Club Pelican

NOTE

「ルグリと輝ける仲間たち」(Aプロ)

(2007年8月8、10日、ゆうぽうと簡易保険ホール)

会場に入ったら、目立つところに立っている柱に3枚の大きな紙が貼り付けてあった。なんだろうと思ったら、オレリー・デュポン、エルヴェ・モロー、ミュリエル・ズスペルギーを診察した医師たちの診断書のコピーだった。デュポン、モロー、ズスペルギーは今回の公演に出演予定だったのが、ケガで参加できなくなってしまったのだ。

いつだったか、別のプロモーターによるガラ公演でも、パリ・オペラ座の上位ダンサーがケガで出演できなくなってしまったことがあって、そのときも同じように診断書が貼られていた。パリ・オペラ座バレエ団では、上位ダンサーがケガや病気で公演に出演不可能になった場合、必ず医師による診断書をプロモーターに提出しなくてはならない決まりでもあるのだろうか。

公演は3部構成である。第1部は「白の組曲」のみが上演される。「白の組曲、振付はセルジュ・リファール、音楽はエドゥアール・ラロによる。パリ・オペラ座バレエ団によって1943年に初演された。現在ではパリ・オペラ座の新シーズンが始まる際に、顔見世的演目として上演されているそうである。

主なキャスト。シエスト:乾友子、高木綾、奈良春夏(東京バレエ団);テーム・ヴァリエ(パ・ド・トロワ):ローラ・エッケ、オドリック・べザール、アクセル・イボ(8日)、グレゴリー・ドミニャック(10日);セレナード:マチルド・フルステー;

プレスト(パ・ド・サンク):シャルリーヌ・ジザンダネ、松下裕次、小笠原亮、宮本祐宜、横内国弘(以上4人は東京バレエ団);シガレット:アニエス・ルテステュ;マズルカ:マチアス・エイマン;アダージュ(パ・ド・ドゥ):ミリアム・ウルド=ブラーム、マチュー・ガニオ;フルート:メラニー・ユレル。

幕が開くと、黒い床と背景の中に、白い衣装に身を包んだダンサーたち全員が、様々なポーズを取りながら整然と居並んでいる。色彩的に非常に美しく、また壮観でもあった。女性は白い短いチュチュで、シエストの3人はスカートの長いチュチュを着ていた。男性陣は、ソロ、パ・ド・ドゥ、パ・ド・トロワを踊るダンサーは白いシャツに白いタイツ、それ以外のダンサーたちは白いシャツに黒いタイツ姿である。

3人の女性ダンサーによるシエストから始まって、それからダンサーたちが群舞を交えて次々と踊りを披露していく。私はパリ・オペラ座のダンサーを、一挙にこれだけの量を見るのは初めての経験で、「スーパーバレエレッスン」でマニュエル・ルグリにダメ出しされてばかりいたアクセル・イボ君でさえも、実は背が高くてスタイルが良く、またすばらしい技術の持ち主であったことに驚いた。

「白の組曲」はダンサーの配置や踊りが整然としており、振りはクラシックだけど、どこか一ひねり加えて難しくしてあった。パリ・オペラ座バレエ団のダンサーたちはさすがに凄かった。彼らはみな恵まれた容姿と優れた技術を持っていて、下位のダンサーでも軽々と超絶技巧をこなしてみせるのが当たり前なようだ。上位のダンサーはそれにプラスしてなめらかさや表現力を有している。彼らの踊りに共通していたのは、とにかく正確できっちりしている、という印象で、(悪い意味ではなく)やや機械的で硬質な感じのする踊りだった。

アニエス・ルテステュが出てきて踊ると、それでエトワール級ダンサーとそうでないダンサーの違いは何か、ということがはっきりと分かる。これは8日の公演でも10日の公演でも同じだった。プルミエール・ダンスーズとエトワールの間には大きな壁があるようだ。エトワールのダンサーは、技術が非常に安定しているのはもちろん、容姿や体型にも恵まれている。何よりも違うのは、手足の動きがしなやかでなめらか、かつ踊りそのものでの表現力に優れている点だった。

10日の公演では、ダンサーたちが疲れていたのか、それとも私の目が多少なりとも慣れたのか、「白の組曲」でのダンサーたちの不調が目立った。8日にパ・ド・トロワを踊ったアクセル・イボ君は、10日の公演のパ・ド・トロワには出演せず、グレゴリー・ドミニャック君が出演した。脳内で比較したら、アクセル君のほうが技術は優れているし安定しているように思った。ルテステュもグラン・フェッテでミスをした。4日連続の公演で、さすがに疲れていたのだろう(Aプロは8月7〜10日の4日間にわたって公演が行なわれた)。

東京バレエ団のダンサーたちは常に整然と踊っていた。この「白の組曲」の振付やダンサーの配置には幾何学的な要素が強い。東京バレエ団のダンサーたちは技術も安定していたし、また彼らのよく揃った動きや常に一定の間隔を保った踊りは、今回のこの作品の上演をよいものにしたと思う。

第2部では3作品が上演された。最初は「扉は必ず・・・」で、振付はイリ・キリアン、音楽はダーク・ハウブリッヒ(クープランの「プレリュード」ニ長調をアレンジしたもの)による。この作品は、イリ・キリアンがルーブル美術館所蔵のフラゴナール作「閂」に構想を得て、マニュエル・ルグリとオレリー・デュポンのために創作し、2004年にパリ・オペラ座で初演された。

ダンサーはマニュエル・ルグリとエレオノーラ・アバニャート。

この「扉は必ず・・・」はAプロでの私のイチ押し作品。クープランの曲をアレンジした、バロック調の音楽がスロー・テンポで流れる。エレオノーラ・アバニャートは黄色いドレス、グレーのアンダースカートを身につけて椅子に座り、片手に花束を持ってゆっくりと動かしている。彼女の後ろには大きな閂のついた木製の扉があり、扉の左にベッドが置いてある。そのベッドの左には、マニュエル・ルグリが白いシャツを着て白い膝丈の下穿きを穿き、膝を抱えて座っている。

やがてアバニャートが花束を床に放り投げる。アバニャートとルグリはゆっくりとした、スローモーションのような動きで、互いにもたれ合い、絡み合い、押しのけ合い、抱き合い、もんどりうって踊る。フィルムの1コマ1コマをゆっくりと再生しているようだ。時にテープが早回転したような音が流れると、それに従って彼らの動きも速くなる。

途中で閂が外れる音が何度も大きく響く。そのたびにルグリとアバニャートは扉の前で、同じ動きでもみ合いを繰り返す(これがフラゴナールの「閂」と同じ構図になっている)。同じように、映像を早回しで何度もリピートするかのように、彼らは一つの花束をさかんに投げあい、また扉を出たり入ったりする。最後にふたりは並んで座って、1個のリンゴを大きくかじる(←本当にかじっていた)。

プログラムにあるとおり、この作品はある男女の関係を、未来、現在、過去をごちゃ混ぜにして描いた作品なのだろうと思う。振付自体にも不思議な魅力があったけど、その魅力を最大限に引き出していたのがルグリとアバニャートである。絵画のような雰囲気が漂う、静かでゆっくりな動きだけど、観ている側がつい集中してしまう迫力があった。静まり返った美術館で、一枚の絵画を見てその物語を妄想しているような気分になる。

「扉は必ず・・・」は、最初はゆっくりな動きで踊るのが、最後で一気に動きが加速する。踊りが中盤にさしかかったところで、ルグリの白いシャツは汗でびっしょりになった。ゆっくりな動きというのは普通の動き以上に体力を使うのだろう。しかもルグリはアバニャートをリフトしてばかりだったから。それでも動きや表情の上では決して疲れた様子を見せないのだから、本当にすごいものだと思った。

次は「スパルタクス」よりスパルタクスとフリーギアのパ・ド・ドゥ。振付はユーリー・グリゴローヴィチ、音楽はハチャトゥリアンによる。なぜいきなり「スパルタクス」?と唐突な感がした。「スパルタクス」はパリ・オペラ座バレエ団のレパートリーにあるのだろうか?ダンサーは、フリーギア:マチルド・フルステー;スパルタクス:ステファン・ビュヨン。

だけど、最初にフリーギアのソロも踊られたので嬉しかった。フリーギアを踊ったマチルド・フルステーは、非常に小柄でほっそりしているダンサーだった。

フリーギアのソロをフルステーはすばらしく踊ったが、やはりボリショイ・バレエ映像版「スパルタクス」での、ナターリャ・ベスメルトノヴァの踊りが私の脳内に染み付いていて、ベスメルトノヴァは身体能力、技術ともにすごいダンサーだったんだな、と思ってしまった。

スパルタクスが片手でフリーギアを支え、フリーギアもスパルタクスの肩に片手を置いて、スパルタクスの体の上に逆立ちになる有名なリフトもすんなりと成功した。これは、いつかのなにかの公演で、ロシアのバレエ団のダンサーたちが失敗していたほど難しいリフトである。

その難しい「逆立ちリフト」は10日の公演でもつつがなく成功した。スパルタクスが逆立ち状態のフリーギアをリフトしたまま舞台を半周するところで、ビュヨンはなんと片足をわずかにだけど上げてみせた。

でも、確かに上手なんだけど、もうちょっと音楽にうまく乗ってほしかったというか、踊りにも音楽的なリズムがほしい気がした。せっかく「逆立ちリフト」という大きな見せ場がある踊りなのに、なんだかあっけなくこなしてしまって、ドラマティックさに欠けていた。

第2部の最後は「ドリーブ組曲」である。振付はジョゼ・マルティネス、音楽はレオ・ドリーブ。マルティネスがパリ・オペラ座の若手ダンサーのために創作したパ・ド・ドゥで、2003年にパリ・オペラ座のダンサー、イザベル・シアラヴォラとブリュノ・ブシェによって初演された。今回はアニエス・ルテステュと振付者であるジョゼ・マルティネス自身が踊った。

衣装は、女性は袖なしで胸の部分は紫のベルベット生地、胸の下から腰は青色の縦縞の生地、スカートは淡い青色のふんわりした形で、下に幾重もの白いアンダースカートがついている。かわいらしいデザインである。男性は大きな三角形の襟の白いシャツ、紫のベルベット生地のベスト、青の縦縞の短い上着、白いタイツ姿である。女性の衣装と素材や色は同じ。この衣装はなんとアニエス・ルテステュによるデザインだそうだ。

振付はまさに正統的なクラシック・バレエだった。ジョゼ・マルティネスのヴァリエーションでの踊りには仰天した。背がとびきり高くて脚も際立って長いダンサーで、柔らかい身体を駆使した技術がとにかく凄まじかった。特に横にジャンプして開脚したときなんか、ジャンプは高いわ、脚は180度以上にもばっ、と開くわで、観ているこっちが腰を抜かしそうになった。

この「ドリーブ組曲」にはちょっとお遊びが入っている。アダージョが終わると、ルテステュがゆっくりと踊りだす。あれ、女性ヴァリエーションが先?と思っていると、マルティネスがやって来て「僕の踊る番だよ」という仕草をルテステュにする。ルテステュは「分かったわ」というふうにニヤリと笑って退場する。

男性ヴァリエーションが終わると、マルティネスはそのまま舞台上にとどまってルテステュを迎え入れ、手を取って少しだけルテステュと踊ると姿を消す。女性ヴァリエーションでは、ルテステュが爪先立ちになった片脚をゆるやかに曲げて軽く跳びながら移動していき、同時に前に上げた片脚の膝から下をえんえんと振り続けていくところは、見た目には静かだけど迫力満点だった。

第3部の最初は「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」で、振付はジョージ・バランシン、音楽はチャイコフスキーによる。この作品に用いられるチャイコフスキーの音楽は、本来は「白鳥の湖」のために作曲されたが、1895年にマリウス・プティパとレフ・イワーノフによって削除されたものである。

その後、1953年になってウラジーミル・ブルメイステルがチャイコフスキー博物館で発見し、自身の改訂版「白鳥の湖」に取り入れた。ジョージ・バランシンもこの音楽に振付を施して「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」と名づけ、1960年にニューヨーク・シティ・バレエが初演した。

ダンサーはドロテ・ジルベールとマチュー・ガニオ。女性は水色のローブ状の膝丈の衣装、男性は水色のシャツにオフホワイト(もしくは水色がかった淡いグレー)のタイツ姿である。ジルベールとガニオの踊りはとてもすばらしかった。踊りとは関係ないけど、音楽を聴いていて、やっぱりこれは「白鳥の湖」にあるべき曲だよなあ、と感じた。この音楽を自分の「白鳥の湖」に再活用したブルメイステルは偉かったと思った。

女性ヴァリエーションで、片脚を後ろに伸ばしたままピョンピョンと後ろに下がっていくところは、もっと音楽に合わせてゆっくりやってもいいように思った。ジルベールは勢いに任せて(あるいはスピードがコントロールできず)やっているようにみえた。

マチュー・ガニオはとても人気のあるダンサーのようで、とにかく彼が何かをする(たとえば連続ジャンプする、連続回転する)たびに、他のダンサーには送られない盛大な拍手が湧き起こる。回転ジャンプをしながら舞台を一周する見せ場となると、観客の拍手が如何に大きなものだったかはいうまでもない。でも私は、マチュー・ガニオはすごいハンサムだし、背が高くてスタイルはいいし、技術もすばらしいけど、なんか踊りやポーズが時に「がたがたわたわた」してしまって、そんなに熱狂的になれるほどすごいとは思えなかった。

次は「椿姫」第二幕よりパ・ド・ドゥ。振付はジョン・ノイマイヤー、音楽はフレデリック・ショパンによる。1978年にシュトゥットガルト・バレエ団によって初演された。この公演はテープ演奏だが、この作品だけは、舞台の左脇に1台のピアノが置かれて生で演奏された。ダンサーは、マルグリット:エレオノーラ・アバニャート;アルマン:バンジャマン・ペッシュ。ピアノ演奏は高岸浩子。

エレオノーラ・アバニャートは胸元が大きく開いて、襟口が大きなフリルで縁取られている白い長いドレスで、髪は垂らしていた。バンジャマン・ペッシュは白いシャツ、黒いベスト、黒いタイツ姿である。ペッシュはどっかで見たことのある兄ちゃんだな、と思ったが、確か新国立劇場バレエ団の「ジゼル」にゲスト出演して、アルブレヒトを踊った人だと思う。

8月3日にアレッサンドラ・フェリの「エトワール達の花束」で、ジョン・ノイマイヤーの「ハムレット」の一部を観た。そのとき、これは全幕を観ないと良さが分からないな、と思ったのだけど、この「椿姫」でも同じように感じた。

と、8日の公演では思ったのだが、10日の公演を観てそうではないと思い直した。「ハムレット」のあの踊りより、今回の「椿姫」の踊りはかな〜り分かりやすいはずの踊りだった。マルグリットとアルマンの愛の踊りである。抱き合ったりキスしたりと直接的なマイムが多かったが、リフトによる流れるような美しい振付が基本である。

でも、ペッシュとアバニャートの息が今ひとつ(というか全然)合っていなくて、特にペッシュはアバニャートをリフトするのがかなりしんどそうだった。ペッシュは必死な表情で顔を紅潮させ、重い荷物を持ち上げるようにリフトしていて、リフトのたびに「どっこいしょ」というペッシュの魂の叫びが聞こえてきそうだった。

リフトしたあともおマヌケで、ペッシュの肩に座ったアバニャートのドレスの長い裾がペッシュの顔をすっぽりと覆ってしまった。アバニャートがそそくさとドレスの裾をめくって、ペッシュの頭と自分のお尻の間に大量の布を収納していた。ここまでくると、怒りを通りこしてすっかり気の毒になってしまった。もっとスムーズに踊られればかなり美しい踊りだろうに、と思った。

このように、8日の公演では「悲惨」の一言に尽きた「椿姫」第二幕のパ・ド・ドゥは、10日の公演では劇的な変化を遂げた。

このパ・ド・ドゥの前半で、ペッシュがアバニャートを頭上に持ち上げるリフトが何回かある。8日と同じく、10日もペッシュがアバニャートを「よっこらせ」となんとか持ち上げているのが分かってしまって、しかもアバニャートが、衣装の白い長いドレスの裾がペッシュの顔にかかって視界を遮らないよう、裾を引っ張っているのが見えてしまって、う〜ん、と思ったが、それでも8日よりはうまくいった。

劇的に変わったのは後半の踊りである。ノイマイヤーっぽい、手足を伸ばした女性ダンサーを男性ダンサーがくるくると振り回すリフトが何度もある。今日の公演でようやく、なるほど、これが本来の振付で、正しく踊られるとこんなに美しくなるのね、と見とれた。ペッシュとアバニャートの息はよく合っていた。

彼らが踊り終わると、8日には出なかったブラボー・コールが10日は出た。ペッシュの胸元は真っ赤になっていて、しかもはあはあ、と大きく息を吐いていた。その息を吐く音が客席にまで聞こえてきたくらいである。ペッシュはよく頑張ったと思うが、ペッシュとアバニャートの身長差をもっと考慮してペアを組んだほうがよかったのではないか、と思った。

次は「三角帽子」よりソロ。振付はレオニード・マシーン、音楽はファリャ。1919年にバレエ・リュスによって初演された。ダンサーはジョゼ・マルティネスで、赤い幅広の袖のシャツに、黒いズボンを穿いていた。この踊りは「扉は必ず・・・」の次に気に入った。

振付にはスペイン舞踊の振りがかなり取り入れられていて、それにバレエの振りが混じっている。両脚を揃えて踏み鳴らすようなステップ、ダイナミックな回転、ジャンプ、振付もカッコよければ、踊ったマルティネスもかなり、というか非常に、というか最高にカッコよかった。

マルティネスはリズム感に非常に恵まれたダンサーなのではないかと思う。指パッチン、手で腿を叩く、靴音、手拍子で巧みにリズムをとりながら、情熱的に、ダイナミックに、リズミカルに踊った。終わった瞬間に万雷の大拍手が湧き起こった。

10日のマルティネスは気のせいかパワー・ダウン気味だった。でもやっぱりそれまでにない盛大な拍手とブラボー・コールが送られた。この日のカーテン・コールは面白かった。マルティネスは幕の間から出てきてお辞儀をすると、いきなりスペイン舞踊風のポーズをビシッ!と決めてから消えた。観客がドッと笑うとともに、更に大きな拍手を送る。マルティネスはまた出てきた。お辞儀をすると、今度はやや長めに踊った。即興の振りで踊ったのか、それともソロの一部だったのかは分からない。観客はもう興奮度最高に盛り上がった。

3回目のカーテン・コールに現れたマルティネスは、去り際にまたもやスペイン舞踊風のポーズを決めた。彼はウケるタイミングを捉えるのに長けているようで、聞いたこともないような激大音量の拍手が送られた。エンタテイメント性にも恵まれているダンサーらしい。

でも、10日の公演のカーテン・コールで、せっかくファンが気を利かせて送った赤いバラの花を、また客席に投げ返したのには感心できない。バラを送ったファンの人がかわいそうじゃん。

最後は「オネーギン」第三幕より別れのパ・ド・ドゥ。振付はジョン・クランコ、音楽はチャイコフスキー(選曲・編曲はクルト=ハインツ・シュトルツェ)による。1965年にシュトゥットガルト・バレエ団によって初演された。ダンサーは、タチヤーナ:モニク・ルディエール;オネーギン:マニュエル・ルグリ。ルディエールの衣装は茶色のドレスではなく藍色のドレスになっていた。ルグリはあの黒い衣装である。

ルグリがシュトゥットガルト・バレエ団日本公演の「オネーギン」にゲスト出演したときは、タチヤーナ役だったシュトゥットガルト・バレエ団の女性ダンサーとの息があまり合っていなくて、またルグリの演技にも起伏がなくて、印象がどうも薄かった。でも今回は違っていた。とてもなめらかに、流れるように踊っていたし、演技もすばらしかった。

ルディエールの演技はすばらしく、ルディエールは、オネーギンに対して、彼を愛する気持ちと拒絶しなければならないという気持ちが交錯するタチヤーナを見事に演じていた。ルグリも、もはやプライドも何もかもかなぐり捨てて、必死にタチヤーナの愛を取り戻そうとする中年男のオネーギンを、すがるような哀れな表情をして演じていた。

ただ、やっぱりルグリもルディエールも、「オネーギン」のような、説明的なくどい演技が必要な役には向いていないのではないか、と感じた。パリ・オペラ座のダンサーは、どちらかというと演技よりは踊りそのもので表現するような、抽象的な作品のほうが得意なのだろう。

と、8日は思ったのだが、10日に劇的な変化を遂げていたのは「椿姫」ばかりではなく、この「オネーギン」も8日と10日とではぜんぜん違っていた。

まず踊り。ルグリとルディエールは振りと振りの切れ目が分からないくらい、きれいにリンクして踊っていて、まるで流れる水のように美しかった。また、オネーギンがタチヤーナを空中に放り投げて、落ちてくるタチヤーナの両脇の下に、伸ばした両腕だけを差し込んでキャッチする振りがある。8日は今ひとつだったが、10日は実にきれいに決まった。

あと更によくなっていたのがルグリとルディエールの演技だった。思うに、客席に踊りや演技の出来具合をチェックする人がいて、よくないところは直させているのではないだろうか。それとも、何回も踊っているうちに、ふたりとも演技が違ってきたのだろうか。

8日のルディエールの演技にはやや大仰なところが時に見受けられたが、10日にはそんなところはさっぱりなくなり、抑制のきいた演技になっていた。ルディエールの演技で、タチヤーナはまだオネーギンを愛しているのだ、とはっきりと分かる。それでも、すでに人の妻になった彼女は、オネーギンを拒まなくてはならない。相反する二つの感情の間を行きかうタチヤーナの苦悩がよく伝わってきた。ルグリよりもルディエールのほうにどうしても目が吸い寄せられてしまった。

最後、オネーギンが立ち去った後のタチヤーナは、苦しげな表情を浮かべながら、それでも強く拳を握った両腕をぐっと下に伸ばす。辛いけれども、これでいいのだ、と自分に無理に納得させようとするタチヤーナに、見ている私も切ない思いになる。

Bプロの演目にも「オネーギン」が入っているので、この次に観るときにはまたどんなに変わっているのだろう、ととても楽しみになった。

8日の客席には「ブラボー隊」みたいな人たちがいて、彼らが絶えずブラボーを連呼してくれたので、会場が盛り上がってよかった。私には誰だか分からなかったが、ダンサーらしい人たち(←小顔、スレンダー体型ですぐ分かる)も座っていた。

全体のカーテン・コールではなぜか「威風堂々」が最初に流れる。いつもこうなのだろうか?ちょっと恥ずかしかった。カーテン・コールがより盛り上がるのでいいのかもしれないけど。

10日はAプロの最終日のせいか、カーテン・コールの最後で会場総立ちのスタンディング・オベーションになった。でも本当は、前に座っている人たちが立つので、後ろに座っている人たちは舞台上に立つダンサーたちの姿が見えず、それでやむを得ず自分たちも立っているようだった。「見えないよ」という声が聞こえてきた。

私はお祭り騒ぎが好きなので、たとえスタンディング・オベーションするほどの舞台ではない、と心の中で感じていても、みんなが立てば自分も立つようにしている。でも8日は疲れていたので、10日は後ろの観客の迷惑になるかな、と憚られたので立たなかった。

(2007年8月17日)

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「ルグリと輝ける仲間たち」(Bプロ)

(2007年8月13日、ゆうぽうと簡易保険ホール)

Aプロを2回観たら、突如としてBプロも2回観たくなって、チケットは残っていないかと公演直前にいろいろ探しまくって、んでやっぱりダメだった(←アホ)。でもBプロを観たら、Aプロと重なる演目があったり、似たような作品が複数あったりしたので、1回でよかったのかなと思わないでもない。

Aプロと同じくBプロも3部構成である。第1部の最初は「タランテラ」で、振付はジョージ・バランシン、音楽はルイ・モロー・ゴットシャルクによる。1964年に初演された。

ダンサーはメラニー・ユレルとアクセル・イボで、ユレルの衣装は白い上衣に赤い短いスカートのチュチュ、アクセル君は白いシャツ、赤い太いベルト、黒い膝丈のタイツ、白いハイソックス。

最初に男女が一緒に踊って、それから男女が交互に短いヴァリエーションを2回ずつ踊り、最後にまたふたりで踊って終わり、という構成だった。音楽が軽快なのと同じように踊りも軽快で、ヴァリエーションでは男女がそれぞれタンバリンを持って、それを実際に鳴らしながら踊る。

アクセル君の素早くキレのよいステップや高いジャンプはよかったし、また彼はタンバリンの使い方がうまくて、音楽とバッチリのタイミングで大きくパン!と鳴らしていた。ユレルはどちらかというと振りをこなすので精一杯で、タンバリンがお留守になっていたところがあった。でも、ユレルの「爪先立ちのままM字開脚スクワット」には仰天した(←これは「ビフォア・ナイトフォール」でだったかも)。

「アベルはかつて・・・」、振付はマロリー・ゴディオン、音楽はアルヴォ・ベルトによる。ダンサーはグレゴリー・ドミニャック、ステファン・ビュヨン。

音楽はピアノを交えた静かな管弦楽曲で、メロディはどこかもの悲しく、ゆっくりした静的な踊りとあいまって非常に印象に残った。床に広げられた白い長方形の布を間に挟んで、上半身裸に白いズボンを穿いたビュヨン(カイン)とドミニャック(アベル)が向かい合っている。ふたりはやがてゆっくりと踊り始める。

振付にはクラシック・バレエ的な動きがほとんどなく、Aプロの「扉は必ず・・・」(イリ・キリアン振付)に感じがよく似ている。カイン役のビュヨンとアベル役のドミニャックが互いをリフトする振りが多かった。中でも、カインとアベルが交互に相手の前にジャンプし、正座したような姿勢で相手に受け止められるリフトが印象に残った。またふたりは腕をとったり、抱き合ったりして踊る。ふたりは無表情だが、常にカインがアベルを庇っている感じで、アベルもまたカインを慕っているという、ほのかに暖かい雰囲気が漂っていた。

途中で、カインとアベルは長方形の白い布の両端を持って引っ張る。すると布が引き裂かれていく。カインの手元に残ったのは小さな布、アベルの手に残ったのは、カインよりもはるかに大きな布だった。これは二人に対する神の愛の差を表している。

そしてカイン役のビュヨンが苦しげな表情となり、ひとりで踊り始める。前とは異なる激しい動きの踊りだった。カインが奥に下がると、アベル役のドミニャックは、やがて自分が手にした大きな布を捨てて前に出てきて、頭と顔を手で覆ってしゃがみこんでしまう。差をつけられたほうも辛いけど、差をつけたほうも辛い。アベルはこんな結果を望んではいなかったのだ。一方、カインはアベルが得た布を羨ましげに手に取って抱きしめる。

アベルが得た白い布を持ったカインがアベルに近づく。ふたりは再び一緒にゆっくりと踊る。カインもアベルも表情は静かである。カインは白い布をアベルの体に巻きつけると、アベルの体をゆっくりと倒す。アベルの体は、力なくだらん、と垂れ下がり、やがてゆっくりと床の上にくず折れる。死んだアベルの体の傍で、実の弟を殺してしまったカインは立ち尽くす。

音楽も踊りも静かでゆっくりだったが、それだからこそ余計に抑制された激しい感情を感じさせるドラマティックな作品だった。実の肉親だからこそ、他人に対してよりもはるかに強く抱いてしまう、激しい愛情と憎悪がもたらす悲しい結末を描いていた。

「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」、振付はマニュエル・ルグリ、音楽はもちろんドニゼッティ、今回が世界(?)初演となるらしい。ダンサーはドロテ・ジルベール、マチュー・ガニオ。

衣装は男女ともに同じ色合いで、赤や黄の色とりどりな布の上に、黒のレースを重ねている。キイロアゲハの羽根をイメージすると最も近い。ジルベールは黒のシースルーのタイツ、ガニオは黒いタイツを穿いている。デザインも色彩も凝った、華やかな衣装だった。

Aプロで上演されたジョゼ・マルティネス振付の「ドリーブ組曲」もそうだったけど、ルグリのこの「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」も、クラシック・バレエおなじみの技を駆使する振付の作品だった。ルグリ自身、プログラムで「クラシックの手法を用いた、超絶技巧を持つ二人の踊り手によるパ・ド・ドゥ」と述べている。パリ・オペラ座バレエ団のエトワールが自らの振付作品を創作する場合、必ずクラシック・バレエの超絶技巧を用いた古典形式のパ・ド・ドゥでなくてはならないのだろうか?

ただ、同じ形式、似たような振付であっても、やはり違いはあるもので、マルティネスの「ドリーブ組曲」ではダイナミックな回転やジャンプが目立ったが、ルグリのこの作品では複雑で細かい足技が目立った。

ルグリのこの作品の振付のほうが、お約束の動きにひとひねり加えてある印象が残った。アダージョでガニオが回転するジルベールの腰を支えて、それからジルベールが前アティチュードをするタイミングをわざと引っかかったように止めたり、女性ヴァリエーション(もしくはコーダ)でジルベールがフェッテをするとき、数回フェッテをするたびに振り上げていた右脚を下ろして軸足にして、同時に左脚を上げて爪先立ちをする、というパターンにしたりといったふうにである。

ジルベールもガニオも踊りがすばらしかった。ふたりで踊るときもよく息が合っていた。ガニオは踊りにもう少し落ち着きというか、途中でタイミングがズレて「わたわた」するところがなくなればもっといいと思う。

「オネーギン」第三幕より「別れのパ・ド・ドゥ」、ダンサーはマニュエル・ルグリとモニク・ルディエール。今回も、やはりルディエールの演技に目が行ってしまった。タチヤーナが主人公なのですから当たり前といえば当たり前なのだけど。

ルディエールは表情が豊かですばらしかった。タチヤーナは昔の憧れの人だったオネーギンからの恋文を読んで驚愕した後、思わず嬉しそうに手紙を抱きしめる。しかしすぐに我に返り、混乱した表情になって、どうしたらいいのか分からないといったふうに部屋の中を走り回る。

オネーギンが入ってきたときには、タチヤーナは厳しい表情で机の前に座り、前をじっと見据えている。しかし、オネーギンが、厳しい表情のまま立ち上がったタチヤーナの体を包み込むように両腕をかぶせると、途端にタチヤーナは目を閉じて切なげな顔になる。ここのルディエールの表情の変化はまさに絶品だった。

オネーギンがタチヤーナにすがりつくようにして、ふたりは一緒に踊る。タチヤーナは決してオネーギンと目を合わせようとしないが、彼女はオネーギンから顔をそむけながらも、明らかにその表情はオネーギンを愛していると分かる。そしてタチヤーナはオネーギンから必死に身を離そうとし、時に腕を突っ張り、時に背中合わせになりながらも、それでもオネーギンと一緒に踊り続ける。

ひざまづいたオネーギンに両手を後ろから引っ張られ、タチヤーナはオネーギンを引きずるようにして、過去を断ち切ろうと重い足どりで前にゆっくりと進む。しかし、彼女は耐え切れずにしばしばオネーギンの首にすがるように抱きついてしまう。

高まる音楽に乗って、オネーギンが昔を思い出させるように大きくジャンプして両腕を差し出し、タチヤーナをいざなう。タチヤーナは少女のような笑顔を浮かべてオネーギンの腕の中に飛び込む。オネーギンに持ち上げられて、彼女の両脚が美しい形に開かれて空を舞う。

しかし、ついにタチヤーナは少女時代の甘い夢に浸っている自分を振り切って厳しい表情に戻り、机の上に置いてあったオネーギンからの恋文を握りしめ、顔をそむけたままオネーギンの胸元にばっと突きつける。動揺するオネーギン。まさに「あうんの呼吸」というのだろう、ここのルディエールとルグリの演技は最高にすばらしかった。ルグリがルディエールの元に駆け寄って抱きしめようとした瞬間、ルディエールは目を伏せたまま、手紙だけを激しい勢いでルグリの胸元に突きつける。ルグリはギョッとした表情で立ち止まり、体を硬直させる。

タチヤーナはオネーギンに出ていくよう命じる。オネーギン役のルグリが出て行った後のルディエールの演技はいつも違っていた。今日は部屋じゅうをまろぶように走り回り、そして部屋の真ん中に立ち尽くすと、拳を握って顔を覆う。

その拳を力を振り絞るようにして下ろしたとき、ルディエールの顔にはかすかに微笑みが浮かんでいた。この前は自分を無理に納得させようとしているような苦しげな顔だったが、今日は未練を残しながらも「これでいいのだ」と確信している力強い表情だった。

第2部の最初は「ビフォア・ナイトフォール」、振付はニルス・クリステ、振付助手はアンヌジャン・スニープ、音楽はボフスラフ・マルティヌーによる。

ダンサーはメラニー・ユレル、マチアス・エイマン(第1パ・ド・ドゥ)、エレオノーラ・アバニャート、ステファン・ビュヨン(第2パ・ド・ドゥ)、ドロテ・ジルベール、オドリック・べザール(第3パ・ド・ドゥ)、マチルド・フルステー、マルク・モロー、ローラ・エッケ、グレゴリー・ドミニャック、シャルリーヌ・ジザンダネ、アクセル・イボ(以上は3組のカップル)。

第1部が終わった後、舞台の床板は白いものに変えられた(第1部では黒だった)。白い舞台の上に、上半身裸に黒いタイツを穿いた男性ダンサーたち、濃淡さまざまなグレーのストラップ・タイプの膝下丈のドレスを着た女性ダンサーたちが、それぞれペアを組んで整然と斜めに並んでいた。女性が男性の背中から両腕を回して寄り添っていたが、私の目の間違いでなければ、1組だけ男同士で抱き合ってるペアがいた。あれは一体なんだったんでしょう?

最初は全員が舞台に散らばって踊り、それから3組のペアによるパ・ド・ドゥが、3組のカップルからなるアンサンブルを間に挟みながら踊られ、最後はまた全員が揃って踊る。

音楽は最初から最後まで恐ろしげな、また不安をかき立てるようなメロディと雰囲気のものだった。振付はクラシカルだったが、ただ特徴的だったのは、腕がいつも変則的な形をしていたことで、ほとんど奇妙な形に曲げられていた。いちばん目についたのが、頭を下げ、幽霊のように両腕を曲げて前に出して、手をだらんと垂らしてするアラベスクだった。

また、速くて鋭角的で、鋭い刃物をイメージさせる動きやリフトが多かった。ストーリーは特になく、でもしいていえば、男女の間の何らかの感情を描いているようだ。

でも具体的ではっきりした物語はないので、このタイプの作品は踊りそのもので勝負することになる。その点で、第2パ・ド・ドゥを踊ったアバニャート、ビュヨン組は最もすばらしく踊ったと思う。速くて激しくて鋭い振付をキレよくスピーディーに、スムーズにこなしていて、ゾッとするほどきれいな踊りだった。

特に、ビュヨンのパートナリングは実にすばらしいと思った。ビュヨンはAプロで「スパルタクス」のパ・ド・ドゥを踊っているから、やっぱりリフト/サポート上手なのだろうか(←短絡的?)。

「牧神の午後」、振付はティエリー・マランダン、音楽はもちろんクロード・ドビュッシーによる。ダンサーはバンジャマン・ペッシュ。これはとてもおもしろい作品だった。大爆笑。プログラムにはこの作品についてのペッシュのウンチクが載っているが、まったく意味不明。エトワール様のお考えになることは分かりません。そして、「今回が日本初演になります」とのこと。でも、別に初演してくれなくてもよかった気がする。

舞台の左側に白いベッドのような台があって、白いパンツ一丁(もちろん本物の下着じゃなくてブリーフみたいな短パン)のペッシュが横たわっている。舞台の右には白キクラゲのような形状の巨大な丸い物体が2つ置かれている。

ペッシュはやがてベッドから下りる。すると、ベッドだと思ったそれはベッドではなく、巨大なティッシュ・ペーパーの箱だったのだ。箱の口からは、これまた巨大なティッシュ・ペーパーが顔をのぞかせている。あ、なるほど、とようやく合点がいった。2つの巨大白キクラゲは、丸めて捨てられたティッシュ・ペーパーらしい。これは18歳以下鑑賞禁止にすべき作品ではないでしょうか。

ペッシュはベッドの上で自分の腕をべろ〜ん、と舐め、床に下りた後は自分の親指をさかんにしゃぶっていた。その動きは淫靡というよりは動物的な感じがした。振付は、ゴリラかチンパンジーといったサル類か類人猿が、未知の物体を目の前にして、警戒しつつも好奇心を持って近づいていき、触って安全だと分かると様々にいじくって遊ぶ、という一連の動きをイメージすればよいと思う。

これのどこが「少年のように若々しい『牧神』に仕上がっています」(by ペッシュ)なんだろう。お世辞にもすばらしい振付とはいえないと思うし、ペッシュの踊りも振付を凌駕するほどのものでもなかったし、エトワールという地位と優れた能力とを見事にムダ使いしていた。

ペッシュは床の上を奇妙な動作でジャンプして、2つの丸めたティッシュ・ペーパーの中に手を突っ込んだり、顔を突っ込んだり、下半身をこすりつけたりする。終わりに近くなって、ペッシュはニジンスキーがやった、両手を斜めに揃えて前に出すポーズをいきなり取った。

最後に、ペッシュは再び巨大なティッシュ・ボックスに上がり、大きなティッシュ・ペーパーを引きずり出し、それを広げて恋人のようにいとおしげに抱きしめ、自分の体をすりつける。

するといきなり、ティッシュ・ボックスが光り、中が透けて見えた。同時にペッシュはティッシュ・ボックスの口の中にダイブする。ティッシュ・ボックスの中に納まったペッシュの姿が一瞬見えて終わった。どーやらティッシュ・ボックスの口は、女性の「それ」をも象徴していたらしい。

文字どおり「ビフォア・ナイトフォール」のせいで、ちょっと眠くなってきていたのでよい気分転換になった。また、カーテン・コールは面白かった。ペッシュはカーテンの間から突然、ニジンスキーの「牧神の午後」のポーズを取った手だけをにょっきりと出し、それから姿を見せた。次には、カーテンの間からひょい、とコミカルにジャンプして飛び出してきた。本人的には大満足でご機嫌のようだ。気はいい兄ちゃんなのだろう。

だけど、ペッシュは良い振付というものを見分ける眼力を、もっと養ったほうがいいと思った。話に聞いたところによると、フランスではこういう性的な振付の作品が多いそうだ。でも、私にはこのマランダン版「牧神の午後」のどこがいいのかさっぱり分からない。

Aプロの「椿姫」では散々なリフトを、Bプロではこのトンデモ「牧神の午後」をパンツ一丁で披露して、あなたはいったいナニをしにわざわざ日本に来たのですか、とペッシュに聞きたいです。

第2部で白かった床は休憩時間の間に黒い床に戻された。黒い細長のシートが何枚も敷かれ、シートの継ぎ目をスタッフたちが黒いテープでせっせと塞いでいた。

第3部の最初は「ジュエルズ」より“ダイヤモンド”のパ・ド・ドゥ。「ジュエルズ」は、振付はジョージ・バランシン、音楽はチャイコフスキーにより、1967年にニューヨーク・シティ・バレエによって初演された。ダンサーはローラ・エッケとオドリック・べザール。

衣装は男女ともに純白で、それに銀とジルコニアの飾りがふんだんにつけられている、とても美しいものだった。踊りも優雅で美しかった。それ以上の感想はない。

次は「ドリーブ組曲」(振付:ジョゼ・マルティネス、音楽:レオ・ドリーブ)、ダンサーはミリアム・ウルド=ブラーム、マチアス・エイマン。プログラムのBプロの演目にこの作品は掲載されておらず、当日配られたキャスト表に書いてあって、それではじめてBプロでも上演されると分かった。

正直言って困った。Bプロには似たような作品が多いからだ。もし「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」、「ジュエルズ」、「ドリーブ組曲」を、衣装なしで振付だけで区別しろ、と言われたら、私には絶対にどれがどれだか分からない。

素人目には区別のつかない、似たような作品を3つも演目に入れるとは、ルグリ側の意図がよく分からない。それなら、CプロやDプロで上演されてAプロとBプロでは上演されない作品、たとえば「小さな死」や「黒鳥のパ・ド・ドゥ」を、なんとか演目の順番やダンサーを調整して、このBプロで上演すればよかったのに、と思った。「小さな死」はルグリが踊るので、そのほうがルグリのファンの方々にも喜ばれただろうに。

大体、「ルグリと輝ける仲間たち」の割には、ルグリが踊るのが各プロとも2演目しかない(しかも実際は3演目)とは、ちょっと少なすぎやしないか。しかもその中に純然たるクラシック作品がない。全幕プロの「白鳥の湖」をみながみな観られるとは限らないのだし、ルグリがもっと踊ってもよかったと思う。

まあ済んでしまったことは仕方ない。話を戻すと、Aプロでこの「ドリーブ組曲」を踊ったのは、アニエス・ルテステュとジョゼ・マルティネスだったので、彼らと比べるとウルド=ブラームとエイマンはどうしても物足りない感じがする。見た目でまずAプロの長身大柄コンビ(ルテステュ、マルティネス)より迫力負けしてしまうし、踊りも長身コンビよりこじんまりとしている。

でもウルド=ブラームの少女のような可憐な顔立ちはやはり愛らしいし、踊りも柔らかできれいだった。エイマンはヴァリエーションでマルティネスと逆方向(右手)から登場し、そのまま逆方向にジャンプして踊っていた。マルティネスと鏡合わせになった感じだった。

最後は「さすらう若者の歌」で、振付はモーリス・ベジャールにより、音楽はグスタフ・マーラーの同名歌曲を用いている。ダンサーはローラン・イレールとマニュエル・ルグリ。

イレールは水色の、ルグリは赤い丸首の全身レオタードを着ていた。腰に同色のベルトを巻いている。ゆっくりとした踊りで、派手な大技はないけれども、しかし難易度の高い技から技へと直に移る動きが多かった。たとえば回転してから片脚だけでバランスを保ちながら、ゆっくりとポーズを変化させていく動きなどである。

イレールとルグリの踊りはさすがで、動きが実になめらかで洗練されていた。ただイレールは時にやや危うかった。しかし、振りを完璧に踊るだけなら若いダンサーにもできると思うけれども、かつ踊りそのものでなにかを表現できていたのは、ベテランのイレールとルグリであってこそだろう。

「さすらう若者の歌」はマーラーが自身の失恋をテーマに詩を書き、それに曲をつけたものである。前奏部分を少し切り取っていたところもあったが、ほぼ全曲(4曲)を用いていた。

踊りや演技は各曲のメロディや歌詞と密接に連動していて、イレールは歌詞に歌われる若者の表の部分を、ルグリは若者の裏の部分、というよりは、若者の内なる自分を踊り演じているようだった。イレールは「いま考えている自分」であり、ルグリは「心の奥底から語りかけてくる自分」である。

イレールは黒髪でおとなしそうな顔つき、ルグリはダーク・ブロンドでややアクの強い顔つきをしている。イレールはとてもナイーヴな若者、ルグリはそんな表の自分を冷静に、客観的に見つめるもう一人の自分という感じであった。

第1曲「彼女の婚礼の時」では専らイレールが踊る。ルグリは舞台の奥に後ろを向いて立っている。歌詞は失恋の苦しみを述べているが、このベジャールの作品では、もっと普遍的なテーマ、生きることの苦しみや懊悩を踊りとして表現しているように感じた。イレールは悲しげな、また寂しげな表情を浮かべて、体をゆっくりと動かして踊っていた。

第2曲「春の野辺を歩けば」になるとルグリが前に出てきて、イレールに微笑みかけながら、楽しんで踊るよう促す。イレールは明るい笑いを浮かべて楽しそうに踊り、ルグリは舞台の右前に座り込んで、イレールの姿を温かい感じで見守っている。しかし、いっときの楽しさは、すぐに大きな苦しみに打ち消される。イレールは再び沈鬱な表情になって座り込む。ルグリはイレールに近寄って抱きしめるが、ふと冷たい表情になってイレールから離れる。

第3曲「怒りの剣で」では、激しく怒り狂うような音楽と歌詞に乗せて、イレールとルグリはふたりで並んで同じ振りで踊る。振付も急で激しい動きだった。「若者」はもはや表も裏もなく、積もり積もった思いが爆発して、心の底から悲しみ嘆いているのだろう。

第4曲「彼女の青い目が」で、「若者」はあきらめの境地というか、静かで落ち着いた心境に至ったようだ。マーラーの歌曲は、最後の曲に死んだ自分を描写した詩を持ってくることが多いように思う。ただしそれは現実の死ではなく、諦念というか、静かな安らぎを得た心境を象徴しているようで、この「さすらう若者の歌」もそうである。

イレールは救われたような落ち着いた表情になるが、ルグリはそんなイレールの手を引っ張って、奥に広がる闇の中へと導いていく。イレールはそれに従う。しかし、イレールはふと後ろを振り返って、なにかを求めるようにそっと手を伸ばし、それとともにゆっくりと舞台のライトが落とされる。ハープの音だけが静かに残る。

カーテン・コールになると、イレールとルグリは互いに肩と腕をがっしりと組んで、並んで前に出てきてお辞儀をした。本当に長年の親友といったふうで、イレールとルグリは互いに組んだ両手を離さなかった。

それから全体のカーテン・コールが始まって、数え切れないくらい繰り返された。ダンサーたちが次々と出てきて、最後にイレールとルグリがルディエールを真ん中にして出てきた。

途中で、天井からフランス語と日本語の書かれた大きな看板が下りてきた。フランス語のほうはルグリの自筆文を拡大したものだろう。日本語のほうには「皆様のご声援に心から感謝します。また会いましょう! マニュエル・ルグリ」と書かれていた。

色とりどりのテープのカーテンが天井から垂らされた。そして光る紙吹雪も落ちてきた。紙吹雪のほうは一向に止む気配がなく、いつまでも降り続けていた。カーテン・コールの途中で、ダンサーたちはふざけてテープを首に引っかけて出てきたり、手で集めた紙吹雪を客席に向かってばっと降らせたり(←バンジャマン・ペッシュ)し、最後は観客に手を振っていた。

幕が閉ざされて、カーテン・コールが終わった、と思った途端に、幕の向こうから「ヒョオー!!!」という大きな歓声が聞こえてきた。ダンサーたちが公演終了を祝ったのだろう。さすがはラテン民族、賑やかだなあ、と思った。

帰りかけた観客はドッと笑い、再び拍手した。すると、また幕が開いて、なんとまたカーテン・コールになってしまった。最後はダンサーたちがまた手を振って終わったが、幕が閉じた瞬間に、彼らはまたまた「ヒャウー!!!」という大きな歓声を上げていた。

Aプロの追加公演があったために、結局1週間ぶっ続けの公演となった。ダンサーのみなさん、お疲れさまでした、と心の中で声をかけて会場を後にした。

(2007年8月21日)


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