Club Pelican

NOTE

マリインスキー・バレエ 「白鳥の湖」

(2006年12月8日、東京文化会館)

「白鳥の湖(Swan Lake)」、振付はマリウス・プティパ(Marius Petipa)、レフ・イワーノフ(Lev Ivanov)、改訂振付はコンスタンチン・セルゲーエフ(Konstantin Sergeyev)により、音楽はチャイコフスキーの同名曲を用いている。このセルゲーエフ版「白鳥の湖」の初演は、1950年、キーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)によって行なわれた。

主なキャスト。オデット/オディール:ウリヤーナ・ロパートキナ(Ulyana Lopatkina);ジークフリート王子:エフゲニー・イワニチェンコ(Evgeny Ivanchenko);

王妃:エレーナ・バジェーノワ(Elena Bazhenova);王子の家庭教師:ピョートル・スタシューナス(Pyotr Stasiunas);道化:アンドレイ・イワーノフ(Andrei Ivanov);王子の友人たち(パ・ド・トロワ):ダリア・スホルーコワ(Daria Sukhorukova)、エカテリーナ・オスモールキナ(Yekaterina Osmolkina)、ウラジーミル・シクリャーロフ(Vladimir Shklyarov);

ロットバルト:マキシム・チャシチェゴーロフ(Maxim Chashchegorov);

小さな白鳥:ワレーリア・マルトゥイニュク(Valeria Martynyuk)、オレシア・ノーヴィコワ(Olesia Novikova)、エレーナ・ワシュコーヴィチ(Elena Vasyukovich)、イリーナ・ゴールプ(Irina Golub);

大きな白鳥:アリーナ・ソーモワ(Alina Somova)、エカテリーナ・オスモールキナ、クセーニャ・オストレイコーフスカヤ(Xenia Ostreikovskaya)、エカテリーナ・コンダウーロワ(Yekaterina Kondaurova);

スペインの踊り:ガリーナ・ラフマーノワ(Galina Rakhmanova)、リーラ・フスラーモワ(Lira Khuslamova)、イスロム・バイムラードフ(Islom Baimuradov)、アレクサンドル・セルゲーエフ(Alexander Sergeyev);ナポリの踊り:ヤナ・セーリナ(Yana Selina)、マクシム・フレプトーフ(Maxim Khrebtov);

ハンガリーの踊り:クセーニャ・ドゥブロヴィナ(Ksenia Dubrovina)、カレン・イワンニシャン(Karen Ioannisian);マズルカ:スヴェトラーナ・フレプトーワ(Svetlana Khrebtova)、イリーナ・プロコフィエヴァ(Irina Prokofyeva)、オリガ・バリンスカヤ(Olga Balinskaya)、ガリーナ・ラフマーノワ(Galina Rakhmanova)、アレクサンドル・クリーモフ(Alexander Klimov)、アンドレイ・ヤーコヴレフ(Andrei Yakovlev)、フョードル・ロプホーフ(Fedor Lopukhov)、ニコライ・ナウーモフ(Nikolay Naumov);

2羽の白鳥:エカテリーナ・オスモールキナ、クセーニャ・オストレイコーフスカヤ

演奏はマリインスキー歌劇場管弦楽団、指揮はアレクサンドル・ポリャニチコ(Alexander Polyanichko)。

ジークフリート王子役のエフゲニー・イワニチェンコは、彼はマリインスキー・バレエではもうベテランなのだろうか、栗色の髪をオールバックにしてきれいになでつけ、大人の落ち着きを漂わせた渋い王子だった。長身でバランスのよい体型をしており、いかにも王子らしい堂々たる風采で存在感があって、それによって舞台に安定感をもたらしていた(こういう要素も大事だと思う)。

イワニチェンコは終始、非常に落ち着いた演技をみせてくれた。個性的とか独特な王子を演じている、という感じではなく、ジークフリート王子としてなすべき演技を堅実にやっている、という感じである。仕草や身のこなしは優雅で、また王子の気持ちや行動の動機をさりげないながらもきちんと表現しており、その演技は隅々までゆきとどいた丁寧なものであった。

王子は若いながらも鷹揚で優しい性格っぽくて、自分の成人を祝ってくれる人々の踊りに加わって、また彼らと一緒に祝杯を挙げる。勉強しようといちおう勧める家庭教師に、こんな時くらいはまあいいじゃないか、という感じで本をそっと押しのける。一方で道化に耳打ちして、家庭教師に美女二人と一緒に踊らせ、道化にからかわせる(美女の横から入り込んでキスをさせる)、という悪戯を大人の余裕で(笑)仕組んだりもする。

王子が友人たちから白い花の冠をかぶせられると、それをずーっと頭に載せたまま人々の間でゆっくりと踊る。なんかちょっとおマヌケな姿だったが、こういう演技にも王子の人の好さが表われていてよい。王妃が現れた瞬間、王子は急いで花の冠を外して道化にそっと渡す(道化がその花の冠を、酔って寝ている家庭教師の頭に載せていたのが笑えた)。

エレーナ・バジェーノワの王妃は、マリア・カラスみたいなゴージャス美人で、権高そうな雰囲気を漂わせ、またやや高圧的な性格らしかった。酔いつぶれてしまった家庭教師を見つけると厳しい表情になり、オロオロと取り繕おうとする家庭教師に対して、ビシッ、と片手を差し出して「言い訳は無用よ」と制する。これは第三幕で王女たちが踊るワルツの後での、王子との対立が期待できるぞ。

途中でダリア・スホルーコワ、エカテリーナ・オスモールキナ、ウラジーミル・シクリャーロフがパ・ド・トロワを踊る。最初のヴァリアシオンを踊ったエカテリーナ・オスモールキナがすばらしかった。次のヴァリアシオンを踊ったウラジーミル・シクリャーロフもすばらしく、端正で優雅な動きで踊っていた。確か、コーダのジャンプでは、両足を軽く打ちつけてから脚を大きく後ろに開いて跳ぶ、という動きをしていたように思う。最後、男性ダンサーを中心に、女性ダンサー2人が彼を支えにし、片足ポワントで立ってポーズを取るのも、まったくグラつかずに見事に決まった。

人々が列を組んで楽しそうに踊っている最中、ずっと微笑んでいた王子は、ふと曇った表情になって何か考え込む。ベタだがこうしてちゃんと伏線を張っている。

道化のアンドレイ・イワーノフは、複雑な技が織り込まれた踊りを、終始しなやかな動きで踊った。ジャンプは跳ぶときも着地するときも柔らかい。また回転は驚くほど安定していて、まったくグラつかず、しかもゆっくりと回る。ところが、最後に片脚を真横に上げて長時間回転するところでは、目にも止まらぬ超高速で回って凄まじかった。

人々が去ってしまうと、道化が王子と家庭教師にお城に戻るよう促す。しかし王子はまたもや曇った表情になって、あらぬ方向を見つめたまま立ちつくす。家庭教師が王子を促そうとするが、道化は王子の心情を思いやってか、家庭教師の背を押し、王子を一人残して去っていく。王子は逡巡するようにゆっくりと踊った後、やがて何かを思いついたのか、やや明るい顔になってクロスボウを手に取る。そして湖をめざして駆け去っていく。

第一幕が終わると、パ・ド・トロワを踊ったダリア・スホルーコワ、エカテリーナ・オスモールキナ、ウラジーミル・シクリャーロフ、そしてコミカルな演技と華麗な技を披露した道化役のアンドレイ・イワーノフのために、カーテン・コールが行なわれた。シクリャーロフは大喝采を受けていた。若いし、テクニカルだし(私の好みの踊りではないけど)、目が大きくてアイドル顔しているし(これも私のストライク・ゾーンじゃないけど)、これからもっと人気が出るんだろうな。

でも道化役のイワーノフ君が出てきたときも、ワーッと場内割れんばかりな拍手と喝采の嵐となった。ほんとにあの超高速連続ピルエットはすごかったもんね。イワーノフ君はぴょん、とユーモラスな仕草で跳んで、カーテンの陰に姿を消した。

第二場になると、上下鏡開きになった白鳥の人形が数羽、舞台の奥を行き過ぎていく。そしてマキシム・チャシチェゴーロフのロットバルトが登場する。メイクがとても濃くて、ほとんど素顔が分からない。白地に黒やら藍色やら銀色やら賑やかに塗りたくっている。

クロスボウを持った王子が現れると、その前にロットバルトが一瞬のあいだ姿を現わす。王子はクロスボウを構える。なるほど、王子には今のところ、ロットバルトが鳥にしか見えないわけだ。舞台の奥を1羽の白鳥が行き過ぎていく。白鳥の頭の上には銀色の小さな王冠が載っかっている。いいなあ、ベタで。王冠を頂いた白鳥が舞台の右端に消える。それと同時にウリヤーナ・ロパートキナのオデット姫が登場する。

ロパートキナはポワントでゆっくりとステップを踏むと、ジャンプするのではなく、上体を思い切り後ろに反らしたアラベスクでポーズを決めた。なるほど、オデット姫登場の瞬間は、必ずしもジャンプしなくてもいいわけね。オデットはそれから両腕を交互に動かして毛づくろいのような仕草をする。

「オールスター・ガラ」で観たときは、脚と足の動きのきれいな人、という印象が強かったが、ロパートキナは腕の動きもとても美しかった。ひとつひとつの動きをゆっくりと丁寧に踊り、動き全体が繊細で優美だった。彼女の表情もよかった。王子と出くわした瞬間、わずかに目を見開いて驚きの表情を浮かべ、じっと王子を見つめる。あとは腕と爪先の動きで、オデットの動揺を表現していく。

ロパートキナは基本的にあまり表情を変えない。あからさまに悲しそうな表情はせず、眉をわずかに顰めて落としたり、瞼を閉じたりするだけである。でも眉根を顰めて直線的になった眉と、目を閉じたときのまつ毛は美しく、かつオデット姫の苦悩が垣間見える。それに彼女はすごい目ヂカラがあって、目で物を言っているようだった。

白鳥たちを庇うところなんかもそうで、両腕を波打たせるように左右に動かして白鳥たちを指し示し、それから両手をゆっくりと合わせて王子を真っ直ぐに見つめる。「私たちに弓矢を向けないで」と目で訴えていた。

白鳥たちの群舞は、腕や脚の動きがみんなよく揃っていて美しかった。足の動きがよく揃っているので、トゥ・シューズの音もあまり響かなかったし、よって気にならなかった。ただ、東京文化会館の舞台は狭いのか、2羽の白鳥が片足を振り動かしながら、舞台の後ろから前に出てくる踊りは、なんかお互いに、また両脇に居並んでいる白鳥たちにぶつかりそうで狭苦しい感じがした。彼女たちも思い切り踊ることができなかったのではないだろうか。

でも、一糸乱れず、というほどではないが、群舞のダンサーたちは揃いも揃って、手足の動きやポーズが非常に優美で、しかもみな美しい容姿の持ち主ときているから、うっとりと見とれてしまった。

お楽しみのグラン・アダージョ。王子役のエフゲニー・イワニチェンコは急遽の代役だったので、ロパートキナとの踊りがどうなるのか少し心配だったが、それは杞憂に終わった。イワニチェンコのサポートやリフトはとても安定していて、ロパートキナの身体がグラついたりすることはなかった。でもオデット姫が片脚を前に上げながら後ろに倒れるとき、両腕でロパートキナの腰を抱えていたので、倒れるロパートキナのポーズがよく見えなかった(←私は片腕で抱えるヴァージョンが好き)。

それにしてもロパートキナは、片脚をゆっくりと後ろに上げたり、ゆっくりと回転したりする動きでも、決してバランスを崩さない。足元も揺れない。他には脚が180度以上も開くとかは、このバレエ団では、ぶっちゃけ女性ダンサーはみんなそうなのだ。だから「ロパートキナは脚がよく開いて凄い」とかは書くまでもない。でも、脚を上げたり開いたりするときに、絶妙に緩急をつけるというか、「ため」を持たせるというか、脚の動かし方が観ている側のツボにはまる。

ロパートキナは高潔で端正で品の良い踊りをするダンサーだな、と最初は思った。ストイックすぎるんじゃないか、と思ったくらい。でも途中から、ロパートキナは、実はやろうと思えばもっと当意即妙に、また自由自在に踊れるダンサーなんじゃないか、と感じ始めた。

王子がオデットの腰を抱えて垂直に持ち上げ、オデットはその瞬間に脚を開いて、着地してから回転して片脚を横に高く上げる。ここでイワニチェンコがロパートキナを持ち上げるタイミングが少し遅れた。しかしロパートキナはすばやく回転を終えると、片脚を鋭く、しかしあくまでしなやかな動きで振り上げ、音楽に間に合わせてしまった。

舞台の左に斜め一列に並んだ白鳥たちの横を移動しながら、王子が開脚したポーズのオデットを頭上高く抱え上げるシーン、私はもともとこのシーンが好きではなく、なぜかというと女性ダンサーが大抵の場合、見苦しい恰好になってしまうからだ。でもロパートキナはそれを知っているのか、最初から股をおっぴろげた格好で持ち上げられるのではなく、いちばん高く持ち上げられたところで片脚をぴん、と前に真っ直ぐに伸ばすという動きをしていた。そうすると見苦しくなくきれいである。もちろんイワニチェンコのリフトの仕方もよかったのに違いない。

小さな白鳥の踊りも私はあまり好きではないが、でもよく揃っていたと思う。しかし残念なことに、途中でダンサーの1人のトゥ・シューズの紐がほどけてしまった。踊り自体はよくても、ひらひらと彼女の足元を舞う淡いピンク色のリボンはやや目障りで、リボンくらいよくしまっとけ、と歯がゆく思った。

大きな白鳥の踊りも、舞台が狭いせいかダイナミックさに欠ける気がした。脚を高く振り上げたり、ジャンプしたりの大技が多い踊りなのに、狭苦しそうで気の毒だった。でもその中に一人、ダイナミックに踊るダンサーがいて、アリーナ・ソーモワちゃんではないか、と思った。キャスト表には出てなかったので不思議だったが、休憩時間に会場のロビーをうろついたら、別にキャスト変更の紙が貼ってあった。当初は出演予定のなかった3人のダンサーが急遽出演することになっていた。その中にソーモワちゃんの名前があった。

ロパートキナは、本当はもっと個性的な踊りができる人なんじゃないか、という思いは、オデットのソロで確信に近くなった。腕を羽ばたくように上下させながら、両足で回転して舞台を斜め横断する踊りの最後、もちろんロパートキナのしなやかに羽ばたく腕も美しかったんだけど、その振りが終わって決めのポーズに入る前の一瞬、ロパートキナは不思議な踊り方をした。

どういうふうに不思議だったのか、言葉では説明できない。具体的にどういう振りだったかも思い出せないけど、両腕を動かしながらすばやくアティチュードで回ったんじゃないかなあ(自信なし)。でもとにかく、その動き方がそれまでの踊りとは、質が全く違ったのだ。ロパートキナの手足が、幾筋もの線が流れるかのような曲線を描いて、そのあまりの美しさに思わずギョッとして、ギョッとした瞬間、客席から「ブラボー!」という声が聞こえた。まだソロが終わっていないのに。それから白鳥アラベスクで決めのポーズ。ロパートキナの「あれ」は、一体なんだったんでしょ!?

最後の白鳥たちの横一列行進の踊り、小さな白鳥たち、大きな白鳥たちの踊りも、舞台が狭く見えてあまり見栄えがしなかった。なんか後ろがつっかえて、舞台の奥にいるダンサーほど動きが遅くなって列が曲がってしまう。

王子はオデットに愛を誓う。ロパートキナのオデットは、目をやや見開いて胸に両手を当てる。全く笑ってはいないが、王子の愛に感動し、また救いを見い出したことがわかる。だが、ロットバルトが現れると、その魔力には逆らえない。オデットは今度は感情のない目つきになって、機械的に羽ばたきながら、両足を小刻みに動かして姿を消す。ロパートキナの退場の仕方は「正面向き表情なし羽ばたきパドブレ」であった。

第二幕の冒頭では、道化役のアンドレイ・イワーノフと女性ダンサー数人が踊る「コール・ド・バレエとこびとの踊り」があった。道化が踊るディヴェルティスマンである。が、第一幕での道化の踊りに比べると振付があまり面白くない。でもイワーノフ君は柔らかくて弾むような跳躍、安定した回転をこの踊りでも披露してくれた。今回の公演、道化役は完全に「当たり」だった。

次は王子の婚約者候補の姫君たちによるワルツ。でもキャスト表にはワルツを踊ったダンサーの名前が書いていない。姫君たちは白い紗のヴェールを後ろに垂らし、オフホワイトでレースの飾りの入った薄い生地のドレスを着ている。王妃は王子を促して姫君たちと次々に踊らせる。

王子が抵抗なく笑みを浮かべて姫君たちと踊るのには拍子抜けしたが、まあ王子たるもの、姫君たちに無礼な態度で接したりはしないよな。またイワニチェンコ王子の次の演技はよかった。王妃から気に入った姫君に贈るよう手渡された白いバラを握った王子は、姫君たちをじっと見やるが、ふと首をかすかに振って自嘲気味に笑い、白いバラを道化に放り投げる。

案の定、マリア・カラス似の権高そうな王妃は柳眉をきっと逆立て、ドレスの裾をひらりと翻しながら王子に近づき、厳しい表情で王子を見つめる。だが王子は王妃に特に許しを乞うわけでもなく、説得しようとするわけでもない。イワニチェンコ王子は落ち着きがあって優しいが、そのぶん意志が強くて頑固者でもあるようだ。

そこへ人間に化けたロットバルトとオディールが登場する。金銀の飾りが入った黒いチュチュを身にまとい、頭に黒い羽根飾りをつけたロパートキナは、冷たい表情ながらも凛として美しい。王子はオディールに一瞬で魅せられ、彼女の後を追って去る。ところで、常々疑問に思っていることがある。人間に化けたロットバルトは、なぜ堂々と王妃の隣の玉座(元は王子が座っていた椅子)に座るんだろう?客のくせに図々しくないか?

この後はスペインの踊り、ナポリの踊り、ハンガリーの踊り、マズルカ、とディヴェルティスマンが続く。これらの踊りはヒマくさくてあまり好きじゃなかったのだが、最初のスペインの踊り(ガリーナ・ラフマーノワ、リーラ・フスラーモワ、イスロム・バイムラードフ、アレクサンドル・セルゲーエフ)がとてもすばらしかった。女性ダンサーは上体をしなやかに後ろに反らし、どこまで背中が曲がるのかと思うほどであった(特に黒髪の女性ダンサー)。4人のダンサーたちの動きもよく合っていて、流れるように美しかった。

ナポリの踊り、ハンガリーの踊り、マズルカは、衣装が豪華できれいだな〜、くらいの印象しか残っていない。ディヴェルティスマンは難しいよ。何をどう楽しめばいいのか分からないんだもの。

ナポリの踊りといえば、最初は群舞の中で男性ダンサー(マクシム・フレプトーフ)がソロを踊っていたのが、途中で舞台の脇から女性ダンサー(ヤナ・セーリナ)がタンバリンを持って現れ、その男性ダンサーとともに踊り始めた。不思議な出方だった。マズルカは音楽が好きだし、振付もまあまあ好きなので楽しめた。ブーツのかかとを打ちつけると、ブーツに付いた鈴が鳴るのもいい。

黒鳥のパ・ド・ドゥ。私はオディールが一人でアティチュードを決めて、それから両脚を交互に前に振り上げるのがカッコよくて好きなのだが、ロパートキナはイワニチェンコにサポートされながらこれらの振りを踊った。この部分でサポートされる利点は、脚の振り上げ方がきれいにアレンジできることだと思う。ロパートキナも両脚を乱暴にぶん、と振り上げるのではなく、緩急をつけながらしなやかに脚を伸ばしていた。その後は一人でアティチュードをして静止した。

ロパートキナは口元に時おり淡い微笑を浮かべるものの、基本的には冷たい表情で王子を見据え、ここでも彼女の目ヂカラが存分に発揮された。プロフィール紹介の写真を見るとそんな感じにはみえないが、ロパートキナのオディールはクール・ビューティで、邪悪で卑しい雰囲気は微塵もなく、あくまで冷たくて近寄りがたい気品を保っていた。

オディールがはじめて表情を変えるのは、オデットの幻影が現れたときである。オデットの幻影が現れて王子がオディールから離れると、オディールはやや緊張した表情になってロットバルトを見やる。

それからオディールはオデットの真似をして羽ばたきながら王子に近づく。この羽ばたくときの腕の動きがまさにオデットと同じで(当たり前だが)、それではじめて、ロパートキナがオディールの踊りで、明らかにオデットのときとは異なる踊り方をしていたことに気づいた。

王子はオディールに手を差し出す。オディールは権高な態度で、王子に自分の手を取らせてやる。ああ、王子は完全にオディールに主導権を握られたな、と分かる。

オディールの踊りでは、ロパートキナのバランスを保つ能力の高さが際立った。アダージョでオディールは王子に手を取られながら片脚を耳の傍まで上げ、それから王子は手を放す。ロパートキナは片足ポワントで立ち、片脚を上げたままのポーズでビクともしない。

またヴァリアシオンでは、片足ポワントで回転し、そのまま後ろアティチュードのポーズで回転し、それからかかとをつけて片脚を後ろに伸ばし、更に耳の傍まで片脚をあげる、という動きを数回くりかえす。ロパートキナは全然バランスを崩さず、アティチュードでの回転もゆっくりで安定しており、足元も決してガタつかない。このヴァリアシオンが終わった後は、さすがに盛大な拍手とブラボー・コールが送られた。

コーダでの32回転はシングルではあったが、振り上げる脚の形や回る姿勢も美しく、また軸が安定していて、回っているうちに位置がどんどんズレてしまう、ということもなかった。超高速だかダブルだか知らんけど、32回転では、ポーズが美しくないとか、身体が段々斜めになってるとか、位置が移動しまくりとかいうダンサーっているでしょ?私は乱暴な超絶技巧よりも、丁寧で端正な技巧のほうが好みである。

王子役のイワニチェンコは、たぶん代役ということで観客の先入見も影響したんだろう。決して凡庸なダンサーではないのに、ふさわしい反応を得られなくて気の毒だった。彼はきちんと演技していたし、安定したリフトやサポートをしていたし、ヴァリアシオンだって丁寧に踊っていた。彼の王子キャラと同じく、踊りも堅実で落ち着いていた。私は判官びいきなので、彼のためにこれだけは言っておこう。

王子はついにオディールに愛を誓ってしまう。その途端、ロパートキナは大きく目を見開いて(目が王子を嘲笑している)、口を開けて白い歯を見せて微笑み、はじめて邪悪な本性を露わにする。オディールが去り際に、王子から捧げられた白いバラの花束をばっ、と撒き散らす演出はドラマティックで実によい。

第二幕終了後、第一幕終了後と同じくカーテン・コールが行なわれた。ディヴェルティスマンを踊ったダンサーたち、王妃役のエレーナ・バジェーノワらが観客の喝采を受けた。

第三幕、幕が開くと、白鳥たちが舞台のここかしこに、様々なポーズを取って佇んでいる。腕を緩やかに垂れて立っている者、上体を折り曲げて床にうつ伏せている者、白いチュチュが花のように舞台いっぱいに広がり、その光景のあまりの美しさに、私の隣の席に座っていた観客は、思わず「きれい!」とつぶやいていた。

冒頭の白鳥たちと黒鳥たちによる群舞(「白鳥たちの踊り」)が私は好きである。音楽はチャイコフスキーの原曲にあったのではなく、後にチャイコフスキーの他の作品をアレンジして補充されたとどこかで読んだことがある。でもどこかもの悲しいが美しくて印象に残る音楽だし、振付も音楽のイメージによく合っている。

この踊りで、マリインスキー・バレエの群舞にまたもや感嘆した。ゆっくりとしたステップを踏み、腕を緩やかに伸ばして柔らかくしならせ、また列を組んで静かに歩いてくる。途中、白鳥たちが縦一列に並んで、互い違いに逆方向を向き、両腕を前にさし出して揺らすと、白鳥たちの間を縫って黒鳥たちが列をなして飛んでゆく。この情景がもの悲しい音楽のイメージに重なる。

ソロを踊った2羽の白鳥、エカテリーナ・オスモールキナ、クセーニャ・オストレイコーフスカヤは両人ともすばらしかった。ジャンプして片足のみで着地して、羽ばたきながら片脚を後ろに上げるなんていう難しそうな振りでも、まったくバランスを崩さず、しなやかに、またなめらかに踊っていた。

「白鳥たちの踊り」が終わると、王子の裏切りに絶望したオデットが駆け込んでくる。彼女は激しく旋回しながら踊ると、やがて力なく床に倒れこんでしまう。白鳥たちがオデットをつつみこむようにして取り囲み、オデットを守る。

やがて音楽が徐々に盛り上がってくる。そろそろ王子の登場だ。ボリショイ・バレエの二の舞は見せてくれるなよ、と思いつつ、こちらの気分が高揚する。音楽が最高に盛り上がったところで王子が駆け込んでくる。待ってました!

王子はぐったりと身を伏せているオデットを抱き起こす。王子とオデットは一緒に踊るが、オデットは王子を拒んで離れるような振りで踊る。オデットを抱えようとする王子から身を離し、後ろ向きに片足で移動する。ロパートキナはここでも踊りに加えてすごい目ヂカラを発揮した。ロパートキナのオデットは王子をじっと見つめて、固い意志のこもったまなざしで「私とあなたはもうお別れしなくてはなりません」と言う。

そこへロットバルトが現れる。ロットバルトはオデットの身体を横向きに抱えると、オデットを王子から永遠に引き離そうとする。ロットバルトに捕まったオデットは、ぐったりとして抗う力ももはや残されていないようである。王子はなんとかオデットを助けようと奮闘するが、ロットバルトの魔力に押され気味である。

だが王子がオデットを頭上高く抱え上げると、オデットは王子の頭上で力強く羽ばたき、毅然とした表情で目を見開いてロットバルトを見下ろす。ロパートキナの威厳に満ちたポーズと表情が見事。ロットバルトははじめてたじろぎ、眩しそうに顔を背けながら後ずさりをする。

オデットは力尽きて床に倒れ伏す。王子は勇気を振り絞ってロットバルトに駆け寄ると、ロットバルトの片方の翼を引きちぎって、それを高々と天に向かって掲げる。王子はロットバルトの翼を武器に、徐々にロットバルトを追いつめる。そして、ついにロットバルトは床を激しくのた打ち回った末に死ぬ(ロットバルト役のマキシム・チャシチェゴーロフには、熱演賞を勝手に授与する)。

王子は瀕死のオデットを助け起こして、ロットバルトの死骸を指し示す。オデットは驚いて、信じられないといった顔をするが、やがて安らかな表情でゆっくりと王子の肩に顔を寄せる。王子とオデットが身を寄せ合う中、幕が下りる。

カーテン・コール。カメラのフラッシュが何度も光る。会場係はその都度、体を伸ばしてフラッシュが光った方向を見やっていたが、私がロンドンでボリショイ・バレエの公演を観劇したときの体験から考えるに、撮影したのはたぶん日本人の観客ではないと思うぞ。日本語以外の言語の注意アナウンスも流したほうがよかったかもしれない。

ロパートキナは、舞台の縁を右へ左へと移動してお辞儀をした。彼女は最後までオデットのキャラクターを保ち、長くて細い両腕をゆっくりとたおやかに伸ばして片膝をついた。

久しぶりに満足のいく「白鳥の湖」を観た。新国立劇場バレエもかつて上演していたけど、やっぱりセルゲーエフ版はよいなあ。スタンダードだけど飽きがこない。キテレツなところがなく、一貫して秩序を保っていて健全。ラストはハッピー・エンド。実にスッキリした。

マザコン王子の妄想物語だの、王冠の重圧に耐えかねた思春期王子の空想物語だの、夫を他の女に取られて精神錯乱したお嬢様の物語だの、なんだってみんな先を争って、「白鳥の湖」に「斬新で現代的な解釈」を施したがるのだろう。古典作品には古典作品のすばらしさがあると思うのだが。

それに、たとえセルゲーエフ版がソヴィエト連邦時代の政治的背景を反映しているとしても、「白鳥の湖」に関しては、私はハッピー・エンドのほうが好きだ。マリインスキー・バレエには、これからもセルゲーエフ版を大事に守って上演し続けていってほしい。

(2006年12月14日)


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