Club Pelican

NOTE

ボリショイ・バレエ 「トリプル・ビル」

“Go for Broke”/“Pique Dame”/“Symphony in C”

(2006年8月15日、ロイヤル・オペラ・ハウス、ロンドン)

ブリティッシュ・エアウェイズの午前便が欠航になり、さんざんもめた挙句になんとか午後便に搭乗することができた。ロンドンのヒースロー空港には5時過ぎに到着したが、入国審査に時間をとられて、ロイヤル・オペラ・ハウスにたどり着いたのは開演7分後の午後7時37分だった。

幸いなことにチケットはキャンセルされていなかったが、休憩時間になるまでホールに入ることはできない。案内係に天井桟敷の廊下に設置してあるモニターまで連れて行かれ、最初の演目はモニターで観るように言われた。

この公演の演奏はボリショイ劇場オーケストラ、指揮はPavel Klinichevである。

“Go for Broke”、振付はボリショイ・バレエの芸術監督であるアレクセイ・ラトマンスキー(Alexei Ratmansky)により、音楽はストラヴィンスキーの音楽を編曲したものを用いている。上演時間は30分ほど。この作品は2005年11月、ボリショイ・バレエによって初演された。

キャスト。名前の読み方が分からないので、英語表記のままで勘弁して下さい。Nina Kaptsova、Svetlana Lunkina、Ekaterina Shiplina、Anastasia Yatsenko、Natalia Osipova、Ekaterina Krysanova、Anastasia Kurkova、Yan Godovsky、Denis Medvedev、Morihiro Iwata、Viacheslav Lopatin、Denis Savin、Anton Savichev、Egor Khromushin、Evgeny Golovin。

途中からしか観てないし、焦って着いたばかりで集中して観ることができなかったので、大したことは書けない。女性はストラップの上衣にミニスカート、男性は確か全身レオタードというシンプルなデザインの、明るい単色の衣装を着ていた。ダンサーたちが入れ替わり立ち替わり現れては、舞台上に散らばって一方では群舞、一方ではペアで踊る、というパターンを繰り返す。モダンやコンテンポラリーの作品によくある形式である。しかし振付自体は非常にクラシカルで、そう斬新で個性があるという感じは受けなかった。

“Pique Dame”(「スペードの女王」)、振付はローラン・プティ(Roland Petit)、音楽はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」をアレンジして用いている。原作はプーシキンの同名作品だが、ストーリーは大幅に簡略化、また改編されている。上演時間は1時間弱。この作品は2001年10月、ボリショイ・バレエによって初演された。

主なキャスト。Hermann:Nikolai Tsiskaridze;The Countess:Ilze Liepa;The Young Girl:Nelly Kobakhidze。最後の“The Young Girl”とは、伯爵夫人の養女のリーザ(Lisa)のことである。

まず一番の感想は、この作品はまるで、登場人物がゲルマンと伯爵夫人しかいないように感じられたこと。実際には大きな群舞がいくつもあり、またゲルマンとリーザとのデュエットもあるのだが、ゲルマンと伯爵夫人のキャラクターと踊りが強烈すぎて、他の登場人物たちがかすんでしまう。その理由は、まずゲルマン役のNikolai Tsiskaridzeと伯爵夫人役のIlze Liepaが、これ以上にないほど適役であったためである。そして、ゲルマンと伯爵夫人との踊りは、他の登場人物たちの踊りとはかなり異質だったためである。

ゲルマンはほとんど舞台に出ずっぱりで、最初から最後まで多くのソロを踊る。その振付は基本的にはクラシカルであり、回転や跳躍などをふんだんに盛り込んだものだった。Tsiskaridzeの身体は柔軟で技術は安定している。特徴的なのは、振付のせいもあると思うが、彼の踊りはしなやかながらも刃物のような鋭さがあって、全身から突き刺すような鋭いオーラを発散していることだった。

Tsiskaridzeの顔立ちや雰囲気も独特で、これまた役柄のせいもあっただろうが、非常に個性的なダンサーであった。黒髪に大きな瞳、鋭く光る視線で前を見据え、苦しげな表情でゲルマンの鬱屈した心情を表わし、また伯爵夫人に近づくためにリーザを誘惑し、伯爵夫人の部屋の鍵を手に入れるシーンでは狡猾そうに微笑み、伯爵夫人にカードの秘密を教えるよう脅す場面では、冷酷な表情で伯爵夫人の髪を引っつかみ、銃を向ける。

伯爵夫人の亡霊に告げられたとおりのカードでゲームに勝ち、嬉しさのあまり半ば狂ったような笑みを浮かべ、最後の場面でスペードの女王が出てすべてを失い、顔を大きく歪めた絶望した表情でまろび出て床に倒れ伏す。この人は王子役を踊るダンサーなのだそうだが、王子役を踊る他のダンサーとはかなり趣を異にしている。彼の踊りと同じように、鋭利でしかも闇のような深さを感じさせる雰囲気を漂わせていて、演技力や表現力が凄い。

このTsiskaridzeは、「マノン」のレスコー(役不足?)、「マイヤリング」のルドルフ皇太子、また「オネーギン」のタイトル・ロールが似合いそうだ。私、この人のオネーギンなら大歓迎。

Tsiskaridzeにもまして強烈な存在感を発揮していたのが、Ilze Liepaの伯爵夫人である。真っ白なかつらをかぶり、黒と紅のぶ厚いコートを脱ぐと、その下には体にフィットしたハイネックの黒のロングドレスを着ている。Liepaはたぶん40歳を越えた年齢だと思うが、非常に美しくて、厳然とした態度で佇む。白髪とはいえ、原作よりも若い年齢の設定のようで、ゲルマンは伯爵夫人に言い寄り、勝ちカードの秘密を知っている彼女を篭絡しようとする。

ゲルマンはかたくなな態度の伯爵夫人にまとわりつき、伯爵夫人はゲルマンをはねつけながらも徐々に心を動かされる。ゲルマンがソロで踊るときは相変わらずクラシカルなステップの振付なのだが、動揺する伯爵夫人のソロの振付は面白かった。伯爵夫人は苦しげな表情で自分の顔を押さえ、体をのけぞらせ、手足を複雑な形に曲げて動かし、または両腕を美しい形に伸ばす。Ilze Liepaは身体が細くて手足が長く、しかも非常に柔らかい。硬直したように四肢をこわばらせながらも、手足の動きはしなやかで美しく、揺れ動く伯爵夫人の心がよく表現されていた。

ゲルマンと伯爵夫人の踊りは、緊張感がビンビンに張りつめた凄絶なものであった。伯爵夫人を誘惑しようとするゲルマンと、それを拒みながらも徐々にゲルマンに惹かれていく伯爵夫人は、お互いに両腕を複雑に絡み合わせて踏ん張り、ゲルマンは伯爵夫人を強引に引き寄せて振り回し、伯爵夫人は必死に身をよじらせてゲルマンから逃れようとする。愛の踊りというよりは争っているかのような踊りで、ものすごい迫力があった。

伯爵夫人がゲルマンを振り切って去った後、ゲルマンは伯爵夫人の娘であるリーザを誘惑し、伯爵夫人の部屋の鍵を手に入れる。老いを自覚しながらもゲルマンに惹かれてしまった伯爵夫人のソロも、振付は基本的に前と同じ感じで、クラシカルなステップや動きはほとんどなく、オフバランスで手足を複雑に動かす踊りであった。ここでも矛盾した気持ちに苦しむ伯爵夫人を踊ったIlze Liepaの存在感と表現力に圧倒された。

ゲルマンが伯爵夫人の部屋に忍び込んだ後のふたりのデュエットも凄かった。ゲルマンは強引に伯爵夫人に迫り、その腕をつかんでは床に引きずり倒し、伯爵夫人は身を思い切り反り返らせてゲルマンから離れようとする。Tsiskaridzeの力とLiepaの力が拮抗しあい、これまた愛の踊りというより、戦いの踊りのようである。

この“Pique Dame”の見どころは、なんといってもゲルマンと伯爵夫人とが踊る2つのデュエットであった。振付は静かで凄まじい迫力に溢れている。なによりもNikolai TsiskaridzeとIlze Liepaはあまりにすばらしい踊りを披露した。そのせいで、他の踊り、たとえばゲルマンとリーザのデュエットや、舞踏会に集まった客たちによる群舞の印象が薄くなってしまった。

でも、舞踏会の客たちの群舞では、男性ダンサーが女性ダンサーの腰を支えて上に持ち上げる動きがあった。女性ダンサーたちが持ち上げられた瞬間、彼女たちのスカートがふわっとふくらんだ。それが妙に美しかった。また、彼女たちが床に降ろされたとき、そのスカートが一斉にさわっ、という耳に心地よい衣ずれの音を立てて、それもなぜか印象に残った。

作品としてどうかというと、私個人の印象では、Nikolai TsiskaridzeとIlze Liepaが主役を踊ったからすばらしかったんであって、もし他のダンサーが踊ったらそんなにすばらしくはないだろうと思う。しかも、主役を踊るに適した他のダンサーがゲルマンと伯爵夫人を踊ったとしても、二人のデュエットだけが印象に残ってしまって、他のダンサーたちの存在や、彼らの踊りの影が薄くなるだろう。

正直言うと、舞踏会のシーンや最後の賭け事のパーティーのシーンの群舞は、なんだか冗長で余計な気がした。舞踏会の群舞の振付はきれいだったが印象は薄く、パーティーでのギャンブル・シーンの群舞、特にカード・ゲームを囃したてる客たちの踊りの振付は、いかにもモダンでござい、という古くさい感じで、そんなに目新しいとは思わなかった。

なんかもうちょっとうまい構成にできなかったものかな、と思った。でもNikolai TsiskaridzeとIlze Liepaという、二人の優秀なダンサーのすばらしい踊りと演技が見られてよかった。

“Symphony in C”、振付はジョージ・バランシン(George Balanchine)、音楽はビゼーの“Symphony in C”(交響曲第1番)をそのまま用いている。初演は1947年、パリ・オペラ座バレエ団によって行なわれた。ボリショイ・バレエによる初演は1999年(!)4月である。

主なキャスト。第1楽章:Anastasia Yatsenko、Dmitri Gudanov;第2楽章:Svetlana Lunkina、Artem Shpilevsky;第3楽章:Maria Alexandrova、Denis Matvienko;第4楽章:Ekaterina Shipulina、Dmitri Belogolovtsev。

「不定期日記」のほうに、「何も考えずに観られたので楽しかった」みたいなことを書いたが、何も考えなさすぎて、すっかり忘れてしまった。キャストを見ると分かるように、楽章ごとに、群舞を差し挟みつつ、男女のペアがそれぞれ踊っていく、という構成だったことは覚えている。ストーリーは特になく、純粋に踊りを楽しむ作品である。

衣装は男性は長袖の上衣にタイツ、女性は普通のチュチュである。振付は、基本的にみな典型的なクラシックのステップやムーヴメントだが、あくまで優雅さを失わないトリッキーなアレンジもなされていた。最初に上演されたラトマンスキーの“Go for Broke”よりも、はるかにすばらしい振付だな、と感じたことを覚えている。

特にすばらしかったのが第2楽章だった。ここはアダージョなので、静かな振付のゆっくりした踊りとなる。勢いとスピードに任せてごまかすことはできず、バランスを保ちながら丁寧に踊っていかなければならない。Svetlana Lunkinaは、しなやかで緩やかで、しかも安定した美しい踊りを披露していた。

第3楽章には、ボリショイ・バレエ日本公演「ラ・バヤデール」で、ガムザッティを踊ったMaria Alexandrovaが登場した。アレグロの威勢のいい音楽に乗せて、高度な技術を駆使してダイナミックに踊っていた。彼女には独特の華やかさと輝きがあり、彼女が踊っていると観ている側も明るい気分になれる。

第4楽章で最後の一組が踊った後、フィナーレは四組のペアと群舞がみな勢ぞろいして、にぎやかに踊って終わった気がする。

余談だが、モニターで見ていた“Go for Broke”が終わりかけたとき、館内にいるスタッフ向けにアナウンスが流れた(もちろんホールには聞こえない)。「休憩5分前です。各自用意して下さい」といった内容で、そのアナウンスと同時に、スタッフたちが大きなボックスいっぱいのアイスクリームやらプログラムやらを運び出してきて、定位置にある机の上に置き、観客を迎える態勢を整えていた。裏方の仕事が垣間見られて、それがなんか面白かった。

(2006年8月23日)

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ボリショイ・バレエ 「白鳥の湖」

“Swan Lake”

(2006年8月16日昼公演、ロイヤル・オペラ・ハウス、ロンドン)

この日は「ガイズ・アンド・ドールズ」も「白鳥の湖」も公演が昼と夜の2回あり、チケットを取るときにどうしようか迷った。上演時間は「白鳥の湖」のほうがもちろん長い。帰りが遅くなるのがイヤだったので、「白鳥の湖」を昼に観て、「ガイズ・アンド・ドールズ」を夜に観ることにした。

今プログラムを見て分かったが、私が観たこの昼公演で主役を踊ったのは、全員が“leading soloist”であった。“principal”の次の位に属するらしい。“soloist”の中で、主役を踊ることのできるダンサー、ということだろう。夜公演の主役はみな“principal”だったそうだ。ロイヤル・バレエと同様、主役として昼に出演するのは準最高位のダンサー、夜に出演するのは最高位のダンサーと、昼公演と夜公演の主役に関しては、基本的に制限が設けられているらしい。

“Pique Dame”で伯爵夫人を踊ったIlze Liepaは“first soloist”であるが、“Pique Dame”の振付者であるローラン・プティに気に入られたので主役を踊ることになった。もっとも、Ilze Liepaはもう40過ぎなので、以前はもっと高い位にあったのが、年齢の問題で“first soloist”に降格されたのかもしれない。

「白鳥の湖」、音楽はチャイコフスキーのオリジナル曲を用い、原脚本はウラディーミル・ベギチェフ(Vladimir Begichev)とワシリー・ゲルツェル(Vasily Geltser)、改訂脚本はユーリー・グリゴローヴィチ(Yuri Grigorovich)、振付はマリウス・プティパ(Marius Petipa)、レフ・イワーノフ(Lev Ivanov)、アレクサンドル・ゴルスキー(Alexander Gorsky)、ユーリー・グリゴローヴィチ、美術はSimon Virsaladzeによる。このグリゴローヴィチ新版「白鳥の湖」は、2001年3月、ボリショイ・バレエによって初演された。

主なキャスト。Odette/Odile:Maria Allash;Prince Siegfried:Alexander Volchkov;The Evil Genius(従来版のロットバルトにあたる):Artem Shpilevsky;The Princess Regent, Siegfried's Mother:Ekaterina Barykina;The Tutor:Alexei Loparevich;The Fool:Yan Godovsky;The Prince's Friends(王子とパ・ド・トロワを踊る):Anna Nikulina, Anastasia Yatsenko;

Hungarian Princess:Nelly Kobakhidze;Russian Princess:Anna Rebetskaya;Spanish Princess:Nuriya Nagimova;Neapolitan Princess:Nina Kaptsova;Polish Princess:Ekaterina Shipulina;

Three Swans(「大きな白鳥」にあたる):Nelly Kobakhidze, Yulia Grebenshchikova, Viktoria Osipova;Four Swans(「小さな白鳥」にあたる):Svetlana Pavlova, Anastasia Kurkova, Anastasia Stashkevich, Svetlana Gnedova;

Walz(第一幕):Viktoria Osipova, Maria Zharkova, Olga Stebletsova, Yulia Efimova, Karim Abdullin, Yuri Baranov, Artem Vakhtin, Viktor Alekhin。

演奏はボリショイ劇場オーケストラ、指揮はPavel Klinichev。

今回の「白鳥の湖」は、従来の伝統版の第二幕と第三幕を続けて上演することによって全二幕としている。従来の第二幕が第二幕第一場、従来の第三幕が第二幕第二場となる。

第一幕第一場は王宮の中という設定である。あれ、城の外じゃないのか、と珍しく思った。踊りに関しては、王子が最初からどんどん踊るので見ごたえがあった。パ・ド・トロワも王子役と王子の友人役である2人の女性ダンサーによって踊られる。道化役も出てきて、これはYan Godovskyである。なんかこの人とは縁があるなあ。私が観に行くと絶対に出演してるんだもの。トリッキーな振付の踊り、最後の片脚を真横に伸ばしたままの連続ピルエット、みな見事であった。

途中で摂政でもある王妃が登場し、王子の成人を祝って記念の品を贈る。それは宝剣と首飾りであって、首飾りは王や女王が戴冠式の折に身につけるタイプのものである。王子の成人は、王子に王権が移譲されることを意味している。場面が王宮の中という堅苦しい設定と、王子に贈られるのがともに王権を象徴する品であることは、後の展開への重要な伏線となっている。

王子ははにかみつつも、みなに祝福されて嬉しそうに笑っている。ところが一人になると、王子の表情が一変して暗いものとなる。舞台の奥には王家の紋章をイメージした図柄の幕が垂れ下がっている。王子はそれを仰ぎ見て片手を伸ばし、その手を引っ込めると自らの胸を押さえ、うつむいて苦しげといってもいいような表情になる。

それから王子のソロが始まる。音楽はボーン版「白鳥の湖」で、酒場から叩き出された酔っ払い王子が踊るものと同じ(チャイコフスキー原曲パ・ド・トロワのアダージョ)。哀しげでうらぶれたようなメロディで、王子の踊りも振りはクラシカルだがなんとなく暗い雰囲気が漂い、王子の表情も冴えない。それで、王子はいずれ自分に与えられる王位とその責務の重さに、実は大きな不安とプレッシャーを感じているのだ、と分かった。

そこで登場するのが“The Evil Genius”ことロットバルトである(便宜上、以下もずっとロットバルトと呼びます)。苦悩する王子にロットバルトは近づき、王子の背後から王子を操るような動きの踊りを踊る。王子はロットバルトの姿に気づいていないが、ロットバルトの手の動きに引っ張られるようにして後ずさり、徐々にロットバルトの思いどおりになっていく。

王子とロットバルトが左右対称で同じ振りの踊りを踊る。王子は完全にロットバルトに精神を乗っ取られてしまったわけである。ダイナミックな回転や大きな跳躍をふんだんに盛り込んだ踊りであり、ロットバルトを踊ったArtem Shpilevskyは、王子を踊ったAlexander Volchkovにぜんぜん負けていない。ちなみにArtem Shpilevskyも“leading soloist”である。王子とロットバルトが二人で踊るこのシーンは迫力があった。

よってこのグリゴローヴィチ新版では、ロットバルトはキャラクター・ダンサーではなく、王子役も踊れて、且つアクの強い存在感を持つダンサーが担当するようなのである。実際、今回ロットバルトを踊ったArtem Shpilevskyは、背が高く大柄で、冷たい視線と無表情が印象的な、ずっしりした存在感があった。顔写真見るとハンサムな青年なんだけどね。

ロットバルトが紗幕のほうを指し示すと、「情景」の音楽が流れて、紗幕の奥にはばたくオデット姫の姿が現れる。王子はひと目で彼女に惹かれた様子である。なんとこの版では、ロットバルトが王子とオデットとを引き合わせるのである。ロットバルトとはいったい何者なのか、従来版の役回りでないことは確かだ。人の心の弱みに入り込んで、その人を破滅させる悪の存在、ということになるのだろうか。

オデット姫の登場は唐突であった。従来版では前段階があり、オデット姫を見つけた王子がボーガンを下ろし、身を隠したところでオデット姫がはばたきながら姿を現わすのだが、今回はその前段階がなかった。ロットバルトが姿を消すと、いきなりオデット姫登場の音楽が始まり、オデット姫がはばたきながらパドブレをして姿を現わし、ジュテをした後に舞台の中央で静止する。あまりにあわただしくて、心の準備ができないうちにオデット姫が出てきてしまった。

そこからは従来版と同じである。どうもロイヤル・オペラ・ハウスの舞台は狭いようで、白鳥たちの群舞は、たぶんボリショイ劇場で上演するより数が少なかったのではないか。白鳥たちのジグザグ行進はすぐに終わってしまったし、群舞もなんか狭苦しそうだったし、グラン・アダージョでも、王子とオデット姫はあんまり位置を移動していなかった。

オデット役のMaria Allashの踊りは、体全体の動きが雑で粗いところがあった。特に腕の動きがしなやかでなく、更にオデット独特のなよやかな、繊細な雰囲気を醸し出していない。最初から「なよやかでないオデット姫」を目指すのならいいのだが、彼女の場合は「なよやかに踊ろうとしているのだが、動きが今ひとつぎこちない」オデット姫のようだったし、オデットの役作りがまだ完成していないように思えた。

あとは、王子とオデットとの出会いがロットバルトによって仕組まれたものであるために、私はオデット姫とは果たして現実の存在なのか、それともオディールと同じようにロットバルトの作り出した一種の幻影なのか、判断がつかなかった。そのせいで、どうしてもオデット姫の影が薄いように感じられ、グラン・アダージョにあまり感情移入できなかった。

“Four Swans”の踊り(「小さな白鳥の踊り」)はとてもすばらしかった。足さばき、首の向き、すべてが見事に揃っていて、終わりのポーズもきちんと決めた。“Three Swans”の踊り(「大きな白鳥の踊り」)は、脚を高く上げたり、大きくジャンプしたりというダイナミックなものだった。従来版(4人で踊られる)とは振付が違うが、踊りの傾向は同じである。

私が観たことのあるグリゴローヴィチ版はマイヤ・プリセッカが踊った古い版で、その版では白鳥たちのフィナーレの踊りが、従来版とはかなり変わっていたので楽しみにしていた。でも今回の新版では、従来版とほぼ同じになっていたので少し残念だった。

第二幕第一場、王子が婚約者を選ぶ舞踏会のシーンは、まず踊りの順番が従来版とは違っていた。最初に各国の踊りが踊られて、その後に各国の姫君たちによるワルツ、それからロットバルトとオディールの登場、黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥという順番である。

各国の踊りは「ハンガリーの踊り」、「ロシアの踊り」、「スペインの踊り」、「ナポリの踊り」、「マズルカ」の順に踊られる。ダンサーの構成は、ソロを踊る姫君1人と男女の群舞、というものである。このへんの踊りはブーツなど普通の靴を履いて踊られることが多いが、今回の版では、女性ダンサーはみなトゥ・シューズを履いてポワントで踊っていた。

従来版の「白鳥の湖」の各国の踊りは、私にはみな似たような感じがして、また踊りとしての華やかさに欠ける面がある気がしてあまり好きでなかったのだが、今回の版の各国の踊りは楽しめた。振付が完全にクラシカルであったからである。それぞれの国の姫君たちによる踊り比べみたいで、とても美しかった。特に「ロシアの踊り」のAnna Rebetskayaと、「マズルカ」のEkaterina Shipulinaがすばらしかったように覚えている。

かつてマイヤ・プリセッカが、バレエでは、手や腕のポーズや動きでその民族を表現するが、足の動きはあくまでクラシックを保つ、と言っていたのを見たことがある。今回の各国の踊りで、それが本当なのが分かった。といっても、分かったのは「ロシアの踊り」だけだったが(両手を腰に当てる)。

ただ、どの国の踊りでも、ソロを踊る姫君だけが目立ってしまって群舞があまり映えなかったのと、「ナポリの踊り」で、ダンサーたちが持っていたタンバリンの音が出なかった(←にせもの)のと、「マズルカ」でブーツのかかとをカチッと鳴らさない(←無理だ。ブーツを履いてないから)のが残念だった。

この後だったかな?王子が呆然とした様子で入ってきたのは。それから各国の姫君たちによる「ワルツ」が踊られる。それぞれソロを踊ったダンサーたちだから「ワルツ」のレベルも高くなる。王子は王妃に促されて、5人の姫君たちとひととおり踊るが、もちろん彼の心の中にはオデットしかいない。「ワルツ」の後、「嫁を選べ」としつこく迫る王妃と、「それだけは勘弁して下さい」と懇願する王子の、マイムでのやりとりが面白かった。王妃は手で王子を制し、機嫌を損ねてしまう。

ファンファーレが響き、そこでようやくロットバルトとオディールが手を携え、黒鳥たちを従えて現れる。もう各国の踊りは終わったし、どうすんのかな、と思っていると、第一幕で王子がソロを踊った、うらぶれたわびしい感じの音楽がまた始まった。ボーン版『白鳥の湖』で、王子と王妃がアブない踊りを踊る、あの音楽である。舞台が暗くなり、天井からは白鳥と黒鳥が左右一対になった図案の幕が下がっている。

これがこの版の「黒鳥のパ・ド・ドゥ」のアダージョになるのかな?変わってるな〜、まあ、それでもいいけど、と思った。舞台にはオディールがオデットと瓜二つなことに驚きながらも、オデットへの愛をまっとうしようとする王子、その王子を誘惑しようとするオディール、それを手助けするロットバルトの3人だけがいる。

ロットバルトはまたしても王子を背後から操り、王子の心をオディールに向けさせようとする。ロットバルトに操られる王子の前にはオディールがいて、力強く見開いた輝く瞳で婉然と微笑む。王子は徐々にオディールに惹かれるようになり、ついには彼女と一緒に踊りだす。

このアダージョが終わり、さて次は王子のヴァリアシオンか、と思っていると、なんとお馴染みの「黒鳥のパ・ド・ドゥ」の威勢のよい出だしの音楽(アントレ)が鳴り響いた。えっ、またやるの(王子とオディールが一緒に踊るの)とびっくりした。

これはどういうことか。私が勝手に合理的な解釈を施すとこうである。前のアダージョは、王子の戸惑い迷う心の中に、ロットバルトとオディールがまんまと侵入して支配してしまった、という王子の心象風景を表わしているのだ、たぶん。で、この「黒鳥のパ・ド・ドゥ」は、現実の光景なのだろう。王子はもうすっかりオディールの魅力に幻惑されてしまったので、晴れやかな顔をして出てきたのだ。

オデット/オディール役のMaria Allashは、オデットは今ひとつぎこちなかったが、「黒鳥のパ・ド・ドゥ」では見違えるように魅力的だった。強い目ヂカラで王子を見つめて神秘的に微笑み、王子の隙を見てはロットバルトと狡猾そうな表情で目くばせをしあう。すばらしい演技と難しそうな技術がかみ合わさって、生き生きとした魅力にあふれたオディールとなった。してみると、技術は難しいが役作りは意外と簡単なのがオディールで、技術はそれほどでもないが役作りは難しいのがオデット、ということか。

私の記憶違いかもしれないけど、王子のヴァリアシオンの音楽は従来の版と違っていたような覚えがある。ルドルフ・ヌレエフとマーゴ・フォンテーンが、ウィーン国立歌劇場バレエと踊ったヌレエフ振付「白鳥の湖」映像版で、第一幕で王子が男女ペア二組と一緒に「パ・ド・サンク」を踊るでしょ。その「パ・ド・サンク」での王子のヴァリアシオンの音楽を使っていた気がする。

オディールのヴァリアシオン、コーダは従来の版と同じ音楽だった。32回転のフェッテが難度の高い技術だということはよく分かるし、これをやると観客が盛り上がるのもよく理解できるのだが、Maria Allashは回っていくうちに段々と軸が右斜めになっていた。やるならちゃんと最後まで軸を真っ直ぐに回ってほしい。回っているうちに軸足が大きく移動しまくるのも見苦しい。拍手はしたけど、32回転の後で音楽がいきなり途切れて、そこで拍手喝采、というのは、いつ経験しても白けるものだ。

王子がオディールを婚約者に選んだ瞬間の、5人の姫君たちの演技が面白かった。みな育ちのよいお姫様だから、嫉妬心むき出しにしたり、怒りを露わにしたりしない。中でも、ポーランドのお姫様役、Ekaterina Shipulinaの演技はよかった。顔を斜めにしてうつむいて、かすかに寂しげな表情を浮かべる。気品があってよい。

劇的な音楽で第一場が終わると、間髪入れずにさっそく「間奏曲」が演奏されて第二場(従来の第三幕)が始まった。観客は拍手しかけてあわてて止める。ここでも心の準備が追いつかない。

白鳥たちが次々と舞い降りてくる。「白鳥たちの踊り」(最後に白鳥たちが並んで前に歩いてくる踊りね)はなかった。オデットがさっそくやって来て、ショックの覚めやらないままにバッタリと倒れ伏す。白鳥たちがその周りを取り囲んで彼女の姿を隠す。

段々と音楽が昂まっていって、劇的なメロディ(フィナーレ)とともに王子が駆け込んでくる。彼はオデットを探して回る。最後の白鳥たちの輪の中にいるオデットをやっと見つけた王子は、彼女に許しを乞うて一緒に踊る。王子が現れた瞬間、ドラマティックな音楽のせいで不覚にも脳内で大いに盛り上がってしまった。それが、ラスト・シーンで一気に底なし沼に突き落とされることになろうとは。

ロットバルトが黒鳥隊を従えて現れる。今回の版では、黒いチュチュを着ているのはみんなロットバルトの手先である。黒鳥たちは白鳥たちを蹴散らし、また王子とオデットの間に割って入って彼らを引き離す。

ボリショイ・バレエの「白鳥の湖」=ハッピー・エンド、と私は信じて疑わなかった。だが、王子がロットバルトと戦って、ロットバルトの翼をもぎ取るはずの音楽になっても、王子はまだもたもたしている。よって、おいおい、もうすぐ音楽が終わるだろーが、さっさとロットバルトを殺っちまえ、と他人事ながら大いに焦った。

ところが、音楽が終わりに近づいても、王子がロットバルトに勝つ気配が一向にない。そればかりか、ロットバルトがオデット姫を頭上に持ち上げて、舞台の奥に下がっていくではないか!王子はなす術もなくそれを見つめるだけである。

ロットバルトは紗幕の後ろでオデット姫を床に下ろすと、左腕を上げて一気に下げる。その瞬間、オデット姫はバッタリと床に倒れ伏して死んでしまう。あまりにベタだが、思わず心の中で叫んだ。そんなバナナ〜〜〜〜〜〜!!!

ロットバルトと倒れているオデットの姿が紗幕の向こうに消える。ラストの音楽は、途中から「フィナーレ」ではなく、第一幕第二場の「情景」(最初の湖畔のシーンに用いられ、ロットバルトが踊ったり駆け回ったりする音楽)が用いられる。音楽が静かに終わろうとし、真っ暗になった舞台の上に、王子一人だけが残される。王子は苦痛に顔を歪めて、両手で顔を覆って立ち尽くす。音楽が終わる。幕が下りる。

私はなんとも釈然としない思いで劇場を後にした。欲求不満だ。でも、理解はできる。

つまり、現実には何も起きていなかったらしい。ロットバルトが実在したとすれば、悪の化身であるロットバルトが、王子の心の迷いにつけ込んで、王子を翻弄した挙句に破滅させた物語だといえるだろう。すべては王子の心の中で起きていたのだとすれば、ロットバルトとは他ならぬ王子の心にあるマイナス面というか弱さであり、王子は自分自身のそうした弱さによって「逃げ」に走った末に、勝手に精神的に挫折した物語だといえる。

というわけで、このグリゴローヴィチの新版は、見た目は純然たる伝統版なのだが、中身はけっこう現代的な解釈の「白鳥の湖」となっている。全体的な演出はよく考えてあるし、ロットバルトの役柄を大胆に変えて、物語の斬新な解釈に生かしたアイディアもすばらしい。踊りでも多くの見せ場があって飽きない。

ただ観客に余裕を持たせない唐突な展開がままあった。また致命的な欠点だと思えるのが、すべてを王子の心の中の出来事にしたせいで、オデット姫の存在が極端に軽いものになってしまったということである。「白鳥の湖」は王子とオデットの物語であると私は思うので、オデットの影が薄くなってしまったのはとても残念だ。

でも、このグリゴローヴィチの新版は、多くの改訂版の中でもとても優れていると思うし、何よりもこうした解釈の「白鳥の湖」がボリショイ・バレエによって生み出されたのはすばらしいことだと思う。

(2006年8月31日)

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ボリショイ・バレエ 「ドン・キホーテ」

“Don Quixote”

(2006年8月19日夜公演、ロイヤル・オペラ・ハウス、ロンドン)

告白すると、実は私は「ドン・キホーテ」を生の舞台で観たことがない。映像版(ミハイル・バリシニコフ主演、アメリカン・バレエ・シアター)は持っている。でも飛ばし見しただけで全部は観ていない(帰国後にようやく全編を観た)。なぜか。ストーリーがつまらないと思ったから。いくら「ドン・キホーテ」が有名でも、ストーリーのつまらない作品は観る気になれなかった。

今回のロンドン滞在の目的は、もちろん「ガイズ・アンド・ドールズ」を観ることであった。折しもボリショイ・バレエのロンドン公演と重なって、「ドン・キホーテ」が上演されるという。これは「食わず嫌い」を治すよい機会だと思った。ボリショイ・バレエの公演なら、少なくとも踊りについては確実に見ごたえがあるだろう。

私にとってはロンドン滞在の最後の夜だし、この日はボリショイ・バレエのロンドン公演の楽日でもあった。大トリをボリショイ・バレエの「ドン・キホーテ」で飾って大いに盛り上がろうと思い、夜公演を観ることにした。土曜日だが開演は7時半であった。昼公演があるせいだろうか。上演時間が長いか、あるいはダンサーたちにとってタフな作品なのだろう。

「ドン・キホーテ」は、日本のバレエ・ファンの間で「ドンキ」とよく呼ばれる。ロイヤル・オペラ・ハウスのボックス・オフィスに取り置きしてもらっていたチケットを受け取りにいったときのこと。なんとボックス・オフィスの職員たちも「ドン・キィ」と呼んでいるではないか。「ドン・キホーテ」の略称は日英共通だったのだ。

「ドン・キホーテ(Don Quixote)」全三幕、音楽はルードヴィヒ・ミンクス(Ludwig Minkus)のオリジナル曲を用い、脚本はセルバンテスの小説を基にマリウス・プティパ(Marius Petipa)が執筆した。振付はプティパとアレクサンドル・ゴルスキー(Alexander Gorsky)によるが、アレクセイ・ファジェーチェフ(Alexei Fadeyechev)が改訂振付を担当した。なお、増補された踊りの振付はKasyan Goleizovsky、Rostislav Zakharov、Anatoly Simachovによる。美術はSergei Barkhinにより、衣装はVasily Dyachkovのスケッチ(1906年)をTatiana ArtamonovaとElena Merkurovaが再現した。

この作品は1869年12月にボリショイ劇場で初演されたが、今回上演されたファジェーチェフの改訂版は、1999年6月にボリショイ・バレエによって初演された。

主なキャスト。Kitri/Dulcinea:Svetlana Zakharova;Basil:Denis Matvienko;Don Quixote:Alexei Loparevich;Sancho Panza:Alexander Petukhov;Juanita, Pikkiliya(Kitri's friends):Anna Rebetskaya, Olga Stebletsova;Gamache:Viktor Alekhin;Espada(a toreador):Artem Shpilevsky;Mercedes:Irina Zibrova;Lorenzo:Egor Simachev;Lorenzo's Wife:Evgenia Volochkova;

Street Dancer:Anastasia Yatsenko;Spanish Dance:Ekaterina Barykina, Anna Balukova, Evgenia Rozovskaya;Gypsy Dance:Yulianna Malkhasyants;Queen of the Dryads:Maria Allash;Cupid:Nina Kaptsova;Three Dryads:Maria Zharkova, Yulia Grebenshchikova, Viktoria Osipova;Four Dryads:Anastasia Kurkova, Svetlana Pavlova, Svetlana Gnedova, Alesya Boyko;

Bolero:Evgenia Rozovskaya, Vitaly Biktimirov;Grand Pas 1st Variation:Natalia Osipova;Grand Pas 2nd Variation:Nelly Kobakhidze。

演奏はボリショイ劇場オーケストラ、指揮はPavel Klinichevによる。

キトリがスヴェトラーナ・ザハロワで、バジルがデニス・マトヴィエンコだということは事前に分かっていたとはいえ、なーんだ、つまらん、と思った。でも別に両人が嫌いなわけではない。私はダンサーにあまり興味がないので(クーパー君以外)、以前に観たことのあるダンサーよりは、観たことのないダンサーのほうがよかったのだ。

ザハロワは新国立劇場バレエの「白鳥の湖」で見て、すごいなと思っていたが、マトヴィエンコはやっぱり新国立劇場バレエの「ライモンダ」第三幕で見たことがあったものの、同時上演された「カルミナ・ブラーナ」の迫力に押されて、さっぱり印象に残らなかったのだった。

でもこの「ドン・キホーテ」を観て、そんな思いはすっかり吹っ飛びました。特にマトヴィエンコさん、以前、「ヘタだとは思わなかったから上手だったんではないか」などと、超超超失礼なコメントを書いてしまって本当にすみませんでした。デニス・マトヴィエンコはすごいダンサーだったのでございます。

「ドン・キホーテ」は踊りの見どころ満載の、また爆笑シーン満載の、実に楽しいバレエだった。冒頭から笑えた。ドン・キホーテはドルシネア姫を探しに旅立つことを決意し、やる気たっぷりに愛用の異様に長い槍(3メートルはある)で兜を叩く。そしたら、兜がぱかっ、とまっぷたつに割れてしまう。旅立つ前からさっそく困るドン・キホーテ。サンチョ・パンザが機転を利かせて、机の上にあった金属の平べったい器をドン・キホーテの頭の上に乗せる。ドン・キホーテは不満げに「これ、食事用の皿じゃん!」とマイムで言う。

場面は変わってバルセロナの広場。キトリの友人2人が踊る。黄色い衣装を着ていたダンサーのほうが良かった。そして明るいメロディの音楽が響いて、キトリ役のザハロワが元気よく登場する。ザハロワの踊りを見たチャウさん、さっそく仰天。

ザハロワのあの脚はどーいう構造をしてるんだ。脚を前に高く上げるんだけど、スカートが膝丈なせいもあって、脚が上がる過程が見えない。長くて細い美しい脚が、いつのまにか顔すれすれにすっ、とさりげなく上がっている。この脚の上がり方はシルヴィ・ギエムそっくりだ。爪先が瞬間移動するんだよな。それからグラン・ジュテ。またもや長い両脚を180度以上に開きながら高く飛び上がる。動きのキレはよいしポーズは美しい。前から2列目で見ていたせいもあって、その迫力に圧倒された。

やがてデニス・マトヴィエンコのバジルが登場。キトリとの焦らし合いが面白い。キスしようと迫るバジルの顔を、キトリは扇で遮る。扇の陰でキトリは悪戯っぽい微笑を浮かべている。ザハロワは扇の使い方も上手で、キスされそうなギリギリのところで、さっ、と扇を広げる。

キトリとバジルはやがて一緒に踊りだすが、そこでキトリの親父、ロレンツォが邪魔に入る。ロレンツォはキトリとバジルを引き離す。キトリは「怒らないで、パパ〜」と甘えた表情でロレンツォの左肩に顔を寄せる。ロレンツォは娘に甘いらしく、デレデレ顔で「うんうん」とうなづく。バジルも「怒らないで、パパ〜」と甘えた表情でロレンツォの右肩に顔を寄せる。ロレンツォはつい「うんうん」とうなづきかけるが、途中で気づいて「お前にパパと呼ばれる覚えはなーい!」とバジルを突き放す。マトヴィエンコの調子よく甘えた表情に大笑いした。

エスパーダ率いる闘牛士の一団と、エスパーダの恋人であるメルセデス(もしくは“Street Dancer”)が現れる。このエスパーダがカッコいいのなんの。黒い短髪にきりりとした顔立ち、大柄な長身でスタイルの良いハンサム。今プログラムを見て気づいた。ロットバルトを踊ったヤツ(Artem Shpilevsky)じゃねえかよ。素はあんなに男前だったのか。エスパーダが牛を煽るマントを持ってソロを踊る。ジャンプして体を大きくダイナミックに回転させ、豪快に、しかし丁寧にピルエットを決める。

闘牛士たちの群舞を見て、つくづくボリショイ・バレエはすごいな〜、と思った。大勢の闘牛士たちが一斉にピルエットをするんだけど、回転の速度がみんな合っている。グラつく奴も斜めになっている奴もいない。ああカッコいい。

ガマーシュが登場した途端に大爆笑した。頭のてっぺんから爪先まで、てらてら光る純白の衣装を着ている。つば広の帽子は白いふんわりした羽根飾り付き、幾重ものエリザベス・カラー、ちょうちん・ブルマー、白タイツに水色のリボン、顔にはおしろいをはたき、口紅を塗っている。とどめに瞼には水色のアイシャドウ。悪趣味に国境はないのだ。

ロレンツォはガマーシュの金に目がくらんで、キトリをガマーシュと結婚させようとする。キトリは「あら、どうしましょ」という困った顔をするが、本気で困ってはいない。逆にキトリは友人と一緒になって、キトリの手に接吻しようとするガマーシュをからかう。キトリは扇でガマーシュの帽子をはね飛ばす。ガマーシュの頭が丸見えになる。なんとガマーシュはカッパハゲだったのだ。私はそれを見て「ぎゃははは!」と爆笑したが、周りの観客はなぜか笑わなかった。休憩時間になって気づいた。私の周りの席には、ハゲの男性客が多くいたのだった。

途中でドン・キホーテとサンチョ・パンザが現れて、ドン・キホーテはこれまた美しいキトリに魅せられてしまう。ドン・キホーテは礼儀正しく何度も上半身を折って、ロレンツォたちに挨拶をする。が、持っている槍が長すぎて、ドン・キホーテがお辞儀をするたびに槍の先がぶーん、とロレンツォたちを襲う。その都度のけぞるロレンツォたち。

バレエにしては珍しくアクロバット的な見せ場があった。街の人々が舞台の奥で、伸縮性のある巨大な布を広げ、その上でサンチョ・パンザがトランポリンみたいにぽーん、ぽーん、と跳んでいるの(たぶん布の下に本物のトランポリンが置かれていたのだろう)。サンチョ・パンザは空中でくるりと回転したりして、観客は大爆笑。

あと、第一幕には話らしい話はなく、ひたすらキトリとバジルを中心とした踊りが披露される。第一幕からこんなハイテンションじゃ、ダンサーたちも疲れるだろうな。バジルがキトリを持ち上げたまま、そのまま1〜2秒間静止する踊りがある。これは凄かった。マトヴィエンコは、なんと片手だけでザハロワを支えていたのだ。ザハロワは両脚をピンと伸ばし、180度近くも開いたポーズで微動だにしない。

女性ダンサーがピルエットするとき、男性ダンサーが背後で女性ダンサーの腰を支えて、陶芸のろくろ回しみたいに、更に回転させる動きがあるでしょ。回すマトヴィエンコと回るザハロワはすごかった。ザハロワは目にもとまらぬ速さでぐるぐるぐる、と回り、一体いつまで回り続けるのかと思うくらいだった。いったい合計で何回転していたのだろう。

ザハロワのソロもすばらしくて、何度もエビぞりジャンプをしてから、片足ポワントで回転しながら舞台を斜め横断する。エビぞりジャンプも本当に人間かと思うくらい身体が柔らかくて、脚なんてどこまで後ろに上がるのかと驚いた。

バジルとキトリは、手に手を取って広場から姿を消してしまう。駆け落ちしたらしい。二人がいないことに気づいたロレンツォ、ガマーシュ、ドン・キホーテがその後を追う。第一幕はボリショイ・パワーに圧倒されて、あっという間に終わった。

第二幕第一場は、バジルとキトリが隠れている酒場である。みなさんもうお気づきでしょうが、私にはどうしても、“Street Dancer”とメルセデスの区別がつかなかったのです!わたくしの憶測によれば、酒場のシーンで割と早く出てきて、水色と黄色がかった長いスペイン民族衣装風のドレスを着て、エスパーダと踊るのが“Street Dancer”で、その後で真紅のフラメンコ衣装みたいなドレスを着て、エスパーダと踊るのがメルセデスなのでしょうか。

エスパーダと水色と黄色のドレスを着た女とが一緒に踊っているときに、真紅のフラメンコ衣装を着た女性が登場して、エスパーダと踊る女を見て憤然とした表情をしていたので、たぶん真紅のドレスのほうがメルセデスではないかと思うのですが。

更に、カスタネットを叩きながら踊った女性ダンサー、闘牛士たちが床に縦一列に突き立てた短剣の間を、ポワントのパドブレで前から後ろに移動していく女性ダンサーがいたのは覚えているのですが、それがメルセデスなのか“Street Dancer”なのか判然としないのです。後者の踊りはトゥ・シューズを履いてないとできませんから、これを踊ったのは“Street Dancer”のはずですが(メルセデスはトゥ・シューズを履いていません)。

どっちがどっちなのか分かりませんが、とにかくカスタネットの踊りも、短剣の踊りも、酒場でのエスパーダと2人の女性ダンサーの踊りもすばらしかったです。あと、“Spanish Dance”を踊った3人の女性ダンサーが、一体どこで出てきたのか分かりません。酒場のシーンで、やはりスペイン民族衣装風の長いドレスを着て、ギターを持って後ろで踊っていた女性ダンサーたちが数名いましたが、彼女たちのことでしょうか。

大体、場所設定がスペインなのに、“Spanish Dance”だなんてあんまりじゃありませんか。女性ダンサーの多くは、みんなスペイン民族衣装風のドレスを着ているのですよ。音楽だってスペイン風です。分かりにくいんです、ロイヤル・オペラ・ハウスのくれたキャスト表は。順不同で。せめて各幕ごとに表記してくれれば・・・。まあ、私が予備知識なしで観たのがいちばん悪いんですが。

この第一場で最も面白かったのは、バジルの狂言自殺のシーンだった(といきなり「である調」になる)。バジル、キトリ、キトリの友人たち、エスパーダ、メルセデスが踊り、また乾杯をして楽しんでいると(これが駆け落ち者のすることか)、バジルとキトリの居所をつきとめたロレンツォ、ガマーシュ、ドン・キホーテらが酒場にやって来る。ロレンツォは激怒し、どうしてもキトリとガマーシュを結婚させようとする。

バジルはとうとうブチ切れ、いきなり懐から短剣を抜く。が、バジルは人々が慌てふためいている隙に、最初に右を見て、次に左を見て、誰も自分を見ていないことを確認すると、黒いマントを取り出し、それを丁寧に床に敷く。バジルは床に敷いたマントのたるみをきちんと伸ばし終えると、短剣を自分の胸、じゃなくて脇の下に差し込み、敷いておいたマントの上にバッタリと倒れる。観客は大爆笑。マトヴィエンコのとぼけた演技が実に秀逸であった。

更に笑えたのがザハロワで、キトリは大げさな仕草と表情で嘆いて、急いで倒れているバジルの傍に駆け寄る。キトリは床に落ちてしまった短剣を、再びバジルの脇の下にねじ込んでしっかりと固定する。観客はまたもや爆笑。キトリはそれからわざとらしく泣いてみせ、様子を見ようと起き上がろうとするバジルを押さえつける。男も男なら女も女で、たくましい明るいカップルだな〜、と見ていて楽しかった。

ドン・キホーテは正義感に駆られ、キトリとバジルの結婚を許してやるよう、ロレンツォを半ば脅迫する。ロレンツォは不承不承ながらそれを許す。その途端、倒れていたバジルは、ぴょーん、と元気よく立ち上がり(←お調子者)、喜びながらキトリと抱き合う。ドン・キホーテとサンチョ・パンザは、バルセロナの人々に別れを告げて去ってゆく。

第二場はジプシーたちの野営地である。ドン・キホーテとサンチョ・パンザがそこへやって来て、一夜の宿を求める。背景には幌馬車があり、そして大きな風車小屋が聳え立っている。ドン・キホーテは半ば頭がおかしくなっているので、なぜかそこが王侯貴族の宮殿だと思っているらしい。紙でできた王冠をかぶったジプシーの人々に、ドン・キホーテは丁重にお辞儀をする。

ジプシー女たちの軟体系踊り(背中を床ギリギリまで反り返らせる)はすばらしかったが、その中でもいちばん印象的だったのは、なんといっても“Gypsy Dance”を踊ったYulianna Malkhasyantsである。年齢は40過ぎくらいだと思う。ウェーブのかかった髪をさばき、エスニックなアクセサリーを身につけ、床をひきずるような裾の長い衣装を着て、舞台の前面に出てくると、前をじっと凝視したうつろな表情でゆっくりと踊り始める。

振付はやはり床にひざまづいて背中を反り返らせる軟体踊りだったが、面白かったのが、少し踊っては止め、そのたびに肩を落として「ハア〜」と疲れたようにため息をつく仕草だった。にこりともせず、なんかイッちゃったような視線と表情で、美しいとかきれいとか、そういうわけではないのだが、なぜだか強烈な存在感というか、不気味な迫力があって印象的だった。

ジプシーたちがマペット劇を始める。金髪のお姫様が悪党の手にかかって殺されるという筋で、それを見たドン・キホーテの妄想モードに拍車がかかり、彼は自分の理想の女性であるドルシネア姫が害されたと思って激怒する。妄想に歯止めの利かなくなったドン・キホーテは、大きな風車を敵だと思い込み、槍をかかげて突進する。

舞台の前面に暗い森の絵が描かれた幕がかかっている。その前に、風車に激突したショックで気絶したドン・キホーテが倒れている。すると、いきなり暗い森の幕が上がる。一転してそこは明るく輝く世界で、舞台上には白地に様々な色ががかったチュチュに身を包んだ美女たちがポーズを取って静止している。今までの赤と茶と黒の舞台から、明るい白い舞台へと変わって大変に美しく、客席から大きな拍手が飛んだ。

彼女たちはドライアド(森の妖精)である。キューピッドがいてドン・キホーテをさし招く。中央にはドライアドの女王、そしてドルシネア姫がいる。ドライアドの女王はMaria Allashで、白地に青の入ったチュチュ、ドルシネア姫はザハロワ(二役)で、白地に緑の入ったチュチュを着ている。

このシーンでは、ドライアドの女王とドルシネア姫が同じ振りで踊るところが多く(もちろん各自のヴァリアシオンもある)、そうなると、アラシュとザハロワの違いが分かる。アラシュのオデットを観て感じたのだが、ザハロワと比べてみても、やっぱりアラシュの踊りには粗いところや、なめらかさに欠けるところがある。ザハロワはしなやかで美しい。最後にグラン・ジュテをしながら順番に舞台を斜め横断してくるところで、それを強く感じた。

助けを求めて森をさまよったサンチョ・パンザは、偶然に公爵、公爵夫人の一行と出会う。公爵はドン・キホーテを助け、またキトリとバジルの結婚式を自分の城館で挙げさせる。これが第三幕となる。第三幕はキトリとバジルのグラン・パ・ド・ドゥが中心で、その前後や中間に他の踊りが挿し込まれる。よってたった30分ほどで終わる。

ここの踊りでは、バジルに手を取られながらキトリが片足ポワントでアティチュードをし、バジルがそっと手を離してキトリがそのままのポーズでバランスを保つ、という振りが繰り返される。私は男性ダンサーが女性ダンサーの手を離すときの、「もう大丈夫かな〜?離すよ〜ん」という「もたもた」が好きでなかったが、今回はマトヴィエンコもザハロワもささっと手を離していて気持ちよかった。

マトヴィエンコがピルエットするザハロワを「ろくろ回し」する。ここまでは普通だけど、ザハロワの回転が止まった後、マトヴィエンコが手を離す。だがザハロワは片脚を曲げて膝のところに当てた回転ポーズのまま、腰に手を当てて、片足を床に下ろさず、またかかとを床につけることもなく、片足ポワントで1秒間じっと静止していた。その間、ザハロワは前を見つめて口元に微笑を浮かべている。静かな自信の滲み出るその表情に、思わずザハロワ様〜、と伏し拝みたい気分になった。

キトリが片脚を斜め上に伸ばして回転するのをバジルが受け止めるところは、マトヴィエンコはまったくブレることなく、ビシッ!と受け止めていて、みなきれいに決まっていた。ザハロワが長い脚をピンと伸ばして回転すると本当に流れるように美しい。

アティチュードをするザハロワの手を取る直前に、マトヴィエンコがすごい速さでピルエットをした。片脚を少し上げた形のもので、コンパスが回るような感じのピルエットだった。少しの間もムダにせず、自分の技を披露しようという心意気がよい。

バジルによるキトリの「逆さ落とし+両手放ししゃちほこポーズ」は、残念ながらあんまりスムーズにいかなかった。両人とも、ポーズが決まった後の「両手開き」と「両手ひらひら」を強調してフォローしていたが。

このグラン・パ・ド・ドゥでは、キトリとバジルの他に、なぜか女性ダンサー2人が出てきて、それぞれヴァリアシオンを踊る。第1ヴァリアシオンを踊ったNatalia Osipovaがとにかくすごかった。グラン・ジュテがたくさん出てくる振付なんだけど、そのジュテの高さが尋常でない。ザハロワも含めた他の女性ダンサーとは段違いに高くて驚愕した。軽々と跳び、空中でのポーズは割と直線的だが、粗いという印象はなく、これがこの人の持ち味なのだという感じである。このNatalia Osipovaは、驚いたことにコール・ドである。きっといいとこまでいくダンサーだと思う。

バジルのヴァリアシオンでは、マトヴィエンコが多様なピルエットを披露した。中でも、速く回転しながら上げた片脚を徐々に下げていく、というピルエットがあって、それがとてもきれいだった。

キトリのヴァリアシオンは、従来の版とはまったく異なる振付だった。バジルのヴァリアシオンは従来版と同じだったのにどうしてだろう。更にキトリは確か扇を持っていなかった。心の準備ができていなかったので、あれれ?と思っているうちに終わってしまった。よって細かい振付はまったく覚えていない。でも、踊りの一つ一つの振付は違うけど、振付の全体的な感じは従来版と似ていたような気がする。

コーダでは、マトヴィエンコは反転ジャンプをしながら舞台一周をするところで、何回かジャンプするごとに、更に跳び上がって空中で回転し、着地するとまた反転ジャンプをする、というパターンで一周した。

次にキトリが例の32回転をする。ザハロワの長い脚がぶんぶんと空を切ってすごい迫力である。それからバジルの片脚真横上げ超高速連続ピルエットが始まる。こちらもすごい。スピードを緩めずに回転しながら片脚を下げていって、音楽の終わりと同時にピタリと静止する。

このグラン・パ・ド・ドゥが終わると、ホールには怒涛の拍手喝采が割れんばかりに鳴り響き、ブラボー・コールが飛びまくった。まあ、あれだけやられるとね、みんな興奮するよね(私もです)。

カーテン・コールも大騒ぎで、とりわけザハロワとマトヴィエンコが前に出てくるたびに、拍手喝采とともに、カメラのフラッシュがバシバシ光りまくる。実は「トリプル・ビル」も「白鳥の湖」も、カーテン・コールで観客が写真撮影しまくって、たまりかねたロイヤル・オペラ・ハウス側が、途中で「撮影は禁止されています」という場内アナウンスを入れたくらいだった。でもみなさん聞く耳を持ちません。

いったいどういう人が撮ってるのかいな、と思って周囲を見ると、人種民族に関わらず、みなカメラを手にしておりました。実は、休憩時間のときも、私の隣に座っていた東洋人男性2人が、それぞれカメラを片手に「このカメラはここを押すと云々」と、カメラ談義に話が弾んでいた。英語でしゃべっていたので日本人とは限らないが、私は2人とも限りなく日本人だろうと思っている。悪びれた風もなかったので、カーテン・コールの撮影は、もはや習慣化しているのだろうか。まあ、上演中の撮影ではないからいいか、と思わないでもない。私は小心者だし、カーテン・コールなんか撮って何になるの、と考えているのでやらないが。

舞台上にダンサーたちが勢ぞろいして何度も前に出てきてお辞儀をした。途中で指揮者、そして芸術監督のアレクセイ・ラトマンスキーをはじめとする、ボリショイ・バレエの主要スタッフたちも姿を現わした。ラトマンスキーはまだ若い人だったので驚いた。ボリショイ・バレエは人間関係が大変そうだが、これからも頑張って下さい。

うーむ、ボリショイ・バレエはいいバレエ団ですね!(←今さら何を言っているのか、と自分でも思う) おきまりの古典作品ばかり踊るなんてもったいない。ボリショイならではの作品の他にも、レパートリーをどんどん増やしていってほしい。それだけの力は充分すぎるくらいにあるんだから。

(2006年9月5日)


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