Club Pelican

NOTE

ミラノ・スカラ座バレエ団 「ドン・キホーテ」

(2007年6月9日昼公演・夜公演、東京文化会館)

2月にレニングラード国立バレエ団の「バヤデルカ」を観に行って以来、4ヶ月ぶりの上野である。駅ビルのアトレがちょうど全館の改装工事をしており、私がいつも観劇前の腹ごしらえをしていたお粥屋さんがなくなっていた。大ショックだ。最近、胃腸の調子があまり良くないというのに、何を食べたらいいのだろう。仕方なくラーメン屋さんに行った。私の苦手な背脂が浮かんだ、ぎとぎとこてこてのスープだった。でも意外とうまかった。食べた後、腹はなんともなかった。何事も気にしすぎはよくないですね。

バレエ自体も久しぶりに観に来た気がする。でもそういえば、5月に松山バレエ団の「ロミオとジュリエット」を観たんだったなあ。でもあれはあまりにひどくて、観なかったことにしたのだった。だから牧阿佐美バレヱ団の「ロミオとジュリエット」以来、約3ヶ月ぶりのバレエ鑑賞である。

「ドン・キホーテ(Don Quixote)」、音楽はルードヴィヒ・ミンクス、編曲はジョン・ランチベリー、原振付・原台本はマリウス・プティパ、改訂振付・台本・演出はルドルフ・ヌレエフ、舞台装置はラファエーレ・デル・サヴィオ、衣装はアンナ・アンニによる。このヌレエフ版「ドン・キホーテ」がミラノ・スカラ座バレエ団によって初演されたのは1980年であり、キトリ/ドルシネアはカルラ・フラッチが、バジルはルドルフ・ヌレエフ自身が踊った。

主なキャスト。ドン・キホーテ:フランチスコ・セデーニョ;サンチョ・パンサ:ステファーノ・ベネディーニ;ロレンツォ(キトリの父親):マシュー・エンディコット;

キトリ/ドルシネア:マルタ・ロマーニャ(昼)、タマラ・ロホ(夜);バジル:ミック・ゼーニ(昼)、ホセ・カレーニョ(夜);

ガマーシュ:ヴィットリオ・ダマート;キトリの友人:モニカ・ヴァリエッティ(昼)、アントネッラ・ルオンゴ(昼)、マリア・フランチェスカ・ガリターノ(夜)、ラーラ・モンタナーロ(夜);街の踊り子:ベアトリーチェ・カルボーネ;エスパーダ:アレッサンドロ・グリッロ;

闘牛士たち:クリスティアン・ファジェッティ、ジュゼッペ・コンテ、マッシモ・ガロン、ルイジ・サルッジャ、フランチェスコ・ヴェントゥリーリア、アンドレア・ボイ;

ジプシーの王:ダニーロ・タピレッティ;ジプシーの女王:カロライン・ウェストコーム;ジプシーの男:サルヴァトーレ・ペルディキッツィ(昼)、アントニーノ・ステラ(夜);ジプシーの娘:ラファエラ・ベナーリア、ルアーナ・サウッロ;

ドリアードの女王:ジルダ・ジェラーティ;キューピッド:ブリジーダ・ボッソーニ(昼)、ソフィー・サロート(夜);3人のドリアード:アントネッラ・アルバーノ、モニカ・ヴァリエッティ、ステファニア・バローネ;4人のドリアード:ラファエラ・ベナーリア、アントネッラ・ルオンゴ、ルアーナ・サウッロ、コリンナ・ザンボン;

花嫁の付き添い:マリア・フランチェスカ・ガリターノ(昼)、セレーナ・サルナターロ(夜);執事:マウリツィオ・タメリーニ;執事の妻:アデリーヌ・スレティー;ファンダンゴ:サビーナ・ガラッソ(昼)、アレッサンドロ・グリッロ(昼)、ベアトリーチェ・カルボーネ(夜)、ミック・ゼーニ(夜)。

演奏は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、指揮はデヴィッド・ガーフォース。

主なキャストの名前を書いていて思ったんだけど、ミラノ・スカラ座バレエ団の団員は、ほぼ全員がイタリア人らしい。なんかみんなイタ飯屋の料理名みたいだよねえ。所属するダンサーの国籍からみれば、もはやどこの国のバレエ団なのか分からなくなっているアメリカン・バレエ・シアター、英国ロイヤル・バレエ団などに比べれば大したものである(と事前にフォローを入れておこう)。

プロローグ。ドン・キホーテの書斎。なぜか気を失っているらしいドン・キホーテが、男と女の召使に引きずられるようにして現れ、ベッドに寝かせられる。ドン・キホーテはヘンデルやバッハのような白髪の横ロールヅラをかぶっており、いちおう貴族らしいことが窺われる。

女の召使は床に山積みになっている本を指さすと、自分の頭の脇に沿って両手をひらひらさせ、そして暖炉を指さす。「ご主人様はこんな本ばかり読んでいるから頭がおかしくなっちゃうのよ。燃やしちゃいましょう」と言っているらしい。彼らは大きくて重そうな本を抱えると、勢いよく暖炉の中に放り込む。

それと同時にドン・キホーテが飛び起きる。ドン・キホーテ役のフランチスコ・セデーニョは、白髪のライオン・ヘアで、目の下に隈を作っていて顔色は悪い。召使たちはびくっとして暖炉の陰に隠れ、ドン・キホーテの様子を窺いながら、こっそりと逃げ出してしまう。ドン・キホーテは床に落ちていた別の本を手に取って眺め、また机の上に広げてあった大きな本を読み耽る。徐々に興奮してきたドン・キホーテは、机の上に置いていた剣を手に取って、机の表面を斬りつける。すると、机の隅に置いてあった兜がまっぷたつに割れてしまう。

そこに、部屋の奥からヴェールをかぶった女性が現れ、ドン・キホーテに向かって懇願するように両手を組む。ドン・キホーテは妄想モードに入っていて、現れた女性は彼の理想の姫君、ドルシネアである。ここで登場するドルシネアは、キトリ役のダンサーとは別の人だった。

ドルシネアが姿を消すと、茶色い大きなマントに身を包み、骸骨のような恐ろしい仮面をかぶった者たちが現れてドン・キホーテを威嚇する。ドン・キホーテは剣を抜くと彼らに斬りかかる。彼らが姿を消すと、ドン・キホーテは今度は壁に映った自分の影を敵だと思い込んで剣を振り上げる。完全にイっちゃってます。

サンチョ・パンサが鶏を片手に逃げ込んでくる。その後を女中たちが追い回す。台所から鶏を失敬したらしい。サンチョ・パンサと女中たちはドン・キホーテの机の周りをドタバタと走り回る。サンチョ・パンサ役のステファーノ・ベネディーニは背が低く、前髪のある短い髪型で黒髪、腹に詰め物をして太っているようにみせている。けっこうかわいい。

サンチョ・パンサはドン・キホーテに助けを求め、女中たちに鶏を投げて返す。女中たちは怒りながら出ていく。サンチョ・パンサは手を口にやっては腹を叩き、しきりに腹が減った、という仕草をする。ところがドン・キホーテは手を胸に当てて前方を指さし、意中の女性(ドルシネア)を探す旅に出る、と宣言する。ドン・キホーテはサンチョ・パンサに自分の鎧や剣を持って来させ、着替えを手伝わせる。ところが兜はさっき自分で叩き割ってしまったのでない。ドン・キホーテは洗面器の中身をぶちまけ、洗面器を兜代わりにかぶって出発する。

舞台は変わってバルセロナの広場。左手に高級ホテルらしき立派な石造りの建物、右手にロレンツォの経営する安っぽい宿屋のセットがあって、ロレンツォの宿屋の前には机と椅子が置いてある。「ジゼル」や「ラ・バヤデール」と同じで、「ドン・キホーテ」のセットも、どのバレエ団の公演でも同じようなものになるんですね。ちなみに背景は石造りの古風な建物が重なるバルセロナの街並み(行ったことないけど)。

舞台上には赤、えんじ、オレンジ、茶色という、いかにも「ドン・キホーテ」な衣装のダンサーたちが行きかっている。カラフルな美しい光景なのだろうけど、私は最近、疲れが昂じてすべての感覚が鈍っているので、なんでみんな似たような色の衣装しか着ていないんだろう、個体が識別しにくいじゃないか、としか思わなかった。

そこへキトリが登場する。ヌレエフ版「ドン・キホーテ」のキトリ登場のソロは、私はシルヴィ・ギエムのリハーサル風景の映像しか観たことがない。よって脳内で比較する対象はもちろんギエムの踊りである。かねがね、これは他の「ドン・キホーテ」のキトリのソロよりも振付がかなり複雑で大技がてんこもり、しかも踊る時間が長すぎると思っていた。昼公演のキトリ役である、ミラノ・スカラ座バレエ団のプリンシパル、マルタ・ロマーニャはどう踊るのだろう?

ロマーニャは顔が小さく、長身で、首が長くて細く、また腰が驚くほどほっそりとしていて、手足も細くて長く、すばらしいきれいな体型をしていた。プロフィールの写真とは顔がかなり違ったが、たぶん「キトリっぽい」濃いメイクをしていたせいだろう。個人的には、ロマーニャは素顔のほうがかわいいし、前髪も垂らしたほうがよかったと思う。衣装はこれまたキトリお約束の赤い膝下丈のドレスである。

彼女の踊りについては、振付をこなそうと必死に頑張っているのはよく分かったが、一つ一つの動きをきっちりと決めないうちにあわてて次の動きに移る、という中途半端な踊りになっていた。まるきりスムーズでなく、しかも音楽から外れまくっていた。よって美しくなかったし、カッコよくもなかった。先行きが不安になった。

夜公演でキトリを踊ったタマラ・ロホは、背が低くて、手足もさほど長くはなく、体型という点ではロマーニャには及ばない(でもロホの肌はすごく白くて美しい)。しかし、ロホの踊りは段違いだった。あの(無駄に)複雑でタフなキトリ登場のソロを完璧に踊ってみせたのである。脚はすっと高くあがるし、余裕をもってそれぞれの振付をこなし、音楽にも合っている。最後は扇をさっと広げて、音楽にバッチリと合わせて見得を切った。

間をおかずに、今度はバジルが登場する。ソロを踊り終わったキトリ役のダンサーへまだ拍手しているうちに、バジル役のダンサーが出てきたので、観客はあわてて拍手を続ける。バジルはでっかいギターを持っていて、ゆっくりと足と爪先を動かしながらソロを踊り始める。

途中から大技に移行するとき、バジルは持っていたギターを後ろへ放り投げ、街の若者たち役のダンサーがそれをキャッチする。昼公演では、バジルを踊ったミック・ゼーニがギターを放り投げると、後ろにいたダンサーたちはギターをキャッチし損ねて、ガチャーン!!という大音響とともに床に落ちた。さすがはイタリア人だ。何事にも大らかである。

ところで、バジルって、登場するときにソロを踊るんだっけ?これはヌレエフ版オリジナルの踊りなのだろうか。このバジルのソロの振付も(無駄に)複雑でタフだった。足や爪先を小刻みに動かすわ、回転はあるわ、ジャンプはあるわ、最後には回転ジャンプしながら舞台を一周するわ、実に賑やかだった。ヌレエフの振付の法則。絶対に逆方向への動きがある。特に回転系の技では、必ず右に回ったら次には左に回る。それから振りと振りとの間に余計な(と感じられる)小技を入れて、振付をいっそう複雑にする。

昼公演でバジル役を踊ったミック・ゼーニはこのソロをよく踊っていた。でも、たとえば前に蹴り上げるようにするジャンプはすぐに着地してしまって、なんというか余裕がない。せかせかしている感じである。夜公演のバジル役、ホセ・カレーニョの踊りはゆったりとしていて、動きが柔らかかった。ふんわりしている感じである。

キトリは恋人のバジルをわざと無視する。バジルはキトリの友人たち(オレンジ色のドレスを着ている)にちょっかいを出す。それを見たキトリはカチンとしたらしく、バジルから友人たちを引き離す。この引き離し方がロマーニャとロホでは違っていて、ロマーニャは怒った顔で「あんたたち、どきなさいよ!」という感じで、ロホは微笑みながら(でも目はバジルを睨みつけている)「あなたたち、ちょっとどいてくれる?」という風に引き離していた。

ロマーニャの演技はとてもよかった。上品でしかもかわいらしかった。なんとなくザハロワ風である。ロホは素顔そのものが濃いスペイン顔なので(スペイン人なので当たり前だが)、どんなに情熱的で気の強いキトリになるかと思ったら、意外と抑え目で基本的には冷静で落ち着いた雰囲気のキトリだった。

ロホのキトリは妖艶でもないし、お約束的に天真爛漫とか感情が激しいとかでもなく、でも冷静な顔を微妙に変えたり、表情は変えずに目つきや仕草だけで演技したりしていて、とても魅力的だった。私はロホにはあまり良い印象を持ってなかったが(「ロミオとジュリエット」での演技が気に入らなかった)、自分の見た目と演技とのバランスをよく考えているんだなあ、と感心した。

これもヌレエフ版のオリジナル演出なのだろうか。キトリとバジルはお互いが持っていた扇とギターを交換する。ギターを持ったキトリの周りに男たちが群がる。今度はバジルがそれを見てムッとし、キトリから男たちを引き離す。男女平等でいいねえ。

そしてキトリとバジルは一緒に踊りだす。ロマーニャ&ゼーニとロホ&カレーニョで違うのは、技術以前に演技力と表現力だと思う。ロホとカレーニョの掛け合いは、見ていてすごく楽しい。でもロマーニャとゼーニの掛け合いを見ていても、あまり面白いとは感じない。ロマーニャはちゃんと演技していたけれど、ゼーニは表情に乏しくて、なんか印象が地味だった。あと、「客に見せる力」でも違いがあった。ロホ&カレーニョは有無を言わさぬ主役オーラを放出していたが、ロマーニャ&ゼーニは控えめだった。これは踏んできた場数の差だろうか。

街の人々がキトリとバジルを取り囲んで囃したてる。そこへキトリの頑固オヤジ、ロレンツォがやって来る。ロレンツォは人並みをかき分けてキトリを引きずり出す。バジルは思わずロレンツォに殴りかかりそうになるが、キトリの父親だと気づいて手を引っ込める。

ロレンツォはバジルに、キトリと結婚したかったら金を出せ、と要求する。バジルは両腕を広げて「僕は金を持ってないんです」という身振りをするが、ふとカミソリを持った手つきをして、自分の顎を剃るような仕草をし、「床屋稼業でこれから金を儲けますから」とロレンツォを説得しようとする。だがロレンツォがうんと言うはずもない。バジルはロレンツォに近づくと、その腰から財布を抜き取り(←副業でスリでもやってるのか)、それをロレンツォに渡してキトリと抱き合いキスをする。ロレンツォはバジルの小細工にすぐに気づき、再びバジルをキトリから引き離す。

激怒したロレンツォは帽子を脱いで床に叩きつける。キトリは友人たちに促され、ロレンツォをなだめようと帽子を拾い、ロレンツォの頭にかぶせてやり、ロレンツォに甘えるように抱きつく。ロレンツォの帽子は後ろに毛の飾りが付いたもので、マルタ・ロマーニャはなぜか帽子を前後逆にかぶせていて、ロレンツォ役のマシュー・エンディコットの顔の前に毛の飾りがぶら下がっていた。あれは笑いを取るためにわざとやったのか、それとも単なるミスなのか。わざとやったとしたら、ああいうところで観客の笑いを取れない、というのがロマーニャの弱い点なのである。ロホは普通にかぶせていた。

キトリとバジルはロレンツォの前に跪き、なんとかふたりの仲を許してもらおうとする。しかしロレンツォはバジルを突き飛ばし、キトリを引きずって宿屋の前の椅子に座らせる。

そのとき、左手の高級そうなホテルのドアが開き、中からガマーシュが現れる。黄色の日傘を差し、シャツにネクタイを締め、ベストの上に燕尾服を着て淡い色のズボンを穿き、シルクハットをかぶっている。髪型はもやもやのアフロヘアーで、メイクは薄めのおてもやんメイク。ヌレエフ版のガマーシュってこんななの?ハデで超悪趣味な色のちょうちんブルマー、エリザベス・カラー、フリル、リボン、タイツ、オカマのような厚化粧を期待していたわたくしは一瞬、「こんなのガマーシュじゃな〜い!」と心の中で叫びました。

それはさておき、ガマーシュの服装を見て、あれ、ヘンだな、と思った。これはせいぜい18世紀末から19世紀の服装だよね?よく見ると、踊りの輪には加わらずに舞台の奥に座ったり立ったりしている、物語の傍観者的役割である人々の服装は、男性はスーツ、女性は腰の後ろで布を絞って盛り上げた形のスカートなど、みな18世紀末から19世紀にかけてのモードなのである。それがキトリやバジルなど、バルセロナの人々のスペイン風の衣装とギャップがあって、ちょっと興味深かった。

ガマーシュはキトリを一目見て気に入り、ロレンツォにキトリとの結婚を申し込む。ロレンツォは嫌がるキトリを持ち上げて、無理やりガマーシュと腕を組ませる。ロレンツォに持ち上げられたキトリは、人形みたいに体を真っ直ぐにしていて、ぽん、と床に置かれて笑えた。キトリはガマーシュと腕を組んで歩きながら、後ろからガマーシュの頭を何度も叩いてからかう。キトリは最後にガマーシュを突き飛ばすと逃げていってしまう。

街の人々の群舞が始まる。上にも書いたように、私は最近、あらゆる感覚が鈍っているので、ひょっとしたらこれはまるきり見当違いの感想かもしれない。この街の人々による群舞はまったく美しくなかった。みな似たような色の衣装を着ているので、単なる同系色の色の雑踏を見ているようだった。

一人一人の動きのタイミングがみな違うし、列と列、またペア同士の間隔もそれぞれ異なる。たとえばダンサーたちが一斉に腕を上げるとする。まず上げるタイミングが揃っていない。上げた腕の方向や角度もみなバラバラである。昼公演は「なんてひどい群舞だ」と思ったが、夜公演は昼よりはマシに見えた。私の目が慣れたせいだろうか。それともダンサーたちが昼公演では手を抜いていたのだろうか。イタリア人だし。

街の踊り子(ベアトリーチェ・カルボーネ)と闘牛士たち、そしてエスパーダ(アレッサンドロ・グリッロ)が現れる。ヌレエフ版「ドン・キホーテ」ではメルセデス(だっけ?)が登場しない。メルセデスと街の踊り子はキャラがかぶってる部分があると思うので、私にはこのほうが分かりやすい。

街の踊り子の衣装は忘れた。プログラムを見ると、黒地に紅の入ったドレスで、なかなかセンスが良い。でも、闘牛士たちとエスパーダの衣装はプログラムに載っているのとは違っていて、改悪されていた。中でもエスパーダの衣装は最悪である。淡い紫の衣装で、靴下と腰に巻いたベルトがピンクだった。また、闘牛士の数が異常に少なくて寂しかった。ボリショイ・バレエの公演では10人以上も増殖していた気がするが、この公演ではたったの6人しかいない。音楽は勇ましくてカッコいいのだが、衣装の色はヘンだし、闘牛士の数は少ないし、踊りもあまりカッコよくなかった。

闘牛士たちが一斉に短剣を床に突き刺す。街の踊り子は短剣が形作る空間の中でジャンプしたり、回転したりして踊る。そして最後には縦一列に突き立てられた短剣の間を縫って、爪先立ちで前から後ろに移動していく。ところが、ここは爪先立ちで狭い空間を移動していく踊り子の技のみせどころなのに、闘牛士たちが踊り子の両側に立って、闘牛用の布をヒラヒラさせるので、踊り子の姿がよく見えなかった。

街の踊り子を踊ったベアトリーチェ・カルボーネと、エスパーダを踊ったアレッサンドロ・グリッロはなかなかよかった。でも、エスパーダ役のグリッロも、小柄で顔つきが地味なせいか、あまり華やかでカッコいいという感じはしなかった。このバレエ団には、パッとするダンサーがどういうわけかいないんだよなあ。

なんでか知らないが、この後、街の若者たちと闘牛士たちとがケンカを始める。大騒ぎになったところで、馬に乗ったドン・キホーテがサンチョ・パンサを従えて登場する。ドン・キホーテが乗った馬は、大きくて立派な細工が施された木製(たぶん)の装置で、ぬいぐるみではない。ドン・キホーテは馬から下りようとするが自力では下りられず、サンチョ・パンサに支えられて下りる。ドン・キホーテは全身を錆びた銀色の鎧で覆っていて、馬から下りた後も鎧の重みに耐えられずによろよろと歩く。そのたびにガッシャン、ガッシャン、と鎧が音を立てる。

ロレンツォはいちおう貴族らしいドン・キホーテをうやうやしく出迎え、ドン・キホーテはロレンツォの宿屋の前の椅子に腰を下ろす。街の娘たちはサンチョ・パンサをからかい、彼に目隠しをして扇で叩きまくる。いじめるなんてかわいそーじゃん、と思って見ていたが、サンチョ・パンサは目隠しをほどくと、今度は逆に自分をからかった娘たちのスカートをめくりまくる。細かいけど、ちゃんとバランスが取れている演出でいいよね。

街の若者たちや闘牛士たちがサンチョ・パンサを胴上げして空中に放り投げ、サンチョ・パンサはそのたびに空中で両脚をバタバタさせる。ヌレエフ版は、トランポリンは使わずに人力でやるんですね。素人やプロ野球チームがやる滞空時間の短い胴上げじゃなくて、両脚をバタつかせる余裕のあるゆっくりした高い胴上げだったので、さすがはバレエ団、と感心した(なんでこんなことに感心しなくてはならないのか)。そこでやっとドン・キホーテがサンチョ・パンサを助ける。

キトリの2人の友人が踊る。正直言うと、ここでようやく、このややオレンジがかった色のドレスを着たダンサー2人がキトリの友人役だと気がついた。上に書いたように、みな同じようなデザイン、同じような模様、同じような色彩のドレスを着ているので、誰が誰だかよく分からないのである。

途中から再びキトリとバジルが現れて、両脚を前に蹴り上げるように高く上げて踊る。踊り終わると、ドン・キホーテがキトリの前にやって来て、片膝をついて跪き、片手を差し出して丁寧なお辞儀をし、キトリの手をとって接吻する。しょせんは一介の町娘にすぎないキトリは、いきなりこんな貴婦人に対するような丁寧な挨拶をされて戸惑う。

キトリとバジルはゆっくりした音楽に乗って一緒に踊り始める。ここの踊りから、ようやくサポートやリフトが入る。昼公演のマルタ・ロマーニャ&ミック・ゼーニのペアは、ふたりのタイミングがあまり合っていなかった。ゼーニがロマーニャの体をもてあましている感があって、回転するロマーニャの体が、支えられているはずなのに徐々に斜めに倒れていったり、ゼーニがロマーニャを持ち上げるときも、よいしょ、といった感じであった。夜公演のタマラ・ロホ&ホセ・カレーニョのペアは非常に息が合っていて、やっぱり「見せる」のが上手いよなあ、と感心した。

ドン・キホーテがキトリの手を取って、それからキトリの友人たちがそれぞれバジル、ガマーシュと組んで、しずしずとメヌエット(?)を踊り始める。バジルはドン・キホーテがキトリにした挨拶、手の甲への接吻が気に入ったらしい。なぜかやたらとキトリの友人の手を取ってキスしまくる。それを見つけたキトリはまたもやカチンとくる。キトリはドン・キホーテと踊りながら、さりげなくバジルたちに近づいていって、扇でバジルの肩を叩く。だがバジルは相変わらずぶちゅぶちゅとキスしまくっている。

それからのタマラ・ロホの演技が面白くて、ロホのキトリはムキになって、ばしばしばし、とバジルの体を扇で無茶苦茶に叩きまくる。会場は大爆笑。やっと気づいたバジルは怒るキトリに向かって歩み寄る。ここでのホセ・カレーニョとタマラ・ロホの掛け合いがやっぱり笑えた。カレーニョのバジルは、ドン・キホーテを指さすと、寄り目になって、両手でドン・キホーテの髪型とアゴヒゲの真似をする。「あんなイカれたじじいなんかと踊っちゃってさー」というのである。カレーニョの表情と仕草がとにかくおかしい。客席から大きな笑い声が起きる。

すると、ロホのキトリはキトリの友人たちを指さすと、自分の手の甲にぶちゅぶちゅぶちゅ、とキスしまくる。「あんただって、他の女の子にキスしまくってたじゃない!」というのである。まるでキトリとバジルの痴話げんかが聞こえてくるようで、会場から大きな笑いが起きた。ミラノ・ペアによる同じシーンでは笑いは起きなかったから、ロホやカレーニョが強いのは、やっぱりこういう演技力や表現力なんだと思った。

怒ったままのキトリをバジルが持ち上げて、キトリとバジルは再び一緒に踊り始める。ふたりとも顔はまだぶーたれているが、でも内心ではやっぱり相手のことが大好きなのだ。そのことが分かるような、ほのぼのとした雰囲気の踊りだった。

このキトリとバジルの踊りはどうもグラン・パ・ド・ドゥらしい。キトリが引っ込むと、バジルがソロを踊り始める。両脚をひし形に曲げて横に跳ぶ、という振付を何度も繰り返すのが印象的だった。ミック・ゼーニも頑張っていたけど、やはりホセ・カレーニョの人のよさげなニッコリとした笑顔と、余裕あるゆったりした動きにはかなわない。

この後でキトリがソロを踊るのかと思ったら、バジルがキトリの友人たちと踊り始めた。これでは、バジル役のダンサーは大変だわ。バジルを真ん中に挟んで、キトリの友人たちがその両脇で踊るのだけど、バジルとキトリの友人たちが連続して前後に交差して踊る部分があって、そこでミック・ゼーニはキトリの友人役のダンサーたちと「接触事故」を起こしていた。さっきのマルタ・ロマーニャ扮するキトリとの踊りでもそうだったけど、同じバレエ団の団員同士で踊っているのに、なんでこんなにタイミングが合わないのか?

次はキトリのソロ。片脚を高く前に上げて、ジャンプ、爪先立ちで移動、エビぞりジャンプ、片脚を軸に回転しながら後ろから斜め前に移動していって、最後は回転して決めのポーズ、という、拷問としか思えない振付である。

マルタ・ロマーニャは、予想はしていたが、途中でバッテリー切れになってしまった。片脚で回転しながら斜め前に移動していくうちに、回転する速度が落ちていって、回転するたびに膝まで上げるもう片脚が上がらなくなっていた。疲れて脚が動かなくなっているのが見ていて分かった。テンポの速い音楽で、しかもテンポが徐々に速まっていくので、ダンサーもそれに合わせて動きを早くしないといけないのだ。ロマーニャは最後の決めの音楽に間に合わず、やや遅れてなんとか決めのポーズを決めた。かわいそうだけど、拍手は大きくはなかった。

タマラ・ロホは、最後までパワーとスタミナが落ちなかった。徐々にテンポが速くなっていく音楽に合わせて回転のスピードを速めた。回転する軸足は微動だにせず、膝まで上げる片脚の高さも一定を保っている。最後は音楽に合わせて冷静沈着な表情でポーズを決めた。大きな拍手喝采が送られたことは言うまでもない。踊りさえすばらしければ、体型の短所はカバーできるのだ、としみじみ思った。

最後はコーダということになるのだろうか。バジルがポーズを取ったキトリを頭上高く持ち上げて静止する見せ場である。ミック・ゼーニは両手でマルタ・ロマーニャの腰を支えて持ち上げたが、足元がよろめいて、秋田名物竿灯のように、前に何歩か歩いて辛うじてバランスを保った。2回ともそうだった。ホセ・カレーニョは片手でタマラ・ロホの腰を支えると、その場で立ち尽くして微動だにしなかった。2回ともそうだった。当然のことながら拍手が送られた。

バジルはキトリを持ち上げたまま、その場から逃げていってしまう。ふたりは駆け落ちしたのである。その後をロレンツォ、ガマーシュ、ドン・キホーテ、サンチョ・パンサが追う。残った街の人々は、エスパーダと町の踊り子を中心に、舞台いっぱいに広がって踊り続ける。みなが踊り続けるうちに幕が閉じて第一幕が終わる。ヌレエフの振付の法則その二。ダンサーが踊り続けるうちに幕を下ろす。

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第二幕。暗闇の中、大きな風車小屋が舞台の奥に聳え立っている。左右の天井にも巨大な風車の羽根がかぶさっている。キトリとバジルが駆けてくる。バジルはふたりでくるまっていた大きな赤いショールを床に敷くとその傍に座り、キトリにショールの上で休むよう促す。ふたりの間になんとなく色っぽい雰囲気が漂い、キトリは戸惑っているのか、それとも照れくさがっているのか、なかなかショールの上に横たわろうとしない。ちなみにこの赤いショール、薄っぺらくて色褪せていて端っこがほつれていて、駆け落ち者にはまさにふさわしい、安っぽくてビンボーくさい代物だった。

やっとキトリはショールの傍に座るが、ショールを床から取り去ってしまう。バジルはキトリの体の上を側転して横断する。なめらかできれいな側転だったけど、なんかこういうふうに無意味に側転するところがヌレエフだ。更にヌレエフなのは、キトリとバジルがふざけて床の上で同時に転がるところで、うつ伏せになったときに、ふたりが同時に片脚を上げてポーズを取る。なにも転がっているときまで踊らなくてもいいだろうに。

ふたりは立ち上がって一緒に踊り始める。バジル役のホセ・カレーニョがキトリ役のタマラ・ロホをリフトしながら回転し、ロホは両脚を美しい形に開いている。この踊りはきれいだった。ここでもバジルのソロがあって、足や爪先を細かく複雑に動かしたり、大きくジャンプした瞬間、ダイナミックに両脚を入れ替えたり、片脚を真横に上げたまま半回転したり、またもや難しそうな技術がてんこもりな踊りだった。特に跳んだ瞬間に両脚を入れ替えるジャンプ、片脚を真横に上げながら半回転するジャンプは、ホセ・カレーニョの動きはゆっくりでなめらかで、また脚の線も美しく、とてもきれいだった。

更にきれいだったのが、赤いショールを再び両手に持ったキトリを、バジルが頭上高く持ち上げるリフトである。カレーニョはロホの腰を持って高々と彼女を持ち上げ、ロホはほとんど逆さまになった状態で両脚を180度開いていた。赤いショールがカレーニョの背後に翻ると同時に、ピンと上に伸ばしたロホの片脚が鋭い流線を描いて、非常にカッコよかった美しかった。このショールを用いた踊りでは、「ラ・バヤデール」第三幕「影の王国」でのニキヤとソロルの踊りを思い出した。

バジルがキトリの体を床すれすれに支えると、今度はキトリが赤いショールを床にふわりと敷く。キトリはその上に横たわり、バジルがキトリの体の上にかぶさる。ふたりが重なって抱き合い、さあいよいよ、というところで、奥の暗闇の中に多くの人影がむっくりと起き上がる。ジプシーの人々がすぐ傍で眠っていたのだった。

眠っている傍でドタドタとやかましく踊り、更にイチャイチャするバカップルほど傍迷惑なものはない。安眠妨害されたジプシーの人々は激怒し、キトリとバジルを取り囲み、手をつないでいるふたりを無理やり引き離す。バジルは自分たちは愛し合っているが追われている身だ、とジプシーたちに必死に説明する。

そこへロレンツォとガマーシュが、キトリとバジルを追って現れる。続いてドン・キホーテとサンチョ・パンサも登場する。それを見たキトリとバジルは、なんとか自分たちをかくまってくれるよう、跪いて腕を組み、ジプシーの人々に懇願する。ジプシーの人々はその見返りを要求する。

バジルは困り果てるが、キトリははた、と思いついて、自分がつけていた金のイヤリングをジプシーの女王に差し出す。ジプシーの女王はイヤリングを咬んで(←細かい演出だ)本物の金であることを確かめると、キトリとバジルに大きな袋を渡す。何が入っているのだろう?キトリとバジルはその袋を持っていったん退場する。ジプシーの人々はその間に、ロレンツォ、ガマーシュ、ドン・キホーテ、サンチョ・パンサに向かって踊りを披露する。

裸の上半身にベストだけを身につけ、ズボンを穿いたジプシーの男が、長い鞭を持って登場する。音楽がチャールダーシュ風のエキゾチックな音楽になる。ジプシーの男は長い鞭を振り回して床に叩きつけながら、オカマが内股で歩くようなステップで踊る。最後に、ジプシーの男はコサック・ダンスのように、しゃがみこんでは片脚を前に伸ばす、という振りで、舞台の前面を一周した。マッチョでアクロバティックな踊りで、観客は大きな拍手を送る。

かがんだ女性のジプシーたちの上を、ジプシーの男たちがジャンプして飛び越え、更にその男たちの上を、鞭を振り回していたジプシーの男がジャンプして飛び越え、それからみなで一斉に正面を向いて決めのポーズを取る。この踊りには盛んな拍手喝采が浴びせられ、ブラボー・コールも飛んだ。

威勢が良くて観ている側の気分が高揚する踊りではあって、なんだか「ラ・バヤデール」第二幕の「太鼓の踊り」と感じが似ている。こういうパワフルでアクロバティックでマッチョな踊りはウケるんですな。特に昼公演では、肝心のキトリ役とバジル役のダンサーがヘタレ(ごめん)だっただけに、観客はこの踊りで最も盛り上がっていたと思う。ちなみに、ジプシーの男を踊ったサルヴァトーレ・ペルディキッツィ(昼)と、アントニーノ・ステラ(夜)の踊りは同じくらいよかったけど、鞭の使い方はステラのほうが上手で様になっていた。

ジプシーの女2人が踊り始める。その途中から、きらきらした派手な色と模様の、ナイトキャップのような帽子をすっぽりとかぶり、顔半分を黒いヴェールで覆った女が現れて、ジプシーの女たちと一緒にエキゾチックな振りで踊る。ジプシーの女に変装したキトリである。同時にジプシーの男に変装したバジルも現れる。袋の中身は変装グッズだったらしい。バジルの変装だが、その顔を見て笑ってしまった。バジルは茶色いアゴヒゲを付けていて、それがあまりにも「付けヒゲです」という感じでマヌケだった。特にカレーニョは、付けヒゲが徹底して似合っていなくて非常に笑えた。

ジプシーに変装したキトリとバジルは、ドン・キホーテ、サンチョ・パンサ、ロレンツォ、ガマーシュの前で見せつけるように一緒に踊ってみせる。この踊りには奇妙な振りがあった。ドン・キホーテたちに向かって、キトリとバジルは交互に前に出て両腕を前に差し出し、両手の指をゆらゆら〜ん、と揺らすのである。魔女が魔法をかけるときのような、またはMr.マリックが「ハンド・パワーです」とやるときのような仕草で、まったくもって意味不明な振りである。キトリとバジルは背中を互いに密着させ、キトリは大胆にもバジルの両のフトモモをセクシーな手つきでなぞる。

キトリとバジルは途中で姿を消す。再びジプシーたちの群舞が始まり、パワフルで威勢の良い踊りを披露する。それが終わると、舞台の右に小さな木製の舞台が運び込まれる。小さな舞台の幕が開く。マペット劇の始まりであるが、このヌレエフ版ではマペットではなく生の人間の子どもが劇を演ずる。子どもたちは全員日本人だった。キャスト表によると、東京バレエ学校の生徒さんたちらしい。みな6、7歳くらいだったろうか。

ボリショイ・バレエの「ドン・キホーテ」では、マペット劇でドルシネア姫の物語が演じられるが、ヌレエフ版ではキトリとバジルの物語が演じられる。バジルの扮装をしたガキと、ロレンツォの扮装をしたガキが何かの約束をする。次にガマーシュの扮装をしたガキが現れて辺りを眺めまわし、ロレンツォ役のガキとまたもや何かの約束をする。それから赤いドレスを着たキトリ役のガキが現れて、バジル役のガキと抱き合う仕草をし、一緒に退場する。するとガマーシュ役のガキとロレンツォ役のガキが手を額の上にかざし、その後にナポレオン帽をかぶった兵士役のガキどもがつき従う。

寸劇を演じた子どもたちの仕草は、からくり人形のようにカクカクとした動きであった。子どもたちが小さな舞台の両脇から退場するたびに、ダンサーたちが子どもたちの小さな体を抱きかかえて、舞台から下ろしてやっているのがほほえましかった。

つまり、ロレンツォは最初はバジルにキトリとの結婚を許すが(本当はそうじゃないのだが)、ガマーシュが現れると心変わりして、バジルとの約束を破る。愛し合っているキトリとバジルは駆け落ちする。そのふたりの後をガマーシュとロレンツォが兵士たちを従えて追う、という筋書きである。

ドン・キホーテはこの寸劇を観て激怒する。最初の約束を破って、愛し合うキトリとバジルを引き離そうとするロレンツォはけしからん、兵士たちを引き連れてキトリとバジルを追うガマーシュもけしからん、というわけである。ドン・キホーテは剣をかざして舞台に駆け寄ると、舞台をメチャメチャに破壊してしまう。

そこでいきなり、笛の音のような鋭い風の音が響く。同時に舞台の奥にある風車小屋の大きな風車がゆっくりと動き始める。あの風の音はオーケストラが出していたのだろうか?何の楽器をどういうふうに吹けばあんな音になるのだろう。ドン・キホーテの目が大きな風車に向く。ドン・キホーテは槍を振りかざすと、風車に向かって突進する。

ドン・キホーテの姿が風車小屋のあたりで消えた途端、大きな風車の羽根にドン・キホーテの体が引っかかって吊り下げられているのが見える。これはもちろん人形である。ドン・キホーテは風車から投げ出されて地面に落下する。

そのとき、姿を消したはずのバジルが現れる。ロレンツォとガマーシュは騙されたことに気づき、バジルの後を追って駆けていく。

サンチョ・パンサが、気絶したドン・キホーテの体を引きずって舞台の真ん中に横たえる。ドン・キホーテは目を覚まさない。サンチョ・パンサは(たぶん)助けを求めるためにいったん退場する。ドン・キホーテはふらつきながらも意識を取り戻す。

すると、大きなマントに身を包んだ死神のような者たちが現れてドン・キホーテを脅す。プログラムによると彼らはジプシーたちが扮した「幽霊」らしい。その中には、黒いマントですっぽりと全身を覆った、身長が3〜5メートルもある幽霊もいた。「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」そっくりだった。これはマントの内部で複数のダンサーが肩車をしていたのか?それとも1人のダンサーが長い棒を持って支えていたのか?

幽霊たちが姿を消すと、ドン・キホーテは舞台の前面にまろび出てきて座り込む。ドン・キホーテの後ろに紗幕が下りる。音楽がゆるやかで穏やかなメロディのものとなる。真っ暗な紗幕の向こうに、白いヴェールを頭からかぶった女性の姿が浮き上がる。ドルシネア姫である。

ここでまたヌレエフ。ドルシネア姫の背後には黒い衣装の男性ダンサーがいる。ドルシネア姫は爪先立ちで横に歩いてくるが、途中で背後の男性ダンサーに持ち上げられては、そのたびに両脚をひし形に曲げたり、左右に伸ばしたり、足を細かく連続して交差させたりする。なにもこんな場面で踊らなくてもねえ。ヌレエフは機会を無駄にせず、とことんまで踊らせないと気が済まないらしい。白いヴェールをかぶって持ち上げられるドルシネア姫は、なんだかクリオネそっくりだった。

ここで登場するドルシネア姫は、プロローグのように別のダンサーではなく、たぶんマルタ・ロマーニャとタマラ・ロホ本人だったと思います。ドルシネア姫は紗幕の前にやって来て、ドン・キホーテに近づくと、かぶっていた白いヴェールをドン・キホーテの首にかけてやる。

紗幕が開くと、舞台は一転して明るい森の中である。淡い緑色の短いチュチュを着たドリアードたち(森の精)が居並んでいる。真ん中にはドリアードの女王(ジルダ・ジェラーティ)、そしてピンクのチュチュを着たキューピッドが立っている。

キューピッドは金髪アフロのヅラをかぶっておらず、また白い古代ギリシャ風の衣装でもなかった。短いチュチュにティアラという出で立ちで、小さな弓を持っている。これは気に入った。キューピッドはドン・キホーテに向かって矢を放つ仕草をする。キューピッドを踊ったのはブリジーダ・ボッソーニ(昼)とソフィー・サロート(夜)で、ブリジーダ・ボッソーニは背の低い人であった。だからキューピッド役なのかしら。でもソフィー・サロートのほうは、背丈は普通の高さだった。

女性ダンサーたちはここではじめて短いチュチュ姿で登場する。これでイタリア人女性ダンサーの平均的な体型が分かった。背はそんなに高くなく、胴体、腕、脚の線に起伏があまりなく、こんな言い方をしてはわるいが、寸詰まりでずんぐりむっくりな体型である。彼女らに比べると、昼公演でキトリ/ドルシネア役だったマルタ・ロマーニャは、イタリア人にしてはずばぬけて恵まれた体型であることが分かる。一方、夜公演でキトリ/ドルシネア役だったタマラ・ロホは、イタリア人の群舞の中にいてもさほど違和感がない。

衣装に関しては、昼公演ではキューピッドとドルシネアの衣装はともに淡いピンク色で、これは色的に紛らわしいのではないかと思った。夜公演では、タマラ・ロホはどうやらマイ衣装で臨んだらしく、淡い水色のチュチュを着ていた。ドリアードの女王とドリアードたちは淡い緑、キューピッドはピンク、ドルシネアは淡い青色のチュチュで、色彩的には夜公演のほうがバランスが取れていた。

ドルシネアとドリアードの女王が同じ振りで踊るところがある。昼公演のドルシネア役だったマルタ・ロマーニャと、ドリアードの女王役だったジルダ・ジェラーティの踊りを見比べてみた。やっぱりマルタ・ロマーニャのほうが上手なようだ。

また、決定的に違うのはロマーニャとジェラーティの背丈および体型である。バレエではいかに容姿、とりわけ体型が大事なのかわかる。チャウさんが思うに、バレリーナの中には「プリマ体型」(勝手に命名)なる独特の体型を持つ人がいるのだ。ロマーニャは「プリマ体型」に分類されるが、ジェラーティはそうではない。ついでにいえばタマラ・ロホもそうではないのだが、「プリマ体型」ではないバレリーナもプリマになれるのが、彼女の属するロイヤル・バレエの長所である。

ドリアードたちの群舞については、あんまりよく覚えてない。でもドリアードたちの群舞を眺めながら、「これが新国立劇場バレエ団だったらなあ」と思ったことだけは覚えている。

ドリアードの女王がソロを踊る。おや?これは音楽といい振付といい、ルドルフ・ヌレエフとマーゴ・フォンテーンが踊った「海賊」のパ・ド・ドゥ(映像版)での、メドーラのソロとまったく同じではありませんか!ドリアードの女王役であるジルダ・ジェラーティの踊りを見ながら、わたくしの脳内では、マーゴ・フォンテーンの踊りが同時に自動再生されてしまった。

ソロの最後、ドリアードの女王は左脚を高く上げてから、その脚をぐるっと下げながら一回転する振りを何度も続ける。この技は他の作品でもよく見るが、華麗に見せるのが本当に難しい技だと思う。うーん、マーゴ・フォンテーンの勝ち。

キューピッドのソロは速くて細かいステップを次々と踏んでいく。ブリジーダ・ボッソーニ(昼)もソフィー・サロート(夜)もよかった(と思う)。

最後にドルシネアがソロを踊る。アラベスクのまま静止したり、緩やかに曲げた片脚(爪先立ちしている)を軸にして、もう片脚の膝から下を細かく振っていったり、片脚を曲げて爪先を膝まで上げた姿勢から(もう片脚はやっぱり爪先立ちしている)、その片脚を一気に外側に向けてアラベスクの姿勢に変えたり、最後は片足を軸に回転しながら舞台を一周したりと、これまた殺人的な振付であった。特に片脚を内側に曲げた姿勢から、今度はその脚を外側に伸ばしてアラベスクの姿勢になるところでは、さすがのロホも辛そうだった。

再びドリアードたちの群舞が始まり、彼女たちが舞台の左に斜めに並んだ横を、ドルシネア、続いてドリアードの女王が、大きくジャンプしながらやって来る。ドルシネア、ドリアードの女王、キューピッドを先頭に、ドリアードたちがゆらゆらと踊る。ドン・キホーテはその前に跪く。妖精たちがゆ〜らゆらと踊っている中、幕が下りる。第二幕も、ダンサーがまだ踊っているうちに幕を下ろしやがった。ヌレエフの法則その二(だったっけ?)である。

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第三幕は居酒屋の中。エスパーダとキトリの友人たちが踊っている。彼らは黒い小さな杯を手に取ると一気に飲み干し、杯を後ろへ放り投げる。放り投げられた杯は、うまいこと後ろのカーテンの陰に飛んでいって、なんか感心した。

エスパーダ(アレッサンドロ・グリッロ)の踊りでは、回転ジャンプして着地するタイミングが音楽にズバリ合っていて、しかも足元もふらつくことなく着地し、そのままポーズを取って手拍子を打つ。地味系のエスパーダだと思っていたが、これはとてもカッコよかった。

それからキトリとバジルも姿を現わす。ジプシーの野営地を去った後、彼らは居酒屋に逃げ込んでいたのだった。ふたりともジプシー風の衣装を着たままで、キトリは、おばちゃんがよくかぶるような、ハデなキンキラキンのナイトキャップ風頭巾をまだかぶったままである。よほど気に入ったらしい。(私の記憶では、昼公演のマルタ・ロマーニャは、このナイトキャップ風頭巾を第三幕ではかぶっておらず、夜公演のタマラ・ロホはかぶっていたような気がする。)バジルはさすがにあのマヌケなアゴヒゲは外している。

キトリとバジルも黒い杯を持って一気に飲み干すと、杯を後ろに威勢よく放り投げる。キトリ、バジル、エスパーダ、キトリの友人たちは一斉に踊る。そこへ、キトリとバジルを追って、ドン・キホーテ、サンチョ・パンサ、ロレンツォ、ガマーシュが次々と現れる。キトリとバジルはあわてて人々の陰に隠れる。

エスパーダとキトリの友人たちが1枚の黒い大きな布を広げて持ち上げ、その下にキトリとバジルを隠す。彼らは大きな黒い布をかぶったまま歩き、こっそりと居酒屋を出て行こうとする。しかし、ロレンツォがそれを見つけ、中からキトリを引きずり出す。

ロレンツォはキトリにガマーシュと結婚するよう再び迫る。キトリが拒否すると、苛立ったロレンツォはバン!と大きな音を立てて床を踏みつける。だがキトリも負けていない。キトリはロレンツォよりも更に大きな音を立てて床をバン!!と踏みつける。父娘は互いに大音響を立てて床を踏みつけ続け、観客はクスクス笑っていた。

突然、黒い帽子をかぶり、黒い長いマントで身をおおった男が現れる。バジルである。なんでわざわざこんな格好をしているのか、という疑問はさておき、バジルはマントの懐から銀色の刃物を取り出す。それは床屋が使う顔剃り用のカミソリである。バジルは床屋だという設定を生かした演出で、普通の短剣じゃないところが面白い。

バジルはカミソリの刃を立てて周囲の人々を威嚇(するフリを)し、それからカミソリを自分の胸に(みえるが実は脇の間に)突き刺す。それからマントを脱ぎ捨てて床に敷き、チラリ、と後ろを見やると、しっかり安全確認した上でバッタリと後ろに倒れて死ぬ(フリをする)。

このバジルの狂言自殺シーンでは、ほとんどの場合、観客は笑うものだと思うのだが、昼公演のバジル役だったミック・ゼーニによるこのシーンでは誰も笑わなかった。ゼーニはミラノ・スカラ座バレエ団では優れたダンサーなのだろうが、イタリア人の割には表情に乏しいというか、真面目すぎるというか、コミカルな演技はまだ要努力である。カレーニョはこうした演技が得意らしく、わざとらしい大げさな表情でカミソリを突き刺したかと思うと、次にはなんでもない顔でちらっと後ろを見て、それから再び悲愴な表情でバッタリと倒れ、観客の笑いを誘っていた。

キトリは倒れたバジルに駆け寄り、バジルの体からカミソリを抜き取ると、いかにも血がついてます、という手つきでカミソリを持ち、杯を運ぶ盆の上に置く(←きたねーよ)。それからキトリは呆然とした表情で、ふらふら〜、と後ろへ倒れて気絶しそうになる。だが、サンチョ・パンサが倒れているバジルの横を通り過ぎようとしたとき、死んでいるはずのバジルの手がひょこっと出て、サンチョ・パンサはつまづいて転びそうになる。

キトリがバジルに顔を寄せると、バジルはパッと目を開けてキトリの頬にキスをする。キトリは事の次第を悟って明るい表情になる。キトリがバジルの口に杯をあてがって水を飲ませるたびに、バジルはキトリの頬に調子よくキスをする。

キトリは「死んでいる」バジルの手を取って自分の胸に当て、ドン・キホーテに向かって、自分と死にゆくバジルとが、せめて一時でも夫婦になれるよう手を貸してくれ、と哀願する。夜公演で、タマラ・ロホのキトリが嘆き悲しんでいる(フリをしている)間、ホセ・カレーニョ演ずるバジルのもう片方の手が、さわさわさわ、とロホの胸を撫でる。ロホ演ずるキトリはその手をあわてて押しやる。観客が大笑いする。

キトリ必死の懇願で、正義感に駆られたドン・キホーテは、長い槍でロレンツォとガマーシュを脅しつける。ロレンツォは不承不承、跪くキトリと倒れているバジルの前に立って結婚を認めてやる。すると瀕死の状態のはずのバジルが飛び起き、キトリの手を取って駆け去ってしまう。

ガマーシュはどうも怒ったようである。気弱なそぶりで、はめていた白い手袋の片方をいそいそとお上品に脱ぐと、ドン・キホーテの目の前の床にバシンと叩きつける、じゃなくて、ひらひらと落とす。決闘の申し込みである。ガマーシュは口をとんがらせて、彼なりに必死に突っ張っているようだ。だがドン・キホーテはガマーシュの手袋を躊躇なく拾い上げると、ガマーシュの頬を手袋で勢いよく殴りつける。受けて立とう、というのである。ガマーシュは目をひんむいて驚く。

サンチョ・パンサが、ドン・キホーテとガマーシュの剣の長さが同じであることを確かめた後、両者は決闘を始める。が、どーもこれがひ弱なオカマとよぼよぼなジジイの情けない決闘で、ガマーシュとドン・キホーテはたらたらと力なく剣を交わす。ドン・キホーテの剣がガマーシュのお股の間に突き刺さったりと、アホ同士が不毛なケンカをしているようにしか見えない。だが、ドン・キホーテがついにガマーシュに勝利し、ついでにガマーシュの頭に手が触れる。その途端、ガマーシュの帽子と、ついでにヅラが吹っ飛ぶ。ガマーシュは全ハゲだったのだ。(←お約束。)

めでたくキトリとバジルは結婚することになる。ミラノ・スカラ座バレエ団の群舞はどーもなあ、と思っていたが、これだけはすばらしかった。ファンダンゴである。ファンダンゴとはスペイン民族舞踊の一種で、求愛の踊りなのだそうだ。

まずダンサーたちの衣装がシックで粋であった。男性は上下黒の衣装で、腰に真紅のベルトを締め、頭も真紅のスカーフで覆っている。女性も黒地で裾に紅が入ったドレスを着て、頭の後ろから黒のヴェールを下げている。この公演でのダンサーたちの衣装は、「これがモードの先進国、イタリア人の考えた衣装?」的デザインと色彩のものが多かったが、このファンダンゴの衣装だけはナイスであった。

ファンダンゴの音楽と踊りも、いかにもスペイン風でカッコよかった。夜公演では、ファンダンゴのソリストの男性ダンサーは、昼公演でバジルを踊ったミック・ゼーニが担当した。昼公演と夜公演のキャスト表を見比べると、昼と夜で同じダンサーが同じ役を踊ったり、あるいは昼と夜の両方に異なる役で出演したり、また1人のダンサーが2〜3役をこなしたり、ということが多い。海外公演だとこういうことが多いのかもしれないが、ひょっとしたら、ミラノ・スカラ座バレエ団には優秀な人材が不足しているのではないか、と思った。

そうそう、ファンダンゴの踊りだけど、最後にダンサーたちが菱形に整列して、規則的なステップを踏みながら、右へ左へと前進していくのがきれいだった。ファンダンゴが終わると、ひときわ大きな拍手が送られた。第二幕のジプシーたちの踊りの次にウケた群舞は、このファンダンゴだと思う(私はジプシーたちの踊りよりもファンダンゴのほうが好き)。

それから、普通のチュチュを着た女性ダンサーたちが踊る。胴体部分は真っ赤で、スカート部分は白地に赤のリボンがチェック柄状に交差して垂れ下がっているデザインである。とうとうキトリとバジルによるグラン・パ・ド・ドゥが始まる。

キトリは白いチュチュで、バジルは白地にえんじ色の飾りが入った衣装を着て、また赤いベルトを締めている。昼公演でマルタ・ロマーニャが着ていたチュチュは、肩と腕がむき出しになった普通のデザインだったが、夜公演のキトリ役であったタマラ・ロホは、このグラン・パ・ド・ドゥでもマイ衣装を使ったらしい。ロホのこのチュチュはとてもかわいいデザインだった。素材は白いレースで、胸元が大きく開いた長袖のチュチュである。

最初のキトリとバジルによる踊りでは、まずミック・ゼーニのサポートのまずさか、あるいはマルタ・ロマーニャの回転のまずさが目立った。基本的には、まずふたりのタイミングが合っていない。また、ゼーニが回転するロマーニャを支えると、ロマーニャの体がやっぱり斜めに傾いていく。また、キトリが爪先立ちをした片脚で立ったまま、もう片脚を後ろに伸ばした状態で、バジルの支えなしにしばらく静止するところは、ロマーニャはゼーニの肩に手を置いたままゆっくりと回転する、という振りで踊っていた。

ロホとカレーニョは息がぴったりと合っていて、安心して見ていることができた。ロホが回転を得意としているのか、それともカレーニョのサポートが上手なのか、カレーニョの両の手のひらの中で、ロホの腰がまるで磁力で動いているかのように、ゆっくりとスムーズに回転する。カレーニョはそんなに手を動かしているようには見えない。

最も驚いたのは、キトリが支えなしに片脚だけで静止するところである。カレーニョはもたもたせず、すっとロホから手を離した。ロホは両腕を内側に緩やかに曲げ、片脚は爪先立ちで、もう片脚は後ろに上げた姿勢で立っている。どんなに優れたダンサーでも多少はグラつくものだが、ロホはまったくグラつかなかった。文字どおり微動だにしなかった。時間も半端じゃなかった。この静止は何回か繰り返されるのだが、毎回の静止時間があまりに長いので、途中から数えてみたら、1回につき4〜5秒くらいも静止していた。ロホが静止している時間が長いので、観客が途中から拍手を始める。

私が勝手に「シャチホコ落とし」と呼んでいる、バジルがキトリを逆さに持って落とし、両手を離して太腿と胴体だけでキトリの体を支え、キトリも両手を離して、ふたりが一斉に両腕を広げてポーズを決める振りは、どうやらヌレエフ版では採用されなかったようだ。昼も夜もやってなかったから。「シャチホコ落とし」の音楽の前に似たような振りがあったので、繰り返しを避けたのかもしれない。

キトリとバジルが踊っている最中に、バジルがキトリの肩にいとおしそうにキスをするシーンがあった。これは、物語から乖離した「テクニックの見せ場」的踊りに陥りがちなこのパ・ド・ドゥが、あくまで「ドン・キホーテ」という物語の一部である、ということを思い出させてくれるので、とてもよい演出だと思う。

キトリとバジルによる最初の踊りが終わると、チュチュを着た1人の女性ダンサーがソロを踊る。これがたぶん「花嫁の付き添い」役だろう。昼公演はマリア・フランチェスカ・ガリターノが、夜公演はセレーナ・サルナターロが踊った。ガリターノが片脚を後ろに上げた状態でゆっくりと回転する動きがきれいだった。ちなみに、キャスト表には「執事」と「執事の妻」なる役とそのキャストが書いてあったが、彼らはいったいどの場面で、どういう衣装で出てきたのか?分かったみなさんはどうか教えて下さい。

次はバジルのソロである。今ひとつ存在感の薄かったミック・ゼーニであるが、踊りが始まる前に、片脚を真っ直ぐに後ろに伸ばして、もう片脚は半爪先立ちのまま、しばらく静止していたのがきれいですごかった。あれがゼーニの踊りの中で最も印象に残った。カレーニョの踊りの中で最も印象的だったのは、片脚だけで回転してから、徐々にスピードを落としていって、やがて静止するときのスムーズさである。またもや磁力かなにかで動いているかのように、自然にすっと回転が止まる。回転が止まったときの両足のポーズもきれいだった。

それからキトリのソロが始まる。これは昼公演と夜公演とで振付が異なる箇所があって、どちらが正しいのか分からない。それともバージョンがいくつかあるのだろうか。ロホは出だしでジャンプしてから、両足を入れ替えるステップを踏んでいて、これはシルヴィ・ギエムによるリハーサル映像と振りが同じだった。だが、ロマーニャはジャンプしなかった気がする。

あとは同じだった(と思う)。爪先立った両足を細かく交差させる振りは、ヌレエフ版ではより複雑になっていた。左右の足を交互に上げては下ろす、という振りなのだが、よく見ると微妙に動きが異なっている。たとえば、左右の脚を1回ずつ代わる代わる上げたかと思うと、時に同じほうの片脚を連続して上げる。また、脚を上げた瞬間に、爪先を軸足の前から後ろ、または後ろから前に移動させて下ろす、など。しかも、だんだん音楽のスピードが速まってくるにつれて、両足の動きも速くなっていく。更には、キトリは手に扇を持っていて、それを美しく振り続けなければならない。つくづく、ヌレエフは難しくて細かくて複雑な振付が好きなんだな、と思った。

夜公演のこのパ・ド・ドゥでは、すでにロホとカレーニョによる最初の踊りで、会場は興奮状態に陥っていた。それに輪をかけて、カレーニョとロホが華やかで技術的なレベルの高い(であろう)踊りを繰り広げ、ますます熱気が高まっていった。ゼーニとロマーニャは、確かに踊りの技術もまだ充分ではないと思うけど、それよりも、「華」がないこと、いかにもスターな「自信たっぷりオーラ」がないことが、最も大きな問題点だと思う。ミラノ・スカラ座での舞台でもこんな感じだとしたら、地元イタリアでの評判はどんなものなのだろう。

最後、バジルが再び出てきて、高く跳んだ瞬間に両足を打つ。それから回転ジャンプをしながら舞台を一周する。このへんは他の版と同じである。舞台一周のときの回転ジャンプの形式は、ダンサーの自由らしい。

ミック・ゼーニは普通の回転ジャンプだったが(←説明になってないですね)、カレーニョは、なんて描写すればいいのかな(困)、右脚を斜め上に高く振り上げて、体が空中で反転する瞬間に、体の前面が外側に(観客のほうに)向いているタイプだった。ルドルフ・ヌレエフがマーゴ・フォンテーンとの「海賊」パ・ド・ドゥのコーダでやっていて、イレク・ムハメドフが「オン・ユア・トウズ」でやっていた回転ジャンプと同じやつ。ゼーニがやっていた回転ジャンプよりも迫力があって、私の後ろに座っていたじいさんは、「ほおお〜」と感嘆したような声を上げていた。

更にとどめを刺したのがロホの32回転であった。片脚を1度振るうごとに連続2回転する、というのならよく見る。ところが、ロホはどうも連続2回転ではない。これまた途中から数えてみたら、なんと連続4回転してやがった。しかもこの人、軸足がまったく移動しないし、体も斜めにならない。比べるのがかわいそうだが、マルタ・ロマーニャは32回転自体ができなかった。回転したとたんに体が大きくぐらついて、何回か回転した後に止めてしまったのだった。無理に続けるのは危険だと自分で判断したのだろう。ゼーニが踊ってうまくフォローしていた。

カレーニョが目にも止まらぬ速さで、片脚を横に真っ直ぐに伸ばした姿勢で回転する。それからロホが片脚で回転しながら舞台を一周する。最後にカレーニョとロホは音楽にバッチリ合わせて、ふたり並んで片膝をついてポーズを決めて終わった。会場は文字どおり割れんばかりな大拍手とブラボー・コールの嵐となった。私も久しぶりに興奮した。こんな高揚した気分になったのは、ボリショイ・バレエの「ドン・キホーテ」以来だった。

キトリとバジルは嬉しそうに抱き合う。ロレンツォがやって来て、キトリとバジルを抱きかかえて祝福する。一斉に踊り始める人々の間を縫うようにして、長い布を頭からかぶった人物が現れる。ドン・キホーテは立ち上がる。ドルシネア姫だと思ったらしい。しかし、布の中から顔を出したのはガマーシュだった。ささやかな意趣返しである。ドン・キホーテとサンチョ・パンサは、ガマーシュの後を追うようにして去っていく。

最後にキトリとバジルを中心に、街の人々全員が舞台いっぱいに並んで踊る。大団円の結末、楽しげで弾むようなリズムの音楽に乗って踊るダンサーたち。人々は同じ振りで楽しげに踊り、前を向いたり、後ろを向いたりして踊り続ける。ダンサーたちが客席に背を向けて踊っているうちに幕が下り始めた。幕の間からは、まだ踊り続けているダンサーたちの姿が見える。ついに幕が完全に閉じられた。ヌレエフ版「ドン・キホーテ」は、結局三幕全部、ダンサーが踊っているうちに幕を下ろす、という演出だった。

昼公演のカーテン・コールでは、キトリとバジルの存在感がイマイチだったので、ドン・キホーテ役のフランチスコ・セデーニョに最も大きな拍手が送られていた。その次がミック・ゼーニとマルタ・ロマーニャ、その次がなんとジプシーの男役のサルヴァトーレ・ペルディキッツィであった。そんなに良かったか?あの踊りが?

夜公演のカーテンコールでは、もちろんホセ・カレーニョとタマラ・ロホに爆裂な拍手喝采が送られた。その次がやっぱりジプシーの男役のアントニーノ・ステラであった。だからさあ、そんなに良かったのか?あの踊りが?ロホとカレーニョが舞台を完全制圧したため、ドン・キホーテ役のフランチスコ・セデーニョには、昼公演ほどの拍手が送られなかった。

だけど、主役ふたりはおいといて、昼公演よりも夜公演のほうが、群舞も引き締まっていたような気がする。群舞のダンサーたちは昼も夜も出演しただろうから、夜公演に備えて昼公演では力をセーブしたのだろうか。それとも夜公演で私の目がいくぶん慣れたので、夜公演のほうが全体的に良かったと感じただけだろうか。

ホセ・カレーニョとタマラ・ロホの出演はこの日が最後だったので、カレーニョとロホは終わりに舞台の両端に立って、ミラノ・スカラ座バレエ団のダンサーたちに謝意を表し、また観客の拍手喝采を彼らに譲った。カーテン・コールが終わった後、幕の向こうからは大きな歓声と拍手が聞こえてきた。ミラノ・スカラ座バレエ団のダンサーたちが、カレーニョとロホに拍手したのだろう。さすがはイタリア人、うるせえ。願わくば、舞台でもそのくらい元気ならよかったのに。

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の演奏がとてもすばらしかったことも、忘れずに書いておかなくちゃ。本当によかったです。

ミラノ・スカラ座バレエ団は、今のところはゲストなしにはやっていけないバレエ団だということが分かった。ミラノ・スカラ座バレエ団の芸術監督であるフレデリック・オリヴィエリは、ミラノ・スカラ座バレエ団付属バレエ学校の校長でもある。

オリヴィエリはインタビューで「バレエ団とバレエ学校の内部改革を行ないます。優秀な人材、教師陣を起用し教授法から改善していきます。バレエ団ではレパートリーを増やすとともに、コンテンポラリー、キャラクター等の作品よりも、まずはクラシックバレエ作品に重点を置いて、今までに無いものを作り上げて行きたいですね」、「バレエ学校は8年制で、3年ごとに審査を行い、在学出来る生徒を決定します。最終的にバレエ団に入団できるのは3人だけです」(「プリ・ドゥ・ジャポンニュース」)と言っているから、ミラノ・スカラ座バレエ団の現状がヤバいことは百も承知らしい。

ゲストであるホセ・カレーニョとタマラ・ロホの踊りに文句は無いが、今回の公演で、ミラノ・スカラ座バレエ団ならではのナニを見たか、と問われれば、ヌレエフ版「ドン・キホーテ」が観られました、ミラノ・スカラ座バレエ団は全体的にヘタレなのが分かりました、と答えることしかできない。

オリヴィエリ監督にはぜひ頑張ってもらいたい。「改革」には長い長い時間がかかるだろうけど、次の来日公演(あればの話だが)でミラノ・スカラ座バレエ団がどう変わっているか、楽しみに待ちたいと思う。

(2007年6月24日)


saiさんの感想

ミラノ・スカラ座の「ドンキ」は、主役の二人が実力不足でしたね。キトリもバジルも超絶技巧が続くので、スタミナもなければ踊れないし、本当に「ドンキ」は、ダンサーにとって大変だと思います。ソワレのロホとカレーニョは、安定して素晴らしかったとのこと、さすがですね。

私は昨年の世界バレエフェスティバルのキューバのペアの「ドンキ」や、Kバレエの(熊川哲也・荒井祐子)「ドンキ」を思い出しました。どちらも技巧が安定していたし、勢いやコメディの演技もよかったです。私は熊哲さんはあまり得意じゃないのですが、バジルは合ってたかな。ジャンプや回転は軽やかだし、バジルの軽〜い性格が熊川さんにマッチして、好きでした。

でも、やっぱりバリシニコフ(アメリカン・バレエシアター)のバジルが最高です。○十年前(独身)、バリシニコフが来日すると、追っかけしてましたから。東京公演も覚えています。私生活でもかなりのプレイボーイだったそうなので、演技も自然(?)でいいのです。映像では、シンシア・ハーベイがキトリを踊っています。機会があったら見てください。


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