Club Pelican

NOTE

「エトワール達の花束」(Aプロ)

(2007年8月3日、東京文化会館大ホール)

今シーズンで引退するアレッサンドラ・フェリの日本での引退公演です。観終わってみれば、とても良い公演でした。以下はその感想ですが、ロベルト・ボッレのファンの方で、ボッレが批判されるのにはとても耐えられない、というみなさんは読まないで下さい。

公演前は納得できないところが多々あった。演目のほとんどが決定しないうちにチケットを販売したこと、音楽は生ではなくテープ演奏であるのにチケットの値段が常軌を逸した高さであったこと、しかも席のエリア設定がいささか腑に落ちないものであった(東京文化会館の1階R、L列がS席に設定されていたが、通常はA席である)ことなどである。

フタを開けてみれば、演目はよく吟味されたものとはいえ多いとはいえず、そしてそれが原因で公演時間は短かった。配布されたタイム・テーブルは、実際よりかなり長めに書かれていた。第一部が80分、休憩20分、第二部が70分であるというのだが、実際の公演時間は休憩時間(20分)を除くときっかり2時間であった。7時に始まって9時20分に終わった。バツが悪かったのか、「文書」の上では30分水増ししたわけだ。

また舞台装置や美術は必要最小限である。よって、高額なチケット料金はダンサーたちの招聘と各々の作品上演の許可を得るのに厖大な費用がかかったことが原因だと思われるが、もとよりそんなことは観客の責任ではない。

もっとも、これらのことは会場のアンケートにすべて書いた。次回からは工夫して改善してほしい。それに、たぶんチケットを売り出してから、「この値段はさすがにマズい」と主催者側も思ったのだろうか。有料のプログラムはなく、簡素なものではあるが、無料のプログラムを配布していた。これはよいフォローだと思う。

第一部の最初は「海賊」のパ・ド・ドゥ、ダンサーはパロマ・ヘレーラ、ホセ・カレーニョ(ともにアメリカン・バレエ・シアター プリンシパル)。ヘレーラは白銀のチュチュを着ていて、この衣装がとてもきれいだった。カレーニョは青いハーレム・パンツだったが、なぜか黄色の大きな水玉(というより筋斗雲みたいな模様)が入っていて、なんだか笑えた。でもカレーニョなら許せてしまうというか、なんだか「らしい」なあと思った。

肝心の踊りについて。私はほぼ1ヶ月前の6月30日にイーゴリ・コルプ(マリインスキー劇場バレエ)とイリーナ・ペレン(レニングラード国立バレエ)の「海賊」パ・ド・ドゥを観てしまっていて、まだその印象が強く残っていた。それで、あまりすごいなとは思わなかった。でも、カレーニョの踊りは相変わらず安定していて、回転もジャンプもしなやかでダイナミックだった。回転して止まるとき、またジャンプして着地するとき、足元は決してグラつかず、ゆるやかなスピードで停止して、常にきれいなポーズをとって終わる。

一方、ヘレーラの踊りはちょっと危なっかしかった。足元がなんだかグラグラしていて、またコーダでの32回転では前半で二回転を交えながら回っていたが、回っているうちにどんどん舞台の後ろから前に移動してきて、最後にはオーケストラ・ピットに落ちるのではないかと心配した。

「ロミオとジュリエット」よりバルコニーのパ・ド・ドゥ。振付はケネス・マクミラン、ダンサーはアレッサンドラ・フェリとロベルト・ボッレ(ミラノ・スカラ座バレエ団プリンシパル)。映像版でおなじみ、フェリといえば誰もが思い出す作品である。

おそらく今回の公演で最も大がかりなセットであるバルコニーが舞台の右奥に置かれている。フェリがその上に姿を現す。舞踏会でロミオと出会ったことを思い出し、フェリは夢見るような表情でバルコニーの手すりにもたれかかる。フェリの表情はまさに初々しい少女ジュリエットそのものだった。そこへ大きなマントを翻しながらロミオが現れる。フェリはロミオに気づくと、まるで彼が来ることが分かっていたかのように、ロミオをじっと見つめる。

ロミオに促されてジュリエットはバルコニーの横の階段を走って降りてくる。映像版と同じく、最後の一段をぱっと飛び降りたのが、ジュリエットの溢れる思いが感じられてほほえましい。彼女の踊りはズバリ私の好みで、踊りそのもので感情を表現するというのか、ただ振付どおりに踊っているだけではない。また、音楽性に恵まれた人なのだろう、手足の動かし方が音楽とよく合っていて、動きも自然でなめらかでとにかく美しかった。彼女の踊りを見ていて、ああ、この人は古き良きロイヤル・バレエ系のダンサーだな、と感じた。

そのフェリの足を引っ張っていたのがボッレだった。確かに彼は背が高く、ハンサムで、脚が長くてスタイル抜群、テクニックも目を見張るほどすばらしいダンサーだった。しかし、肝心のサポートやリフトがスムーズではなかった。フェリをリフトする直前に常に一瞬の間が空き、リフトからリフト、サポートからリフトへの移行もぎこちなく、しかもそれらの動きが音楽にあまり合っていなかった。フェリとボッレは前にも組んだことがあるそうだが、ボッレはまるでフェリとは初めて組んでしかも練習不足なようにみえた。

印象としては、フェリの表現力の見事さばかりが一人歩きして、ボッレがそれについていけていないという感じだった。私としては、これが生フェリのジュリエットを観る最初で最後の機会だったので、もっとふたりのバランスがつりあっていれば、さぞ感動できたろうに、と残念だった。でも生フェリのジュリエットを見たことはいい記念になった。

「マーラー交響曲第3番」、振付はジョン・ノイマイヤー、音楽は題名のとおりマーラーの交響曲第3番第6楽章の一部(10分ほど)を用いており、1975年に初演された。ダンサーはシルヴィア・アッツォーニ、アレクサンドル・リアプコ(ともにハンブルク・バレエ プリンシパル)。会場で配られたアンケートで「良かった作品」の第2位に書いた。

アッツォーニは赤い袖なしで足首まであるレオタード、リアプコは、上半身は裸で肌色のタイツを穿いていた。最初にアッツォーニだけが踊って、途中からリアプコと一緒に踊る。実に!実にきれいな振付だった。

クラシックに分類されると思うが、現代的クラシックとでもいうのか、クラシック・バレエの動きから古くさくてお約束的な要素をいっさい取り去って、ダンサーの身体、特に伸ばした手足の美しさを強調した、すっきりした清潔感のある美しい振付だった。中庸を採ったというか、クラシック・バレエお約束の振りにしがみつかず、かといって極端に斬新で奇矯な振りにも走らず、透きとおった清涼な水のような踊りである。

この作品を踊ったシルヴィア・アッツォーニとアレクサンドル・リアプコはすばらしいダンサーだった。赤いレオタード姿のアッツォーニがひとりで踊り始めたとき、その身体の柔軟さと、振付をまさに自分のものにしている、しなやかで自然な動きに感嘆した。

やがてアッツォーニは床に仰向けに横たわっているリアプコを起こして一緒に踊る。リアプコの身体能力も高いものだった。アッツォーニと同様、しなやかな動きで各々の振りの継ぎ目が分からないほどスムーズに踊り、またアッツォーニと組んで踊るときの息もバッチリ合っていた。

「白鳥の湖」よりグラン・アダージョ。ダンサーはジュリー・ケント、マルセロ・ゴメス(ともにアメリカン・バレエ・シアター プリンシパル)。う〜ん、なんといえばいいのか・・・普通にすばらしかった。ただ、ケントはそんなに強い印象を残さなかった。ゴメスに至っては記憶のカケラもありません(ごめんなさい)。

ただ、王子に支えられたオデットが片足だけで移動して、それから王子に頭上高く持ち上げられるところでは、私の好きではない、オデットが観客に向かって両脚を全開するような見苦しい持ち上げ方ではなかったのがよかった。オデットが王子の頭上で水平に持ち上げられ、その瞬間にゆっくりと羽ばたくようなポーズを取る。

「ヘルマン・シュメルマン」、振付はウィリアム・フォーサイス、音楽はトム・ウィレムス。この作品は1992年にニューヨーク・シティ・バレエによって初演された。ダンサーはアリシア・アマトリアン(シュトゥットガルト・バレエ プリンシパル)、ロバート・テューズリー。テューズリーは、現在はフリーランスのダンサーだが、ナショナル・バレエ・オブ・カナダ、シュトゥットガルト・バレエ、英国ロイヤル・バレエ、ニューヨーク・シティ・バレエに所属していた。この作品はアンケートの「良かった作品」第3位に書いた。

アマトリアンはシースルーの黒いTシャツに黒いパンツ、テューズリーは紺色のTシャツに黒のズボン姿で登場する。最初にソロで踊り始めたアマトリアンの身体の驚異的な柔らかさにまず驚愕した。脚なんか180度以上も開く。まるでシルヴィ・ギエムのようである。しかも振付が、限界ギリギリまで開かせるときたもんだ。

振付は相変わらず人体の神秘というか、人間の体が螺旋階段のようにねじられていく。ハンブルク・バレエのペアのように、アマトリアンもまた、複雑で極めて難しそうな振付を自分のものにしていて、振りから振りへの移行がとてもスムーズで見とれてしまった。どこかコミカルな雰囲気の漂う踊りで、アマトリアンとテューズリーは互いを意識しながら、まるで競争するかのように踊る。

途中でアマトリアンが退場し、テューズリーがひとりで踊る。テューズリーに関しては、私は古典作品を踊る彼を今までに何度か目にしていて、そのたびに容姿に恵まれ、技術も優れているダンサーなのに、なんか今ひとつ印象が薄いなあ、と思っていた。だけど、この「ヘルマン・シュメルマン」を見て、はじめてテューズリーは優れたダンサーだと感じ入った。古典作品よりは、コンテンポラリー作品のほうが圧倒的に向いていると思う。複雑な動きをしなやかにこなし、ダイナミックな回転や跳躍をやってのけ、本当にすばらしかった。

アマトリアンが例の黄色いスカートを穿いて再び登場すると、今度はテューズリーが退場する。アマトリアンがひとりで踊っているところへ、テューズリーも再び登場する。彼は上半身裸で、同じ黄色いミニスカートを穿いている。観客がクスクスと笑う。まるで衣装まで女性と同じにして張り合っているようだ。残念ながら(?)、テューズリーのスカートの下は黒いショート・パンツだった。

音楽が静かなものから弾むようなリズムのものとなり、アマトリアンとテューズリーは並んで同じ振りを、またふたりで組んで踊る。とてもカッコよかった。彼らのパートナーシップも完璧で、ああいう息の合った踊りを見るのは実に楽しいものだ。

「エクセルシオール」よりパ・ド・ドゥ、音楽はロムアルド・マレンコ、振付はウーゴ・デッラーラ。「エクセルシオール」は1881年にミラノ・スカラ座で初演され、「文明の勝利を語るストーリーで、らくだ、象、馬や大勢のエキストラが登場するスペクタクル・バレエ」だったそうだ。初演版の振付者はルイジ・マンゾッティであった。その後、1967年になってウーゴ・デッラーラが振り付けし直して復活上演された。今回上演されたのはデッラーラの再振付版である。ダンサーはモニカ・ペレーゴ、ロベルト・ボッレ。

このパ・ド・ドゥは「奴隷が文明によって開放されるシーンとしてバレエの大団円で踊られる」そうだ。プログラムのあらすじを読むまでもなく、振付だけで、アンケートに「良くなかった作品」の欄があったら、でっかい字で書いてやりたいくらい大仰でけばけばしい作品だった。

胸に縄を垂らし、ボロボロのパンツを穿いた(←奴隷の役なので)ボッレが、筋肉美を惜しげもなくさらしながら、ばんばん威勢良くジャンプして回転しまくる。どんな振付かについては、クラシック・バレエお約束のハデな男性技を脳内で並べて再生して頂ければ充分である。ボッレのテクニックは実にすばらしく、ジャンプは高いし、足技は細かいし、スピードとキレがあって、ダイナミックだった。着地するときに上半身をぐっと反らすのは彼の癖だろうか。これがカッコよかった。

そこへ白い長いスカートのチュチュを着たペレーゴが現れて踊る。胸に緑の葉と赤い十字の模様がある(←文明の女神?の役なので)。構成はアダージョ、男女ヴァリエーション、コーダという構成をちょっと崩して、男女のヴァリエーションの最後でもう片方が現れて一緒に踊る、というものだった(うろ覚え)。この「エクセルシオール」は「ファラオの娘」といい勝負だ。こんな下らない作品を喜んで観るイタリア人観客の気持ちが理解できない。

「オセロ」より最終場のパ・ド・ドゥ。音楽はエリオット・ゴールデンサル、振付はラー・ルボヴィッチ。この作品は、アメリカン・バレエ・シアターとサンフランシスコ・バレエによって1997年に初演された。ダンサーはアレッサンドラ・フェリ、マルセロ・ゴメス。アンケートで「良かった作品」の第1位に書いた。これはぜひ全幕を観たい作品。アメリカでは映像版が発売されているそうだ。日本のプレーヤーで観られるかな?

今回の公演で踊られるのは、オセロがデズデモナを殺す有名なシーンである。白い膝丈の薄い生地の衣装を着たデズデモナ(フェリ)が、闇の中で座っている。彼女の表情は不安げだ。そこにみなぎる憎悪を必死に抑えた表情のオセロ(ゴメス)が現れる。

オセロはデズデモナをゆっくりと持ち上げ、デズデモナの顔を両手で挟み、「お前は俺を裏切った」と迫る。それからオセロは憎しみと嫉妬の感情を抑えきれず、デズデモナを激しく振り回して踊る。デズデモナは振り回されながらそれに抗うように手足を翻す。恐ろしいシーンなのに美しい。凄味のある美しさである。デズデモナはついに観念し、「あなたを愛している」とオセロに伝え、従容としてオセロにくびり殺される。

振付はすばらしく、オセロの愛憎が交錯する心情と、自分を殺そうと迫る夫に怯えながらも、オセロへの愛を貫いて死を受け入れるデズデモナの心が表現されていた。マクミランの振付によく似ていると感じた。ただ、マクミランほどクラシックぽくない。

フェリは今年になって初めてデズデモナの役を踊ったそうだが、とてもそんなふうにはみえなかった。またすばらしかったのが、マルセロ・ゴメスである。ゴメスは妻への愛と憎しみがせめぎ合う、苦悩と憤怒に満ちた表情を浮かべており、すさまじい迫力があった。

またゴメスのサポートとリフトは完璧で、間を置かずに複雑なリフトを次々とこなし、流れるような美しい線を描いて踊るフェリの魅力を最大限に引き出していた。ゴメスはフェリの圧倒的な表現力に一歩も退かないどころか、フェリとともに「オセロ」のこの凄絶なシーンを踊りによって完璧に演じていた。鬼気迫る壮絶な情景だった。

第2部の最初は「ジゼル」第二幕よりアダージョ。ダンサーはアレッサンドラ・フェリ、ロベルト・ボッレ。

短くてあっという間に終わってしまったので、あんまり印象に残っていない。でも、フェリの腕の動きは美しかった。あとはやっぱり、フェリとボッレのタイミングが合わないこと、ボッレのリフトやサポートがぎこちないこと、「さあこれから持ち上げますよ」、「支えますよ」的な「間」が少し気になった。それに、音楽のテンポが特に最後のほうで異様に速かった。もっとゆっくりのテンポで踊ったほうが、雰囲気が出るのに、と思った。

「太陽が降り注ぐ雪のように」、音楽はペーター・シンドラー、振付はローランド・ダレシオ。振付者のローランド・ダレシオはシュトゥットガルト・バレエ団の現役ダンサーである。ダンサーはアリシア・アマトリアン、ロバート・テューズリー。ふたりともピンクの長いTシャツを着て登場した。Tシャツの下は、アマトリアンは黒のレオタード、テューズリーは黒のショート・パンツ。

ふたり並んで客席に向かってお尻を突き出して動かしたり、ふたりが次々とうつぶせになって床をスライディングしたり、アマトリアンがテューズリーに頭突きをしたり、テューズリーが自分のTシャツの裾をびょ〜んと伸ばして、アマトリアンをすっぽり覆ってしまい、アマトリアンがTシャツの中から顔をぬっと突き出したりと、コミカルな踊りだった。振付では、常に膝はゆるく、足首は極端に曲げていたのが印象的だった。女性はオフ・ポワントで踊る。

まあ気軽に観られる小品、という感じで、さほどすばらしいとは思わなかったが、アマトリアンとテューズリーがお茶目でかわいかったし、シュトゥットガルト・バレエ系の振付家は、後でどう化けるか分からないから無難に褒めておこうっと(←権威に弱い)。

「シンデレラ」より舞踏会のパ・ド・ドゥのアダージョ、振付はジェームス・クデルカで、このクデルカ版は2004年にナショナル・バレエ・オブ・カナダによって初演された。ダンサーはジュリー・ケント、マルセロ・ゴメス。舞台を近代に移しかえたようで、ケントは20世紀初頭風デザインの淡いピンクの膝丈のドレス、ゴメスは黒い燕尾服を着ていた。

振付では、単なる踊りというよりは演技がそのまま踊りになっているような感じだった。シンデレラと王子の間の雰囲気も違っていて、「身分差のある」王子とシンデレラの踊りではなく、普通の恋人たちの踊りという印象を受けた。どちらかというと、不器用な王子をシンデレラが優しくリードしていた感じだった。ケントが非常に良い演技をしていて、また彼女の踊りも手足の動きが柔らかくて、とてもきれいだった。「白鳥の湖」では気づかなかったけど、彼女の踊り方や演技はフェリに似ていると思った。

「ハムレット」よりパ・ド・ドゥ、振付はジョン・ノイマイヤー、音楽はマイケル・ティペット。この作品は1997年にハンブルク・バレエによって初演された。今回踊られたパ・ド・ドゥは、ハムレットが恋人のオフィーリアに別れを告げる場面だそうだ。ダンサーはシルヴィア・アッツォーニ、アレクサンドル・リアプコ。

これも現代版、というか80'sかな?ハムレットのリアプコはアイビーファッション(シャツ、襟がV字型のセーター、上着、ズボン)で、シャツの裾が片方ズボンの外に大きくはみ出しているのが、気が狂っている様を表しているらしい。オフィーリア役のアッツォーニはグレーに近い水色のワンピースを着て、花をつんで冠を編んでいる。

またもやジョン・ノイマイヤーの振付だが、さっきの「マーラー交響曲第3番」とは雰囲気ががらりと違った。舞台の右奥にはトランクが山積みになっており、自身もたくさんの荷物を抱えて走ってきたハムレットはずっこけて、床に散らばった荷物をあわてて拾い集める。オフィーリアもハムレットもなんだかすごく子どもっぽい。

オフィーリアはハムレットに気づく。オフィーリアとハムレットは、幼くてはにかんだ笑いを浮かべ、楽しそうにたわむれて踊る。オフィーリアは編んだ花冠をハムレットの頭にかぶせ、ハムレットも喜んで花冠を受け、さらにぐっと頭に押し込めるようにかぶる。これらの一連の仕草にも子どもっぽい雰囲気が始終漂っていた。

だが、オフィーリアはふと悲しげな、寂しげな表情になってハムレットに背を向けてしまう。ハムレットはオフィーリアを不器用になだめすかしながらも、ついに荷物を抱えて去っていってしまう。

オフィーリアとハムレットはまるで幼い子どものようだったが、これは気が狂っていることの裏返しでもあるのだろうか。振付はマイムの延長のような感じだった。これは全幕を観ないとよく分からない作品だと思う。大体、ハムレットがオフィーリアに別れを告げる場面とはどこを指すのか分からない。ノイマイヤーは単にシェイクスピアの戯曲のみに頼ったのではなく、「ハムレット」の元となったデンマークのアムレトゥス伝説を調べたというから、全編を観ればハムレットとオフィーリアのキャラクターが分かるのだろう。

「フー・ケアーズ?」、振付はジョージ・バランシン、音楽はジョージ・ガーシュウィン。この作品は1970年にニューヨーク・シティ・バレエによって初演された。ダンサーはパロマ・ヘレーラとホセ・カレーニョ。ヘレーラは胸元の大きく開いた赤い短いスカートのドレス、カレーニョは黒いシャツに黒いズボンという衣装。

ヘレーラが最初に出てきて踊る。やはり少し頼りなげな感じがした。ところが、カレーニョが出てきて一緒に踊り始めると、ヘレーラの動きはすばらしいものとなった。ヘレーラとカレーニョの踊りもよく合っていて、ガーシュウィンのあのよく耳にする、気だるいもの悲しいメロディの曲が、ゆっくりとした踊りによく合っていた。

最後は「マノン」より沼地のパ・ド・ドゥ、振付はケネス・マクミラン、音楽はジュール・マスネ。ダンサーはアレッサンドラ・フェリ、ロベルト・ボッレ。フェリは黒髪なので、短髪ヅラがまるでいがぐり頭の坊主のようでした(すみません)。ボッレは白いシャツを着てグレーのタイツとブーツを穿いていた。

目つきはうつろで意識がもうろうとした表情のフェリが、ボッレに手を取られ、片脚を後ろに上げてゆっくりと回転し始める。ボッレのリフトは、少なくともフェリと踊るときにはさほど上手でない、と私は結論した。ちゃんとこなすのだけど、なんかぎこちない。

たぶん、一番の問題はふたりの身長差ではないだろうか。ボッレはたぶん190センチ近くもあると思うが、フェリは160センチもないだろう。いくらフェリが爪先立ちをしているといっても、ボッレはやや不自然な姿勢をとり、また腕をかなり下に下げて、身長の低いフェリを支えたり、持ち上げたりしなければならない。

あとは、フェリの表現力が勝りすぎて、ボッレの影が結果的に薄くなってしまったという面もあると思う。優れたダンサー同士が組んで踊る場合、大抵はそれでよりすばらしい踊りになる。しかしまれに、一方のダンサーのすばらしさばかりが突出し、もう一方のダンサーの影がかすんでしまう、ということが起きる。私は以前にもそうした舞台を観たことがある。

でもドラマティックな音楽と振付で、やっぱり集中して見入ってしまった。ボッレがいつフェリを落とすか、とヒヤヒヤしたが大丈夫だった。マノンがデ・グリューの腕の中にジャンプして飛び込み、間を置かずにデ・グリューがマノンの体を腕の中でぐるっと回転させて、それから振り回すところもすべてうまくいった。

フェリは自分ひとりで踊るときも表現力が豊かだけど、「リフトのされ方」もうまいなあ、と思った。リフトされたときのポーズがとてもきれいだった。デ・グリューがマノンの体を床すれすれに近づけるとき、フェリは体をやや反らせて、片脚をボッレの腰に引っかける。その引っかけた脚の形が美しい。

マノンがデ・グリューの腕に飛び込んだと同時に死ぬところでは、ボッレがフェリの体を抱えた途端に、フェリの手足が力なく、だらん、と垂れ下がった。さっきの「オテロ」でもそうだったけど、「死に方」も上手だなあ、と感心した。

最後の最後でこんなことを言って申し訳ないが、ボッレのあの演技はどうにかならないものだろうか。マノンが死んだと気づいたデ・グリューの演技なんだけど、ボッレは頭を両手で抱えて嘆き悲しむ。その表情がなんともわざとらしくて、せっかくあんなにすばらしい容姿とテクニックとを持っているのだから、演技も上手になればもっといいのに、と思った。

沼地のパ・ド・ドゥもあっという間に終わってしまった。カーテン・コールは何度も行なわれた。引退公演ですから当然のこと。銀のテープがクラッカーのように客席に向けて発射され、また舞台上には色とりどりのテープが下りてきてカーテンを作っていた。

最後のほうでフェリがひとりで舞台上にたたずんで、彼女にスポット・ライトが当たり、上から赤い花のようなものがはらはらと降っていた。私はこういうわざとらしい演出にはあまり感動しなかったけど、いつまでも続く観客の熱狂的な拍手喝采に、フェリがつい顔をゆがめて涙目になり、ゆっくりと下を向いて、バレリーナ的でない、自然な仕草で深々とお辞儀をしたときには、ついもらい泣きしそうになった。

やはり観ておいてよかった。フェリの技術については、いろいろなところで、さほど高くはないという評価を見聞きした。またバレエをやっている人から、その原因が何なのかを聞いた。でも、バレリーナにもいろいろなタイプがあってもいいだろう。今回の公演でフェリが踊ったのが、ジュリエット、「オセロ」のデズデモナ、ジゼル、マノンというのが、アレッサンドラ・フェリのバレリーナとしての本領がどこにあるのかを表している気がした。

(2007年8月6日)


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