Club Pelican

NOTE

ルジマトフ&インペリアル・ロシア・バレエ

プログラムA

「カルミナ・ブラーナ」/「アダージェット」/「シェヘラザード」

(2006年10月8日、新宿文化センター大ホール)

主催者がチケットを郵送してくれたときに同封してくれた会場への地図は、方向オンチの私にはまったく役に立たなかった。新宿駅の地下道を通って伊勢丹前の出口から出たものの、地図どおりに歩いたつもりなのに、なぜか歌舞伎町やゴールデン街に迷い込んでしまった。結局は「新宿文化センター 600M先」という小さな看板を見つけ、ホームレスのおじさんたちが住まう歌舞伎町の裏の小道を歩くことおよそ15分、ようやく会場に着いた。

この公演は早い話がルジマトフが「シェヘラザード」を踊るためのものである。そのためにはるばる日本まで駆り出されたインペリアル・ロシア・バレエとは、そもそもどういうカンパニーなのか。プログラムに載っている説明をまとめると、つまりこういうことらしい。

1993年、マイヤ・プリセツカヤのための記念ガラ・パフォーマンスが日本で開催されるにあたり、当時ボリショイ・バレエのソリストだったゲジミナス・タランダ(Gediminas Taranda)が、ガラ・パフォーマンスに参加するダンサーたちを組織した。

プリセツカヤはこのメンバーをいたく気に入り、このままバレエ・カンパニーとして独立しちゃいなさい、とタランダに勧めた。そこでタランダは国立モイセーエフ・バレエのソリストだったニコライ・アノーヒンとともに、1994年4月、インペリアル・ロシア・バレエを旗揚げした。ちなみにタランダは現在の芸術監督である。

インペリアル・ロシア・バレエのレパートリーは、「白鳥の湖」、「ジゼル」、「ドン・キホーテ」、「眠りの森の美女」、「くるみ割り人形」、「ラ・シルフィード」、「カルメン」(アロンソ版)、「ライモンダ」、「シェヘラザード」、「火の鳥」、「バラの精」、「牧神の午後」、「ワルプルギスの夜」、「バヤデルカ」、「ダッタン人の踊り」など。

新しいカンパニーであるにも関わらず、インペリアル・ロシア・バレエの活動は順風満帆で、それはひとえに創立者であり芸術監督でもあるタランダの並外れた有能さにあるようだ。

この公演は2部構成で、第1部は「カルミナ・ブラーナ」と「アダージェット」、第2部が「シェヘラザード」である。キャスト表にあるタイム・スケジュールを見ると、「シェヘラザード」の上演時間が50分なのは分かるとして、「カルミナ・ブラーナ」と「アダージェット」の上演時間が合計して60分、というのには、そりゃ無理でしょ、と思った。

「カルミナ・ブラーナ(Carmina Burana)」、音楽はオルフの同名曲だが、やはり抜粋版であった。振付はマイヤ・ムルドマ(M.Murdmaa)による。この作品はいつ初演されたのか分からない。2005年にモスクワで上演されたというから、いずれにせよ近年の作だろう。

主なキャスト。第1部「初春に」は、春:リュボーフィ・セルギエンコ(Liubov Sergienko);ソロ:キリル:ラデフ(Kirill Radev)。第2部「居酒屋にて」は、ソロ:キリル・ラデフ;酔っ払い:アレクサンドル・ロドチキン(Alexandr Lodochkin);天使:ユリア・ゴロヴィナ(Iuliia Golovyna)。第3部「愛の誘惑」は、娘:アナスタシア・ミヘイキナ(Anastasia Mikheykina);若者:ナリマン・ベクジャノフ(Nariman Bekzhanov)。

プロローグとエピローグでは、シンプルな衣装を身につけた群舞が原曲のイメージに従ってダイナミックに踊る。前かがみになって数歩ステップを踏むと、いきなり上半身を伸ばしてジャンプし、片脚を真横に上げながら回転する、という動きを次々に繰り返す。

それからの各部の踊りは原曲の内容にほぼ沿っている。第1部「初春に」では、女性ダンサーによる「春」たちが出てきてゆっくりと舞い、「春」の一人と若者とが一緒に、また別々に踊る。「春」たちは頭に花の冠を頂き、青い生地に花模様の入ったドレスを着ている。が、花の冠やドレスの質感が実に安っぽく、学校の文化祭や町内の祭りとかで披露される素人フラダンス・ショーの衣装みたいだった。

第2部「居酒屋にて」では、男性ダンサーたちが派手な色彩のTシャツとズボンを身につけ、木製の杯を手に持って盛んに祝杯を挙げ、ダイナミックなソロや、酔っぱらって千鳥足になったユーモラスな振付のソロを繰り広げる。

第3部「愛の誘惑」では、初めてトゥ・シューズを履いた女性ダンサー(娘)が出てくる。ポワントで踊るのはこの「娘」のみである。彼女と若者がソロで、あるいは組んで踊り、最後は大勢の恋人たちが出てきて一斉に愛の踊りを踊る。この第3部で若者役を踊ったナリマン・ベクジャノフは、サポートやリフトはぎこちなかったが、ソロを踊るときの手足の動きはなめらかで印象深く、恋に悩んだような表情もよかった。

プログラムによると、振付者のマイヤ・ムルドマは、バレエ「エストニア」を30年以上も率いるベテラン振付家で、この「カルミナ・ブラーナ」は、去年のモスクワ上演で大成功を収めたそうである。だが、この作品の一体どこに大成功を収めるほどの魅力があるのか、私には最後まで分からなかった。むしろ、これほどひどい振付にお目にかかったのは久しぶりである。

最も特徴的なのは、動きと次の動きとが分断していることである。コンテンポラリー的な奇妙な動きをしたかと思うと、次にはいきなり回転や跳躍といった典型的クラシック・バレエの華麗な技を披露して見得を切る、といった具合である。このような振付は唐突で一貫性がなく、また自然なつながりに欠ける。また、第3部「愛の誘惑」のデュエットでの、官能的というよりは卑猥で下品でついでに曲芸的な振付には参った。

この「カルミナ・ブラーナ」は東京公演のみの上演である。これからこの「シェヘラザード・ビル」をご覧になるみなさまはどうぞご安心下さい。

「アダージェット(Adagietto)」、音楽はマーラーの交響曲第5番第4楽章、振付はニキータ・ドルグーシン(N.Dolgushin)による。キャストはファルフ・ルジマトフ(Farukh Ruzimatov)。

この作品は男性ダンサーによるソロである。出だしが変わっていてしかも印象的だった。舞台が明るくなると、ルジマトフが客席に頭を向け、膝を立て、両腕を伸ばして仰向けに横たわっている。ルジマトフの表情は見えない。やがて両腕だけがゆっくりと波打つように動き出す。前に踊ったガキどものことなんか、ルジマトフのこの腕を見た途端に脳内から吹っ飛んだ。ようやくプロのダンサーが出てきてくれたよ〜。

「アダージェット」は音楽のイメージそのままに、静かでゆっくりした振付の踊りで、特に両腕を用いた動きやポーズが多かった。ルジマトフのために作られた作品ではないそうだが、ルジマトフのあの長くてしなやかな腕にはうってつけの踊りである。また上半身を反らせたり柔らかくしならせたりする動きも多くて、これまたルジマトフの余計な肉が一切ない(余計でない肉も一切ない)上半身によく似合っている。

回転はあったような気がするが、ジャンプはまったくなかった。立ったまま、または床にうずくまって、上半身と両腕のみを微かに、しかし細かに動かしていく。特に床にうずくまって上半身を伏せ、両腕を上げてかすかに震わせる動きでは、「瀕死の白鳥」をイメージした。両手を後ろに組んで体をこわばらせる動きも印象的であった。

振付はこういう感じだし、ルジマトフの衣装も上半身は裸で黒いズボンを穿いているだけである。よって冬に観た「バレエの美神」での「レクイエム」(笠井叡振付)を想起させたが、「レクイエム」の振付は鋭利で峻厳な感じがした。この「アダージェット」は、「レクイエム」に比べるとまだ曲線的で柔らかい。

ルジマトフの腕と上半身の動きはすばらしく、また全身から強烈なオーラを発散していて、やけにその姿が大きく見える。だが私は「レクイエム」でのルジマトフのほうが好みだ。ルジマトフは「アダージェット」ではメイクをして口紅まで塗っていたが、彼は本来、非常に男性的で野性的な魅力に溢れている人だと思うので、この種の中性的なイメージを作り出す必要はないんではないか。まあ、これはあくまで私の好みだけど。

「シェヘラザード(Scheherazade)」、音楽はリムスキー=コルサコフの同名曲をバレエ用に編集したもの。振付はミハイル・フォーキン(Mikhail Fokine)により、美術はレオン・バクスト(Leon Bakst)のデザインを再現した。この作品は1910年、バレエ・リュスによってパリ・オペラ座で初演された。

プログラムによると、今回上演されるのは、1993年にアンドリス・リエパ(Andris Liepa、マリス・リエパの息子、イルゼ・リエパの兄)とイザベル・フォーキン(Isabel Fokine、ミハイル・フォーキンの孫)によって復元され、マリインスキー劇場バレエによって復活上演されたヴァージョンである。

主なキャスト。ゾベイダ(王妃):ユリア・マハリナ(Yulia Makhalina、マリインスキー劇場バレエ、プリンシパル);金の奴隷:ファルフ・ルジマトフ;シャリアール王:ゲジミナス・タランダ;宦官長:ヴィタウタス・タランダ(Vitautas Taranda);シャザーマン(王の弟):ジャニベク・カイール(Zhanibek Kaiyr);オダリスク(ハーレムの女奴隷たち):エレーナ・コレスニチェンコ(Elena Colesnicenco)、アンナ・パシコワ(Anna Pashkova)、リュボーフィ・セルギエンコ。

「シェヘラザード」といっても、この作品にシェヘラザードは出てこない。リムスキー=コルサコフが付けた曲名(これも別にシェヘラザードをテーマにしたものではないが)に合わせただけだろう。

バレエ「シェヘラザード」のあらすじは次のとおりである。シャリアール王は王妃ゾベイダを寵愛している。王の弟であるシャザーマンは、王妃が不貞をはたらいていると密告する。王はそれを確かめるため、狩りに出かけると偽って宮殿を留守にする。そうとも知らず、後宮の女奴隷たち、そして王妃は男奴隷たちを後宮内に引き入れる。王妃や女奴隷たちが男奴隷たちと快楽に耽っているまさにそのとき、王たちが後宮内に一斉に踏み込む。激怒した王の命令によって、兵隊とシャザーマンは奴隷たちを皆殺しにする。王妃は王に許しを乞うが受け入れられず、短剣で自殺する。

セットは王の玉座と天井や背景の幕だけという簡素なものだったが、衣装のほうは、王や王妃、主役である金の奴隷はもちろん、群舞の女奴隷や男奴隷に至るまでみな豪華だった。群舞に関しては、「カルミナ・ブラーナ」では、インペリアル・ロシア・バレエのレベルに疑問を抱いたが、ああいう曖昧な作品よりは、こういう具体的なストーリーのある作品のほうが踊りやすいのか、みな生き生きと、またクネクネしたアラビア風の振付の踊りをなまめかしく踊っていた。

ゾベイダ王妃役のユリア・マハリナは、もう舞台の奥の暗がりに立っている瞬間から、明らかに他の女性ダンサーとは違うと分かった。ただ歩いているだけでも、表情といい、仕草や立ち居振る舞いといい、明らかにプロフェッショナルであり、また明らかに高慢な王妃であった。というか、容姿や体型からして、他の女性ダンサーとは違うの。とにかく美人。またあのえぐり取られたような細い腰、アーユー人間?と聞きたくなる。

王に対しては媚を売るような態度を取り、宝石も平然と受け取るのだが、その目つきは何を考えているのか分からない狡猾な感じで、王に心を許していないことが分かる。また王が狩りに出かけると知ったときには、王の背後で気だるそうに横たわりながら、鋭い視線を王に向けて、何か心の中で企んでいるような表情を見せる。

王たちが狩りに出かけた後、女奴隷たちは宝石を宦官長に賄賂として渡し、奴隷部屋の鍵を受け取って男奴隷たちを呼び込む。そして王妃も、婉然と微笑みながら、さっき王にもらったばかりの宝石を宦官長に放り投げ、自分も鍵を受け取る。王妃が王を今ひとつ愛していないことは、こういうところでも示される。そして王妃が鍵で戸を開けると、そこからルジマトフ扮する金の奴隷が飛び出してくる。

金の奴隷の衣装もきれいだった。暗い金色の胸当てに同色のハーレム・パンツという扮装。メイクも男らしくて精悍そうだ。やっぱりルジマトフは素顔に近いメイクのほうがいい。ちなみにゾベイダ王妃は宝石のちりばめられた胸当てに青いハーレム・パンツで、髪は後ろに垂らしている。しかし、マハリナは美人なばかりか、表情が本当に魅力的で、ルジマトフが踊っている最中でも、彼女は今どんな表情をしているのか、とどうしても気になってしまう。

ルジマトフは「アダージェット」とは打って変わって、ダイナミックな跳躍や回転を次々と決めていた。この人、舞台に立つとただでさえ大きいのに、こんなに姿勢がきれいで高いジャンプや脚の真っ直ぐな回転をされると、余計に迫力満点である。技の一つ一つに静かな凄味があって、だから私はこの人は非常に男らしいと思うわけ。彼は音楽に合わせるのも上手い。着地するときなんか、音楽の切れ目にきっちりと合っていて、着地ポーズも決してグラついたりしない。

マハリナも、オフ・ポワントで踊っていたにも関わらず、アティチュードのターンはスピードが一定で優雅で美しく、片脚を後ろに上げる動きでも高々と上がって、その身体のしなやかさと柔らかさに驚いた。ゾベイダのソロが少なかったのがちょっと残念。

王妃と金の奴隷が一緒に踊るところは、まず二人の関係が面白かった。金の奴隷は忠犬ハチ公みたいに王妃を誠実に、一途に愛している。王妃は金の奴隷のことを愛しているんだろうけど、微笑を浮かべながらさんざん奴隷をじらしたり、突き放したりしては、そのたびに彼を引き寄せる。

この作品の大部分は王妃と金の奴隷との踊りで、それが30分近くも続くといいかげん飽きそうなものだが、見ていてとても不思議な魅力がある。公演チラシには「官能的」とか「妖艶」とか書かれていたけれど、決して性的にアブない感じはしない。元来の振付もそうなんだろうけど、ルジマトフとマハリナの踊り方が実に巧みというか、まず品がいい。といってもお上品ぶってるんではなくて、官能的かつ抑制が効いて品位を保っている。たとえばルジマトフがマハリナの体をまさぐる振りでも、ぜんぜんいやらしくない。

それから、マハリナとルジマトフのタイミングがバッチリ合っている。とても自然で、音楽に乗せて歌うようにふたりで踊る。これはとてもすばらしかった。実際、黙って踊っているはずなのに、まるでふたりが語り合う声が聞こえてくるみたいだった(みかこさん、拝借!)。

初めは「妖艶な女」の顔で、奴隷をいたぶるようにじらしていた王妃も、徐々に本当の心を表に出してくる。ふと暗い顔つきになって目を落としてうつむいたり、少女のような明るい笑顔を浮かべて奴隷と並んで踊ったり。マハリナは本当にいい表情をする。

だが、そこへシャリアール王と王の弟のシャザーマン、兵隊たち(といっても2人)が踏み込んでくる。逃げ惑う奴隷たち。兵隊とシャザーマンは奴隷たちを次々と殺していく。金の奴隷もシャザーマンの剣の下に倒れる。

ここで「おおっ!?」と思ったのが、王妃の不貞を目の当たりにしたシャリアール王の演技である。王妃は王にまとわりついて、また両手を組んでさし出し、王に許しを乞う。最初は激怒していた王の表情が段々と緩んでくる。だがシャザーマンが王の肩を叩き、断固たる処置を取るように念を押す。王は再び表情をこわばらせる。

それを見た王妃は王の短剣を抜く。自殺しようというのである。しかし彼女は短剣を王にさし出し、短剣を自分から奪って自殺を止めてくれるよう最後の懇願をする。だが王はそれを手で制する。絶望した王妃は短剣を一気に自分の腹に刺す。その途端、王はあわてて王妃に駆け寄り、その体を抱きかかえる。王は悲しみの表情を浮かべて、死んだ王妃の傍に佇む。

この王様役の人はいい演技をするなあ、と思って後でキャスト表を見たら、なんと芸術監督のゲジミナス・タランダであった。タランダのシャリアール王、特にラスト・シーンでの演技には注目ですよ。

カーテン・コールはとても盛り上がったけれど、一つだけ気になったことがあった。花束をルジマトフに直に渡している人が大勢いたんだけど、ルジマトフはマハリナと一緒に前に出てきたのだから、たとえルジマトフに花束を渡したいとしても、女性のパートナーが一緒にいる場合は、女性ダンサーに渡したほうが礼にかなっていると思う。ルジマトフはいい人で、あふれんばかりの花束を律儀にぜんぶ受け取っていたけれど、心の中では少し戸惑っていたかもしれない。

もっとも、マハリナは途中から奥に引っ込んで、隣にいるゲジミナス・タランダと何やら話しながら、「すごいわねー」という表情で笑っていたが。

でもまあ、最後は会場総立ちのスタンディング・オベーションで、マハリナもすごく嬉しそうな顔をして、手で胸を押さえていた。ああいうクール・ビューティが、カーテン・コールで素の明るい笑顔を浮かべてくれると、見ているほうも嬉しい。

「シェヘラザード」は、作品としてはそんなに優れているとは思えないが、ルジマトフとマハリナという優秀なダンサーによって踊られたことで、すばらしい作品になったと思う。次はスヴェトラーナ・ザハロワがゾベイダ王妃を踊るけど、どう違うのかな。これもまた楽しみだ。

(2006年10月9日)

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プログラムB

「プレリュード」/「ダッタン人の踊り」/「アダージェット」/「瀕死の白鳥」/「ワルプルギスの夜」
「シェヘラザード」

(2006年10月15日、新宿文化センター大ホール)

今回は道に迷わずに会場へ順調に着いた。前回、道に迷ったのが悔しかったので、道すがら、自分が前はどこをどうやって間違えたのか確認しながら歩いた。そしたら地下道の伊勢丹前出口が向いている方角を間違えたために、誤って歌舞伎町に入り込んでしまったことが分かった。これからは絶対に道に迷いまへん。もう負けなくってよ、新宿文化センター。

「プレリュード(Prelude)」、音楽はバッハのコラール前奏曲(Chorale Prelude)“来たれ、異教徒の救い主よ”(BWV.659)、振付はアレクセイ・ミロシニチェンコ(Alexei Miroshnichenko)による。

振付者のミロシニチェンコはなんと1974年生まれのちょう若手。マリインスキー劇場バレエのソリストにまで昇進したが、現役ダンサーだった頃から、振付、バレエ指導、改訂振付や演出に取り組み、現在は振付家、またバレエ・マスターとして活躍しているらしい。ロシア国内はもちろん、海外でもすでにニューヨーク・シティ・バレエに作品を提供している。

「プレリュード」はユリア・マハリナのために作られた小品(およそ5分)で、2003年にマハリナ自身によってサンクト・ペテルブルグで初演された。今回が日本初演となる。この作品は一人の女性ダンサーによって踊られる。キャストはもちろんユリア・マハリナ。

マハリナは白いハイネックで長袖のレオタードを着て、水色の透けた生地のふんわりした長いスカートを穿いている。静かな踊りで、振付はクラシック・バレエの動きを基調としていて、マハリナはポワントで踊るが、「おお、クラシック・バレエだ」という感じはそんなにしない。腕の動きが変わっていて、なんだかまるで女性版「アダージェット」みたいだな、という印象を持った。

マハリナの緩やかにたわむ両腕の動きや、手足の角度が形作る線は美しく、脚は耳元まで高く、且つしなやかに上がる。彼女が腕や脚を上げ下げするタイミングやスピードもツボにはまっている。だがマハリナは終始沈んだ表情をして、またいきなり床に勢いよく倒れこむと(一瞬、本当に転んだのかと思った)、上半身だけを起こして身体を曲げ、腕を伸ばして天を仰ぐ。

「アダージェット」といい、この「プレリュード」といい、ロシアの振付家が作るモダン作品には、内面の懊悩を静かに滲ませたような踊りが多い(って、ぜんぜん数観てないけど)。凄味という点ではルジマトフの「アダージェット」にはかなわないが、マハリナの「プレリュード」も、内に込めた激しい感情を無理に押さえ込んでのたうっているような感じで、マハリナのイメージには似合う作品だった。

でもちょっと思ったのは、彼女はこの作品を、まだそんなに踊り込んでいないのではないかな?表面的な「振り」を踊っている、と時おり感じられたから(これもルジマトフと比べて、の話だが)。でも、いい音楽を使っているし、まあまあの佳作だと思うから、今度またぜひ見せて下さい。

「ダッタン人の踊り(Polovtsian Dances)」、音楽はボロディンのオペラ「イーゴリ公(Prince Igor)」からの抜粋。振付はカシヤン・ゴレイゾフスキー(Kasyan Goleizovsky)、ゲジミナス・タランダ(改訂振付か)による。この作品は1932年(34年説もあり)にボリショイ劇場で初演された。上演時間はおよそ15分。

イーゴリ公はポロヴェッツ族に戦いの中で捕らえられ、ポロヴェッツ族の首領であるコンチャック汗は、敵ながらも勇敢なイーゴリ公に敬意を表して宴を開く。「ダッタン人の踊り」はその宴の余興として繰り広げられる。

「イーゴリ公」はそんなにメジャーなオペラではないと思うが、「ダッタン人の踊り」だけは一人歩きして非常にメジャーな曲になった。本来は合唱つきだが、オーケストラのみで演奏される機会も多い。他にもいろんなふうにアレンジされて、特にテレビ・コマーシャルでは、この曲を耳にしない時はない、と言ってもよい。

今回の上演で用いられたのは合唱つきのほうである。私はオーケストラのみのバージョンが好きだが仕方がない。

振付者のゴレイゾフスキーは1892年生まれ、かつてはボリショイ劇場バレエのダンサーであり、後に振付も手がけるようになった。やがてゴレイゾフスキーは自分のバレエ・カンパニーを設立し、ボリショイ劇場の外で活動し始める。ゴレイゾフスキーはもともとミハイル・フォーキンの教え子であり、その作風はモダン・バレエの要素が強く、振付家として名を馳せるようになってからは、多くの若い振付家たちに影響を与えた。ジョージ・バランシンもその一人であったということである。

主なキャスト。クマン:ジャニベク・カイール;チャガ:アンナ・パシコワ;騎兵:キリル・ラデフ;ペルシャ人:エレーナ・コレスニチェンコ。

この「クマン」とか「チャガ」とかが誰を指すのかよく分からん。よく踊る弁髪ヅラの男性ダンサーが2人いて、「クマン」ていうのは弁髪男その一で、半裸の女と一緒に踊っていた人(東洋系の顔立ちをしていたダンサー)のこと?で、「チャガ」っていうのは半裸の女で、姿も表情も踊りもワイルドだった子でしょ?「騎兵」は弁髪男その二で、馬用の鞭を振るいながら、ソロで超絶技術系の踊りを踊っていた人だと思う。「ペルシャ人」は冒頭でタンバリンを持って踊っていた女性ダンサーの一人で、最後に「騎兵」と一緒に踊る子だろう。

率直な感想を言うと、1932年の当時はモダンだったとしても、2006年の現在ではモダンでない、という印象だった。というか、なるほど、1932年にはこういうのが「モダン」で「斬新」で「実験的」だったのか、という感じである。

まず、ペルシアの女たちが出てきて、タンバリン(?)を叩きながら、「シェヘラザード」とかぶるような、オリエンタルっぽい「クネクネ踊り」を踊る。やはりオフ・ポワントで、身体をくねらせて踊るのが特徴である。それから、「クマン」や「騎兵」が登場し、かな〜り難度の高い技術で構成された踊りを踊る。

たとえば、ジャンプして身体を回転させると同時に、更に下半身をねじって脚を前に高く上げて鋭く一回転させる、とかね。これはキリル・ラデフ君(「騎兵」)がやっていて、その超人的な技にびっくりした。男性のソロの踊りには、跳躍や回転などの、クラシック・バレエのダイナミックな男性技がふんだんに含まれている。

たぶんこのへんが当時は「モダン」だったんだろうな、という踊りが、「クマン」と「チャガ」のデュエットである。野生の動物をイメージさせるワイルドな仕草と踊りで、まるで戦っているかのようであった。たとえば、「クマン」と「チャガ」が荒々しくジャンプして片脚を後ろに思い切り上げるとか、床に這いつくばって睨みあうとか。

「チャガ」は目をかっと見開いて、「クマン」や「騎兵」に終始反発しているような感じであった。「騎兵」は鞭を振るいながら、または床に鞭を打ちつけながら、荒々しい表情と仕草で踊る。思わず噴き出しそうになったのが、「クマン」と「騎兵」が踊っている最中に「きえーっ!」と奇声を上げて叫んだところである。これは遊牧民族の勇壮さと野蛮さとを表現したのだろうが、観ているほうが恥ずかしいのでやめてほしい。いいじゃん別に叫ばなくたって。

今いち気に入らなかったのは、群舞の配置が不揃いで雑然としていたことである。中盤から、あの徐々に盛り上がっていく音楽に乗せて、ポロヴェッツ族の女たちや兵士たちが列なして続々と登場し、舞台上でひしめきあって踊る。不揃いでも秩序があって美しい群舞の配置もあるが、ゴレイゾフスキーによる群舞の不揃いな配置は、単なる不揃いに過ぎず、ダンサーのごった煮みたいで美しくない。

ゴレイゾフスキーの「ダッタン人の踊り」は、作品としては、今となっては原始的な振付・演出の作品だった。でも、インペリアル・ロシア・バレエのダンサーたちは生き生きと踊り、しかもレベルの高い踊りを披露していて、プログラムAの「カルミナ・ブラーナ」とは、比べようもないすばらしさであった。エレーナ・コレスニチェンコはたおやかに踊り、アンナ・パシコワはエネルギッシュに踊り、キリル・ラデフはすばらしいテクニックを披露した。でもラデフ君、けっこうイケメンなのに、弁髪ヅラに釣り目のメイクで、「ラーメンマン」そっくりだったんだよな・・・。

次はお楽しみの「アダージェット」であるが、まず舞台の両側からスモークを噴出させる演出は不要である(Aプロではなかった)。この作品には、ルジマトフと照明さんがいればいいのです!劇的効果を盛り上げる装置や演出は必要ない。大体、これは防災訓練かと思うような大量のスモークを焚かれると、ルジマトフの姿がよく見えないじゃないか。私は今日は「筋肉観察」をしたいんだから。

先週に引き続いての2回目の鑑賞なので、今回は割と余裕を持って観ることができた。ルジマトフの腕や上半身の筋肉の、緻密で繊細な動きばかりでなく、ルジマトフのポーズや手足の動かし方などにも注意が行った。

それにしても、あの腕の動きは凄まじい。ただ腕を伸ばすだけでも、腕全体の筋肉が、むりむりむり、と細かく波打つように動いていってピンと反り返るように伸び、ルジマトフ独特のあの腕の形となる。冒頭は腕を動かしながら背中を見せるだけなんだけど、既に腕と背中が何かを語っている。

あとは立ち上がってゆっくり踊る。片脚を後ろに上げて静止するポーズもきれいである。途中で両足を揃えて回転する動きが何度かある。振付的には、あれは浮いてると思う。でもルジマトフが回転しながら両腕を真横に伸ばしたら、回転する両腕の形がとても美しかったので、そんなことは気にならなくなってしまった。

腕と上半身しか見えないけれども、全身の筋肉をフルに使って、またすみずみまで神経を張りつめて踊っているんだろう。ゆっくりな踊りだが、なにせ10分近くもあり、またルジマトフが実に一生懸命に踊るので、「アダージェット」が終わるとルジマトフの胸元は真っ赤になってしまっている。本当に真面目というか、激しいほどに真摯というか、こういう壮絶なダンサーがいるんだなあ、とあらためて思った。

でも、やっぱりあのメイクはやめてほしい。よく見たら、白いファンデーションに口紅ばかりでなく、水色のアイシャドウまで塗っているではありませんか!そんなお耽美メイクはしなくていいのっ!

「瀕死の白鳥(The Dying Swan)」、音楽はサン=サーンスの「動物の謝肉祭」より「白鳥」を用い、振付はミハイル・フォーキンによる。上演時間はおよそ5分弱。これはアンナ・パブロヴァのために振り付けられた作品であり、1907年にサンクト・ペテルブルグで初演された。

実は私、生で「瀕死の白鳥」を観るのはこれが初めて。マイヤ・プリセツカヤが踊る映像と、トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団によるお笑いヴァージョンの映像しか観たことがない。プリセツカヤの映像は、彼女がまだ若い頃に踊ったものと、近年(といっても10年以上前)に踊ったものを観た。

今回のキャストはユリア・マハリナ。登場のポーズがプリセツカヤとは違っていて、プリセツカヤは後ろを向いて両腕を波打たせながら、爪先立った両足を小刻みに動かして出てきたのが、マハリナは片手を顎の下に当てたポーズで、顔を斜め45度に傾け、視線をやや下に落とした表情で出てきた。爪先立った両足を小刻みに動かす歩き方は同じ。

それからの振りも私が知っているのとはだいぶ違っていた。「瀕死の白鳥」というと、両腕をしなやかに上下させて盛んに羽ばたき、爪先立った両足を始終小刻みに動かしている、という印象があったのだが、マハリナの踊った「瀕死の白鳥」はあまりそういう感じがしなかった。やっぱり昔の振付と今の振付とは違っているのかな。それともボリショイ・バレエ版とマリインスキー劇場バレエ版が異なるのだろうか。

マハリナは両腕を上げ、片脚を後ろに上げてアティチュードをしたが、上げた片脚が付け根から反り返るようで、それが映像で観た彼女のオデットそのままだったので、ちょっと感動した。

「瀕死の白鳥」は死にかけている白鳥が、それでも生きようとして必死に羽ばたき、最後まで力を振り絞って死に抗う姿を描いている。たった数分の音楽に、こんな感動的なストーリーを見いだし、それにふさわしい振付をしたフォーキンは偉い。

マハリナの白鳥は激情型というか、死にたくない、死にたくない、と必死でもがいているような踊りだった。プリセツカヤのようなしなやかさや美しさはあまりなかったけど、これはこれで一つの白鳥だろう。

白鳥が死ぬときのポーズもプリセツカヤとは違っていた。プリセツカヤは床の上に片脚を伸ばして座り込み、がっくりと上半身を折り曲げて脚の上にうつ伏せ、やがて弱く羽ばたいていた片腕が力なく落ちる。マハリナは、床の上に片膝をつき、もう片脚は後ろに伸ばして、上半身を反らせて天を仰ぎ、片腕を上に差し伸べる。白鳥じゃなくて人間みたいだが、まあこういう終わりのポーズもありなのかな。私はプリセツカヤの踊ったヴァージョンのほうが好きだけど。

とにもかくにも、白鳥の衣装を着たユリア・マハリナを見られて感動した。あっという間に終わったのが残念だったし、あとひとつ言いたいのだが、録音テープの音質がひどすぎた。

「ワルプルギスの夜(Walpurgis Night)」、これも本来はグノーのオペラ「ファウスト」の一場面である。ほら、あれ、メフィストフェレスがファウストを連れて、ブロッケン山で開かれている魔物の集会に出かけるところ。レオニード・ラブロフスキー(Leonid Lavrovsky)はこのシーンを抜き出して振付を施し、一個のバレエ作品とした。この作品の初演は1941年、ボリショイ劇場で行なわれた。

プログラムによると、ラブロフスキーの振付による「ワルプルギスの夜」は、1992年、ボリショイ劇場オペラがグノーの「ファウスト」を初演した(1992年に!?)際に上演されたそうである。で、このときにバッカスを踊ったのが、当時、ボリショイ・バレエのソリストで、現在のインペリアル・ロシア・バレエ芸術監督であるゲジミナス・タランダだったそう。

主なキャスト。バッカス:キリル・ラデフ;巫女:リューボフィ・セルギエンコ;牧神:アレクサンドル・ロドチキン;サテュロス:マクシム・ネムコフ(Maxim Nemkov)、ダニヤール・メルガリエフ(Daniyar Mergaliyev)、シュンタロウ・タナカ(Shuntaro Tanaka)、ナリマン・ベクジャノフ;ニンフ:エレーナ・コレスニチェンコ、アンナ・パシコワ、アナスタシア・コフナツカヤ(Anastasia Kovnatskaya)。

この作品も、これまたマイヤ・プリセツカヤが踊っている映像(部分)を観たことがあった。同じ作品かなあ、と思ったら、踊りが同じだったので同じ作品だと分かった。

「ワルプルギスの夜」はインペリアル・ロシア・バレエの、今回の公演最高の出来だったと思う。ダンサーたちはみな溌剌として、若さいっぱいに弾けるように踊っていた。古い作品だし、構成も群舞、デュエット、ソロが交互に繰り広げられるというお約束の形式だが、「ダッタン人の踊り」とは違って、古くささをまったく感じさせない、美しくて洗練された振付の踊りだった。魔物たちが乱れ踊る群舞でも、ダンサーたちの配置やフォーメーションはきれいである。

特にすばらしかったのは、バッカスを踊ったキリル・ラデフと、巫女を踊ったリューボフィ・セルギエンコであった。セルギエンコは、「カルミナ・ブラーナ」では野暮ったい安衣装を着せられて、ワケの分からない踊りを踊らされ、その魅力がほとんど発揮できなかった(と思う)。でもこの作品では、彼女は赤くて薄い生地のギリシャ風の短いワンピースを着て、ポワントで踊った。それでようやく、彼女のすらりとしたプロポーション、華やかな雰囲気、品の良い端正な踊りが見られた。

キリル・ラデフは、おまーはナルシスか、とツッコミたくなるような、白くて丈の短いギリシャ風のお耽美衣装を着ていた。その格好で相変わらずもんのすごい回転や跳躍を次々と決めていたが、それよりもセルギエンコとのデュエットでのリフトとサポートが実にすばらしかった。

バッカスと巫女のデュエットには複雑で速くて危険なリフトが多い。でもラデフとセルギエンコのタイミングはバッチリで、どんなリフトでもきれいに決まっていた。セルギエンコをたゆみなく持ち上げたり振り回したりするラデフも凄かったし、笑顔を浮かべながら躊躇なくラデフの腕に身を任せ、きれいなポーズを保ったままリフトされるセルギエンコも魅力的だった。

「ワルプルギスの夜」が終わったときの拍手はひときわ大きく、またこれまでインペリアル・ロシア・バレエだけの演目では決して飛ばなかった、ブラボー・コールが盛んに飛んだ。うん、本当にすばらしかったです。最後の最後でカンパニー独自の本領を発揮してくれました。

そして、トリを飾るのはもちろん「シェヘラザード」。このBプロではスヴェトラーナ・ザハロワ(ボリショイ・バレエ、プリンシパル)がゾベイダ王妃として登場する。

主なキャスト。ゾベイダ(王妃):スヴェトラーナ・ザハロワ(Svetlana Zakharova);金の奴隷:ファルフ・ルジマトフ;シャリアール王:ゲジミナス・タランダ;宦官長:ヴィタウタス・タランダ;シャザーマン(王の弟):ジャニベク・カイール;オダリスク(ハーレムの女奴隷たち):エレーナ・コレスニチェンコ、アンナ・パシコワ、リュボーフィ・セルギエンコ。

ザハロワの踊りを観るのは、8月のボリショイ・バレエ「ドン・キホーテ」以来である。結論から先に言うならば、今回の「シェヘラザード」はザハロワの踊り、特に彼女の驚異的な身体的資質とテクニックとを、あらためて思い知らされた舞台となった。

マハリナがゾベイダを踊った前回の公演では、ゾベイダは金の奴隷と絡んで踊る以外には、あまり踊りの見せ場がない役なのだな、と思っていた。ところが、ザハロワのゾベイダは違った。金の奴隷と組んで踊るシーン、そしてわずかなソロのシーンで、こちらの目を有無を言わさず奪ってしまう踊りを次々と繰り広げてみせた。

ザハロワは長身で手足が長く、そして驚くべき柔軟な身体を持っている。そのザハロワが左右へグラン・ジュテをする。高くて姿勢も美しい。アティチュードで上げた片脚は、腰の上あたりまで上がっている。ルジマトフの肩に手を置いて片脚を後ろに上げる。彼女の片脚が、ぐぐーっと上へ上へと伸びたかと思うと、そのまま膝を曲げながら背後に倒れ、そうして身体全体を反転させてからようやく脚を下ろす。振り上げる脚はとても長くて、身体はどこまで曲がるのかと思うほど柔らかい。

ザハロワの手や足の角度は美しく、細い上半身はしなやかに反り返って、ポーズが実に美しい。更に手足のそれぞれを巧みなタイミングやスピードで動かしながら踊る。彼女は長い手足と柔らかな身体を存分に使って踊り、暗い舞台の中で、ザハロワの踊る姿だけが異様に浮き出て、そして大きく見えた。

はっきり言って、ザハロワの踊りはすばらしかった。ゾベイダ役はこんなふうに踊ることができるのか、と驚嘆するほどの踊りだった。ゾベイダの踊りの中で、「踊り」そのものに魅了されるなんて、マハリナが踊ったときにはないことだった。それほどザハロワの踊りは抜きん出ていた。

ただ、ここが「踊り」とはなんなのか、という問題の難しいところだ。ザハロワの「踊り」は人並みはずれていた。別格だった。ゾベイダをあれほど「踊れる」バレリーナは他にはいないだろう。でも、「踊り」とは、果たして身体の柔軟性、テクニック、パワーだけが、その要素のすべてなのだろうか。

ザハロワは、身体能力とテクニックの点では今が絶頂期なのだろうと思う。彼女の踊りは若さに満ち溢れていて元気だった。ゾベイダは悲劇の王妃なんだけど、ザハロワの踊りはすばらしすぎて、結果として踊りが役柄から分離してしまったところがあった。要するに踊りだけが目立ってしまって、観客の注意が踊りだけに向いてしまった。私の前の席に座っていた舞踊批評家が、カーテン・コールで、あからさまにザハロワだけに「ブラボー!」と叫び続けたのがいい例だ。

身体能力とテクニックが「踊り」のすべてだというなら、作品や登場人物のキャラクターの解釈と表現などは関係なくなってしまう。私が思ったことには、「シェヘラザード」でのザハロワの踊りは、「踊り」としてすばらしかったんであって、「ゾベイダ」としてすばらしかったわけではない。

金の奴隷役のルジマトフは、控えめに(ザハロワが目立ちまくりだったのでそう見えた)自分の役を演じ踊っていたが、マハリナがゾベイダ役を踊ったときとは、金の奴隷のキャラクターが明らかに違っていた。

マハリナのゾベイダは、表面的には高慢で、金の奴隷に対しても、最初は彼をじらして弄ぶような素振りをみせる。それが金の奴隷から真摯な愛情を捧げられて、徐々に本当は脆くて繊細な心をさらけ出す、つまりは「ツンデレ」な王妃であった。王様には狡猾そうな目つきで対しているのに、金の奴隷には少女のように初々しい笑顔を見せる。

一方、ザハロワのゾベイダは、最初から成熟した「大人の女」という感じであった。私個人の印象では、彼女の表情は一本調子で、愛欲に悶える人妻、といった風であった。よって、ルジマトフの金の奴隷のキャラクターもマハリナのときとは異なり、最初から押せ押せ一直線のやや強引な男性になっていた。昼メロ路線というか、「お、奥さん!」、「いけないわ、私には主人が、ああっ!」という雰囲気である。

難しい問題だが、結局はどちらがより優れているかということではなく、個人的にどちらがより好みに合っているか、という結論に落ち着くだろう。また、各人各様の魅力がある、とも言える。私は演技はマハリナのほうが優れていたと思うし、踊りはザハロワのほうが凄かったと思う。

シャリアール王役のゲジミナス・タランダは今回も好演した。特に、王妃が金の奴隷と関係していた、と分かったとき、タランダの演ずる王は、王妃を激しく責めたりするのではなく、「なぜ、こんなことを!?」と悲愴な表情で王妃を見つめる。王妃はそれでやっと自責の念に駆られる。

王様は王妃のことを愛していて、裏切られた怒りよりは悲しみのほうが大きかったのだと分かる。王妃が短剣で自殺すると、まさか本当に自殺するとは思っていなかったのだろう、王は硬い表情を一変させて王妃の体を抱きとめる。そして悲しげな表情で立ち尽くす。

カーテン・コールは、最終回ということもあってか、Aプロのときより更に盛り上がった。見ていて安心したのは、マハリナが「プレリュード」と「瀕死の白鳥」を踊り終えたときに、彼女に花束をプレゼントしたファンがいたことだ。

また、「シェヘラザード」のカーテン・コールでも、ザハロワに花束を贈ったファンもいて、これもとてもいいことだと思う。ザハロワは受け取った花束の中から、赤いバラを1本抜き取ると、花にキスをしてルジマトフに手渡した。ルジマトフはそれを受け取り、ザハロワの手を大事そうに取ってキスをした。映像では見たことがあるが、実際に見てみるとほのぼのする良い風景だなあ、と思った。

それからは多くのファンがずらりと並んで、ルジマトフに花束を次々と渡していた。ルジマトフは今回も律儀にすべての花束を受け取り、抱えた花束で彼の顔が見えなくなるくらいであった。ザハロワはやや後方に下がり、ほほ笑んで小さく拍手しながらそれを見つめていた。ザハロワはマハリナやルジマトフに比べればぜんぜん後輩だから、今回はそんなに違和感は覚えなかった。

カーテン・コールは何度も行なわれた。ルジマトフはお辞儀とともに、胸に手を当てて拍手や喝采に応じた。何度目かのカーテン・コールで、ルジマトフは舞台脇に引っ込む間際に、ジュテをして姿を消した。ひたすら真面目な人だと思っていたが、実はけっこうお茶目なのかもしれない(笑)。

最後は会場総立ちのスタンディング・オベーションとなった。日本の観客が、ルジマトフをこんなにも愛し、ルジマトフもさぞ嬉しいだろうと思う。部外者ながら、これはいいことだよな、とほほえましく思った。

(2006年10月17日)


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