Club Pelican

NOTE

小林紀子バレエ・シアター第84回公演

「コンチェルト」/「The Invitation」/「チェックメイト」

(2006年7月17日、新国立劇場中劇場)

祝日の公演で、しかも会場が新国立劇場の中劇場だというのに、客席にたくさんの空きがある、というのは非常に残念なことだ。去年は、日本のバレエ・ファンの大方が、メジャーな古典全幕作品や海外の有名バレエ・カンパニーを好むので観に来ないのだ、と思っていた。でも今年はバレエ・ファンが全面的に悪い、とは思わなかった。小林紀子バレエ・シアター側の姿勢にも問題がある。

最も問題なのは、やはり宣伝活動にあまり力を入れていないことである。観客は相変わらず同業者(バレエ・ダンサー)か、バレエ関係の仕事をしている人か、バレエ学校の生徒さんとその家族か、招待客といった、いわゆる「身内」ばかりで、一般の観客が少ない。再び言わせてもらおう。小林紀子さんは常々、「日本の観客にイギリスのバレエを紹介したい」と言っている。でもその「観客」とはどういう人たちを念頭に置いて言っているのか。一般のバレエ・ファンは数のうちに入らないのか。

また、小林紀子バレエ・シアターには、公式サイトというものが(おそらく)ない。どんなに検索しても引っかからない。公式サイトがもしあるなら、検索ロボット拒否タグでも仕込んでいるのだろうか。今さらなんでこんなことを言う必要があるのかと思うが、現在では、インターネットは非常に重要で有効なメディアである。今や、ほとんどの人がインターネット上で情報を得ている。

チラシ配りのようなアナログな宣伝活動にはコストがかかって大変だ、というのなら、せめて公式サイトでも開設して、ファンにカンパニーの情報を提供してはどうか。もしかすると、チラシ配りよりも宣伝効果が大きいかもしれない。チケットのオンライン・ブッキング・システムを作れ、などと無茶なことは言わない(コストがかかる)。でも、たとえばダンサーたちによるブログを作ったりしたら、多くのバレエ・ファンが興味を持って見にくるだろう。って、何を提案しているのか私。

つまり、私はこのカンパニーの、ほのぼのと内輪だけで固まった雰囲気に対して、いいかげんうんざりきているのである。今回の公演でも、ロイヤル・バレエやバーミンガム・ロイヤル・バレエから舞台装置や衣装をレンタルし、バーミンガム・ロイヤル・バレエ、またロイヤル・バレエ出身のジュリー・リンコン(Julie Lincoln)に演出してもらって、更にケネス・マクミランの未亡人である、デボラ・マクミラン(Deborah MacMillan)にも来てもらったというのに、客の入りがこれである。そろそろ危機感を持ってもいい時分だと思う。

気を取り直して、最初の「コンチェルト(Concerto)」、振付はケネス・マクミランにより、音楽はショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番を全曲(ほぼ30分)用いている。美術はデボラ・マクミラン。この作品の初演は1966年、ベルリン・オペラ・バレエ団によって行なわれた。

主な出演者。第一楽章は、Principals:高橋怜子、恵谷彰;3 Couples:斉藤美絵子、冨川祐樹、駒形祥子、佐々木淳史、萱嶋みゆき、冨川直樹。この他に“6 Girls”として6人の女性ダンサーによる群舞がある。

第二楽章は、Principals:島添亮子、中村誠。第一楽章の“3 Couples”も登場する。

第三楽章は、Principal Girl:大森結城。更に第一楽章と第二楽章の“Principals”、“3 Couples”が再び登場し、この他に“8 Boys”、“16 Girls”と名づけられた群舞が登場する。

この公演の演奏は東京ニューフィルハーモニック管弦楽団が、指揮はフィリップ・エリス(Philip Ellis)が担当した。「コンチェルト」の音楽であるショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第2番」のピアノは中野孝紀による。

「コンチェルト」には特にストーリーはない。各楽章で“Principals”や“Principal Girl”がパ・ド・ドゥ、デュエット、ソロを踊り、その間に“3 Couples”、“6 Girls”、“8 Boys”、“16 Girls”による群舞が入る。

ダンサーたちの衣装の色は濃淡さまざまなブルーで、女性は袖なしのレオタードにミニスカート、男性は長袖で足首まであるレオタードというシンプルなデザインである。

振付はクラシカルなステップ、ムーヴメント、ポーズで構成されており、特徴的なのは、音楽に合わせて、細かく振付が施されていることである。音楽の大体の流れや大きな区切りに合わせて、という程度のもんではなく、ほとんど一つの音ごとに振りが付けられている。特に第一楽章と第三楽章のアレグロでそれが甚だしく、例外は第二楽章のアンダンテであった。

この「コンチェルト」はよくなかった。だが、作品としてよくないとは思わない。ストーリーのない作品とはいえ、良い音楽と連動しているし、見ていてうっとりするような、美しいクラシカルな振付だし、時間だって30分と適切である。よくなかったのはダンサーたちの踊りである。彼らの能力不足ではなく、まだ充分に踊りこんでいなかったためだと思う。だって、次の“The Invitation”では、あんなにすばらしく踊っていたのだから。

ダンサーたちの動きは硬くガタガタしており、振付をなんとかこなすどころか、甚だしくは振付をこなせなくて踊り全体が崩れてしまっていたダンサーもいた。特にアレグロでは、音楽に合わせてぎゅうぎゅうにつめこまれた、慌ただしい振付をこなしながら、且つテンポの速い音楽にきちんと合わせるのが難しかったようだ。

「コンチェルト」の第二楽章は、私は以前に観たことがあった。スターダンサーズ・バレエ団が2002年の春に行なった公演、「マクミラン・カレイドスコープ」で、厚木三杏と李波が“Principals”を踊った。この第二楽章の踊りは、リン・シーモアがバー・レッスンをしているのを見たマクミランが、その姿に想を得て振り付けたものだそうで、女性ダンサーは確かにバー・レッスンをしているような振りをゆっくりと踊る。

あの「マクミラン・カレイドスコープ」で、厚木三杏と李波が踊った第二楽章は筆舌に尽くしがたいすばらしさであった。厚木三杏のしなやかで緩やかにたわむような、美しい腕の運びやポーズ、李波の自然でぎこちなさやブレの皆無な完璧サポートは、今でもよく覚えている。

というわけで、厚木三杏と李波が踊った第二楽章と、今回、島添亮子と中村誠が踊った第二楽章を脳内で比較してみると、島添亮子の動きは硬く、中村誠のサポートはガタガタしていて、静かな雰囲気の音楽にも合っていなかった。あの島添さんがこんなに硬い動きをするなんて、一体どうしたんだ!?と思った。

見ていて最も気の毒だったのは、第三楽章で“Principal Girl”を踊った大森結城だった。テンポの速い音楽に追いつけず、振りのひとつひとつが雑になってしまい、踊りが全体的に型崩れを起こしてしまっていた。素人でも分かるくらいガタガタだった。普段はこんな踊りをするような人ではないと思うので、これもやはり踊りこんでいないことからくるものだろう。

休憩時間を挟んで、次は「The Invitation」である。去年に引き続いての上演となる。振付はケネス・マクミラン、音楽はマティアス・セイバー(Matyas Seiber)、美術はニコラス・ジョージアディス(Nicholas Georgiadis)により、今回もデボラ・マクミランが監修を務めている。この作品は、1960年、ロイヤル・バレエ・ツーリング・カンパニー(現バーミンガム・ロイヤル・バレエ)によって初演された。

主なキャスト。少女:島添亮子;少女のいとこ:後藤和雄;少女の母:楠元郁子;少女の姉:斉藤美絵子、高橋怜子;少女の家の家庭教師:板橋綾子;妻:大和雅美;夫:パトリック・アルモン(Patrick Armand);芸人たち:伊藤真知子(雌鳥)、富川祐樹(雄鶏)、中村誠(雄鶏)。

島添亮子の踊りが去年よりもはるかにすばらしいものとなっていた。「マノン」、「マイヤリング」を彷彿とさせる複雑なステップを、精緻に、流れるように、自然にこなしていく。踊りが1本の線でつながっていて、ゆがみやたるみがまったくない。繊細でやわらかに波打つ腕の動きは本当に美しく、脚のポーズや足先の動きで少女の気持ちをよく表現している。

去年、私はもっぱらストーリー重視で見ていたが、今回の公演を観て、この作品の踊りも、踊れる人が踊ればこんなに美しくて、しかも雄弁なものだったのだと気づいた。島添亮子は本来、こういう情感を込めた踊りが得意なのだろうと思う。演技も去年より自然で、もう完全に「少女」役を自分のものにしている。島添さん、あなたは「マノン」でのダーシー・バッセルに匹敵します。

少年役の後藤和雄と島添亮子の息もぴったりで、冒頭での少女と少年とのデュエットでは、ふたりとも踊りがきれいで、並んで踊るところもきちんと揃っていて、とても爽やかで生き生きしていた。後の展開を考えると複雑な気分だが。

後藤和雄は背が高く、スタイルにも恵まれた(頭のデカい宇宙人体型でない)人であり、踊りも丁寧できれいである。一緒に観た人と話し合ったのだが、もっと彼の活躍できる場があればいいのに、と思う。せっかく日本人離れした体型を持って、イケメンで、踊りもきれいなのにもったいない。

島添亮子と同じく、大和雅美も、もはや「妻」役が当たり役になった感があった。愛憎が複雑に交差した夫との緊張感に満ちた踊り、少年を誘惑する時の爬虫類めいた踊りもみなすばらしく、去年と同じように、全身を使って(特にあの長い脚で)「妻」の苦しみや執着を表現していた。彼女の表情もいい。感情を激しく表には出さない演技だけど、寂しそうな目つきで、眉を悲しげに少しひそめている。

「夫」が「少女」を強姦してしまうシーンでは、最初は「少女」と普通に踊っていたのが、徐々に抑制が利かなくなってきて、突如として暴力的な仕草で少女の体を撫でまくる「夫」と、彼の変貌に驚きつつ必死でもがいて抵抗する「少女」とが争うシーン、そして「夫」が「少女」の体をモノのように振り回して乱暴するシーンは、凄まじい迫力と緊迫感に溢れていた。

「The Invitation」の時代設定はヴィクトリア朝時代後期のイギリスなのだけれど、後で聞いたところによれば、ヴィクトリア朝というのは、倫理道徳の非常に厳しい時代だったんだって。マクミランがあえてこの時代を舞台としたのは、表向きには厳格な道徳観に従って振舞う大人たちの、その裏にある乱れた実情を表現したかったのかもしれない。招待客たちが男女関係をめぐって争いながら入り乱れるシーンなんかは、そうした実情を表現している。

あとマクミランが見事なのは、厳格な道徳観を持ち、性に関することには異常に神経を尖らせている女性たち(少女の母親、女家庭教師)も、実は性的虐待の被害者であるかもしれない、ということを、強姦された少女の変貌を通じて暗示したところだ。女性たちの性的なものに対する嫌悪感が、昔の忌まわしい経験によってもたらされたものであるということを、マクミランはこの作品によって指摘してみせた。フロイトなんぞより、マクミランのほうが女性たちの苦難の歴史をよく分かっている。

また休憩時間を挟んで、最後は「チェックメイト(Checkmate)」である。振付はニネット・ド・ヴァロワ(Ninette de Valois)、オリジナル演出はパメラ・メイ(Pamela May)、音楽はアーサー・ブリス(Arthur Bliss)、美術はエドワード・マックナイト・カウファー(Edward McKnight Kauffer)による。初演は1937年、ヴィック・ウェルズ・バレエ(現ロイヤル・バレエ)によって行なわれた。

キャスト。愛:板橋綾子;死:奥田慎也;黒の女王:大和雅美;赤の女王:楠元郁子;赤の王:澤田展生;赤の第一騎士:冨川祐樹;赤の第二騎士:中村誠;黒の騎士:中尾充宏、冨川直樹;

赤の城将:佐藤禎徳、保井賢:黒の城将:井口裕之、佐々木淳史;赤の僧正:泊陽平、Anders Hammer。他に赤の歩と黒の歩(各8人ずつ)がいる。

キャストの「愛」と「死」ってナニ?とまず思われることだろう。幕が開くと、チェス盤を間に挟んで、赤とオレンジの衣装を着た戦士と、黒とグレーの衣装を着た戦士が対峙している。赤とオレンジの戦士が「愛」で、黒とグレーの戦士が「死」である。

両者ともに頭と顔をすっぽりと覆う兜をかぶっているが、「愛」は途中で兜を脱ぐ(下は金髪のおかっぱヅラ)。戦争はやめましょう、と「死」に申し出ているワケだ。それに対し、「死」は片方の手袋を脱いで床に落とす。いーや、戦争してやるぞ、ということらしい。両者は静かにチェスの駒を動かす。戦争開始のようだ。

場面は変わってチェス盤の上である。床はちゃんと黒と白の市松模様になっている。で、それからどうなるかというとね、まずチェスの駒たちが次々と姿を現わす。「愛」の駒は、やはり赤とオレンジの衣装を着ている。赤の駒から王までが勢ぞろいしたところで、「死」の駒が次々と姿を現わす。「死」の駒は、黒とグレー、もしくは黒と白の衣装を着ている。両者は戦闘状態に入り、途中で黒の女王も現れ、みずから剣を振るって黒の駒たちを指揮する。

ちょっと余談。「城将」役の衣装が笑えた。服は中世の鎧みたいなんだけど、頭にお城の塔みたいな煙突型のかぶりものをしてるの。しかも塔の上には旗まで立っているのよ〜。

黒の駒が優勢な状況で、赤の騎士が黒の女王と戦い、彼女の剣をはじき落として、黒の女王を殺そうとする。さあ、殺して、と神妙に目を閉じる女王。しかし、赤の騎士は、戦いの最中に黒の女王から黒い花を投げられ、お色気作戦を仕掛けられていたのだった。結局、赤の騎士は黒の女王を殺すことができずに背を向けてしまう。黒の女王は赤の騎士の戸惑いに乗じて、彼を逆に刺し殺してしまう(大した女だ)。

赤の女王が黒の女王に、戦いをやめてくれるよう両手を合わせて嘆願する。しかし黒の女王はそれを聞き入れず、赤の女王を配下の駒たちに殺させてしまう。

赤の王がただ一人残される。黒の女王をはじめとする駒は赤の王を一斉に槍で攻撃し、赤の王を捕らえる。黒の女王が捕らえられた赤の王の背後に立ち、その王冠を取り上げて高々と上にさし出す。そしてついに赤の王は殺される。つまり「愛」が負けて「死」が勝った、という結末である。

この「チェックメイト」は、公演プログラムによると、当時(1930年代)の不穏な国際情勢を諷刺したバレエで、「強力な悪の権力機構が動き出した時には、宗教や平和な国の軍隊がいかに無力なものであるか」ということを、チェスを題材に表現しているのだそうだ。黒の女王はヒトラーを寓している、ともいわれているという。

だからこの作品は一種の「反戦バレエ」ともいえるわけで、自分の得意な分野で戦争に反対する、という行動は立派だと思う。だが、言っちゃ悪いが、さほど強烈なメッセージ性があるわけでもなく、バレエ作品としてもあまり良い出来とは思えない。「チェックメイト」の上演時間はほぼ1時間で、同じ「反戦バレエ」であり、またほぼ同じ時期に作られたクルト・ヨースの「緑のテーブル」と、上演時間が同じである。

ヨースの「緑のテーブル」は、戦争の加害者、被害者、また戦争に乗じて利益を得ようとする人々の姿を分かりやすく諷刺したもので、様々な具体的なエピソードを展開していくという手法を採り、一定のストーリー性があった。それだけにメッセージ性も明確であり、だから観ていても飽きなかった。

ところが、「チェックメイト」は、ストーリーは一言でいえば「黒(死すなわち悪)が赤(愛すなわち平和)に戦争を仕掛けて勝利する」というものである。これを1時間もかけて延々とやるのだ。こんな単純なストーリーを展開するのに、どうやって1時間もかけたのかといえば、それぞれのキャストに、いちいちキャラクター・ダンスかディヴェルティスマン的な、意味のない踊りを踊らせたのである。

たとえば、赤の歩が出てくれば群舞を踊り、黒の歩が出てくればまたしても群舞を踊る。赤の騎士たちが、また黒の騎士たちが出てくると、そのたびに踊る。赤と黒の城将が出てくれば踊り、そして黒の女王が出てくるとやっぱり踊る。

特に前半、赤の王が出てくるまでが実に長かった。赤の駒が順々に出てきて、その度に意味のない群舞やソロを踊り、いいかげんうんざりしたところで、ようやく赤の王様が登場し、赤の駒が勢ぞろいする。まだ先は長いらしい。

そして今度は黒の駒が次々と出てくる。赤の駒たちと戦うような踊りを踊って、途中で黒の女王が黒の騎士たちに高く抱え上げられて登場する。黒の女王はみずから剣を持ち、ソロを踊ったり、黒の騎士たちに支えられながら踊る。戦いの中で陣頭指揮をとったり、戦ったりしているのは分かるんだけど、なんか踊りがつまらない。

当時は斬新だったのかもしれないが、全役柄の振付の基本は、兵隊が行進するような小刻みなステップで、上半身はあまり動かさない。騎士たちだけが全身を使ったダイナミックな振りの踊りだった。黒の女王もポワントで「モデル歩き」みたいなステップを踏んで踊り、あとは騎士たちに抱え上げられてポーズをとる。チェスの駒と人間の兵隊を引っかけて、おもちゃの兵隊みたいな振りにしたのかもしれないが、動きは単調だし、意味はないし、見ているうちに飽きてしまった。

作品自体に途中でうんざりしてしまったので、ダンサーの踊りにもあまり集中できませんでした。というか、ダンサーの踊りに注目できる「見どころ」がほとんどない作品なので、誰の踊りがどうだった、とか言えないのである。演技に関してもそうで、表面的には生身の人間の物語ではなく、あくまでチェスの駒の話なので、ダンサーたちはほとんど無表情の演技を要求されていたようだ。

割とはっきりした表情で演技をするのは黒の女王と赤の王なわけだが、黒の女王を踊った大和雅美には、冷酷さというか残酷さがあまり感じられなかった。唯一、赤の王を演じた澤田展生が良かった。よぼよぼで無力な年老いた王様で、最後にさんざんいたぶられた末に殺されるシーンでの、恐れおののいた表情が実に哀れで、結末の残酷さがいっそう強まった。

ちなみにこの「チェックメイト」については、バーミンガム・ロイヤル・バレエが上演した時の模様を、あびさんが「ストーリーズ」に書いてくれているので(ここ)、そちらもご参照下さい。私は今回の公演を観て、なるほど、あびさんが言っていたのはこのことだったのか、と腑に落ちました。

「コンチェルト」はいい作品だと思うので、また再演してほしい。あの慌ただしいステップをこなすのは大変だろうけど、再演ではもっと良くなるに違いない。「The Invitation」は、もはや小林紀子バレエ・シアターの代表作になっている。この作品の上演に踏み切ったのは大きな功績だと思う。でも、「チェックメイト」はねー、なんかもう時代的な限界がきているんじゃないかなあ。

小林紀子バレエ・シアターの次の公演は、9月9、10日です。演目は「レ・シルフィード」、「ソリテイル」、「パキータ」です。強い物語性のない作品ばかりだけど、みなさん、よかったら観に行って下さいね。(そう、私は小林紀子バレエ・シアターのファンなのだ)

(2006年7月18日)


スターダンサーズ・バレエ団

「くるみ割り人形」
(ピーター・ライト版)

(2006年8月4日、新国立劇場オペラ劇場)

スターダンサーズ・バレエ団の公演は、客の入りはいつもそこそこ良い(悪い場合もあるが)。たいていの公演はゆうぽうと簡易保険ホールで行なわれることが多いのだが、今回はめずらしく、新国立劇場、しかもオペラ劇場での公演である。

今日の「くるみ割り人形」には、英国ロイヤル・バレエのプリンシパル、吉田都とフェデリコ・ボネッリがゲスト出演する。そのせいか、オペラ劇場は4階に至るまでぎゅうぎゅうに観客がつまっていた。みな吉田都が目当てに決まっている(とーぜん私もだ)。恐るべし、吉田都。

ピーター・ライトによれば、吉田都がまだロイヤル・バレエ・スクールに在学していたとき、ニネット・ド・ヴァロワは吉田都の踊りを見て、驚嘆してこう言ったという。「私は80年間生きてきて、こんなにすばらしく踊るダンサーを見たことがない。」

ピーター・ライトにとっても、吉田都は「私が最も好きなダンサー」だそうだ。ライトはまた、吉田都を指して「日本が失ったものを、イギリスが手に入れた」と苦笑しながら言い、「現在の日本のバレエには国家による助成がなく、それが日本の優秀なダンサーたちが海外に流出している原因だ」と再三にわたって指摘した。

「くるみ割り人形」、音楽はチャイコフスキーの同名曲を用い、振付はピーター・ライト(Peter Wright、第1幕第1・3場、第2幕)、ヴィンセント・レドモン(Vincent Redmon、第1幕第2場)、レフ・イワーノフ(Lev Ivanov、第2幕葦笛の踊り、グラン・パ・ド・ドゥ)、演出はピーター・ライト、美術はジョン・マクファーレン(John MacFarlane)、照明はデイヴィッド・フィン(David Finn)、マジック指導はジョン・ウェイド(John Wade)による。この作品の初演は、1990年12月、バーミンガム・ロイヤル・バレエによって行なわれた。

主なキャスト。第1幕は、クララ:林ゆりえ;クララの母:周防サユル;クララの父:鈴木稔;フリッツ:高谷遼;クララの祖母:鈴木恵美子;クララの祖父:高谷大一;バレエ学校の生徒(クララの友だち):新井千佳、白椛祐子、松坂理里子、原山すみれ;士官候補生:新村純一、友杉洋之、小濱孝夫、川島治、荒井英之;

ドロッセルマイヤー:東秀昭;ドロッセルマイヤーの助手:新田知洋;ハレルキン:大野大輔;コロンビーヌ:丸山香織;ジャック・イン・ザ・ボックス:八幡顕光;くるみ割り人形:新村純一;ねずみの王様:新田知洋;王子:フェデリコ・ボネッリ(Federico Bonelli);

雪の精:厚木彩;雪の精のお付き:新井千佳、岩崎祥子、天木真那美、小池知子;風:橋口晋策、王益東、草野洋介、梶谷拓朗。

第2幕は、スペインの踊り:小平浩子、新田知洋、大野大輔;アラビアの踊り:小池知子、新村純一、松田聖司、河原昌彦;中国の踊り:八幡顕光、友杉洋之;葦笛の踊り:福島昌美、糸井千加子、佐合萌香、石山沙央理;ロシアの踊り:小濱孝夫、鴻巣明史、荒井英之;ばらの精:白椛祐子;ばらの精の従者:橋口晋策、王益東、草野洋介、梶谷拓朗;王子:フェデリコ・ボネッリ;金平糖の精:吉田都。

演奏は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、指揮は田中良和。

今までいくつかのバレエ団による「くるみ割り人形」を観たが、今回のピーター・ライト版「くるみ割り人形」は、これまで観た「くるみ割り人形」の中で最も面白かった。構成が未完成で作品として不完全な感のあるロシアン・ヴァージョンではなく、バレエ教室のお発表会用に改変しまくった“ピーター・ライト版”でもない。正真正銘のピーター・ライト版「くるみ割り人形」である。久しぶりに大人のための「くるみ割り人形」を観たな、という気分になったし、本物のライト版はこんなにいい作品だったのか、と意外にも感動した。

ピーター・ライト版「くるみ割り人形」の良さは、観客を飽きさせない工夫を、演出、踊りの構成、舞台美術などあらゆる面で凝らしているところにある。特に第1幕第1場、クリスマス・パーティーのシーンはとかく冗長でつまらないものだが、ライト版は無駄なマイムや踊りを廃し、分かりやすい簡潔なマイムでストーリーを説明し、必要な踊りだけを盛り込み、また手品とやや大がかりなマジックまで採用して、このシーンを面白いものとした。

私が特に気に入ったのは、クララとその友だちと士官候補生たちとの踊りである。男女がペアになって踊るのだが、士官候補生たちはみな紺色の軍服を着ているのよ。その軍服がカッコいいのなんの。いや、もちろん踊りも良かったけどね、大量のガキがクモの子みたいにうじゃうじゃ出てきてヘタな踊りを披露して拍手パチパチよりは、こっちのほうが断然よい。

クララと一緒に踊った士官候補生役は新村純一君で、彼は去年の公演の「緑のテーブル」で「死」を踊った人だよね。「緑のテーブル」では死神メイクで分からなかったけど、今回はきりりとした顔立ちに紺の軍服がよく似合ってるわ〜♪クララとこの士官候補生はお互いに好意を抱いているらしい。こういうふうに、「クララちゃんの淡い初恋」エピソードをさりげなく盛り込むアイディアもいいよね。

この新村純一君は第2場でくるみ割り人形を踊る。かぶりものをしているから顔は分からないけど、クララが恋心を抱いた士官候補生が、ネズミ隊に攻撃されるクララを守ってくれるくるみ割り人形になる、というファンタジーをクララが抱いたことを表わしているのだろうか?いくらなんでも考えすぎか。

話は前後するが、ドロッセルマイヤーのマジックのシーンは面白かった。ほとんどはネタがバレバレなものだったけど、一つだけどういう仕掛けなのか分からないマジックがあった。フリッツに壊されたくるみ割り人形を、ドロッセルマイヤーが直してみせるシーン。首と胴体が離れたくるみ割り人形が、誰も手を触れていないのに、首がすすす、と勝手に動いて胴体にくっつくの。あれは実に不思議。会場からも不思議そうな声が漏れていた。

クララのお母さんは元バレリーナ、という設定で、真紅のローブ・デコルテを着ていて、ドレスの裾を美しく翻して踊るシーンがあり、とても華やかだった。また、ハレルキンを踊った大野大輔君はダーク・ホースである。ジャック・イン・ザ・ボックスを踊った八幡顕光君より良かったかも。

第2場、居間が巨大化する舞台装置の転換も迫力があって見事だった。そこでくるみ割り人形率いるおもちゃの兵隊とネズミ隊が戦う。おもちゃの兵隊とネズミ隊もみな団員が担当していて、つまらんガキどもが生意気にも出てきやがらなかったのでよかったです。

あっ、いちばん大事なことを忘れていた。クララを踊った林ゆりえが実にすばらしかった。細くて長い手足としなやかな身体を持ち、ポーズは美しく(特に脚)、動きは繊細で柔らかくて、テクニックも突出していた。ピーター・ライトが激賞したというだけのことはある。

第1場と第2場を観て、これは面白いわ、心なしか今日はスタダンのダンサーたちもいつになく(すみません)輝いてるわ、と思ったところで、くるみ割り人形がバッタリと倒れ伏す。彼が死んでしまったと思ったクララは両手で顔を覆って泣く。ところが、片腕で顔を隠してうつぶせに倒れていたくるみ割り人形が、ゆっくりと起き上がる。彼が身を起こす仕草をしている時点で、もはや王子オーラがビンビンに放出され始める。フェデリコ・ボネッリの登場である。

ボネッリの立ち姿だけで、もうスタダンの他の男性ダンサーたちとは一線を画することがありありと分かる。もちろん体格の差もあるけど、それ以前に雰囲気、挙措、動作、それからポーズや踊りも違うのだ。そうテクニカルというわけではないが、ロイヤル・バレエ独特の優雅さというか、慎ましやかな上品さがあるのだ。また、余裕があってキレの良い安定した踊りと、柔らかい腕の動き。

王子とクララが一緒に踊る。第2幕の最後に吉田都とボネッリが踊るグラン・パ・ド・ドゥに比べると、やはり二人の息が合っていないところがあった。リハーサル期間はせいぜい1週間程度だったろうから仕方がない。ゲストが出演する公演はこれだから難しいねえ。

雪の国のシーンでは、男性ダンサー4人(風)も途中から加わって踊った。一緒に観た人はなかなか厳しい評価をつけていた。確かに4人が並んで踊るところでは、動きがてんでバラバラで揃っておらず、技術も粗くて心もとないところがあった。でも、日本のバレエ団にしてはめずらしく、背が高くてスタイルのいいダンサーばかりが揃っていた。あとは日々のレッスンに精進してほしい。

第2幕の冒頭は、幕(壁?)が上がると客席から大きなどよめきが起こった。羽ばたいている大きな白鳥の人形が透明なワイヤーで天井から吊り下げられ、その上にクララが乗っている。白鳥は宙をゆっくりと移動していき、やがて袖に姿を消す。幻想的とまではいかないが、かなり大がかりなセットで、とても迫力のある印象的な演出だった。

第2幕のディヴェルティスマンでは、アラビアの踊りを踊った小池知子がすばらしかった。これまたしなやかで柔らかい身体と長い手足を持っており、ゆっくりした官能的な振りの踊りを見事に踊っていた。彼女を支えたり持ち上げたりする男性ダンサーが3人いて、みななぜかハゲヅラをかぶっており、「ワンナイ」の「みやお」にそっくりなのが笑えた(まさかその中に新村純一君がいたとは・・・)。

中国の踊り(男性2人)では、片方が相手の両腕をつかんで、相手がその瞬間に高くジャンプして腰をひねりながら開脚する、という振りを代わる代わる繰り返して舞台を一周するのが面白かった。ロシアの踊り(男性3人)もマッチョな振りの踊りだったが、やはり踊りが揃っていないのと、技術が粗いこと、スタミナがないことが気になる。

有名な花のワルツ、ばらの精を踊った白椛祐子は明らかに実力不足だと思う。ソロでは手足の動きがガタガタ、バタバタしていて美しくない。クララは第2幕での各国の踊りに加わるのだが、この花のワルツでも、ばらの精はクララと並んで一緒に同じ振りで踊る。が、明らかにクララ役のダンサーのほうが勝っていた。女王然としてクララを踊りに誘ったくせに、クララに負けてどーする。

第1幕の雪の国と第2幕の花のワルツ、男性陣に比べて、女性の群舞はよく揃っていて美しかった。両シーンの衣装は似ていて、普通のチュチュではなく、スカートが膝丈で釣鐘型をしているもの。雪の精たちの衣装は白銀色で、ばらの花たちは白地に真紅の模様が入っている。ばらの精だけが白い普通のチュチュを着ている。しつこくて申し訳ないが、ばらの精を踊ったダンサーは、彼女一人だけが異なる衣装を着ていたために、余計に踊りのまずさが目立ってしまうことになった。

ドロッセルマイヤーが金平糖の精の人形を高々と差し上げ、それを背後に隠す。ドロッセルマイヤーがマントを広げて翻した瞬間、金平糖の精がにこやかに笑いながら姿を現わす。吉田都の登場である。ボネッリ登場の時と同じように、観客から大きな拍手が送られる。

王子と金平糖の精のグラン・パ・ド・ドゥ。ロイヤルでもペアを組んでいるだけあって、両者の息はぴたりと合っている。吉田都がピルエットをすると、ボネッリが絶妙のタイミングで止め、同時に吉田都がびしっ、とポーズを決める。全然ブレないしガタつかない。吉田都がボネッリに向かってにこやかに笑いながらダイビングすると、ボネッリは彼女をがっしりと受け止めるというよりは、両手を差し出して準備していたスペースへ、吉田都の体がするりと入ってきた、という自然な感じで抱きとめる。ダイビングする吉田都は、「さあいくわよ」という準備体勢をまったくとらない。微笑みを絶やさず、ボネッリを見やることもなく、実に軽やかに平然と走っていって体を横にして空を飛ぶ。

ボネッリはなるほど魅力的なダンサーだが、このとき、観客のほとんどは吉田都だけを見ていたに違いない。爪先をよくあんなに細かく震えさせることができるものだ。踏ん張らず、ふわっと浮き上がるようなグラン・ジュテをする。ボネッリに手を取られて、それからぱっと手を離してアラベスク、そのまま静止。決してグラつかない。

吉田都とボネッリの踊りの雰囲気や動きは似ている。品が良く優雅で、一つ一つの動きを丁寧に、確実にこなす。これがいわゆる「ロイヤル・スタイル」というものなのだろう。また、彼らは「観客に見せる踊り」をする。これは「プロフェッショナル性」だと思う。

金平糖の精のソロ。オルゴールのような静かな音楽に乗って踊るが、驚いたことにトゥ・シューズの音がまったくしない。ポワントで踊っても、ジャンプをしても、シューズの布が床を滑るかすかな音が時折するだけで、シューズが床を叩く音がしないのである。このソロは、派手な振りがあるわけではないが、吉田都は正確に、静かに踊り、最後のテンポの速い音楽に乗ってターンをこなした後、音楽の終わりを先読みしたかのように最後の回転に入る。ポーズを決めたまさにその瞬間に音楽が終わる。観客、大喝采。

コーダ。グラン・フェッテをしながら斜めに進む。脚は真横に上がり、膝から下も思いっきり伸ばして回転していく。小柄な人なのに大きく見える。

ピーター・ライトは、吉田都の踊りの特徴について、次のように指摘した。「吉田都には優れた音楽性がある」、「彼女は、バレリーナが踊るのにトゥ・シューズの音を響かせる必要はないことを証明した」、「ジュテをする前、ダンサーによっては踏ん張って構える人がいるが、彼女はそれをしない」、「彼女の腕の動きは美しい」等々。

ただし、ピーター・ライトは何度も強調していた。「彼女は何でも軽々とやってのけるように見える。だからみんなが『都ならできる』と思ってしまう。でも、実は、彼女は本当に一生懸命練習して、軽々とやっているように観客に見えるよう、努力しているのです。」

最後は全員が集まって踊る。金平糖の精はいつのまにか姿を消し、王子の肩の上に乗っているのはクララになっている。やがてセットが普段の居間に変わり、王子はクララをクリスマス・ツリーの前にそっと横たえると姿を消す。やがて目覚めたクララはくるみ割り人形を抱きしめる。

カーテン・コールは大いに盛り上がり、やはり吉田都とフェデリコ・ボネッリ(正確には吉田都)が出てきたときには、地震かと思うような大きな拍手が送られた。出番が少ないとはいえ、彼らは確かにスタダンのダンサーたちとは超別格だったから、これは当然の反応だろう。でも、クララ役の林ゆりえちゃんにも、もっと拍手してほしかったなー。

吉田都が指揮者の田中良和、そして振付・演出のピーター・ライトを舞台上に招き入れる。ピーター・ライトが出てきたとき、拍手の音は更に大きくなった。これも当然だと思う。ピーター・ライト版「くるみ割り人形」は本当にすばらしい出来の作品である。

全員が何度も手をつないで前に出てきてお辞儀をした後も、拍手の音は鳴り止まない。ふと、ピーター・ライトが笑いながら、吉田都の手をぐっと引っ張って、彼女に一人で前に出るよう促した。吉田都は照れたように笑ってぶんぶん首を振り、その場に踏ん張って動かない。観客がドッと笑った。

最後のカーテン・コールが行なわれ、壁のような幕が下りてくる中、全員がまたお辞儀をした。その中で最も深々と頭を下げていたのは、吉田都だった。

今日の公演は本当に楽しかった。ピーター・ライト版「くるみ割り人形」がすばらしい作品であることが分かったし、スタダンのダンサーたちもノリノリだったし、吉田都とフェデリコ・ボネッリによって、ロイヤル・スタイルの踊りがよりはっきりした。

でも、吉田都の踊りがもっと見たかった。こんなことなら、去年のロイヤル・バレエ日本公演で、吉田都の「シンデレラ」を観ておけばよかったなー(←チケット争奪戦がイヤだったのであきらめた)。スターダンサーズ・バレエ団さん、今度またぜひ吉田都さんをゲストに呼んで、「ジゼル」を上演して下さい。「ジゼル」での都さんは、本当に凄かったと聞きましたから。

(2006年8月5日)


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