Club Pelican

NOTE

ボリショイ・バレエ団 「ラ・バヤデール」

(2006年5月4日夜公演)

「ラ・バヤデール(La Bayadere)」(ユーリー・グリゴローヴィチ版、1991年初演)、原脚本はマリウス・プティパとセルゲイ・フデコフ、原振付はマリウス・プティパ、音楽はルートヴィヒ・ミンクスによる。この作品は1877年に初演されて以降、数多くの改訂版が出ており、グリゴローヴィチ版はそれらの改訂版をも部分的に取り入れているそうである。

主なキャスト。ニキヤ(舞姫):ナデジダ・グラチョーワ;ソロル(戦士):ウラジーミル・ネポロージニー;ラジャ:アレクセイ・ロパレヴィチ;ガムザッティ(ラジャの娘):マリーヤ・アレクサンドロワ;大僧正:アンドレイ・スィトニコフ;マグダヴェーヤ(苦行僧):ヤン・ゴドフスキー;

黄金の仏像の踊り:岩田守弘;壷の踊り:アンナ・レベツカヤ;太鼓の踊り:アナスタシア・ヤツェンコ、ヴィタリー・ビクティミロフ、アンドレイ・ボロティン他;影の王国・第1ヴァリエーション:エカテリーナ・クリサノワ;第2ヴァリエーション:ナターリヤ・オシポワ、第3ヴァリエーション:アンナ・ニクーリナ。

演奏は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、指揮はパーヴェル・クリニチェフ。作品名の「ラ・バヤデール」(これはフランス語名で、ロシア語では「バヤデルカ」となるそうだ)とは、「舞姫」を意味するらしい。ヒロインのニキヤを指すのだろう。

私は生ボリショイ・バレエを観るのはこれが初めてで、生「ラ・バヤデール」を観るのも初めてである。という以前に、「ラ・バヤデール」は映像版すらも観たことがなく、あらすじもまったく知らない。というわけで、今回は開場と同時に中へ駆け込んでプログラムを買い、サンドウィッチを口の中にねじ込みつつ、またトイレの列に並びつつ、あらすじを必死になって読み、頭の中に叩き込んだ。

怒られそうだけど、「ラ・バヤデール」が有名なバレエ作品であることだけは知っていたし、ボリショイ・バレエも一度は生で観ておきたかった。チケットを買った動機はそんなものだった。

予想どおり、ボリショイ・バレエ団はトップ・ダンサーから群舞に至るまで優秀なダンサーが揃ったカンパニーだった。「ラ・バヤデール」は、一見すると国籍不明で誤解だらけの、西洋人特有のオリエンタリズムに満ちた作品にみえる。しかし、複雑な人間模様あり、各種各様の魅力に満ちた踊りありで、特にラスト・シーンが劇的で切なくて、観終わった後はしばらく魂を抜かれたようになった。独特の不思議な魅力を持った作品である。

第一幕、幕が上がると、おかっぱのちぢれた黒髪に、上半身裸、ボロボロの腰巻をつけた人々が大勢現れ、舞台上にある円形の火が燃えている聖壇のまわりを取り囲み、伏し拝むように床に這いつくばったかと思うと、全員で踊りだす。彼らがどうやら苦行僧たちらしい。アダモステ(「オレたちひょうきん族」で大ブレイクした島崎俊郎のキャラ)を髣髴とさせる。火を拝んでいるところからみると、これは拝火教の一種らしい。

苦行僧たちの踊りはとてもパワフルで、その中にソロを踊る苦行僧が一人いるのだが、その振付はマッチョで迫力がある上に、ダンサーのテクニックもパワーもすばらしい。脚を横に伸ばしたまますごい勢いで高く跳び、おお、さすがは体育会系のボリショイ、群舞ですでにこれほどのレベルかい、と心の中で唸る。

ソロル役のウラジーミル・ネポロージニーが白い衣装で現れる。顔は小さく、背が高く痩せていて、脚がとても長い。衣装の白い色も手伝って、彼が現れたときにはちょっとギョッとした。まぶしいオーラがびんびんで、ぱっと見で「あ、こいつ主人公」とすぐに分かった。それが軽く踊りながらやって来るのだが、手足の動きがなめらかで、きれいな流線を描いている。立ち姿も挙措も優雅で美しい。

苦行僧の一人、マグダヴェーヤはソロルのパシリで、苦行僧というよりは奴隷にしかみえない。ソロルはマグダヴェーヤに、ニキヤを呼んでくるよう最初は頼む。だがマグダヴェーヤは躊躇してしきりに拒む。するとソロルの態度が一変、背すじをすっと伸ばすと人差し指をゆっくりと床に向けて命ずる。マグダヴェーヤは観念してニキヤのもとへと走り去る。

ここは「ジゼル」で、アルブレヒトがフィルフレッドをやんわりと追いやるシーンとは違うんだよね。ソロルとマグダヴェーヤの間には明らかに身分差があって、ソロルは上の立場からマグダヴェーヤに厳然と命ずるわけ。この身分差というのは、後でニキヤとガムザッティの間の関係でも強調される。

舞台の奥にある寺院の扉から大僧正、僧侶、舞姫たちがぞろぞろと出てきて、舞姫たちは苦行僧たちと入り混じって踊る。舞姫は胸当てに膝下丈のスカートという出で立ち。大僧正は金の帽子をかぶり、オレンジ色の長い貫頭衣を着ている。タイとかチベットとかの僧侶みたいな格好。恰幅がよくて目つきが悪く、いかにも悪役である。

舞姫たちの踊りが終わると、寺院の扉からもう一人の舞姫が姿を現す。他の舞姫とは違い、純白の衣装を身に着けている。これがニキヤである。ニキヤが一人で踊り出す。ニキヤ役のナデジダ・グラチョーワは小柄でほっそりしており、慎み深い面持ちで踊る。ここでは派手な動きはないが、腕の形が美しく、丁寧で繊細な踊りをする人である。ニキヤの姿を目にした途端、大僧正の表情が変わる。

苦行僧と舞姫たちが聖壇の周囲で踊っている隙に、大僧正はニキヤに言い寄る。聖職者がそんなことしていーのか。しかもけっこうセクハラなアプローチで、ニキヤを抱きすくめようとするではないか。ニキヤは必死にそれから逃れると、ここからのグラチョーワの演技が秀逸。すぐに平静な表情に戻り、「そんなことをしてはいけませんよ。このことは聞かなかったことにします」というふうに、大僧正を静かに手で制する。

マグダヴェーヤの手引きでソロルとニキヤが密会する。寺院の舞姫っていうのはさ、別に巫女じゃないから恋愛してもいいんだよね?それともダメなのか?プログラムによれば、二人はここで駆け落ちする約束をしているらしい。てことは、たとえばソロルは高位の貴族で、ニキヤは舞姫で身分が低いから、彼らは禁断の恋をしている、ということなのだろうか。ソロルは火の聖壇の前で神々にニキヤへの愛を誓う。だが、ソロルとニキヤが踊っている様子を、寺院の扉の陰から大僧正が見てしまう。

二人が去った後、嫉妬に我を忘れた大僧正が出てきた。神々に復讐を誓うはずなのだが、大僧正が聖壇の前に立った途端、舞台のライトがさっさと消えてしまった。それからしばらくしてまたライトがつき、大僧正が聖壇の前で両腕を振り上げ、怒りの形相で祈る。いろんな人に手前勝手な誓いをされて、神様も大変である。ソロルと大僧正のどちらの願いを叶えてやればいいのか。

ガムザッティ役のマリーヤ・アレクサンドロワが登場するなり、おお、これぞお姫様!という華やかさとあでやかさに圧倒された。マリーヤ・アレクサンドロワは背が高く大柄、いちばんの魅力はあの顔である。メイクのせいもあったと思うが、弧を描く眉、吊り目がちの大きな瞳がきらきらと力強く輝く、超超超ゴージャス美人。全身からお姫様オーラを発散させていて、地味な印象のグラチョーワのニキヤとはまさに好対照である。

ガムザッティも胸当てに膝下丈のスカートという扮装だったが、水色の生地に刺繍や飾りがふんだんに入った豪華な衣装であった。アレクサンドロワは自信に満ち満ちた笑顔を浮かべ、大振りな振付の踊りを豪快に踊る。脚を付け根からぶんぶん上げ、複雑なステップを次々とこなしていく。最初は動きがちょっと乱暴ではないかと思ったが、これがガムザッティのキャラクターなのだろう。踊りでもニキヤとは鮮やかな対比をなしている。

父親のラジャはガムザッティに婚約が決まったことを伝える。ラジャはソロルのレリーフを指し示す(なぜかソロルのレリーフが壁の上のほうに飾ってある。英雄だから?)。婚約相手がソロルであることを知ったガムザッティは、ふと恥じらった表情になり、両手で胸の前を押さえてうつむいて、何か物思う様子である。高慢そうなガムザッティは、けっこうツンデレなのであった。これも面白い。ラジャとガムザッティの前で踊りが繰り広げられる。そこで、何の皮肉か、ニキヤもやって来て踊りを披露する。

この時点では、ガムザッティはニキヤが自分の恋敵だとは知らない。しかし、ニキヤが登場した途端、それまで婉然と微笑んでいたガムザッティは、なぜか無表情になってニキヤから目を反らし、ニキヤの踊りを見ようとしない。自分より美しい女は気に入らない性格なのかもしれないし、またはニキヤが自分にとって危険な存在であることを、鋭い女のカンで本能的に察したのかもしれない。ここは後のニキヤとガムザッティとの確執を予感させる面白いシーンであった。

バレエの男主人公は、大体が二股男か、もしくは簡単に女を裏切って別の女に走るヤツが多い。ソロルもその例に漏れない。ラジャがソロルを呼び出し、ガムザッティとの結婚を命ずる。ソロルは最初こそ動揺し、「どうしよう」という硬い表情になる。しかし、頭からヴェールをかぶったガムザッティが現れ、侍女たちがそのヴェールをさっと取り払うと、ガムザッティを目にしたソロルは、思わず彼女にすっ、と近寄る。その視線はガムザッティに釘付けである。こうしてソロルはガムザッティにも惹きつけられてしまう。

結局ソロルは自分がニキヤと結婚を誓ったことを言い出せず、ラジャに促されるままにガムザッティの手を取って、二人してラジャの前に跪き、すんなりと婚約してしまうのである。おいおいおいおい!ソロルはガムザッティを見つめたまま、彼女の手を取って退場。

第一幕はマイム・シーンが非常に多い。一人残ったラジャに大僧正が近づき、ソロルがニキヤとも結婚の約束を交わしていることを告げ口してしまう。ここのマイムがせわしなくて、大僧正はソロルのレリーフを指さした後、自分の左手の薬指に右手を当てるという仕草を、体の向きを左右に変えてその都度繰り返す。ソロルは二股かけているぞ、という意味だろう。ラジャは激怒するものの、しばらく悩んだ末にソロルを罰せず、ニキヤを殺すことに決める。ここのマイムは拳を握った右腕をぐっと下げるというもので、これが「殺す」ことを指しているようだ。

ラジャと大僧正の密談を聞いてしまったガムザッティはニキヤを召し出すことにする。ニキヤがやって来る前のガムザッティは、ちょっと不安そうな表情を浮かべている。ニキヤが現れると、ガムザッティは途端に微笑を浮かべて、ニキヤを自分の足元に招きよせる。ここでのアレクサンドロワのガムザッティは怖かった。

ガムザッティはニキヤの顔を持ち上げてしげしげと見入る。もちろんニキヤは何も知らないので、おずおずとした表情でなすがままにされる。次にガムザッティは、宝石で埋め尽くされた豪華な腕輪を取り出すと、ニキヤに与えようと差し出す。が、ニキヤは遠慮がちに微笑んで首を振り、受け取ろうとしない。怖いのはこの次。ガムザッティは微笑を浮かべたまま、その腕輪を後ろへ向かって、バシン!と勢いよく床に叩きつけるのである。華やかな微笑の裏にある憎悪が表わされていて恐ろしい。

ここからガムザッティは憎しみを露わにし始める。ニキヤをソロルのレリーフの前にわざと立たせて、自分の婚約者がソロルに決まったことを教えるのだが、ガムザッティはニキヤの両肩をつかむと、乱暴にレリーフの前に押しやる。「さあ、彼が私の婚約者よ!よくご覧!」という感じで、ガムザッティはもう自分の激しい感情を押さえきれない。

ショックを受けたニキヤは、必死になってソロルは自分と結婚を約束した、とガムザッティに訴える。ニキヤとガムザッティはお互いの両腕をつかみあって口論し、また舞台の上で円を描くように跳躍しながら、同じ振りの踊りを踊る。ニキヤ役のグラチョーワは小柄で、ガムザッティ役のアレクサンドロワは大柄だが、踊ってみると目立ち方に差はなかった。二人とも180度開脚ジャンプがきれいだったなあ。

感情的になったニキヤは、そのへんに置いてあった刃物をつかんでガムザッティに襲いかかる。プログラムによれば、それを止めたのは女奴隷だということになってるけど、違うよ。止めたのはガムザッティ。ガムザッティは表情ひとつ変えず、また逃げもせず、逆に前に一歩進み出ると、刃物を持った腕を振り上げるニキヤの腕をがっ、とつかんで止める。そしてそのままニキヤをじっと見据える。ガムザッティってすごいでしょ。最初に目を逸らしたのはニキヤで、ニキヤは刃物を力なく取り落とすと、そのまま打ちひしがれて去る。

ニキヤが去った後、ガムザッティはヴェールをかき抱きながら、またも切なげな、悩んだような表情をみせる。ソロルのことがいとおしくてならないのである。そしてニキヤが憎くてたまらない。しばらくして、ガムザッティは舞台の真ん中に立つと、この上なく冷たい表情になって、拳を握った右腕をゆっくりと下げ、ニキヤを殺すことを決意する。壮絶すぎるぜガムザッティ。

でもガムザッティは、ソロルへの恋心があってこそ、ニキヤに対してここまでひどい仕打ちができたのである。だからいくらワガママでイジワルなお姫様でも、今ひとつ憎めないのだ。ここで第一幕が終了。

(2006年5月6日)


第二幕はガムザッティとソロルの結婚式らしい(早っ!)。幕の前を、踊りを披露する人々が横断していく。その中に、4人の人が台を担いで行き過ぎる。台の上には金色の仏像(の扮装をしたダンサー)が載せられている。あっ!しまった!「ラ・バヤデール」には、アタシの苦手な仏像踊り(ブロンズ・アイドル)があるんだった!噴き出さないでいられるかしら。

幕が上がると、舞台の右にラジャたちが座を占める高台が据えつけられ、長椅子が置かれている。背景は熱帯植物の森。屋外での婚礼のようだ。人々が揃うと、ともに淡いピンクがかった紫色の衣装に身を包んだガムザッティとソロルが現れる。ガムザッティは膝丈の巻きスカート(第一幕)ではなく、普通のチュチュを着ていて、ソロルは袖の短い上衣にハーレム・パンツという出で立ち。

ソロルはつくづく調子のいいヤツだなあ、と思ったのは、ニキヤを裏切ったにも関わらず、にこやかに微笑んでガムザッティをエスコートするのよ。ガムザッティとソロルはラジャの隣に座るが、やがてソロルがガムザッティの手を取って退場する。ラジャや戦士たちの前で様々な踊りが繰り広げられる。これら一連の踊りはいわゆる「キャラクター・ダンス」で、あまり面白くなかった。けど、初めてまともに見ましたよ。仏像踊り(プログラムには「黄金の神像の踊り」とある。物は言いようだ)。

この仏像を踊ったのは日本人の岩田守弘君である。てっきり、ま〜た東京バレエ団のダンサーが紛れ込んでるのかよ、と思ったが、彼は正真正銘のボリショイ・バレエ団員である。大したもんだ。上半身と左右対称のポーズをとった両腕はほとんど動かさず、両脚のみで高く跳躍し、複雑で機械的な動きをする。仏像なので表情は変えず、ほとんど正面を向いたまま踊る。踊りやキャラクター(?)の性質上、手足のポーズは固定され、また体をグラつかせてはならないのだが、岩田君の踊りは少し不安定で人間くさかった。全身やはり金粉メイクだったが、色が淡くてソフトなメイクだったので噴き出さずに済んだ。

壷を両手で捧げ持ち、時に頭の上に載せて両手を放して踊る踊り(マヌー)もユーモラスで面白かった。両手を壷から放して踊るとき、つい上目遣いになってしまうのはどうしようもない(でもその表情がかわいい)。太鼓の踊りでは、スティーヴン・セガールみたいな兄ちゃんがたくさん出てきて、その中の一人は大きな太鼓を持って叩きながら踊っていた。時おり太鼓を空中に放り投げてキャッチ。途中で女性ダンサーが一人加わって元気よく跳びはね、男性ダンサーたちと同じアクロバティックでパワフルな踊りを披露する。

やがてソロルとガムザッティが再び姿を現わし、華麗なグラン・パ・ド・ドゥを踊る。ガムザッティは自信たっぷりな、誇りに輝いた笑顔で堂々と踊る。やはり大振りな動きが多く、ここでもお姫様オーラとパワー全開である。ソロルのヴァリエーションでは、ウラジーミル・ネポロージニーのテクニックのすばらしさに感嘆した。跳躍、ピルエットなどをふんだんに盛り込んだ、豪快かつ複雑な振りが多かったが、まったくグラつかず、ふらつかず、ぎこちないところが微塵もなく、手足の動きの流れもきれいで、リンクも自然、ほとんど完璧といってよかったのではないか。

コーダになり、人々が両脇に立ち並ぶ中、アレクサンドロワのガムザッティが片足ポワントで右脚を付け根から高々と上げ、そのまま右脚を後ろに回してくるりと半回転する。それを何回も何回も続けた後、更に今度はグラン・フェッテをこれまた延々と繰り返し、最後のポーズを見事にびしりと決めた。まるで勝利宣言のようで、まさしく勝者の踊りであった。もうこちらもガムザッティ様にひれ伏したい気分だ。

ソロルとガムザッティが席につくと、彼らの前で踊りを披露するためにニキヤが姿を現わす。黒いヴェールを頭から下げ、濃いえんじ色のハーレム・パンツを穿いている。華やかなガムザッティの衣装とは対照的で、そのまま勝者と敗者との違いでもあるようで気の毒だ。ニキヤは悲しげな表情で目を落としている。ニキヤが現れると、ソロルの表情がようやく曇る。それに気づいたガムザッティは、ソロルに話しかけて彼の気を逸らそうとする。

ニキヤは一人で踊り始める。その踊りは静かな動きのもので、床に伏せたような姿勢から伸び上がるなど、身分でも恋でも負けた彼女の立場や心情をそのまま表わしたような踊りであった。ニキヤは悲しげな表情のまま、両腕を絡ませて上に伸ばし、両脚ポワントで立ってステップを踏み、嘆くように床に膝をつけて上半身を反らす。

マグダヴェーヤが花籠をニキヤに手渡す。その花籠はソロルからの贈り物だという。花籠を受け取った途端、ニキヤは救われたような表情になって口元に笑みが浮かぶ。ここのグラチョーワの表情がまた見事で、愁眉というのかな、それをかすかに開いて、切なさを漂わせながらも嬉しそうに微笑みながら、再び踊り始める。その踊りは明らかにソロルに向けられたもので、花籠を大事そうに抱え、また両手で捧げ持って、ソロルへ向かって突き出す。前の踊りとは違い、音楽もステップもやや激しいものとなる。ソロルからの愛に救われ、またソロルに対して必死に訴えているようだ。

ところが、ニキヤが花籠を抱きかかえた瞬間、毒蛇がニキヤの首筋に咬みつく。マグダヴェーヤがあわてて蛇をつかまえるが、ニキヤの体には毒がまわり始める。場は騒然となる。ここでもガムザッティは肝がすわっている。彼女はそ知らぬ体を装い、「まあ、いったい何事が起こったの?」といった驚いた顔をしてみせる。ニキヤは苦しみながらも立ち上がり、激しい勢いでガムザッティを指さすが、それでもガムザッティは「お前はいったい何を言っているの?」と平然としらばっくれる。

ソロルはどうも事の次第を察したらしい。気まずそうな、居心地の悪そうな表情をしている。しかし彼は、苦しみもがくニキヤから遠く離れたところで、彼女に背を向けて立ち尽くし、彼女を一顧だにしようとしない。最終的にソロルはニキヤを見限った。ニキヤはそれを悟ると、絶望的な表情になってバッタリと倒れ伏す。

大僧正がニキヤに小さな薬壷を手渡す。解毒剤である。大僧正は両手でしきりに自分の胸を押さえるような仕草をする。薬の代償に自分のものになってくれ、というのである。ニキヤは苦しそうな表情であえぎながら、薬壷を手に取ってじっと見つめる。が、ふと毅然とした表情になって薬壷を投げ捨ててしまう。グラチョーワの演技は実に見事で、それはソロルへの愛を貫くというよりは、たとえ敗者の身であっても、自分の誇りをまっとうして死を選ぶ、という気高さと強さが感じられた。

ニキヤは最後の力を振り絞って立ち上がると、ソロルによろよろと近づき、そこでバッタリと倒れて死ぬ。ガムザッティはうろたえた表情になって姿を消し、ソロルも激しく取り乱して祝宴の場から駆け去る。幕が閉じて第二幕が終了する。

ガムザッティは第三幕には登場しないので、第二幕が終わった後にマリーヤ・アレクサンドロワのためのカーテン・コールが行なわれた。アレクサンドロワは踊りといい演技といい雰囲気といい、この上なくすばらしかった。私はこの時点では、このバレエは「ラジャの娘」という題名にしたほうがいいのではないか、とさえ思ったくらいである。

美しさ、華やかさ、気品、高慢さ、感情の激しさ、気の強さ、踊っても演技をしても、ガムザッティというキャラクターが持つこれらの要素が、常に全身から放射されているかのようであった。物凄い存在感と迫力があって、第一幕と第二幕を緊迫感に満ちたドラマにしてくれた。変な言い方だけど、ニキヤを踊ったグラチョーワとは好一対のキャスティングであったと思う。


第三幕、ソロルは阿片を吸引しながら横たわっている。このへんの心境はよく分からないな。ソロルはガムザッティと結婚することを積極的に選んで、更に毒蛇に咬まれたニキヤをあえて見捨てたんでしょ。まあそれはともかく、暗い舞台の中を、苦行僧たちが灯明を両手に持って振り回しながら踊る。暗闇の中に灯明の小さな無数の光が飛びまわる。それが終わると、阿片を吸っていたソロルがよろよろと立ち上がる。

次のシーンは「影の王国」と呼ばれ、とても有名なんだそうだ。出だしはとても幻想的で美しかった。舞台の奥に大きな山が黒く聳え立っている。ふと、山の中腹に白いチュチュを着た「影」が現れる。彼女は横向きの姿勢で、両手を緩やかに広げ、片脚を後ろに高く上げるという動きをして前に進む。すると、彼女の後ろにまた別の「影」が現れる。やはり同じ動きをしながら前に進む。こうして、青白い「影」たちが長い列をなして同じ動きをしながら、ジグザグ形の道をゆっくりと下りてくる。

「影」たちが舞台上に揃うのに、たっぷり15分はかかったに違いない(私の脳内時間では)。ひたすら同じ動きを繰り返しながら進んでくるとはいえ、静かな迫力と凄みがあって印象に残った。黒い山肌に白い花が幾重にも連なって咲いているかのようだ。

「影」を演ずるボリショイ・バレエのコール・ドは、手足を動かすタイミング、また腕の形や脚の高さがみなきれいに揃っている。あんな大変そうな動きを長い時間ずっと続けるのだから、途中で一人くらい足元がグラついてもよさそうなもんだが、疲れによる崩れというものを最後までまったく見せなかった。「影」たちがみな下りてきて舞台上に立ち並んだ瞬間、客席から拍手が湧き起こった。

「影」たちは髪型が「ジゼル」のウィリそっくりで、チュチュは「白鳥の湖」の白鳥たちによく似ていた。両の肘から背中にかけて羽衣みたいな布が付いていて、彼女たちが腕を動かすたびに美しく垂れ下がる。「影」たちが一斉に踊り始める。一糸乱れず、というほどではないがよく揃っていたし、あんなに大勢(32名)なのに足音も静かだった。

いったいこの「影」たちは何者なのか、「影の王国」とは何の世界なのか、よく分からない。ソロルが阿片のせいで見ている幻覚なのかもしれない。「影」たちが居並ぶ中、ソロルが現れる。やがて「影」たちの後ろから、彼女たちと同じ白いチュチュを着たニキヤも姿を現わす。ただしニキヤのチュチュには羽衣がついていない。ニキヤとソロルは一緒に踊り始める。

このへんの踊りは、「ジゼル」や「白鳥の湖」とは違ってあまり意味がないように思えたので、もうほとんど記憶にない。ただ、ソロルが白いヴェールの片方の縁を持ち、ニキヤが両腕を上げてもう片方の縁を持ったまま、ポワントでアラベスクをして静止する振付がきれいで面白かった。グラチョーワは静かな表情で微動だにしない。そのまま2、3秒は止まっていただろうか。

3人の「影」によるヴァリエーションは、複雑で難しそうな技がてんこもりな振付だった。3人とも見事に踊ったが、第1ヴァリエーションを踊ったダンサーが最もすばらしかったように感じた。

「影」たちとニキヤが姿を消した後、ソロルは寺院に戻る。そこで雷鳴が轟き、寺院が音を立てて崩壊する。紗幕を使ってうまく崩壊していくさまを見せていた。ソロルは瓦礫と化した寺院の前に倒れ伏す。轟音が消えると、「影」たちが登場するシーンで使われていた、静かな旋律の音楽が再び演奏される。

すると瓦礫の向こうがぼうっと青白く光り、その中に白いチュチュを着たニキヤが、「影」たちと同じように両腕を前後に緩く伸ばし、片脚を後ろに上げる動きを繰り返している姿が浮かぶ。ソロルは必死で体を起こし、遠くにいるニキヤを見つめるが、やがてニキヤの姿は消え、ソロルは寺院の前で息絶える。このラスト・シーンはとても美しくて切なくて哀しい。終演後、しばらくこの情景と音楽とが頭から離れなかった。

第二幕が終わった時点では、なんかニキヤの役回りやグラチョーワが地味だな、と思ったのだが、それは大きな間違いであった。第一幕、第二幕とは別世界である第三幕によって、第二幕までの気分がふっ飛んでしまったのである。終演後に残ったのは、切なくて哀しい余韻だった。また今はほとんど覚えていないが、第三幕でのグラチョーワの踊りがとにかくすばらしくて、この作品の主人公はやはりニキヤだ、と思い直したのである。

カーテン・コールでそれは確かなものとなった。グラチョーワが出てくるたびに、会場は大きな拍手と喝采に包まれる。グラチョーワはカーテン・コールも上手だ。最初は両手を合わせてインド風の(?)挨拶をしていたが、何回目かの挨拶では、両腕を頭上高く伸ばすとポワントですっと立ち、それからゆっくりと膝をついて優雅にお辞儀をした。カーテン・コールでポワントで立つダンサーは初めて見た。会場が沸き、立って拍手する人々が出始めた。また、グラチョーワは両手を唇に当てると、ゆっくりとその手を開き、観客に向かって投げキッスをした。拍手が倍増する。これぞプリマ・バレリーナの力だ。

カーテン・コールが繰り返されるに従って会場の興奮度は高まっていき、最後は会場総立ちのスタンディング・オベーションとなった。それでもグラチョーワは静かな表情を崩さず、かすかに微笑んで舞台の中央で、また右へ、左へと移動してお辞儀をし、喝采に応える。役柄的にもダンサー的にも、やっぱり今夜の主人公はグラチョーワだ、と実感した。

「ラ・バヤデール」はすばらしい作品だった。もう一度とはいわず、二度でも三度でも観てみたい作品だ。チケットもっと買えばよかった、と後悔した。ただ困ったことも起きた。今回の舞台があまりにもすばらしかったため、グリゴローヴィチ版「ラ・バヤデール」、ナデジダ・グラチョーワのニキヤ、マリーヤ・アレクサンドロワのガムザッティが、私の脳内にインプリンティングされてしまったのである。今回の舞台が、私にとっての「ラ・バヤデール」の基準というか理想像になってしまった。厄介なクセがまた増えた。でもいい舞台を観ることができてよかった。

(2006年5月10日)


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