Club Pelican

NOTE

スターダンサーズバレエ団12月公演 トリプル・ビル

「Approximate Sonata」/「リラの園」/「スコッチ・シンフォニー」

(2006年12月2、3日、ゆうぽうと簡易保険ホール)

“Approximate Sonata”、振付・演出・照明はウィリアム・フォーサイス(William Forsythe)、音楽はトム・ヴィレムス(Thom Willems)、歌はパンプキン(トリッキー)(←“Pumpkin by Tricky”とあるが、トリッキーというバンドのパンプキンさんなのか?)、衣装はスティーヴン・ギャラウェイ(Stephen Galloway)。このバレエは1996年、フランクフルト・バレエ団(現フォーサイス・カンパニー)によって初演された。上演時間はおよそ30分弱。

今回の上演に際しては、ステファニー・アーンツ(Stefanie Arndt)とアントニー・リッツィ(Antony Rizzi)が振付指導を行なった。アーンツとリッツィは、この作品の初演者でもある。音楽は中盤からピアノ独奏となり、これは三原淳子が担当した。冒頭の効果音と歌は(おそらく)録音による。

ダンサー:小山恵美、新田知洋;丸山香織、橋口晋策;小平浩子、福原大介;福島昌美、大野大輔。

幕が開くと、舞台右手奥に紫の袖なしTシャツを着て青のズボンを穿いた(色は逆だったかも)男性ダンサー(新田知洋)が立っている。彼は体をぎこちなく動かしながら、床に引かれた1本の線に沿って、ゆっくりと足を踏み出して前に進む。その表情が面白い。口を大きく開けたり、眉を顰めて目を閉じたり、顔全体を歪めたり。笑っているような、苦しそうな、泣きそうな、奇妙な表情である。会場に貼ってあった新聞記事のコピーによると、これは「顔のダンス」なんだそうだ。

突然、彼は「メガネをかけていいですか?」と声に出して尋ねる。するとどこからかマイクを通じた「いいよ」という声が響く。その声は「落ちないように、両手でメガネを押さえて」、「左手で」、「いや、やっぱり右手で」などとダンサーに指示を出す。ダンサーが線からずれて歩くと、その声は「ずれてるよ」と注意する。これらのセリフは両日の公演ともに同じだったが、他はダンサーのアドリブだったようだ。たとえば、ダンサーが「このメガネ、どう?」と聞くと、声は「イケてるよ」(←笑)と答え、またダンサーが「この動き、バカバカしくないですか?」と聞くと、声は「もうちょっとやろうよ」と答える。

それから男性ダンサーはメガネをかけたままソロで踊り出す。これも会場に貼ってあった新聞記事のコピーによると、このソロはダンサーの即興による踊りなのだそうだ。今回、振付指導を担当したアントニー・リッツィが初演でこの役(?)をやったらしい。

今回も即興なのかどうかは分からない。が、果たして普段フォーサイスの作品ばかりを踊っているダンサーではない、スターダンサーズ・バレエ団のダンサーが、フォーサイス風の振りでいきなり即興で踊れるものかどうか。

それから黒のストラップのタンクトップに、明るい黄緑色のズボン姿の女性ダンサー(小山恵美)が出てくる。女性ダンサーはトゥ・シューズを履いている。二人はソロで踊ったり、また組んで踊ったり、あるいは組んで踊るかと思うと離れて踊ったりする。二人が踊る部分の振付は両日とも同じだったように思うので、これは事前に決められている振付だろう。

最初のペアが引っ込むと、2番目のペア(丸山香織、橋口晋策)が出てくる。男性ダンサーの服装は同じだが、女性ダンサーは黒いレオタードを着ている。髪はひっつめにして後ろでまとめている。タイツは穿いておらず、生足である。彼女もやはりポワントで踊る。彼らもソロで踊ったり組んで踊ったりする。

3番目のペア(小平浩子、福原大介)も2番目のペアと同じ服装で、また同じように踊る。2番目と3番目のペアの踊りも、やはり両日とも同じ振付だったように思う。もっとも、組んで踊る部分はあらかじめ振付が決められていたに違いないが、ソロで踊る部分にはもしかしたら、各ダンサーの即興によるところもあったのかもしれない。

4番目のペア(福島昌美、大野大輔)が出てきて踊る。服装は最初のペアと同じだが、女性ダンサーは明るいオレンジ色のズボンを穿いている。これら4組のペアの中では、丸山香織と橋口晋策の組が最も息が合っていて、踊りがスムーズでなめらかであった。また福島昌美の動きもしなやかで自然ですばらしかった。

振付はフォーサイス特有の「人間ねじり飴」みたいな複雑な振りと動きであったが、特徴的なのは息もつかせぬほどスピーディーで、めまぐるしく振りが変化していったことであった。音楽は最初は歌だったのが、途中からピアノ独奏になる。会場で配られたチラシによると、「ピアニストが何の曲を演奏するのかは決められておらず、ダンサーにも分からないままスタートする」とある。ホントかよ、と思わないでもないが、少なくともアレグロの速い曲、と指定されてはいるだろう。でないと、あれだけ次から次へと速いスピードで変化していく踊りには合わない。

4番目のペアが舞台上に残る。二人はふと踊りを止め、なにか話し合ってはまた踊り出す。ダンサーたちの声が小さくてよく聞こえなかったが、これも初日と次の日とでは違っていたようだ。「こっちからやりなおそう」、「倒れる部分からね?」などなど。まるでリハーサルのようである。最後は女性ダンサーがソロで踊っているうちに幕が下りる。

「顔のダンス」、ダンサーがアドリブでしゃべる、即興で踊る、などの実験的な諸々の試みはおいといて(興味ないから)、作品としてどうかというと、私はそんなに面白くは感じなかった。振付はいつもの「フォーサイス」風で、「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」や「ステップテクスト」とどう違うのか、私には分からない。

フォーサイスはあくまで「踊る側」の立場に立って作品を作る振付家なんだよな、と思うのは、フォーサイスの振付は、バレエをやっている人でないと、そのすばらしさや斬新さが理解できない、という点だ。私はバレエをやったことがないから、筋肉の使い方が、たとえばクラシック・バレエと比べてどう違うのか、ということが分からない。だからこの作品を「すごいわ〜」とは思えないわけだ。

ダンサーたちの踊りに関しては、あれほど複雑でスピードの速い踊りを、よくこなしていったものだと感心した。ただし、踊り込んでいない、また慣れていないことから来る物足りなさが残った。私はこの作品をまた観たいとは思わないが、もし再び観るとするなら、今度はフォーサイス・カンパニーのダンサーたちで観てみたい。

「リラの園(“Jardin aux Lilas”)」、振付はアントニー・チューダー(Antony Tudor)により、音楽はエルネスト・ショーソン(Ernest Chausson)の「詩曲(“Poeme”)」を用いている。装置は眞木小太郎、衣装はヒュー・スチブンソン(Hugh Stevenson)による。この作品は、1936年にバレエ・ランバート(現ランバート・ダンス・カンパニー)によって初演された。上演時間はおよそ20分。今回の上演に際しては、サリー・ウィルソン(Sallie Wilson)が振付指導を担当している。

ここからはオーケストラが入る。演奏は東京ニューシティ管弦楽団、指揮は田中良和。「詩曲」のヴァイオリン独奏は守屋剛志。なお、この「詩曲」は本当に美しい曲なので、みなさん機会があったらぜひ聴いてみて下さいね。

主なキャスト。カロライン:小池知子;その恋人:福原大介;カロラインの婚約者:東秀昭;カロラインの婚約者の元恋人:天木真那美。

幕が開くと、そこは淡い紫のリラの花が満開の庭である。空にはぼんやりした円い月が浮かんでいる。舞台の真ん中に白いドレスをまとったカロラインと、黒いタキシードを着た婚約者が腕を組んで立っている。しかし、カロラインは暗い顔をしており、婚約者の表情は硬い。ふと、緑色(だったかな?)の軍服を着たカロラインの恋人が姿を現わす。ふたりは切なげな表情で、お互いに向かって腕を伸ばす。

それからは、リラの木陰からカロライン、彼女の恋人の士官、カロラインの婚約者、彼の前の恋人、そして招待客たちが次々と姿を現わして踊ってはまた去っていく。

この「リラの園」は、結婚を目前にしたカロラインと婚約者の開いたパーティーの様子を描いたバレエである。パーティーに招かれた客の中には、カロラインが本当に愛する恋人と、カロラインの婚約者の前の恋人がいる。カロラインと士官はいまだに愛し合っているが、カロラインの婚約者は、もう前の恋人を愛してはいない。しかし前の恋人は彼にまだ強い未練がある。

この作品は、4人の登場人物によって具体的なストーリーを展開しているのではなく、この4人の静的な状態としての関係そのものを描いている。振付は全体的に機械的というのか、たとえば四肢をまっすぐに伸ばした、直線的で鋭い動きが多く、またあまり表情を動かさずに踊る。だから情念の生々しさがさほど感じられず、やや抽象的な雰囲気の作品となっている。

ただ、その機械的で抽象的な動きによって、カロラインとその婚約者の結婚が、必ずしも本当に幸福なものではないこと、華やかなパーティーの陰にある虚しさ、表面に出さずに心の中に押し殺された、彼らのやるせない感情が逆に際立つのである。

「火の柱」にも共通する、マイムを踊りの振付の中に完全に融け込ませてしまう振付と、踊りの振りそのもので人物の感情を表現する振付は、この「リラの園」にすでに完全に用いられている。

ひとりきりになったカロラインは、ピンと伸ばした脚を大きく鋭く旋回させ、また爪先を小刻みに動かし、あるいはポワントで立った両足をぐらつかせることによって、恋人の士官を愛しているにも関わらず、愛してもいない婚約者と結婚しなければならない苦しみを表現する。更に、招待客たちが向かい合って踊っているのに、カロラインと婚約者だけは背中合わせに腕を組んで踊っている。

カロラインの婚約者の前の恋人も同様で、大振りな動きの踊りと苛立ったような仕草のマイムによって、愛する男が他の女と結婚してしまうことへの焦燥を表わし、またカロラインの婚約者のところへ真っ直ぐ突き進んでいっては、身体をピンと伸ばして持ち上げられ、そのたびにすげなく放り出される。

短い作品ながらも見どころだったのは、カロラインと婚約者、カロラインの恋人と婚約者の元恋人がそれぞれ組んで踊るシーンだった。彼らは踊りながらすれ違うたびに、また交差するたびに、カロラインと恋人の士官は一瞬のあいだ見つめ合って手を取り、また婚約者の元恋人はすがるような視線で婚約者を見つめ、彼の肩に手をかける。

最後、カロラインの恋人の士官は、彼女に一房のリラの花を手渡す。婚約者にショールをかけられたカロラインは、士官からリラの花を受け取ると、静かな表情で招待客たちに挨拶し、婚約者とともに姿を消す。士官はリラの園にひとり残り、うつむいて立ち尽くす。幕が下りる。

・・・で終わりかと思ったら、またいきなり幕が上がった。すると、舞台の奥にはカロラインと婚約者が腕を組んで立ち、彼らを取り囲むように招待客たちが散らばっている。カロラインの恋人の士官はカロラインの前に、婚約者の前の恋人は婚約者の前に立っている。う〜む、最後は「絵」でシメるか。アントニー・チューダーって本当にすごいわ。これが70年前の作品か、と心の中で唸った。

カロラインを踊った小池知子と、カロラインの婚約者の元恋人を踊った天木真那美がよかった。脚や足の動きで女たちの心情をよく表現していたと思う。

「スコッチ・シンフォニー(Scotch Symphony)」、振付はジョージ・バランシン(George Balanchine)、音楽はメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」の第2〜4楽章を用いている。この作品は1952年にニューヨーク・シティ・バレエによって初演された。上演時間はおよそ30分弱。今回の上演に際しては、ベン・ヒューズ(Ben Huys)が振付指導を担当している。

主なダンサー。パ・ド・ドゥ(第3・4楽章):林ゆりえ、新村純一;ソロ(第2楽章):厚木彩(2日)、松坂理里子(3日)。

まず、幕が開いたときの華やかで美しい光景に思わずため息。藍色のベレー帽に赤い上着、紺色のキルト・スカートに同色の長い靴下を穿いた男性ダンサーと、淡いピンク色の袖とふんわりしたスカート、胴のところが黒で胸元にピンクのバラの花飾りがあるドレスを着た女性ダンサーが、半円形になって舞台に並んでいる。日本では見事な踊りに拍手はしても、見事な光景にはほとんど拍手しないよね。残念なことだ。

作品の構成については最初に紹介しちゃおう。第2楽章は群舞と女性ダンサーのソロ、第3楽章は男女のペアのデュエット(一部群舞)、第4楽章はパ・ド・ドゥ、最後にみんなで一斉に踊って終わり。振付はきちんとした端正なクラシック・バレエである。「ライモンダ」第3幕や「パキータ」によく似てる。でも作品名が「スコッチ・シンフォニー」というとおり、一部に両足を踏み鳴らすようなステップが取り入れられている。

この作品の群舞を観て、バランシンって、本当に左右対称が好きだよな〜、という思いを新たにした。カスケードで同じ振りを踊るところも多い。また、同じ構成の踊りを何度も繰り返す。

第2楽章でソロを踊る女性ダンサーの衣装がすごかった。赤いベレー帽、赤い上着、赤いタータン・チェックのスカート、赤い靴下、と全身真っ赤。踊りは初日に踊った厚木彩がすばらしかった。

第3楽章でいきなり、てめえはジークフリートかアルブレヒトか、と言いたくなるような、黒の上衣に黒いタイツという格好の、王子風男性ダンサーが登場する。なんでキルト・ファッションじゃないの?でもスコティッシュ・アイテム、赤いタータン・チェックのたすきをかけている。そして、ピンク色の袖とふんわりしたスカート、胴のところもピンク色の衣装を着た女性ダンサーが登場し、ふたりは一緒に踊る。どちらかというと、王子(スコットランドの貴族の子弟なのかも)が女性を追いかけている感じである。

ピンク色のドレスの女性を追いかける王子(とりあえずこう呼んどく)の前に、いきなり第2楽章のキルト男性軍団が現れて王子の行く手をさえぎる。すると、キルト軍団にあのピンク娘(とりあえずこう呼んどく)が抱えられて再び登場し、王子とピンク娘は一緒に踊る。このピンク娘は、スコットランド貴族のお姫様か、スコットランド王の王女なのかもしれない。

第4楽章は再び群舞となる。途中から王子とピンク娘も再登場し(絶対また出てくると思った)、パ・ド・ドゥを踊る。ピンク娘役の林ゆりえはポーズが本当にきれい。彼女は「くるみ割り人形」でクララ役を踊ったダンサーじゃなかったっけ?王子役は私が愛している(はずの)新村純一であった。でも気づかなかった。日本の多くのカンパニーがそうだと思うが、女性ダンサーはパッと目を引く人がいるのに、男性ダンサーとなると、これがなかなかいない。

最後に王子とピンク娘を中心にみんなが同じ振りで踊り、王子がピンク娘を肩に担ぎ上げて終わり。新村君、最後ちょっとグラついてたけど。

この「スコッチ・シンフォニー」は、私の推測では、「レ・シルフィード」と「ラ・シルフィード」と「ジゼル」をパロってる作品だと思うぞ。森の中で男性が美しい娘を追いかけるって、「ラ・シルフィード」か「ジゼル」みたいだし、あと、第4楽章の中で、王子とピンク娘をキルト軍団とピンク娘集団が密着して取り囲む、というシーンがあったけど、これがまた「レ・シルフィード」の最初と最後のシーンそっくりだったのだ。バランシンは、「ウエスタン・シンフォニー」でも「白鳥の湖」をパロっていたから、その可能性は高いと私は思う。

ちなみに今回の公演、2日はなぜか客席に外人の姿が目立った。男性はみな「プーチン顔」してたから、ロシア人じゃないだろうか。もしかしたらマリインスキー劇場バレエのダンサーたちだったのかな。そして、両日ともに、休憩時間になるたび、“Approximate Sonata”の振付指導をしたアントニー・リッツィが、会場内をウロウロ・・・じゃなくて周遊していた。黒髪のモヒカンだが気さくそうな兄ちゃんで、観客が連れていた赤ちゃんをあやしたりしていて好感度100%であった。

演目のセンスは良いし、女性ダンサーも良い。スターダンサーズ・バレエ団の次なる課題は、男性ダンサー陣のレベルアップだ。これからも頑張って下さい。

(2006年12月3日)


マリインスキー・バレエ 「オールスター・ガラ」

(2006年12月4日、東京文化会館)

平日、しかも月曜日の夜にこういう公演をやるのは、できればやめてもらいたい。こっちは次の日も朝から仕事なんだし。仕事帰り、疲れた足を引きずって上野へ行った。眼精疲労で少し頭痛がしたし体もだるかったので、クイック・マッサージか酸素バーに寄ってから、健康的にお粥でも食べて公演に臨もうと思った。でもマッサージ屋さんは予約でいっぱいだった。仕方なく、そのへんにあった自称「ブリティッシュ・パブ」に入ってビールを飲みながら食事をした。「フィッシュ・アンド・チップス」を頼んだら、よくホカ弁の上に乗っかっている白身魚のフライが出てきた。

この「オールスター・ガラ」は3部構成で、第1部の演目は1作品のみ。「レベランス(Reverence)」という作品で、上演時間は20分ほど。振付はデイヴィッド・ドウソン(David Dawson)、音楽はギャヴィン・ブライアーズ(Gavin Bryars)。振付者のドウソンはフリーランスの振付家で、オランダ国立バレエを中心に活動しているということである。この作品は2005年3月、マリインスキー・バレエによって初演された。

ダンサー:ダリア・パヴレンコ(Daria Pavlenko)、ソフィヤ・グーメロワ(Sofia Gumerova)、ヤナ・セーリナ(Yana Selina)、アレクサンドル・セルゲーエフ(Alexander Sergeyev)、ミハイル・ロブーヒン(Mikhail Lobuhkin)、マキシム・チャシチェゴーロフ(Maxim Chashchegorov)。ダリア・パヴレンコは、この作品の初演者の一人である。

なお、この作品は録音テープによって上演された。クラシック音楽ではなく、電子音による音楽と効果音を用いているためである。

舞台は一貫して暗い照明で、誰が誰だか分からなかった。せっかく開演前に顔写真と名前を覚えておいたのだが。ダンサーたちは、男性はブルー、緑、茶色、紺色の袖なしTシャツにズボン、女性も同じような暗い色合いのレオタードを身につけている。女性たちはトゥ・シューズを履いていた。前日に観たスターダンサーズ・バレエ団の“Approximate Sonata”と衣装がそっくりだった。

そっくりなのは衣装ばかりではなく、振付や作品構成もよく似ていた。コンテンポラリー作品である。3組の男女のペアが交互に、または同時に出てきて、時には組んで、時には離れてソロで踊る。男性ダンサーが舞台上にひとり残って踊るところもある。ただし、「レベランス」の振付は“Approximate Sonata”ほど複雑ではなく、またクラシック・バレエにより近かった。振りが変化していくスピードも“Approximate Sonata”ほど速くもない。

今さら体型を云々しても仕方がない。人種が違うんだから、しかもマリインスキー・バレエなので、どうしたって、こっちのほうが見栄えがするに決まっている。とはいえ、やっぱりマリインスキーのダンサーたちの高い身長、細くて長い手足、バランスのよい美しいスタイルには、どうしても驚嘆せざるを得なかった。

また決定的に違うのは、やはり身体の柔軟性、ダンス能力、表現力の高さである。女性ダンサーも男性ダンサーも、手足の動きがしなやかで、とりわけ腕は波打つように柔らかくしなって美しい。手足の動きの線も1本の線で繋がっている。暗い背景の中で、彼らの腕や脚の動きが光の流線を描いていく。まるで連続写真のようである。

それに彼らの身体はどこまで脚が開くのか、どこまで身体が曲がるのかと思うほど柔軟だ。女性ダンサーは180度以上の開脚が当たり前で、男性ダンサーに手を取られて開脚すると、開いた脚が背中すれすれにまで反り返る。それだけで息を呑むような迫力がある。

ペアで組んで踊るときも、それぞれの息はぴたりと合っている。男性ダンサーのリフトやサポートもすばらしい。もたつきやぎこちなさがなくてスムーズである。男性ダンサーが開脚した女性ダンサーを抱えて振り回すところでは、回るスピードは一定していて、女性ダンサーの旋回する脚の線が、旋盤のように鋭い美しい円形を描いている。

彼らはただ振りをこなしているのではなく、観客に「踊りを見せている」。たとえストーリーのない作品であっても、身体の動きだけで観客の目を奪ってしまう。これが表現力というものだろう。振付の良し悪しは分からないけれども、すばらしいダンサーが踊ればすばらしい作品になる。ふと、ネザーランド・ダンス・シアターのダンサーたちを思い出した。彼らも同じだった。

途中で、女性ダンサーが2回ほど、バランスを崩して足元を大きくグラつかせたが、このときはマリインスキー・バレエのダンサーだってミスはするさ、ぐらいの感じで気にならなかった。

第2部は7演目あり、それぞれがおよそ10分前後である。よって、上演予定時間は75分、と予定表に書いてあったが、カーテン・コールも含めると、実際には80分強はあっただろう。

この第2部からはオーケストラの生演奏が入る。演奏はマリインスキー歌劇場管弦楽団、指揮はアレクサンドル・ポリャニチコ(Alexander Polyanichko)。

「ばらの精(Le Spectre de la Rose)」、振付はミハイル・フォーキン(Mikhail Fokine)により、音楽はウェーバーの「舞踏への招待」を用いている。美術・衣装はレオン・バクスト(Leon Bakst)。この作品は1911年にバレエ・リュスによって初演されたが、初演者がヴァツラフ・ニジンスキー(ばらの精)とタマーラ・カルサーヴィナ(少女)であったことはあまりにも有名である。ニジンスキーがばらの精に扮した写真も残っている。

余談だが、ニジンスキーというと、私は青池保子のマンガ「イブの息子たち」に出てくるニジンスキーをどーしても思い出してしまう。「イブの息子たち」のニジンスキーは、昼間は白鳥の姿をしていて、ロンドンのハイド・パークの池に住んでいる。だが月の晩には白いチュチュを着た人間の姿になり(もちろん男)、眉間にたてじわ寄せた苦悩した表情で、「ヒース(登場人物の名前)、私を見て」とささやく。真剣にニジンスキーが好きなみなさんは、このマンガは見ないよーに。

キャスト。ばらの精:イーゴリ・コールプ(Igor Kolb);少女:ダリア・スホルーコワ(Daria Sukhorukova)。

幕が開くと、背景は左右に大きな窓がある、赤い薔薇模様の壁。左にゆったりした背もたれの椅子が置いてある。白いドレスを着た少女(髪型からすると19世紀前半か?)が、一輪の赤い薔薇の花を両手に持って、うっとりとした表情を浮かべている。この少女役のダリア・スホルーコワが、また背が高くて細くてすらっとした体型のきれいな子なのだ。

いつしか少女は椅子に深く座ってまどろむ。すると、開いていた窓から、薔薇の花びらを縫いつけたキャップをかぶり、やはり薔薇の花びらを上半身に縫いつけたピンク色の全身タイツを着た「ばらの精」が飛び込んでくる。なるほど、写真のニジンスキーの衣装を再現するとこうなるわけね。にしては、薔薇の花びらを縫いつけたピンクのキャップは、そのへんのおばちゃんがよくかぶってるナイトキャップに見えないこともないなあ。

私は「ばらの精」を観るのはこれがはじめて。「ばらの精」に扮したニジンスキーの写真のポーズを見て、けだるいゆっくりした踊りの作品なんだろうと予想していた。ところが、少女の部屋に飛び込んできた、イーゴリ・コールプ扮するばらの精は、部屋じゅうを大きくジャンプして飛びまわる。時には大きく前に、時には後ろ向きに、脚を大きく開いてダイナミックに跳躍する。ありゃー、ばらの精って、けっこうアグレッシブ(?)なんだなあ、とびっくりした。

面白かったのは両腕の動きで、一貫して両腕を緩やかに曲げ、柔らかくゆっくりと動かし続けるのである。一見すると腕の力がぬけてだらん、と垂れ下がったような感じで、その状態でゆらゆらと動かす。

イーゴリ・コールプが出てきて踊り始めた瞬間、おお、やっと「スター」が出てきたな、と思った。そんなに背の高い人ではないらしく、むちむちした筋肉質な身体をしているが、やたらと存在感があって目立つのである。

姿勢や動きはしなやかで美しく、ジャンプするときもあくまでしなやかな動きで飛び上がる。両脚は柔らかに大きく開き、しかも高くてダイナミックである。そして空中にいるときの姿勢も美しい。着地するときもほとんど音を立てない。ジャンプしてから、かかとを外側に向けて両足を前後に重ね合わせた形で、ゆっくりと着地していくのがすごかった。ゆっくりなので着地の「途中経過」が見えるのである。

ばらの精というのは妖精なのだろうが、コールプは一貫して、何を考えているのか分からない、不思議な微笑を浮かべていた。まあこれは少女の夢の中の話だから、何を考えているのか分からなくてもいいんだろう。ばらの精はまどろんだままの少女を起こして一緒に踊る。少女役のスホルーコワがほとんど目を閉じたまま踊っていたのがすごかった。コールプのリフトやサポートもすばらしかった。とてもパワーがあって安定している。少女がいきなりふわっ、と浮き上がる感じである。

ばらの精は少女を椅子にいざなって再び座らせると、大きく1回ぽーん、と跳躍して、窓から出て行って姿を消す。いやあ、イーゴリ・コールプはいいダンサーだなあ、と私は感心したが、肝心の観客の反応が(後に出てきた男性ダンサーへの反応と比べて)今ひとつな気がした。コールプはいいなあ、という私の感じ方が間違っているのだろうか。

「タリスマン(“The Talisman”)」のパ・ド・ドゥ、振付はマリウス・プティパ(Marius Petipa)、音楽はリッカルド・ドリゴ(Riccardo Drigo)による。プログラムによると、この「タリスマン」はもとは全四幕の作品で、1889年にマリインスキー劇場で初演された。

「タリスマン」とは「お守り」の意味で、この作品は「インドを舞台にした天女とマハラジャの恋の物語」だった。ちなみに天女は「ニリチ」という名前で、マハラジャは油ぎったオヤジではなく若者であるという。天女のニリチは不死の身を得ることができるお守りの星を地上に落としてしまい、それを拾ったマハラジャの若者とニリチは恋に落ちて、ニリチはお守りの星を手放し、人間として若者とともに生きることを選ぶ、というストーリーらしい。しかし現在は全幕の内容がほぼ失われ、主役二人によるこのパ・ド・ドゥしか残っていないという。

キャスト。ニリチ:エカテリーナ・オスモールキナ(Yekaterina Osmolkina);若者:ミハイル・ロブーヒン。

このパ・ド・ドゥはあんまり印象に残っていない。でも、ニリチ役のエカテリーナ・オスモールキナは、確か白い薄い布地の膝丈のドレスか、もしくは短いスカートのチュチュだったと思う。白だったのは間違いない(たぶん)。若者役のミハイル・ロブーヒンは、なぜか片方の肩をむき出しにした、長袖で水色の薄い生地の前あわせの上衣に、下はハーレム・パンツみたいに、ちょっとふくらみを持たせた同色のズボンだった。そうそう、「ラ・バヤデール」のソロルの衣装に似てる。

最初に女性ダンサーが現れて一人で踊る。オスモールキナはとても調子よくきれいに踊っていた。それから男性ダンサーも加わってアダージョ(だったかな?)になるのだが、その途中でロブーヒンがオスモールキナを支えようとした瞬間、オスモールキナの体がいきなり崩れ落ちて、両膝を折って舞台に座り込みそうになった。それをロブーヒンがあわてて助け起こし、急いでオスモールキナを斜めに倒して、その背中に手を回してポーズを取った。どちらに責任があったのかは分からない。

その後のオスモールキナは気の毒だった。せっかく順調に踊っていたのに、このアクシデントで気が動転したのか、いきなり調子が悪くなってしまった。回転がなかなか決まらない。バランスを崩して足元がガタついて、身体全体がよろめいてしまう。アダージョでもそうだったし、ヴァリアシオンでもそうだった。私はヒヤヒヤしながら、心中「がんばれ!」と彼女を応援したが、途中でふと、第1部「レベランス」で、ダンサーが数回ミスを繰り返したことを思い出し、マリインスキー・バレエの「オールスター・ガラ」がこれでいいのだろうか、という疑問が湧いた。

逆に、ロブーヒンは異常なくらいのハイテンションになった。ヴァリアシオンでは超絶技巧を駆使して踊っていたが、コールプよりもテクニックがすごいとも思えないし、大体しなやかさや優雅さがないのだ。ただ乱暴に飛んだり跳ねたり回ったりしている、という印象が強かった。

カーテン・コールでの観客の反応は良く、ロブーヒンに対しては轟くような拍手喝采が送られた。たとえ粗雑な動きでも、バンバン跳んでグルグル回ればそれでいいのか、と今ひとつ納得できない気持ちになった。それは次の「ロミオとジュリエット」バルコニーのパ・ド・ドゥでも同じだった。

「ロミオとジュリエット」、振付はレオニード・ラヴロフスキー(Leonid Lavrovsky)、プロコフィエフの同名曲を用いている。このラヴロフスキー版は、1940年にキーロフ劇場(現マリインスキー劇場)で初演された。

キャスト。ジュリエット:イリーナ・ゴールプ(Irina Golb);ロミオ:ウラジーミル・シクリャローフ(Vladimir Shklyarov)。

まず、ロミオ役のウラジーミル・シクリャローフのリフトとサポートが、素人目に見ても分かるくらいド下手だった。見ていて「こりゃねーだろ」と脱力した。ガタガタ、もたつき、お見合い、不自然な「間」、持久力のなさと、あれは最悪なパートナリングの見本だろう。リハーサル時間が足りなかったのだろうか。このへんでそろそろ「マリインスキーはやる気あんのか」と不愉快に思い始めた。

更にそんな思いに追いうちをかけたのが、途中でロミオがソロを踊る部分で(マクミラン版でもロミオは同じ部分でソロを踊る)、シクリャローフが異常にハイテンションになったことだった。さっきのロブーヒンと同様、バンバン跳んでグルグル回る。これもロブーヒンと同様、ただ超絶技巧を荒っぽく力まかせに披露しているだけで、しなやかさがない。きれいでない。優雅さがない。

こんなことに力をつぎ込むのではなく、もっと美しく流れるようにジュリエットと踊ってほしかった。カーテン・コールは大騒ぎだったが、私はあんなブザマな踊りに拍手する気には到底なれなかった。

「グラン・パ・クラシック(Grand pas Classique)」(オーベールのパ・ド・ドゥ)、振付はヴィクトール・グゾフスキー(Victor Gsovsky)、音楽はダニエル・オーベール(Daniel Auber)による。初演は1949年、シャンゼリゼ・バレエによって行なわれた。女性の踊りの初演者はイヴェット・ショヴィレ(Yvette Chauvire)であり、グゾフスキーは彼女のためにこの作品を振り付けたのだという。

ダンサーはヴィクトリア・テリョーシキナ(Viktoria Tereshkina)とレオニード・サラファーノフ(Leonid Sarafanov)。

ヴィクトリア・テリョーシキナはエキゾチックで華やかな顔立ちの黒髪の美女。誇り高そうな雰囲気と気品が漂い、感じがボリショイ・バレエのマリーヤ・アレクサンドロワに似ている。テリョーシキナは純白のチュチュを着て現れた。彼女は背が高くすらりとした体型で、更にスター特有の存在感を発散していた。ようやく女性のスター・ダンサーが登場したらしい。

この「グラン・パ・クラシック」のアダージョ、女性ヴァリエーションでの振付の特徴は、プログラムに書いてあるようにバランス技が多いことだった。アダージョでは、男性ダンサーに手を取られ、それから男性がぱっと手を離し、女性ダンサーがそのままの姿勢でバランスを保つ、という振りが多くみられた。

また女性ヴァリエーションでは、片足ポワントで立ったままゆっくりと回転して静止したり、かかとをゆっくりと上げ下げしながら、もう一方の脚を振り上げたりする振りが多かった。テリョーシキナは笑みを浮かべたまま、これらの技を余裕綽々で(やっているように見せるところがすごい)やってのけた。身体の軸はまったくブレない。非常に頼もしくて、安心して観ていられた。

テリョーシキナとサラファーノフが一緒に踊るときも、二人のタイミングはよく合っていた。コーダでだったと思うが、片脚を横に大きく振り上げてフェッテで回転するテリョーシキナの後ろにサラファーノフが近づき、彼女が正面を向いたときに、バッチリのタイミングで彼女の腰を抱えて、ビシッ、と回転を止めた。回転を止められたテリョーシキナの身体はいささかもグラつかない。彼女はポワントで立ったまま、何事もなかったかのように微笑んだ。すばらしいパートナリングである。

ただし、サラファーノフの踊りというか技は、やっぱりまだ粗くて勢いにまかせている感じがした。彼のテクニック自体はすばらしいと思うが、私はそれにプラスでしなやかさや優雅さがあってほしいのだ。

「眠れる森の美女(The Sleeping Beauty)」より「ローズ・アダージョ(The Rose Adagio)」。振付はマリウス・プティパ、改訂振付はコンスタンチン・セルゲーエフ(Konstantin Sergeyev)により、音楽はチャイコフスキーの同名曲を用いている。セルゲーエフ版の初演は1952年、キーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)によって行なわれた。

キャスト。オーロラ姫:ディアナ・ヴィシニョーワ(Diana Vishneva);求婚者たち:マキシム・チャシチェゴーロフ、セルゲイ・サリコフ(Sergei Salikov)、アレクサンドル・セルゲーエフ、デニス・フィールソフ(Denis Firsov)。

プログラムに挟まれていた紙によると、ディアナ・ヴィシニョーワは「瀕死の白鳥」を踊る予定だったのが、「ローズ・アダージョ」に変更になったらしい。上演予定の演目なんてもちろん知らなかったから、別に文句はない。むしろ踊る時間が長くなって(約7分)、他のダンサーと釣り合いが取れるからよかったんじゃん、と気楽に思っていた。

ヴィシニョーワのチュチュがかわいかった。ピンク色のチュチュなのだが、スカートの形が少し変わっていた。傘みたいにまっすぐ円形に広がっているタイプのものではなくて、フレアー・スカートみたいに表面がかすかに波打っているデザインのもの。

この「ローズ・アダージョ」も、女性ダンサーのバランスが見せ場の踊りである。4人の求婚者たちに次々に手を取られてはアティチュードの姿勢でゆっくりと一回転する。その間に姿勢を崩さないところも見せ場だが、オーロラ姫の手を取る求婚者が交代する一瞬のあいだ、サポートなしでアティチュードのまま静止しているところが最も大きな見せ場である。

ヴィシニョーワは美しいアティチュードの姿勢を保ったまま、男性ダンサーたちに交代で手を取られて一回転する。彼女の身体は決して揺れたりグラついたりすることがない。

だが、この踊りの途中、膝を曲げてかがんだ婚約者たちの肩に、オーロラ姫が背後から順番に手を置いて開脚してポーズを取っていくところで、ヴィシニョーワは最後の婚約者の背後でいきなり床にかがみ込んだ。最後の婚約者役のダンサーは、「あれ?」という感じで後ろをちらりと見やった。ヴィシニョーワは彼に目くばせしながら、両手で靴紐を結びなおすような仕草をした。

私はてっきり、跪いた最後の婚約者役のダンサーの靴がどうにかなって(後ろの留め具が外れたとか)、それを見つけたヴィシニョーワが留めなおしてやったのだと思った。自分の振りをはしょって、他のダンサーをフォローするなんて、ヴィシニョーワは性格のいい人だなあ、と感心した。が、もっと近くで観ていた方の話によると、ヴィシニョーワは、自分のトゥ・シューズのかかとが脱げたのを直していたらしい。それも2回も脱げたということだ。

うーむ、やっぱりさ、「オールスター・ガラ」なんだから、トゥ・シューズのかかとが脱げる、なんてアクシデントは、極力未然に防いでほしいものだ。しかも天下のディアナ・ヴィシニョーワなんだから。バレリーナは踊る作品によってトゥ・シューズを履き分ける、とどこかで読んだことがある。ヴィシニョーワはひょっとしたら、「瀕死の白鳥」用のトゥ・シューズで、「ローズ・アダージョ」を踊らざるを得なかったのだろうか?でもプロのダンサーなのに、そんなことってあるのかなあ?

「パヴロワとチェケッティ(Pavlova and Cecchetti)」、振付はジョン・ノイマイヤー(John Neumeier)、音楽はチャイコフスキー「眠れる森の美女」から間奏曲を用いている。初演年ははっきり書いていないが、どうやら1991年以降であるようだ。

パヴロワ役はウリヤーナ・ロパートキナ(Ulyana Lopatkina)、チェケッティ役はイーゴリ・コールプ。

この作品は伝説のプリマであるアンナ・パヴロワ(Anna Pavlova、1881-1931)と、イタリア出身のダンサーとしてマリインスキー劇場で活躍し、その後もペテルブルグに留まってバレエ教師を勤めたエンリコ・チェケッティ(Enrico Cecchetti、1850-1928)を記念して、ワガーノワ・バレエ・アカデミーに贈られたものであるということだ。ウリヤーナ・ロパートキナはアンナ・パヴロワ役の初演者でもある。

エンリコ・チェケッティは偉大なバレエ教師として後世に名を残し、彼のバレエ教授法は「チェケッティ・メソッド」と呼ばれて、現在も世界中のバレエ・クラスで用いられているという。彼の教え子にはアンナ・パヴロワの他、アグリッピーナ・ワガーノワ、ミハイル・フォーキン、ヴァツラフ・ニジンスキー、マリー・ランバート、ニネット・ド・ヴァロワ、アリシア・マルコヴァなどがいる。

舞台の中央にはバレエ練習用のバーが置かれている。その傍らにチェケッティ役のイーゴリ・コールプが立っている。その衣装が個性的というか悪趣味というか、黒のズボン、白いシャツ、ボルドーのネクタイまでは普通だが、ベストの模様がすさまじい。黒地に紫っぽいピンクのバラがてんこもりなハデハデ模様。コールプは白髪まじりのかつらをかぶり、口ひげをつけている。最初は誰だか分かんなかったよ。さっきの「ばらの精」とは別人度200%である。

やがてサーモン・ピンクのショールをまとったアンナ・パヴロワ役のウリヤーナ・ロパートキナが現れる。ロパートキナは栗色の髪の毛を後ろでまとめ、耳にはイヤリング、首には黒のチョーカーをつけ、白い練習用のチュチュを着ている。このチュチュがやっぱりかわいくて、昔風のデザインなのだろうけど、短い袖がつき、スカートはふくらみのある形で、その下に白いレースのアンダー・スカートが幾重にもかさなっている。ドレスのミニ版といった感じである。

ロパートキナは気品の漂うきれいな人で、すっきりと通った細いおとがいと白い首筋に、銀のイヤリングが美しく揺れている。

パヴロワとチェケッティはバーの前に立つと、チェケッティがパヴロワに様々なポーズやステップや動きをやってみせ、パヴロワはうなずいてその振りを繰り返す。オヤジの扮装をしてもコールプはやっぱりコールプで、身体が柔らかくて脚がよく上がる。

ロパートキナは踊りに神秘的な気品があり、とりわけ彼女の脚はすらりと長くて美しい形をしており、また彼女の脚の動きも実に美しかった。爪先の動きは丁寧で繊細だが、片脚を風車のようにぶん、と一回転させるところでは、爪先が耳元まで上がり、またスカートで隠れていた白い脚の付け根が露わになって、慎ましやかながらもダイナミックで迫力があった。脚の(形も動きも)美しい人、という印象が残った。

カーテン・コールではイーゴリ・コールプがちょう笑えた。教師然として顎をしきりに撫でながら登場し、拍手喝采にもにこりともせず、物々しそうに眉をひそめ、「う〜む」と考え込むような仕草で、あくまでチェケッティのキャラを保持していた。そのユーモラスな態度に観客がドッと笑った。

「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ(Tchaikovsky Pas de Deux)」、振付はジョージ・バランシン(George Balanchine)、音楽はチャイコフスキーの「白鳥の湖」から4曲を用いている。うち1曲は、ブルメイステル版「白鳥の湖」において、元来の配置どおりに黒鳥のパ・ド・ドゥのアダージョとして用いられた。ルドルフ・ヌレエフもマーゴ・フォンテーン、ウィーン国立歌劇場バレエ団とともに踊った「白鳥の湖」で、この4曲をパ・ド・サンク(第一幕)と黒鳥のパ・ド・ドゥで用いた。この「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」は、1960年にニューヨーク・シティ・バレエによって初演された。

ダンサーはオレシア・ノーヴィコワ(Olesia Novikova)、アンドリアン・ファジェーエフ(Andrian Fadeyev)。

アンドリアン・ファジェーエフが登場したときに拍手が起きたので、彼がマリインスキー・バレエのスター・ダンサーの一人だということが分かった。それにこの第2部の大トリだもんね。それでこの「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」がどうだったかというと、・・・それがなぜだか、さっぱり記憶に残っていないのです。なんかこざっぱりとして軽快な振付だったような気がする。あと、女性のヴァリアシオンで、女性ダンサーがそんなに上手じゃないな、と思ったことは覚えている。動きが音楽に追いついていなかったし、動きが粗くて雑だったから。

アンドリアン・ファジェーエフの踊りについては、残念ながら記憶のカケラもない。きっと疲れていたのだろう。だってこの時点で、開演からもう2時間以上が経過していたし。でもヘタだったら記憶に残るはずだから、きっとすばらしかったに違いない。

第3部の演目は一つだけで、「エチュード(Etudes)」である。振付はハラルド・ランダー(Harald Lander)、音楽はカール・チェルニー(Karl Czerny)、編曲はクヌドーゲ・リーサゲル(Knudage Riisager)による。上演時間はおよそ45分。振付者のランダーはデンマーク出身のダンサー、振付家で、この作品は1948年にデンマーク・ロイヤル・バレエによって初演された。マリインスキー・バレエによる初演は2003年である。

ダンサー。ソロ、パ・ド・ドゥ、パ・ド・トロワを担当したのはアリーナ・ソーモワ(Alina Somova)、レオニード・サラファーノフ、ウラジーミル・シクリャローフ。群舞はたぶん、今回の来日公演に参加したマリインスキー・バレエの群舞級ダンサーの全員。

今回の「オールスター・ガラ」で、いちばんの白眉だったと思うのが、この「エチュード」であった。最初、幕が少しだけ開く。するとその間に、白い簡素なチュチュを着た一人の女性ダンサーが現れる。彼女はぐぐーっとグラン・プリエをしてから身体を起こすと、客席に向かってにこり、と笑い、幕の陰に姿を消す。

幕が開く。舞台上にはレッスン用のバーが両脇と奥に置かれて、バーに沿って黒いチュチュを着た女性ダンサーたちがずらりと居並んでいる。音楽が始まる。彼女たちは一斉に手足をきれいに動かして練習を始める。照明の当て方が面白くて、女性ダンサーたちの首から下だけにライトを当てている。観客には彼女たちの顔は見えず、女性ダンサーたちの腕と脚の動きだけが舞台上に白く浮き上がる。

女性ダンサーたちは数人単位でまとまって同じ動きをし、舞台の上ではクラシック・バレエのあらゆるポーズ、ステップ、ムーブメントが同時に展開される。女性ダンサーたちは黙々とレッスンを続ける。機械的に動いていくたくさんの腕、脚、かかと、爪先。それを見ていたら、なぜだか感動してしまった。

いきなり舞台のライトがすべて落とされ、淡い藍色の背景の中に、レッスンを続ける女性ダンサーたちの黒いシルエットだけが浮かび上がる。この演出には思わず唸った。こうすると、女性ダンサーたちの整ったきれいなスタイル、動きの美しさがより目立つ。中央のバーでは、二人の女性ダンサーがバーに片脚をかけ、お互いの爪先をくっつけてポーズを取る。左右対称の切り絵を見ているようであった。

それから舞台の一箇所にライトが当てられる。するとそこには、白いチュチュを着た女性ダンサーが数人現れて、同じ振りでゆっくりと踊り始める。こうして女性ダンサーたちは、基礎レッスンから踊りに移っていく。

舞台がやや明るくなり、白いチュチュを着た女性ダンサーたちが多くなってきた。彼女たちはグループ単位で次々と現れては、群舞によくあるような振りを踊る。途中で男性ダンサーたちが現れる。彼らは淡いグレーのシャツにタイツという衣装。男性ダンサーたちは女性ダンサーたちと並んで、またペアを組んで踊る。やはり群舞のような踊りである。

途中でアリーナ・ソーモワが白いチュチュを着て現れ、女性ダンサーたちの中央でソロを踊る。また、レオニード・サラファーノフ、ウラジーミル・シクリャローフも現れる。彼らは白いシャツに白いタイツという衣装である。サラファーノフとシクリャローフは、ソーモワを二人でリフトしたり、二人並んで同じ振りで踊る。

ソーモワは最初はオデット姫のような短いチュチュを着ていたが、途中からシルフィードやウィリのような、長いスカートのチュチュに着替えてきて踊る。その振りは、ソロで踊るときでも、男性ダンサーと組んで踊るときでも、まさにシルフィードやジゼルの踊りの振りとまったく同じである。

つまりこの作品は、ダンサーたちのレッスンから始まって、それから実際の舞台での踊りの定式を見せて、また有名な古典作品の踊りを次々と紹介していっているのだ。レッスンでの様々な動きが発展して実際の作品の上演につながっていくこと、そして舞台上で展開されるすべての踊りは、地道で根気強い基礎レッスンにある、ということを観客に見せている。

それからは次々とダンサーたちのグループが現れ、みなで同じ振りを踊りながら舞台を横切っていく。まるでクラシック・バレエの技の展覧会である。普段は主役の周りで限られた振りの群舞を踊っているだろうダンサーたちも、美しいポーズ、バランス、爪先での技、回転、ダイナミックな跳躍など、各々のテクニックを存分に披露しては去っていく。

普段は主役級ダンサーの踊りばかりに目が行くが、そして第2部の演目はスター・ダンサーばかりが登場したが、この「エチュード」で、はじめて群舞のダンサーたちのそれぞれに「個」があることに気がついた。またはじめてマリインスキー・バレエというカンパニーの全体を目の当たりにしたような気がした。まったくいい演目を選んだものだ。

アリーナ・ソーモワ、レオニード・サラファーノフ、ウラジーミル・シクリャローフは、アクセントをつけるように、ところどころで現れては、やはりぞれぞれがテクニックを披露していた。ソーモワの跳躍はすばらしく、空中にいるとき、前に伸ばされた脚は腰よりも上にあがり、しかも美しい弓なりの形になっていた。

サラファーノフは主に回転、シクリャローフは主に跳躍を担当していたようだ。特にサラファーノフは本気でノリノリになっていたようで、片脚を真横に伸ばして延々と回り続け、また右、左と交互に回転しては、そのたびに「どうだ!」というふうに、シャウトするように口を開けて見得を切っていた。ダンサーたちの技を見せること自体が目的であるこういう作品では、サラファーノフのこのような態度はほほえましく、観ているこちらもとても楽しい気分になった。

ダンサーたちは最後まで疲れを見せず、実にパワフルに踊りきった。最後に全員が舞台上に揃って、一斉に踊って終わったときには、怒涛の拍手喝采が轟いた。ストーリーもなく、ただレッスンから実際の踊りへの過程を見せているだけで、踊りの振付もクラシック・バレエお約束の振りばかりである。それでもとても面白かった。私にとっては、群舞のダンサーたちそれぞれの「顔」や個性が見えたことが非常に新鮮だった。

カーテン・コールでは、レオニード・サラファーノフに最も大きな拍手喝采が送られた。サラファーノフはあの3人の中では最も人気があるのか、それともみな回転系の技のほうが好きなのか。でも私は、主役(?)の3人だけではなく、ダンサー全員になんとか称賛の気持ちを表したかった。力いっぱいの拍手を送るしかなかったが。

最後はスタンディング・オベーションになった。とてもよい演目の選定をしたと思う。「エチュード」は観客の気分を高揚させて、楽しい思いにさせてくれる作品だった。この「オールスター・ガラ」、最初はアクシデントが多くてハラハラしたしイライラしたが、終わりよければすべて良しで、実に楽しい気分で会場を後にすることができた。

(2006年12月7日)


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