Club Pelican

NOTE

モンテカルロ・バレエ

「シンデレラ」

(2006年7月8日、オーチャードホール)

「シンデレラ("Cendrillon")」、振付はジャン・クリストフ・マイヨー(Jean-Christophe Maillot)、美術はエルネスト・ピニョン=エルネスト(Ernest Pignon-Ernest)、衣装はジェローム・カプラン(Jerome Kaplan)、音楽はプロコフィエフの同名曲を使用(テープ演奏)、初演は1999年4月、モンテカルロ・バレエ(Les Ballets de Monte-Carlo)によって行なわれた。

主なキャスト。仙女(シンデレラの実の母親):エイプリル・バール(April Ball);シンデレラの父:ジェンス・ウェーバー(Jens Weber);シンデレラ:パオラ・カンタルポ(Paola Cantalupo);王子:フランチェスコ・ナッパ(Francesco Nappa);継母:フランチェスカ・ドルチ(Francesca Dolci);二人の姉:ジュリー・ストランドベルグ(Julie Strandberg)、リザ・ジョンズ(Lisa Jones);

儀典長:ロドルフ・ルカス(Rodolphe Lucas)、ジュリアン・バンション(Julien Bancillon);王子の4人の友人:エマニュエル・ピュオン・ブロシュ(Emmanuel Puons Bloch)、ブルーノ・ロック(Bruno Roche)、ラモン・ゴメス・レイス(Ramon Gomes Reis)、ジョルジュ・オリヴィエラ(George Oliveira);マネキン:シリル・ブレアン(Cyril Breant)、ジェローン・ヴェルブルジャン(Jeroen Verbruggen)、アレクシ・デュプュイ=ル・ブラン(表記不明)、エフゲニー・スレポフ(Evgueni Slepov);

赤と黄色の異国美女:ジェニファー・ブリー(Jennifer Brie)、シヴァン・ブリッツォーヴァ(Sivan Blitzova)、レアーヌ・コドリントン(Leanne Codrington)、朝倉由美子。

第一幕は45分、第二幕は30分、第三幕は22分(←なんだこの半端な時間は)で、第二幕と第三幕は休憩時間なしに続けて上演される。

キャスト表のいちばん上に、仙女(シンデレラの実の母親)とシンデレラの父がまず載っているように、マイヨー版「シンデレラ」の主人公は、シンデレラと王子ではなく、シンデレラの実の母親と父親である。シンデレラの実母が仙女の姿で現れて、始終シンデレラに寄り添って娘を助け、シンデレラの父は亡き妻そっくりの仙女に惹かれて彼女を追い求め、一方、シンデレラは王子と出会い恋に落ちる。シンデレラと王子、シンデレラの実の母親と父親との愛が、同時進行で描かれていくのである。

幕が上がると、表面が波打つようにうねっている白い壁がいくつも並んでおり、その前でシンデレラが母親の形見の白いドレスを抱きしめ、悲しそうな顔で座っている。彼女から遠く離れた場所では、生前の母親がその白いドレスを着て、父親と一緒に楽しそうに踊っている。母親は父をじらすように身をかわしたかと思うと、次にはその胸に飛び込んで抱きつき、キスをする。父親は妻を抱き上げたまま、またその背中を支えながら、ゆるやかに回転する。

だが、やがて母親は心臓を押さえて苦しげな表情になると、倒れて死んでしまう。天井から、その体の上に金の砂が輝きながら降りかかる。私、これは埋葬されたことを意味しているのかと思ったんだけど、後で分かったことには、そうではなかったのね。

シンデレラはグレーの地味なワンピースを着て、母親のドレスを抱えながら裸足で踊る。マイヨー版では、シンデレラは全幕を通してずっと裸足である。トゥ・シューズも、ガラスの靴も登場しない。これには意味があって、マイヨー版「シンデレラ」では、その人の足=その人の心なのである。

父親は母を懐かしむシンデレラを抱きしめて慰める。しかし継母が現れると、父親は途端に継母の言いなりになってしまう。継母は淡い紫のコルセットみたいな胴着に、同じ色の脚カバーを穿いていて、頭を白い布で巻いている。二人の義理の姉も現れ、彼女たちもやはり白いコルセットを着て、オフホワイトの下着から素足がむきだしになっている。継母と姉たちはトゥ・シューズを履いている。

継母は父親の手を引っ張り、強引に自分のほうへ引き寄せる。父親はどうも継母のお色気に篭絡されてしまっているようである。シンデレラはなんとか姉たちと仲良くしようとするのだが、姉たちはシンデレラを乱暴に引っ張ったり、どついたり、突き飛ばしたり、シンデレラの足を思いっきり踏んだり、とやりたい放題。挙句の果てには、父親の前にうずくまったシンデレラの背中の上に座って、わざとらしい顔で父親に甘えてみせる。

シンデレラは裸足のせいか、踊るとモダン・ダンスのようになってしまって、バレエっぽさがあまり目立たない。しかしマイヨーの振付は、基本的にすべてクラシック・バレエの動きによって構成されている。トゥ・シューズを履いた継母や姉たちが踊ると、この点が完全にはっきりする。脚を根元から耳の横まで高く上げたり、アティチュードで回転したり、後ろ向きにジャンプしたり。姉役のジュリー・ストランドベルグとリザ・ジョンズもよかったけど、継母役のフランチェスカ・ドルチの踊りは、腕の振りがなめらかで、また動きが豪快で且つ安定していて、特にすばらしかった。

振付は基本的にクラシック・バレエだとはいえ、腕の振りには独特な変わったポーズや動きがあった。奇妙な形に曲げたり、揺り動かしたりする。またモダン・バレエっぽい動きもふんだんに取り入れられていた。クラシカル・マイムはいっさい使わず、分かりやすい仕草や身振り、または半分踊りのようなマイムでストーリーが説明されていった(意味の分からないものも多かったが)。

2人の儀典長が現れる。プラスチック製のカツラをかぶり、顔は真っ白に塗って頬紅を濃くはたいている。膝下まである白い長いシャツにグレーのネクタイ姿。姉たちは、儀典長が持ってきた(?)横に大きく出っ張ったクリノリンを奪い合って大喧嘩になる。そこへ赤い大きなマントを頭からすっぽりかぶった人物(実は仙女)が、赤い紙を携えて現れる。背景の白い壁に「舞踏会への招待状」という文字が映し出される。

王子の登場シーンは面白かった。衣装は胸元に金地の布が入った白いシャツに白いズボン。なんだかニヤけていて頼りなさそうな友人たちが待ち構える中、王子は背すじをすっと伸ばし、きりっとした顔つきで進み出てくると、ゆっくりと回転した後、片膝をついてポーズを決める、と思いきや、片膝ついたままへにゃへにゃ〜、と力が抜けたように崩れ落ちてしまう。友人たちがあわてて支える。

王子はその後もしょっちゅう貧血のようにふにゃふにゃと倒れそうになる。力なく座り込んだ王子の前に、友人たちが足を次々と差し入れる。つまり「私たちの真心を受け取って元気になって下さいね」ということらしい。王子は彼らの足を一瞬じっと見つめるが、やがて投げやりな表情でそっぽを向いてしまう。

王子役のフランチェスコ・ナッパは、背が低くて濃いラテン顔をしており、あまり王子という感じがしない。どっちかっていうと、シンデレラの父親役のジェンス・ウェーバーのほうがイイ男だ。ついでにいうと、シンデレラ役のパオラ・カンタルポもあまりに大人すぎて、少女という感じがしない。でもこのような作品では、どんなダンサーがどんな役を演じようが、なぜか許せてしまうのが不思議なところである。

シンデレラの家では、儀典長が4人のマネキンに様々なドレスを着させて、舞踏会の衣装をコーディネイトしている。この4人のマネキンというのが、中世の鎧みたいなデザインの白い厚い着ぐるみをかぶっていて顔も性別も分からない。でも体格からみて、どうも全員が男性らしかった(カーテン・コールではマスクを脱いで出てきた。みんな男だった。しかもみな男前)。

姉たちは結局クリノリンを片方ずつ分け合い、真っ赤なドレスを選んで身に着け、頭には二本の角が生えたような奇妙なカツラをかぶる。継母のドレスは更に凄まじく、先がとんがって反り返った形のクリノリンの上に紫のドレスを着ていて、まるで恐竜の尻尾みたいで噴き出しそうになった。頭にはやはり二本の角が生えたような形のカツラをかぶり、悦に入った表情をしている。父親は真っ黒な燕尾服風の衣装に着替えている。

シンデレラは赤い招待状を持って、自分も舞踏会に行きたいと頼む。しかし、姉たちがシンデレラを、直径1メートルはある透明なボウルの前に引っ張っていく。巨大ボウルの中には緑の豆がいっぱいに入っている。あんたは豆の皮むきでもやってなさい、というのだが、一生やっても終わらなさそうな量である。

透明なボウルの前にシンデレラが座り込んで呆然としていると、あの赤いマントをかぶった人物が再び現れ、その下から仙女が現れる。仙女は肌色の短いチュチュを着て、そのスカートは透きとおり、まるで妖精の羽根のような形をしている。素足に肌色のトゥ・シューズを履き、全身に金色の粉をつけている。母親が死んだときに金色の粉が天上から降ってきたのは、母親が仙女として現れることの伏線だったらしい。

シンデレラは母に抱きつき、仙女は優しくシンデレラを抱きしめる。仙女役のエイプリル・バールのほうが、シンデレラ役のパオラ・カンタルポよりもずっと若いので、いまいち親子という感じが薄いのが難点だが。仙女役のエイプリル・バールは踊りがすばらしかった。踊りがすばらしいだけでなく、時にはいたずらっぽく、時には神秘的に微笑んで、何を考えているのか分からない表情も魅力的で、またとても存在感があり、すごく目が引き寄せられた。

シンデレラに話しかける仙女の腕の動きは面白く、せわしなくしょっちゅう動いている。顔の前や横で盛んに手をひらひらさせては何かのマイムをしていたが、意味はあまり分からなかった。

仙女はシンデレラに、2人の儀典長と4人のマネキンが演じる「シンデレラ」を見させる。この劇中劇「シンデレラ」がすごく笑えた。儀典長とマネキンの全員がブサイクな衣装とカツラを身に着け、ありきたりな「シンデレラ」を演じてみせる。継母が姉たちの足をガラスの靴に合うようにちょん切ってしまうシーンもあって凝っていた。

最後はブサイクな王子とブサイクなシンデレラが結ばれてめでたしめでたしで、抱き合う二人の前に、更に布団に寝かされた4人のブサイクな赤ちゃんが立ち並ぶ(この赤ちゃんの扮装がまた笑える)。最後に王子とシンデレラは赤ちゃんの壁を突破してなぎ倒し(笑)、再び前に出てきて抱き合って終わる。

仙女の指図で、2人の儀典長がシンデレラを着替えさせる。シンデレラはかつて母親が着ていた白いドレス姿になる。その裸足の足は金の粉できらきら輝いており、ガラスの靴は履いていない。裸の足が美しいこと、つまり心が美しいことがいちばん大事なのだ、ということだろう。

シンデレラの前に、あの有名なワルツにのって踊る大勢の人々が現れる。男性は黒いズボンを穿き、女性は透きとおった淡い茶色の生地の短いチュチュを着ている。ここの群舞は回転や大きな跳躍などがふんだんに入ったクラシカルな振付で、迫力があって美しかった。ここで第一幕が終わる。


第二幕は舞踏会。儀典長や王子の友人たちが白い椅子を持って現れ、舞台の右端に据え付ける。王子は憮然とした表情で腰かける。王子の友人たちがこれまたしょーもない連中で、王子が座を外した隙に、自分が王子の席に座ってエラソーにふんぞり返り、王子が振り返ると慌てて立ち上がる、なんてことをやっていた。

舞踏会の客たちが続々と集まる。まずは6人のお姫様(?)たちの踊りである。みな巻き貝みたいな奇妙な形のカツラをかぶり、茶色、赤、こげ茶色の短いチュチュを着ている。お姫様たちは2人ずつ王子の前に出てきて踊り、積極的に王子にアプローチするが、王子はどれも気に入らない。その都度、友人たちが色仕掛けで迫るお姫様たちを王子から引っぺがす。

シンデレラの父、継母、義理の姉たちもやって来る。姉たちも果敢に王子を挑発するが相手にされない。やがて王子も含めて全員が入り乱れての踊りとなるが、王子の友人たちはどさくさに紛れてお姫様たちを口説きにかかる。王子はお姫様たちと踊るが、やはり気のない様子である。

儀典長が新しい来賓の到着を告げる。舞台奥の真ん中にある白いなだらかな階段の上に、仙女が姿を現わす。シンデレラの父は亡き前妻にそっくりな仙女をみて呆然とし、彼女から目が離せなくなる。だが仙女はシンデレラの父など目に入らないかの様子で、婉然とした笑みを浮かべて他の男たちと踊る。他の男たちに持ち上げられる仙女を見つめる父の腕を継母が引っ張り、父親は再び継母に引きずり込まれるようにして踊る。

マイヨー版の仙女は、気高くておきれいなだけの仙女ではなくて、ちょっとエロくて妖艶な部分も持っている。素足に金粉というのですでにエロいが(?)、仙女を踊るダンサーたちも、どちらかというとむっちりした肉感的な体型の人が多いようだ(舞台写真の仙女の体型がみな同じ)。

このへんの群舞の詳しい順序は、実はよく覚えていない(てへ)。でも「マズルカ」か「グランド・ワルツ」での群舞はすばらしかった。クラシカルな振付で、また回転や跳躍など男性の大技で構成されており、男性ダンサーたちが一斉にジャンプして脚を180度に開く。ダイナミックでしかも高い。空中で半回転するジャンプを繰り返して、舞台を回り込むように横断していく。両脚を揃えて跳び上がって何回転もする動きもあった。ダンサーたちのフォーメーションは整っており、動きも揃っていて見た目に美しく、しかも迫力があり、マイヨー版、この群舞シーンでは、弱々しい振付のアシュトン版に勝ったな、と思った。

王子は仙女に惹きつけられる。仙女は王子を誘惑するかのような素振りで、そっと王子の金色のタイを外すと、そのタイで王子の目を隠してしまう。

舞台が暗くなり、階段の上に白いスリップ・ドレスを着たシンデレラが現れる。ライトが彼女の姿を照らし出す。しかしライトはシンデレラの裸足の足だけを照らし、彼女の足から上は暗いままである。シンデレラの足についた金の粉がきらきらと光る。彼女はゆっくりと階段を下りてくる。目隠しを外した王子は、シンデレラの足に眼が釘付けになり、階段の横に立って彼女の足を見つめる。仙女が王子に目隠しをしたのは、シンデレラの容姿ではなく、シンデレラの美しい足、つまりシンデレラの美しい心をいちばんに見させるためだったのだ。

ふたりきりになった王子とシンデレラは見つめ合う。王子はシンデレラの足元にかがみ込み、彼女の足に見とれながら大事そうに触れる。一歩間違えるとただの足フェチの変態だが、変態そうに見えない上手な触り方をしていた。壁の陰には、シンデレラの父が寂しそうな表情で佇んでいる。だがシンデレラの父はふたりを見つめてはいない。シンデレラの父は死んだ前妻のことを想っているのだ。

王子とシンデレラはゆっくりと踊り始める。途中で仙女が現れ、シンデレラの父と踊る。この踊りには、古典作品のパ・ド・ドゥのアダージョにあるような振りが多かったが、しかし素朴で自然な美しさを感じさせる振付で構成されていた。手足をゆるやかに伸ばしたポーズ、恋人同士が抱き合うような形でのリフトなど。

王子とシンデレラ、シンデレラの父と仙女は並んで同じ振りの踊りを踊るが、シンデレラは裸足、仙女はトゥ・シューズを履いている。たとえば男性がアラベスクの姿勢をとった女性の手を取って、ゆっくりと一回転させるところでは、シンデレラは半爪先立ちで、仙女はポワントで回る。でも動きにほとんど差がないのが興味深かった。

このデュエットは、プロコフィエフの音楽のせいもあって、うっとりと見とれてしまった。とても美しいしロマンティックな踊りだったけど、それだけではなくて、父と亡き母、その娘と恋人が並んで踊っている、というのが最も印象的だった。特に仙女とシンデレラの父の踊りを見て、ああ、父親は、愛していた妻とようやく再会できてよかったな、と素直に感動すると同時に、ちょっと切ない気分にもなった。

シンデレラが姿を消すときのシーンも面白かった。シンデレラは階段を上りきると、後ろへゆっくり倒れる。壁がその姿を隠すが、壁の後ろからシンデレラの片足だけがにょっきりと出て、登場したときと同じように、ライトがその足を照らし出し、金の粉がキラキラと輝く。これが王子がシンデレラを探す手がかりである。やがてその足が引っ込み、王子は片手をさしのべながら階段の上に倒れ伏す。

私が観た回では、王子は階段の上に腹ばいになったまま、ずるずると下に滑り落ちていってしまった。あれはわざとだったんだろうか、それとも本当に滑っちゃったんだろうか。まあともかく、これで第二幕が終了。

しばらくして再び幕が開く。王子、2人の儀典長、王子の友人たちが、1枚の白い紙をめぐって何やら話し合っている。白い紙にはシンデレラの絵が描いてあるらしい。王子は白い紙を両手に持ってうなずくと、その紙をズボンのベルトの内側にねじり込み、赤と金のマントを羽織って白い壁の陰に消える。

すると、儀典長が青い大きな布の端をそれぞれ持って舞台の両脇に待機し、いきなりその布をぶるんぶるんと揺らす。同時に、王子の友人たちは白い壁を何枚か斜めに並べて、その壁をガタガタと揺らし始め、盛んに手をかざしては彼方を見やる。儀典長が揺らしているのは海の波で、白い壁は船の帆らしい。こうして、王子と友人たちはシンデレラを探して唐突に大海原へと旅立つ。いきなり大海原へ旅立つなよ、王子。客席から笑い声が起きる。

ところが、船が漂流してどこか知らない国へたどり着いてしまったらしい。王子と友人たちは疲れ果てたように床の上に横たわっている。すると舞台の奥に下がっている紗幕の向こうがぼうっと明るくなり、ゆっくりとした仕草で踊る4人の女性の影が浮き上がる。

やがて紗幕が開いて、4人の女性たちが姿を現わす。これが「赤と黄色の異国美女」で、カツラとメイクがスゴかった。頭の両脇から羽根が生えたみたいな形のカツラをかぶり、赤の美女は目の周りを残して顔全体を真っ赤に塗り、黄色の美女も同様に顔を黄色に塗っている。衣装は赤と黄色の全身レオタードの上に、透けて見える生地で、両脇に深いスリットの入ったワンピースを重ね着している。

異国の美女というより宇宙人のように見えるが、彼女たちは前に出てきて気だるい振りで踊る。みなスレンダーなボディの持ち主で、両腕をしなやかにたわませ、ポワントのまま高く上げた脚の形が美しい。すると、お調子者の王子の友人たちがさっそく彼女たちに近づいてモーションをかける。ホントにしょーもねえ友人たちだ。王子はズボンのベルトの間からあの白い紙を取り出すが、違う、というふうに首を振る。

すると、白い壁の向こうに仙女の金色に輝く腕が現れ、王子たちを差し招くようにゆっくりと動く。やがて仙女が姿を現わし、彼女は神秘的な微笑を浮かべながら王子たちをどこかへいざなう。

シンデレラの家。継母が2人の姉娘をともなって現れるが、なぜか姉たちは顔と片脚を包帯でぐるぐる巻きにしている。姉たちは顔の包帯を取ると、うっとりした満足そうな笑みを浮かべる。王子がシンデレラを探していることを知ったのだろう、どうも顔と脚を整形手術しちゃったらしい。なるほど、原典で靴に合わせて足をちょん切るのを、整形手術に変えたわけね。面白いアイディアだわ〜。

王子たちが仙女の案内でシンデレラの家にたどり着く。姉たちは喜び勇んで、脚の包帯を儀典長たちに外させる。ところが、包帯を外したその足は真っ黒にただれ、腐った皮が醜く垂れ下がっていた。姉たちと継母は仰天して逃げ出す。この腐った足のメイクは本当に気味が悪くて、見ているこちらもオエッと思った。

王子はシンデレラを探し求める。そこへ、地味なグレーのワンピースを着たシンデレラが現れ、2人の儀典長がシンデレラを抱えて持ち上げ、彼女の両足を王子の目の前にぶら下げる。その足には金の粉がきらきらと輝いている。王子はその足に触れ、またシンデレラの体を優しく撫でる。

シンデレラ、王子、友人たち、儀典長、そして仙女もみな姿を消し、シンデレラの父親だけがその場に残る。父親は亡き妻の形見の白いドレスを片手に、力なく椅子に座り込んでうなだれる。父親は白いドレスを床に落とす。拾い上げる気力もなくうつむく父親の背後に、白いドレスを着た亡き妻が微笑みながら現れる。妻は白いドレスを拾い上げると、ドレスを幕のようにかざして自分の顔を隠す。父親が振り返ると、妻はドレスをぱっと落として顔を見せ、明るい微笑を浮かべる。

仙女は全身に金の粉をつけていたが、妻の姿で現れるこのシーンでは、不思議なことに金粉はあまり目立たなかった。ぬぐい落としたのかな。

シンデレラの父は亡き妻と、妻がまだ生きていた頃と同じように一緒に踊る。夫は妻を抱き上げ、またゆっくりと振り回し、妻は手足をゆるやかに伸ばす。ふたりとも実に幸せそうに微笑みながら踊るので、感動的な音楽とあいまって、やっぱりジーンときて鼻の奥が酸っぱくなった。マイヨー版の「シンデレラ」では、やっぱりシンデレラの父と母が本当の主人公なんだ。ふたりは見つめあいながら、お互いの足の爪先をくっつける。この作品では足は心である。ふたりの心はまた通じ合ったのだった。

だが、やがて亡き妻は再び姿を消してしまう。そこへ継母がやって来て、夫をいつものように色じかけで自分のほうへ引き寄せようとする。だが夫は彼女を乱暴に突き放す。夫に初めて拒絶された継母は、悲しそうな表情で夫を見つめながら去る。

シンデレラの父は亡き妻の白いドレスを再び拾い上げて抱きしめ、膝の上に乗せて何度もいとおしげに撫でる。やがて後ろの白い壁が開いて階段が現れる。その上には、金色の紗のドレスをまとったシンデレラと王子が向かい合って立っている。背を向けて立つシンデレラの金色のドレスの裾が、白い階段の上に透きとおって広がっている。シンデレラと王子の上に、天から金色の粉がゆっくりと降ってきて美しく輝く。

まばゆいふたりの姿を見つめながら、シンデレラの父親は彼らに向かって手を伸ばす。自分が失った幸福に向かって。

シンデレラの父親と死んだ母親が最後のデュエットを踊っちゃって、いったいどういうオチをつけるつもりなのかと思ったが、このラスト・シーンはとても美しくて、またとても切なくて印象に残った。

カーテン・コールは盛り上がって、モンテカルロ・バレエはとても人気のあるバレエ団だと分かった。やはり、仙女役のエイプリル・バールが出てきたときに、拍手がひときわ大きくなった。シンデレラ役と王子役のダンサーと同じくらいの喝采を浴びていた。

だが、拍手と歓声が最も大きくなったのは、振付者のマイヨーが出てきたときであった。マイヨーはまだ若い。1960年生まれ。そのせいか、それとも私の調べ方が悪いのか、「オックスフォード・ディクショナリー・オブ・ダンス」には載ってない。この「シンデレラ」は99年に初演されているから、マイヨーは40歳になるかならないかでこの作品を振り付けたわけだ。大したもんだ。

でもやっぱり「若い」作品だなあという印象も持った。足によって心をたとえるという発想、全体的にコミカルでお遊び的な雰囲気が漂っていること、「シンデレラ」物語の新解釈を重点に置きながら、時に意味のない不必要なシーンや踊りがあったこと、振付の統一性が不完全であることなど。

でも、私はこの「シンデレラ」がとても好きになった。このくらい分かりやすいとまだついていけるし、何よりロマンティックでセンチメンタルな作品が、私は大好きだから。それにトシとっちゃうと、こういう作品は作れないだろう。マイヨーの若い時分の代表作として、この「シンデレラ」はとてもすばらしい作品だと思う。次に観る「夢」は、マイヨーの最新作だという。振付家自身にしか分からない、難解な理屈こねくりまわし作品になっていないことを祈るばかりだ。

(2006年7月12日)


モンテカルロ・バレエ

「夢」

(2006年7月15日、オーチャードホール)

「夢("Le Songe")」、原作はシェイクスピアの「真夏の夜の夢("A Midsummer Night's Dream")」、振付はジャン・クリストフ・マイヨー(Jean-Christophe Maillot)、舞台装置はエルネスト・ピニョン=エルネスト(Ernest Pignon-Ernest)、衣装はフィリップ・ギヨテル(Philippe Guillotel)、演出協力はニコラ・ロルモー(Nicolas Lormeau、コメディ・フランセーズ)により、音楽はメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の一部の他、ダニエル・テルッジ(Daniel Teruggi)、ベルトラン・マイヨー(Bertrand Maillot)の曲または効果音を使用している。

主なキャスト。タイターニア:小池ミモザ(Mimoza Koike);オベロン:フランチェスコ・ナッパ(Francesco Nappa)、パック:オリヴィエ・ルセア(Olivier Lucea);小姓(原作の「インドの子ども」にあたる):ハン・サンイー(Sang-Yi Han);

ハーミア:オーレリア・シェフェール(Aurelia Schaefer);ライサンダー:ブルーノ・ロック(Bruno Roque);ヘレナ:リザ・ジョンズ(Lisa Jones);デミトリアス:ジョルジュ・オリヴィエラ(George Oliveira);シーシアス:マニュエル・ルナール(Manuel Renard);ヒポリタ:キャリーヌ・バンケット(Karyn Benquet);イージアス:ジュリアン・バンション(Julien Bancillon);

ニック・ボトム:ガエタン・モルロッティ(Gaetan Morlotti);ピーター・クィンス:ジョイア・マサラ(Gioia Masala);ロビン・スターヴリング:ロドルフ・ルカス(Rodolphe Lucas);フランシス・フルート:ジェローン・ヴェルブルジャン(Jeroen Verbruggen);トム・スナウト:クリス・ローラント(Chris Roelandt);スナッグ:ラモン・ゴメス・レイス(Ramon Gomes Reis)。

館内アナウンスによれば、この作品は、元来は休憩時間なしの一幕物であるそうだが、今回は「演出上の都合により」、場面12「森」の途中で幕が引かれて休憩時間が設けられた。場面1から12までは55分、場面13から最後の場面22までは45分もあり、もし休憩時間なしでやられたら、頻尿女の私はたまったものではない。同じような人は多いだろうから、休憩時間が設けられたのは、演出上の都合というより、観客の膀胱の都合によるものだったのだろう。

この「夢」は、2005年12月、つまり去年の末に初演されたばかりの作品である。もちろん日本では今回が初めての上演となる。公演プログラムは「夢」の紹介文、解説、舞台写真、リハーサル風景の写真の掲載に、「シンデレラ」よりも多くのページを割いており、今回の日本公演の目玉が、このマイヨー新作の「夢」であることが分かる。

あらすじについて述べる必要はない。「『真夏の夜の夢』をモチーフにして」といいつつ、ストーリーにも登場人物にも変更は一切なく(「インドの子ども」が少女になっていることを除いて)、原作のストーリーやエピソードを部分的に削除したり増補したりすることもなく、すべてが原作どおりに進行していった。ほとんどセリフのないパフォーマンスで、よくぞここまでまんべんなく原作を再現していったもんだな、と感心した。

シェイクスピアの原作は、妖精の王オベロンとその妻で女王のタイターニアとの諍い、アテネの人々、つまりハーミア、ライサンダー、ヘレナ、デミトリアスの恋愛合戦、そしてニック・ボトムをはじめとする村人たちによる劇中劇の練習、という三つのエピソードが、オベロンとパックの企みによって、互いに複雑にこんがらがった末に、最後は大団円を迎える、という喜劇である。

マイヨーは、この三つの登場人物たちのグループごとに音楽を変え、妖精たちの世界ではダニエル・テルッジの、4人の恋人たちの修羅場ではメンデルスゾーンの、村人たちの登場シーンではベルトラン・マイヨーの音楽を用いた。妖精たちが登場するシーンで用いられたダニエル・テルッジの音楽は、昔のSF映画なんかでよく使われたような、びよ〜ん、みよ〜ん、という効果音みたいな曲であった。

舞台装置の基本は大きくて低い白い半球形の台である。ダンサーたちはそのゆるやかな半球形の台の上で踊ったり、また滑ったりする。この台は半分に割れるので半円形にして用いることもできる。また、妖精たちの世界では、舞台の天井いっぱいに船の帆のような大きな白い布と黒い網がわたされていた。場面によってそれが下がってきたり波打ったりする。

あと、パックが惚れ薬の効能がある花の汁をライサンダーやデミトリアスにかけるシーンで、パックはオレンジ、赤、黄色のド派手な色をした、一輪の大きな花の形をした電動車に乗って登場した。舞台脇から引っ張られていたのではなく、花の真ん中にダンサーが立っており、自身が運転していたようだ。やけに小回りの利く車で、運転も非常に上手だった。おまけに掃除機の筒みたいな太いホースが付いていて、パックがそのホースを手にとって人間たちの顔に近づけると、ホースの先端から白い煙が出る。

その割には、オベロンが惚れ薬の魔力にかかったタイターニアを正気に戻してやるシーンでは、小さな赤い花をタイターニアの目の上にかざしただけだった。人間たちには大がかりな電動車で、タイターニアには小さな造花か。この差はなんだろう。

衣装も登場人物のグループによって異なり、オベロンは角が生えた縮れ毛のカツラをかぶり、ところどころに銀のまだら模様が入った、肌にフィットした赤茶色の長袖Tシャツを着て、白い透明な生地にやはり銀のまだら模様が入ったズボンを穿いている。タイターニアは白い綿飴のようなカツラに、肌が透けて見える生地に白い流線形や円形の模様が入った長袖のレオタード姿、パックは何本も角の生えた紫色のアフロみたいなカツラをかぶり、透けて見える黒い生地に、やはり紫の縞々模様が入った全身レオタードを着ている。

言っちゃ悪いが、妖精たちのヅラは、ドリフの「かみなり様」みたいだった。

アテネの人々、ハーミア、ライサンダー、ヘレナ、デミトリアスの衣装は、ともにグレーでデザインもよく似ている。女性はレオタードの上に古代ギリシャ風のワンピース、男性は長袖、半袖の上衣にズボン、頭にはやはり古代ギリシャの石膏像の頭みたいな淡いグレーのカツラをかぶっている。シーシアスとヒポリタは白い衣装、イージアスはチャコールグレーの衣装で、そのデザインやカツラはハーミアたちと基本的に同じである。アテネの人々、という設定から、古代ギリシャの石膏像を基にしてデザインしたのだろう。

アテネの人々は衣装やカツラがほとんど同じなので見分けがつきにくい。だが親切なことに、彼らの衣装には、「ハーミア」とか「ライサンダー」などと各々の名前が書かれており(笑)、これで区別がついた。

村人たちの衣装は普通である。普通のシャツ、ズボン、エプロン、ベスト、オーバーオール、上着などで、めいめいがそれぞれの職業を示すアイテムを身につけている。もっとも、私は体中に糸車をぶら下げたのがニック・ボトム(機織屋)だろう、としか分からなかったが。

更に、三つの登場人物のグループによって、踊りのタイプも違っていた。妖精たちはゆっくりしたアクロバットのような、中国雑技団のような、コンテンポラリーな(?)振付の軟体踊りを、アテネの人々はクラシカルな振りの踊りを踊る。村人たちはパントマイムや演劇的な動きがメインで、踊りもマイムと勢いのあるアクロバットみたいな動きがまじったような、コミカルな振付だった。そして、村人たちはセリフをしゃべったり(簡単で短いもの、たとえば名前など)、叫び声を上げたりして声を出していた。

非常にウケたのが、ガエタン・モルロッティ演ずるニック・ボトムのパントマイムのシーンである。テープを早回ししたような音楽(効果音)にバッチリ合わせて、長いこと唸ったり叫んだり、顔をヘンなふうにゆがめたり、体を奇妙に動かしたりしていた。まるでビデオやDVDの早回しを見ているみたいで、観客は大爆笑、拍手さえ起きた。

タイターニア役の小池ミモザは、やはり日本人なので顔がやや大きいものの、背が高く、手足が長く、身体が信じられないくらい細く華奢で、しかも驚異的な軟体であって、まずそれに驚いた。タイターニアの踊りも、中国雑技団みたいな複雑な振りで構成されていて、クラシック・バレエの振りとはまったく異なるが、とても自然に、なめらかに踊っていた。

オベロン役はまたしてもルイス・フィーゴ似のフランチェスコ・ナッパであった。口ヒゲと顎ヒゲをつけ、また怖そうなメイクをしていて、先日のちょっと頼りない王子とは、印象がまったく違う。マイヨーの「夢」でのオベロンは、威厳ある妖精の王、というよりは、野卑で癇癪持ちで残忍な乱暴者、という感じであって、ことあるごとにパックをどやしつけ、脅して言うことを聞かせる。

ハーミア役のオーレリア・シェフェールとライサンダー役のブルーノ・ロック、またヘレナ役のリザ・ジョンズとデミトリアス役のジョルジュ・オリヴィエラは、一緒に踊るときのタイミングがしっかりと合っていてきれいだった。だがシーシアス役のマニュエル・ルナールとヒポリタ役のキャリーヌ・バンケットは、動きに多少ガタつきが見られ、あまり流麗ではなかった。

この「夢」には、見ていて気持ち悪く感じるシーンがいくつかあった。マイヨー版では、オベロンはタイターニアの小姓である少女(2本の角が生えたような白いカツラをかぶり、ミニスカートを穿いている)に、明らかに性的な意味で関心があり、彼女を欲しがっている。オベロンはタイターニアの目を盗んで、少女を引き寄せたり、少女の上にのしかかったり、少女の足首をつかんで逆さに倒し、その足に頬ずりをする(マイヨーは足フェチなのか!?)。

まあ、小姓を欲しがる動機が、「あのかわいい女の子とヤリたい」というものでもいいんだけど、私が最も生理的嫌悪感を覚えたのは、驢馬に変身したニック・ボトムが、タイターニアとセックスするシーンである。驢馬に変身したニック・ボトムは、銀色の遊泳用帽子のようなキャップをかぶり、宇宙人みたいな全身銀色レオタードを着ていて、先端に房の付いた銀色の太いロープを持っている。

ニック・ボトムは、半球形の台の上で眠っているタイターニアに近づくと、ロープの先端の房でタイターニアの全身を撫でる。タイターニアが反応するのを見て、ニック・ボトムは奇声を上げて高笑いをし、タイターニアの体にロープを引っかけて荒々しく振り回す。最初は脇の下、腰だったのが、最後は首にロープを引っかけて、すごい速さでぐるぐる回す。

タイターニアはされるがままで、その間、ニック・ボトムは裏返った高い声で「ヒャヒャヒャヒャ!」と笑い続ける。おまけに、ニック・ボトムとタイターニアとがセックスをしている様子を、舞台の脇でオベロンとパックが面白そうな笑いを浮かべて見つめているのだ。プログラムには、そのシーンの写真が「美しくて印象的でしょ」といわんばかりに載せられているが、それはこの実に不愉快なシーンの一部なのである。

つまり、オベロンは、かわいい小姓の少女を手に入れられない復讐のために、驢馬に変身した男に自分の妻を犯させて、その様子を痛快そうに見物しているのである(もちろん原作にはそんなことは書いていない)。原作を「モチーフ」にして想像をふくらませたとしても、こんな解釈は変態以外の何物でもない。

最後、正気に戻ったタイターニアは、オベロンと仲直りのセックス(のダンス)をするわけだが、その後ろでは、なんとパックが小姓の少女と(ダンスで)セックスしている。しかもタイターニアとオベロンと同じ体勢で。たとえコンテンポラリー独特の曖昧な軟体ダンスでも、見ていて気持ちが悪いことには変わりない。

だがマイヨーはうまくバランスをとっていた。最初に登場したときのオベロンは、基本的にはタイターニアに頭が上がらず、それで小姓の少女を譲ってほしいという要求もはねつけられる。また、ニック・ボトムは、初めこそタイターニアに対して主導権を握っていたが、次にタイターニアと出てきたときには、今度は逆にタイターニアがロープを持ち、ニック・ボトムを眼下に見下ろして、彼をロープで支配する。

一方的にならないようバランスをとっているとはいえ、気持ちの悪いものは気持ちが悪い。フォローされて気持ちが晴れるというものでもない。必要もないのに、なぜ特にセックスに結びつけなくてはならないのか。それが斬新で創造的だとでもいうのだろうか。

また、村人たちによる劇中劇「ピラマスとシスビー」については、練習のシーンも、最後にシーシアスたちの前で上演するシーンも、はっきり言って演出はうまくいっていなかったと思う。どういう物語なのかさっぱり分からないし、まったく笑えもしない。ひたすらライオンの真似をして喚いたり、女装した男のスカートが落ちたりするギャグよりも、原作のセリフの面白さを生かした演出にしたほうが笑えたに違いない。

コメディ・フランセーズの俳優であり演出家でもあるニコラ・ロルモーの助けを借りたのは、おそらくこの劇中劇のシーンだと思うが、まだ要改善だと思う。他の振付家と比べるのはタブーかもしれないが、たとえばマシュー・ボーンなら、もっと面白おかしく、しかも意味明瞭に演出できるだろう。

この「夢」を観た後、私はどうにもつまらない気持ちで会場を後にした。たったいま観終わったばかりなのに、印象が薄い。余韻が残らない。はるか昔のことのようだ。なぜだろうと考えた。結論は、この「夢」は、踊りも演劇も中途半端、且つ散漫であり、いわゆる「見どころ」がなかった、ということだった。

第一に、踊りのシーンは短くてすぐに終わってしまう。第二に、ハーミアたちはクラシカルな振りで踊ったが、クラシカルな振りですばらしい作品は他にたくさんある。第三に、オベロンをはじめとする妖精たちの軟体雑技団コンテンポラリー踊りも、特に印象に残るとか、美しいとか、独特だとかいうものでもない。第四に、ストーリーを説明するためのマイム的な動きが多く、たとえば踊りそのものでストーリーを説明するとか、登場人物の心情を表現するとかいう段階に至っていない感じがする。第五に、劇中劇のシーンも上に書いたようにさっぱり面白くない。

最後に、この「夢」は、原作のストーリーとマイヨーの頭の中の「新解釈」を一方的に垂れ流すばかりで、観客に作品の中に入り込む余地をまったく与えない。

ということで、マイヨー振付の「夢」は、私は好きになれなかった。でも、できたての新しい作品だから、これから改良が加えられていくのだろう。また、ダンサーたちがまだこの作品を踊り慣れていないので、この作品の良さを充分に表現しきれていない、というのもあるかもしれない。ただ単に私の理解力や感受性が足りないという可能性もあるが、自分ではけっこういろんな作品を観たよな〜、と思っているし、上演中に両隣の人は寝ていたから、やっぱりまだまだ改善が必要な作品だと思う。

オチが難しいが、マイヨーの「夢」は、残念ながら、私にとっては「もう観なくていい作品」に入るかな。

(2006年7月15日)


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