Club Pelican

NOTE

牧阿佐美バレヱ団 「ロメオとジュリエット」

(2007年3月10・11日、ゆうぽうと簡易保険ホール)

「ロメオとジュリエット(Romeo and Juliet)」、音楽はプロコフィエフの同名曲を使用、振付・演出はアザーリ・M・プリセッキー(Azari M. Plissetski)と牧阿佐美、美術はアレクサンドル・ワシリーエフ(Alexandre Vassiliev)による。このプリセッキー版は、牧阿佐美バレヱ団の依頼によって特に制作されたものであり、1995年に初演された。

主なキャスト。ジュリエット:伊藤友季子(10日)、青山季可(11日);ロメオ:逸見智彦(10日)、森田健太郎(11日);

キャピュレット夫人:田中祐子(10日)、坂西麻美(11日);キャピュレット卿:本多実男;ジュリエットの乳母:諸星静子;ティボルト:菊池研;パリス:京當侑一籠(←暴走族?);

モンタギュー夫人:千葉るり子;モンタギュー卿:加茂哲也;マキューシオ:小嶋直也(10日)、中島哲也(11日);ベンヴォーリオ:今勇也;ヴェローナ大公:京谷幸雄;ロレンツォ神父:保坂アントン慶;

町の女(ソリスト):奥田さやか、小橋美矢子、竹下陽子(以上10日)、橋本尚美、吉岡まな美、笠井裕子(以上11日);道化:佐藤朱実(10日)、橘るみ(11日)、塚田渉、邵智羽、中島哲也(10日)、徳永太一(11日)、清瀧千晴;

ジュリエットの友だち:吉岡まな美、笠井裕子、坂梨仁美、加藤裕美、海寳暁子、坂本春香(以上10日)、橋本尚美、奥田さやか、小橋美矢子、柄本奈美、竹下陽子、佐々木可奈子(以上11日)。

演奏は東京ニューシティ管弦楽団、指揮はデヴィッド・ガルフォース(David Garforth)。

前奏曲が流れる。ああ美しい。「ロミオとジュリエット」を観たのは、去年(2006年)3月のロイヤル・バレエの公演(マクミラン版)以来だから、ちょうど1年ぶり。日本では毎年のように頻繁に上演される作品というわけではないから、ちょっと管楽器系が頼りないとはいえ、この美しい音楽が生で聴けてとても嬉しい。

幕が上がると、そこはヴェローナの広場。舞台の奥には「ロミオとジュリエット」ではおなじみの、橋のようなセットがわたされている(←バルコニーのシーンに必要)。

ロミオが小さなギターのような楽器を抱えながら立っている。他に人影は見えない。ロミオはギターを片手に、つまらなそうに足をぶらぶらと動かして踊る。やがてロミオの友人のマキューシオやベンヴォーリオ、そして街の人々が続々と姿を現わす。広場は徐々に賑やかになる。マキューシオはロミオの気を引こうとするが、ロミオは興味がなさそうにギターに目を落とす。このプリセッキー版でのロミオの性格の基本的な設定は、音楽にしか興味がない、いささか内向的な青年というものらしい。このシーンは後につながる伏線になっている。

10日と11日とではおおかたの主要なキャストが違っていたわけだが、ロミオでは11日の森田健太郎が、マキューシオでは10日の小嶋直也が圧倒的に印象に残った。ロミオ役の森田健太郎はとにかく演技が上手だった。表情が実に豊かで、仕草や動作もとても自然であり、本当に生き生きとしたロミオになっていた。顔は中学生みたいだが、背が高くて大柄で、特にむっちりして健康的なおしりとフトモモが気に入った。踊りはダイナミックで柔らかい。

ロミオはグレーがかった銀色の上衣に、淡い青色の入ったグレーのタイツを穿いていた。ここまではいいのだが、問題はマキューシオとベンヴォーリオの衣装である。両人とも色合いは同じである。コバルト・ブルーもしくはターコイズ・ブルーと白で、両人ともブルーの帽子をかぶり、フリルのついたブルーと白の上衣に、下は片脚が色違いのタイツである。

マキューシオは片脚がブルー、もう片脚が白だったが、ベンヴォーリオはもっと悲惨で、片脚がブルー、もう片脚がブルーと白の縦ストライプであった。他の人々の衣装はみな淡いえんじ色、茶色、黒、深緑、という色合いだったから、マキューシオとベンヴォーリオの衣装は色的にかなり異質で、ちょっと宇宙人系だった。おそらくは群衆の中で両人が目立つように、という配慮だろうが、それでも衣装を担当したワシリーエフのセンスは理解し難い。

そんな宇宙人衣装をふっとばしたのが10日にマキューシオを踊った小嶋直也である。彼が踊りだした途端に私は大きなショックを受け、それから彼が出てくるたびに目が離せなくなってしまった。この日のロミオ役だった逸見智彦の印象が薄いのは、私の注意が小嶋直也ばかりに向かってしまったせいもある。

まず見た目からいえば、小嶋直也は背丈はそこそこだと思うが、日本人離れした非常に整った体型をしていた。他の男性ダンサーよりも顔が一回り小さくて、頭の大きさと身体の大きさとのバランスがとれている。ついでにいえばフトモモの筋肉がすごく盛り上がっていて、それも特徴的だった。

何よりも驚いたのが小嶋直也の踊りで、私は日本にこんなに踊れる男性ダンサーがいたとは思いもよらなかった。というか世界でもこれほどの踊りができる男性ダンサーは珍しいだろうと思う。技術は安定していて正確無比、踊りのキレはよく、しかもステップやムーブメントはもちろん、ポーズの一つ一つが美しくて、どの瞬間で切り取っても完璧なポートレートになるに違いない。

ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオが一緒に並んで踊る場面がいくつかあるが、小嶋直也と他の2人との実力差は歴然としており、他の2人がちょっと気の毒だった。とはいえ誤解してほしくないのは、牧阿佐美バレヱ団の男性ダンサーは、日本の他のバレエ団に比べれば、みな踊り達者、演技達者ですばらしかった。

両日にわたってベンヴォーリオを踊った今勇也も、ちゃんとロミオとマキューシオ、マキューシオとティボルト、ロミオとジュリエットの間の緩衝材、もしくはつなぎ役としての役割を果たしていて、友だち思いでお人好しな常識人というベンヴォーリオのキャラクターをよく表現していた。

このバレエ団は女性ダンサーも充実している。私が見た限りの日本のバレエ団では、新国立劇場バレエ団に次いで2番目かも。長身で体型のすらっとした人が多い。踊ると足さばきがきっちりしていて美しく、動きのキレもいい。

街の人々はそれぞれがキャピュレット家側、モンタギュー家側に分かれていて、その違いは衣装の色合いで表現される。キャピュレット家側の人々は茶色と黒、モンタギュー家側の人々は緑、黒、淡いえんじ色である。双方の側の女性2人がケンカとなり、モンタギュー家側の女がキャピュレット家側の女を突き飛ばし、キャピュレット家側の女は倒れて、彼女が持っていた壷が割れてしまい、彼女は座り込んで泣き出す。それをきっかけに両家に属する人々の間で諍いが起きる。

両家の男たちが出てきて、舞台の真ん中を境に睨みあい、最初は素手で殴り合ってのケンカになる。そこでティボルトが家来を引き連れて登場する。ティボルトは黒っぽい上衣に黒いタイツ姿である。ティボルト役は両日とも菊池研が担当した。髪をオールバックにして後ろになでつけ、ヒゲはなし。おかげで若々しくてイケメンなティボルトとなった。

この版ではティボルトとマキューシオの対立関係が強調されていて、冷たい無表情なティボルトが出てくると、さっそくマキューシオがちょっかいを出してからかう。菊池研は演技が今ひとつ表面的で「作っている」感が漂っていたが、ティボルトは演技が難しい役だと思うので、これからに期待するべきだろう。

ここでだったか第二幕でだったかは忘れたが、ああ、これがロシアの振付家なのかしら、と思ったのが、冷たい表情を変えずにゆっくりと歩み出てきたティボルトが、マキューシオに詰め寄る途中でいきなり踊る。回転系の技が多かったように思う。ただ詰め寄るだけではダメで、ちゃんと踊りを入れないといけないらしい。いきなり唐突に踊られても、と不自然な感じがしたが、この感じはその後もしょっちゅうあった。

ティボルト役の菊池研の踊りについてだが、確かにこのバレエ団では優秀な人なのかもしれない。ベンヴォーリオ役の今勇也や11日にマキューシオを踊った中島哲也より上手な人なのかもしれない。でも動きが速すぎる。キレがいいとか鋭いとかいう次元ではなくて、目にもとまらぬほど速すぎて、踊りをちゃんと見ることができなかった。ちゃんと「観客に見せる」ための踊りを踊ってほしい。

ティボルトが登場すると、両家の人々は今度は剣を用いての争いとなる。いつのまにかキャピュレット卿、夫人、そしてモンタギュー卿、夫人が現れて、キャピュレット卿(指サックを逆さまにしたような、ヘンな形の真っ赤な帽子をかぶっている。ちょう笑える)とモンタギュー卿のじじい2人が、でっかい剣を振るって決闘する。ここで不思議なことが起きる。ロミオがいない。マキューシオとベンヴォーリオはいる。ティボルトももちろんいる。でもロミオはいつのまにか姿を消してしまう。いつ消えたのかついに分からなかった。諍いがイヤであえて逃げたのか?だったらこれも大事な伏線なのかも。

その後はヴェローナ大公が現れて仲裁に入り、両家の人々に剣を捨てさせて握手させ、二度とこんな争いをしないよう戒める。

場面は変わってキャピュレット家の一人娘、ジュリエットの寝室。ベッドが舞台奥の中央、客席に向かって横向きに置いてあった。ジュリエットはまだ眠っている。乳母が現れて物を片づけたり鏡をのぞきこんだりする。この乳母は諸星静子が演じたが、若くてしかも美人すぎて、また詰め物をして恰幅よくしていたが、それでも体が細いのが分かってしまって、乳母という感じがあんまりしない。でも優しくて鷹揚で気のいいオバさんという雰囲気が漂っていた。

ジュリエットは目覚めるとそっと起き、乳母をからかいつつ踊り始める。ジュリエット役も両日でキャストが違ったが、10日にジュリエットを踊った伊藤友季子のほうが印象的だった。といっても、11日のジュリエット役だった青山季可がよくなかったという意味ではなくて、11日はロミオ役の森田健太郎があまりによすぎたので、結果として青山季可が目立たなくなってしまったのである。

伊藤友季子が現れると、まずはその身体のあまりな細さにびっくり。顔が小さくて胴体は短く、手足がとても長い。踊りもポーズも美しかった。脚は高々としゃっきり上がるし、ジャンプは軽くてしかもパワーがあるし、跳んでいる瞬間の姿もきれいだし、手足の角度がツボにはまっていて見とれてしまった。

彼女の演技については、森田健太郎レベルの演技ができるダンサーは、日本ではまだ稀だろうから、あれで充分なのではないだろうか。あ、思い出した。演技については、11日にジュリエットを踊った青山季可のほうがよかったと思った記憶がある(後述)。

キャピュレット夫人が現れる。ジュリエットは途端に、母親の背中に回りこんで、母親が持っているはずの舞踏会用のドレスを見ようとする。キャピュレット夫人はそんな娘をじらすように、笑いながらドレスを隠してなかなか見せない。これはほほえましいシーンで、ジュリエットは母親によくなついており、キャピュレット夫人も娘がかわいくてならない、といった感じだった。他の版に比べると、キャピュレット夫人とジュリエットの「親子度」が高い。

舞踏会が行なわれるキャピュレット邸の玄関。キャピュレット卿と夫人が客たちを出迎える。ここでやっとパリスが登場する。パリスは金の飾りがふんだんに入ったキンキラキンの上衣に白いタイツ姿。キャピュレット卿は愛想良くパリスを迎えると、手を下から上に3段階くらいで上げていって、最後に手の甲を自分の顎から頬に沿わせてぐるっと回す。うひゃ、クラシック・マイムだ!とちょっとびっくりした。これは「私には娘がいて大きくなりました。美しいです」という意味である。つまりパリスの結婚相手にどうか、と勧めているのだ。

客たちがひととおり入っていった後で、ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオの3人が現れる。ここで3人並んで踊るわけだが、10日はやっぱりマキューシオ役の小嶋直也がダントツですごかった。11日はロミオ役の森田健太郎が貫禄ありました。でも逸見智彦や中島哲也や今勇也もすばらしかった。ここの踊りは、どの版も回転やらジャンプやら足技やら威勢のいい動きを次々と繰り広げていって、若者らしく溌剌としていていいよね。

3人は目を隠すマスクをつけて忍び込む(このマスクが銀ラメの飾りが入ったハデハデなやつで、ちょっと「ひざまずいて足をお舐め!」っぽかった)。

さて、お楽しみのキャピュレット家の舞踏会シーン。正直言うと、人数が少なくてちょっと寂しかった。最初は男性しか並んでいなくて、女性たちは後から踊りに加わるからだ。このシーンはとにかく人海戦術でいったほうがいい。マクミラン版だと、居並んだダンサーたちが大量でしかもみな豪華衣装を身につけているものだから、幕が開いた瞬間に、そのゴージャスな光景に拍手が沸くほどなのだ。

男性たちは右手で指さし確認みたいな動きをしながらゆっくりと踊る。最後にキャピュレット夫人を挟んでキャピュレット卿とティボルトがひざまずいてポーズをとるのは、なんか意味があるのでしょうか。ティボルトはキャピュレット夫人を好きなのだ、とか。

舞踏会用のドレスに身を包んだジュリエットが姿を現わす。最初は薄いケープをまとっているがすぐに外す。白地にえんじ色の凝った刺繍や銀や真珠の飾りが入ったチュニック・ドレスである。ジュリエットはパリスに引き合わされる。彼女は特に嫌がるそぶりもみせず、素直にパリスに手を取られて一緒に踊り始める。「結婚ってこんなものなのかしら」という感じで、別に抵抗感はないらしい。

そこにはマスクで目を隠したロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオもいる。踊る人々の雑踏の中、ロミオとジュリエットはいきなり出くわす。ロミオはマスクの下からジュリエットを見つめ、ジュリエットも何かを感じたのか、ロミオを見つめる。ティボルトはマスクをした男(ロミオ)を不審そうな目つきで見やり、それに気づいたマキューシオがロミオをジュリエットから引き離す。

ロミオたちは何食わぬ顔で踊る人々の列に加わる。人々は輪になって、互いにパートナーを変えながら踊っていく。その輪の中にはジュリエットも混じっている。ここの振付は秀逸だった。女性たちは時計回りに、男性たちはそれと逆回りに踊っていって、ロミオとジュリエットが左右から徐々に近づいていく。そしてとうとうふたりは組んで踊る。

ティボルトはますますマスクの男への疑いを強める。マキューシオはその場をごまかすために踊る。ここでも小嶋直也が大活躍だった。いろんな種類の回転とジャンプ、きれいで鋭くてすごいカッコいい。この版では、マクミラン版でベンヴォーリオが踊るところもマキューシオが踊るので、実に見ごたえがあった。

人々が広間からいなくなる。ジュリエットはマスクをした青年のことが気になる。一方、マキューシオとベンヴォーリオは姿を消したロミオを探す。ジュリエットはあの青年のことをマキューシオたちに尋ねようとするが、マキューシオたちは行ってしまう。彼女の背後からロミオが現れる。ふたりは再び一緒に踊り始める。

この踊りの振付もとてもきれいだった。ジュリエットは左右の手で交互にロミオのマスクを外そうとする。ロミオはそのたびに顔をそらす。それがちゃんと踊りになっている。ジュリエットがとうとうロミオのマスクを外してしまう。この仕草でも、ジュリエットが生き生きした女の子だということが伝わってきてとても新鮮だった。ロミオの素顔を見たジュリエットは、明るい笑顔を浮かべて彼と一緒に踊る。

ティボルトがそれを見つけてロミオにつかみかかる。しかし、キャピュレット卿と夫人がティボルトを押し止め、ロミオは丁寧にお辞儀をするとキャピュレット邸を後にする。

再び舞台はキャピュレット邸の玄関となり、客たちがキャピュレット夫妻に見送られてぞろぞろと帰っていく。舞踏会で好きになった女性を男性が追いかけたり、そうとは知らぬ女性たちがかまわず帰っていったりと、いろんな人生模様(?)がさりげなく展開される。でもいまいち面白くないんだよな。

そして第一幕最後、バルコニーのシーン。舞台の奥にわたされた橋(バルコニー)の上にジュリエットが現れる。空には白い月が浮かんでいる。やがてロミオがマントを翻して駆けてくる。ところが、ジュリエットはロミオに気づかないようなのだ。マクミラン版ではとっくに気づいて見つめあう音楽になっても、ジュリエットはバルコニーの手すりにもたれながら、なんと一人で踊り始める。ストレッチかバー・レッスンでもしているようで、正直言ってヘンだった。振付者のプリセッキーにとっては、やっぱり音楽を無駄にしてはならないらしい。ロミオもバルコニーの下を駆け回りながら踊っている。

だがそのうち、ふたりの動きがシンクロし始める。つまりバルコニーの上と下で、ジュリエットとロミオが、お互いにそうとは知らずに同じ振りで踊るのである。手足を緩やかに広げた、とてもきれいな踊りだった。

やっとジュリエットがロミオの存在に気づく。そしてパ・ド・ドゥになる。マクミラン版みたいに男性ダンサーが腰痛になりそうな複雑なリフトだらけの踊りではなく、手足の伸びやかな、とても自然ですっきりした美しい振付だった。でももちろんリフトが皆無というわけはない。複数の動きを組み合わせた、しかも動きの速い難しいリフトがいくつかある。

10日の逸見智彦・伊藤友季子ペアの踊りは、あまりうまくいってなかったように思う。11日の森田健太郎・青山季可ペアの踊りはすばらしかった。特にロミオがジュリエットの体を持ち上げてぎゅるっ、と回転させて、それから彼女の体を持ったまま下にさげる(たぶん)ところは、速いリフトなのに、動きから次の動きへと移るのがスムーズで、しかもタイミングのツボをしっかりと押さえてある。

森田健太郎に感心したことがもう一つあって、それはキスが非常に上手いことである。ジュリエットの唇にチュッ、て軽くキスするんではなくて、ジュリエットの唇全体をはむっ、て包み込むようにするの。あれには感心した。

ジュリエットは後ろ髪を引かれながらも、再びバルコニーへと駆け上がる。そしてバルコニーの上から、ロミオに向かって手を差し伸べ、ロミオもジュリエットに向かって手を伸ばす。ここでちょっと注文。幕を閉じるのが早すぎる。ふたりがお互いに手を差し伸べあっているポーズをとった瞬間に、幕がさっさと閉じてしまう。もう少し見せてほしい。


第二幕。第一場は再びヴェローナの広場。街の人々がひしめいて踊っている。ここは今ひとつ記憶に残っていない。悪いクセが出ちゃって、目の前の舞台を観ながら脳内でマクミラン版を再生してしまったのだ。それで、群舞を眺めながら、音楽をあんまり上手に使ってないなあ、とか思っていた。第一幕のバルコニーのパ・ド・ドゥでも同じことを思った。せっかくプロコフィエフがドラマティックな音楽を作ってくれたのに、振付者がそれを充分に生かしてない。でもジョン・クランコ版でも同じことを感じたから、マクミラン版が別格なのかもしれない。

マキューシオとベンヴォーリオの背後から、ロミオが呆然とした表情で現れる。マキューシオはロミオの好きなギターを手渡そうとするが、ロミオは興味なさげにそれを押しのける。これは第一幕の冒頭で張られていた伏線を受けての演出で、ロミオの頭の中からはもうギターなど吹っ飛んでしまい、彼の心にあるのは、ただジュリエットのみなのである。マキューシオとベンヴォーリオはロミオの態度を訝る。

みなが踊っていると、ロレンツォ神父に率いられ、大きなマリア像が人々に担がれて街中を練り歩く。ロレンツォ神父役は保坂アントン慶で、落武者ヘアのヅラをかぶって茶色の僧衣を着ていた。ロミオをはじめとして、人々はマリア像に向かって跪き、十字を切って敬意を示す。

女1人、男4人からなる道化の一団が踊りを披露する。道化だから別にいいんだが、全員が茶色のいがぐり頭のヅラをかぶり、おてもやんなメイクをして、青と赤の大きなダイヤ柄の衣装を身につけていた。このプリセッキー版では、男性はほとんどがみな片脚色違いのタイツを穿いている。男の道化も例外ではなく、片脚でダイヤ柄が色違いになっている。

10日の公演が終わった後に、電車内であるカップルの彼氏が彼女に話していたこと。「あのさー、ピエロみたいなのが出てきたじゃん?男が4人いてさ、みんなタイツの柄の色が右と左で違ってたじゃん?右が青に赤で、左が赤に青で。その中でさ、1人だけみんなと逆なのがいて、右が赤に青で、左が青に赤で、オレ、それが気になって気になって、その後の展開に集中できなかったんだ。」 えっ、そんなの気づかなかった。これは意外な盲点だ。よって翌11日の公演で確かめてみた。そしたら、男の道化4人のうち、2人ずつに分かれてタイツの柄の色が逆になっていた。たぶんこれが正しいのであって、10日の公演では、誰か1人がタイツを間違えて前後逆に穿いてしまったのだろうと思われる(男性用タイツの機能上、そんなことが可能なのかどうかは知らないが)。

それはともかく、道化の踊りはクランコ版みたいにトリッキーすぎなくて、あくまでクラシカルな踊りとして楽しめた(見た目はともかく)。女の道化は最後に延々とグラン・フェッテをやったりして、さりげなく見ごたえがあった。後に聞いたところによると、女の道化は主役級のダンサーがいつも踊るんだそうだ。男の道化も普通のコール・ドではなくて、たとえば10日に男の道化の1人を踊った中島哲也は、11日の公演ではマキューシオを踊っている。

広場にジュリエットの乳母が現れる。ロミオを探しているのだ。ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオは、それぞれ自分がロミオだという仕草をして乳母をからかう。やがてロミオ本人が乳母の前に立って用件を聞く。すると乳母はロミオの顔を持ってしげしげと見つめる。大事なジュリエットの恋人とはどういう男か、注意深く値踏みをしているのである。乳母は満足そうにうなづくと、ジュリエットからの手紙を渡す。

ジュリエットからの手紙を読んだロミオは目を輝かせて喜び、乳母の頬にむちゅちゅ〜っと熱烈なキスをする。イケメン青年にキスされて気絶する乳母(←お約束)。それからロミオは元気良く踊りだす。11日のロミオ役、森田健太郎君の踊りは力強くダイナミックで、ロミオの喜びが溢れ出ていた。

ロレンツォ神父の教会。ロレンツォ神父は髑髏を手に取ったりして、かなり怪しい雰囲気。ロミオが駆け込んでくる。ロミオはジュリエットからの手紙を見せ、ロレンツォ神父は安心したようにうなづいてロミオを祝福する。クランコ版でのロミオはかなり落ち着きがないのだが、プリセッキー版のロミオは落ち着いていて、ロレンツォ神父に礼儀正しく挨拶すると、正面にある聖母子像の前に跪いて祈りを捧げる。

そこへ乳母にともなわれてジュリエットもやって来る。ジュリエットも落ち着いていて、まずはロレンツォ神父の前に跪いて、その手にうやうやしくキスをする。ロレンツォ神父はロミオとジュリエットを聖母子像の前に立たせて、ふたりの手と自分の手とを重ね合わせ、結婚の誓いをさせる。ほんとにロシア人はとにかく踊らなくては気がすまないんだな、と思ったのは、なんとここで、ロレンツォ神父、ロミオ、ジュリエットが手を取り合って踊り始めるのだ。ロミオとジュリエットはいいけど、なんでロレンツォ神父が踊るんだよ。

ここの踊りの最後で、ロミオがジュリエットを高々と持ち上げる。ジュリエットは正面を見つめて両腕を広げる。そのふたりの前にロレンツォ神父が跪き、同じく両腕を広げてポーズを取る。多分に宗教的な雰囲気の漂う構図で、これも一種の伏線、というよりもロミオとジュリエットという登場人物をどう扱うかについての、プリセッキーの考え方が出ていると思う。

クランコやマクミランは、ロミオとジュリエットをあくまで普通の若者たちとして見なしているのに対して、プリセッキーはふたりを(結果的に)「聖なる犠牲」として扱っている。このことはラスト・シーンでも明らかになる。その意図するところは分かるのだが、こういう演出は、今となってはちょっと古くさいというか、仰々しい感じがして、見ていて少し照れくさかった。

舞台はまたヴェローナの広場である。マキューシオ、ベンヴォーリオ、街の人々が踊っている。そこへまたロレンツォ神父に率いられて、大きなマリア像が練り歩く。ロレンツォ神父、さっきまで教会にいたのに、瞬間移動でもしたのか?

みなが楽しそうに踊っているところへ、家来を引き連れたティボルトが姿を現わす。相変わらずの冷たい無表情で、ティボルトはマキューシオにゆっくりと近づきつつ・・・また踊りやがった。だからなんでここで踊るのよ〜!?顔はマキューシオのほうをずっと向いていて、首から下だけ動かして踊るもんだから、なおさら笑える。技はやっぱり回転系や「その場でジャンプ」系が多くて、踊り終えるとマキューシオはバカにしたような顔で笑いながら拍手する。

ロミオが戻ってくる。ティボルトはロミオに向かって詰め寄る。ロミオはマキューシオやベンヴォーリオをなだめながら、みずからティボルトに近づいて和解しようとする。この緊張した場面での、森田健太郎君の演技はすばらしかった。激昂するマキューシオや心配するベンヴォーリオの肩をつかんだり叩いたりして、彼らに諍いをしないように説得するところは、ただ表情をつけて首を振ったりうなづいたりしているだけなのに、まるでセリフをしゃべっているようだった。ほんと、ここまで雄弁な演技ができる人も珍しいわ。

ロミオはティボルトに対して手を差し出して握手を求める。しかしティボルトはそれを拒否する。ロミオはそれでもあきらめずにティボルトの腕にそっと手をかける。ティボルトは乱暴にロミオの手を払いのける。それを見ていたマキューシオが遂に怒りを爆発させ、ロミオを押しのけてティボルトに剣を向ける。

マキューシオとティボルトは剣を交わして戦う。しかし圧倒的にマキューシオの腕前のほうが上である。必死の形相で斬りつけるティボルトに対して、マキューシオは余裕の笑みを浮かべて、軽々とティボルトの剣をはねのける。

ティボルトがマキューシオを殺すシーンは、マクミラン版では「おのれ背中から刺すとは卑怯な」で、クランコ版に至っては、ロミオがマキューシオを止めて前に押し出したら、ぐーぜんにティボルトの剣に刺さってしまった、というミもフタもないものだった。その点、プリセッキー版はとても自然だった。ロミオに止められたマキューシオが、再びティボルトと戦おうとしたその一瞬の隙をついて、ティボルトの剣がマキューシオの腹を深々と貫く。

マキューシオが死に至るまでの数分間は、演出はもちろん、10日の小嶋直也、11日の中島哲也ともにすばらしかった。通常は「まだ死なないのか」と思うものだが、小嶋直也も中島哲也も演技がよかったので、見ていて飽きなかった。

小嶋直也はシニカルな笑いを浮かべた表情を変えず、平然とした様子で剣を持ったままロミオ、ベンヴォーリオ、ティボルトを交互に見やる。中島哲也は平気そうに笑いながらも、しかしその目は笑っておらず、本当は苦しいのが分かる。マキューシオが死ぬ寸前の演出はすばらしかった。それまでなんでもないように笑っていたマキューシオは、いきなり真顔になってティボルトを睨みつけ、拳を激しくふりあげて威嚇し、そしてばたりと倒れるのである。更に死に顔もすごかった。目を開けたまま死んでいた。その間、小嶋直也も中島哲也も瞬き一つしていなかったのが根性ある。

ロミオはマキューシオに駆け寄るとその体を抱きしめ、手でマキューシオの瞼に触れ、その目を閉じてやる(←この演出もいいよね)。11日ロミオの森田健太郎君の演技とアクションがまた凄かった。森田君は「目に見える感情噴射術」でも身につけているのではないかしらね。森田ロミオは全身から激しい怒りを発散させ、猛然とティボルトに斬りかかる。ティボルトは徐々に押されてくる。火事場の馬鹿力というか、剣の腕前よりも、ロミオの怒りがティボルトを追いつめているのがよく分かった。

ついにロミオの剣がティボルトの腹に刺さる。ティボルトはけっこう踊りの見せ場が多かったのに、死ぬシーンはあっけなかった。ロミオの剣に刺されると、ティボルトは腹を押さえて2、3歩ばかり歩くと、すごい勢いで倒れて息絶える。菊池研演ずるティボルトの死にざまは一瞬だけどすごい迫力があって、よくケガしないもんだなあ、と感心した。

間の悪いことに、ロミオがティボルトを殺した瞬間を、乳母が橋の上から目撃してしまう。彼女はその前にティボルトがマキューシオを殺したことを知らない。この演出は、後で乳母がジュリエットにパリスと結婚するよう勧める理由につながる。

そこへキャピュレット夫人、その後にキャピュレット卿がやって来る。キャピュレット夫人の愁嘆場になる。キャピュレット夫人はティボルトの死体にとりすがって嘆き悲しむ。だけどよく分からないのは、キャピュレット夫人はなんでそんなにも異常にティボルトの死を悲しむのか、ということだ。

この点では、クランコ版もマクミラン版も納得できる演出をしているが、プリセッキー版の演出ではその理由が不明瞭だ。キャピュレット夫人の嘆き方も、型どおりというか、手を組んで振り回したり、周囲の人々に向かって「みなさん、ご覧になって、私は悲しいのよ」とでもいうように両腕を広げたりして、ちょっとわざとらしい。第三幕で分かることには、第一幕では優しい母であったキャピュレット夫人が、ジュリエットとロミオを結婚させまいとする動機は、ロミオがティボルトを殺したことへの復讐心なのだから、キャピュレット夫人がティボルトに抱いていた感情を説明する演出がほしいところだ。

ロミオはティボルトが死んでようやく我に返る。ロミオは自分がしてしまったことの恐ろしさに呆然とする。ベンヴォーリオはそんなロミオの肩をつかむと、彼を促してその場から去らせる。


第三幕。ロミオとジュリエットの寝室のパ・ド・ドゥでは、またもや森田健太郎君のサポートとリフトのすばらしさに感動した。このパ・ド・ドゥでも難しいリフトがある。森田健太郎の腕の中で、青山季可の身体が絶妙のタイミングでしなやかに反転する。10日の伊藤・逸見ペアの踊りでは気づかなかったが、11日の青山・森田ペアの踊りで、正しく踊ればこんなにも美しいのだということを実感した。

ロミオが去った後、ジュリエットはこわばった表情で部屋の中に立ち尽くしている。乳母がやって来て、あわててジュリエットにドレスを着せる。ドレスはネグリジェの上に重ね着させるタイプで、シースルーの布地に赤い刺繍が施してある。そうだよね、貴族のお姫様たるもの、ネグリジェのまま両親や婚約者候補(パリス)に会うのはおかしいもんね。細かいがよく考えられた演出に感心。ジュリエットはドレスを着させられている最中も、ややこわばった無表情のままで、強い視線で前を見つめている。彼女はもう親の言うことに唯々諾々と従う子どもちゃんのお嬢様ではなくなっている。

キャピュレット卿、夫人、パリスが部屋に入ってくる。パリスとの結婚を迫る父親に対して、ジュリエットはまず母親に助けを求めようとする。しかし、舞踏会用のドレスをジュリエットに渡すときにはあんなに優しかった母親は、今は厳しく冷たい表情と仕草でそれを遮る。ジュリエットをパリスと結婚させたいのではなく、ティボルトを殺したロミオに恋するジュリエットが許せないといった雰囲気だった。

ジュリエットは最後の頼みの綱である乳母にすがりつくが、乳母はジュリエットの肩をつかむと、逆にパリスと結婚するよう強い調子で説得する。ジュリエットは目を見開き、その顔は絶望でゆがむ(←すごいかわいそうだった)。乳母はロミオがティボルトを殺す瞬間を見てしまったため、ジュリエットは両親の勧めるとおり、パリスと結婚するのが幸せなのだと思っているらしい。

部屋にひとり残されたジュリエットは、やがて何かを思いついたように、ショールをまとって部屋から走り出ていく。ここでいったんヴェローナの風景(?)が描かれた幕が舞台前面に下りる。ジュリエットはショールを翻しながら、その前を走って横断する。ジュリエットがロレンツォ神父のところへ行くことを表わすシーンだが、そろそろこういう古くさい説明的演出はやめてほしい。

ロレンツォ神父の教会。ジュリエットは教会に駆け込むなり、ロレンツォ神父に抱きついて助けを求める。そして聖母子像の前にやって来ると、・・・やっぱり踊るんですなこれが。聖母子像にすがりつくように跪いたジュリエットに、ロレンツォ神父は銀色の小さな壷を見せる。

ロレンツォ神父はジュリエットにそれが仮死状態になる薬であることを説明する。その説明するマイムというか仕草が変わっていて、ロレンツォ神父は目を閉じたジュリエットの頭に手をかざす。そうするとジュリエットは催眠術にかかったようにゆ〜らゆらと頭を動かす。それからロレンツォ神父はジュリエットの体を斜めに倒して支え、またもや催眠術をかけるように手をかざす(このシーンを見て、心中思わず「ハンド・パワーです」とつぶやく←古いか)。

そしてジュリエットとロレンツォ神父は一緒に踊りだす。ロレンツォ神父がアラベスクをしたジュリエットの手を取って一回転したりね。だからね、なんで落武者が踊るのよ〜?別にロレンツォ神父とジュリエットが踊らなくてもいいじゃない?

再びヴェローナの街並みが描かれた幕が下りて、ジュリエットがさっきとは反対方向に舞台を走って横断する。キャピュレット邸に帰っていくことを表現する演出である。そろそろこういうくどくて無意味な(以下略)。

舞台はまたジュリエットの部屋。あり?ジュリエットが薬の入った壷を持ってない。どうしたんだろ、と思っているうちにキャピュレット卿、夫人、パリス、乳母が入ってきてしまった。ジュリエットはパリスの前に静かに跪いてお辞儀をし、結婚の申し出を受ける。それからジュリエットはパリスと一緒に踊る。

ジュリエットは無表情でおとなしくパリスと踊るが、時に堪えきれない感情が湧いてしまう。ジュリエットは腕をつっかえ棒のように伸ばしてパリスを押しのけようとし、彼から必死に顔をそらして、辛そうな、嫌悪感を露わにした表情をみせる。この演技をしたのが伊藤友季子だったのか、それとも青山季可だったのか忘れてしまった。とにかくこのうちのどちらかが、上のような演技をしていて、それがとてもよかった。

両親、パリス、乳母が去ると、ジュリエットは胸元から薬壷を取り出す。あら、そこに隠し持っていたのね。ムネの谷間に(とは限らないが)物を隠すなんて、貴族のお嬢様としてこれはありなのだろうか?

ジュリエットはしばらくためらって踊るが、やがて薬壷の栓を抜くと、中身を一気にあおる。彼女は徐々に苦しそうな表情となり、床に倒れ伏してしまう。が、なんとかベッドに上がると、カーテンを閉めて倒れる。

仮死状態になったジュリエットがベッドに横たわっている。そこにジュリエットとパリスの結婚を祝う音楽が外から流れてくる(マクミラン版では第一幕の舞踏会のシーンでロミオがソロを踊り、クランコ版では第三幕でジュリエットの友人たちが踊る音楽)。ここはもっと効果を倍増させる演出がほしい。そうとは知らずに死人(ジュリエット)を祝っている、明るい音楽の虚しさと皮肉さをもっと醸し出せるといいと思う。

花を持ったジュリエットの友人たちが入ってきて、ジュリエットのベッドの周りで静かに踊る。彼女たちはジュリエットのベッドのカーテンを開けると、一斉にジュリエットの体の上に花の雨を降らせる。だがジュリエットは目覚めない。

友人たちが訝っているところへ乳母が入ってくる。乳母は目を閉じると両手を重ねて頬に当て、ジュリエットは眠っているのだ、と笑い飛ばし、ジュリエットを揺り起こそうとする。それでもジュリエットは目覚めない。乳母はようやく、ジュリエットが死んでいることに気づいて愕然とし、くず折れて嘆き悲しむ。そこへキャピュレット卿、夫人、パリスが入ってくる。ジュリエットが死んだことを知った両親は娘にとりすがって泣く。

舞台が暗転する。暗い舞台に、小さな灯火の明かりが列をなして瞬く。ジュリエットの葬列である。やがて舞台が明るくなる。ジュリエットの遺体は白い経帷子を着せられ、舞台の中央に置かれた石の寝台の上に横たえられている。ジュリエットの葬式の様子を、舞台奥にある橋の上からベンヴォーリオが目にする。ベンヴォーリオはそれを見るなり驚き、急いでどこかへ走っていく。つまりジュリエットが死んだ、とロミオに知らせに行ったのだ。ベンヴォーリオのこの早合点が悲劇を生む。

このプリセッキー版で最も特徴的なのがラスト・シーンだった。葬列に参加した人々が去ると、キャピュレット家の墓室は無人となる。パリスは居残らない。よってロミオに殺されることもない。パリスは第一幕では舞踏会のシーンからやっと出てきて、第三幕ではこのようにさっさと姿を消してしまう。よって結果として、パリスの存在が軽いものとなってしまった。私は別にパリスなんかどーでもいいのだが、どのような性格の人物なのかも分からないような、極端に印象の薄い役にしてしまうのはどうかと思う。

ベンヴォーリオからジュリエットの死を知らされたロミオが、息せき切って駆けてくる。ロミオは横たわったジュリエットの姿を目にすると、彼女の体を抱き起こして一緒に踊ろうとする。だがジュリエットの手足は力なく垂れ下がるばかり。ロミオは正面を向いてしゃがみこみ、ジュリエットの体を自分の膝の上に横たえて天を仰ぐ。このポーズでは、確かロミオは半爪先立ちだったような気がする。そんなに美しいポーズではなかったけど、やってるほうはかなり苦しいよね(試しに半爪先立ちでしゃがんでみましょう。できれば膝の上には20キロ入り米袋を2つのっけて)。

ロミオは毒薬の入った壷を取り出して一気に飲み干す。たちまち彼はその場に倒れて瀕死の状態となる。まさにちょうどそのとき、ジュリエットの体がゆっくりと動き出し、ついにジュリエットは目覚める。その目に飛び込んできたのは、床に倒れこんだロミオの姿だった。

瀕死のロミオもジュリエットがよみがえったことに気づく。ロミオは最後の力をふりしぼって立ち上がり、ジュリエットのもとへと駆け寄る。ロミオとジュリエットは嬉しそうに笑いながら、寝台の上で固く抱きあう。次の瞬間、ロミオはがっくりと仰向けに倒れて死ぬ。ジュリエットの顔から笑いが消える。ロミオが死んだことを知ったジュリエットは天を仰いで嘆く。彼女はロミオの腰から短剣を抜き取ると、それを自分の腹に突き刺す。ジュリエットはロミオの体の上に重なって息絶える。

天からぼんやりとした光がさしこんで、死んだふたりの姿を浮かび上がらせる(ついでにいうと寝台もせり上がる)。両脇からキャピュレット家とモンタギュー家の人々が静かに姿を現わす。彼らはロミオとジュリエットの横たわる寝台の前にやって来ると、お互いの手を取って和解する。そして死んだふたりの前に跪いて静かに祈る。

プリセッキー版のこのラスト・シーンでは、まずロミオがパリスを殺すという血なまぐささが排除されている。そして、ロミオとジュリエットが死ぬ寸前に再会を果たし、更にはキャピュレット家とモンタギュー家の人々が和解する、という救いも用意されている。ロミオとジュリエットが折り重なって死んでいる寝台がせり上がって光が射し込み、その前でキャピュレット家とモンタギュー家の人々が和解して祈る、という演出は、人によって好き嫌いが異なるだろう。私はちょっとお約束的に劇的かな?と思った。プリセッキーがロミオとジュリエットを「聖なる犠牲」扱いして、尊い象徴のようにみなしているというのは、このラスト・シーンでも感じた。

古くさくてお約束的な演出や踊りがいくつかあるものの、このプリセッキー版「ロミオとジュリエット」はいい作品だと思う。クランコ版とかマクミラン版みたいに振付がひねくれておらず、とてもクラシカルできれいだった。あとは牧阿佐美バレヱ団が優れたバレエ団だというのも新しい発見だった。日本にはめったにいない超優秀な男性ダンサーを目にできたことも嬉しい。小嶋直也、森田健太郎リスペクト!

(2007年4月2日)


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