3楽章のPrincipal Girlだった大森結城の踊りは、去年よりもよほどすばらしくなっていた。去年はステップをこなすだけで精一杯だったのが傍目にも分かったくらいだから、もし来年また踊ればもっとすばらしくなるだろう。

3 Couples、6 Girls、8 Boys、16 Girlsの群舞は、個人レベルでのミスはあったけれども、群舞として非常によく揃っていた。列の線はまっすぐだし、回転するときも、ジャンプするときも、手足をあげるときも、果てには体や顔の向きを変えるときまで、いつもビシッと揃っていて感心した。個人の技量に差はあっても、こんなふうに全体として「きちんとしている」のが、このバレエ団のいいところだなあ、とあらためて思った。

あと、Principalsも群舞も、みな足音がほとんどしないことに気がついた。特に第3楽章では大量のダンサーが入れ替わり立ち替わり現れては、大きなジャンプをして舞台を横断したり、一斉に細かく移動しては同じタイミングで踊るのだが、一貫して静かだった。

「ザ・レイクス・プログレス(The Rake's Progress)」、振付はニネット・ド・ヴァロワ、脚本と音楽はゲーヴィン・ゴードン(Gavin Gordon)により、美術はレックス・ウィッスラー(Rex Whistler)が、ウィリアム・ホガース(William Hogarth)の連作版画“A Rake's Progress”をもとにデザインした。照明はジョン・B・リード(John B Read)による。この作品は1935年にヴィック・ウェルズ・バレエ(Vic Wells Ballet、現ロイヤル・バレエ)によって初演された。日本では今回が初演となる。

ホガースの原画は8枚からなり、脚本と作曲を担当したゲーヴィン・ゴードンは、第1・2葉(“The Heir”、“The Levee”)をシーン1(“The Reception”)、第3葉(“The Orgy”)をシーン2(“The Orgy”)、第4葉(“The Arrest”)をシーン3(“Virtuous Interlude”)、第5葉(“The Marriage”)は削除、第6葉(“The Gaming House”)をシーン4(“The Gambling Den”)、第7葉(“The Prison”)をシーン5(“Near the Prison Gate”)、第8葉(“The Madhouse”)をシーン6(“The Madhouse”)とし、各シーンに曲を作った。

シーン1。莫大な遺産を相続した青年(トム・レイクウェル)は新しい服を仕立て、その周囲には乗馬教師、ダンス教師、フェンシング教師、ホルン奏者、また正体不明の男(ブラヴォ)など、様々な人物がたむろする。青年がダンスを習っていると、彼に捨てられたらしい少女がその母親に伴われて現れる。青年は少女の母親に金を渡してケリをつけようとするが、母親は憤慨して金を投げ捨て、泣く少女を連れて去っていく。

レイク:ヨハン・コボー(Johan Kobborg);仕立て屋:奥田慎也;騎手:佐々木淳史(24日)、八幡顕光(25日);ブラヴォ:冨川祐樹;ダンシング・マスター:恵谷彰;フェンシング・マスター:澤田展生;ホルン奏者:冨川直樹;裏切られた少女:島添亮子;少女の母親:高畑きずな。

シーン2。青年はメイドに酒を買いに走らせ、また娼婦たちをおおぜい呼び集めて宴会を開く。女性たちは青年を誘惑し、ダンサーは踊り、また竪琴を持った音楽家とボロボロのドレスの女歌手がやって来て、卑猥な内容のバラードを音痴な歌声で歌う。

街の女性たち:大森結城、楠元郁子(24、26日)、難波美保、中村麻弥、宮澤芽実、齊木眞耶子(25日);ダンサー:大和雅美(24、26日)、楠元郁子(25日);レイク:ヨハン・コボー;バラード・シンガー:齊木眞耶子(24、26日)、倉持志保里(25日);メイド:志村美江子(24、26日)、小野朝子(25日);音楽家(2人):井口裕之、佐々木淳史、アンダーシュ・ハンマル(交替出演)。

シーン3。借金の取立人が借用書を片手に青年を待ちかまえている。少女は借用書を横から盗み見る。そこへ青年がやって来る。取立人たちの顔を見た青年は気まずい顔になる。少女は袋に入った金を取立人たちに渡し、青年の借金を肩代わりする。

取立人:奥田慎也、冨川祐樹、澤田展生;少女:島添亮子;レイク:ヨハン・コボー。

シーン4。青年は友人に誘われてギャンブルに参加し、ギャンブルで金を儲けようとする。しかし青年は負け続けてついに発狂し、かつらを脱ぎ捨て床に倒れてしまう。

レイク:ヨハン・コボー;彼の友人:中村誠;ギャンブラー(3人):冨川祐樹、冨川直樹、佐々木淳史、八幡顕光(交替出演)。

シーン5。借金が払えない青年は牢獄に入れられる。その外では、少女が青年が牢獄から出てくるのを、お針子の仕事をしながらじっと待ち続けている。

少女:島添亮子。

シーン6。気が狂った青年は精神病棟に幽閉される。青年はかつらをつけておらず、汚れた半ズボンしか穿いていない。そこにはロープをひたすら床に叩きつける男、黒い眼帯を当てた眼で望遠鏡をのぞき込む男、トランプのカードをひたすらいじくる男、頭に楽譜を乗っけたまま、ヴァイオリンを弾き続ける男、自分のことを王や法皇だと思い込んでいる男たちが収容されている。みな頭はハゲで服はボロボロである。青年は混乱して大暴れする。街の女性たちが見物にやって来て彼らをせせら笑う。少女もやって来て街の女性たちを追い出し、青年に駆け寄ってその手を自分の頬に当てる。だが正気を取り戻さないまま、青年は少女の目の前で息絶える。

ロープにとり憑かれた男:後藤和雄(24、26日)、中尾充宏(25日);航海士:奥田慎也;レイク:ヨハン・コボー;カード・プレイヤー:中村誠;ヴァイオリニスト:澤田展生;王:山崎健吾;法皇:保井賢;少女:島添亮子;街の女性たち:大森結城、楠元郁子、齊木眞耶子。

いかにも時代を感じさせる作品で、後学のために1度か2度も観ておけば充分だと思う。個人的には、バレエ作品というよりはバレエの入ったマイム劇、黙劇という印象が残った。主人公の青年(トム・レイクウェル)は小さな踊りしか踊らず、見せ場的な踊りはまったくない。踊りで見せ場を作っていたのは専ら少女で、あとは各シーンで登場人物が短いソロを踊る程度である。登場人物たちは時にバレエの振りが混ざったマイムで物語を進行させていく。

舞台は絵の額のようなセットで縁どられ、各シーンの間には「ドロップ・カーテン」が下ろされる。このカーテンには18世紀のロンドンの街並みが描かれている。シーンとシーンをつなぐために、登場人物たちが踊ったり、カーテンの前をマイムをしながら、また踊りながら行き過ぎていったりする。シーン3(青年に対する借金取り立て)、シーン5(牢獄に入れられた青年を待ち続ける少女)はカーテンの前で演じられ、踊られる。

踊りとしては、特にバレエとしてはほとんど見どころのない作品である。ただ、演劇的には目で追っているだけでストーリーが分かるのはもちろん、非常に面白く効果的な工夫もあった。美術やストーリーは、実のところはホガースの原画にそれほど忠実というわけではない。登場人物の服装や物語構成の点で、一部だけアイディアやヒントを拝借しているだけといってもいい。

私が最も面白く感じたのは、前のシーンで出てくる登場人物たちが、後のシーンで異なる役名で何度も出てくる点である。服装は同じなのだが、役名だけが異なるのである。たとえば、シーン1の仕立て屋、ブラヴォ、フェンシング教師が、シーン3では借金の取立人になっていたり、シーン1の乗馬教師、ブラヴォ、ホルン奏者がシーン4ではギャンブラーになっていたりする。ダンサーも服装も同じなのに役名だけが違う。

1つの役名でも、シーンごとに違う役回りを担わせていたのが、“The Ladies of The Town”(街の女性たち)である。シーン2(宴会)では娼婦たちとして登場するが、最後のシーン6では、慈善にかこつけて狂人たちを見物に来た貴婦人たちとして登場する。

また、最初のシーン1で出てきた人々が、最後のシーン6の精神病院で再び勢ぞろいするのは面白かった。ここでは、演じたり踊ったりしているダンサーは異なるのだが、キャラクターのイメージが微妙に重なるのである。しかも「羽振りの良かった人々のなれの果て」というオチがついて。ブラヴォは自分を航海士だと思い込んでいる男、乗馬教師はロープにとり憑かれた男、ダンス教師はヴァイオリニスト、またシーン4で主人公の青年をギャンブルに引き込んだ悪友は、カード・プレイヤーとして再登場する。もちろん全員、気が狂っている。

クレメント・クリスプ氏によれば、これはニネット・ド・ヴァロワが意図してこのように演出したそうである。落ちぶれていくのは主人公の青年ばかりではなく、青年に群がって、青年の財産のおこぼれにあずかろうと狙っていた人々もまた、青年と同じく没落と狂気への道をたどっていったことを示しているらしい。

シーン1では、男性たちはみな巻き毛ヅラに半ズボンにタイツ、というロココ調の服装で、気取った仕草で踊る。日本人だからどうかな、と思ったが、意外にみなよく似合っていて、上品ぶった表情や仕草、踊りもなかなか様になっていた。

シーン2では青年が娼婦や踊り子たちを招いて乱痴気騒ぎをするが、女性ダンサーたちの踊りはともかく、娼婦らしいお色気があまりなかったのが残念だった。娼婦の1人が赤い長い靴下を脱いで、青年に生足をむき出しにするところがあったんだけど、細くて骨ばった脚で、無理な話なのは分かっているが、もっとふっくらした色気ムンムンの生足であってほしかった。メイクはすごく濃くて、それっぽくてよかったんだけど。バカ騒ぎもまだバカ度が足りないというか、もっともっと崩した演技でもよかった気がする。

また、ジュリー・リンコンによれば、ニネット・ド・ヴァロワは、シーン2の卑猥なバラードがちゃんと歌われるかどうかを最も気にかけていたそうだ。ロイヤル・バレエやバーミンガム・ロイヤル・バレエが上演するときにはどうなのか知らないが、今回は実際に歌わずに、ダンサーが音楽に合わせて口パクし、歌のメロディはオーケストラによって演奏された。女の歌い手は音痴という設定らしいし、英語圏に留学経験のあるダンサーはいくらでもいるだろうから、ぜひ生で歌ってほしかった。

シーン6で、精神病院に閉じ込められている人々の壊れっぷりはすごかった。小林紀子バレエ・シアターのダンサーは、やっぱり演技派だわね〜、と感心した。堂に入った壊れぶりを披露してくれたのが、ロープにとり憑かれた男役の後藤和雄と中尾充宏、ヴァイオリニストの澤田展生だった。目がうつろでイッちゃってて、ほんとに不気味で怖かったです。

主人公の青年を演じたヨハン・コボーは、なにせ踊りで見せる役ではないだけに、目立たない印象で終わった。でもちゃんと踊っていたし、なにしろいっときも気を抜かずに細かく演技していた。またよく考えるに、ほとんどのシーンに登場して演技したり踊ったりしっぱなしで、しかもおしゃれで軽薄な青年が落ちぶれていって、発狂して、ついには死に至るという極端な変貌を演技で表現できる男性ダンサーを、日本に見つけることは難しかっただろう。ロイヤル・バレエでも、青年を演じることができるのはコボーしかいないらしい(というのは言い過ぎで、コボー主演で再演して話題になったのだろう)。

でも、コボーちゃんにはなにかもひとつ足りないんだよねえ。踊りも演技もしっかりやっていたのに、なんでそう感じるんだろう?

終演後、一緒に観た友だちに「アダム(・クーパー)ちゃんが青年を演じたなら、どうなったと思う?」と聞いてみた。そしたら、「いやもう、もっと鬼気迫る迫力になるんじゃない?」との答えであった。私もそう思う。つまらない(←あれ?)作品を面白くしてしまうのがクーパー君の特異能力だ。

少女役の島添亮子はすばらしいの一言に尽きた。演技も戯画的な演技と現実味のある演技のちょうど境目で、底の浅い印象も深刻すぎる印象も与えることなく、まさにちょうどよい加減の演技だった。少女はこの作品の中で踊ることが多い役柄で、島添亮子の踊りもすばらしかった。やっぱりこの人はこういう情緒を醸し出すような踊りが似合っているし、得意なんだと思う。島添亮子の踊りも、あまりにふざけすぎず、また過剰に劇的でなく、これまたちょうどよい加減だった。

シーン1で、少女が流れる涙を白いエプロンでぬぐいながら、爪先立ちでつつつ〜、と人形みたいに歩いてくる姿は笑えた。青年に向かって、まだ愛しているの、というふうに投げキッスをする仕草も面白かった。

特にすばらしかったのはシーン5で、少女は針仕事をしながら青年が牢獄から出てくるのを待ち続けている。その間はずっと踊っている。実際には針は持っていないんだけど、針を送る手つきが音楽に合っていてやけに印象的だった。縫っていた布を持ってアラベスクして、牢獄のほうを見上げる仕草もよかった。

最後のシーン6で、少女は精神病棟に閉じ込められた青年を訪れる。島添亮子演ずる少女は実にいたいけで健気で、そんな少女に優しく手を取られたにも関わらず、青年は大きく何回か痙攣すると死んでしまう。

青年役にコボーを招いただけでは、今回の上演は成り立たなかったと思う。島添亮子の存在はそれほど大きかった。

「ザ・レイクス・プログレス」が終わると、指揮者のフィリップ・エリスと東京ニューフィルハーモニック管弦楽団のカーテン・コールが行なわれた。彼らの演奏はいちおうここまでである。

「エリート・シンコペーションズ(Elite Syncopations)」、振付はケネス・マクミラン、音楽はスコット・ジョップリン(Scott Joplin)をはじめとするラグタイムを多数用いている。極めて独特な色彩と模様の衣装はイアン・スパーリング(Ian Spurling)のデザインによる。この作品は1974年にロイヤル・バレエによって初演された。ちなみに衣装デザインのスパーリングは故フレディ・マーキュリーの衣装を手がけたこともあるという(あの有名なダイヤ柄の全身タイツだろうか)。

幕がまだ開かないうちに音楽が聞こえてくる。幕が開くと、舞台左右と奥の壁は取り払われ、真っ黒な壁に照明や機材がむき出しになって並んでおり、舞台奥の左右にシンプルな衝立が置かれている。

その中央には1台のピアノが置かれ、その後ろに階段状のステージがあって、12人からなるバンドのメンバーたちが座っている。彼らもみな宇宙人衣装を着せられており、カラフルなスーツを着て派手な帽子をかぶっている。ピアノ演奏と指揮は中野孝紀、演奏は東京ニューフィルハーモニック管弦楽団(?)の精鋭部隊。

舞台上には、色とりどりでユニークな模様がプリントされた全身タイツやユニタードと帽子を身につけたダンサーたちが、男女でペアを組んでゆっくりと踊っている。彼らを取り囲むように椅子が周囲に並べられている。タバコをくゆらす男性たち、おしゃべりに興じる女性たちが座って、その様子を面白そうに眺めている。

1.Sunflower Slow Rag:高橋怜子、高畑きずな、難波美保、楠元郁子、大森結城、大和雅美、中村麻弥、宮澤芽実、齊木眞耶子、駒形祥子、小野朝子、松居聖子、金子緑、萱嶋みゆき、志村美江子、荒木恵理、小野絢子、藤田奏子、真野琴絵、秦信世。(交替出演)

冨川祐樹、後藤和雄、中村誠、冨川直樹、八幡顕光、中尾充宏、澤田展生、奥田慎也、井口裕之、佐々木淳史、佐藤禎徳、柄本武尊、保井賢、山崎健吾、アンダーシュ・ハンマル。

2.Elite Syncopations:全員

3.The Cascade:高畑きずな(24、26日)、大和雅美(25日)、難波美保、楠元郁子(24、26日)、大森結城(25日)。

4.Hot-House Rag:後藤和雄、中村誠、冨川直樹、佐々木淳史(24、26日)、八幡顕光(25日)。

5.Calliope Rag:高畑きずな(24、26日)、大和雅美(25日)。

6.Ragtime Nightingale:全員

7.The Golden Hours:難波美保、後藤和雄。

8.Stop-Time Rag:高橋怜子、冨川祐樹、後藤和雄、中村誠、富川直樹、佐々木淳史(24、26日)、八幡顕光(25日)。

9.The Alaskan Rag:楠元郁子(24、26日)、大森結城(25日)、佐々木淳史(24、26日)、八幡顕光(25日)。

10.Bethena-a Concert Waltz:高橋怜子、冨川祐樹。

11.Friday Night:冨川直樹

12.Cataract Rag:全員

「エリート・シンコペーションズ」にはストーリーはないが、主役と準主役的なキャストがいる。主役的なキャストは高橋怜子(白地に赤い模様の入った全身タイツと赤い帽子)と冨川祐樹(グレーに黒や紫の模様の入った全身タイツ)で、準主役的なキャストは高畑きずな・大和雅美(白にピンクの模様の入った全身タイツに白菜みたいなカラフルな帽子)、難波美保(ピンクのスカートに緑のタイツ)、楠元郁子・大森結城(白に水色の模様の入ったスカート)、後藤和雄(衣装忘れた)、中村誠(同前)、冨川直樹(白に黒のストライプ模様の全身タイツ)、佐々木淳史・八幡顕光(肌色の袖なし全身タイツ)である。

3.The Cascadeと5.Calliope Ragでの大和雅美の踊りがとてもよかった。体型や技術の面で高橋怜子や大森結城に後れを取っているらしいけど、私は大和雅美の踊りが好きなんです。島添亮子の次に手足の動きがなめらかできれいだと思う。音楽にもよく乗っている。この作品ではいたずらっぽい笑顔で踊っていたけれど、また大和雅美の踊る「レ・シルフィード」が観たいなあ。

この作品は楽しい雰囲気で(音楽と衣装で踊りだす前に分かるが)、振付も典型的なクラシックのポーズやムーヴメントやステップはなく、バレエでございという感じがあまりしない。が、女性ダンサーはみなトゥ・シューズを履いているし、女性、男性を問わず、回転、複雑な脚の動き、かなり難しそうなリフトがてんこもりである。

でも同時にお遊びも入っていて、5.Calliope Ragで女性ダンサーがソロを踊った後、舞台の脇にいったん引っ込む。彼女はすぐにまた現れるが、その背中には大きな黒いゼッケンがくっついていて、舞台はいきなり社交ダンスの大会のようになる。これが6.Ragtime Nightingaleで、ダンサーたちは全員が黒いゼッケンを付け、男女ペアで組んで踊る。

7.The Golden Hoursも面白い踊りで、難波美保と後藤和雄はぎこちない動きながらも(←もちろんわざとそうしている)、ふたりで一生懸命に踊る。難波美保の照れたような笑顔がとてもかわいかった。うつむきながら上目遣いにボーイフレンドを見上げて微笑む。

すごく笑えたのが9.The Alaskan Ragだった。パートナーにあぶれた小柄で内気な男性(佐々木淳史、八幡顕光)は、美人で自分よりも背が高い女性(楠元郁子、大森結城)に向かって、おずおずと自分と踊ってくれるよう申し込む。

ふたりが向かい合うと、女性のほうが頭ひとつデカい。24日の楠元郁子・佐々木淳史ペアは、佐々木淳史が背中をかがめて背丈の違いが目立つようにしていた。でも25日の大森結城・八幡顕光ペアは、普通に立っているだけで大森結城のほうが八幡顕光よりもはるかにデカい。大森結城と八幡顕光はさすがで、大森結城はわざと冷たそうにみえる微笑を浮かべて、八幡顕光は自信なげな表情をして、「笑える雰囲気」というものを作っていた。ふたりが立って向かい合っているだけで、客席から笑いが漏れた。

このデコボコカップルは、女性が男性の頭をつかんで自分の胸に押しつけ、男性が女性を必死に持ち上げて、女性リードのまま踊る。男性は女性をきれいにリフトできず、女性がかがんだ男性の背中に馬乗りになってしまうという、珍妙なリフトを繰り返す。またリズムに乗って踊る女性が片脚を真横に伸ばしてぶーん、と一回転させる。男性の頭上を女性の勢いよく回転する脚がかすめる。日本のバレエの観客はあまり笑わないと思うが、この踊りではみな声を立てて笑っていた。

でも実は「わざときちんと踊らない」のって、ダンサーにとってはすごく難しいことらしい。その点でも、25日の大森結城・八幡顕光ペアはすばらしかったと思う。

10.Bethena-a Concert Waltzはこの作品のメインのパ・ド・ドゥにあたる。でもどうも、高橋怜子と冨川祐樹の印象が薄い。高橋怜子の白いユニタード姿がとても美しかったことだけは覚えている。膨張色の白を着てもすごく細いの。脚は長いし。

11.Friday Nightは男性のソロである。割と激しい踊りで、アクロバティックな技で構成されている。特にジャンプしたときの脚の形が複雑でマクミランぽかった。冨川直樹はよく頑張っていた。

最後の12.Cataract Ragでは、ダンサー全員が客席のほうを向いて並び、モモ上げ運動のように脚を高く上げるステップを踏む。いや〜、クーパー君がスターダンサーズ・バレエ団の公演「マクミラン・カレイドスコープ」で、このステップを踏んでいたときに、やけに嬉しそうな顔をしていたのを思い出すわ〜。

出だしこそ少しぎこちなかったけど、ダンサーたちも途中からノリノリになってきたようで、楽しそうに踊っているのを見て、こちらもとても楽しい気分になった。本当は踊るので精一杯だったのかもしれないけど、観客を楽しい気分にさせることができたのはすばらしい。

カーテン・コールでは、ピアノ演奏と指揮を担当した中野孝紀がダンサーの列に加わった。あらためて見ると、本当にヘンな模様のハデハデなスーツと帽子を着させられていた。中野孝紀が帽子を脱いでお辞儀をし、舞台の奥にいるバンドを指し示した。(おそらく)東京ニューフィルハーモニック管弦楽団の面々も、ダーク・スーツやドレスではなく、みんなハデハデな衣装を着ていた。舞台の奥で帽子を上げて観客の拍手に応えていたが、その中に1人、ハゲの男の人がいた。

「ザ・レイクス・プログレス」は時代的な限界のせいで微妙だけど、演目的には、今回の公演は非常に面白かった。「コンチェルト」や「エリート・シンコペーションズ」はもっと踊り込んで、またぜひ再演してほしい。

(2007年8月27日)


saiさんの感想

小林紀子バレエシアターは、ここのところ思い切った演目を取り上げ、技術的にはまだまだのところもありますが、よく健闘していると思いました。毎年、この公演で東バを退団した後藤和雄さんの元気な姿を確かめられてよかったです。

しかし、バレエにハゲづらは、どんなにまじめな演目でも自然に笑えますね。ワンナイの「みやお」が脳裏から離れず、熊川さんの「放蕩息子」の時と同じで、客席で笑いをこらえるのに大変でした。

そんな楽しいバレエばかりでしたが、島添さんの踊りはやはりすばらしかったです。演技も心打つし、手足のコントロールも見事です。ボール・ド・ブラも美しい!「ザ・レイクス・プログレス」の少女役でのポワントでツツーと移動するのが早くて音もなくすばらしかったので、きっと次の公演のデレク・ディーン版「ジゼル」でもいいんじゃないかなと思います。

「エリート・シンコペーションズ」は、衣装も奇抜で踊りもジャズ調で楽しかったです。私としては、バランシンの「フー・ケアーズ?」の方が粋で好きです。でも、あのマクミランがこんな明るい作品を作っていたのは意外でした。ダンサー顔負けの衣装で楽しく演奏したピアニストやオケの方々にも拍手です!


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